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育児放棄その2(経産空胎馬にホルモン剤投与を行い乳母として導入する試み(生産)

前回お伝えした育児放棄の続報です。本年が初産の母馬が育児放棄に陥ってから、3週間が経過しました。子馬に対する攻撃が、徐々に激しくなる傾向を認め、対策を考えなければならない状況となりました。高額な費用をかけて乳母を借りるか、孤児としてヒトの手のみで代用乳を給与して育てるか、それともその他の方法を試みるか非常に悩みました。

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育児放棄の母馬の子馬に対する攻撃は、徐々に激しくなっていきました。

今回、当場で選択したのは、高齢(20歳)のために、昨年出産後に種付けを行わずに研究用馬として在厩している空胎馬に対して、ホルモン剤投与を行うことによって泌乳を誘発し、乳母として導入する方法です。この方法はフランスの研究者が報告しており、当場では、今回が初めての試みとなりました。このホルモン処置は2週間必要であるため、育児放棄が発覚した数日後から開始しました。ホルモン処置を開始してから経時的に乳房が膨らみ始め、搾乳を開始した3日目には、1回の搾乳で1リットルもの乳を得られるまでに至り、乳母として導入する日がやってきました。

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ホルモン処置前の乳房(左)とホルモン処置13日後の乳房(右)

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ホルモン処置13日後には1回で1リットルの搾乳が可能となりました。

乳母を導入すること自体が、当場では初めての経験となります。乳母として導入する牝馬は、高齢のため落ち着いてはいるものの、少し気性の激しい部分も持ち合わせているために、また子馬が3週齢と導入時期が遅すぎるために、乳母の導入自体が成功するかどうかは非常に不透明であり、さらにホルモン処置によって子馬を発育させるために必要な泌乳量が得られるかどうかという不安も残っていました。

まずは子馬と産みの母馬との離別を行いました。これは予想していたとおり、問題なく終了しました。続いて、乳母と子馬との対面に移りました。乳母を導入する場合に、出産時に産道を胎子が通過するのと類似の刺激を子宮頸管に与えることによって、母性を誘発させられるとの報告に基づき、最初に乳母を枠馬に保定し、用手にて子宮頸管の刺激を実施しました。1度目の刺激時には目の前の子馬を威嚇したり、噛んだりしていましたが、2度目の刺激時には34回ではありましたが、子馬の顔を舐める仕草を認めました。しかし、その後も威嚇は続き、子馬が吸乳を試みる際には蹴ろうとするので、後肢を縛り付けることによって、なんとか吸乳が可能となりました。

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乳母と子馬の初対面時には、胎子が産道を通過するのと同様の刺激を与えて母性の誘発を試みました。

馬房に収容してからは、子馬の安全確保を最優先として、馬房内に簡易の枠馬を設置し、翌朝まで乳母を収容しました。それでも吸乳時には後肢で蹴ろうとするので、枠馬に畳を吊るし、その一部に小窓を開けて、子馬が安全に吸乳できるようにしました。対面を開始してから5時間が経過した時になってやっとスタッフが乳母の頭絡を持つだけで、抵抗なく吸乳を許すまでになりました。

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対面初日は馬房内に設置した簡易枠馬に乳母を収容しました。これにより吸乳時には子馬の安全が確保できました。

翌朝からは、インドアパドックや屋外パドックで2頭一緒に放牧を開始しました。対面開始から5日間は、完全に子馬を受け入れるまでには至らず、機嫌が悪い時には威嚇し、噛み付く素振りを認めることも珍しくはなく、そのために、子馬が避難できるように馬房内に鉄管を渡し、子馬専用のスペースを確保しました。また、子馬への授乳は、スタッフの保定がなければ不可能な状況が続きました。

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乳母導入後5日間は、子馬への威嚇が続き、乳母と子馬の双方にストレスが溜まっているように見受けられました。馬房に鉄管を通し、子馬専用のスペースを確保しました。

乳母導入から4日間が経過しても子馬を受け入れない場合には、導入を諦めるべきだともいわれているため、今回の導入は失敗したと考えていた6日目に、他の親子と一緒に放牧を行ってみました。当初は他の親子の姿を見て、母性を抱くきっかけになればと考えていましたが、他の母馬が威嚇してきたのを境に、子馬を守ろうとして蹴り返しました。それからお互いの威嚇が数分間繰り返され、双方の母馬が落ち着いた直後に変化がおきました。子馬を守ろうとの想いからか、乳母に完全な母性が覚醒し、放牧地の中でスタッフが保定することなく吸乳さえも受け入れ、常に子馬を守ることを第一に考えるようになりました。それ以降は、子馬の全てを受け入れ、本当の親子のように振舞うようになりました。子馬も生まれて初めて安らげる場所を見つけたかのようにリラックスして横たわるようになりました。さらに、以前はスタッフが馬房に入るとミルクがもらえると嘶き、跳び付くこともありましたが、乳母導入後はスタッフが馬房に入っても、体を揺すらないと起きないようになりました。

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他の母馬から子馬を守ろうとすることで、完全な母性が覚醒しました(右の親子が乳母と子馬)。

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母性が覚醒してからは、完全に子馬を受け入れるようになりました。

一方、ホルモン処置によって得られた泌乳量は決して十分とは感じられず、子馬を適正に発育させるために、現在も推奨量の1/3程度の代用乳を補助的に給与しています。今回のホルモン剤投与によって経産空胎馬に泌乳を誘発し、乳母として導入する試みは、泌乳量だけを考えると完全に成功とまではいませんでしたが、子馬の精神面を考えた場合には非常に効果的であったと感じています。今後はホルモン処置を行った乳母が正常に発情し、受胎できるのかについても検証する予定です。

今回の育児放棄を経験し、競走馬として1勝すること、あるいは競走馬としてデビューすることはもちろん、セリに上場させるまでに順調に発育させること、さらには無事出産させることの難しさ、すなわち軽種馬生産の難しさを実感することができました。ドラマであれば、このような育児放棄を受けた馬がG1競走に優勝したりするものですが、そう上手くはいかないのが軽種馬生産の現実です。当場で得られる知見が軽種馬生産の一助となれば幸いです。

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子馬は生まれて初めてリラックスし、精神的に落ち着きました。今回、最もがんばってくれたのは、もちろん20歳になった乳母でした。本当に頭が下がります。