25-26育成馬ブログ(日高②)

育成馬調教における走行タイムの設定

 毎日寒くなってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。9月に騎乗馴致を開始した61頭の育成馬たちの調教は順調に進み、現在800m馬場を2周した後、坂路を24秒/F程度で1本上がってくるメニューを消化しています。今シーズンも速歩でのドライビングを中心とした騎乗馴致を行った効果により、初めて坂路入りした際から馬がまっすぐ走れ、きれいな隊列での調教を行うことができています(写真1、動画1)。また、調教のタイム指示についてはステディキャンター(馬が落ち着く速度で安定した駈歩を続ける)となるように設定することで、馬が常に落ち着いた状態で調教を実施することができています。今回は育成馬調教における走行タイムの設定についてご紹介いたします。

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(写真1)今シーズン初めての坂路調教

(動画1)今シーズン初めての坂路調教


 我々は騎乗馴致段階で“速歩でのドライビング”を積極的に取り入れています。速歩のドライビングでは「左!」「まっすぐ!」「右!」「まっすぐ!」「左!」「まっすぐ!」「右!」・・・という風に、短時間で多くのコマンドを馬に出し続けることとなるため、馬が人にフォーカスし、人から出される命令にすぐに応えようと従順になる効果があると感じました。また、常歩よりも速いスピードでドライビングを行うことにより、馬が本当にまっすぐ進んでいるか、開き手綱の扶助を理解しているかが確認でき、結果として騎乗調教開始後にまっすぐ走れる馬が増えました。速歩でのドライビングについては過去の当ブログでも何度か取り上げていますので、興味のある方は過去記事をご覧いただけましたら幸いです。

JRA育成馬日誌: 24-25育成馬ブログ(日高①)
JRA育成馬日誌: 23-24育成馬ブログ(日高②)
JRA育成馬日誌: 22-23育成馬ブログ(日高④)


 ところで、競走馬の調教では基本となるタイムがあると考えています。当場の竹部職員が研修に行った英国の名門マイケル・スタウト厩舎では、調教メニューをEasy(竹部職員がGPSで測定したところ18秒/F程度)、Normal(同15秒/F程度)、Work(同12秒/F程度)の3段階で設定していました(図1)。すなわち、休み明けの月曜日は軽めで坂路1本(18秒/F)、火曜日は明日の追切に備えて普通調教として坂路1~2本(15秒/F)、水曜日は追切(12秒/F)、木~土はまた繰り返すといった感じです。この18秒/F、15秒/F、12秒/Fという速度を基本にしている厩舎は多いです。18秒/Fは競走馬にとってステディキャンター(馬が落ち着く速度で安定した駈歩を続ける)となる速度であり、15秒/Fは血中乳酸濃度が4mmol/L以上となり無酸素運動能が鍛えられ始める速度、12秒/Fは追切すなわちレース実戦と同様の速度となります。

Photo_2(図1)英国マイケル・スタウト厩舎の調教(竹部職員研修報告より)


 日高育成牧場では、昨シーズンから通常調教(スピード調教以外)の走行タイムの設定を変更しました。23-24シーズンまでは4月のブリーズアップセールまで正比例するように走行タイムを上げていったのに対し(図2)、24-25シーズンからは走行タイムが1歳の12月までに18秒/Fになるようにどんどん速度を上げ、ベーススピードが18秒/Fに達してからはその速度を維持する形で調教を行いました(図3)。その結果、まずV200という心肺機能を示す数値が過去3シーズンと比較して高くなり、特に2月の数値が高いすなわち早期から心肺機能が向上していることが示唆されました(図4)。さらに、24-25シーズンの育成馬は6月の新馬戦で早くもデビューした馬が16頭と、過去5年平均の13頭と比較して多くなりました。以上のことから、ベーススピードを早期に18秒/Fまで上げることは、育成馬の基礎体力をつけるのに良い効果をもたらしたと考えられました。今後数シーズン続けてみて、検証したいと考えています。

Photo_4 (図2)走行タイムの設定イメージ(23-24シーズン以前)

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(図3)走行タイムの設定イメージ(24-25シーズン以降)

Photo_6 (図4)過去4シーズンのV200(牡)


 以上、育成馬調教における走行タイムの設定についてご紹介いたしました。今後は坂路での3列縦隊での集団調教をとおして馬群でじっと我慢することを教えながら、競走馬として必要な基礎体力を身につけさせていき、1月中旬にはスピード調教を開始したいと思います。今回の記事が普段育成牧場で馬を調教されている皆さんの少しでもお役に立てば幸いです。

25-26育成馬ブログ(繁殖①)

離乳後の管理~中期育成期が始まりました~

 近年、北海道の夏は本州に負けないくらい暑くなりましたが、10月に入りようやく涼しくなってきました。早朝には10℃を下回り、秋が来たと思うと同時に長い冬の到来が近くなっているのを早くも感じているところです。
JRA日高育成牧場では、今年、10頭の当歳馬が離乳しました。例年、暑さの最盛期を過ぎ、アブのストレスも和らぎ始める8月末から9月上旬に離乳をし、リードホースを含めた馬群に移行します。9月下旬にはリードホースも離し、現在は当歳馬のみで集団の昼夜放牧を実施しています。

 この時期の当歳は本場から車で10分くらいのところにある「ハッタリ分場」に移動して管理しています。ここは豊富な放牧草と約8haの広い放牧地を備えた分場で、この時期の馬達のよい運動の場として活用されています。昨年には新しい厩舎が竣工し、馬も今まで以上に快適に過ごせるようになりました。

Photo_4昨年完成した新厩舎

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広い放牧地で当歳馬達は元気に運動して成長していきます。

 「ハッタリ分場」で過ごす期間は、放牧するだけでなく色々なことに「馴らす」ことと「人との信頼関係の構築」を意識した管理を行っています。一般的に離乳後の当歳馬は、それまでの母馬とともに生活することから離れることで精神的に不安定となりがちで、取り扱いが難しくなる馬もいます。この時期に人間に従ったり頼ったりすることを教えることは、扱いやすい馬づくりに効果的だと感じています。もちろん、離乳前からのしつけもしてきているので、受け入れる下地もしっかりできています。

 具体的に行っていることの例としては、まず引馬を個別に実施しています。馬は群れで生活する動物で、他の馬についていく習性があります。離乳前は母馬とともに歩いていたので安心でしたが、離乳後に1頭ずつ歩かせると、歩きたがらなかったり寂しがって集中しない馬もいます。そんな状況下であえて1頭1頭別々に歩かせ、歩きたがらない時には人がプレッシャーを用いて指示を出して促したり、上手く歩けたときには褒めたりすることで人馬の間のルールや信頼関係が構築されていきます。

 さらにこの過程では、馬が警戒して歩きたがらない環境でも歩けるように、いわゆる「物見」をしないようにトレーニングしています。例えば、場内にある排水設備の網などを馬は躊躇して立ち入りません。さらに地面にブルーシートを敷き、その上を歩かせたりもします。馬術の障害競技でリバプールという障害物が用いられますが、青い敷物を馬は気にして「物見」をすることがよくあります。これらのような、馬が物見しやすい環境に向かわせると、はじめは警戒する馬達ですが、人が促してクリアさせると、馬は危なくないものと認識できれば馴れるのでスタスタと歩いて通過できるようになります。このように課題をクリアさせることで、馬は人の指示に従うことを覚えます。そして従えば安心であるという経験を積み重ねることで人馬の信頼関係ができてきます。

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地面の様子が違うと馬は「物見」をして躊躇しますが・・・

Photo_7促して受け入れると馬は網の上に乗ることができます。

Photo_8ブルーシートも危なくないと理解できれば大人しく駐立できるようになります。

 他にもシャワーでの馬体洗浄馴致やビニル袋の刺激への馴化など、この時期に当歳馬に与えるタスクを多く設定しています。今年の当歳馬は例年よりも元気が良い馬が多い印象ですが、皆順調にクリアし成長してくれるように願っています。

25-26育成馬ブログ(日高①)

JRA育成馬の購買

 JRAでは毎年74頭程度の1歳馬をセリ市場で購買しており、そのうち54頭が日高育成牧場に入厩し、育成されます。今回は、セリ市場での購買についてご紹介したいと思います。

 JRAがセリで馬を購買する前には、競走馬資源調査の一環として、セリに上場される全頭を事前に検査しています。例えばサマーセールでは、当日セリが始まる前の 2 時間半という限られた時間で約 240 頭が展示されるため、その場で詳細な検査を行うことは至難の業です。そこで我々は、事前に上場馬が繋養されているコンサイナーを巡り、下見を行っています(写真1)。

 平日の朝から夕方まで、暑さや雨と闘いながらも 1 日あたり約 100~150頭、2 週間かけて 69 牧場を訪れ、上場馬の約 4分の 3 にあたる約 1,100 頭を検査しました。下見では、横見、前後見、歩き方、馬体のコンフォメーションを確認し、将来の競走能力への影響や疾病リスクがないかをチェックします。今年は特に常歩時の動きに注目しました。すなわち、肢を余計に振り回したりする無駄がなく、歩くスピードが速く運動神経に優れていそうな馬を優先しました。事前下見の後には、検査した馬の情報を擦り合わせ、購買候補馬を選定しています。下見にご協力いただいたコンサイナーの皆さんにこの場を借りて改めてお礼申し上げます。

Photo(写真1)コンサイナーでの下見の様子


 実馬の検査に加え、事前下見で購買候補となった馬の医療情報(レポジトリー)を日高育成牧場、宮崎育成牧場、本部生産育成対策室の獣医職員が手分けをしてチェックしています。このレポジトリーのチェックでも問題ないと判断された購買候補馬が、セリ上げに参加する対象馬となります。サマーセールまでで64頭(うち日高育成牧場は44頭)の馬を購買することができました。セプテンバーセールで10頭程度を購買する予定です。セリが活況なため購買に苦労しましたが、新種牡馬カラヴァッジオの産駒など、魅力的なラインナップを取り揃えることができました(写真2)。

Photo_2(写真2)落札した1歳馬(ケイアイセイラ2024、父カラヴァッジオ)

 JRAでは過去に馬学講座ホースアカデミーで1歳馬の購買に関する動画を複数作成しています。下記にリンクを貼り付けますので、ご視聴いただければ幸いです。

https://youtu.be/tXkHrehlfzQ?si=IilDRdD0ZFP-FluU
(動画1)1歳馬の馬体評価法とコンフォメーション

https://youtu.be/LKGy1s5GznE?si=_A2YKe7ulegCFHqV
(動画2)競走馬のコンフォメーション ~生産・育成牧場で使える馬体の見方~

https://youtu.be/iu6CSrqOnew?si=qO7F_X9MfDVOd_zk
(動画3)サラブレッドの血統

https://youtu.be/OOYJ5bAMYcI?si=gIChXXDSnvaB3atn
(動画4)レポジトリーでみられる所見について

 以上、今回はJRA育成馬の購買についてご紹介いたしました。今シーズンも9月10日から育成馬の騎乗馴致を開始いたします。今回の記事が皆さんの少しでもお役に立てば幸いです。

2025JRAブリーズアップセール関連情報(事務局)

〇 2025JRAブリーズアップセール 育成馬展示会(日高)騎乗供覧映像公開について

 

平素よりJRAブリーズアップセールをご愛顧いただき、誠にありがとうございます。

4月15日(火)に日高育成牧場で開催した育成馬展示会における、騎乗供覧の映像を特設サイト(https://auction.jbis.or.jp/jra/25bus.php)にて公開いたしました。

ご購買を検討される際の参考としてご活用いただければ幸いです。

24-25育成馬ブログ(生産④)

JRA日高育成牧場 スプリングキャンプ 

~未来の馬獣医師を育てる~

 放牧地の雪解けも進み、ゆっくりと春の訪れを感じさせる日高育成牧場で、今年もスプリングキャンプを実施しました。
 スプリングキャンプは獣医学生を対象とした研修プログラムで2014年から始まりました。2018年からは、VPcampと呼ばれる産業動物臨床分野などでの実践的な教育プログラムを構築し、獣医学教育の高度化や国際水準化を推進するために始まった事業の一つとして実施しております。
 春の出産シーズンにあわせて開催しており、研修に参加する学生は繁殖牝馬や子馬などに触れ、馬の健康管理や繁殖学について学びます。採血、直腸検査、レントゲン検査やエコー検査などの診療技術についての実習だけでなく、引き馬や馬房掃除など馬を飼養するためになくてはならない作業についても体験してもらい、馬に関わるということをより深く知ってもらう機会を提供しています。

1n2025_3図1:スプリングキャンプのカリキュラム

Photo (写真)直腸検査実習

 研修で最も重要となるカリキュラムの一つが分娩監視です。出産間近の繁殖牝馬の分娩開始の兆候を見逃さないよう、学生たちにも監視を行ってもらいました。繁殖牝馬の出産シーンに立ち会えるかどうかは運次第ですが、幸運にも今年は研修中に出産を迎えた牝馬がおり、サラブレッドの誕生に立ち会うことができました。愛情深くわが子を見守る母馬の姿や、一生懸命に起立・吸乳する子馬の姿を目に焼き付けてくれたものと思います。
 終了後、参加した研修生からは、「大学ではできない様々な経験を積むことができた」、「これまで触れる機会のなかった馬業界について深く知ることができた」などの感想があり、全員が馬獣医師について興味を強く持ったと述べてくれました。卒業後、馬獣医師への道を歩んでもらえることを我々も期待しております。

さいごに
 JRA日高育成牧場では、今年の夏も獣医学生を対象とした研修を実施する予定です。興味のある方はVPcampHP(詳細は後日公開)をご確認ください。

24-25育成馬ブログ(生産③)

〇今年のJRAホームブレッドの生産状況について

 3月に入り、寒い日高地方も日中は暖かくなる日が増えてきました。生産牧場では子馬が続々と生まれており、可愛い子馬に癒されながらも、牧場の皆様としてはゆっくり眠れない夜が続いているかと思います。


 日高育成牧場でも、本年はJRAホームブレッド10頭が出産予定となっています。以下の表が今年の分娩予定馬で、これまでにすでに5頭が生まれました。ここまでは大きな問題もなく、無事にお産とその後の管理ができています。

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2025今シーズン初産駒(ユッコ2025)誕生の様子

 

 今回は今年生まれたばかりの生産馬について少しご紹介します。まだ半数が分娩を待っている状況ですが、これまで生まれた子馬たちを見て、今からデビューが楽しみになっています。

25ユッコ2025 3/5撮影(15日齢)

 1頭目はユッコ2025(めす、父カラヴァッジオ、母父ハーツクライ)です。当牧場生産馬初のカラヴァッジオ産駒で、今シーズン最初に生まれた牝馬です。
 父カラヴァッジオ(カラヴァッジオ(USA):日本軽種馬協会)は、現1歳世代が本邦初年度産駒。2018年からアイルランド、アメリカで供用された後、JBBA日本軽種馬協会に導入され、2023年から日本での種付をスタートしました。現役時代は、デビューからG1競走2つを含む6連勝を飾った仕上がり早のスプリンターで、欧米にのこしてきた産駒からは、昨年の欧州最優秀3歳牝馬に選ばれたPorta Fortunaを筆頭にすでに3頭のG1競走勝ち馬が出ています。持ち込み馬としてすでに日本でデビューした産駒からも、GⅢ阪急杯を勝ったアグリなどが出ていて、日本の競馬の適性もすでに示しています。
 こちらの牝駒は、出生時体重が59㎏と生まれながらにしっかりとした馬体で、生まれた当日から馬房内で走り回るほど元気いっぱいです。集放牧の間も抑えるのが大変なくらい前進気勢にあふれているので、父の産駒らしいスピードを武器とした良い競走馬になってくれそうです。

25_2 プレイフォミラクル2025 3/5撮影(13日齢)

 もう1頭は新種牡馬産駒から、プレイフォミラクル2025(牡、父シャープアステカ、母父ヘニーヒューズ)です。
父シャープアステカ(シャープアステカ(USA):日本軽種馬協会)はこの当歳世代が本邦初年度産駒。現役時代はアメリカのダートマイル路線で活躍したトップマイラーで、G1競走1勝(2着3回)をはじめ重賞5勝をあげています。2019年からアメリカで供用開始されたのですが、初年度産駒は大活躍。34頭が勝ち上がり、2歳総合サイアーランキングで勝利数1位を獲得しています。その初年度産駒からは、G1ビホルダーマイルSを勝ったSweet Aztecaが出ており、また先月ドバイで行われたUAEオークス(GⅢ)を勝った3歳馬Queen Aztecaもこの父の産駒です。2024年からJBBA日本軽種馬協会に導入されていて、初年度は146頭もの種付を行いました。
 こちらの牡駒もとても元気で、弾むようによく歩く馬です。前述のカラヴァッジオの牝駒と比べると、現時点ではやや線が細いように見受けられますが、雄大な馬体を誇る父や母父ヘニーヒューズのように、ダート適性の高い筋骨隆々な馬体に成長するかもしれません。これからどんどん成長して変化していく子馬を観察していけることが、生産者としての楽しみだと思っています。

 当場の出産も折り返し地点に差し掛かりました。最後の1頭が生まれるまでのお産の安全と産後の親子の健康を祈りながら、毎日の管理に励んでいきたいと思います。

24-25育成馬ブログ

難産で母馬を失った育成馬

〇繁殖牝馬の分娩後の死亡
 二次診療への緊急の搬送を伴う疾病といえば疝痛が挙げられますが、生産地においては難産も重要な病気です。難産の発生率は約10%(McCue, 2012、Ginther, 1996)と言われており、その中でも親子の生死に関わるような獣医師を呼んで急患対応をしてもらう割合はすべての分娩の約3~4%(野村、2017および佐藤、2017)と報告されています。多くの症例においては、子馬よりも翌年以降もその血統を残せる可能性のある繁殖牝馬を救う対応が取られます。その結果、難産時の子馬の死亡率はすべての分娩の約1%(加藤、2017)であるのに対して、繁殖牝馬の死亡率は約0.4%(野村、2017)と報告されています。近年の生産頭数が約8000頭であるため、日本全体では年間で30頭程度の繁殖牝馬が難産時に死亡していると推定されます。
 JRA日高育成牧場においても、難産において繁殖牝馬が死亡した症例に2023年に遭遇しました。この症例は、本来は伸びている胎子の両前肢や頭部が曲がってしまったタイプの難産で、全身麻酔下で胎子を引き出すこと(後肢吊り上げ整復)が必要となりました(写真1)。胎子の引き出しには約1時間半もの時間を要してしまい、この時点では誰もが胎子の生存は厳しいと感じていました。一般的に、分娩時間が30分を超えると、10分経過するごとに胎子の生存率も約10%低下することが知られています(Norton, 2007)ので、この状況は絶望的でした。

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(写真1)後肢吊り上げ整復の様子

 そのような状況でしたが、娩出された子馬は呼吸をしており、奇跡的に生存しており、すぐさま子馬の救命処置を開始しました。一時的に呼吸が弱くなる場面もありましたが、投薬処置により一命をとりとめました。一方、長時間の難産に苦しんだ繁殖牝馬は、産道の裂傷からの腸管脱出が認められ、子宮動脈破裂を疑うほどの出血があり、非常に厳しい状況でした。難産時に繁殖牝馬の死亡原因として、子宮動脈破裂が55%、腸管脱出が10%という報告(野村、2017)があり、二次診療施設で手術することを検討しましたが、残念ながら安楽死となりました。子馬のいななきに反応した母馬の姿は今でも忘れられません。生まれた子馬は母馬を失った子馬(Orphan Foal)として育てることとなりました(写真2)。

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(写真2)母馬を失った子馬

〇人工乳の給与と乳母付け
 母馬を失った子馬の管理では、いかにして栄養源を与えるかが重要となります。通常であれば母乳が栄養源となるわけですが、母馬を失った子馬は母乳を得られないので、代替となる栄養源が必要です。生産地では、馬用の人工乳が市販されており、ストック初乳の投与後は哺乳瓶を用いて人工乳を与えることになります(写真3、4)。通常の子馬は、最も多い時には30分に1回程度の頻度で吸乳しており、人工乳に関しても頻繁に与える必要があります。この子馬についても、2時間おきに与えました。また、量も1日で最大20L程度飲む時期もあります。以上のことから、哺乳瓶を用いた頻回給与には限界があり、ある程度のタイミングでバケツなどを用いて与える方法へ移行するのが現実的です。この子馬も11日齢からバケツや飼桶での給与を開始しました(写真4)。

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(写真3)哺乳瓶による授乳

1_2 (写真4)バケツによる授乳

 バケツであれば牧場スタッフの負担は軽減されますが、離乳までの長期間続けることは非常に負担です。また、生後からの親子での集団放牧がウマの性格や社会性の形成に重要な働きをしていると考えられています。例えば、子馬は母馬の行動(乾草を食べる、人の横を引き馬で歩くなど)を見てまねることで、色々な行動を早く学びます。さらに、他の親子と触れ合う中で個体間の上下関係を学び、人の指示に従う従順な性格となる下地ができるとも考えられています。以上のことから、母馬の代わりとなる存在がいることが理想であり、母乳の出る他の繁殖牝馬に育ててもらいます。これを『乳母付け』と呼びます。
 一般的には、その年に出産した繁殖牝馬でないと母乳は出ませんが、様々な薬を投与することで、出産していない繁殖牝馬でも母乳が出るようになります。乳母に適した馬は、これまでに出産歴のある馬で、母性の強い馬が適していると言われています。今回は、6頭の出産経験があり、他の子馬の授乳も許容する空胎の繁殖牝馬を乳母にしました。このように温厚な繁殖牝馬であっても、いきなり授乳を許容するわけではありません。JRA日高育成牧場では分娩時の生理状態を再現する薬を投与し、乳母の状態を確認しながら乳母付けを行いました。乳母候補となる馬への処置が終わると、いよいよ子馬と対面させます。相性が悪いと子馬を蹴ったり、威嚇したりすることもあるのですが、今回の乳母と子馬は幸いにも、何事もなく授乳が許容されました。数時間もするとまさに本当の親子のような仲睦まじい姿となっていました(写真5~8)。

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(写真5)乳母付けの様子【薬投与後】 

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(写真6)乳母付けの様子【子馬との対面】

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(写真7)乳母付けの様子【授乳】

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(写真8)本当の親子のように放牧地でまったり

 なお、乳母付けなどについて詳細に知りたい方は、JRA育成牧場管理指針-生産編(第3版)-に記載されていますので、ダウンロードしてご活用ください。

〇母馬を失った馬の取扱いや育成
 一般的に、母馬を失った子馬は取扱いが難しくなるというイメージが持たれています。これは、前述のように社会性の欠如が危惧されるからです。今回の子馬も、当歳時は少し他の子馬と距離があるような様子も見られましたが、乳母付けの効果もあり、その後は大きな問題もなく離乳や馴致を行っています。2歳となった現在は、坂路でハロン18秒を切るタイムでの調教も可能になっており、JRAブリーズアップセールに向け、順調に調整しています(動画1)。ぜひともこの育成馬に注目していただければ幸いです(写真9)。

Photo_12(動画1)調教の軌跡

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(写真9)現在の姿(レディバゴ2023)





24-25育成馬ブログ

馬の二次診療施設

〇 樋口徹先生慰労会の開催


 2025年1月18日(土)に静内エクリプスホテルで長らくNOSAI北海道家畜高度医療センターにおいて馬の二次診療に携わってきた、樋口徹先生の慰労会が盛大に開催されました。

 樋口先生は、我々JRA日高育成牧場はもちろんのこと、生産地の多くの馬たちの手術を執刀してこられ、日本の馬産業に多大な功績を残されました。また、手術などの診療だけでなく、後進の育成にも非常に熱心に取り組まれ、家畜高度医療センターにおける獣医学生の研修は馬の診療を志す獣医学生にとってあこがれの研修先であり、樋口先生の執筆されてきた『馬医者修行日記』は馬の診療に携わる獣医師のバイブルと言えるものでした。

 これからの我々馬獣医師たちは、樋口先生の意志を継いで、馬のためにより良い獣医療を目指していかなければならないと改めて感じたところです。

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(写真)樋口徹先生の慰労会の様子

〇 二次診療施設
 樋口徹先生の勤めてこられたNOSAI北海道家畜高度医療センターのような二次診療施設は、日本国内にいくつかありますが、生産地では、胆振地方にある社台ホースクリニック、日高地方にあるNOSAI北海道家畜高度医療センターが主な施設です。

 生死に関わる疝痛などが発生した際には、専門の知識と技術を持った外科医による外科手術が必要となりますので、これらの施設へ馬を搬入することになります。病気の種類にもよりますが、発生からなるべく早く手術を行うことは手術の成否や術後の回復にも影響を与えますので、必然的に牧場から近い二次診療施設に依頼することが多くなります。

 JRA日高育成牧場においても、最も近いNOSAI北海道家畜高度医療センターに受け入れていただいております。

 2015年から2024年までの10年間にJRA日高育成牧場からNOSAI北海道家畜高度医療センターに搬入した頭数は34頭(牡17頭、牝17頭)でした。年間で約3~4頭の馬が二次診療施設で手術を受けていることになります。その年齢や用途を見てみると、育成馬である1歳および2歳が大半を占めていました(図1)。JRA日高育成牧場では、繋養馬の多くが育成馬ですので、この結果は当然と言えますが、当歳や繁殖牝馬、さらには乗馬も手術をする可能性があることは忘れてはなりません。

 Photo_4(図1)JRA日高育成牧場の手術馬の年齢

 また、手術の種類をみてみると、大半は開腹術(主に疝痛に対する外科手術)でした(図2)。やはり馬を繋養している牧場にとっては、飼養管理を気を付けていても、疝痛の発生は避けられませんので、二次診療施設の存在は大きな助けとなります。また、それ以外の手術は運動器疾患に関わるものが多く、手術のおかげで調教ができるようになり、無事に競走馬となれた馬も多数います。改めて生産地の獣医師が馬産業を支えていることを感じました。

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(図2)JRA日高育成牧場の手術馬の手術内容

24-25育成馬ブログ(生産②)

〇当歳馬の厳冬期の過ごし方

 日高育成牧場のある浦河では、12月中旬を過ぎてからついに寒さが増してきて、冬本番の様相を呈してきました。雪も放牧地を一面に覆い、いわゆる根雪が張った状態となりました。こうなると、放牧中の馬達は放牧地の草が食べられなくなってしまいます。

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 前回のブログ記事でご紹介したとおり、当場の当歳馬たちは10月下旬から新しい厩舎ができたハッタリ分場で過ごしてきましたが、11月末で別の厩舎に移動してきました。放牧時間は13時から朝8時までの19時間と変更はしないものの、この厩舎の移動は冬季の当歳馬管理に重要な意味を持っています。

 実は放牧地での馬達の行動について見てみると、寒い時期には運動量が低下することが分かっています。こちらは日高育成牧場の当歳馬において、GPSを使って放牧地での移動距離を調べたグラフですが、気温の変化と移動距離は連動しています。気温が低くなると、馬の移動距離は短くなるということです。

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 この理由はいくつか考えられますが、気温が低いと馬達は体温を維持するためにエネルギーを消費してしまうため、できるだけじっとして消費エネルギーや熱の放散を抑えるようになる、放牧地が雪で覆われていることで、食べる牧草を探して歩き回ることがなくなる、そもそも歩きにくいため歩かなくなる、などがあります。

 移動距離の減少は、子馬の体力づくりや健全な成長に悪影響を及ぼすかもしれません。そこでこの時期の日高育成牧場では、ウォーキングマシンの使用を開始します。ウォーキングマシンは、子馬の不足した運動量を補うことができます。歩行速度は4.5~5.0 km/hとそれほど速くない設定で、毎日30~60分程度行います。ウォーキングマシンを使用したいがために、この時期に子馬の繋養厩舎を変更している、というわけです。

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 ウォーキングマシン以外の運動量を維持するための工夫として、放牧地で与える乾草をできるだけ複数個所に分けるようにしています。こちらの写真は実際に当歳馬が使用している放牧地の空撮画像ですが、赤丸で示したように四角い放牧地の四隅で与えています。これによって馬達が草を求めて少しでも歩き回るように仕向けることができ、運動量の確保につながります。

Photo_4当歳馬を放牧している放牧地の空撮画像。赤丸のついた四隅に乾草を投げる

 放牧地で食べる草を与えるために、自家乾草のロールを置く方法もありますが、馬達はロールのある場所から動かなくなってしまうと考えられ、運動促進にはつながらないかもしれません。食べてなくなってしまう量を何回かに分けて与えるのが良いと考えています。

 このように、北海道の冬は馬達にとっても過ごしにくい環境となります。これから競走馬に育っていく子馬たちをどうしたらより強い馬にしていくことができるのか、工夫を凝らしていきたいと思います。

JRA育成牧場管理指針-生産編(第3版)-について

 JRA日高育成牧場での繁殖牝馬や子馬の管理方法や考え方を記載した「JRA育成牧場管理指針-生産編(第3版)-」を発行しています。下記のサイトからPDFファイルをダウンロードできますので、ぜひともご活用ください。
https://www.jra.go.jp/facilities/farm/training/research/pdf/research_seisan.pdf

24-25育成馬ブログ(日高②)

馬をまっすぐに走らせることと手前変換

 毎日寒くなってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。9月に騎乗馴致を開始した61頭の育成馬たちの調教は順調に進み、現在800m馬場を2周した後、坂路を24秒/F程度で1本上がってくるメニューを消化しています。速歩でのドライビングの効果により、初めて坂路入りした際から馬がまっすぐ走れ、きれいな隊列での調教を行うことができています(写真1、動画1)。また、調教のタイム指示についてはステディキャンター(馬が落ち着く速度で安定した駈歩を続ける)となるように設定することで、馬が常に落ち着いた状態で調教を実施することができています。今回はその取り組みについてご紹介いたします。

Photo_2 (写真1)今シーズン初めての坂路調教

 

https://youtu.be/FGaU0j8Zj-M

(動画1)今シーズン初めての坂路調教

 

 我々は騎乗馴致段階で“速歩でのドライビング”を積極的に取り入れています。速歩のドライビングでは「左!」「まっすぐ!」「右!」「まっすぐ!」「左!」「まっすぐ!」「右!」・・・という風に、短時間で多くのコマンドを馬に出し続けることとなるため、馬が人にフォーカスし、人から出される命令にすぐに応えようと従順になる効果があると感じました。その結果、以前より人の言うことをきく馬が増えた気がしています。

 また、常歩よりも速いスピードでドライビングを行うことにより、馬が本当にまっすぐ進んでいるか、開き手綱の扶助を理解しているかが確認でき、結果として騎乗調教開始後にまっすぐ走れる馬が増えました。例えて言えば、自転車を運転する際に、ゆっくり漕ぐとフラフラしてしまいますが、ある程度のスピードを出し続けることでまっすぐな状態を維持できるのと同じ理屈です。スタッフたちには速歩で進む馬と同じ速さで移動しなくてはならないため苦労をかけましたが、そのおかげで走路での騎乗調教開始直後からまっすぐ走れる馬を作ることができました。

 速歩でのドライビングについては過去の当ブログでも何度か取り上げていますので、興味のある方は過去記事をご覧いただけましたら幸いです。

 JRA育成馬日誌: 24-25育成馬ブログ(日高①)

JRA育成馬日誌: 23-24育成馬ブログ(日高②)

JRA育成馬日誌: 22-23育成馬ブログ(日高④)

 

 基礎体力を付けるため、2シーズン前から12月に800mトラックで連続3周(2400m)をハロン24秒程度で走る調教を開始しました。その中で、まっすぐ走れる馬については競馬と同じく「コーナー順手前、直線反対手前」の手前変換を教えています。競走馬の手前変換の仕方は、新しい外側(左→右だとしたら右)のあぶみに足を踏み込み、騎座を新しい外側(左→右だとしたら右)に位置させ、人の重心を先に移動させて、馬の重心を変えるように誘導し、さらに、新しい外側(左→右だとしたら右)の脚で扶助(合図)を送って、新しい内側(左→右だとしたら左)の手綱を軽く開くと手前を変えるように調教しています。馬場馬術のように後躯が先で前躯が後の手前変換ではなく、あくまでも前躯が先で後躯を後に手前変換することでよしとしています。 以前はごく限られた腕の達者な騎乗者のみがこの手前変換を行えていましたが、「速歩ドライビング」「ステディキャンター」で「落ち着いてまっすぐ走ること」を教えた結果、手前変換できる人馬が増えました(写真2、動画2)。

Photo_3(写真2)800mトラックでの調教(今シーズン)

 

https://youtu.be/v5Mw96undUM

(動画2)800mトラックでの手前変換(過去動画)



 800mトラックで連続3周(2400m)の調教は、基礎体力を付けたうえ手前変換を馬に教えることができるなどメリットが大きい反面、この調教を開始した2シーズン前には内側管骨瘤が多発するというデメリットがありました。原因は「同じ方向での周回」にあるのではないかと考え、22-23シーズンは通年で月・水・金曜日は右手前、火・木・土曜日は左手前というように走る方向を固定していたのですが、23-24シーズンより、11・1・3月は月・水・金曜日右手前、火・木・土曜日は左手前で走り、12・2・4月は月・水・金曜日左手前、火・木・土曜日は右手前で走るように変更しました。その結果、跛行を伴う内側管骨瘤の発症頭数を22-23シーズンの6頭から23-24シーズンは1頭に減少させることができました。このように、周回コースで長い距離を走る調教では、同じ手前ばかりにならないよう、注意が必要であることがわかりました。

 

 以上、現段階での調教についての取り組みをご紹介いたしました。今後は坂路での3列縦隊での集団調教などを教えながら、競走馬として必要な基礎体力を身につけさせていきたいと思います今回の記事が普段育成牧場で馬を調教されている皆さんの少しでもお役に立てば幸いです。