22-23育成馬ブログ(生産②)
乗用馬生産を目的とした受精卵移植を実施
秋競馬が始まりGI競走では多くの熱戦が繰り広げられており、そこで活躍した馬たちはその後種牡馬および繁殖牝馬としてのキャリアをスタートさせることとなります。そのため、多くの競走馬は5歳程度で引退するのが一般的です。一方、乗用馬の世界では年齢を重ねるごとに技量が増していく傾向があり、特にオリンピックなどの最高峰の競技会に出場する競技馬は10歳以上であることがほとんどです。その結果、競技会で優秀な成績を残してキャリアを終えた段階では高齢となっていることが多く、その段階からサラブレッド生産と同様に本交による生産を行うと、数頭の産駒しか得られないことになります。そのため、乗用馬の世界では、受精卵移植を含む生殖補助医療を用いた生産が認められており、世界各地で盛んに実施されています。今回、JRA日高育成牧場において乗用馬生産を目的とした受精卵移植を実施しましたので、その概要をご紹介します。
生殖補助医療を用いた生産のメリット
生殖補助医療とは、人工授精(AI)や受精卵移植などの技術のことを指し、繁殖効率を上昇させることや生殖機能に問題のある症例から産駒を得ることを目的に発展してきた技術になります。乗用馬の世界では昔から実施されており、多くの馬が生産されてきた実績があります。生殖補助医療を用いた生産の流れは、まず産駒を得たい繁殖牝馬(受精卵提供馬:ドナー)に対して本交やAIを実施します。AIに用いる精液は冷蔵または冷凍されたものを用いますが、冷凍精液を用いることで海外の優良な種牡馬を輸送することなく産駒を得ることができます。AIの約8日後にドナーの子宮から受精卵回収を実施します。そして、見事に受精卵が回収できた場合には、代理母(出産・育児を担当)(レピシエント)に受精卵を移植して出産まで管理することになります。レピシエントに対しても、ドナーのAIのタイミングに合わせて排卵させておく必要があります(図1)。
このような生殖補助医療を用いた生産のメリットは、2つあげられます。まず一つ目は、「現役を引退する必要がない」ことがあげられます。生殖補助医療を用いた方法では、ドナー自体が子馬を生むのではなく、レピシエントに産んでもらうことになります。このように、優秀な競技馬が競技を引退することなく産駒を得ることができることは、大きなメリットであると言えます。また、生殖補助医療を用いて受精卵を複数回収することができれば、産駒を「1年に複数頭を生産」することも可能になります。1回の発情周期で複数個の排卵を認めることもありますし、発情期の間の複数回の発情周期ごとに受精卵を回収できればさらに多くの産駒を得ることも可能です。以上のように、生殖補助医療は乗用馬生産の世界においては、不可欠な技術と言えます。
図1 生殖補助医療を用いた生産の流れ
優秀な総合馬術競技馬を用いて受精卵移植を実施
今回受精卵移植のドナーとなったのは、16歳のオランダ温血種(KWPN)の総合馬術競技馬(写真2)です。この馬は東京オリンピック2020のリザーブ馬となるなど高い能力を示していましたが、怪我のためハイクラスの競技会からは引退した経緯があります。乗用馬として非常に高い能力を有している上に、優れた血統も持っていることから、産駒を生産することとしました。一方で、浅指屈筋腱の状態が落ち着けば、まだ乗用馬として活用できる可能性があることや、16歳と比較的高齢であり、通常の方法で生産を行った場合には非常に少ない頭数の産駒しか得られないことなどを踏まえ、受精卵移植による生産を選択しました。
写真1 ドナーの競技会での様子
父馬候補は、フランスの乗用馬用種牡馬として実績のある馬の凍結精液を用いることとしました。今回行ったAIは、排卵近くになった段階で6時間おきに直腸検査をしてモニタリングを行い、排卵を認めた段階でAIを実施するという方法を採用しました(写真2)。しかしながら、凍結精液によるAIの受胎率は本交に比べると低いことが知られていることや、繁殖牝馬が比較的高齢であることなどから、残念ながら受精卵回収はできませんでした。
写真2 人工授精(AI)の様子
そこで、サラブレッド用の現役種牡馬と本交を行って受胎率を高めて受精卵回収を試みました。その結果、2つの受精卵を回収することに成功しました(写真3・4)。得られた受精卵は、排卵のタイミングをドナーと合わせておいたレシピエントに移植を行っています。レシピエント候補馬は4頭用意していましたが、実際にタイミングの合ったレシピエントは2頭のみであり、受精卵移植を行うためには多くのレシピエント候補馬を用意しておく必要があることに注意が必要です。
写真3 受精卵回収の様子
写真4 回収された受精卵
受精卵移植を行ったレシピエントに対して約1週間後(胎齢14日)に妊娠鑑定のエコー検査を実施したところ、見事に受胎を確認しました(写真5)。受胎を確認したのは10月下旬でしたので、順調に行けば来年の9月下旬に出産となる予定です。
写真5 受精卵移植後に受胎を確認
終わりに
現在の日本の馬術競技馬の多くは海外から輸入された馬が多くを占めています。東京オリンピック2020における日本人選手の活躍などにより、今後は日本国内でもハイクラスの乗用馬の需要が高まり、引退せずに産駒を生産する可能性も考えられます。そのような乗用馬生産を行う際には、今回実施した技術が必ず必要となるはずです。JRA日高育成牧場では、乗用馬産業の発展の助けとなることを目的に、今後も生殖補助医療に関する知見を深めていきたいと考えています。乗用馬生産に興味のある方は、下記の参考文献も参照ください。
参考文献:凍結精液による人工授精・受精卵移植法の手引
http://univ.obihiro.ac.jp/~dosanko/2017_2019/researchcollection.pdf