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ヨシオ号とのお別れ

〇ヨシオ号とのお別れ

 JRAホームブレッドとして日高育成牧場で生まれ、競走馬として75戦6勝、2着4回3着11回という競走成績を残したヨシオ号。引退後は福島競馬場で誘導馬として活躍していましたが、11歳の誕生日直後の5月11日にこの世を去りました。疝痛(馬の腹痛)のため美浦トレセン競走馬診療所に救急搬送・治療を行いましたが、救命することができませんでした。非常に残念です。ご冥福をお祈りします。

 ヨシオ号は母フローラルホームの初産駒として2013年に生を受けました。出生時の馬体重は平均を下回る47Kg。母の乳量が少なく、他の馬と比較して成長が遅れていたこともあり、サラブレッド生産では頻繁に行われる乳母付けを行うことにしました。一般的に乳母には、出産後で母乳が出る温厚な血統の馬を用いますが、ヨシオ号の乳母に選ばれたのは未経産のサラブレッド牝馬。このような馬を「ホルモン処置」することで乳母として導入することは、乳母導入のコスト(100万円程度)削減や、その年に子馬を産んでいない牝馬の活用などとして非常に有用です。一方で、直前に子馬を産んでいないサラブレッドを乳母にするのは極めて困難で、場合によっては乳母が受け入れず、子馬が大怪我を負うリスクを伴います。そのような中、日高育成牧場の大きな役割の1つである生産育成に関する技術開発と技術普及の一環として、「ホルモン処置した乳母の安全な導入方法の検討」を目的に、ヨシオ号の乳母付けは行われました。

1_3写真1:生後1週間のヨシオ号

2_2写真2:乳母と当歳のヨシオ号

 想像以上に幾多もの困難が待ち受けていましたが、様々な工夫と挑戦の末にヨシオ号と乳母の距離は近づいていきました。本当の母子のような関係までには至りませんでしたが、他の母子と同じように生活し、人工哺乳しつつではありますが他馬に劣ることなくすくすくと成長することができました。このヨシオ号での経験は、「ホルモン処置した乳母の導入方法」として、講習会や勉強会の場で多くの牧場関係者の皆様にご披露させていただき、生産地で役立っています。

育成牧場管理指針-生産編-のP74に記載があります(https://jra.jp/facilities/farm/training/research/)

(該当ページ抜粋(jra.pdfをダウンロード))

 乳母と別れ、育成厩舎に移動してきたヨシオ号(1歳)はその後、順調に騎乗馴致・調教が進められていきますが、年明けころから牡馬にありがちな気の強さを露見するようになりました。時には相棒である騎乗者の指示を聞かず、調教コースに出るのを嫌がり準備運動馬場から飛んで行ってしまうこともありました。そんなヨシオ号ですが、やや小柄ながら父ヨハネスブルグから譲り受けた筋肉質でバランスの良い馬体は目を引き、一部の購買者の方々からは注目を浴びる存在になっていきました。

1_4写真3:1歳時のヨシオ号

 2015JRAブリーズアップセールに上場されたヨシオ号は、税込486万円で落札され、栗東の森秀行厩舎所属となります。その後は前述のとおり75戦してダート短~中距離競走で6勝をあげ、総収得賞金は1億5,000万円を超えました。また、2020年にはジャパンカップ競走とチャンピオンズカップ競走に連闘出走し、翌年には障害競走にも出走し掲示板に乗るなど、話題性も豊富な馬でした。

20jc_2写真4:ジャパンカップに出走するヨシオ号

20_2写真5:チャンピオンズカップに出走するヨシオ号

 競走馬として活躍する傍ら、ヨシオ号は2021年にJRA京都競馬場が企画・実施した「アイドルホースオーディション」で19,434票を獲得して1位に選ばれました。この企画で入選したヨシオ号は「ぬいぐるみ」デビューも果たすことができました。

Photo_2写真6:ぬいぐるみデビューしたヨシオ号
  

 8年間にわたり競走馬として活躍し、アイドルホースとしても皆様に愛されたヨシオ号。JRAで生産・育成にかかわる我々職員にとっても大きな足跡を残してくれました。彼のような生産馬をつくり、競走で活躍できるJRA育成馬へと育てられるよう、今後とも励んでいきたいと思います。