分子生物研究室の辻村です。
『名は体を表す』 これは、名前はそのものの実体を表すという意味です。しかしながら、私が長年研究に携わる馬鼻肺炎は、『名が体を表さず』といえるかもしれません。
馬鼻肺炎は、馬産業において最も警戒が必要なウイルス感染症の一つで、Equine rhinopneumonitisという英語の病名を日本語に直訳し、このように呼ばれています。
実は、馬鼻肺炎ウイルスは、鼻腔から侵入して呼吸器に病変を形成しますが、肺炎に至るケースはまれです。したがって、肺炎はこのウイルスの感染で起こる代表的な病態ではありません。鼻炎の症状(鼻汁の漏出など)は比較的よく認められますが、鼻炎を起こすだけのウイルスであれば、そこまで警戒されることはないでしょう。
馬の関係者が恐れるこの病気の症状として、まず思い浮かべるのは流産です。馬鼻肺炎の流産胎子には大量のウイルスが含まれていて、同居馬への感染源となります。そのため、生産現場では、馬鼻肺炎による流産の防疫対策が重要です。
また、日本での発生はまれですが、海外ではこのウイルスによる神経麻痺も問題となっています。(外部リンク:http://keibokyo.com/wp-content/uploads/2023/03/%E8%BB%BD%E9%98%B2%E5%8D%94%E5%8F%B7%E5%A4%96%EF%BC%88EHV-1%EF%BC%8920230310.pdf)
馬の関係者以外の方にとって、『馬鼻肺炎』という病名は、これらの実体(流産、神経麻痺)を分かりづらくしているかもしれません。
さらに、原因の馬鼻肺炎ウイルスが、ウマヘルペスウイルス1型(EHV-1)と4型(EHV-4)の総称であることにも注意が必要です。かつての診断技術では鑑別が難しかったEHV-1とEHV-4を区別できるようになった現代では、両者の病原性は大きく異なることが分かっています。呼吸器疾患はどちらのウイルスでも認められますが、流産と神経麻痺は、ほとんどがEHV-1感染によるもので、EHV-4によるものは、これまで数えるほどしか報告されていません。
したがって、馬鼻肺炎ではなく、それぞれEHV-1感染症、EHV-4感染症と呼ぶことが望ましいと考えます。ただ、動物衛生の国際機関である国際獣疫事務局WOAHが現在も“馬鼻肺炎”を使用していますので、完全に切り替えることは難しいかもしれません。
さて最後になりますが、国際獣疫事務局をWOAHと略称したことに違和感を覚えた方は、このブログの熱心な読者の方かもしれません。
2021年6月17日付の記事(https://blog.jra.jp/kenkyudayori/2021/06/jraoie-e41d.html)で、分子生物研究室が国際獣疫事務局の馬インフルエンザのリファレンスラボラトリーに指定されたことをご報告しました。その記事の中で使用した略称は、フランス語のOffice International des Epizootiesを省略した『OIE』でした。
それが2022年2月に名称が変更となり、World Organisation for Animal Healthを省略した『WOAH』を使用することが決定されました。これを受けて新たに制作した本研究室の看板が下の写真です(よろしければ、前回の記事の写真と見比べてください)。
今後は、『WOAHリファレンスラボラトリー』として活動して参りますので、どうぞお見知りおきください。