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2023年5月 1日 (月)

訓練免疫

分子生物研究室の辻村です。

 2023年5月8日より、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染症法上の位置づけが、“2類相当”から“5類”に移行します。このことは、2020年1月に日本国内で同感染症が発生して以来、一つの節目となる出来事と思われます。思い起こせば、この約3年間は、COVID-19に対抗するために様々な研究・開発が進められた期間でもありました。ウイルスの同定から1年足らずで実用化に至ったmRNAワクチンは、その最たるものの一つと言えるでしょう。一方、mRNAワクチンの登場前に、COVID-19への対抗策として注目されていたのが、結核ワクチンのBCGです。パンデミックの初期、日本人の患者が少ないことの原因として存在が推測された「ファクターX」。BCGはその有力な候補の一つと考えられていました。現在もなお、COVID-19に対する効果の有無についての検証が続いていますが、BCG接種が結核以外の感染症の罹患率を低下させることは、過去の調査で既に示されています。

 病原体の感染やワクチン接種によって得られる免疫を獲得免疫と呼びます。獲得免疫とは、白血球の一種のリンパ球に属するT細胞とB細胞が司る免疫記憶により、同一の病原体の再感染に対して迅速で強力な防御反応をもたらす仕組みのことをいいます。言い換えれば、獲得免疫は特定の病原体のみを標的とした特異的な反応です。一方で生体は、獲得免疫が成立していない初めて遭遇する病原体に対して、自然免疫と呼ばれる防御機構を備えています。自然免疫は、様々なタイプの病原体に対して非特異的に反応します。自然免疫を担う細胞は、顆粒球、マクロファージ、樹状細胞、NK細胞などで、食作用やサイトカイン産生によって病原体を排除します。このような非特異的な自然免疫の機構において、免疫記憶の存在はかつて想定されていませんでした。しかし、その後の調査・研究から、自然免疫は感染性の刺激によって増強され、次回の何らかの病原体の侵入に対し、より強固な防御反応を示すことが見出されました。2011年にオランダの研究グループは、新しい免疫学的用語として、この現象を“訓練免疫(trained immunity)”と呼ぶよう提唱しました。そして、訓練免疫を誘導する代表的な免疫刺激がBCG接種であり、その結果増強された自然免疫が結核以外の感染症にも防御効果を示すと考えられています。

 科学論文の代表的なデータベースであるPubMedを検索したところ、その概念が提唱された2011年からCOVID-19のパンデミック前の2019年末までの9年間における訓練免疫に関連する論文数は243本でした。それに対して、パンデミック後の2020年から2022年の3年間の論文数は594本に上り、そのうち155本がCOVID-19にも関連するものでした。したがって、この訓練免疫もCOVID-19がきっかけとなって、研究が進んだ分野の一つと言えるかもしれません。なお、BCG以外のワクチンによる訓練免疫についても研究が行われており、特にBCGと同様の弱毒生ワクチンは、より効果的な訓練免疫を誘導する可能性が推測されています。今のところ、馬での訓練免疫はほとんど調べられていませんが、より効果的なワクチンの開発に向けて、今後発展が期待される研究分野と考えられます。

参考文献(いずれも外部リンク)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/21575907/
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/35597182/
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/36993966/