2024年7月31日 (水)

馬伝染性子宮炎について

微生物研究室の木下です。

 

馬伝染性子宮炎 (CEM : Contagious Equine Metritis) という、不受胎の原因となるウマ特有の性感染症をご存じでしょうか?

CEMは、1970年代後半から80年代にかけて世界各国に広まった病気で、日本国内においても1980年代から2000年代にかけて発生が確認されていました。国内の軽種馬群では2005年の発生を最後にまもなく20年が経過しようとしていますが、国外に目を向けると、ヨーロッパ (特にドイツ) を中心に毎年のように発生が報告されています。さらに、今年に入り、2013年以来となるアメリカでのCEM発生が、フロリダ州で繋養されているポニーにおいて確認されました。本ブログの執筆時点で、97頭の馬を飼育する当該牧場において、11頭のポニーがCEM陽性と確認されています (検査中の馬もいるため、最終的な陽性数は増える可能性あり)。また、ポニー間で広まった原因として、ルーティンで行っていた生殖器の清掃作業が疑われているようです。CEMに限ったことではありませんが、このような人為的な行為によって病気が広まる可能性があることを認識し、注意を払う必要があると改めて感じました。

 

アメリカにおけるCEM発生についての詳細は、下記の米国農務省のホームページ(外部リンク)をご確認ください。

(外部リンク)

https://www.aphis.usda.gov/livestock-poultry-disease/equine/contagious-equine-metritis

Cem2024ver2_2(写真1. 本年7月の会議風景)

国内での発生は長年認められていないとはいえ、ウマの国際間移動が頻繁になっている昨今、CEMが再び国内で発生する可能性は否定できません。CEM発生時の影響が非常に大きいことに鑑み、日本軽種馬協会(公益社団法人)を中心として、生産地、検査機関、そしてJRAの関係者が集まり、CEMの検査状況の共有や、今後どのような対策が必要なのかについての協議を行うために定期的に会議を行っています (写真1)。良からぬ伝染病が広まらないことを強く望みはしますが、万が一事象が起きた際に迅速な対応が取れるよう、関係者と普段から連携しておき、有事に備えた取り組みを平時から行っておくことが重要であろうと思います。

2024年7月 9日 (火)

馬糞紙(バフンシ)を知っていますか?

競走馬総合研究所の桑野です。
 いつも学術的な投稿が多いので、今回は目先を変えて芸術?の世界に足を踏み入れてみましょう。

 お歳を召した方には聞き覚えのある名前かもしれませんが、日本には古くから馬糞紙(ばふんし)という紙がありました。馬糞が原料ではありません。洋紙の製造技術が日本に入ってきた明治時代に、パルプ材の無かった日本では代用品として稲藁や麦藁を使って紙を製造しました。これを藁半紙(わらばんし)と呼びました。当時、その黄土色に加えて表面に藁の繊維がはみ出している感じが馬糞のようだったため、別名として馬糞紙とも呼ばれていたそうです。私が子供の頃は馬糞紙の改良は進み、表面のざらつきが抑えられたただの藁半紙として販売されていました。その藁半紙も今ではほとんど見なくなりましたが、昭和の時代では学校のテスト用紙、小売店の包装紙、石焼き芋の包み紙などに使われていましたね。

 過去の遺物だと思っていたのですが、近年、馬糞紙の質感を持った新バフン紙という新たな商品が一部のクリエイターや臨床美術士(りんしょうびじゅつし)の間で用いられています(図1)。新バフン紙は、昔の藁半紙より丁寧な工程を積み上げて作られており、独特のザラついた表面を残しつつ、様々な色合いの紙として販売されています。パステルの乗りがよいので、絵が得意でない人でも上手に物を描出できる量感画用の紙として人気です(図2)。

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        図1. 消炭色の新バフン紙  表面のザラザラ感に特徴があります

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        図2. 新バフン紙にオイルパステルで描かれたサツマイモの量感画

 一方、本当に馬の糞からバフン紙を作っている人たちもいます!日本在来馬の繋養地などでは、芸術を極めることが目的ではなく、地元の町起こしや子供の教育として馬の糞から紙を作る技術を伝承し、それで作られた小物を商品として販売したりしているようです。匂いを丁寧に除去した清潔な商品にする努力はアッパレです。

 JRAのトレーニングセンターでも沢山のウマを繋養していますが、そこで出る馬糞は紙にこそならないものの、発酵させた後、マッシュルーム生産の床材にしたり、牛繋養のための牛床にしたりと有益に用いられていますよ。結構、無駄がないですねえ!

2024年6月27日 (木)

IFHA Global Summit

こんにちは、運動科学研究室の高橋です。

先日カナダのウッドバイン競馬場で開催されたIFHA Global Summitに参加してきました(図1)。IFHAとは国際競馬統括機関連盟(International Federation of Horseracing Authorities)のことで、グローバルスポーツであるサラブレッド競馬のあらゆる側面を推進し、ウマとアスリートの福祉を守り、発展を目指すためにパリ協約の制定や、ワールドランキングの発表、ウマと騎手の福祉と安全に関する方針の策定などを行なっています。近年では、動物福祉、動物愛護の機運が世界的に高まっており、ウマの福祉向上に貢献する研究が世界的に行われています。中でも、重篤な骨折や突然死の予防はどの競馬主催者にとって喫緊の課題となっています。今回のGlobal Summitはウマの骨折メカニズムや不整脈について世界的に著名な研究者が招待され、それぞれの分野について分かっていることを共有した後、これらの疾患を減らすためにはどのような研究、協力体制が必要か、競馬主催者を交えて議論されました。

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 印象的だったのは、変化には時間がかかることを認めざるを得ないが、様々な分野とのコラボレーションが着実に変化をもたらすことが紹介されていたことです。アメリカの米軍では、新兵の脚の疲労骨折が多いことが1980年代に問題になっていたようです。それからヒトの運動生理、バイオメカニクス分野の研究内容を徐々に現場に還元していき、2000年代後半には20%以上発症率が低下したことが紹介されていました。研究の成果が現れるまでは、ある程度忍耐力を持って、知識の共有をサークル全体で図るべきだとまとめられていました。

ちなみに、JRAでは重篤な骨折はどのような推移を辿っているかを下にご紹介いたします。図2は2003年から2022年の重篤な骨折を含めた、予後不良になり得る筋骨格疾患発症率の推移です。2003年から2007年の5年間の発症率に比べて、2018年から2022年の5年間では芝、ダートともに発症率は半分程度になっています。骨折の発症は、非常に複雑な要因が絡んでいるので減少した要因を1つに絞り込むのは困難ですが、様々な研究の現場への還元をはじめ、薬物規制やMRIなどの最新機器の導入などのJRAの取り組みに加え、調教技術の進歩などが合わさって徐々に重大な事故は減ってきていると考えています。中央競馬サークルの重篤な骨折に関する対策は良い方向に行っているように感じます。今後もウマの福祉向上を目指した研究を展開し、競馬サークルに最新知見の共有を図っていきたい所存です。

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2024年6月18日 (火)

Neglected Influenza Viruses(無視されたインフルエンザウイルス)?

 分子生物研究室の根本です。

 4月に米国ケンタッキーで開催されたInternational Symposium on Neglected Influenza Virusesに参加してきました。

  Neglected Influenza Viruses(無視されたインフルエンザウイルス)とは、注目されていないインフルエンザウイルスのことを意味しますが、それでは、どのようなインフルエンザウイルスなのでしょうか・・・それは、A型人インフルエンザウイルスとA型鳥インフルエンザウイルス以外のインフルエンザウイルスのことです。具体的には、馬インフルエンザウイルス、豚インフルエンザウイルス、コウモリに感染するインフルエンザウイルスなどになります。ですが、近年アザラシ等の海獣やこれまで感染報告のなかった動物に、A型鳥インフルエンザウイルスが感染する例が多く、本学会にはこのような演題も含まれていました。そのような世間から注目を集めないインフルエンザウイルスの学会で、私は馬インフルエンザに関する研究発表を行いました。また学会期間中、あいにくの曇り空だったものの皆既日食を観察することもできました。

12_4                  会場のエントランス       会期中に観察された皆既日食

 この学会で話題になったのが、学会直前の3月末に米国で感染が明らかとなった牛インフルエンザです[1]。牛インフルエンザは、米国においてH5N1高病原性鳥インフルエンザウイルスが牛に感染したもので、牛は乳量低下などの症状を示しました。感染牛の牛乳中に大量のウイルスが認められ、加熱殺菌していない牛乳を飲んだ猫がウイルスに感染したことが報告されています[2]。さらに、感染牛を飼育している農場の人が感染し結膜炎等の症状を示したことでさらなる注目を集めました[3]。米国で流通している牛乳をPCR検査したところ、陽性となったのは150検体中58検体ありましたが、生きたウイルスは検出されませんでした[4]。この結果から、現在行われている加熱殺菌がウイルスの不活化に非常に有効であり、そのため牛に触れない一般の人には対するリスクは低いと考えられます。現在のところ米国以外での牛インフルエンザの発生報告はありませんが、今度も注目すべきインフルエンザウイルスであり、牛インフルエンザウイルスは「無視されたインフルエンザウイルス」とはならないことでしょう。

参考文献

  1. United States Department of Agriculture Animal and Plant Health Inspection Service. Federal and state veterinary, public health agencies share update on HPAI detection in Kansas, Texas dairy herds. 2024.                         (外部リンク)https://www.aphis.usda.gov/news/agency-announcements/federal-state-veterinary-public-health-agencies-share-update-hpai (2024年6月18日リンク確認)
  2. Burrough et al., Highly Pathogenic Avian Influenza A(H5N1) Clade 2.3.4.4b Virus Infection in Domestic Dairy Cattle and Cats, United States, 2024. Emerg Infect Dis 2024. 30:240508. doi: 10.3201/eid3007.240508.
  3. Uyeki et al., Highly Pathogenic Avian Influenza A(H5N1) Virus Infection in a Dairy Farm Worker. N Engl J Med 2024 doi: 10.1056/NEJMc2405371.
  4. Cohen et al., Bird flu appears entrenched in U.S. dairy herds. Science 2024. 384:493-494. doi: 10.1126/science.adq1771.

2024年6月 7日 (金)

国際サラブレッド生産者連盟の獣医会議

 こんにちは、微生物研究室の岸です。

 先日、国際サラブレッド生産者連盟(ITBF; International Thoroughbred Breeder’s Federation)による国際大会・獣医会議が東京で開催されたので参加してきました。ITBFとは、世界の主要なサラブレッド生産国(25か国)にある生産育成組織から構成されており、日本では日本軽種馬協会が代表として加入しています。本連盟の主題は、サラブレッド繁殖産業に関わる諸所の問題の解決に取り組むことにあります。

1itbf_3学会のエントランス・ボード

 本大会は2年ごとに開催されており、日本での開催は2006年以来18年ぶりでした。今回も、アルゼンチン、ブラジル、カナダ、チリ、ドイツ、インド、アイルランド、ニュージーランド、南アフリカ共和国、イギリス、アメリカといった各国の獣医師が参加しており、非常に国際色豊かな会議になったと言えます。

 冒頭に、日本軽種馬協会の上野副会長からスピーチがあり、日本でのウマに関する研究は大部分がJRA総研で行われていると紹介され、我々の研究所が各国にアピールされたのは嬉しかったです。会議では、各国の代表から、防疫情報の紹介・共有としてウマの感染症の発生状況やワクチンなどについて伝えられました。さらに、後半には教育講演が用意されており、当研究所の辻村分子生物研究室長が馬ヘルペスウィルス感染症に関して発表しました。    

                                23_4日本軽種馬協会の上野副会長(左)JRA総研の辻村室長(右)のスピーチ

 実は、若輩者の私はこのような国際会議に初めて参加しました。主要言語が英語という会議に不慣れなものの、その全てが他国の防疫概況を知れる良い機会であったことは言うまでもありません。私自身、英語で発表できるまでに研鑽を積んで行かなくてはと、心引き締まる思いで会場を後にいたしました。

2024年5月22日 (水)

東京農工大学における大動物臨床実習

 臨床医学研究室の黒田です。

 私が非常勤講師を担当している母校の東京農工大学の実習について紹介します。実習は5年生を対象に「大動物臨床実習応用編」として、3週にわたりJRA東京競馬場にて実施いたしました。1週目は馬の取り扱い、保定法、個体識別、触診について、2週目は採血法、予防注射、3週目はエコー検査、X線検査、内視鏡検査について授業と実習を行いました。なかなか、慣れない馬の取り扱いですが、授業を含めて皆さん真摯に取り組んでいただいたかと思います。正直、あまり真面目に授業を受けてこなかった私が言える立場にはないのですが・・・、母校ながら頼もしく感じております。当時の自分に会えるなら、「しっかり授業聞いとけよ!」と言い聞かせたいです。

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授業風景

2内視鏡検査

 海外と比較すると繋養頭数の少ない日本では、馬の授業や実習は限られておりますので、将来の馬医療を支える人材育成のためにもこれらの授業は重要な機会と考えております。競走馬医療は、牛などの大動物医療や小動物医療とも異なるところが多くあります。トップアスリートの診療というところの魅力を学生の皆さんにお伝えできればと思っております。最終週には東京競馬場のバックグラウンド見学も実施しました。主に獣医師が業務を行うエリアを中心に、獣医師の開催業務について理解していただきました。私も学生時代からアルバイトもしておりましたが、東京競馬場はJRAの顔ともいえる競馬場であり、見学を行ったダービーウィークの芝馬場の美しさは世界的に見ても素晴らしいと感じております。東京競馬場に最も近い獣医学科のある大学として、将来の馬医療を担う人材が出てきてくれることを願っております。

1エコー検査
                                     

Img_6367_4パドック見学

                                                          

2024年5月17日 (金)

二つ足のヒツジと一つ足のウマ

 競走馬総合研究所の桑野です。


 毎年恒例ですが、桜のシーズンが過ぎると競走馬総合研究所ではヒツジたちの毛刈りが行われます。昨年一年間で伸びた羊毛を綺麗に刈って暑い季節に備えるのです。今年も毛刈りおじさんによる定番の風景を見ることができました。図1では脇の下を刈るためしっかり足を保定していますね。今回は視点を変えて、この羊の蹄を馬とそれと比較しながら小話をしてみましょう

Photo図1. 黄色矢印丸囲みが羊の足(蹄)です。

 正確にいうと蹄とは硬い角質だけを指すのではなく、その硬い角質に囲まれた骨も軟部組織も全てを含んだ呼び名です。要するに、蹄=足です。羊や牛といった反芻動物は、足が二つに別れていることになります。よって、足裏(蹄下面という)から眺めると、足が一つしかない馬とは随分様相が異なります(図2)。

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図2. 左が羊、右が馬。どちらも蹄下面の所見

 

 足が二つと一つでは何が違うのでしょうか? これはかなり明確な差です。二つあると内側と外側にかなりの荷重差があったり、不整地で内外足の着く位置に高低差があったりしても、二つの足の間で緩衝することができます。

 羊はわざわざ崖を生活の拠点に選んだりはしませんが、凸凹した地面に割と平然と立っていられます。スイスの岩山では岩間に生える草を喰む野生の羊がいます。ところが、早く走ろうとすると二つ足は邪魔です。決して平らではない地面を素早く走ると、内外にかかる荷重バランスが一歩ごとに異なってくるでしょう。その内外の荷重の違いは二つ足の分かれ目に剪断力を生み出し、力を緩衝仕切れなくなります。素早い運動に対応するには、足は一個の方がいいです。

 猫科動物など素早く走る指が沢山ある動物でも、地面に踏着する主体的な領域は掌(てのひら)に相当する一つの肉球です。結局、素早く走る動物も足は一個で走っています。これは指が5本あっても足は一つの我々人間と同じですね。

 一方、足が一つの馬は不整地にずっと佇んだり、斜面に立ち続けるのは苦手です。足の内外バランスが不安定だと腱や靱帯を痛めることもありますし、私の経験ですが蹄負面(荷重がかかる蹄下面)の損傷も増えてきます。ところが、走るとなると踏着点が一点に集中でき、蹴る力をそのまま走力に転換することができます。馬は早くかつ長く走るのに特化した動物です。

 羊と同じ二つ足の牛は戦う動物と言われて“闘牛”という競技が成立します。一方、馬は逃げる動物と言われ、誰が一番早いかを競う“競馬”という競技が成立します。踏ん張るのに適した二つ足の動物と、早く走ることに適した一つ足の動物の違いが現れていると言えるでしょう。

2024年4月30日 (火)

博士号

こんにちは、分子生物研究室の上林です。

 手前味噌で恐縮ですが、このたび山口大学の大学院にて、ウマコロナウイルス感染症に関する研究論文(下記)が認められ、獣医学の博士号を取得しました。

Photo_2 提出した博士論文

 「博士」という響き、どこかで聞いたことはあっても「博士号って何?」という方も多いのではないでしょうか。

 そこで今回は、博士号とは何か、その取得方法とは、といった事について私の経験をもとに簡単にご紹介します。

 博士号は通称「学位」や「ドクター」とも言われ、英語だと"Ph.D. (Doctor of Philosophy)"と表記されます。医学、薬学、獣医学、工学、農学など、ある分野において研究活動と論文執筆を重ね、それらの成果を博士論文として大学院に提出し、審査の結果授与される称号です。

 その取得方法は主に2つあります。

 一つは課程博士、もう一つは論文博士です。課程博士は一般的な博士号取得方法で、大学院生として大学院に通って所定のカリキュラムを修め、指導教官のもと研究活動を行い、最終的に学位論文を提出して審査に合格すると取得できるものです。獣医系の大学院の場合、4年で修了するのがスタンダードです。

 もう一つは、大学院に籍を置かず、社会人として企業等で勤める中で研究活動を行い、その成果を学位論文として大学院に提出し、審査に合格すると取得できる論文博士です。私の博士号取得は、ここJRA競走馬総合研究所で行った研究活動の成果を、上記の大学院に提出して取得したので、後者の論文博士になります。

 競走馬総合研究所では多くの研究者が博士号を持ち、日々の研究活動に取り組んでいます。また、今はまだ取得していない者も将来的には取得を目指して研究に取り組んでいます。博士号を持っていないと研究できないといったことはありません。また、本会では取得を義務付けてはいません。しかしながら、「一定の研究能力をもつ者」の証として指標になっており、研究者として活動していくのであれば持っておきたいライセンスと表現していいかもしれません。よって「博士号取得はゴールではなく、研究者としてのスタートに過ぎない」と言われます。これは、日頃お世話になっている上司や大学の先生方から幾度もいただいた言葉です。

 一つ一つの論文が雑誌に掲載されるのは嬉しいことですが、学位記として自分の成果が認められるのもまた嬉しいものです。私の場合、今後も馬のウイルス感染症の研究者として、競馬のみでなく国内の馬産業に貢献できるように邁進していく所存です。

Photo_3 博士論文が認められるとこのような学位記が授与されます。

2024年4月23日 (火)

サラブレッドと高強度インターバルトレーニング

運動科学研究室の向井です。

 我々の研究室では、2020年から高強度インターバルトレーニングに関する研究をしています。インターバルトレーニングとは速く走ることとゆっくり走る(歩く)ことを繰り返すトレーニング手法です。ヒトの研究では、持久力(スタミナ)を向上させたい場合、通常は中強度で持続的に走ることが多いのですが、インターバルトレーニングも、骨格筋や心臓血管系に同じようなトレーニング効果、もしくはより大きな効果があると報告されています。

 競走馬においても、以前からインターバルトレーニングには興味が持たれており、ミホノブルボンやキタサンブラックは坂路を3本上がるインターバルトレーニングを実施していたと言われています。短距離血統と言われていたミホノブルボンが持続的に長い距離を乗るのではなく、坂路調教を繰り返すことによってスタミナを強化したメカニズムは興味深いところです。また、筋肉のタイプにはゆっくり収縮する遅筋と速く収縮する速筋があるのですが、サラブレッドの骨格筋、特にお尻の筋肉には速筋がとても多く、その筋肉に刺激を入れるには高強度のトレーニングが必須であることがわかっています。このようなことから、サラブレッドにも高強度インターバルトレーニングが効くのではないかと考え、実験を行いました。方法は、同じ走行距離に設定した中強度持続運動(70%VO2max強度で6分)、高強度インターバル運動(100%VO2max強度で30秒+速歩30秒を6セット)、スプリントインターバル運動(120%VO2max強度で15秒+速歩70秒を6セット)を実施し、採血や中殿筋のサンプリングを行い、さまざまな解析するというものでした。

その結果、高強度インターバル運動とスプリントインターバル運動の心拍数と血漿乳酸濃度は、中強度持続運動に比べてより高く推移し(図1)、いっぽう動脈血の酸素飽和度やpHは低く推移しました(データ未掲載)。

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図1 運動中の心拍数(A)と血漿乳酸濃度(B)の推移: 中強度持続運動(MICT, 青)、高強度インターバル運動(HIIT, 緑)、スプリントインターバル運動(SIT, 赤)

 さらに中殿筋というお尻の筋肉を調べた結果、エネルギーを作り出す小器官であるミトコンドリアを増やすシグナルであるPGC-1αという遺伝子が、高強度インターバル運動とスプリントインターバル運動を実施した4時間後に増えていました(図2)。また、酸素を筋肉のすみずみまで送り届ける毛細血管は筋肉での代謝効率を上げるために重要ですが、その毛細血管を増やすシグナルであるVEGFという遺伝子もスプリントインターバル運動を実施した4時間後に増加していることが分かりました(図2)。

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図2 運動4時間後のPGC-1α遺伝子とVEGF遺伝子の変化: 中強度持続運動(MICT, 青)、高強度インターバル運動(HIIT, 緑)、スプリントインターバル運動(SIT, 赤)

 これらの結果から、同じ走行距離にも関わらず、高強度インターバル運動やスプリントインターバル運動は、乳酸がより多く出、より低酸素血症になることが分かりました。さらに、高強度インターバル運動やスプリントインターバル運動は、骨格筋のミトコンドリアや毛細血管を増やすことが分かりました。我々はこのようなインターバル運動を長期的に繰り返すこと(長期的トレーニング)によって、サラブレッドの運動能力をより強化することができると考えています。

 詳細については2023年11月にFrontiers in Veterinary Scienceで公表されたこちらの論文をご覧ください(外部リンク)。

https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fvets.2023.1241266/full

2024年4月16日 (火)

Animal welfare

臨床医学研究室の太田です。 

 以前の総研は宇都宮市(運動科学研究室・臨床医学研究室)と下野市(微生物研究室・分子生物研究室)の2ヶ所に分かれて研究活動を行っていました。ですが,研究活動の効率化を図るため,2016年に現在の下野市に4研究室が集約されました。

7d5e7970d5024475903c7916804a8dd3_2 宇都宮時代の総研

 本日,その宇都宮の総研跡地に,新たに「一般財団法人 Thoroughbred Aftercare and Welfare」が設立されることがJRAから発表されました。新団体の設立目的は,引退競走馬に関する取り組み(Aftercare)を着実に推し進めるとともに,併せて,馬のウェルフェア(Welfare)に関する理解促進などに取り組むことです。 

 後半部分の“Animal welfare“,しばしば日本語では「動物の福祉」と訳されています。みなさん,なんとなく聞いたことはあるけど,その定義を正しく理解できている方は少ないのではないでしょうか? “Animal welfare“とは,「動物を快適な環境下で飼育することにより,動物のストレスや疾病を減らすこと」を目標に,世界動物保健機関(WOAH)により,以下の『5つの自由』が提唱されています。

  • 空腹と渇きからの自由
  • 不快からの自由
  • 痛み・損傷・疾病からの自由
  • 恐怖と苦悩からの自由
  • 正常行動発現の自由

 これまで長年にわたり総研が取り組んできた研究テーマ(暑熱対策・医療技術の向上・事故防止対策・ワクチン開発など)は,まさに「競走馬の福祉の向上」に直結する内容です。今後もこれらの研究を継続するとともに,新団体TAWとも連携して「馬のウェルフェア」に対して正しい理解を広めていくことが総研の使命だと考えています。

7b5e9acfbb854a15b0fb96132ecb4339_1凍えながらお酒を飲んだ宇都宮での最後のお花見