2024年3月14日 (木)

バイオフィルムは手強い

臨床医学研究室の三田です。

今回の記事では私が研究している「バイオフィルムの抗菌薬抵抗性」について紹介します。

バイオフィルムってご存知ですか?

バイオフィルムは微生物が固形物や生物に付着した集合体で、「台所のヌメリ」や「口の中のヌメヌメ」など身近ないろんな場所に存在しています。

バイオフィルムは多糖類や細菌DNAなど様々な物質が細菌表面を覆ったもので、細菌が外部環境から保護される構造になっています。

医療現場でも骨折治療に使用するインプラントや血管内に留置したカテーテルの感染に関与しており、近年非常に注目度が高いです。

バイオフィルムを形成した細菌は外部環境から自らを守る盾を獲得した状態のため、治療で使う抗菌薬にも抵抗性になることが知られています。つまり、バイオフィルムを形成した感染部位では通常の抗菌薬の投与では治癒しないことがあるのです。

抗菌薬への抵抗性を調べることは治療方針検討の手助けとなるため、今回はその測定方法についてご紹介します。

~①器材紹介~

下の写真のようなプラスチックプレートを使います。下皿と剣山がついた蓋で構成されています。

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~手順①~

下の図はプレートの断面の模式図ですが、下皿に培地と細菌を加えてそこに剣山を浸します。

一晩くらい培養すると剣山に細菌が付着して、表面に紫色で示したバイオフィルムがつくられます。

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~手順②~

バイオフィルムがついた剣山を抗菌薬が入った新たな培地に加えて再度培養します。

抗菌薬は濃いものから薄いものまで何種類か用意しておきます。

高い抗菌薬濃度では殺菌されてしまい培地は透明になりますが、

低いものだと細菌が生き残って培地が濁ります。

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~結果~

下の写真が実際に実験した結果の例です。

各行(横方向)には1種類の細菌が入っており、抗菌薬濃度が左から右にかけて薄くなっています。一番右の列(縦方向)は抗菌薬が入っていないので細菌が生きることができます。

一番上の「細菌A」ではある程度低い濃度(9列目)でも培地が透明で細菌が繁殖していないことがわかります(赤線は殺菌されている列と増殖している列の境界です)。

その一方で、下の行の「細菌E」では左端の一番高い抗菌薬濃度でも殺菌できておらず、抵抗性がかなり高い細菌であることがわかります。

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このように、バイオフィルムの抗菌薬感受性は細菌ごとに異なっています。

原因菌の特徴をつかむことで適切な感染コントロールに貢献できるように、これからも研究していきたいと思います。

2024年3月 4日 (月)

私を助けてくれる機器

 初めまして、分子生物研究室の川西です。
総研に着任してからもうすぐ一年を迎えます。

 総研では、種々の機器が整い、そして清潔な実験環境が維持されています。総研に着任したての頃、スムースに仕事のできる素晴らしい環境に感動と驚きをもって職務につけたことを覚えています。大学院生時代は、手作業が多く時間のかかる環境で実験していましたから。そんな今の私をささえる職場の設備や消耗品について一部紹介したいと思います。

Photo写真1:自動核酸抽出機

 名前の通りの機械で、自動で核酸(DNAやRNA)を抽出するものです。ウイルス遺伝子の量や配列を調べるために、ウイルス感染細胞、鼻汁や血液などのサンプルから核酸を抽出する必要があり、このような機器を用います。本機器は、人手の操作が省略されるので、操作する人やその他雑多な異なる核酸の混入リスクを減らすことができます。

Photo_2写真2:自動分注機          

Photo_3写真3:自動洗浄装置

 感染馬の血清から感染の度合いや免疫の状況を知るためにELISA;エライザ(酵素結合免疫吸着検定法)という診断技術を使うことがあります。このエライザを行う際に、上記の機器が必要となります。プレート(写真4)への薬品の自動注入やプレートを自動で洗浄する装置です。学生時代は、手動の分注装置(通称マイクロピペット;写真4)で注入していました。マイクロピペットですと操作は短時間で頻回となり、とくに親指での細かな操作は手の腱を痛めやすく、多検体を処理すると腱鞘炎になることも。機械を用いることで、実験者の人為的ミスや誤差を減らすだけでなく、肉体的損耗を減らすこともできます。

Photo_4写真4:マイクロピペットでプレートに薬品を注入する作業

 大いに助けてくれるこれらの機械に囲まれて作業を繰り返していますが、年数が経つにつれこの環境が当たり前になってしまうかもしれません。ですが、漫然と作業するのではなく、手探りで苦労していた時代に培った探求心を忘れないようこれからも仕事に励み、競走馬を病気にしてしまうウイルスとの闘いに挑みたいと思います。

2024年2月28日 (水)

野外でのデータ測定

運動科学研究室の胡田です。

 当研究室では、トレッドミルというルームランナー上で、人が乗らずに馬を走らせてトレーニング適応やバイオメカニクスなどに関するデータを取得しています。いっぽう、これとは異なり、実際に人が乗って走る野外でのデータも重要です。より競馬に近い馬の運動データが得られると考えられるからです。しかし、これがなかなか難しく、施設や人の確保、安定的な走法の維持、データを取得する装置の馬体への装着など種々の問題をクリアーしなくてはいけません。

 我々は、そういった難題を克服する目的で、今回、調教施設として充実しているJRA宮崎育成牧場に協力してもらい、野外での騎乗時の馬の駈歩中の筋活動データおよび動画をとってきました。

 ここでJRA宮崎育成牧場について少し説明します。本育成牧場はかつて宮崎競馬場として実際に競馬が行われていた施設です。現在は育成場に転用し、温暖な気候を活かして1歳から2歳にかけて競走馬の育成を行っています。育成調教に用いるコースは、500メートルおよび1600メートルのダートコースです。これらの調教用コースを使わせていただきました。

 馬の足元が見えるように撮影しなくてはいけないことから、まずコース縁に積まれている雨水対策用の土嚢を人力で移動させるところからがスタートです。さらに、広い走路のあちこちに装置を取り付けなくてはならない上に、走り抜ける姿を実際に画像として捉えられるかの確認のため、34歳と決して若くない筆者は走路を馬並みに走り通して準備するという重労働に堪えました(図1)。そんな苦労を経て、最適化した当該コースでいよいよデータ採取という当日、なんと雨模様! “日頃の行いが悪いのかも”とちょっとブルーになりかけましたが、それでも無事にデータを採ることができました(図2)。データの解析には時間がかかりますので、その話はまたいつか。

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図1 測定準備のために20メートルをダッシュする筆者(34歳)

Fig1_2図2 測定風景

 このように、競走馬が安全に、そしてもっている能力を余すところなく発揮できるように運動を解析して、調教技術の改善に役立てようと日夜努力している研究者がいることを覚えていてくださると嬉しいです。

2024年1月18日 (木)

競走馬総合研究所のマクロ(肉眼)標本

こんにちは。微生物研究室の岸です。

 少し前になりますが、国立科学博物館がクラウドファンディングによる寄付を募ったところ、予想を上回る資金が集まり注目を集めていましたね。博物館には剥製、骨格、発掘された埋蔵物などの標本を保管する役割があるのですが、こういった標本を守りたいという国民の思いが表れたのではないでしょうか。かく言う私も標本好きの一人で、今回は、競走馬総合研究所(総研)で保有しているマクロ標本について触れてみたいと思います。

 総研は、馬の全身骨格、馬体を構成する骨の標本、全身模型などの比較的大型の標本を保有し、獣医師や学生の教育、本会職員の研修用として使っています。研究施設という性格上一般の方々には常態的に開放できないので、この場を借りてこれらの一部を紹介してみましょう。

 写真1は、馬の全身骨格標本、写真2は前肢を正面から写したものです。馬を正しく診療するためには、まず骨格を把握しておかないと、跛行検査も、触診検査も、レントゲン撮影もおぼつかなくなります。よって、本会に入会したての獣医師には、基本構造として馬の全身骨格を頭に入れてもらっています。

Photo写真1. 全身骨格標本

矢印は人の手首に相当する腕節(わんせつ)と呼ばれる部分です。

写真右下の丸囲みは中指一本での駐立を示しています。

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写真2.前肢正面からの写真

正面から見ると、人の手首に相当する部分から下が非常に長いことや、

中指のみで立っていることがよく分かります。

 続いて写真3は、軽種馬(クオーター)の全身模型(レプリカ)です。この模型では頸静脈を模倣した赤い液体を蓄えられるチューブが頚部に走行しており、注射の練習ができます。また、腹部には各種臓器の模型が入っていて直腸検査の練習もできます。

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写真3. クオーター種の模型(レプリカ)

 最後に写真4は、オス馬の頭部の骨標本(半分に割ってある)です。頭の輪郭を連想しにくいと思い、馬の頭部のどのあたりかの相関図を一緒に示します。この骨標本では下顎骨を取り除いており、頭骨から上顎骨までをお見せしています。画面左の大きな窪みが大脳や小脳を容れる頭蓋腔(ずがいくう)、真ん中から右の方に鼻腔があり、その下方に上顎があります。上顎には臼歯(きゅうし)、犬歯(けんし)、切歯(せっし)が生えていますが、メスには基本的に犬歯がありません。最前位の臼歯と最後の切歯の間にはほとんど歯が無いことになりますが、この部分は槽間縁(そうかんえん)と呼ばれ、馬がハミを受けるところです。舌を出しながら走っている馬を見たことがありませんか。そんな馬たちは、この槽間縁から舌を出しています。上顎骨や下顎骨の骨折、副鼻腔炎、歯の疾患などに現場で対応する際、このような頭部の骨標本の詳細を勉強しておくことが必要となります。

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写真4 馬の頭部の骨標本:

上段の骨が相当する部分を下段の模式図(水色)に示します。

 以上のように総研の標本とは、ただ眺めるだけでなく、病気の馬達にどう向き合うかを探り、獣医医療に応用する目的で保管されているのです。

2024年1月12日 (金)

幹細胞を凝集体にすると浅屈腱炎への治療効果が向上する

臨床医学研究室の田村です。

陸上選手やスポーツ選手は、日々のトレーニングや競技によって、アキレス腱や膝・肘の靭帯を痛めてしまうことがあります。 競走馬も馬場を速い速度で走り抜けるため、腱炎や靱帯炎を発症してしまうことがあります。競走馬総合研究所では、そうしたケガの治療方法についても研究を進めています。中でも間葉系幹細胞を利用した再生医療には20年近く取り組んでおり、数多くの競走馬に適用してきました(写真1)。

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写真1. 浅屈腱炎を発症した競走馬の病変部に間葉系幹細胞を投与しているところ。

 その幹細胞治療も進化しています。従来は幹細胞を培養したら、そのままの状態で投与していました(写真2)。ですが、最近では、さらに治療効果を向上させるため、もうひと手間かけています。その工夫とは、培養したのち数百個の幹細胞をおにぎりのように凝集体(写真3)にして投与するものです。

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写真2(左図)従来の培養された間葉系幹細胞; 紡錘形から星形の単細胞が増殖しているところ

写真3(右図)新しい手法で培養された凝集体型の幹細胞;増殖した幹細胞が球状に凝集している



 JRA総研では、従来の幹細胞と、凝集体にした幹細胞の治療効果を比較する研究を実施しました。その結果、凝集体にした幹細胞のほうが、腱炎の損傷部を早く治すことがわかりました。すなわち、凝集体にすることによって、一つ一つの幹細胞が本来持っている能力をさらに引き出せると考えられました。

 既に、浅屈腱炎や繋靱帯などを発症してしまった競走馬に対して、この新しい治療法を利用しています。今後も、より良い治療法を開発することを目標として、研究を積み重ねていきたいと思います。また、こうした治療技術が人間のスポーツ選手にも応用できるようになれば、ウマとヒトの関係性を深める素晴らしい機会になると考えています。

これからも応援を頂けますよう、どうぞよろしくお願いします。

2024年1月 4日 (木)

オランダの国際学会(ICEL9)に参加-その2

運動科学研究室の杉山です。

まずは明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。 

 さて、皆さんは、お正月に色々な日本の食文化を堪能したことでしょう。それと遜色ないと思えるオランダの食文化があります。これ、昨年12月4日掲載の当ブログ

国際ウマ・イヌ運動解析学会(ICEL9)に参加しました」(https://blog.jra.jp/kenkyudayori/2023/12/icel9-cec8.html

で書ききれなかったので、もう少し説明させていただきます。

 学会が実施されたユトレヒトは観光都市としてもにぎわいを見せており、オランダ料理を提供するレストランも多く営業されていました。皆様オランダといえばチーズが有名ですが、オランダ国内ではハーリングというニシンの一種を軽く塩漬けにした半生タイプの魚料理が大変ポピュラーなのをご存知でしょうか。オランダの伝統料理といえば欠かせない食材です。現地の食べ方は、頭だけ切ったハーリングの尻尾を持って、口を上に向けて腰に手をあてて直立したままお口の中に落とし込む一気食い!この食べ方は昔ながらの習慣です。観光客に優しい店主のおじさんは、私には小さく切って出してくれました(写真1)。久しぶりに食べたハーリング・・・美味しい!パンに挟むのも人気だそうです、ごちそうさまでした。

Photo写真1.ピクルスと玉ねぎの付け合せは王道

 次にお勧めなのが、ビターバレン;Bitterballenというクリームコロッケのような揚げ物です(写真2)。クロケット;Kroketという細長いタイプもあるのですが、こちらは日本のコロッケの語源になりました。ですが、お勧めはまん丸のビターバレンです。中身は牛肉をミンチにして小麦粉と混ぜ、バターと香辛料と塩で味付けしたものですが、たいへん美味です。オランダに行きましたらぜひ食べてみてください。

Photo_3写真2. あと100個は食べられたかも

 最後に紹介するのがアムステルダムの人気店マネケンピス;Mannekenpisのフライドポテトです。コスパがよく大人気です。皆さんがいつも食べているフライドポテト(フレンチフライが本当の名前かな)と同じものですが、食べ方がちょっと違います。フライドポテトを食べる時、皆様はソースに何を選んでいますか?大多数の方はケチャップかと思います。オランダ流の食べ方はなんとマヨネーズ。太めのあつあつフライドポテトにたっぷりのマヨネーズをつけてハフハフ・・・! マヨラーでなくても、ほら、口の中が潤ってきませんか? マヨネーズも、普通のマヨからスパイシーマヨ、カレーマヨなど20種類以上と豊富。私のおすすめはザーンセ・マヨ;Zaanse Mayoというオランダの伝統的なマヨネーズ(写真3)。これは塩分が非常に少ないので、卵の風味とお酢の酸味がしっかり効いていてフライドポテトに非常によく合います。ただ、お腹が空いているうちに食べきらないと・・・。

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写真3.  マネケンピス;Mannekenpisとは、小便小僧という意味。

ぎょっとしますが味は確かです。

 以上おすすめの食べ物3選でした。オランダに行く機会があればこの3つは食べて欲しいです。そして、かつて日本の鎖国時代、世界で唯一交易があったオランダで、遠くは日本の長崎出島に向けて出航したオランダ船乗り達の勇気と根性にも思いを馳せてみてください!

 

2023年12月25日 (月)

令和5年も終わります。

競走馬総合研究所(総研)編集部 

2023年12月25日

メリークリスマス! Photo_5

 令和5年(2023年)もあと数日ですね。この一年間、当ブログを読んでいただいた皆様には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 昨日の有馬記念は、五十代半ばにして未だ衰えを見せない武豊騎手と昨年のダービー馬との見事なタッグでの優勝で、見応えありました。昔の五十代より今の五十代の方がずっと若く見えるのは、私だけでしょうか。

 さて、競馬と研究所、直接的な関わりはないと見られがちですが、総研執務者は、馬の繋養に携わる職員、研究者、事務職員の全てが年齢を問わずコンスタントに各地の競馬開催に出張し、競馬を支えています。そんなこともあって執務者全員が、競馬の動向に一喜一憂しながら仕事をしています。

 気候変動や世界情勢が落ち着かず、今年も激動の一年だったと言えるでしょう。せめて、馬の走る姿にロマンと希望を求めるお客様の期待に応えたいという一心から、本年も研究所は、馬の健康管理、とくに暑熱対策、伝染病予防、競馬での事故予防、故障馬の治療など多方面にわたる馬の事情に、それぞれの専門家が当たって研究を続けてきました。限られた人員と時間の中で、全てのご希望にお応えできない力不足を感じつつも、円滑な開催とお客様の期待に応えるべく、来年2024年も一生懸命研究していく所存です。

 皆様にあって、どうぞ来年が幸多い一年となりますように。また、このブログでも色々な小話を紹介していきますので、引き続きどうぞご贔屓のほどよろしくお願いいたします。

Photo来年もよろしくお願いします!

2023年12月20日 (水)

名が体を表さず?

分子生物研究室の辻村です。

『名は体を表す』 これは、名前はそのものの実体を表すという意味です。しかしながら、私が長年研究に携わる馬鼻肺炎は、『名が体を表さず』といえるかもしれません。

 馬鼻肺炎は、馬産業において最も警戒が必要なウイルス感染症の一つで、Equine rhinopneumonitisという英語の病名を日本語に直訳し、このように呼ばれています。

 実は、馬鼻肺炎ウイルスは、鼻腔から侵入して呼吸器に病変を形成しますが、肺炎に至るケースはまれです。したがって、肺炎はこのウイルスの感染で起こる代表的な病態ではありません。鼻炎の症状(鼻汁の漏出など)は比較的よく認められますが、鼻炎を起こすだけのウイルスであれば、そこまで警戒されることはないでしょう。

 馬の関係者が恐れるこの病気の症状として、まず思い浮かべるのは流産です。馬鼻肺炎の流産胎子には大量のウイルスが含まれていて、同居馬への感染源となります。そのため、生産現場では、馬鼻肺炎による流産の防疫対策が重要です。

 また、日本での発生はまれですが、海外ではこのウイルスによる神経麻痺も問題となっています。(外部リンク:http://keibokyo.com/wp-content/uploads/2023/03/%E8%BB%BD%E9%98%B2%E5%8D%94%E5%8F%B7%E5%A4%96%EF%BC%88EHV-1%EF%BC%8920230310.pdf

 馬の関係者以外の方にとって、『馬鼻肺炎』という病名は、これらの実体(流産、神経麻痺)を分かりづらくしているかもしれません。

 さらに、原因の馬鼻肺炎ウイルスが、ウマヘルペスウイルス1型(EHV-1)と4型(EHV-4)の総称であることにも注意が必要です。かつての診断技術では鑑別が難しかったEHV-1とEHV-4を区別できるようになった現代では、両者の病原性は大きく異なることが分かっています。呼吸器疾患はどちらのウイルスでも認められますが、流産と神経麻痺は、ほとんどがEHV-1感染によるもので、EHV-4によるものは、これまで数えるほどしか報告されていません。

 したがって、馬鼻肺炎ではなく、それぞれEHV-1感染症、EHV-4感染症と呼ぶことが望ましいと考えます。ただ、動物衛生の国際機関である国際獣疫事務局WOAHが現在も“馬鼻肺炎”を使用していますので、完全に切り替えることは難しいかもしれません。

  さて最後になりますが、国際獣疫事務局をWOAHと略称したことに違和感を覚えた方は、このブログの熱心な読者の方かもしれません。

2021年6月17日付の記事(https://blog.jra.jp/kenkyudayori/2021/06/jraoie-e41d.html)で、分子生物研究室が国際獣疫事務局の馬インフルエンザのリファレンスラボラトリーに指定されたことをご報告しました。その記事の中で使用した略称は、フランス語のOffice International des Epizootiesを省略した『OIE』でした。

 それが2022年2月に名称が変更となり、World Organisation for Animal Healthを省略した『WOAH』を使用することが決定されました。これを受けて新たに制作した本研究室の看板が下の写真です(よろしければ、前回の記事の写真と見比べてください)。

今後は、『WOAHリファレンスラボラトリー』として活動して参りますので、どうぞお見知りおきください。

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2023年12月 4日 (月)

国際ウマ・イヌ運動解析学会(ICEL9)に参加しました

運動科学研究室の杉山です。

 本年夏(8月末)に、オランダはユトレヒト(図1)で開催された国際ウマ・イヌ運動解析学会(International conference on Canine and Equine Locomotion 9; ICEL9)に参加しました。父の仕事の関係で幼少時にオランダで数年暮らした経験から、私にはとても懐かしく、学会を含めて美しいオランダの一部を紹介したく思い筆をとりました。

 ユトレヒト大学は、オランダ最大の大学というだけでなく、ヨーロッパ全体でも屈指の規模を誇ります(図2)。会場となった講堂はセレモニーホールとしての特色を持ち、後方2階には大きなパイプオルガンがあって、いかにもヨーロッパを彷彿させる佇まいでした。

1_2図1. 美しいユトレヒトの街並み  

2_3 図2. 講演のためのステージ;日本と異なり、演者は中央の演題で喋り、右手奥のモニターと、これとは別に設けられた聴衆付近のモニターに発表スライドが映されるしくみでした。

 ICEL9では、主に乗用馬とスポーツドッグの動きを解析し、学術の視点から議論されます。総じて、動画やウェアラブル・デバイスなどを使って動物の動きを測定し、怪我の発生機序や事故防止について研究したものが数多く発表されました。ユトレヒト大学も運動解析学では有名な大学で、慣性センサーとモーションキャプチャを用いた歩様解析技術を使って、馬場馬術における人馬一体の動きの対称性を評価することに非常に高い関心を持ち、解析結果を報告していました。馬術ではウマの背中や腰部の関節可動域の動きとライダーの動きとのバランスが競技に影響してきます。ゆえに、人馬にモーションキャプチャのマーカーを取り付けた解析報告をはとても印象的でした(図3)。

Photo図3.馬の背腰に取付けられたモーションキャプチャ・マーカー

 近年、スポーツ競技に特化した動物の疾病の予防と診断には、運動中のモニタリングが重要であると結論付ける報告が多く、これらの研究成績を臨床にも応用しようと、ユトレヒト大学内の病院には巨大な歩様検査場が併設され(図4)、すでに実用に向けて動いているのは驚きでした。

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図4.ユトレヒト大学構内の歩様検査場

 オランダの9月は朝晩涼しく、厚手のコートを着ても問題ないような気候で、北海の怒涛や風や、霧雨の運河の橋の記憶が蘇えりました。今回、ICEL9に参加させていただき、運動解析の重要性を改めて認識でき、今後の研究の動機づけになりました。

2023年11月20日 (月)

馬の歯と歯擦りについて

企画調整室の山﨑と申します。

  馬の歯は全て、成馬になるまでに生え替わって永久歯となります。ですが、人間と違って永久歯に生え変わっても、臼歯だけは日々少しずつ伸び続けます。そのため、若い競走馬だと年に3、4回、年齢が高い乗馬でも年に2回は臼歯を擦ってあげないと、上顎の臼歯は外側が、下顎の臼歯は内側が伸びて尖ってしまいます。尖った歯は口粘膜を傷つけて口内炎ができたり、そうでなくても餌の食いつきが悪くなったり、またハミが当たると馬にとっては違和感があるので手綱操作が思うようにできなくなったりと悪いことばかりです。アニマルウエルフェアの観点から、不快な思いを馬たちがしないように、JRAでは馬の歯擦りを定期的に実施することを推奨しています。

  さて、歯擦りには馬の口を開けさせる金属製の道具が必要なのですが、JRAでは、かつては片手開口器(写真1)が最もよく使われていました。ただ、片手開口器は小さな道具で手軽なのですが、片方のそれも尖った奥歯だけで金属を噛まされる馬にとっては、フィット感が悪く嫌がることもしばしばです(写真1)。嫌がるだけならまだしも、届きもしないのに立ち上がってこの開口器を前足で叩き落とそうとする馬も…。その場合は、人馬ともに危険な状態となることもあります。

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                        写真1. 左:片手開口器を噛ませると、馬は少し嫌々します。                         

右:片手開口器(矢印)と各種歯擦り道具(歯鑢)

   馬の不快感を軽減し、かつ安全をより確保する目的で、近年フルマウス型開口器(写真2)が開発され、本会の競走馬診療所ではこれを主に使うようになりました。フルマウス型開口器は大造りではあるものの、しっかり噛ませれば外れることがなく、また尖っていない前歯に噛ませるタイプのため口へのフィット感が良く、嫌がる馬が少ないというメリットがあります。写真2は、ハミ受けが悪くなるほど臼歯が尖っていた乗用馬で、フルマウス型開口器で口を開けて歯鑢(シロ)と呼ばれる歯擦り器を使って臼歯を擦っているところです。嫌々の素振りもなく、落ち着いて作業をさせてくれました。 

  一般の方々にフルマウス型開口器を見ていただくと、「大きいので危険だ」という印象を持たれることがありますが、正しい使い方をする限りとても安全な器具です。このように、アニマルウエルフェアの観点からだけでなく、人馬の安全といった意味からも歯擦り道具は改良され進歩しているのです。

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写真2. 左:フルマウス型開口器を噛ませたところ

右:歯鑢を奥まで挿入しても、ちゃんと受け入れてくれています。