乳酸を利用した育成トレーニングの評価 ①
馬関係者であれば一度は“乳酸”という言葉を耳にしたことがあると思います。『運動すると体の中で溜まるもの』とか『疲労物質?』などとお考えの方が多いのではないでしょうか。今回は、乳酸とは何か?どのように作られるのか?を解説し、日高育成牧場で測定したデータを見ながら育成調教への応用方法を紹介します。
筋肉のエネルギー源
筋肉のエネルギー源は?と考えると“炭水化物”や“脂肪”をイメージするかと思いますが、実際には“アデノシン3リン酸(ATP)”という分子です。ATPは、遺伝子の元となるアデノシンにリン酸基が3つ繋がった構造をしています(図1)。筋肉収縮のメカニズムは、3つのリン酸基のうち一番外側にある1つが外れたときに大きなエネルギーが発生し、それを利用して筋肉が収縮します。このATPのエネルギーは全ての真核生物で利用されており、“筋肉を動かすこと”は“ATPを作り出すこと”と言い換えることができます。
図1 アデノシン三リン酸(ATP)のエネルギー利用
ATPがADP(アデノシン二リン酸)とリン酸基に分解されると、7.3kcal/molのエネルギーが発生する。動物はこのエネルギーを利用して筋肉を収縮し、心臓を動かし、脳を活動させている。
解糖系と酸化系
エネルギー分子である“ATP”を作り出す過程のことを“エネルギー代謝”と言います。その経路はいくつかありますが、運動時に最も重要なのが“解糖系”と“酸化系”です(図2)。解糖系とはその名の通り糖質(炭水化物)を分解する経路で、酸化系は分解した糖質を酸化(酸素をつけること)して二酸化炭素と水に分解する経路です。糖質の代表格であるブドウ糖を例に説明すると、ブドウ糖は筋細胞内でいくつかの酵素の力で2つの“ピルビン酸”に分解されATPが2分子産生されます。この過程が解糖系で、酸素を使わないでATPを産生するので別名“無酸素性エネルギー代謝”と呼ばれます。次に、解糖系で産生されたピルビン酸は筋細胞内のミトコンドリアという器官に入り、酸素を使いながら“TCA回路”と“電子伝達系”で分解され36分子のATPが産生されます。この過程が酸化系で、必ず酸素が利用されるので別名“有酸素性エネルギー代謝”と呼ばれます。解糖系と酸化系がバランスよく機能すれば1つのブドウ糖から多くのATPが産生されるので、効率的に筋肉を動かすことができます。
図2 解糖系と酸化系
解糖系は糖質を2分子のピルビン酸に分解する過程を、酸化系はミトコンドリア内で酸素を利用しながらピルビン酸を二酸化炭素と水に分解する過程を表している。
“乳酸”って何?
軽運動時には、ブドウ糖が完全に分解されるので筋細胞内にピルビン酸が溜まることはありません(図3-A)。しかし、常に解糖系と酸化系のバランスよく働くとは限らず、強運動時には解糖系の方が多く働き産生されたピルビン酸を酸化系で分解しきれないことがあります。この時、余ったピルビン酸をLDHという酵素の力で変換し産生されるものが“乳酸”です(図3-B)。
ここまでの説明からすると乳酸はブドウ糖の燃えカスのように思えますが、実際には糖質の一種です。分子式を見ると乳酸(C3H6O3)はブドウ糖(C6H12O6)が半分になったような構造をしており、運動が終了すればピルビン酸に戻り酸化系でATP産生に利用されます。(図3-C)。したがって、乳酸はブドウ糖の燃えカスや疲労物質ではなく、エネルギー源の一つであると言えます。
図3 筋細胞における乳酸の産生と利用
軽い運動では解糖系と酸化系のバランスが取れているので乳酸はほとんど産生されない(A)。しかし、激しい運動を行うと解糖系で多くのピルビン酸が産生され、酸化系で処理できなくなるため乳酸に変換され筋肉内に蓄積する(B)。運動が終了すると乳酸は再びピルビン酸に戻り、解糖系でATP産生に利用される(C)。
なぜ乳酸が溜まると疲労するの?
乳酸がエネルギー源だとすれば、なぜ乳酸が蓄積したときに筋肉は疲労するのでしょうか?以前は乳酸産生時に筋肉内が酸性になること(乳酸性アシドーシス)が筋疲労の原因だと考えられていましたが、近年は別の要因が報告されています。その一つが無機リン酸の影響で、強運動時に筋肉内に蓄積する無機リン酸が筋収縮に必要なカルシウムと結合して沈殿するため、収縮できなくなることが明らかにされています。現在、競馬のような数分間の運動では無機リン酸の影響が筋疲労の主要因だと考えられていますが、このような現象は乳酸が溜まる強運動時にしか起こらないので、乳酸を筋疲労の指標として考えることは問題ありません。
今回は内容が少々難しかったかもしれませんが、乳酸に関して知っていただきたい基礎知識を紹介しました。次回はその応用方法を紹介します。
日高育成牧場・生産育成研究室 室長 羽田哲朗(現・美浦トレーニングセンター 主任臨床獣医役)
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