後期育成 Feed

2024年12月 9日 (月)

地方競馬厩舎関係者向けの講習会

JRA日高育成牧場では、日頃行っているJRA育成馬の調教法および海外生産育成調教実践研修で学んできた海外の調教法について、各種講習会で講演を行っています。今回は、地方競馬厩舎関係者向けの講習会についてご紹介いたします。なお、今回ご紹介したテーマに限らず、このような講習会にご興味を持たれた地方競馬の厩舎関係者および主催者の皆様におかれましては、講習会の開催についてご検討されては如何でしょうか。JRAには調教法だけでなく運動科学など様々な分野のエキスパートがおりますので、ぜひお気軽にご相談いただけましたら幸いです。

 

・過去に開催された講習会

著者は2015年月6月から2017年2月まで米国ケンタッキー州およびフロリダ州に研修に行き、サラブレッド競走馬が生産牧場で生まれてから競馬場でレースに出走するまで一連の行程を実際にスタッフの一員として経験してきました。中でも、米国の競馬場での調教法は、①調教をする馬場とレースを行う馬場が同一であること、②ダートコースが中心であること、③(集団調教を行わず)単走ないし2頭併走で調教を行っていることなど地方競馬との共通点が多いことから、今までに4カ所の競馬場にお招きいただき、講演を行ってまいりました(写真)。

2020年11月9日園田競馬場および西脇馬事公苑

2022年12月7日浦和競馬場(会場はロイヤルパインズホテル浦和)

2023年11月10日高知競馬場

2023年12月7日川崎競馬場

Photo (写真)高知競馬場での講習会の様子(2023年11月)

 

・講習会の内容

米国のサラブレッド競走馬の調教については、過去に様々な媒体で発信してまいりましたが、要点を簡単にまとめると下記のとおりとなります。1つ目は、走路で本格的な調教を始める前に、不整地や勾配のあるコースで騎乗し、セルフキャリッジ(注1)した走行フォームが作ることです。2つ目は、坂路もしくは1ハロン全力疾走で追切を行い、無酸素運動能を鍛えることです。3つ目は、周回コースでの調教は、調教方法をパターン化して前進気勢を出すことです。4つ目は、精神的に自立したインディペンデント(注2)な馬を作ることで、これらを目標に調教が行われていました。2019年の馬学講座ホースアカデミーにて「ケンタッキーにおける育成調教」というタイトルで概要についてお話しています(動画)。講演ではこの内容に加え、例えば「トレッドミル調教についても教えて欲しい」等のリクエストがあれば、それに応じる形でお話しさせていただいております。

注1:馬が騎乗者の手綱(ハミ)に頼らず自身でバランスをとった状態のこと。

注2:周囲の馬に関係なく1頭でも走れる状態にすること。小回りコースが多く、先行馬有利な地方競馬ではこの状態に調教することが非常に有効に働くと大変好評です。

Photo_2(動画)馬学講座ホースアカデミー「ケンタッキーにおける育成調教」

 

・申し込み方法

1.各地方競馬場の主催者(事務局)に相談。

2.各地方競馬場の主催者(事務局)から地方競馬全国協会(NAR)を通じてJRA競走部 番組企画室 交流競走課に依頼。

3.JRAが地方競馬全国協会(NAR)からの依頼内容を踏まえ講習会の実施(講師の派遣等)について検討。

4.(講習会の実施が決定された場合は)地方競馬全国協会(NAR)を通じて当該地方競馬主催者(事務局)に通知。

JRA日高育成牧場 業務課長 遠藤祥郎

2024年9月25日 (水)

JRA育成馬の輸送と輸送熱

JRAでは冬期の寒さが厳しい日高育成牧場と冬期は穏やかな気候の宮崎育成牧場の南北2か所で育成調教および後期育成に関する研究を行っています。宮崎育成牧場で管理している育成馬は九州1歳市場で購買した馬の他、大半は北海道のセリで購買し、宮崎へと輸送している馬たちです。

北海道から宮崎への長距離の輸送で問題となるのは輸送熱です。輸送熱は、長距離輸送後におこる発熱のことで、多くは呼吸器の炎症を伴います。特定の病原菌が引き起こすのではなく、馬運車内環境の悪化や輸送ストレスの増加により馬の免疫力が低下すると、常在菌が活発に活動するようになり、結果、輸送熱を発症すると考えられています。通常、数日の加療で回復しますが、一部は肺炎などの重篤な病気になることから、軽んじられない病気です。輸送熱は輸送時間が延長すると増加しますが、20時間以上の輸送では発症率が急上昇することから長時間輸送では特に注意が必要です。

 例年では7月にJRAホームブレッドと八戸市場購買馬、9月にサマーセル購買馬とセプテンバーセール購買馬を合計4台の馬運車で輸送しています。日高育成牧場と宮崎育成牧場間の馬運車での輸送距離は2,600kmです。以前は、北海道出発後、直接宮崎まで輸送していましたが、その時の輸送時間は馬運車内での休憩も含めて約45時間でした。近年、動物福祉の観点から24時間以上の連続輸送は推奨されないことから、日高育成牧場と宮崎育成牧場の中間地点であるJRA新潟競馬場で育成馬たちを馬運車から一旦降ろして、厩舎の馬房内で1日休憩をとる行程に変更しました。ストレスの指標である血中コルチゾール濃度を調べたところ、休憩の前後でコルチゾール濃度は下がり、馬にかかるストレスが減少していることが分かりました。

2020年から2023年までの4年間で、新潟競馬場において休憩をとる新しい輸送行程で81頭の1歳馬を輸送しました。輸送前に抗生剤の投与等の輸送熱予防処置は行っていませんでしたが、輸送熱を発症した馬は2頭(2.4%)でした。この2頭は新潟到着時点ですでに発熱を認めていましたが、抗生剤による治療により早期に回復しました。輸送した1歳馬は調教を行う前のストレスに曝されていない状態でしたが、新潟競馬場の馬房内において十分な休憩を取ることで長距離輸送の負担が低減したものと考えられました。

 過去の研究では、インターフェロン・アルファという人や動物の免疫機能活性化作用を持つ薬剤の経口投与や、馬運車内の環境改善のため微酸性次亜塩素酸水という消毒薬の空間噴霧等を検証し、輸送熱予防に対して一定の効果があることを確認しています。輸送熱予防に関わる研究はこれからも続けていきますので、新たな知見が得られれば報告していきたと思います。

 

日高育成牧場 業務課 水上寛健

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図:日高育成牧場から宮崎育成牧場までの輸送経路

Photo_13 表:2020年からの輸送熱発症馬と非発症馬の頭数

 

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写真:新潟競馬場での滞在の様子

レポジトリーに関する調査

先日、本年最初の1歳せりである九州1歳市場が開催されました。道内でも、今月のセレクトセール、セレクションセールを皮切りに本格的なせりシーズンが始まります。そこで今回は、市場で公開されるレポジトリーの所見に関する調査について、昨年末開催された講習会「レポジトリーに関する異常所見や調査研究」(主催:静内軽種馬生産振興会、講師:JRA久米紘一 獣医師)の内容から抜粋してご紹介します。

 調査は、2017~2023年に行われた北海道市場(セレクション、サマー、セプテンバー)に上場された12977頭のうち、レポジトリーを確認した4815頭を対象としました。気になるレポジトリー所見として喉頭片麻痺(LH)グレードⅢa以上、大腿骨軟骨下骨嚢胞(SBC)グレード3以上、球節部以下SBCを取り上げ、それら有所見馬の売却率、売却金額、出走率、初出走日、獲得賞金を調査しました。

 

喉頭片麻痺(LH)

 LHは、披裂軟骨(左側90%以上)の開きが悪くなることにより気道が狭くなり、状態次第では異常呼吸音(ヒューヒュー音)や運動不耐性(プアパフォーマンス)を呈します。披裂軟骨の外転の程度によりグレードⅠ(正常)~Ⅳに分類され(図1)、グレードⅢ以上でプアパフォーマンスの可能性が高くなることが知られています。

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図1 喉頭片麻痺グレード

 

軟骨下骨嚢胞(SBC)

 SBCでは、関節に面した骨に体重負荷がかかることで軟骨が損傷し、骨内部の空洞化が認められます。無症状のままレポジトリーで初めて見つかることも多いかと思います。ほとんどの関節で発生することが報告されていますが、レポジトリーでは後膝(大腿骨)(図2)や球節以下(第3中手骨、第1~2指/趾骨)(図3)で見られることが一般的です。大腿骨SBCはグレード1~4に分類され、過去の調査ではグレード3以上で跛行のリスクが高いことが報告されています。

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図2 大腿骨軟骨下骨嚢胞およびグレード

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図3 第3中手骨SBC(左・中)第2指骨SBC(右)

 

 調査結果を表1に示します。いずれの所見を認めた場合でも、売却率は8割近くであり、売却金額とともにせり全体の結果との差は認めませんでした。また、中央および地方競馬の出走率はいずれの所見も9割以上と高く、初出走日、獲得賞金の結果(2017~2021年上場馬を対象)においても、所見を認めない対照群と比較して差はありませんでした。これらの結果より、一般的にリスクが高いとされている上記レポジトリー所見ですが、市場成績、競走成績への影響は限定的と言えます。ただし、本調査では症状(跛行や喘鳴音)の有無や、手術を含む治療の有無について個別には言及していないため、中には後期育成期以降にスムーズさを欠いた症例もいたかと思います。

 

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表1(中央値)

 

レポジトリーは購買時の重要な指標の一つですが、全く所見を認めない場合でも疾患のリスクがゼロになることはありません。最も大切なことはコンフォメーションや血統、予算、その他公表事項などを含めて総合的に判断することであり、購買者本人が納得した状態で取引に参加することです。JRAはブリーズアップセールでは運営・販売者側、1歳市場では購買者側であり、両方の経験を持つ私たちだからこそ、今後も新しい知見を発信していきたいと思います。

 

JRA日高育成牧場 業務課主査 原田大地

 

2024年1月 5日 (金)

2023BUセールを振り返って ~今シーズンに新たに実施した調教~

馬事通信「強い馬づくり最前線」第310号

 おかげさまをもちまして、今年もJRAブリーズアップセール(以下、BUセール)に上場した馬について、全頭完売することができました。ご購買いただきました方々には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。今回は、JRA育成馬を調教していく上で、今シーズンに新たに意識して取り組んだ調教方針についてご紹介したいと思います。

 

〇速歩でのドライビング

 JRAではこれまでも、騎乗調教に先立ってヨーロッパ式のランジングおよび常歩でのドライビングを取り入れた「ブレーキング」を行ってきました。今シーズンに新たに取り組んだことは、常歩だけでなく「速歩でのドライビング」です(写真1・QR1)。速歩でのドライビングの利点は、常歩よりも速いスピードでの運動が可能となることによって、馬の真直性の程度や、開き手綱の扶助をどの程度理解しているかがより明確になることです。本年、速歩ドライビングを実施したことで、騎乗調教開始後にまっすぐ走行できる馬が例年よりも増加したという効果が得られました。例をあげるなら、自転車を運転する際に、ゆっくりのスピードであれば、フラフラして安定しませんが、ある程度のスピードを出し続けることでまっすぐな状態を維持できるというのと同じ原理です。

 一方、速歩ドライビングの唯一のデメリットを挙げるとするなら、それはレーンを操作する者が速歩で進む馬と同じ速さで移動しなくてはならない点です。その点について、スタッフたちには多大な苦労をかけてしまいました。しかしながら、その甲斐あって、例年以上に騎乗調教へとスムーズに移行することが可能となりました。また、速歩ドライビングでは「左!」「まっすぐ!」「右!」「まっすぐ!」「左!」「まっすぐ!」「右!」・・・という様に、短時間で多くのコマンドを馬に出し続けることとなるため、馬が人にフォーカスし、人から出される指示にすぐに応えようと従順になる効果もあると感じました。その結果、昨シーズンより騎乗時のみならず、普段の取り扱いに関しても人の指示に従順な馬が増加した印象です。

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写真1.速歩でのドライビング(9月中旬:動画はQR1を参照)

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QR1

 

〇調教パターンのルーティーン化

 次に新たに意識して取り組んだことは、調教パターンのルーティーン化です。馬は「予測できる環境」に馴化、つまり落ち着くという性質があります。この性質を利用して、馬が落ち着いた状態での調教が可能となるように、本年は調教パターンのルーティーン化を実践しました。

 その方法は、調教開始時にウォーミングアップとして角馬場での速歩の後、800m屋内馬場での最初の1周を「コーナー速歩-直線ハッキング」とパターン化して、毎日繰り返して実施するというものです(QR2)。例年、スピード調教を開始した頃から馬のテンションが上がり、徐々に人の指示に従わなくなる傾向がありました。しかしながら、このルーティーン化した調教を繰り返すことによって、馬が騎乗者のコマンドを待つ状態、つまり興奮せずに冷静さを保つことが可能となり、スピード調教を開始した後も、昨年より従順であった馬が多かった印象です。

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QR2:調教パターンのルーティーン化(コーナー速歩-直線ハッキングで800m屋内馬場を1周)

 

〇坂路コースでの3列縦隊での調教

 本年は「集団調教」にも意識して取り組みました。坂路コースでの集団調教時において、昨年までは1列縦隊あるいは2列縦隊で走行していましたが、前述のように興奮せずに冷静さを保つことが可能となり、さらに騎乗スタッフのレベルも上がったことから、2列縦隊での集団調教が例年よりも容易に実施できるようになりました。そのため、今シーズンは3列縦隊での集団調教を実践し、隊列の質にもこだわりました(QR3)。

 また、調教のタイム指示については「ステディキャンター(馬が落ち着く速度で安定した駈歩を続ける)」に設定することで、馬が常に落ち着いた状態で調教を実施することが可能となりました。さらに、スピード調教時においても、2頭だけでなく3頭併走での走行を積極的に行いました(写真2)。

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写真2.坂路コースにおける3頭併走での調教(1月下旬)

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QR3:坂路コースにおける3列縦隊での集団調教

 

〇1600m馬場における3列縦隊での調教

 3月下旬にBTCの1600m周回ダートコースが開場してからは、同馬場でも3列縦隊の調教を行いました。直線だけの坂路とは異なり、隊列を維持したままコーナーを曲がらなくてはいけないため、騎乗者にはより高度な技術が要求されます。これまで馬が騎乗者の指示に従順となるように調教が進んでいたため、競馬に類似した馬群を想定した調教が可能となりました(QR4および5)。

 このように、今シーズンの最終目標として、実際の競馬に類似した状況下での調教を実施することによって、競馬出走時においても、前後左右を他馬によって囲まれてもひるまずに走行できる馬、つまり群れに慣れる馬を作ることを目指しました。

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写真3.1600m馬場における3列縦隊での調教(3月下旬:動画はQR4・5を参照)

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QR4(左)およびQR5(右:騎乗者カメラで撮影した映像)

 

〇おわりに

 今回は、今シーズン新たに取り組んだ調教内容をご紹介いたしました。今シーズンは当場の騎乗スタッフおよび騎乗研修を実施していたBTC生徒たちが本当に良く頑張ってくれたため、シーズンを通してレベルの高い調教を行うことができました。

 JRA日高育成牧場では、BUセール後に競走馬として順調にデビューできる馬、さらには勝つことのできる馬を目指して日々調教に取り組んでいます。その過程で得られた知見は、各種講演会や出版物で発信しております。今回の記事が普段育成牧場で馬を調教されている皆さんの少しでもお役に立てば幸いです。

 

JRA日高育成牧場 業務課長 遠藤祥郎

1歳セリにおけるレポジトリー検査

馬事通信「強い馬づくり最前線」第309号

 サラブレッド市場におけるレポジトリーとは、セリの主催者が開設した市場内の情報開示室やインターネット上において、上場馬の医療情報(四肢X線検査画像、上気道内視鏡動画など)を購買者に向けてあらかじめ公開するシステムのことです。国内の市場では2006年のセレクトセール1歳市場で導入されて以降、現在までに広く浸透しています。今回はこれから迎える1歳馬のセリシーズンに向けて、「レポジトリーのどのような所見に注目するべきか」をテーマとして概説します。

 

近位種子骨

 球節の背面に存在する近位種子骨では、X線検査において線状陰影や骨増生を認めることがあります。この線状陰影は、病理学的には栄養血管周囲の拡張した線維組織です。JRAではこの所見に対して4段階のグレード(グレード0~3)を用いて評価しています(図1)。過去の調査において、グレードの低い馬では競走能力に影響がなく、グレードの高い馬では繋靭帯炎の発症率が高くなることが報告されているため、慎重に調教を進める、入念に水冷を行うなど、管理上の注意が必要です。

1_4図1.近位種子骨の線状陰影に基づくグレード0~3のX線所見

 

離断性骨軟骨症(OCD)

 OCDとは骨が成長する過程で軟骨が離れてしまった状態であり、レポジトリーでは飛節や後膝に認められることがあります(図2)。飛節のOCDでは、熱感や腫脹などの明らかな炎症症状がなければ、競走能力に影響がないことが報告されています。一方、OCDが跛行の原因として疑われた際には、関節鏡を用いた摘出術が必要となる場合もあります。後膝のOCDは偶発的に発見されることが多く、そのほとんどは臨床症状を伴いません。

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図2.レポジトリーにおいて注目すべき飛節および後膝におけるOCDの好発部位

 

骨嚢胞(ボーンシスト)

 骨嚢胞とは、関節に面した骨に負荷がかかることで軟骨が損傷し、骨の内部が空洞化してしまった状態であり、特に後膝の検査画像において認められることがあります(図3)。JRAでは4段階のグレードを用いて評価しており、グレードの高い馬ではしばしば跛行の原因となることが知られているため注意が必要です。

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図3.後膝(大腿骨内側顆)における骨嚢胞のX線所見および各グレードの目安

 

喉頭片麻痺(LH)

 レポジトリーに提出される上気道内視鏡動画は、馬が静止した状態で撮影されます(安静時内視鏡検査)。そこで見られる所見で最も注目すべきは披裂軟骨の動きです。正常な状態では、吸気時にほぼ同時に左右の披裂軟骨が開きますが、LHの馬は片側(ほとんどが左側)の被裂軟骨の動きが反対側に比べて悪くなります(図4)。LHは一般的に4段階のグレード(グレードⅠ~Ⅳ)で評価され、グレードⅠおよびⅡは競走能力に影響がないことが知られています。披裂軟骨の動きが悪く、完全に開かない場合には、馬を運動させた状態でより詳細な検査(運動時内視鏡検査)が推奨されます(図5)。また、披裂軟骨がほとんど動かない場合には手術を検討する必要があるため、慎重な評価が求められます。

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図4.喉頭片麻痺(LH)におけるグレードⅠ~Ⅳの安静時内視鏡検査所見像

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図5.運動時内視鏡検査における正常所見(左)と喉頭片麻痺(LH)所見(右)

 

 代表的な注目ポイントを上述しましたが、レポジトリーでは他にも多種多様な所見が認められます。各所見が競走能力に影響するかどうかは、科学的に裏付けされていないものもあり、判断が難しいのも事実です。そのため、実際の生産馬や購買希望馬の所見に関しては、十分な知識を持った信頼のおける獣医師に相談の上、適切に判断することが重要です。

 

日高育成牧場 業務課主査 原田大地

2023年10月17日 (火)

BUセールの個体情報開示について

馬事通信「強い馬づくり最前線」第305号

 JRAブリーズアップセール(以下BUセール)では、購買者の皆様が安心してセリに参加していただくために、病歴、体測値、飼養管理および調教内容等の個体情報をオンラインでおよび冊子(図1)で公開しています。開示している個体情報は、①体高、胸囲、管囲、馬体重、②病歴、③レポジトリー検査所見、④最近の調教状況、⑤その他の開示事項になります。今回はこれら個体情報のうち、「レポジトリー検査所見」について紹介いたします。

 

検査所見をもとにした上場馬選定

 JRA育成馬をBUセールに上場する過程では、怪我や運動器疾患の発症等、順調に調教が進まないことや、調教中に異常呼吸音を聴取することも少なくありません。JRAでは抽選馬の時代から、これらの症例に対する検査データを蓄積して、育成期における下肢部X線所見や上気道内視鏡所見と競走期における疾病発症や競走成績との関連について調査・研究を継続しています。そして、これらの成績をもとに、BUセール前の3月に実施した上気道内視鏡検査や下肢部レントゲン検査等のレポジトリー検査所見を評価し、セール売却後の調教および出走に差し支えないと判断した馬を上場することとしています。

 

上気道内視鏡検査

 上気道内視鏡検査では喉頭片麻痺(LH)、軟口蓋背方変位(DDSP)、喉頭蓋の異常(AE)についてグレード分けをしています。特に、LHのグレードが高い馬で競走能力に影響を及ぼす可能性があります。そのため、グレードⅢa以上の馬および喘鳴音が聴取された馬については運動時内視鏡検査(OGE)を実施し、その検査映像についても公開しています。OGEでは走行中の喉の状態が確認できるため、安静時内視鏡検査よりも高い精度で競走能力への影響の評価が可能となります。

 

下肢部レントゲン検査

 レントゲン検査では、両前肢の近位種子骨の評価、腕節の骨端線、その他疾患の画像を提示しています。さらに近年は大腿骨のボーンシストの評価をグレード1~4で評価しています(図2)。大腿骨内側顆は運動時に荷重がかかる部分となり、軟骨下骨嚢胞の好発部位となります。大小さまざまな所見がみられ、大きな骨嚢胞を有する場合は、しばしば跛行の原因となることが知られています。当場においても過去7年間調査したところ、グレード1と2については無症状でしたが、グレード3の馬の37.5%、グレード4の馬の75%が育成期に跛行を呈しています(図3)。その他にも育成期に発見されたOCD(離断性骨軟骨症)や陳旧性骨折などの存在についても全て記載していますが、腫脹や跛行等の臨床症状がない場合には、競走成績に及ぼす影響は極めて低いことが知られています。

 BUセールでは、セール前日に「個体情報冊子」を配布するとともに、中山競馬場に「情報開示室(レポジトリールーム)」を開設いたします。また、同様の情報はオンライン(JRA育成馬サイト、JBISホームページ内、特設サイト)上でも閲覧可能ですので、ご利用下さい。なお、情報開示室には獣医職員を配置いたしますので、画像の見方や獣医学的判断についてご相談いただくことが可能です。

 私たちは、購買者の皆様にとって「わかりやすく透明性のあるセリ」を目指して参りたいと考えています。

 

最後に

 本年の上場馬名簿(図4)はブラックタイプの文字を例年よりも大きくするとともに、ブラックタイプと立ち姿写真を見開きページでご覧いただけるように改良しましたので、是非、お手に取ってご覧いただければと思います。

 

日高育成牧場 業務課  久米紘一

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図1:2022年BU上場馬の個体情報

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図2:大腿骨内側顆軟骨下骨嚢胞(SBC)所見のグレーディング


3_2 図3:SBCグレード別跛行馬の割合(過去7年間)

4図4:ブラックタイプと立ち姿写真を見開きページでご覧いただける上場馬名簿

2023年1月20日 (金)

厳寒期のサラブレッド育成に関する研究

 「強い馬づくり最前線」は、平成22年(2010年)1月から連載が開始され、今回で第300回目を迎えることができました。この連載が開始された頃は、日高育成牧場において‟生産から競走馬までの一貫した育成研究”が開始され、その第一世代がちょうど1歳馬になった年でもありました。この13年間、日高育成牧場では、生産したJRAホームブレッドや1歳市場で購買したJRA育成馬を活用して様々な育成研究や技術開発を行い、本紙面を通じてその成果を皆さまにお知らせしてまいりました。今回は、これから迎える‟北海道の寒い冬”をテーマにした研究成果と課題について述べます。

 

早生まれのサラブレッド

 長日性季節繁殖動物であるウマの特性を応用したライトコントロール(LC)法は、繁殖牝馬の非繁殖期から繁殖期への移行期に、人工的に光を照射して発情を早期化することによって受胎率を向上させる技術です。その結果、早生まれの子馬を生産することも可能になり、近年では誕生日が1月や2月のGⅠ勝馬も珍しくなくなりました。「早生まれ」と「遅生まれ」の成長や内分泌機能を比較した我々の成績では、子馬は、生まれ月に関わらず、長日期である5月~8月にかけて、1日当たりの体重増体量(ADG;kg)が相対的に高値となることや脳下垂体前葉から分泌される性腺刺激ホルモン(LH、FSHおよびプロラクチン)の分泌も高値になることが明らかになりました。このことは、生まれて間もない子馬の時期から、性ホルモン分泌の中枢である脳の視床下部-下垂体軸が日長時間の延長に反応していることを示しており、そのため、長日期には下垂体前葉から分泌される成長ホルモンの活性も高いと考えられます。これらの考え方から、以前はホームブレッドの出産時期を4月頃になるように計画していました。一方、生まれ月に関わらず、生後間もない時期の子馬は甲状腺ホルモンやコルチゾール値が高値を示すこともわかっています。このことは早生まれの子馬でも、寒冷ストレスに対して甲状腺や副腎が正常に機能していると考えられ、厳寒期においても、適切な飼養管理を実施すれば、子馬を問題なく成長させることができることを示唆しています。早生まれが増加している背景には、人気種牡馬との交配を早期に確実に行いたいなどの事情もあると仄聞しています。かつて、日本の「早生まれ」は活躍しないといわれていましたが、近年は情勢が変化しているようです。したがって、1月や2月の寒冷な時期に出産する母馬や誕生する子馬の飼養管理法の開発は新たな研究課題です(写真1)。

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写真1 早生まれの子馬の放牧風景

 

厳寒期の昼夜放牧

 放牧地が雪に覆われ気温が極めて低い北海道において、中期育成期の子馬の飼育管理方法の開発も重要なテーマです。13年前、我々は昼夜放牧を22時間継続する群(昼夜群)と7時間の昼間放牧とウォーキングマシン(WM)運動を1時間実施する群(昼W群)の生理機能を比較する実験を行いました。その結果、昼夜群は、耐寒のため体温や心拍数が低下するなど、副交感神経活動が優位になるとともに、寒冷時に体温を維持するなどの働きをもつ甲状腺ホルモンやコルチゾールの分泌を低下させて自らの代謝を抑制する冬眠に似た生体反応が生じることが明らかになりました。一方、昼W群ではWM運動によって昼夜放牧と同等の移動距離を確保することができ、さらに、成長ホルモンと同様に成長促進作用を有するインスリン様成長因子(IGF-1)や様々なアンチストレス作用を有するプロラクチンの分泌が促進されることも判明しました。プロラクチンは、寒冷などのストレス感作時に副腎に作用して、生体を防御する働きをもつ糖質コルチコイドの分泌を促すことが報告されています。異なる実験になりますが、日高育成牧場に繫養する4歳のサラブレッド種雄馬を用いてトレッドミルによる運動負荷を加えた研究では、運動強度に応じて成長ホルモンの血中濃度が上昇し、運動後もしばらく一定の濃度が維持されることが明らかになり、集中的な運動は成長に良い影響を及ぼすことが示唆されました。現在、我々は初期から中期育成期においては、自然に近い環境で飼育する観点から、冬期の昼夜放牧に関する研究を継続しています(写真2)。昼夜群のデメリットを昼W群のメリットで補うことができるように、寒さ対策としてシェルター設置や馬服の着用、冬期の代謝や成長を促すためのWM運動を継続しながら、現在もデータを集積しています。

 

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写真2 厳寒期の放牧風景

 

温暖地での二元育成

 JRAでは冬期に寒さが厳しい日高育成牧場(日高)と冬期に穏やかな気候の宮崎育成牧場(宮崎)の2ヶ所で後期育成に関する研究を行っています。過去10年間の後期育成期の体重、体高、胸囲および管囲の成長率を日高と宮崎で比較したところ、すべての指標において雌雄ともに宮崎の方が冬期の成長率が高値でした。その理由は、冬期の気候が穏やかな宮崎では、寒さの厳しい日高と比べて後期育成期の成長停滞が少ないためであると考えられています。生殖機能に関連した内分泌ホルモンの分泌濃度等を比較すると、宮崎は日高と比べて性腺刺激ホルモンや、精巣や卵巣などの性腺から分泌されるステロイドホルモンが早期から分泌を認め、雄では成長促進ホルモンである血中インスリン様成長因子(IGF-1)の濃度が早期に高値となることも判明しました。宮崎では冬季の日長時間の長さから性腺の賦活時期が早いことがその理由として推察されています。さらに、日高と宮崎の調教強度を概ね同程度に設定しているにもかかわらず、宮崎の雄では、筋肉量の指標である除脂肪体重の増加率が高値であったことから、宮崎は冬期に効果的なトレーニングを実施することができる気候である可能性が示唆されました。すなわち、北海道で生産し初期~中期育成を行ったサラブレッドを冬期に温暖な地域で後期育成する「二元育成」の有効性が示されました(写真3)。

 

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写真3 宮崎の調教風景(12月)

 

北海道の後期育成馬に対するLC法

 冬期に気温が低くなる日高では、宮崎と比較すると冬期の成長が停滞しやすいことから、トレーニング負荷によって、未成熟な若馬に特有な深管骨瘤などの筋骨格系疾患(MSI)が発症しやすいと考えられ、競走馬としてのデビューが遅れることが危惧されます。そこで、冬期の成長抑制に対する改善策として、日高の後期育成馬に対して、繁殖牝馬で実施されているLC法を1歳12月から2歳4月中旬まで実施したところ、雌雄ともに、1月下旬から性腺刺激ホルモンや性ステロイドホルモンの分泌が開始されるとともに、自然光下の宮崎と同様に成長が促進されることが明らかになりました。また、雌雄ともに除脂肪体重の増加が観察され、LC法の応用によって北海道においても冬期に十分なトレーニング効果が得られることも判明しました。

 

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写真4 日高の調教風景(12月)

 

体組成(筋肉量や体脂肪率)に関する研究

 近年、筋肉量の増加にはミオスタチンという筋肉内の物質が関与することが注目されています。また、成長ホルモンとインスリン様成長因子(IGF-1)、さらに、性ステロイドホルモンであるテストステロンとエストロジェンは、ミオスタチンの機能抑制に関与することで筋肉量の増加を促進すると考えられています。雄馬と雌馬を比較すると、雄馬は筋肉量が多く、体脂肪率が低いという性差も明らかになっていますが、テストステロンが分泌されない雌馬においてもトレーニングによって筋肉の増量が観察されることから、雌馬では筋肉量増加のメカニズムが雄馬と異なる可能性もあります。このように、後期育成期のサラブレッドの筋肉量増加におけるメカニズムについては不明な点が多く、今後のさらなる研究が必要と考えています。

 

最後に

 日高育成牧場の「世界に通用する強い馬づくり」を目指した研究や技術開発は、我国のサラブレッド生産と競馬が続く限り、永遠に続いていくものと考えています。今後の「強い馬づくり最前線」にご期待ください。

 

日高育成牧場 場長 石丸 睦樹

2022年12月14日 (水)

日高育成牧場における育成調教 ②競馬に向けてのトレーニング

 前号に引き続き、育成馬の調教について触れてみたいと思います。今号では競馬に求められる走行速度や走法などの走力の要素を向上させる「競走トレーニング期」についての考えをご紹介させていただきます。

 

1.競走トレーニング期とは

 競走トレーニング期は、競馬に求められる走行速度や走法などの走力の要素を向上させることが目的となります。

1)ピッチの強化

 ピッチの強化とは「単位時間当たりの歩数減少を抑制すること」であり、筋肉を動かし続けるスタミナを身に付けることで得られ、結果としてレース後半の疲労によるスピード低下の防止につながります。これには筋肉を動かし続けることが求められ、そのエネルギー源はATPであり、グリコーゲンがピルビン酸に分解される解糖系、および解糖系で産生されたピルビン酸を利用する有酸素系において産生されます(図1)。

Photo 図1. 解糖系と有酸素系によるATP産生

  • 速筋線維の解糖能および乳酸の利用

 筋線維には速筋線維と遅筋線維があり、速筋線維の方が解糖能に優れています。このため、解糖能を高めるには速筋線維を鍛えることが有効であり、人では呼吸が上がって苦しくなる程度の運動が必要とされています。解糖能の上昇により乳酸産生量が高まると、乳酸がピルビン酸に変換され、ミトコンドリア内での有酸素系のATP産生も高まりますつまり、解糖能が上昇すると解糖系と有酸素系の両方によるATP産生能が結果的に高まるということになります。これは競走馬も同様であり、競走トレーニング期の馬には、血中乳酸濃度が概ね10mmol/Lを超える運動負荷によって効果が得られると考えられています。

  • 解糖能の上昇とアドレナリン分泌

 運動強度が上昇すると、解糖系によるエネルギー産生が必要となるため、交感神経優位の状態になり、アドレナリン分泌によって心拍数および血液循環量が増加します。アドレナリンは馬では恐怖や不安などのストレス状態下において、その状況から逃れるために身体や脳の機能を高める物質です。一方、過剰なアドレナリン分泌は、エネルギーの大量消費を誘発するため、体力を消耗しやすくなるのみならず、攻撃性や慢性的な疲労等を誘発する負の部分も有しています。

 馬は名誉心などなく、自ら苦しい調教を耐えようとしないため、競走馬の調教では交感神経と副交感神経のバランスを常に維持するように注意し、オーバーワークは避けなければなりません(図2)。このことが人のアスリートとは比較できないくらい競走馬の調教の運動量が少ない理由と考えられています。

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図2. 交感神経と副交感神経のバランスが重要

  • ミトコンドリア内のATP産生能と母系遺伝

 ミトコンドリアDNAは受精の過程で母親のミトコンドリアのみが子に受け継がれると考えられています。つまり、有酸素能力に大きく影響を及ぼすミトコンドリアの質は、母親の質に左右されるため、調教によって向上するミトコンドリア内のATP産生能は先天的にある程度決まっているものと推測されます。このことがサラブレッド競走馬において、母系の血統が重要視される理由のひとつであると考えられています。

2)ストライドの強化

 ストライドの強化に関連する重要な要素は、陸上でもストライドと強い相関関係を持つ着地直前のスイング速度です(写真1)。つまり、後肢を前方に大きく振り上げて、着地に向けて肢を引き戻してスイング速度が上がることによって、着地の瞬間に働く地面からの制動力が抑制されて推進力が維持され、結果としてストライドが伸展すると考えられます。

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写真1. 後肢から繰り出される運動エネルギーは踏込よりスイング速度が重要

2.育成調教における騎乗者の役割

 競馬では馬7:騎手3という言葉がありますが、これは競馬における馬と騎手の重要度の比率を意味しており、競馬での騎手の役割は、馬の能力には及ばないと考えられています。一方、日々の育成調教においては、騎乗方法によって、柔軟性やランニングエコノミーを向上させることが可能となることもあるため、その概念について説明します。

1)項靭帯の伸展を利用した騎乗

 項靭帯とは頭蓋骨の後面からキ甲まで走行する靭帯であり、キ甲から仙骨に走る棘上靭帯と連続しています(図3)。そのため、項靭帯が伸展すると前躯と後躯が連結して、全身を使用したランニングエコノミーの向上が可能となります。

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図3 項靱帯は棘上靱帯に移行して前後を連結する

2)ハミを利用した項靭帯の伸展

 項靭帯を伸展させるためには、頭頚の位置を一定に維持するハミ受けという技術が不可欠です。ハミ受けによって頭頚が固定されて項靭帯が伸展し、後躯から発生したエネルギーが項(うなじ)を頂点とした項靭帯に蓄積されます。その蓄積されたエネルギーの一部は前肢を高く上げることに利用され、結果として踏着前のスイング速度が高められます。これにより、前肢の着地が遅延するとともに地面との接地時間の短縮が可能になり、着地による制動力が最小限に抑制されます。また、項から棘上靭帯を通して腰部と連結している項靭帯に蓄積されたエネルギーは、しなった釣竿のように骨盤の沈下を生み出します。これによって後肢が大きく前方に振り上がり、後肢のスイング速度も上昇するため、ストライドが大きくなり、走行速度も上昇します(図4)。

 

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図4. 項靱帯の伸展による効率的な走行フォーム

 

3.最後に

 競馬というスポーツは、サラブレッドという種の育種、つまり「速く走る」という遺伝子を持つ個体を選抜する目的で行われているため、捕食者から逃れるという本能を発揮させなければなりません。一方、馬は名誉心などなく、自ら苦しい状況を選択しようとはしないと思われます。そのため、調教時には馬との意思疎通を図るために副交感神経を優位に、競走時にはより速く走らせるために交感神経を優位にというように相反する精神状態を巧みにコントロールする技術が不可欠となります。しかし、馬は機械ではなく意思を持つため、個体差が大きいのも事実です。このことが画一的な調教が困難である理由であるとともに、人馬一体を成し遂げ得た時の喜びが非常に大きく、古来、多くの人を魅了し、そしてこれからも多くの人を魅了する理由でもあるのだろうと考えています。

 

日高育成牧場 副場長 頃末 憲治

 

2022年12月 2日 (金)

日高育成牧場における育成調教 ①ブレーキング

 サラブレッド競走馬は1歳秋に「ブレーキング」とよばれる騎乗馴致を開始します。JRA日高育成牧場で実施している騎乗馴致に対する考え方について、今号と次号にわたってご紹介させていただきます。

 

1.調教のステージ

 サラブレッドは競走馬としての活躍を期待されてこの世に生を受けますが、本来、臆病であり人を乗せて走るまでには様々なステップを経なければなりません。そのため、育成期のステージは騎乗するまでの「初期調教期」、基礎体力を養成する「基礎トレーニング期」、競馬に求められる走行速度や走法などの走力の要素を向上させる「競走トレーニング期」の3期に分けて、段階を踏んで調教を実施しなければなりません。

 

2.初期調教期

 初期調教期は馬に人を乗せることを許容させることを目的に実施します。馬は運動する際にバランスが崩れると不安に陥ります。騎乗を許容させるには、騎乗者は馬上でバランスを崩さずに馬の動きに同調、つまり騎乗者自身の重心と馬の重心とを一致させなければなりません。直線運動時には騎乗者は比較的容易に重心を一致させることができますが、回転運動時に人馬の重心を一致させることは容易ではありません。その理由は、人は回転運動の際には、自転車で回転する時のように進行方向に腰を回転しますが、馬は頭頚を外側上方に向けて馬体を内側に倒して回転する習性があるためです。つまり、回転時に人と馬は本能的に相反する態勢をとることが原因となります。

 
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写真1.馬の自然な回転と内方姿勢での回転

 

 回転時に人馬の重心を一致させるためには、騎乗者が自転車を操作する時のような姿勢での回転が可能となるように、馬に内方姿勢と呼ばれる体勢を取らせて回転させることを教える必要があります(写真1)。そのためには、ランジングやドライビング調教が非常に有効であり、これらのプロセスを総じてブレーキンと呼んでいます。なお、ブレーキングとは騎乗時に手綱を引いて馬が止まるブレーキ(brake)を馬に教えることではなく、それまで群れでの放牧によって培われてきた馬社会の約束事を壊す(break)ことであり、新たに人と馬との約束事を構築することを意味します。ブレーキングは、決して人が力任せに馬を屈服させることではなく「馴らして目標とする状態に至らしめること」であり、馬に人の要求を強要させるのではなく、馬が人の要求を自ら行うように仕向ける姿勢が重要です。その原理原則は、人が馬に対して何かを要求する指示(プレッシャー)を与え、そのプレッシャーから馬が逃げる方向が、人が要求するものと一致するよう馬を導くことです。人の要求が達成された際には、持続して与えていたプレッシャーを即座に解放(オフ)してあげることで、馬は楽になれることを理解します。つまり「プレッシャーオフ」とは馬が要求に応じた際、即座に声をかけたり愛撫をしたりして褒めることともいえます。馬は草食動物であるので、危険あるいは不快なもの(プレッシャー)からは回避すると同時に、同じ場所にとどまって草を食べる安住の場所(プレッシャーオフ)を求めています。ブレーキングでは、この習性を利用することが非常に重要となります。

1)遠心運動を利用したランジング調教

 ランジングにおける円運動では遠心力が生じるため、馬はバランスを維持しようとして、手綱が連結した内側のハミを支点として頭頚を少し内側に向けて馬体を湾曲させます。これこそが騎乗者が回転時に人馬の重心を一致させやすくなる体勢であり、円運動を行う最大の利点は、馬にこの内方姿勢に近い状態でのバランス維持を習得させることが可能となる点といえます(写真2)。

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写真2. 遠心力を利用したランジング

2)ドライビング調教

 ドライビング調教とはハミに連結した2本の長い手綱を馬の後方で馬車のように操作して、騎乗する前に開き手綱による回転やハミと口角との間に遊びのスペースを設けてハミに頼ることなく馬自身によるバランスで運動することを教える調教方法です(写真3)。前述のランジングで教えた内方姿勢での左右両側の回転のみならず、前進や停止など騎乗時と同様の合図を騎乗することなく習得させることを目的にドライビングを実施します。つまり、騎乗時と同一の扶助で馬を操作し、騎乗後にも一貫した扶助で馬を操作することによって馬に混乱を生じさせないことが安全な騎乗へとつながります。

 開き手綱の理解や重心移動の習得を目的に、ドライビングによるスラロームや8の字運動などで手前変換を行う際には、前進気勢と馬自身によるバランスを維持した体勢(セルフキャリッジ)の維持に留意しなければなりません。特に、前進気勢の重要性はどれほど強調してもし過ぎることはありません。例えるなら、止まっている自転車のハンドルをいくら動かしても曲がれないのと同様で、ドライビングにおける馬の前進気勢は絶対条件となります。そのためにも前進気勢が維持しやすく、さらに、重心のブレが少ない速歩の方が常歩よりも容易に実施できます。

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写真3. ドライビングによる左右の内方姿勢

 

3.基礎トレーニング期

 基礎トレーニング期は騎乗による基礎体力の養成を目的に、キャンターでの調教に多くの時間を費やさなければなりません。しかし、初期調教を終えたばかりの馬は、未だ騎乗者の荷重に慣れておらず、バランスの維持が困難な状態にあります。そのため、キャンターでの調教を実施する前に、騎乗した状態で放牧地における馬自身によるバランスを維持した体勢を習得させる必要があります。

 キャンターでのセルフキャリッジを習得させるためには、人馬の重心の一致を図ることを目的として、騎乗者には馬の重心に近い鐙上にバランスを維持する技術が求められます(写真4)。また、セルフキャリッジは馬の重心の移動や頭頚の動きが少ない速歩でより習得しやすいことから、速歩調教を繰り返し実施した後にキャンターでの調教に移行することが非常に重要です。また、この時期には競馬の要素として不可欠な群れでの走行に慣らすことも重要となります。

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写真4. 馬の重心と鐙の位置の関係

参考動画
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日高育成牧場 副場長 頃末 憲治

育成期の運動器疾患

はじめに

 多くの育成場では、育成馬の騎乗馴致を開始している頃だと思います。トレセンや競馬場に移動するまで順調に調教が進む場合もあれば、疾患の発症によって休養を余儀なくされる場合もあるでしょう。今回は皆様の悩みの種となる育成期における運動器疾患について紹介させていただきます。

 

離断性骨軟骨症(OCD

 軟骨内骨化の過程に異常をきたす疾患で、関節軟骨の糜爛や剥離を生じさせる骨端骨化異常と考えられています。好発部位は球節、肩関節、飛節、膝関節であり、特に飛節でよく認められます。跛行等の臨床症状を認めることが少ないため、セリ上場に際するレポジトリー検査のX線撮影時に偶発的に発見されることがほとんどです。なお、X線検査で所見を認めていても無症状であることが多く、これらの場合は育成調教および出走に影響を与えることは少ないと考えられています。JRA育成馬を用いた調査においても、飛節のOCDを認めた馬と非OCD馬の出走時期および出走回数に有意な差は認められませんでした。一方、OCDに起因する跛行が継続する場合には、関節鏡による骨軟骨片の摘出手術が必要となることもありますので注意が必要です。

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図1.飛節(距骨滑車外側稜)のOCDのX線所見

  • この馬は育成期間中を通して症状を示さず2歳7月に出走

 

軟骨下骨嚢胞(ボーンシスト)

 関節軟骨の下にある骨の発育不良により発生する骨病変で、栄養摂取や成長速度のアンバランスなどの素因がある子馬において関節内の骨の一部に過度の物理的ストレスが加わることで発症すると考えられています。好発部位は前肢の球節、指骨間関節、肩関節、膝関節であり、前述のOCDと同様にセリ上場に際するレポジトリー検査のX線撮影時に偶発的に発見されることがほとんどです。骨嚢胞が認められても、調教に支障をきたさない場合もありますが、特に膝関節の軟骨下骨嚢胞に起因する跛行などの臨床症状が認められた場合は、長期休養が必要になることもあります。治療としてはステロイド投与、シスト領域へのスクリュー挿入や掻把等があります。

 

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図2.大腿骨内側顆における軟骨下骨嚢胞のX線所見(グレード1~4)

 

近位繋靭帯付着部炎(深管骨瘤)

 繋靭帯と第3中手骨の付着部位における炎症の総称です。原因として繋靭帯の役割が関わっていると考えられています。馬が走行する際には球節が沈み込み、繋靭帯はそれを元の位置へ戻そうと球節を上に引っ張り上げる役割があります。そのため、繋靭帯付着部では下へ引っ張る強いテンションがかかることによって炎症が起こります。

 軽度~中程度の跛行を示し、患部の触診痛や熱感を伴うこともありますが、触診痛を示す症例は少なく、さらにX線検査や超音波検査といった画像診断で異常所見を認める症例も多くありません。そのため、所見が認められない場合には、局所麻酔による跛行改善を確認することで確定診断を行います。軽傷であれば比較的早い調教復帰も可能ですが、再発例も多く認めることから、慎重なリハビリを行うことが重要です。

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図3.赤丸内が繋靭帯付着部

 

ウォブラー症候群(腰フラ)

 頸椎脊髄の圧迫に起因する運動失調を示す疾患で、主に後肢で多くみられます。発症時期は4~24ヶ月齢、特に生後4~8ヶ月齢と14~18ヶ月齢の二峰性の好発時期があると考えられています。サラブレッドの発症率は1.3~2.0%といわれており、牡馬は牝馬よりも発症率が高いという調査結果があります。発症原因は遺伝や栄養バランス、成長障害、外傷などが考えられており、診断方法としてはX線検査やCT検査があります。予後は悪く、発症後に運動失調が進行する場合が多く、重症例では起立不能となります。軽症例では、抗炎症剤の投与や馬房内休養、過度な成長を抑制するために飼料給与量を75%に制限した食餌管理法を実施することで症状が改善される場合がありますが、根本的な治療にはならないことがほとんどです。

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図4.第3頸椎の脊椎管狭窄部位のX線所見(この狭窄が主に後肢の運動失調を誘発)

 

最後に

 早期発見が重要になってきますので、歩様の異常、下肢部の腫脹、関節液の増量など些細な変化を見逃さず、日々チェックやケアをしていくことが不可欠です。

 

JRA日高育成牧場 業務課 久米紘一