後期育成 Feed

2024年1月 5日 (金)

2023BUセールを振り返って ~今シーズンに新たに実施した調教~

馬事通信「強い馬づくり最前線」第310号

 おかげさまをもちまして、今年もJRAブリーズアップセール(以下、BUセール)に上場した馬について、全頭完売することができました。ご購買いただきました方々には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。今回は、JRA育成馬を調教していく上で、今シーズンに新たに意識して取り組んだ調教方針についてご紹介したいと思います。

 

〇速歩でのドライビング

 JRAではこれまでも、騎乗調教に先立ってヨーロッパ式のランジングおよび常歩でのドライビングを取り入れた「ブレーキング」を行ってきました。今シーズンに新たに取り組んだことは、常歩だけでなく「速歩でのドライビング」です(写真1・QR1)。速歩でのドライビングの利点は、常歩よりも速いスピードでの運動が可能となることによって、馬の真直性の程度や、開き手綱の扶助をどの程度理解しているかがより明確になることです。本年、速歩ドライビングを実施したことで、騎乗調教開始後にまっすぐ走行できる馬が例年よりも増加したという効果が得られました。例をあげるなら、自転車を運転する際に、ゆっくりのスピードであれば、フラフラして安定しませんが、ある程度のスピードを出し続けることでまっすぐな状態を維持できるというのと同じ原理です。

 一方、速歩ドライビングの唯一のデメリットを挙げるとするなら、それはレーンを操作する者が速歩で進む馬と同じ速さで移動しなくてはならない点です。その点について、スタッフたちには多大な苦労をかけてしまいました。しかしながら、その甲斐あって、例年以上に騎乗調教へとスムーズに移行することが可能となりました。また、速歩ドライビングでは「左!」「まっすぐ!」「右!」「まっすぐ!」「左!」「まっすぐ!」「右!」・・・という様に、短時間で多くのコマンドを馬に出し続けることとなるため、馬が人にフォーカスし、人から出される指示にすぐに応えようと従順になる効果もあると感じました。その結果、昨シーズンより騎乗時のみならず、普段の取り扱いに関しても人の指示に従順な馬が増加した印象です。

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写真1.速歩でのドライビング(9月中旬:動画はQR1を参照)

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〇調教パターンのルーティーン化

 次に新たに意識して取り組んだことは、調教パターンのルーティーン化です。馬は「予測できる環境」に馴化、つまり落ち着くという性質があります。この性質を利用して、馬が落ち着いた状態での調教が可能となるように、本年は調教パターンのルーティーン化を実践しました。

 その方法は、調教開始時にウォーミングアップとして角馬場での速歩の後、800m屋内馬場での最初の1周を「コーナー速歩-直線ハッキング」とパターン化して、毎日繰り返して実施するというものです(QR2)。例年、スピード調教を開始した頃から馬のテンションが上がり、徐々に人の指示に従わなくなる傾向がありました。しかしながら、このルーティーン化した調教を繰り返すことによって、馬が騎乗者のコマンドを待つ状態、つまり興奮せずに冷静さを保つことが可能となり、スピード調教を開始した後も、昨年より従順であった馬が多かった印象です。

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QR2:調教パターンのルーティーン化(コーナー速歩-直線ハッキングで800m屋内馬場を1周)

 

〇坂路コースでの3列縦隊での調教

 本年は「集団調教」にも意識して取り組みました。坂路コースでの集団調教時において、昨年までは1列縦隊あるいは2列縦隊で走行していましたが、前述のように興奮せずに冷静さを保つことが可能となり、さらに騎乗スタッフのレベルも上がったことから、2列縦隊での集団調教が例年よりも容易に実施できるようになりました。そのため、今シーズンは3列縦隊での集団調教を実践し、隊列の質にもこだわりました(QR3)。

 また、調教のタイム指示については「ステディキャンター(馬が落ち着く速度で安定した駈歩を続ける)」に設定することで、馬が常に落ち着いた状態で調教を実施することが可能となりました。さらに、スピード調教時においても、2頭だけでなく3頭併走での走行を積極的に行いました(写真2)。

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写真2.坂路コースにおける3頭併走での調教(1月下旬)

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QR3:坂路コースにおける3列縦隊での集団調教

 

〇1600m馬場における3列縦隊での調教

 3月下旬にBTCの1600m周回ダートコースが開場してからは、同馬場でも3列縦隊の調教を行いました。直線だけの坂路とは異なり、隊列を維持したままコーナーを曲がらなくてはいけないため、騎乗者にはより高度な技術が要求されます。これまで馬が騎乗者の指示に従順となるように調教が進んでいたため、競馬に類似した馬群を想定した調教が可能となりました(QR4および5)。

 このように、今シーズンの最終目標として、実際の競馬に類似した状況下での調教を実施することによって、競馬出走時においても、前後左右を他馬によって囲まれてもひるまずに走行できる馬、つまり群れに慣れる馬を作ることを目指しました。

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写真3.1600m馬場における3列縦隊での調教(3月下旬:動画はQR4・5を参照)

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QR4(左)およびQR5(右:騎乗者カメラで撮影した映像)

 

〇おわりに

 今回は、今シーズン新たに取り組んだ調教内容をご紹介いたしました。今シーズンは当場の騎乗スタッフおよび騎乗研修を実施していたBTC生徒たちが本当に良く頑張ってくれたため、シーズンを通してレベルの高い調教を行うことができました。

 JRA日高育成牧場では、BUセール後に競走馬として順調にデビューできる馬、さらには勝つことのできる馬を目指して日々調教に取り組んでいます。その過程で得られた知見は、各種講演会や出版物で発信しております。今回の記事が普段育成牧場で馬を調教されている皆さんの少しでもお役に立てば幸いです。

 

JRA日高育成牧場 業務課長 遠藤祥郎

1歳セリにおけるレポジトリー検査

馬事通信「強い馬づくり最前線」第309号

 サラブレッド市場におけるレポジトリーとは、セリの主催者が開設した市場内の情報開示室やインターネット上において、上場馬の医療情報(四肢X線検査画像、上気道内視鏡動画など)を購買者に向けてあらかじめ公開するシステムのことです。国内の市場では2006年のセレクトセール1歳市場で導入されて以降、現在までに広く浸透しています。今回はこれから迎える1歳馬のセリシーズンに向けて、「レポジトリーのどのような所見に注目するべきか」をテーマとして概説します。

 

近位種子骨

 球節の背面に存在する近位種子骨では、X線検査において線状陰影や骨増生を認めることがあります。この線状陰影は、病理学的には栄養血管周囲の拡張した線維組織です。JRAではこの所見に対して4段階のグレード(グレード0~3)を用いて評価しています(図1)。過去の調査において、グレードの低い馬では競走能力に影響がなく、グレードの高い馬では繋靭帯炎の発症率が高くなることが報告されているため、慎重に調教を進める、入念に水冷を行うなど、管理上の注意が必要です。

1_4図1.近位種子骨の線状陰影に基づくグレード0~3のX線所見

 

離断性骨軟骨症(OCD)

 OCDとは骨が成長する過程で軟骨が離れてしまった状態であり、レポジトリーでは飛節や後膝に認められることがあります(図2)。飛節のOCDでは、熱感や腫脹などの明らかな炎症症状がなければ、競走能力に影響がないことが報告されています。一方、OCDが跛行の原因として疑われた際には、関節鏡を用いた摘出術が必要となる場合もあります。後膝のOCDは偶発的に発見されることが多く、そのほとんどは臨床症状を伴いません。

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図2.レポジトリーにおいて注目すべき飛節および後膝におけるOCDの好発部位

 

骨嚢胞(ボーンシスト)

 骨嚢胞とは、関節に面した骨に負荷がかかることで軟骨が損傷し、骨の内部が空洞化してしまった状態であり、特に後膝の検査画像において認められることがあります(図3)。JRAでは4段階のグレードを用いて評価しており、グレードの高い馬ではしばしば跛行の原因となることが知られているため注意が必要です。

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図3.後膝(大腿骨内側顆)における骨嚢胞のX線所見および各グレードの目安

 

喉頭片麻痺(LH)

 レポジトリーに提出される上気道内視鏡動画は、馬が静止した状態で撮影されます(安静時内視鏡検査)。そこで見られる所見で最も注目すべきは披裂軟骨の動きです。正常な状態では、吸気時にほぼ同時に左右の披裂軟骨が開きますが、LHの馬は片側(ほとんどが左側)の被裂軟骨の動きが反対側に比べて悪くなります(図4)。LHは一般的に4段階のグレード(グレードⅠ~Ⅳ)で評価され、グレードⅠおよびⅡは競走能力に影響がないことが知られています。披裂軟骨の動きが悪く、完全に開かない場合には、馬を運動させた状態でより詳細な検査(運動時内視鏡検査)が推奨されます(図5)。また、披裂軟骨がほとんど動かない場合には手術を検討する必要があるため、慎重な評価が求められます。

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図4.喉頭片麻痺(LH)におけるグレードⅠ~Ⅳの安静時内視鏡検査所見像

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図5.運動時内視鏡検査における正常所見(左)と喉頭片麻痺(LH)所見(右)

 

 代表的な注目ポイントを上述しましたが、レポジトリーでは他にも多種多様な所見が認められます。各所見が競走能力に影響するかどうかは、科学的に裏付けされていないものもあり、判断が難しいのも事実です。そのため、実際の生産馬や購買希望馬の所見に関しては、十分な知識を持った信頼のおける獣医師に相談の上、適切に判断することが重要です。

 

日高育成牧場 業務課主査 原田大地

2023年10月17日 (火)

BUセールの個体情報開示について

馬事通信「強い馬づくり最前線」第305号

 JRAブリーズアップセール(以下BUセール)では、購買者の皆様が安心してセリに参加していただくために、病歴、体測値、飼養管理および調教内容等の個体情報をオンラインでおよび冊子(図1)で公開しています。開示している個体情報は、①体高、胸囲、管囲、馬体重、②病歴、③レポジトリー検査所見、④最近の調教状況、⑤その他の開示事項になります。今回はこれら個体情報のうち、「レポジトリー検査所見」について紹介いたします。

 

検査所見をもとにした上場馬選定

 JRA育成馬をBUセールに上場する過程では、怪我や運動器疾患の発症等、順調に調教が進まないことや、調教中に異常呼吸音を聴取することも少なくありません。JRAでは抽選馬の時代から、これらの症例に対する検査データを蓄積して、育成期における下肢部X線所見や上気道内視鏡所見と競走期における疾病発症や競走成績との関連について調査・研究を継続しています。そして、これらの成績をもとに、BUセール前の3月に実施した上気道内視鏡検査や下肢部レントゲン検査等のレポジトリー検査所見を評価し、セール売却後の調教および出走に差し支えないと判断した馬を上場することとしています。

 

上気道内視鏡検査

 上気道内視鏡検査では喉頭片麻痺(LH)、軟口蓋背方変位(DDSP)、喉頭蓋の異常(AE)についてグレード分けをしています。特に、LHのグレードが高い馬で競走能力に影響を及ぼす可能性があります。そのため、グレードⅢa以上の馬および喘鳴音が聴取された馬については運動時内視鏡検査(OGE)を実施し、その検査映像についても公開しています。OGEでは走行中の喉の状態が確認できるため、安静時内視鏡検査よりも高い精度で競走能力への影響の評価が可能となります。

 

下肢部レントゲン検査

 レントゲン検査では、両前肢の近位種子骨の評価、腕節の骨端線、その他疾患の画像を提示しています。さらに近年は大腿骨のボーンシストの評価をグレード1~4で評価しています(図2)。大腿骨内側顆は運動時に荷重がかかる部分となり、軟骨下骨嚢胞の好発部位となります。大小さまざまな所見がみられ、大きな骨嚢胞を有する場合は、しばしば跛行の原因となることが知られています。当場においても過去7年間調査したところ、グレード1と2については無症状でしたが、グレード3の馬の37.5%、グレード4の馬の75%が育成期に跛行を呈しています(図3)。その他にも育成期に発見されたOCD(離断性骨軟骨症)や陳旧性骨折などの存在についても全て記載していますが、腫脹や跛行等の臨床症状がない場合には、競走成績に及ぼす影響は極めて低いことが知られています。

 BUセールでは、セール前日に「個体情報冊子」を配布するとともに、中山競馬場に「情報開示室(レポジトリールーム)」を開設いたします。また、同様の情報はオンライン(JRA育成馬サイト、JBISホームページ内、特設サイト)上でも閲覧可能ですので、ご利用下さい。なお、情報開示室には獣医職員を配置いたしますので、画像の見方や獣医学的判断についてご相談いただくことが可能です。

 私たちは、購買者の皆様にとって「わかりやすく透明性のあるセリ」を目指して参りたいと考えています。

 

最後に

 本年の上場馬名簿(図4)はブラックタイプの文字を例年よりも大きくするとともに、ブラックタイプと立ち姿写真を見開きページでご覧いただけるように改良しましたので、是非、お手に取ってご覧いただければと思います。

 

日高育成牧場 業務課  久米紘一

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図1:2022年BU上場馬の個体情報

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図2:大腿骨内側顆軟骨下骨嚢胞(SBC)所見のグレーディング


3_2 図3:SBCグレード別跛行馬の割合(過去7年間)

4図4:ブラックタイプと立ち姿写真を見開きページでご覧いただける上場馬名簿

2023年1月20日 (金)

厳寒期のサラブレッド育成に関する研究

 「強い馬づくり最前線」は、平成22年(2010年)1月から連載が開始され、今回で第300回目を迎えることができました。この連載が開始された頃は、日高育成牧場において‟生産から競走馬までの一貫した育成研究”が開始され、その第一世代がちょうど1歳馬になった年でもありました。この13年間、日高育成牧場では、生産したJRAホームブレッドや1歳市場で購買したJRA育成馬を活用して様々な育成研究や技術開発を行い、本紙面を通じてその成果を皆さまにお知らせしてまいりました。今回は、これから迎える‟北海道の寒い冬”をテーマにした研究成果と課題について述べます。

 

早生まれのサラブレッド

 長日性季節繁殖動物であるウマの特性を応用したライトコントロール(LC)法は、繁殖牝馬の非繁殖期から繁殖期への移行期に、人工的に光を照射して発情を早期化することによって受胎率を向上させる技術です。その結果、早生まれの子馬を生産することも可能になり、近年では誕生日が1月や2月のGⅠ勝馬も珍しくなくなりました。「早生まれ」と「遅生まれ」の成長や内分泌機能を比較した我々の成績では、子馬は、生まれ月に関わらず、長日期である5月~8月にかけて、1日当たりの体重増体量(ADG;kg)が相対的に高値となることや脳下垂体前葉から分泌される性腺刺激ホルモン(LH、FSHおよびプロラクチン)の分泌も高値になることが明らかになりました。このことは、生まれて間もない子馬の時期から、性ホルモン分泌の中枢である脳の視床下部-下垂体軸が日長時間の延長に反応していることを示しており、そのため、長日期には下垂体前葉から分泌される成長ホルモンの活性も高いと考えられます。これらの考え方から、以前はホームブレッドの出産時期を4月頃になるように計画していました。一方、生まれ月に関わらず、生後間もない時期の子馬は甲状腺ホルモンやコルチゾール値が高値を示すこともわかっています。このことは早生まれの子馬でも、寒冷ストレスに対して甲状腺や副腎が正常に機能していると考えられ、厳寒期においても、適切な飼養管理を実施すれば、子馬を問題なく成長させることができることを示唆しています。早生まれが増加している背景には、人気種牡馬との交配を早期に確実に行いたいなどの事情もあると仄聞しています。かつて、日本の「早生まれ」は活躍しないといわれていましたが、近年は情勢が変化しているようです。したがって、1月や2月の寒冷な時期に出産する母馬や誕生する子馬の飼養管理法の開発は新たな研究課題です(写真1)。

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写真1 早生まれの子馬の放牧風景

 

厳寒期の昼夜放牧

 放牧地が雪に覆われ気温が極めて低い北海道において、中期育成期の子馬の飼育管理方法の開発も重要なテーマです。13年前、我々は昼夜放牧を22時間継続する群(昼夜群)と7時間の昼間放牧とウォーキングマシン(WM)運動を1時間実施する群(昼W群)の生理機能を比較する実験を行いました。その結果、昼夜群は、耐寒のため体温や心拍数が低下するなど、副交感神経活動が優位になるとともに、寒冷時に体温を維持するなどの働きをもつ甲状腺ホルモンやコルチゾールの分泌を低下させて自らの代謝を抑制する冬眠に似た生体反応が生じることが明らかになりました。一方、昼W群ではWM運動によって昼夜放牧と同等の移動距離を確保することができ、さらに、成長ホルモンと同様に成長促進作用を有するインスリン様成長因子(IGF-1)や様々なアンチストレス作用を有するプロラクチンの分泌が促進されることも判明しました。プロラクチンは、寒冷などのストレス感作時に副腎に作用して、生体を防御する働きをもつ糖質コルチコイドの分泌を促すことが報告されています。異なる実験になりますが、日高育成牧場に繫養する4歳のサラブレッド種雄馬を用いてトレッドミルによる運動負荷を加えた研究では、運動強度に応じて成長ホルモンの血中濃度が上昇し、運動後もしばらく一定の濃度が維持されることが明らかになり、集中的な運動は成長に良い影響を及ぼすことが示唆されました。現在、我々は初期から中期育成期においては、自然に近い環境で飼育する観点から、冬期の昼夜放牧に関する研究を継続しています(写真2)。昼夜群のデメリットを昼W群のメリットで補うことができるように、寒さ対策としてシェルター設置や馬服の着用、冬期の代謝や成長を促すためのWM運動を継続しながら、現在もデータを集積しています。

 

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写真2 厳寒期の放牧風景

 

温暖地での二元育成

 JRAでは冬期に寒さが厳しい日高育成牧場(日高)と冬期に穏やかな気候の宮崎育成牧場(宮崎)の2ヶ所で後期育成に関する研究を行っています。過去10年間の後期育成期の体重、体高、胸囲および管囲の成長率を日高と宮崎で比較したところ、すべての指標において雌雄ともに宮崎の方が冬期の成長率が高値でした。その理由は、冬期の気候が穏やかな宮崎では、寒さの厳しい日高と比べて後期育成期の成長停滞が少ないためであると考えられています。生殖機能に関連した内分泌ホルモンの分泌濃度等を比較すると、宮崎は日高と比べて性腺刺激ホルモンや、精巣や卵巣などの性腺から分泌されるステロイドホルモンが早期から分泌を認め、雄では成長促進ホルモンである血中インスリン様成長因子(IGF-1)の濃度が早期に高値となることも判明しました。宮崎では冬季の日長時間の長さから性腺の賦活時期が早いことがその理由として推察されています。さらに、日高と宮崎の調教強度を概ね同程度に設定しているにもかかわらず、宮崎の雄では、筋肉量の指標である除脂肪体重の増加率が高値であったことから、宮崎は冬期に効果的なトレーニングを実施することができる気候である可能性が示唆されました。すなわち、北海道で生産し初期~中期育成を行ったサラブレッドを冬期に温暖な地域で後期育成する「二元育成」の有効性が示されました(写真3)。

 

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写真3 宮崎の調教風景(12月)

 

北海道の後期育成馬に対するLC法

 冬期に気温が低くなる日高では、宮崎と比較すると冬期の成長が停滞しやすいことから、トレーニング負荷によって、未成熟な若馬に特有な深管骨瘤などの筋骨格系疾患(MSI)が発症しやすいと考えられ、競走馬としてのデビューが遅れることが危惧されます。そこで、冬期の成長抑制に対する改善策として、日高の後期育成馬に対して、繁殖牝馬で実施されているLC法を1歳12月から2歳4月中旬まで実施したところ、雌雄ともに、1月下旬から性腺刺激ホルモンや性ステロイドホルモンの分泌が開始されるとともに、自然光下の宮崎と同様に成長が促進されることが明らかになりました。また、雌雄ともに除脂肪体重の増加が観察され、LC法の応用によって北海道においても冬期に十分なトレーニング効果が得られることも判明しました。

 

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写真4 日高の調教風景(12月)

 

体組成(筋肉量や体脂肪率)に関する研究

 近年、筋肉量の増加にはミオスタチンという筋肉内の物質が関与することが注目されています。また、成長ホルモンとインスリン様成長因子(IGF-1)、さらに、性ステロイドホルモンであるテストステロンとエストロジェンは、ミオスタチンの機能抑制に関与することで筋肉量の増加を促進すると考えられています。雄馬と雌馬を比較すると、雄馬は筋肉量が多く、体脂肪率が低いという性差も明らかになっていますが、テストステロンが分泌されない雌馬においてもトレーニングによって筋肉の増量が観察されることから、雌馬では筋肉量増加のメカニズムが雄馬と異なる可能性もあります。このように、後期育成期のサラブレッドの筋肉量増加におけるメカニズムについては不明な点が多く、今後のさらなる研究が必要と考えています。

 

最後に

 日高育成牧場の「世界に通用する強い馬づくり」を目指した研究や技術開発は、我国のサラブレッド生産と競馬が続く限り、永遠に続いていくものと考えています。今後の「強い馬づくり最前線」にご期待ください。

 

日高育成牧場 場長 石丸 睦樹

2022年12月14日 (水)

日高育成牧場における育成調教 ②競馬に向けてのトレーニング

 前号に引き続き、育成馬の調教について触れてみたいと思います。今号では競馬に求められる走行速度や走法などの走力の要素を向上させる「競走トレーニング期」についての考えをご紹介させていただきます。

 

1.競走トレーニング期とは

 競走トレーニング期は、競馬に求められる走行速度や走法などの走力の要素を向上させることが目的となります。

1)ピッチの強化

 ピッチの強化とは「単位時間当たりの歩数減少を抑制すること」であり、筋肉を動かし続けるスタミナを身に付けることで得られ、結果としてレース後半の疲労によるスピード低下の防止につながります。これには筋肉を動かし続けることが求められ、そのエネルギー源はATPであり、グリコーゲンがピルビン酸に分解される解糖系、および解糖系で産生されたピルビン酸を利用する有酸素系において産生されます(図1)。

Photo 図1. 解糖系と有酸素系によるATP産生

  • 速筋線維の解糖能および乳酸の利用

 筋線維には速筋線維と遅筋線維があり、速筋線維の方が解糖能に優れています。このため、解糖能を高めるには速筋線維を鍛えることが有効であり、人では呼吸が上がって苦しくなる程度の運動が必要とされています。解糖能の上昇により乳酸産生量が高まると、乳酸がピルビン酸に変換され、ミトコンドリア内での有酸素系のATP産生も高まりますつまり、解糖能が上昇すると解糖系と有酸素系の両方によるATP産生能が結果的に高まるということになります。これは競走馬も同様であり、競走トレーニング期の馬には、血中乳酸濃度が概ね10mmol/Lを超える運動負荷によって効果が得られると考えられています。

  • 解糖能の上昇とアドレナリン分泌

 運動強度が上昇すると、解糖系によるエネルギー産生が必要となるため、交感神経優位の状態になり、アドレナリン分泌によって心拍数および血液循環量が増加します。アドレナリンは馬では恐怖や不安などのストレス状態下において、その状況から逃れるために身体や脳の機能を高める物質です。一方、過剰なアドレナリン分泌は、エネルギーの大量消費を誘発するため、体力を消耗しやすくなるのみならず、攻撃性や慢性的な疲労等を誘発する負の部分も有しています。

 馬は名誉心などなく、自ら苦しい調教を耐えようとしないため、競走馬の調教では交感神経と副交感神経のバランスを常に維持するように注意し、オーバーワークは避けなければなりません(図2)。このことが人のアスリートとは比較できないくらい競走馬の調教の運動量が少ない理由と考えられています。

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図2. 交感神経と副交感神経のバランスが重要

  • ミトコンドリア内のATP産生能と母系遺伝

 ミトコンドリアDNAは受精の過程で母親のミトコンドリアのみが子に受け継がれると考えられています。つまり、有酸素能力に大きく影響を及ぼすミトコンドリアの質は、母親の質に左右されるため、調教によって向上するミトコンドリア内のATP産生能は先天的にある程度決まっているものと推測されます。このことがサラブレッド競走馬において、母系の血統が重要視される理由のひとつであると考えられています。

2)ストライドの強化

 ストライドの強化に関連する重要な要素は、陸上でもストライドと強い相関関係を持つ着地直前のスイング速度です(写真1)。つまり、後肢を前方に大きく振り上げて、着地に向けて肢を引き戻してスイング速度が上がることによって、着地の瞬間に働く地面からの制動力が抑制されて推進力が維持され、結果としてストライドが伸展すると考えられます。

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写真1. 後肢から繰り出される運動エネルギーは踏込よりスイング速度が重要

2.育成調教における騎乗者の役割

 競馬では馬7:騎手3という言葉がありますが、これは競馬における馬と騎手の重要度の比率を意味しており、競馬での騎手の役割は、馬の能力には及ばないと考えられています。一方、日々の育成調教においては、騎乗方法によって、柔軟性やランニングエコノミーを向上させることが可能となることもあるため、その概念について説明します。

1)項靭帯の伸展を利用した騎乗

 項靭帯とは頭蓋骨の後面からキ甲まで走行する靭帯であり、キ甲から仙骨に走る棘上靭帯と連続しています(図3)。そのため、項靭帯が伸展すると前躯と後躯が連結して、全身を使用したランニングエコノミーの向上が可能となります。

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図3 項靱帯は棘上靱帯に移行して前後を連結する

2)ハミを利用した項靭帯の伸展

 項靭帯を伸展させるためには、頭頚の位置を一定に維持するハミ受けという技術が不可欠です。ハミ受けによって頭頚が固定されて項靭帯が伸展し、後躯から発生したエネルギーが項(うなじ)を頂点とした項靭帯に蓄積されます。その蓄積されたエネルギーの一部は前肢を高く上げることに利用され、結果として踏着前のスイング速度が高められます。これにより、前肢の着地が遅延するとともに地面との接地時間の短縮が可能になり、着地による制動力が最小限に抑制されます。また、項から棘上靭帯を通して腰部と連結している項靭帯に蓄積されたエネルギーは、しなった釣竿のように骨盤の沈下を生み出します。これによって後肢が大きく前方に振り上がり、後肢のスイング速度も上昇するため、ストライドが大きくなり、走行速度も上昇します(図4)。

 

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図4. 項靱帯の伸展による効率的な走行フォーム

 

3.最後に

 競馬というスポーツは、サラブレッドという種の育種、つまり「速く走る」という遺伝子を持つ個体を選抜する目的で行われているため、捕食者から逃れるという本能を発揮させなければなりません。一方、馬は名誉心などなく、自ら苦しい状況を選択しようとはしないと思われます。そのため、調教時には馬との意思疎通を図るために副交感神経を優位に、競走時にはより速く走らせるために交感神経を優位にというように相反する精神状態を巧みにコントロールする技術が不可欠となります。しかし、馬は機械ではなく意思を持つため、個体差が大きいのも事実です。このことが画一的な調教が困難である理由であるとともに、人馬一体を成し遂げ得た時の喜びが非常に大きく、古来、多くの人を魅了し、そしてこれからも多くの人を魅了する理由でもあるのだろうと考えています。

 

日高育成牧場 副場長 頃末 憲治

 

2022年12月 2日 (金)

日高育成牧場における育成調教 ①ブレーキング

 サラブレッド競走馬は1歳秋に「ブレーキング」とよばれる騎乗馴致を開始します。JRA日高育成牧場で実施している騎乗馴致に対する考え方について、今号と次号にわたってご紹介させていただきます。

 

1.調教のステージ

 サラブレッドは競走馬としての活躍を期待されてこの世に生を受けますが、本来、臆病であり人を乗せて走るまでには様々なステップを経なければなりません。そのため、育成期のステージは騎乗するまでの「初期調教期」、基礎体力を養成する「基礎トレーニング期」、競馬に求められる走行速度や走法などの走力の要素を向上させる「競走トレーニング期」の3期に分けて、段階を踏んで調教を実施しなければなりません。

 

2.初期調教期

 初期調教期は馬に人を乗せることを許容させることを目的に実施します。馬は運動する際にバランスが崩れると不安に陥ります。騎乗を許容させるには、騎乗者は馬上でバランスを崩さずに馬の動きに同調、つまり騎乗者自身の重心と馬の重心とを一致させなければなりません。直線運動時には騎乗者は比較的容易に重心を一致させることができますが、回転運動時に人馬の重心を一致させることは容易ではありません。その理由は、人は回転運動の際には、自転車で回転する時のように進行方向に腰を回転しますが、馬は頭頚を外側上方に向けて馬体を内側に倒して回転する習性があるためです。つまり、回転時に人と馬は本能的に相反する態勢をとることが原因となります。

 
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写真1.馬の自然な回転と内方姿勢での回転

 

 回転時に人馬の重心を一致させるためには、騎乗者が自転車を操作する時のような姿勢での回転が可能となるように、馬に内方姿勢と呼ばれる体勢を取らせて回転させることを教える必要があります(写真1)。そのためには、ランジングやドライビング調教が非常に有効であり、これらのプロセスを総じてブレーキンと呼んでいます。なお、ブレーキングとは騎乗時に手綱を引いて馬が止まるブレーキ(brake)を馬に教えることではなく、それまで群れでの放牧によって培われてきた馬社会の約束事を壊す(break)ことであり、新たに人と馬との約束事を構築することを意味します。ブレーキングは、決して人が力任せに馬を屈服させることではなく「馴らして目標とする状態に至らしめること」であり、馬に人の要求を強要させるのではなく、馬が人の要求を自ら行うように仕向ける姿勢が重要です。その原理原則は、人が馬に対して何かを要求する指示(プレッシャー)を与え、そのプレッシャーから馬が逃げる方向が、人が要求するものと一致するよう馬を導くことです。人の要求が達成された際には、持続して与えていたプレッシャーを即座に解放(オフ)してあげることで、馬は楽になれることを理解します。つまり「プレッシャーオフ」とは馬が要求に応じた際、即座に声をかけたり愛撫をしたりして褒めることともいえます。馬は草食動物であるので、危険あるいは不快なもの(プレッシャー)からは回避すると同時に、同じ場所にとどまって草を食べる安住の場所(プレッシャーオフ)を求めています。ブレーキングでは、この習性を利用することが非常に重要となります。

1)遠心運動を利用したランジング調教

 ランジングにおける円運動では遠心力が生じるため、馬はバランスを維持しようとして、手綱が連結した内側のハミを支点として頭頚を少し内側に向けて馬体を湾曲させます。これこそが騎乗者が回転時に人馬の重心を一致させやすくなる体勢であり、円運動を行う最大の利点は、馬にこの内方姿勢に近い状態でのバランス維持を習得させることが可能となる点といえます(写真2)。

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写真2. 遠心力を利用したランジング

2)ドライビング調教

 ドライビング調教とはハミに連結した2本の長い手綱を馬の後方で馬車のように操作して、騎乗する前に開き手綱による回転やハミと口角との間に遊びのスペースを設けてハミに頼ることなく馬自身によるバランスで運動することを教える調教方法です(写真3)。前述のランジングで教えた内方姿勢での左右両側の回転のみならず、前進や停止など騎乗時と同様の合図を騎乗することなく習得させることを目的にドライビングを実施します。つまり、騎乗時と同一の扶助で馬を操作し、騎乗後にも一貫した扶助で馬を操作することによって馬に混乱を生じさせないことが安全な騎乗へとつながります。

 開き手綱の理解や重心移動の習得を目的に、ドライビングによるスラロームや8の字運動などで手前変換を行う際には、前進気勢と馬自身によるバランスを維持した体勢(セルフキャリッジ)の維持に留意しなければなりません。特に、前進気勢の重要性はどれほど強調してもし過ぎることはありません。例えるなら、止まっている自転車のハンドルをいくら動かしても曲がれないのと同様で、ドライビングにおける馬の前進気勢は絶対条件となります。そのためにも前進気勢が維持しやすく、さらに、重心のブレが少ない速歩の方が常歩よりも容易に実施できます。

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写真3. ドライビングによる左右の内方姿勢

 

3.基礎トレーニング期

 基礎トレーニング期は騎乗による基礎体力の養成を目的に、キャンターでの調教に多くの時間を費やさなければなりません。しかし、初期調教を終えたばかりの馬は、未だ騎乗者の荷重に慣れておらず、バランスの維持が困難な状態にあります。そのため、キャンターでの調教を実施する前に、騎乗した状態で放牧地における馬自身によるバランスを維持した体勢を習得させる必要があります。

 キャンターでのセルフキャリッジを習得させるためには、人馬の重心の一致を図ることを目的として、騎乗者には馬の重心に近い鐙上にバランスを維持する技術が求められます(写真4)。また、セルフキャリッジは馬の重心の移動や頭頚の動きが少ない速歩でより習得しやすいことから、速歩調教を繰り返し実施した後にキャンターでの調教に移行することが非常に重要です。また、この時期には競馬の要素として不可欠な群れでの走行に慣らすことも重要となります。

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写真4. 馬の重心と鐙の位置の関係

参考動画
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日高育成牧場 副場長 頃末 憲治

育成期の運動器疾患

はじめに

 多くの育成場では、育成馬の騎乗馴致を開始している頃だと思います。トレセンや競馬場に移動するまで順調に調教が進む場合もあれば、疾患の発症によって休養を余儀なくされる場合もあるでしょう。今回は皆様の悩みの種となる育成期における運動器疾患について紹介させていただきます。

 

離断性骨軟骨症(OCD

 軟骨内骨化の過程に異常をきたす疾患で、関節軟骨の糜爛や剥離を生じさせる骨端骨化異常と考えられています。好発部位は球節、肩関節、飛節、膝関節であり、特に飛節でよく認められます。跛行等の臨床症状を認めることが少ないため、セリ上場に際するレポジトリー検査のX線撮影時に偶発的に発見されることがほとんどです。なお、X線検査で所見を認めていても無症状であることが多く、これらの場合は育成調教および出走に影響を与えることは少ないと考えられています。JRA育成馬を用いた調査においても、飛節のOCDを認めた馬と非OCD馬の出走時期および出走回数に有意な差は認められませんでした。一方、OCDに起因する跛行が継続する場合には、関節鏡による骨軟骨片の摘出手術が必要となることもありますので注意が必要です。

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図1.飛節(距骨滑車外側稜)のOCDのX線所見

  • この馬は育成期間中を通して症状を示さず2歳7月に出走

 

軟骨下骨嚢胞(ボーンシスト)

 関節軟骨の下にある骨の発育不良により発生する骨病変で、栄養摂取や成長速度のアンバランスなどの素因がある子馬において関節内の骨の一部に過度の物理的ストレスが加わることで発症すると考えられています。好発部位は前肢の球節、指骨間関節、肩関節、膝関節であり、前述のOCDと同様にセリ上場に際するレポジトリー検査のX線撮影時に偶発的に発見されることがほとんどです。骨嚢胞が認められても、調教に支障をきたさない場合もありますが、特に膝関節の軟骨下骨嚢胞に起因する跛行などの臨床症状が認められた場合は、長期休養が必要になることもあります。治療としてはステロイド投与、シスト領域へのスクリュー挿入や掻把等があります。

 

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図2.大腿骨内側顆における軟骨下骨嚢胞のX線所見(グレード1~4)

 

近位繋靭帯付着部炎(深管骨瘤)

 繋靭帯と第3中手骨の付着部位における炎症の総称です。原因として繋靭帯の役割が関わっていると考えられています。馬が走行する際には球節が沈み込み、繋靭帯はそれを元の位置へ戻そうと球節を上に引っ張り上げる役割があります。そのため、繋靭帯付着部では下へ引っ張る強いテンションがかかることによって炎症が起こります。

 軽度~中程度の跛行を示し、患部の触診痛や熱感を伴うこともありますが、触診痛を示す症例は少なく、さらにX線検査や超音波検査といった画像診断で異常所見を認める症例も多くありません。そのため、所見が認められない場合には、局所麻酔による跛行改善を確認することで確定診断を行います。軽傷であれば比較的早い調教復帰も可能ですが、再発例も多く認めることから、慎重なリハビリを行うことが重要です。

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図3.赤丸内が繋靭帯付着部

 

ウォブラー症候群(腰フラ)

 頸椎脊髄の圧迫に起因する運動失調を示す疾患で、主に後肢で多くみられます。発症時期は4~24ヶ月齢、特に生後4~8ヶ月齢と14~18ヶ月齢の二峰性の好発時期があると考えられています。サラブレッドの発症率は1.3~2.0%といわれており、牡馬は牝馬よりも発症率が高いという調査結果があります。発症原因は遺伝や栄養バランス、成長障害、外傷などが考えられており、診断方法としてはX線検査やCT検査があります。予後は悪く、発症後に運動失調が進行する場合が多く、重症例では起立不能となります。軽症例では、抗炎症剤の投与や馬房内休養、過度な成長を抑制するために飼料給与量を75%に制限した食餌管理法を実施することで症状が改善される場合がありますが、根本的な治療にはならないことがほとんどです。

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図4.第3頸椎の脊椎管狭窄部位のX線所見(この狭窄が主に後肢の運動失調を誘発)

 

最後に

 早期発見が重要になってきますので、歩様の異常、下肢部の腫脹、関節液の増量など些細な変化を見逃さず、日々チェックやケアをしていくことが不可欠です。

 

JRA日高育成牧場 業務課 久米紘一

2022年9月30日 (金)

1歳セリのレポジトリー検査について(X線検査)

 1歳馬のセリシーズンを迎えるにあたり、「レポジトリー検査」に関して2号にわたりご紹介させていただきます。すでに広く浸透しておりますが、レポジトリーとは、馬のセリにおける上場馬の医療情報開示のことを示します。レポジトリーの活用により、外見上では判断できない情報、例えば骨・関節の状態をX線検査画像として、喉の状態を内視鏡動画として、それぞれ確認することが可能になります。

 今回は骨・関節の状態確認の手段にあたるX線検査についてご紹介いたします。X線検査は何気なく行っているような印象をもたれがちですが、質の高い画像を撮影するためには注意しなければならないポイントがございます。

ポイント1:撮影の角度(照射角度)

 レポジトリー画像撮影時に何度も撮り直す。そんな場面に遭遇したことはありませんか?剥離骨片を評価することの多い球節、軟骨疾患である離断性骨軟骨症(OCD)を評価することの多い飛節など、所見を正しく評価するためには関節面を重なりなく描出することが求められます(図1)。撮影器機の角度調整はもちろんですが、馬の駐立姿勢の微調整は質の高い画像撮影に不可欠です。馬の保定にご協力いただく際は、検査する肢がなるべく地面に対して垂直になるよう、また馬体が動かないように負重を促すなどサポートしていただけるとより円滑な撮影が可能になります。

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図1:関節面が重なっていない像(左)と重なっている像(右)(球節)

ポイント2:画像のブレ

 皆さんがX線検査を受ける身近な機会は、健康診断、はたまた歯科検診などでしょうか?「動かないでくださいね。」とはよく耳にするフレーズかと思います。X線画像検査において、馬のわずかな動きは検査画像の質を損なう原因となります。画像がブレてしまうと、軟骨疾患である骨嚢胞など白黒の階調の違いで評価する所見は途端に判別困難となります。後膝関節の屈曲外―内側像などは股の間にカセッテを差し込み、かつ検査肢を持ち上げて保定し、撮影を実施します。これらの部位は特に馬・カセット保持者・検査肢保定者の動きとブレやすくなる要素の多い撮影箇所であることから、息を合わせた撮影が求められます。馬の反応に合わせて、鎮静剤による化学的保定、鼻捻子による物理的保定を併用することで、人馬とも安全にかつブレの少ない撮影が可能となる場合があります。また、馬の呼吸のタイミングもわずかなブレにつながることもあり、撮影者はよくよく人馬の動きを観察して撮影を実施しています。

 X線検査画像の撮り直しはわずらわしいかと思いますが、検査所見を正しく評価するためには、質の高い検査画像が必要となります。購買者が正しく評価できるX線検査画像の提出のため、上記のポイントも念頭にご協力いただければ幸いです。

 レポジトリーに提出されるX線検査画像はどのように評価されているかご存じでしょうか?過去に実施した調査から、撮影部位によって好発しやすい所見が明らかにされており、その知見をもとに評価されています。画像を見る際は、好発部位の理解はもちろんですが、骨の輪郭をひとつずつなぞって確認することをおすすめします。剥離骨片などは比較的わかりやすく、関節面や骨の辺縁などに欠片のように描出されます(図2)。似たような所見として描出されるのが、骨の成熟する過程で生じる離断した骨軟骨片です(図3)。飛節、膝関節などの骨の辺縁、端を観察してみると所見が認められることがあります。これらの所見を保有していても症状を示さず、問題なく調教を進めることができる馬が多くいます。一方で、骨片・軟骨片保有部位の関節液が増加する、熱感を帯びるといった関節炎症状を示す場合には、跛行の原因となることもあります。レポジトリーでこれらの所見を認めた際は、実際の馬を見て、関節の腫れ・熱感や跛行などの症状の有無を確認するべきと思われます。欠片ではなく、X線透過領域(黒い色調)として描出されるのが、軟骨部の障害に起因する骨嚢胞です。辺縁でドーム状に認められるもの(図4)、関節面付近で丸く黒く抜けたように見えるもの(図5)があります。大腿骨内側顆は骨嚢胞の好発部位であり、嚢胞の大きさや位置により調教を進めていく過程での跛行のリスクが異なります。触診しづらい箇所でもあり、調教が始まるまでほとんど跛行しないため、レポジトリーでの検査所見の評価をあらかじめ実施しておくことで、歩様に違和感が生じた際の早期対応につながるかと思います。

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図2:第1指骨近位の剥離骨片(辺縁は丸く陳旧性と思われる)

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図3:大腿骨外側滑車稜の離断性骨軟骨片

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図4:大腿骨内側顆に認められたドーム状の骨嚢胞(黒い窪みとして描出)

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図5:球関節面に認められた球状の骨嚢胞

 レポジトリーに提出されるX線検査画像は、骨・関節の状態を確認することができる有用な情報です。撮影された画像に何かしらの所見を認めることも少なくありませんが、これらの所見は必ずしも将来の跛行につながるわけではなく、臨床所見を伴うものでなければ競走能力に大きく影響を及ぼすものではないと考えております。また、万が一症状を認めた場合でも、早期発見・早期治療で改善を見込める所見もありますので、常に馬の状態を観察することが重要です。最後になりますが、愛馬の状態を確認するひとつのツールとして、レポジトリーのX線検査の機会を有効に活用していただければと思います。

日高育成牧場 業務課 瀬川晶子

2021年11月22日 (月)

競走馬の長距離輸送について

 国内における馬の輸送は、周知のとおり主に馬運車というトラックで行われます。競馬開催のためや近隣の種馬場までの輸送なら数時間程度ですが、休養のために本州から北海道の牧場まで輸送するなど、長時間の輸送が必要な場合もあります。このような場合に、馬の健康を害さないように輸送するためにはどのようなことに気を付けるべきなのでしょうか。

輸送後に頻発する発熱(輸送熱)に注意

 輸送に際して最も問題となるのは輸送熱です。輸送熱は輸送のストレスなどが引き金となって起こる発熱で、細菌感染が重症化すると肺炎を起こす極めて注意が必要な疾患です。輸送熱の主な病原菌は、馬の気道に常在している(常にいる)細菌であることが知られており、輸送による疲労やストレスにより馬の免疫機能が低下することで、感染が成立して発症すると考えられています。また、誘因の一つとして、輸送中に排出された糞尿による空気の汚染も挙げられます。馬運車内の空気中に糞尿由来のアンモニアなどが充満すると、普段問題とならない細菌に感染しやすくなってしまうのです。

 過去の調査により、輸送が20時間以上かかると輸送熱の発症率が大幅に上昇することが分かっています。これを予防するために、輸送前の抗生剤投与などが行われ、大きな成果が出ています。一方で、抗生剤の副作用で腸内細菌が悪影響を受ける可能性があり、これが一因と疑われる腸炎の発生も確認されています。

 JRAの育成部門では、毎年北海道の1歳セリで購買した馬をJRA宮崎育成牧場まで、所要時間にしておよそ40時間以上かかる輸送を行っています。この環境を利用し、抗生剤投与以外の方法で、いかに輸送熱を予防するかを目的とした研究を行ってきました。そこから得られた知見をいくつかご紹介いたします。

※現在は中継地点で1泊休憩を入れるスケジュールで輸送しています

車内環境を整える

 馬運車内の空気中の細菌やアンモニアなどの有害物質を除去する目的で、次亜塩素酸水の噴霧を行う実験をしました。次亜塩素酸水は近年の新型コロナウイルス対策で手の消毒などにも用いられている消毒薬です。その結果、次亜塩素酸水を噴霧した馬運車では、空気中のアンモニア濃度と細菌数が減少することがわかりました(写真1)。また、輸送後の鼻腔スワブ(鼻の中の拭い液)にいる細菌の数も噴霧群のほうが少なかったことから、空気をきれいにすることは輸送熱の予防に有効であると考えられました。消毒薬を使用しなかったとしても、馬運車内の換気を十分にし、新鮮な空気に入れ替えることが重要だと思われます。

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 写真1:空気中の細菌数は次亜塩素酸水噴霧群の方が対照群よりも少なくなった

中継地点での休憩は効果あり

 輸送中の馬は、揺れるトラックの荷台に繋がれ、立ったまま過ごします(写真2)。そのため、肉体的な疲労や精神的ストレスにさらされ、非常に過酷な状況であるといえます。そこで、北海道から宮崎までの中間地点で馬を下ろし、馬房内で一晩休ませた時の反応を調べました。ストレスがかかると上昇する指標である、血中コルチゾール濃度を調べたところ、休憩の前後でコルチゾール濃度は明らかに下がり、ストレスが軽減していることがわかりました。また、血中の免疫細胞の数も休憩前後で増加したことから(図1)、輸送熱の原因菌への抵抗力が上がり、感染症にかかりにくくなる効果もあると考えられました。

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写真2:輸送中の馬は立ったまま馬運車に揺られている

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図1:休憩前後で免疫細胞数は増加した

 以上のように、輸送中の車内環境を改善すること、そして馬の疲労やストレスを軽減することは健康な状態で馬を輸送するために重要なことであると言えます。先ほどの例のように、日本を縦断するほどの長時間輸送をする機会は少ないかもしれませんが、長い時間輸送する場合にはできるだけ疾病リスクを下げられるよう心がけましょう。

日高育成牧場 業務課 竹部直矢

2021年10月 5日 (火)

JRAホームブレッドの馴致

 今回は、日高育成牧場でJRAホームブレッドに対して行っている馴致について、中でも特に1歳秋にブレーキングを行う前までの当歳から1歳夏にかけての馴致の内容についてご紹介したいと思います。

母子の引き馬

 引き馬の躾は生後翌日から開始します。日高育成牧場では一人で母子を保持するやり方を行っています。将来的に「子馬を左側から引く」ことを教えるため、位置関係は「人の左に母馬、右に子馬」としています(図1)。左手で母馬のリード(引き綱)を保持し、右手で子馬の左側から頚をかかえるようにします。このようにして子馬の左肩の位置に人がいる「引き馬の位置関係」を教えます。特に生後2ヶ月までの間は、頚部へのダメージを防止するため、子馬にはリードを使用しません。

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図1. 人の左に母馬、右に子馬の位置で母子を引く

駐立の練習

 将来的に検査者の前で馬の左側を向けた左表(ひだりおもて)で四肢が重ならないように立たせることができるように、写真撮影などの機会を通して駐立の練習を行っています(図2)。最初は前後に人が立ち、プレッシャーとその解除により前進後退を行いながら、馬を人に集中させます。まず軸肢(左前肢と右後肢)の位置を決めます。左前管部を地面に対して垂直にし、軸を動かさないまま馬を前後に動かして右前肢と左後肢の位置を決めます。馬の立ち位置が決まったら保持者は後退し、リードを緩めます。馬の接近および前傾姿勢を回避するため、後退する前に人馬の距離を保持するためのプレッシャーをかけます。周囲に人がいない状況できちんと駐立できるようになったら、場内見学バスツアーなどの機会を通して人に囲まれている場面でも同じことができるように慣らしていきます。

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図2 写真撮影を通して駐立の練習をする

離乳後の馴致

 離乳後は母馬の存在がなくなるため、子馬が精神的に不安定になります。人間が子馬のリーダーであることを再認識させるとともに、人馬の1対1の関係を強化する上で大切な時期となります。集放牧の際に前の馬と一定の距離をとって歩かせることで、周囲に他の馬の姿が見えなくなっても鳴かない馬を作ることができます。また、ビニールシートを通過させるなどの機会を設け、人が課題(ビニールシートの通過)を与えてプレッシャー・オンの状態にし(リードを引く)、それに従えばプレッシャーはオフになる(リードは緩められる)ということを繰り返すことで人の指示に従うことを教え(図3)、人馬の1対1の関係を強化することができます。

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図3 ビニールシートを通過させることで人の指示に従うことを教える

“インディペンデント”な馬を作る

 馴致を通して、騎乗せずに「人が馬のリーダーとなること」や「人馬の信頼関係」を教えることが可能です。このため、集放牧を躾の機会と捉えて、普段からこれらを意識した引き馬を繰り返し実施することが重要です。子馬の引き馬で重要なことは、「人の指示に従って歩くこと」と「子馬自身のバランスで歩くこと」の2点です。「自身のバランス」とは、子馬が歩く際に「引っ張られたり、押されたりしない」状態であり、人間の指示に従った上で馬自らが意思を持って歩くということです。言わば“インディペンデント(独立した、他に頼らない)”な馬を作るということで、このことができていればブレーキングが始まった後、非常にスムーズに調教を進めることができます。

 日高育成牧場では、以上のような点を心掛けて日々ホームブレッドの馴致を行っています。今回の記事が、皆さんの愛馬の管理に少しでも参考になりましたら幸いです。

JRA日高育成牧場 専門役 遠藤祥郎