その他 Feed

2021年8月31日 (火)

人馬の信頼関係の強化:鈍化編 ~リトレーニングプログラムの応用~

はじめに

 昨年10月の馬事通信「強い馬づくり最前線第249回」では、馬の『パーソナルスペース』を活用した『駐立』調教についてご紹介させていただきました。今回は、様々な『刺激』に慣らすと同時に『刺激』を区別することを教える『鈍化:Desensitization』についてご紹介します。

 

鈍化(Desensitization)とは?

 『鈍化:Desensitization』とは、馬が怖がるような不快な『刺激』を受けても、恐怖心を克服して常に平静を装うことを教えるトレーニングです。しかし、『鈍化』は馴化(じゅんかHabituation:刺激に馴らす作業)とは異なります。『馴化』だけを実施すると、人がどんなに働きかけても動かない、鈍感なだけの馬になってしまいます。『鈍化』は、突然の物音等の『感じてほしくない刺激』には動じず、扶助や合図などの『感じてほしい刺激』には敏感な馬を育てるための調教です。

『馴化』の調教法

 馬は、不審(不快)な『刺激』を察知したら即座に逃げる生き物です。逃げることで身を守りますが、いつまでも逃げ続けるわけではありません。危険から逃げ続け、疲れ果ててしまっては新たな危機に対応できません。しばらく逃げたら立ち止まって安全を確認します。『馴化』は、馬が『逃げた後に立ち止まる』習性を利用します。『馴化』に際して、我々は釣り竿に括り付けたビニール袋(写真①)を利用します。釣り竿を振ってビニール袋を揺らすと馬は逃げます。逃げるのは身を守るための当然の行動であり、悪いことではありません。無理に抑えずに馬と一緒に動きながらビニール袋を揺らし続けます。立ち止まったら即座に止めて『刺激』を“Off”にし、馬を誉めます。もう一度同じ様に揺らしても、馬は最初ほど驚かず、逃げてもより短い時間で立ち止まります。同じことを繰り返すうちに、『刺激』を受けても我慢(駐立)を選択するようになります。このような刺激に馴らすためのコツは、一定のリズムで動かし続けることです。また、小さな刺激から徐々に馴らしていくとよいでしょう。最初はビニール袋のみを手で保持して馬体を触ることから馴らすと容易かもしれません。

Photo_15

写真①釣り竿に括り付けたビニール袋による馴化

 ビニール袋を用いた馴化で大切なことは、『刺激』を“Off”にすることで馬を止めるのではなく、馬が止まったら “Off”にすることです。“Off”のタイミングを間違えると、馬は『逃げれば刺激から解放される』と誤解してしまい、リアクションは変わらないか、より大きくなります。怖がる『刺激』や嫌がるポイントは、馬によって異なります。ビニール袋は我慢できても、ビニール傘やブルーシートを怖がる馬もいます。また、馬体の左から受ける『刺激』は我慢できても、馬体の右側や顔の周り、下肢周辺、後方からの『刺激』を我慢できない馬はたくさんいます。『刺激』の種類や敏感な部位に違いがあっても、トレーニングの要領は変わりません。『リーダー』である人から不快な『刺激』を受けても、立ち止まって我慢すれば “Off”にしてもらえることを理解させます。このようにして『刺激』と『反応』を結びつける(条件づける)手法を、心理学では『負の強化』と呼びます。

『鈍化』への発展

 先ほどもお話しした通り、『馴化:負の強化』のみでは鈍感なだけの馬ができてしまいます。動じない、しかし『リーダー』の合図には敏感に反応する馬を作るためには、『刺激』を区別することを理解させなければなりません。文章にすると難しく感じますが、調教方法は単純です。『馴化』のトレーニングの合間に、グラウンドワークによる停止・発進、パーソナルスペースを利用した働きかけを織り交ぜます。『感じてほしくない刺激』を与えて我慢させたい時には『ホー』などの馬を落ち着かせる音声扶助を、発進の合図などの『感じてほしい刺激』を与える際は舌鼓などを併用するのも効果的です。

 セリ会場のような、初めて訪れる場所で馬を落ち着かせるのは大変です。しかし、『鈍化』がマスターできるような信頼関係が構築できていれば、グラウンドワークの手法で馬の注意を『リーダー:人』に集中させることも、馬が怖がる『刺激』に短時間で慣らすことも可能だと思います。

終わりに

 JRAでは、人馬が理解し易い『簡易なリトレーニング手法の普及』を目的として、昨年6月に“引退競走馬のリトレーニング指針(サラブレッドの理解とグラウンドワーク)”という冊子を作成しました。これまで4回にわたって紹介した内容は、全てこの冊子に基づいています。リトレーニング指針の基本理念は、馬の生活や思考様式を理解し、人が要求することを馬に“問いかけ”、馬自身に“回答を導き出させる”、つまりは『馬の視点』で問題の解決方法を考えることです。このようなアプローチは、馬の品種や年齢、性別に関係なく有効だと考えています。冊子に興味をお持ちの方は、下記までご連絡下さい。

 馬事公苑 宇都宮事業所 ☎028-647-0650(月・火曜定休)

馬事公苑 診療所長 宮田健二

 

2021年8月30日 (月)

ブリーズアップセールを振り返って

 昨年のJRAブリーズアップセール(BUセール)は、コロナの影響によるメール入札方式というイレギュラーな開催方式であったうえ、様々な制限で購買者が直接馬を見る機会が限られていたセールでしたが、本年のBUセールは、購買関係者が馬を見る機会を確保したうえで、セリ会場でのせり上げとオンラインビッドを組み合わせた「ハイブリッド方式」で開催しました。本年度最初に開催される国内セールということで、後続のセールに及ぼす影響もあることから「購買関係者に直接馬をご覧いただき、セリ会場でセリを行いたい」という強い思いで各種の感染症対策を行いながら運営にあたりました。売却成績や注目馬については、これまでの馬事通信内でも紹介されていますので割愛いたしますが、今回のセールについてセール運営者の立場からキーワードとともにご紹介いたします。

オンラインビッド

 BUセールではコロナ感染症対策や購買者の利便性を考慮して、初めてオンラインビッドを併用しました。民間の競走馬オークションサイトで行われているような複数頭を同時進行でせり上げるインターネットオークションとは異なり、鑑定人が会場とオンライン双方のビッドを捌きながら進行するハイブリッド方式で行いました。「遠隔地からでもリアルタイムでセリに参加できる」ことが大きな特長です。遠隔地からのオンラインビッド導入は今回のBUセールが国内で初めてでしたが、事前の準備やテストを行っていたこともあり大きな混乱もなく、セリ総参加者の半分近い方々に利用していただきました。オンラインによる落札頭数も全体の3割を超える数字となりました。

 今後のインターネットオークションやオンラインビッドの活用は、コロナ対策としてはもとより、様々な理由でセリ会場に足を運べない購買者にとって利便性向上につながるのではないかと期待されます。

pastedGraphic.png pastedGraphic_1.png

2021年ブリーズアップセールの成績(ビッド方式別)

跛行(深管骨瘤)による欠場

 ブリーズアップセールは「徹底した情報開示」と「わかりやすいセール運営」を目指しています。「現時点で今後の調教や競走に耐えうると判断された馬」という上場基準のもと、育成牧場の獣医職員だけでなく本部やトレセンの獣医職員など複数の眼で上場の可否の判断や調教進度遅れ(スピードを抑えた騎乗供覧を行い上場する馬)の判断をおこなっています。本年も上場候補馬84頭のうち11頭に欠場、8頭に調教進度遅れの判断を行いました。

 本年に限らず毎年欠場の理由として多いものは「跛行」で、その原因の半分近くが「深管骨瘤(シンカン)」によるものです。膝ウラの繋靭帯の近位付着部に生じる炎症で、発症時期によってはセールを欠場せざるを得ず、育成馬にとっては一生を左右しかねない悩ましい疾病の一つです。適切な休養を行うことで回復しますが、トレーニングセール上場を目指す民間の育成牧場の方々も同じような悩みを抱えているようです。若馬にいかに故障をおこさずに効果的なトレーニングを課していくのかということは、育成に携わる者として解決すべき課題だと認識しています。

コンソレーションセール

 本年の新しい取り組みとして、BUセールの約1か月後に「コンソレーションセール」を開催しました。昨年は北海道トレーニングセールが中止となったことなどもあり、昨年のBUセール未売却馬は状態が回復し調教が積めるようになってもセールに上場されることがありませんでした。そこで、生産者の思いも背負っている馬たちを1頭でも競走馬にしたいという強い気持ちからこのプライベートセールを立ち上げました。このセールは、調教・常歩動画、四肢X線・内視鏡画像、病歴等の個体情報をインターネットサイト上に情報公開した点はBUセールと同様ですが、「落札者の決定方法がインターネットオークション限定」という点で異なります。初めてのセールということに加え、馬を広く直接見ていただく機会がなかったことから、どのような結果になるか不安でしたが、上場した6頭全ての馬が競走馬になれるチャンスを得たことに感謝しています。

最後に

 この数年で社会のいろいろな場所で急速に進んだリモート化は、競走馬市場の情報公開の面だけでなく、売買にも活用され注目が高まっています。しかしながら、高額な競走馬のセリに関しては従来通り「購買関係者が直接馬を見て、会場でセリに参加する」スタイルのほうが望ましいと感じている方のほうが多かったように感じます。私も同感で、インターネットを活用しながらも、上場馬の周りに多くの関係者が集い賑わう競走馬セールが一日も早く戻ることを願っております。

pastedGraphic_2.png

(ブリーズアップセールのオンライン参加者のパソコン画面)

日高育成牧場 業務課長  立野大樹

JRA日高育成牧場における草地管理について

 サラブレッド生産牧場では、繁殖シーズンが終わるとすぐに、掃除刈りや草地更新といった草地管理が本格化する時期となります。JRA日高育成牧場でも、放牧地や採草地の管理を本格的に始めていることころです。今回は生産牧場で一般的に行っている草地管理について、簡単に解説していきたいと思います。

掃除刈り

 サラブレッドの放牧地では頻繁に採食される場所の草高は低くなり、採食されない場所は過繁茂(不食過繁地)となる傾向が他の家畜よりも強いことが知られています。特に、日本の生産牧場では放牧地面積が狭いことから、休牧期間のない連続放牧が行われて、草の多い場所と少ない場所の偏りがより顕著となります。そこで、不食過繁地を縮小して可食面積を増やすためにも、定期的な掃除刈りを行う必要があります。

 掃除刈りの際の草高は15cm程度が適当とされています。この草高を維持することで、草地が硬くなることを抑制できることが知られています。サラブレッドにとっての放牧地は、採食場所としてだけでなく、運動場所としての役割も担っていますが、硬い土壌が肢蹄障害を引き起こす可能性が示唆されています。そこで、放牧地の草量を維持することで、土壌表層に強固なルートマット(牧草根や地下茎が厚く集積した層)を形成させ、放牧地にクッション性を持たせることが、肢蹄障害を防ぐことにつながると考えられます。

 また、15cm程度での掃除刈りは雑草の侵入を防ぐ効果も期待できます。北海道の草地で一般的な草種であるチモシーは茎頂(生長点)よりも高い場所で刈り取られても、すぐさま再生する特徴があります。一方で、茎頂よりも低い部分で刈り取られると、その茎は再生不可能となります。その場合には新たな茎が発生することになりますが、7~10日程度の日数を要するので、その間に雑草が侵入する可能性があります。以上のことから、草高を15cm程度で刈り取ると、茎頂が残りチモシーが維持されることになります。このように、適切な掃除刈りを行うことには、様々な効果があります。

草地更新

 同じ草地を連続で使用することによる土壌成分の枯渇、牧草の栄養価低下、雑草の侵入などが問題となった場合には、草地更新を検討する必要があります。更新の客観的な判断材料として、JRA日高育成牧場では公益社団法人日本軽種馬協会(JBBA)が行っている事業を活用して、更新を予定している草地の土壌分析を行っています。(図1)。この分析結果は、草地更新時に使う肥料や土地改良資材の使用量を決定するために必要な情報にもなります。また、草地に関する基礎的な情報(土壌の種類、広さ、牧草の種類など)を再確認するという意味でも有益です。

pastedGraphic.png

図1 草地更新前に実施した土壌分析結果

 土壌分析を行って草地の状況を把握した後、いよいよ草地更新を行っていくことになります。一般的な草地更新(完全更新法)の流れをまとめると、表1の通りです。現在JRA日高育成牧場で行っている方法では、8月中旬から作業を開始しています。まずは、対象となる草地の雑草を含む牧草を除くために(1)除草剤を散布します。その後、枯れた草を埋没させるために(3)耕起を行い、この状態で冬を越すことになります。

 翌春の土壌凍結がなくなった4月下旬頃に、土壌の状態を改善するための(4)土壌改良資材を散布(土壌分析結果に基づいた量)し、そして土地を整えるための(5)砕土・混和・鎮圧を行います。その後、埋没種子(土壌に残っていた種)から発芽した雑草を処理するために、再び除草剤を撒きます。JRA日高育成牧場では、雑草の生育が盛んとなる5月頃と播種前の8月頃の2回にわたって除草剤処理を行っています。そして、9月頃までに(7)施肥・播種・鎮圧を行うことで、ようやく草地更新作業が終了となります。このように、草地更新は1年間をかけて行う根気のいる作業となります。

pastedGraphic_1.png

表1 草地更新(完全更新法)の流れ

 更新した後は、草地の管理方法について再検討することも非常に大切になります。そもそも、放牧地が荒れた原因を究明しないことには、再び荒れてしまう可能性が高いと考えられます。その原因としては、放牧地の利用状況が悪い(放牧頭数が多い、放牧時間が長いなど)、肥料の施肥量や施肥時期が不適当、掃除刈りの実施方法が不適当(実施頻度が少ない、刈り取りの高さが短いなど)が考えられます。これらに対して適切な管理方法をすることで、草地が良い状態に維持されるだけでなく、草地更新にかかる費用も抑えることが可能になると思われます(図2)。

pastedGraphic_2.png

図2 草地更新の要点

終わりに

 日本の牧場においては、放牧地の広さの問題もあって更新時の代替放牧地の確保が難しく、今回ご紹介した完全更新法による草地更新はなかなか困難であるかもしれません。そのような場合には、簡易更新法を実施してみても良いのかもしれません(詳細はサラブレッドのための草地管理ガイドブック【JBBA発行】をご参照ください)。今回の記事をきっかけに、いま一度草地管理について考えていただくことになれば幸いです。

日高育成牧場 業務課 岩本洋平

2021年8月26日 (木)

アイルランドにおける軽種馬生産

 生産牧場におけるサラブレッドの出産シーズンも一息ついた頃かと思います。JRA日高育成牧場でも、本年生まれる予定の当歳馬はすべて誕生しており、放牧地を元気に駆けまわっています。このようなサラブレッドの出産シーズンの光景は、日本だけでなく北半球の競馬先進国でも同様にみられるものです。今回は私が2018年から2年間にわたり研修に行かせていただいた、アイルランドにおける軽種馬生産の状況についてご紹介したいと思います。

ヨーロッパ最大の軽種馬生産国

 アイルランドの2020年の生産頭数は9,182頭であり、世界第3位のサラブレッド生産大国です(表1)。イギリスやフランスといったヨーロッパの競馬大国の中でも、最大の生産頭数を誇っています。一方で、競走数や出走頭数に目を向けると、他の競馬先進国に比べると非常に少ない数となっています(表1)。このことは、アイルランドが競馬開催国としてよりも、軽種馬生産国として世界の競馬産業に影響を及ぼしていることを示しています。つまり、アイルランド国内で生産されたサラブレッドが、競馬場のあるイギリスやフランスなどのヨーロッパ諸国、さらにはアメリカやオーストラリアといった地域へも輸出されていることになります。HRI(アイルランド競馬協会)が作成した統計によると、2020年にアイルランドから輸出されたサラブレッドは4,814頭であり、そのうちの3,573頭がイギリスへとなっています。日本への輸出は26頭(2020年)ですが、ディープインパクトの母であるウインドインハーヘアがアイルランド産馬であるなど、日本の競馬産業にも大きな影響を与えています。すなわち、アイルランドは世界のサラブレッド生産地であると言っても過言ではありません。

表1 世界各国の生産頭数、競走数、出走頭数(2020年)

pastedGraphic.png

馬の生育に適した気候風土

 このようにアイルランドが世界有数のサラブレッド生産地となった背景には、その気候風土が大きく影響しています。ライムストーン(石灰岩)に覆われた肥沃な大地のおかげで、サラブレッドの生育に必要な良質な牧草が育ちます。また、真夏でも30℃を超えることはほとんどなく、冬でも氷点下をわずかに下回る程度の気温であることから、年間の気温差が小さく非常に過ごしやすいという特色もあります。その結果、日本の北海道では非常に厳しい寒さとなる1月下旬であっても、放牧地には青々とした牧草が維持されています(写真1)。その結果として、年間を通じて馬の体調管理が容易となり、良質なサラブレッドを生産することが可能となります。

pastedGraphic_1.png

写真1 1月下旬のアイルランドの放牧地の様子(クールモア・スタッド)

大手生産牧場における生産の流れ

 HRIに登録されているアイルランドの生産者数は6,445名(2020年)でした。この生産者数は繁殖牝馬所有者数のことを示しており、生産牧場数とは異なります。繁殖牝馬所有者は少頭数所有が多く、生産牧場も経営しているケースは非常にまれです。したがって、多くの生産者は自身の保有する繁殖牝馬をどこかに預託する必要があります。大手生産牧場は手厚い管理が期待できますが、預託料は高く設定されています。一方で、中小の生産牧場の預託料は安く済みますが、アイルランドでも人手が足りていない現状があり、十分な管理を受けられない可能性があります。そこで、繁殖シーズン以外は中小の生産牧場に預託し、分娩が近くなると大手牧場に預託することが一般的となっています。さらに、大手牧場ではそれぞれの繁殖牝馬の状態に応じて繋養する厩舎が分かれていますので、一年間を通じて様々な場所を移動することになります(図1)。この方式のメリットは、各厩舎で専門性の高いスタッフの管理を受けられることが挙げられます。私の研修先であったクールモア・スタッドでは、それぞれの分娩厩舎で年間に100頭以上の出産があり、多くの経験を積んだスタッフが対応することになります。さらに、預託されている繁殖牝馬がクールモア・スタッドの優良な種牡馬の種付けを希望した場合には、受胎するまで手厚い管理を受けることも可能です。

pastedGraphic_2.png

図1 大手生産牧場における繁殖牝馬の動き

終わりに

 今回の記事では、アイルランドが世界各国にサラブレッドを輸出している重要な生産国であることをご紹介しました。近年、海外競馬での日本馬の活躍が目まぐるしい状況ですが、まだまだ海外から学ぶことはあると思われます。アイルランドの気候風土は、日本とは大きく異なるため、管理方法をそのまま導入することは難しいと考えられます。しかしながら、近年の技術革新や新しい知見を活用することで、日本におけるより良い管理方法を模索することもまだまだ可能だと考えています。

日高育成牧場 業務課  岩本洋平

2021年7月28日 (水)

人馬の信頼関係の強化:駐立編 ~リトレーニングプログラムの応用~

はじめに

 今回は馬と人との距離感(パーソナルスペース:支配領域)を利用した『駐立』の調教についてお話します。

パーソナルスペースとは?

 人におけるパーソナルスペースとは、他人に近づかれる(侵入される)と不快に感じる空間のことで、『対人距離』、『パーソナルエリア』とも呼ばれます。馬は、自分が主張する『支配領域』である球状のパーソナルスペースを持つといわれています。馬の群れは、リーダーを頂点とする階層社会ですので、パーソナルスペースは順位付けに利用されます。集団放牧の際、不用意に近づいた馬を威嚇して追い払う『強い馬:群れでの階級が高い馬』や、『弱い馬』が『強い馬』の侵入を許容し、場合によってはスペースを譲る光景を見たことがある方も多いと思います。この習性を利用して、馬に『駐立』を教えます。

『駐立』の調教

 『駐立』に問題のある馬の多くは、必要以上に保持者(駐立させている人)に接近してじゃれたり、周囲の刺激を気にして落ち着かなかったり、動きまわります。前者は『リーダー』である人のパーソナルスペースに侵入することを、保持者が許容してしまうことが問題であり、後者は保持者にフォーカス(意識を向ける)せず、勝手に動いてしまうことが問題です。これらの問題を解決するために、以下2種類のグラウンドワークによる働きかけを活用します。

  1. 横方向の働きかけ

 適度の距離を置いて馬の正面に立ち、プレッシャーによって前肢を軸に後躯を回転させることを目的とします(図1)。最初に『リーダー』となるべき人(自分)と馬のパーソナルスペースをイメージします。次に、馬の斜め前方のパーソナルスペースに侵入し、腰角付近にプレッシャーを与えます。腰角に向けてリードを振り回す、あるいは長鞭を使って腰角を刺激します。初期は一歩でも動いたら、直ちにプレッシャーを解除し、停止したら馬を褒めます。プレッシャーに反応しない場合は、徐々にプレッシャーのフェーズ(強さ:段階)を上げ、馬が反応したら解除します。反対に、馬が人の要求以上に動き過ぎてしまう場合にはプレッシャーのフェーズを下げ、馬が反応した瞬間に解除します。馬が勝手に動くのではなく、人の指示に従って要求されただけ後躯を動かすことが大切です。なお、後躯を回転させた際に馬が前進して人のパーソナルスペースに侵入してしまう場合には注意が必要です。馬の前進に対して、人がスペースを譲って(後退して)しまったら、馬に主導権が渡ってしまいます。馬に人のパーソナルスペースを強く意識させる必要があります。

  1. 前後方向の働きかけ

 正面からのプレッシャーコントロールによって馬を前後方向に動かすことを目的とします。最初は馬の正面に立ち、頭部や胸前にプレッシャーを与えて後退させます(図2)。後退を促すプレッシャーとしては、リードを振り回すことや、目線などのボディーランゲージを使用します。なお、反応しない馬には無口が動くほどリードを揺らしたり、余ったリードを鼻先に触れさせたりすることによって段階的にフェーズをコントロールします。後退したらプレッシャーを解除し、停止したら褒めます。次に、人が後退しながら馬から離れ馬を呼びます(図3)。最初は軽くリードで引っ張る、あるいは人が前かがみになって伏し目がちになることで馬は前進しやすくなります。人のパーソナルスペースに侵入しない位置で馬を停止させて褒めます。停止の際に馬を褒める行為によって、馬に考える時間を与えることができます。考えて理解する時間を与えれば、調教はよりスムーズに進むと思います。

 『駐立』できない馬の問題は、この二つの働きかけで改善できると思います。馬の動くスピードと方向は、人がコントロールしなければなりません。馬が勝手に動いて(スピード有り)も、止まって(スピード無し)も『駐立』はできません。人が明確な目的を持って分かり易く働きかけることで、馬は人にフォーカスします。馬と適切な距離を保ち、動いてしまう馬にはプレッシャーを上手に使って人が馬を動かし、プレッシャー解除によって馬に自ら停止することを選択させられれば、自然と『駐立』できるようになると思います。

図1 横方向の働きかけ

馬の腰角にプレッシャーを与えて後躯を動かします。