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2024年1月 9日 (火)

装蹄師の養成について

馬事通信「強い馬づくり最前線」第314号

 馬は肢先に蹄を持つことで体重を支えて安定した歩行や、長距離移動や時速約70㌔で速く走ることを可能としています。このように、馬の蹄は非常に重要な役割を果たしています。しかし、運動時の衝撃や偏った摩耗により、蹄にかかる負重がアンバランスな状態になると、蹄あるいは関節や靭帯などを痛めてしまい、重症の場合には跛行することがあります。

 そのため、定期的に蹄を管理・メンテナンス(削蹄・改装)して、バランスを調整する必要があります。このメンテナンスを行うのが装蹄師という職種で、日本で唯一装蹄師の養成を行っている施設が「装蹄教育センター」となります。

 本号では、「装蹄教育センター」における装蹄師の養成に関わる制度やその教育過程などを概説いたします(写真1)。 

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写真1.蹄のメンテナンス(削蹄)

装蹄教育

 装蹄師になるためには、日本装削蹄協会の装蹄師養成施設である、栃木県宇都宮市の「装蹄教育センター」において、約1年間全寮制で行っている装蹄師認定講習会を受講しなければなりません。講習会は主に実技(鍛冶技術と装蹄技術)と専門的な学科(運動学や解剖学)を中心に行われますが、馬との接し方を学ぶために騎乗訓練も行われます。

 また、馬に関する豊富な知識を学ぶ目的で、様々な専門分野の講師による特別講義も行われており、JRA馬事公苑やNAR教養センターの現役装蹄師から実践的な技術指導を受けることもできます。その他にも、馬産地日高地方での研修、競馬場や競馬関連施設、トレセンなどの見学もカリキュラムの中に組み込まれています。

 このように1年間という短い期間ですが、装蹄師になるためのとても内容の濃い講習会となっています。装蹄師認定講習会の修了前に、装蹄師認定試験が行われ、2級認定試験(※1)に合格する事によって、晴れて装蹄師のスタートラインに立つことができます(写真2)。

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写真2.装蹄教育センターでの実技の様子

就職先

 講習会修了後の進路は「JRAやNARなどの団体職員となり勤務装蹄師になる」か、「個人で行う開業装蹄師に技術習得や経験を積むために、一定期間弟子入りする」の概ね2種類となります。

 また、就職先の勤務地や業務内容は馬の使用目的で異なり、「①競馬関係施設であれば競走馬の装削蹄」、「②生産地の牧場ならば繁殖牝馬や幼駒の削蹄」、「③各地乗馬クラブなら競技馬や乗馬の装削蹄」に分かれます。その求人情報は全国から装蹄教育センターに集まっており、幸いなことに修了者の就職率は、開設以来29年間100%を誇っています。

 

入講試験

 講習会に入構するには、入構試験に合格しなければなりません。来年度の募集の定員は16名となっています。試験内容は「①筆記試験(高等学校卒業程度の一般教養レベルの試問および作文)」、「②面接」、「③体力試験」が行われます。体力試験では総合的な腕力を測るため、異なる重さのハンマー(1.5㌔・1.75㌔・約3㌔)を順に持ち上げるなど、装蹄師の養成のための特殊な試験が行われます。

 また、男女や乗馬経験の有無は、特に問われることはなく、入講前に馬に触れたことのない者でも、1年間講習によって装蹄師認定試験を受験できるまでに指導して貰えるので、馬に興味があるが触れたことのない者でも安心して入講することができます(写真3)。

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写真3.女性装蹄師も増えています

 

おわりに

装蹄師の仕事は肢元を支える裏方の仕事で、炎天下での装蹄作業や、重い馬の肢を支えての作業など、決して楽な仕事ではありません。しかし、多くの競馬関係者やオーナー、さらにファンの夢を背負って走る競走馬や、乗用馬と騎乗者が大会等で充分な力が発揮できるように、あるいは母馬や子馬が健康に生活して丈夫に成長するために、人馬に寄り添った装蹄を目指す楽しみがあるなど、非常にやりがいのある仕事です。

なお、教育センターでは、オープンキャンパスも実施されており、実際に講習生の実習を見学したり、現役装蹄師でもある教官のお話を聞くことができます。

この記事を読んでいただき、「装蹄師」という職業に、少しでも興味を持っていただけましたら、装蹄師認定講習会の受講内容がより詳しく紹介されている「日本装削蹄協会のホームページ」をご覧いただきたいと思います。

 

※1「装蹄師資格」は昭和45年までは「国家資格」でしたが、現在は、「公益社団法人日本装削蹄協会」による「認定資格」となっています。資格の種類は「2級認定資格」を取得後4年以上経過した後に「1級資格の試験」の受験が可能となり、さらに「1級認定資格」を取得後9年以上経過した後に「指導級の試験」の受験が可能となっており、それぞれの試験に合格すると昇級することができます。

 

JRA日高育成牧場 業務課(装蹄師) 橋本孟佳

2021年8月31日 (火)

人馬の信頼関係の強化:鈍化編 ~リトレーニングプログラムの応用~

はじめに

 昨年10月の馬事通信「強い馬づくり最前線第249回」では、馬の『パーソナルスペース』を活用した『駐立』調教についてご紹介させていただきました。今回は、様々な『刺激』に慣らすと同時に『刺激』を区別することを教える『鈍化:Desensitization』についてご紹介します。

 

鈍化(Desensitization)とは?

 『鈍化:Desensitization』とは、馬が怖がるような不快な『刺激』を受けても、恐怖心を克服して常に平静を装うことを教えるトレーニングです。しかし、『鈍化』は馴化(じゅんかHabituation:刺激に馴らす作業)とは異なります。『馴化』だけを実施すると、人がどんなに働きかけても動かない、鈍感なだけの馬になってしまいます。『鈍化』は、突然の物音等の『感じてほしくない刺激』には動じず、扶助や合図などの『感じてほしい刺激』には敏感な馬を育てるための調教です。

『馴化』の調教法

 馬は、不審(不快)な『刺激』を察知したら即座に逃げる生き物です。逃げることで身を守りますが、いつまでも逃げ続けるわけではありません。危険から逃げ続け、疲れ果ててしまっては新たな危機に対応できません。しばらく逃げたら立ち止まって安全を確認します。『馴化』は、馬が『逃げた後に立ち止まる』習性を利用します。『馴化』に際して、我々は釣り竿に括り付けたビニール袋(写真①)を利用します。釣り竿を振ってビニール袋を揺らすと馬は逃げます。逃げるのは身を守るための当然の行動であり、悪いことではありません。無理に抑えずに馬と一緒に動きながらビニール袋を揺らし続けます。立ち止まったら即座に止めて『刺激』を“Off”にし、馬を誉めます。もう一度同じ様に揺らしても、馬は最初ほど驚かず、逃げてもより短い時間で立ち止まります。同じことを繰り返すうちに、『刺激』を受けても我慢(駐立)を選択するようになります。このような刺激に馴らすためのコツは、一定のリズムで動かし続けることです。また、小さな刺激から徐々に馴らしていくとよいでしょう。最初はビニール袋のみを手で保持して馬体を触ることから馴らすと容易かもしれません。

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写真①釣り竿に括り付けたビニール袋による馴化

 ビニール袋を用いた馴化で大切なことは、『刺激』を“Off”にすることで馬を止めるのではなく、馬が止まったら “Off”にすることです。“Off”のタイミングを間違えると、馬は『逃げれば刺激から解放される』と誤解してしまい、リアクションは変わらないか、より大きくなります。怖がる『刺激』や嫌がるポイントは、馬によって異なります。ビニール袋は我慢できても、ビニール傘やブルーシートを怖がる馬もいます。また、馬体の左から受ける『刺激』は我慢できても、馬体の右側や顔の周り、下肢周辺、後方からの『刺激』を我慢できない馬はたくさんいます。『刺激』の種類や敏感な部位に違いがあっても、トレーニングの要領は変わりません。『リーダー』である人から不快な『刺激』を受けても、立ち止まって我慢すれば “Off”にしてもらえることを理解させます。このようにして『刺激』と『反応』を結びつける(条件づける)手法を、心理学では『負の強化』と呼びます。

『鈍化』への発展

 先ほどもお話しした通り、『馴化:負の強化』のみでは鈍感なだけの馬ができてしまいます。動じない、しかし『リーダー』の合図には敏感に反応する馬を作るためには、『刺激』を区別することを理解させなければなりません。文章にすると難しく感じますが、調教方法は単純です。『馴化』のトレーニングの合間に、グラウンドワークによる停止・発進、パーソナルスペースを利用した働きかけを織り交ぜます。『感じてほしくない刺激』を与えて我慢させたい時には『ホー』などの馬を落ち着かせる音声扶助を、発進の合図などの『感じてほしい刺激』を与える際は舌鼓などを併用するのも効果的です。

 セリ会場のような、初めて訪れる場所で馬を落ち着かせるのは大変です。しかし、『鈍化』がマスターできるような信頼関係が構築できていれば、グラウンドワークの手法で馬の注意を『リーダー:人』に集中させることも、馬が怖がる『刺激』に短時間で慣らすことも可能だと思います。

終わりに

 JRAでは、人馬が理解し易い『簡易なリトレーニング手法の普及』を目的として、昨年6月に“引退競走馬のリトレーニング指針(サラブレッドの理解とグラウンドワーク)”という冊子を作成しました。これまで4回にわたって紹介した内容は、全てこの冊子に基づいています。リトレーニング指針の基本理念は、馬の生活や思考様式を理解し、人が要求することを馬に“問いかけ”、馬自身に“回答を導き出させる”、つまりは『馬の視点』で問題の解決方法を考えることです。このようなアプローチは、馬の品種や年齢、性別に関係なく有効だと考えています。冊子に興味をお持ちの方は、下記までご連絡下さい。

 馬事公苑 宇都宮事業所 ☎028-647-0650(月・火曜定休)

馬事公苑 診療所長 宮田健二

 

2021年8月30日 (月)

ブリーズアップセールを振り返って

 昨年のJRAブリーズアップセール(BUセール)は、コロナの影響によるメール入札方式というイレギュラーな開催方式であったうえ、様々な制限で購買者が直接馬を見る機会が限られていたセールでしたが、本年のBUセールは、購買関係者が馬を見る機会を確保したうえで、セリ会場でのせり上げとオンラインビッドを組み合わせた「ハイブリッド方式」で開催しました。本年度最初に開催される国内セールということで、後続のセールに及ぼす影響もあることから「購買関係者に直接馬をご覧いただき、セリ会場でセリを行いたい」という強い思いで各種の感染症対策を行いながら運営にあたりました。売却成績や注目馬については、これまでの馬事通信内でも紹介されていますので割愛いたしますが、今回のセールについてセール運営者の立場からキーワードとともにご紹介いたします。

オンラインビッド

 BUセールではコロナ感染症対策や購買者の利便性を考慮して、初めてオンラインビッドを併用しました。民間の競走馬オークションサイトで行われているような複数頭を同時進行でせり上げるインターネットオークションとは異なり、鑑定人が会場とオンライン双方のビッドを捌きながら進行するハイブリッド方式で行いました。「遠隔地からでもリアルタイムでセリに参加できる」ことが大きな特長です。遠隔地からのオンラインビッド導入は今回のBUセールが国内で初めてでしたが、事前の準備やテストを行っていたこともあり大きな混乱もなく、セリ総参加者の半分近い方々に利用していただきました。オンラインによる落札頭数も全体の3割を超える数字となりました。

 今後のインターネットオークションやオンラインビッドの活用は、コロナ対策としてはもとより、様々な理由でセリ会場に足を運べない購買者にとって利便性向上につながるのではないかと期待されます。

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2021年ブリーズアップセールの成績(ビッド方式別)

跛行(深管骨瘤)による欠場

 ブリーズアップセールは「徹底した情報開示」と「わかりやすいセール運営」を目指しています。「現時点で今後の調教や競走に耐えうると判断された馬」という上場基準のもと、育成牧場の獣医職員だけでなく本部やトレセンの獣医職員など複数の眼で上場の可否の判断や調教進度遅れ(スピードを抑えた騎乗供覧を行い上場する馬)の判断をおこなっています。本年も上場候補馬84頭のうち11頭に欠場、8頭に調教進度遅れの判断を行いました。

 本年に限らず毎年欠場の理由として多いものは「跛行」で、その原因の半分近くが「深管骨瘤(シンカン)」によるものです。膝ウラの繋靭帯の近位付着部に生じる炎症で、発症時期によってはセールを欠場せざるを得ず、育成馬にとっては一生を左右しかねない悩ましい疾病の一つです。適切な休養を行うことで回復しますが、トレーニングセール上場を目指す民間の育成牧場の方々も同じような悩みを抱えているようです。若馬にいかに故障をおこさずに効果的なトレーニングを課していくのかということは、育成に携わる者として解決すべき課題だと認識しています。

コンソレーションセール

 本年の新しい取り組みとして、BUセールの約1か月後に「コンソレーションセール」を開催しました。昨年は北海道トレーニングセールが中止となったことなどもあり、昨年のBUセール未売却馬は状態が回復し調教が積めるようになってもセールに上場されることがありませんでした。そこで、生産者の思いも背負っている馬たちを1頭でも競走馬にしたいという強い気持ちからこのプライベートセールを立ち上げました。このセールは、調教・常歩動画、四肢X線・内視鏡画像、病歴等の個体情報をインターネットサイト上に情報公開した点はBUセールと同様ですが、「落札者の決定方法がインターネットオークション限定」という点で異なります。初めてのセールということに加え、馬を広く直接見ていただく機会がなかったことから、どのような結果になるか不安でしたが、上場した6頭全ての馬が競走馬になれるチャンスを得たことに感謝しています。

最後に

 この数年で社会のいろいろな場所で急速に進んだリモート化は、競走馬市場の情報公開の面だけでなく、売買にも活用され注目が高まっています。しかしながら、高額な競走馬のセリに関しては従来通り「購買関係者が直接馬を見て、会場でセリに参加する」スタイルのほうが望ましいと感じている方のほうが多かったように感じます。私も同感で、インターネットを活用しながらも、上場馬の周りに多くの関係者が集い賑わう競走馬セールが一日も早く戻ることを願っております。

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(ブリーズアップセールのオンライン参加者のパソコン画面)

日高育成牧場 業務課長  立野大樹

JRA日高育成牧場における草地管理について

 サラブレッド生産牧場では、繁殖シーズンが終わるとすぐに、掃除刈りや草地更新といった草地管理が本格化する時期となります。JRA日高育成牧場でも、放牧地や採草地の管理を本格的に始めていることころです。今回は生産牧場で一般的に行っている草地管理について、簡単に解説していきたいと思います。

掃除刈り

 サラブレッドの放牧地では頻繁に採食される場所の草高は低くなり、採食されない場所は過繁茂(不食過繁地)となる傾向が他の家畜よりも強いことが知られています。特に、日本の生産牧場では放牧地面積が狭いことから、休牧期間のない連続放牧が行われて、草の多い場所と少ない場所の偏りがより顕著となります。そこで、不食過繁地を縮小して可食面積を増やすためにも、定期的な掃除刈りを行う必要があります。

 掃除刈りの際の草高は15cm程度が適当とされています。この草高を維持することで、草地が硬くなることを抑制できることが知られています。サラブレッドにとっての放牧地は、採食場所としてだけでなく、運動場所としての役割も担っていますが、硬い土壌が肢蹄障害を引き起こす可能性が示唆されています。そこで、放牧地の草量を維持することで、土壌表層に強固なルートマット(牧草根や地下茎が厚く集積した層)を形成させ、放牧地にクッション性を持たせることが、肢蹄障害を防ぐことにつながると考えられます。

 また、15cm程度での掃除刈りは雑草の侵入を防ぐ効果も期待できます。北海道の草地で一般的な草種であるチモシーは茎頂(生長点)よりも高い場所で刈り取られても、すぐさま再生する特徴があります。一方で、茎頂よりも低い部分で刈り取られると、その茎は再生不可能となります。その場合には新たな茎が発生することになりますが、7~10日程度の日数を要するので、その間に雑草が侵入する可能性があります。以上のことから、草高を15cm程度で刈り取ると、茎頂が残りチモシーが維持されることになります。このように、適切な掃除刈りを行うことには、様々な効果があります。

草地更新

 同じ草地を連続で使用することによる土壌成分の枯渇、牧草の栄養価低下、雑草の侵入などが問題となった場合には、草地更新を検討する必要があります。更新の客観的な判断材料として、JRA日高育成牧場では公益社団法人日本軽種馬協会(JBBA)が行っている事業を活用して、更新を予定している草地の土壌分析を行っています。(図1)。この分析結果は、草地更新時に使う肥料や土地改良資材の使用量を決定するために必要な情報にもなります。また、草地に関する基礎的な情報(土壌の種類、広さ、牧草の種類など)を再確認するという意味でも有益です。

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図1 草地更新前に実施した土壌分析結果

 土壌分析を行って草地の状況を把握した後、いよいよ草地更新を行っていくことになります。一般的な草地更新(完全更新法)の流れをまとめると、表1の通りです。現在JRA日高育成牧場で行っている方法では、8月中旬から作業を開始しています。まずは、対象となる草地の雑草を含む牧草を除くために(1)除草剤を散布します。その後、枯れた草を埋没させるために(3)耕起を行い、この状態で冬を越すことになります。

 翌春の土壌凍結がなくなった4月下旬頃に、土壌の状態を改善するための(4)土壌改良資材を散布(土壌分析結果に基づいた量)し、そして土地を整えるための(5)砕土・混和・鎮圧を行います。その後、埋没種子(土壌に残っていた種)から発芽した雑草を処理するために、再び除草剤を撒きます。JRA日高育成牧場では、雑草の生育が盛んとなる5月頃と播種前の8月頃の2回にわたって除草剤処理を行っています。そして、9月頃までに(7)施肥・播種・鎮圧を行うことで、ようやく草地更新作業が終了となります。このように、草地更新は1年間をかけて行う根気のいる作業となります。

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表1 草地更新(完全更新法)の流れ

 更新した後は、草地の管理方法について再検討することも非常に大切になります。そもそも、放牧地が荒れた原因を究明しないことには、再び荒れてしまう可能性が高いと考えられます。その原因としては、放牧地の利用状況が悪い(放牧頭数が多い、放牧時間が長いなど)、肥料の施肥量や施肥時期が不適当、掃除刈りの実施方法が不適当(実施頻度が少ない、刈り取りの高さが短いなど)が考えられます。これらに対して適切な管理方法をすることで、草地が良い状態に維持されるだけでなく、草地更新にかかる費用も抑えることが可能になると思われます(図2)。

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図2 草地更新の要点

終わりに

 日本の牧場においては、放牧地の広さの問題もあって更新時の代替放牧地の確保が難しく、今回ご紹介した完全更新法による草地更新はなかなか困難であるかもしれません。そのような場合には、簡易更新法を実施してみても良いのかもしれません(詳細はサラブレッドのための草地管理ガイドブック【JBBA発行】をご参照ください)。今回の記事をきっかけに、いま一度草地管理について考えていただくことになれば幸いです。

日高育成牧場 業務課 岩本洋平

2021年8月26日 (木)

アイルランドにおける軽種馬生産

 生産牧場におけるサラブレッドの出産シーズンも一息ついた頃かと思います。JRA日高育成牧場でも、本年生まれる予定の当歳馬はすべて誕生しており、放牧地を元気に駆けまわっています。このようなサラブレッドの出産シーズンの光景は、日本だけでなく北半球の競馬先進国でも同様にみられるものです。今回は私が2018年から2年間にわたり研修に行かせていただいた、アイルランドにおける軽種馬生産の状況についてご紹介したいと思います。

ヨーロッパ最大の軽種馬生産国

 アイルランドの2020年の生産頭数は9,182頭であり、世界第3位のサラブレッド生産大国です(表1)。イギリスやフランスといったヨーロッパの競馬大国の中でも、最大の生産頭数を誇っています。一方で、競走数や出走頭数に目を向けると、他の競馬先進国に比べると非常に少ない数となっています(表1)。このことは、アイルランドが競馬開催国としてよりも、軽種馬生産国として世界の競馬産業に影響を及ぼしていることを示しています。つまり、アイルランド国内で生産されたサラブレッドが、競馬場のあるイギリスやフランスなどのヨーロッパ諸国、さらにはアメリカやオーストラリアといった地域へも輸出されていることになります。HRI(アイルランド競馬協会)が作成した統計によると、2020年にアイルランドから輸出されたサラブレッドは4,814頭であり、そのうちの3,573頭がイギリスへとなっています。日本への輸出は26頭(2020年)ですが、ディープインパクトの母であるウインドインハーヘアがアイルランド産馬であるなど、日本の競馬産業にも大きな影響を与えています。すなわち、アイルランドは世界のサラブレッド生産地であると言っても過言ではありません。

表1 世界各国の生産頭数、競走数、出走頭数(2020年)

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馬の生育に適した気候風土

 このようにアイルランドが世界有数のサラブレッド生産地となった背景には、その気候風土が大きく影響しています。ライムストーン(石灰岩)に覆われた肥沃な大地のおかげで、サラブレッドの生育に必要な良質な牧草が育ちます。また、真夏でも30℃を超えることはほとんどなく、冬でも氷点下をわずかに下回る程度の気温であることから、年間の気温差が小さく非常に過ごしやすいという特色もあります。その結果、日本の北海道では非常に厳しい寒さとなる1月下旬であっても、放牧地には青々とした牧草が維持されています(写真1)。その結果として、年間を通じて馬の体調管理が容易となり、良質なサラブレッドを生産することが可能となります。

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写真1 1月下旬のアイルランドの放牧地の様子(クールモア・スタッド)

大手生産牧場における生産の流れ

 HRIに登録されているアイルランドの生産者数は6,445名(2020年)でした。この生産者数は繁殖牝馬所有者数のことを示しており、生産牧場数とは異なります。繁殖牝馬所有者は少頭数所有が多く、生産牧場も経営しているケースは非常にまれです。したがって、多くの生産者は自身の保有する繁殖牝馬をどこかに預託する必要があります。大手生産牧場は手厚い管理が期待できますが、預託料は高く設定されています。一方で、中小の生産牧場の預託料は安く済みますが、アイルランドでも人手が足りていない現状があり、十分な管理を受けられない可能性があります。そこで、繁殖シーズン以外は中小の生産牧場に預託し、分娩が近くなると大手牧場に預託することが一般的となっています。さらに、大手牧場ではそれぞれの繁殖牝馬の状態に応じて繋養する厩舎が分かれていますので、一年間を通じて様々な場所を移動することになります(図1)。この方式のメリットは、各厩舎で専門性の高いスタッフの管理を受けられることが挙げられます。私の研修先であったクールモア・スタッドでは、それぞれの分娩厩舎で年間に100頭以上の出産があり、多くの経験を積んだスタッフが対応することになります。さらに、預託されている繁殖牝馬がクールモア・スタッドの優良な種牡馬の種付けを希望した場合には、受胎するまで手厚い管理を受けることも可能です。

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図1 大手生産牧場における繁殖牝馬の動き

終わりに

 今回の記事では、アイルランドが世界各国にサラブレッドを輸出している重要な生産国であることをご紹介しました。近年、海外競馬での日本馬の活躍が目まぐるしい状況ですが、まだまだ海外から学ぶことはあると思われます。アイルランドの気候風土は、日本とは大きく異なるため、管理方法をそのまま導入することは難しいと考えられます。しかしながら、近年の技術革新や新しい知見を活用することで、日本におけるより良い管理方法を模索することもまだまだ可能だと考えています。

日高育成牧場 業務課  岩本洋平

2021年7月28日 (水)

人馬の信頼関係の強化:駐立編 ~リトレーニングプログラムの応用~

はじめに

 今回は馬と人との距離感(パーソナルスペース:支配領域)を利用した『駐立』の調教についてお話します。

パーソナルスペースとは?

 人におけるパーソナルスペースとは、他人に近づかれる(侵入される)と不快に感じる空間のことで、『対人距離』、『パーソナルエリア』とも呼ばれます。馬は、自分が主張する『支配領域』である球状のパーソナルスペースを持つといわれています。馬の群れは、リーダーを頂点とする階層社会ですので、パーソナルスペースは順位付けに利用されます。集団放牧の際、不用意に近づいた馬を威嚇して追い払う『強い馬:群れでの階級が高い馬』や、『弱い馬』が『強い馬』の侵入を許容し、場合によってはスペースを譲る光景を見たことがある方も多いと思います。この習性を利用して、馬に『駐立』を教えます。

『駐立』の調教

 『駐立』に問題のある馬の多くは、必要以上に保持者(駐立させている人)に接近してじゃれたり、周囲の刺激を気にして落ち着かなかったり、動きまわります。前者は『リーダー』である人のパーソナルスペースに侵入することを、保持者が許容してしまうことが問題であり、後者は保持者にフォーカス(意識を向ける)せず、勝手に動いてしまうことが問題です。これらの問題を解決するために、以下2種類のグラウンドワークによる働きかけを活用します。

  1. 横方向の働きかけ

 適度の距離を置いて馬の正面に立ち、プレッシャーによって前肢を軸に後躯を回転させることを目的とします(図1)。最初に『リーダー』となるべき人(自分)と馬のパーソナルスペースをイメージします。次に、馬の斜め前方のパーソナルスペースに侵入し、腰角付近にプレッシャーを与えます。腰角に向けてリードを振り回す、あるいは長鞭を使って腰角を刺激します。初期は一歩でも動いたら、直ちにプレッシャーを解除し、停止したら馬を褒めます。プレッシャーに反応しない場合は、徐々にプレッシャーのフェーズ(強さ:段階)を上げ、馬が反応したら解除します。反対に、馬が人の要求以上に動き過ぎてしまう場合にはプレッシャーのフェーズを下げ、馬が反応した瞬間に解除します。馬が勝手に動くのではなく、人の指示に従って要求されただけ後躯を動かすことが大切です。なお、後躯を回転させた際に馬が前進して人のパーソナルスペースに侵入してしまう場合には注意が必要です。馬の前進に対して、人がスペースを譲って(後退して)しまったら、馬に主導権が渡ってしまいます。馬に人のパーソナルスペースを強く意識させる必要があります。

  1. 前後方向の働きかけ

 正面からのプレッシャーコントロールによって馬を前後方向に動かすことを目的とします。最初は馬の正面に立ち、頭部や胸前にプレッシャーを与えて後退させます(図2)。後退を促すプレッシャーとしては、リードを振り回すことや、目線などのボディーランゲージを使用します。なお、反応しない馬には無口が動くほどリードを揺らしたり、余ったリードを鼻先に触れさせたりすることによって段階的にフェーズをコントロールします。後退したらプレッシャーを解除し、停止したら褒めます。次に、人が後退しながら馬から離れ馬を呼びます(図3)。最初は軽くリードで引っ張る、あるいは人が前かがみになって伏し目がちになることで馬は前進しやすくなります。人のパーソナルスペースに侵入しない位置で馬を停止させて褒めます。停止の際に馬を褒める行為によって、馬に考える時間を与えることができます。考えて理解する時間を与えれば、調教はよりスムーズに進むと思います。

 『駐立』できない馬の問題は、この二つの働きかけで改善できると思います。馬の動くスピードと方向は、人がコントロールしなければなりません。馬が勝手に動いて(スピード有り)も、止まって(スピード無し)も『駐立』はできません。人が明確な目的を持って分かり易く働きかけることで、馬は人にフォーカスします。馬と適切な距離を保ち、動いてしまう馬にはプレッシャーを上手に使って人が馬を動かし、プレッシャー解除によって馬に自ら停止することを選択させられれば、自然と『駐立』できるようになると思います。

図1 横方向の働きかけ

馬の腰角にプレッシャーを与えて後躯を動かします。

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図2 前後方向の働きかけ①

頭部や胸前にプレッシャーを与えて後退させます。

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図3 前後方向の働きかけ②

馬が前進しやすい態勢で馬を呼び込みます。

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JRA馬事公苑 診療所長 宮田健二

2021年7月27日 (火)

人馬の信頼関係の強化:引き馬編~リトレーニングプログラムの応用~

はじめに

 昨年の第225号でもご紹介しましたが、JRAでは『引退競走馬のリトレーニングプログラム』の作成に取り組んでおります。プログラムが完成した暁には、『引退競走馬のリトレーニング指針』としての発刊も予定しております。今回は作成中のプログラムの中から、重点項目の一つである『人馬の信頼関係の強化』について2回に分けて紹介させていただきます。第一回目の今回は、『引き馬』をメインにお話することとします。

『引き馬』による信頼関係の構築

 我々のプログラムでは、グラウンドワークと呼ばれる、騎乗せずに地上から馬に働きかける手法を用います。グラウンドワークでは『プレッシャーとプレッシャー解除』を馬に分かり易く伝え、馬の動くスピードと方向をコントロールして人が『リーダー』となると同時に、人の横が『安全で快適な場所』であることを馬が理解するように働きかけます。『引き馬』はグラウンドワークの最も重要な基礎となる作業です。『引き馬』では前後方向にプレッシャーを与え、発進・後退(スピード有り・前後方向)と停止(スピード無し:ゼロスピード)を繰り返します。具体的な働きかけ方は以下の通りです。

  1. 発進

 引き綱(リード)をゆったりと保持し、舌鼓等の音声扶助や長鞭を使用して馬を発進させます。馬がしっかりとした常歩を開始したら後ろからのプレッシャーを解除し、馬の動きに同調して歩きます。徐々に扶助のフェーズ(段階・強さ)を下げ、最終的には扶助を使用しなくても馬が人の前進する動きに合わせて発進できるような関係を構築します。

  1. 停止

 引き運動中に人が馬についていくのをやめ、リードを譲らないことで鼻梁に鼻革があたり、馬が止まるように働きかけます。上手に停止できたらリードを緩めてプレッシャー解除します。最初は(ホー)などの音声扶助も利用しますが発進同様最終的には前触れもなく人が止まったら馬も停止できるような関係を構築します。

  1. 後退

 静止した馬の顔の前でリードの余り部分を回したり(写真1)、鼻面の前に左手をかざして前方からのプレッシャーを与えます。初期段階では、右手でリードを引っ張って鼻梁へ与えるプレッシャーも組み合わせると、後退の合図が馬に伝わりやすくなります。

 馬が人の動きに合わせて停止することを理解できていない、若しくは馬が自己主張している場合は、人の前方に進みすぎて停止します。その際は前方からのプレッシャーを与えて人が肩の位置に立てるところまで後退させてからプレッシャー解除します。この働きかけによって馬は人より前に進みすぎるのは間違いであり、人の横に収まっていれば余計なプレッシャーを受けないこと、つまり人の横が『安全で快適な場所』であることを理解します。また、前触れなく突然人が前進したり停止したりする動きに合わせて動くことで、人に意識を向ける(フォーカスする)ようになります。

 『引き馬』は単純な作業でもあるため軽視され易く、ついつい手を抜いてしまいがちです。馬房掃除で馬を移動させる際に人が前方に立って馬をノロノロ歩かせたり(写真2)、あるいは放牧する際に、馬が勝手に先に進むことを許容してしまったりすることがあります。調教とその他の『引き馬』の違いは、馬を混乱させる原因となり得ます。馬に勝手に動かれてしまうと人は『リーダー』ではなくなり、人馬の位置関係が間違っていることをきちんと馬に伝えなければ人の横が『安全で快適な場所』ではなくなってしまいます。馬を扱う際は常に細心の注意を払い、馬に余計な混乱をもたらさないように意識する必要があると思います。

 次回は馬と人との距離感(パーソナルスペース:支配領域)を利用した駐立の調教についてご紹介します。

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写真1:馬の顔の前でリードの余り部分を回して前方からプレッシャーを与えて後退を促す

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写真2:人が前方に立って馬をノロノロ歩かせ引き馬

JRA馬事公苑 診療所長 宮田健二

2021年2月 1日 (月)

馬の跛行を見つけるポイント

跛行の定義とその原因

馬が歩様に異常をきたしている状態を「跛行」と言い、病名ではなく症状を指す言葉です。跛行している馬は、体のどこかに何らかの疼痛や機能障害を有しているため、正常な運歩ができない、あるいは運動を嫌っていると考えられ、様々なデメリットが生じることになります。例えば、跛行している馬が育成馬や競走馬であれば調教メニューの消化が困難に、繁殖牝馬であればストレスや運動不足から妊娠の維持や分娩に悪影響が出るほか、授乳中であれば母馬に連れられた子馬の運動量まで減少させてしまいます。また、骨格形成が未熟な子馬であれば、痛みのある肢をかばう不自然な姿勢が続くことにより肢勢異常などの発育障害につながる場合があります。その上、この肢勢異常が更なる跛行の原因になってしまいかねません。このように、馬のライフステージのほぼ全てに悪影響を与えてしまう跛行の原因として、骨折、関節炎、腱や靭帯の損傷、筋肉痛、蹄病、外傷および局所感染などが挙げられます(図1)。いずれの場合も早期に発見し、適切な治療を開始することが重要となります。

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図1:跛行の原因となる怪我や病気

当然ながら、跛行の原因を診断し、骨折や感染症などの原因に対する治療は獣医師が行うものですし、若馬の肢勢異常などに対する装蹄療法は装蹄師の範疇です。とはいえ、跛行に対しては前述したように早期発見が重要ですから、飼養者の皆さんによる愛馬のチェックが最も重要だと言えます。そこで今回は、跛行発見のチェックポイントをご紹介します。

 

跛行の分類

一口に跛行と言っても、獣医学的にはその肢の運びによって数種類に分類されています。肢に体重を乗せた際に疼痛を示すものを支柱肢跛行(支跛=シハ)、肢を挙げるとか前に振り出す際に疼痛を示すものを懸垂肢跛行(懸跛=ケンパ)、これら両方が混ざったものを混合跛行(混跛=コンパ)と呼んでいますが、今回は骨折や蹄病等の運動器疾患の発見に重要な支跛について解説します。

 

跛行の検査

馬は一定のリズムを刻みながら歩行しています。跛行している馬ではこのリズムが乱れることになります。自分(検査者)以外のもう一人の協力者(ハンドラー)に平地で馬を真っ直ぐに引いてもらい、その際の運歩を前後左右から見る、あるいは検査者を中心とする円弧を描くように歩かせてもらい、内側から見るのが基本となります。歩様は、4拍子でゆっくりと進む「常歩」(図2)、次に2拍子で進む「速歩」(図3)で馬を引いてもらいます。特に速歩では一本の肢にかかる負荷が大きくなるため左右のどちらの肢の跛行なのか判別しやすくなります。

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図2:常歩の特徴

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図3:速歩の特徴

 

しかし、訓練されていない検査者が目で見て馬の跛行を判断することはなかなか困難なものです。そこで、視覚だけでなく聴覚も使って検査することで跛行の検査が容易になることがあります。馬の歩行には必ず足音が伴いますが、この足音のリズムは正常な歩様の馬であれば一定のはずです。したがってこのリズムに集中し、その乱れを感じ取ることができれば跛行の有無やどの肢の跛行かを発見できることになります。

 

前肢と後肢の支跛のチェックポイント

前肢の支跛は、頭部の上下動に注目します。跛行している側の肢に負重した際に疼痛を伴って頭部を上げる動作を見せます(図4)。動画も参考にしてください。参考YouTube動画『馬の跛行(支跛)を簡単に見つけるポイント【前肢編】』

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図4:前肢の支跛

後肢の支跛は、腰部の上下動と球節の沈下具合に注目します。跛行している側の腰の上下動が大きくなるほか、負重している時間も短縮します。また、正常な側に負重する時間が延長するために正常な後肢の球節がより深く沈下します(図5)。動画も参考にしてください。参考YouTube動画『馬の跛行(支跛)を簡単に見つけるポイント【後肢編】』

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図5:後肢の支跛

今回は、跛行を発見する際のチェックポイントをごく一部だけご紹介させていただきました。しかし、皆さんがどの肢が跛行しているのかなどと、いきなり正確に見極める必要はありません。常日頃から愛馬の動きや仕草に注目し、「何か変だぞ?」と普段と異なる些細な変化に気づくことが重要なのです。また、些細な変化を獣医師や装蹄師にご相談いただくことも重要です(診断、治療や対処は、獣医師や装蹄師にお任せください)。

 

グリーンチャンネルの動画

今回一部をご紹介した跛行診断について、症例動画などを交えての解説をグリーンチャンネルの「馬学講座ホースアカデミー」で行っています(2018年1月)。こちらは、YouTubeでも視聴可能です。

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日高育成牧場 専門役 琴寄 泰光

全国装蹄競技大会

毎年10月上旬に、宇都宮市の装蹄教育センターにおいて農林水産祭参加『全国装蹄競技大会』が開催されています。全国各地の厳しい予選を突破した装蹄師の精鋭たちによる技の祭典ですが、72回目を迎えた今年の出場選手は36名と過去最多となり、北海道地区からも6名の選手が出場を果たしました。出場選手の年齢も20歳から61歳までと幅広く、日本最大の競技会です。

審査は、『造鉄競技』『装蹄判断競技』『装蹄競技』の3種目について総合的に審査され、3位、優秀賞および最優秀賞と、各部門賞についての表彰が行われます。最初の種目である『造鉄競技』では、25分間の制限時間内に課題の蹄鉄を作製する技術を競います。今年の課題は1組の後肢用蹄鉄を作製することでしたが、この競技の上位16名のみに最後の『装蹄競技』に出場する権利が与えられることから、大会に参加する選手たちは普段の練習時間のほとんどをこの『造鉄競技』の練習に費やします。また、この競技では一つのミスが大きな減点となるため、どんなに熱心に日ごろの練習を積み重ねてきてもその成果を本番で発揮できなければ足切り対象となってしまい、キャリア数十年のベテラン装蹄師が最終種目まで進めないということも珍しくありません。

2番目の種目である『装蹄判断競技』は、主催者によって用意された1頭の馬について、立ち肢勢、歩様および疾病の有無を総合的に判断して適切な装蹄方針を組み立てることが要求される、記述式の種目です。「馬を総合的に見る目」は装蹄師の日常の仕事でも非常に重要な技術ですが、今年の厳しい予選を勝ちあがった出場選手の平均点は例年より高く、ハイレベルな争いとなりました。この種目の成績は最終的な合計得点には加算されないのですが、前述の『造鉄競技』同様に足切り的な役割を担っているために気を抜くことは許されません。と言うのも、最終種目の『装蹄競技』まで進んだ16名の選手のうち、最終的な総合順位の審査対象となれるのはこの『装蹄判断競技』の成績上位10名までに限られてしまうからです。したがって、『造鉄競技』と『装蹄競技』の合計得点は全体で一番だったにも関わらず、『装蹄判断競技』で上位10位以内に入れなかったため、総合順位の審査対象となれずに優勝を逃してしまうこともあり得るのです。

『造鉄競技』の成績上位16名で行われる最終種目の『装蹄競技』は、前肢1蹄の装蹄と課題の特殊蹄鉄1種の造鉄の双方を60分間の制限時間内に完了させ、その出来映えを競う競技です。審査は、前肢の装蹄については削蹄、装蹄用蹄鉄の造鉄および仕上げまでの一連の作業を、課題蹄鉄についてはその出来映えについて行われ、全570点満点中370点の配点と非常に大きな割合を占める種目です。したがって、選手たちが総合優勝を目指す上での一番の頑張りどころと言えるでしょう。もちろん、すべての競技に共通して機能美に秀でた製品を作ることが重要なのは当然ですが、この種目で高い評価を得るためにはコンテストならではの美しさも重要になります。競技のポイントで具体例を挙げると、削蹄における蹄叉や蹄底の削切時に凹凸を作らないことや、僅かな汚れのような部分の処理にまで細心の注意を払うということです。削蹄後も選手各自で蹄を採寸し、1本の棒状の鉄桿から採寸した蹄に合った蹄鉄を作製して装蹄するまでの一連の作業が求められます。この作業は、実は日ごろのサラブレッドの装蹄の仕事ではあまり行う機会がないため、これまでの経験だけでなく大会に向けた専用の練習も必要になります。仕上げにおいても釘節の位置、仕上がりの綺麗さや蹄鉄の適合具合などが厳正に審査されるため、些細な妥協も許されません。60分間という制限時間は意外に余裕がありそうに感じられるかもしれませんが、一連の装蹄作業と同時進行で課題の特殊蹄鉄の造鉄も行う必要があるため、かなり厳しい制限時間といえます。しかし、大会に参加する選手達は皆、制限時間をいっぱいに使ってより美しく、より精度の高い装蹄を目指して競い合うのです。

こうして丸一日を費やして開催される全国装蹄競技大会は『装蹄競技』を最後に本戦が終了しますが、競技終了後や合間を縫って本戦とは異なる内容で競う『エキシビションマッチ』や装蹄教育センター講習生による造鉄演技も行われます。また、海外の著名な装蹄師による特別演技やその外国人講師から各自が持ち込んだ蹄鉄についての審査が受けられる『ホームメイドシューコンテスト』も開催されます。近年、国内の装蹄師が海外の競技会に出場する機会も増えつつあり、このような外国人装蹄師との交流は我が国の今後の装蹄業界の発展にとっては必須といえます。

装蹄競技会と聞いてピンとくる人は少ないかもしれませんが、毎年、全国各地の装蹄師が自己研鑽のために競技会に参加しており、全国大会に出場できるのは厳しい予選を勝ち抜いたほんの一握りの装蹄師のみだというこということを知っていただけると幸いです。また、今回ご紹介した全国装蹄競技大会はどなたでも観戦していただくことが可能ですので、是非一度、足をお運びいただくことをお奨めします。文章では伝わらない、選手たちの熱気も感じていただけるはずです。

 

 

【本年の競技会成績】

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JRA日高育成牧場 業務課 装蹄師 吉川 誠人

米国の混合セリ

第223号でご紹介した米国の1歳セリ(Yearing Sale)に続き、今回は混合セリ(Mix Sale)についてご紹介します。

 繁殖牝馬、離乳後の当歳馬および現役競走馬を扱う混合セリは、日本のジェイエス繁殖馬セールにHBAオータムセールの当歳セッション(現在は1歳のみ)が合体したものをイメージしていただければ結構です。米国では5,000頭近くの馬が上場されるファシグティプトン社とキーンランド協会が主催するノベンバーセールが米国最大のセリとして有名ですが、一つのセリを異なる主催者がバトンタッチしながら開催するという面白いセリとしても知られています。例年、ブリーダーズカップの後にファシグティプトン社によって最初の1日が、その翌日から主催をキーンランド協会にバトンタッチし、約2週間にわたってセリが開催されます(表)。このような大規模なセリでは、1歳セリ同様に上場馬の血統や馬体が事前にセリ会社によって評価され、評価の高い馬から順にBook1からBook6までグループ分けされます。したがって、ファシグティプトン社とキーンランド協会のノベンバーセールBook1が米国の混合セリの2大頂点となります。

1_12 表.米国の主な混合セリ

 

 セールス・プレップ(セリ上場に向けた準備)やセリ会場での下見方法については、前回ご紹介した1歳セリと大差ありませんが(写真)、現役の競走馬が上場されることも珍しくなく(セリの後も競走馬として走ることも可能)、このような場合はセールス・プレップの時間がほぼないまま上場されます。上場馬の様子はというと、当歳馬はチフニー装着で跣蹄、繁殖牝馬と競走馬はチフニーかチェーンシャンクを装着して跣蹄あるいは両前のみの装蹄、現役競走馬はチフニーかチェーンシャンクを装着して四肢全肢の装蹄が施されていました。

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写真.下見の様子(キーンランド・ノベンバーセール)

レポジトリーについては、当歳馬は1歳馬と同様に内視鏡動画がない点以外は我が国とほぼ同じ、繁殖牝馬についても我が国同様にレントゲン画像はありません。現役競走馬についてはさらに3つにカテゴリー分けされており、Racing prospect(競走馬としての上場)あるいはRacing or broodmare prospect(競走継続でもあがり馬でもどちらの道も推奨)に分類されたものは1歳馬と同様のレントゲン提出が義務付けられていますが、Broodmare prospect(繁殖牝馬への転用を推奨)に関しては繁殖牝馬同様に提出義務はありません。また、1~2月に開催されるセリならではの事情として、妊娠馬がセリ会場の馬房で出産してしまうこともあります。このような場合、生まれた子馬は母馬の落札者に所有権が認められます。

さらに、日本では“ピンフッキング”と言えば1歳馬を購入して2歳時にトレーニング・セールで売るという選択肢しかありませんが(手頃な価格帯の当歳市場が存在しないため)、米国ではこの混合セリで当歳馬を購入して1歳まで育成し、翌年の同じセリで1歳馬として売却するということも行われています。当歳から1歳までの育成では放牧管理が基本となるため、放牧地と厩舎、あとは一通りの飼養管理知識さえあればピンフッキングを生業とすることができることになりますが、実際に良く聞く話には、夫婦二人で当歳から1歳のピンフッキングを始め、軌道に乗ってから本格的に生産牧場を始めたという生産者も少なくないそうです。

次回は2歳トレーニング・セールについてご紹介します。

 

 

 JRA日高育成牧場 専門役 遠藤祥郎