2024年3月15日 (金)

妊娠期の運動

暖かい日差しを感じる日が増えてまいりました。生産地は分娩、新生子馬の管理に加えて種付けも始まり、繁殖シーズン真っ只中を迎えています。

ヒトは妊娠期に適度な運動を実施することが推奨されており、特に妊娠中期以降の運動は母体および胎児の健康、さらには分娩のための体力づくりに良い影響を与えることが広く知られています。馬においても、分娩数か月前からのウォーキングマシンによる運動の実施は、難産の予防効果が期待されています。そのため、日高育成牧場においても、分娩1~2か月前から30~60分間ほどのウォーキングマシンによる常歩運動を実施しています。その効果については検証中ですので、今回は妊娠期における繁殖牝馬の運動について、海外での研究報告を基に概説します。

Photo_8 写真1. 妊娠後期のウォーキングマシンによる運動は難産予防効果が期待される

 

妊娠期における運動実施の利点

冬季の北海道は放牧地が雪で覆われ、さらに妊娠後期には胎子重量が増加することから、妊娠馬の運動量(移動距離)は低下します。その結果、分娩直前の妊娠馬は下肢部の浮腫の発生が多くみられます。この浮腫は運動量の低下に起因するため、引き運動やウォーキングマシン運動によって改善することが知られています。また、前述したとおり、難産予防効果も期待されていますが、明確な根拠は不明のままとなっています。

一方で、インスリン感受性など代謝に関する知見は、少しずつ明らかとなってきています。インスリン感受性とは「インスリンの効きやすさ」の指標です。インスリンは糖代謝に関連するホルモンの一種で、血糖値を下げる作用があります。ヒトにおいては、肥満や妊娠の進行によってインスリン感受性が低下することが知られており、感受性の低下による高血糖状態の持続は、母体と胎児の双方に悪影響を及ぼす可能性があります。馬においても、ヒトと同様に肥満や妊娠の進行によって、インスリン感受性が低下すると考えられています。加えてインスリン感受性の低下は、蹄葉炎発症の一要因となることも知られています。

繁殖牝馬においては、痩せた馬(BCS 4.5以下)と比較して、肥満馬(BCS 8以上)はインスリン感受性が低いことが明らかとなっています(Powell et al., 2002)。また、肥満馬に30分間の速歩運動(心拍数120~140回/分となるように速度を調整)を7日間実施すると、運動前と比較してインスリン感受性が上昇したこと(図1)から、運動実施は代謝機能を改善させる効果があることが示唆されています(Powell et al., 2002)。したがって繁殖牝馬において、過肥を避ける飼養管理を実施すること、さらに過肥な馬に運動を課すことは、代謝機能の維持および改善につながると考えられます。現在、日高育成牧場においては、妊娠後期の繁殖牝馬のインスリン感受性やそれに影響を及ぼす運動の効果についての調査を実施しておりますので、新たな知見が得られましたら改めてご紹介いたします。

Photo_9 図1. 運動前後のインスリン感受性変化

 

妊娠期の運動による懸念

妊娠期の運動実施の利点をお伝えしましたが、懸念事項はないのでしょうか。

排卵(種付け)日から7日間にわたって、駈歩を含む30分間の運動を実施したところ、実施していない馬と比較して、胚回収率(≒受胎率)が低下(図2)したことが報告(Mortensen et al., 2009)されており、種付け直後の過度な運動は、受胎率を下げる可能性が示唆されています。この胚回収率の低下は、運動に起因して体温が上昇することによる熱ストレスが原因であることが推察されています。また、運動により骨格筋への血流が増加することに伴って、子宮や卵巣への血流が減少し、卵胞の質が低下する可能性も示唆されています。牛においては暑熱環境下で飼養された場合、受胎率が低下し、熱ストレスは胚に悪影響を及ぼすことが広く知られているため、馬においても同様である可能性が高いと推察されます。したがって交配前後の馬への過度な運動負荷は、受胎率に悪影響を及ぼす可能性があると考えられます。

受胎確認後の妊娠16日から80日にわたって、30~60分間の駈歩を含む運動を実施した研究においては、母体および胎子ともに悪影響は認められなかったことが報告されており(Anton MS et al., 2014)、交配直後でなければ、運動の実施は妊娠継続に悪影響はないことが示唆されています。

Photo_10 図2. 排卵後の運動の有無と胚回収率

最後に

サラブレッド生産においては、繁殖牝馬の運動効果に関してはほとんど議論されていませんでした。しかしながら、代謝機能を改善するなどの健康効果が認められつつありますので、今後の検証結果もお待ちいただければ幸いです。

繁殖牝馬の管理方法については、JRA日高育成牧場管理指針 -生産編- にも記載しています。このたび本指針を改訂し、第3版を発刊いたしました。繁殖牝馬や子馬の管理に関する最新の知見を追加するとともに、動画への二次元コードを掲載し、これまで以上に活用しやすい内容となっております。引き続き、生産・育成の参考書として利用いただけますと幸いです。

 

参考資料

JRA育成牧場管理指針 - 生産編(第3版)-

https://www.jra.go.jp/facilities/farm/training/research/pdf/research_seisan.pdf

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早期胚死滅の原因

◎はじめに

 馬の生産に関わっていれば、早期胚死滅という言葉を否応なしに耳にしたことがあると思います。胚死滅とは文字どおり、一旦受胎した「胚」が死滅・消失することを指し、日高のサラブレッドにおける調査において、発生率は5.8%と報告されています(Miyakoshi, 2012)。「胚」とは卵と精子が受精した結果できる受胎産物が子宮内に着床するまでを指し、40日前後で起こる着床後は、「胚」を「胎子」と呼ぶようになります。着床までの間に胚が死滅してしまう原因はいくつも存在しており、大きく「母体要因」、「胎子要因」、「環境要因」に分けられます。以前より影響因子として考えられている「加齢」、「子宮内膜シスト」、「BCS」、「予防としての陰部縫合」は、母体要因あるいは環境要因に含まれます。一方、「遺伝子・染色体異常」は胎子要因として考えられていましたが、その実態は詳しく分かっていませんでした。昨年末に開催されたAAEP(アメリカ馬獣医師協会)の年次大会において、この胎子要因を含めたレビューが報告されましたので、その内容を概説いたします。

 

◎胚の位置と大きさ

 通常、胚は排卵後18日頃に左右どちらかの子宮角基部に固着(写真1)しますが、これが子宮体部に固着した場合に妊娠喪失しやすいとされています(Jobert, 2005)。また、胚死滅例では同時期の正常妊娠に比べて小さい傾向があります。顕微授精における調査の結果、胚移植7日の大きさが正常妊娠8.6mmであるのに対して、胚死滅例は6.6mmでした(Cuervo-Arango, 2019)。臨床現場においては厳密な排卵(授精)時期が分からないため、胚の大きさを正確に判断することは困難ですが、双胎妊娠の場合に大きい胚を残すという判断は妥当と言えます。

Photo_6 写真1 子宮角基部に固着した胚のエコー像(排卵後21日)

◎遺伝学的要因

遺伝子情報であるDNAは、複雑に折りたたまれて「染色体」という構造で核に保存されています。この染色体の数は動物種によって異なり、ウマは通常32対(64本)ですが、特定の染色体が1本(染色体数63)となる「モノソミー」、3本(染色体数65)となる「トリソミー」、全ての染色体が3倍となる「三倍体(染色体数94)」などの染色体異常が起こることがあります(図1右)。妊娠15-65日に妊娠喪失した99例において胚(もしくは胎子)の染色体を調べたところ、これら染色体異常が49例(49%)も認められました(トリソミー10%、モノソミー4%、部分的異数性2%、3倍体35%)。一方、妊娠後半に流死産に至った150例における染色体異常は1.3%(部分的異数性が2例)にすぎないことから、これら染色体異常の多くは妊娠早期に死滅に至ると言えます。また、胚死滅を繰り返す母馬において、何種類かの「染色体の構造異常」が報告されています(図1左)。常染色体構造異常は、「転座」とも呼ばれており、異なる2本の染色体に切断が起こり、その断片が交換される現象です。ただし、その発生率は胚死滅全体の2%未満であることから、染色体の数的異常に比べると稀と言えます。

Photo_7図1 染色体の構造異常(転座)と染色体の数的異常

 

◎診断と治療

 胚死滅を繰り返す牝馬については、染色体検査(カリオタイピング)によって母馬の染色体転座を検査することが推奨されますが、残念ながら日本では実施できる施設はありません。一方、胚死滅を確認した際、子宮内に胚が残っている場合には、胚を回収して検査に供すことで、死因を特定することができるかもしれません。しかし、やはり検査を受託する施設がないことに加えて、確定診断できたとしても有効な治療法がないため、現場で検査するのは現実的とは言えません。

 筆者は胚死滅の原因として、このような遺伝的要因が多く占めているという報告に基づいて、胚死滅の予防処置として比較的簡単であるために一般的に実施されている「黄体ホルモン剤」の投与に対して、注意を促したいと考えています。なぜならば、実際に胚死滅が黄体形成不全(ホルモン濃度が低い状態)に起因している症例はそれほど多くないこと、さらに、胚死滅染色体異常はそもそも出生に至らないことから、安易に黄体ホルモン剤を投与することは生存性に効果がないばかりか、胚死滅後の再交配のタイミングを遅らせてしまうリスクがあると考えているからです。

 

◎おわりに

 本稿を読み終え、意外にも多くの染色体異常が生じていることを目の当たりにし、胚死滅の予防が困難であると思われるかもしれません。しかし、子宮内の汚染や分娩損傷からの回復遅延、子宮内膜シスト、低栄養など母馬や環境に由来する原因については、適切な飼育管理によりリスクを低減することができます。実際、日高地区の胚死滅率5.8%という数字は世界的に見ても低く、高額なサラブレッド種において、日本の生産者が入念に飼育している結果だと考えられます。

 

日高育成牧場 生産育成研究室長 村瀬晴崇

肢蹄管理への「3D技術」の応用

【肢蹄管理の問題点】

馬の蹄の怪我や病気は、専門的な知識や技術に基づいて、装蹄師を中心に飼養管理者ならびに獣医師が協力して治療しています。特に、特殊な形状の蹄鉄を使用する装蹄療法や子馬の肢勢矯正には、高度な装蹄技術が要求されるため、装蹄師による速やかな処置が不可欠です。また、疼痛を伴う症例や蹄が小さい子馬では釘による蹄鉄の固定が困難であるため、蹄鉄の接着に充填剤を使用しますが(写真1)、蹄の成長を阻害してしまうことが危惧されるばかりか、充填剤が硬化するまで肢を挙げ続けなければならないため、人馬共に大きな負担となっています。

このような問題を解決すべく、日本軽種馬協会が事業主体である「競走馬生産振興事業」における「軽種馬経営高度化指導研修事業」の一環として、日本軽種馬協会とJRAは、2021年より「生産地における3D技術の活用」について、共同で調査研究を行ってきました。本研究では、ヒト医療でも注目されている3Dプリント技術のウマ医療分野での活用を模索し、これまでに、「3Dプリンターによる特殊蹄鉄(3Dプリントシュー)の作製方法」の他、「子馬の肢勢矯正や蹄病罹患馬への応用」について検討し、その成果を2022年および2023年の「JRA競走馬に関する調査研究発表会」および「ウマ科学会」において報告しました。

D 写真1:充填剤で装着した特殊蹄鉄  

D_2 図1:3DプリントシューのCGデザイン

 

【3Dプリントシューとは】

3Dプリントシュー(以下3DPS)は、蹄の3Dデータに合わせた蹄鉄をCADと呼ばれる3D設計ソフトを用いてデザインし(図1)、それを3Dプリンターで印刷して作製します。その特徴として、「どんな形状でも簡単に造作できる」、「同じ物を量産できる」等が挙げられます。また、材質が樹脂であるため、通常の特殊蹄鉄に比べて軽量であること、さらに、蹄尖壁(蹄の前方)にカバーを付設してスリッパ形状(写真2)にすることが可能であることから、充填剤による接着が不要で、伸縮性のある包帯による固定が可能なために、着脱を容易に行うことができます(写真3)。また、充填剤を使用して接着する場合においても、接着領域をカバー部分と蹄壁に限定することで、大量の充填剤を使用する必要がなく、子馬の蹄の成長を阻害する心配はないものと考えられます(写真4)。

D_3 写真2:蹄壁カバーの付設            

D_4 写真3:伸縮包帯による固定                

D_5 写真4:カバ―部での接着

【子馬の肢勢矯正】

子馬の肢勢矯正処置として、特殊形状の「ベビーシュー」の装着や、充填剤を使用して「蹄に張出しや高低差を付ける方法」が実施されていますが、常に同じ条件で張出や高低差を付けるには、高い技術と経験が要求されます。現在、この高い技術と経験を不要することを目的として、設計段階で張出しや高低差を予め設定することを可能とし、容易に特殊形状が作製可能な3DPSを有効活用できないか調査研究を実施していますが、3DPSの強度や接着方法が確立されていないため、実用に向けて、「北海道立総合研究機構」や「旭川工業専門高等学校」などの協力を得ながら模索しています。

 

【蹄病罹患馬への応用】 

 蹄葉炎治療法として、3DPSの臨床応用を繰り返し試みた結果、初期治療において一定の効果が認められています。3DPSと蹄の間にクッション材を挿入し、厚尾状にした3DPS(写真5)を装着して、深屈腱の緊張を和らげることによって、反回を改善させることが可能となり、患肢にかかる負担を軽減させることに成功しています。また、前述したように、スリッパ状に設計したカバー付き3DPSは、ベトラップ、エラスチコン等の伸縮包帯とダクトテープとを組み合わせて使うことによって、釘や充填剤を使用することなく、安定した固定が可能となります。装着にかかる時間は短く(90~120秒)、人馬にかかる負担が軽減されます。また、3DPSが破損した場合でも、同じ形状のスペアーを準備しておくことによって、治療を継続することができ、さらに、設計を変更することによって、症状に合わせた3DPSを容易に作製することが可能です。この様に、着脱が容易であり、スペアーが準備できることから、治療中に外れてしまうなど不測の事態が起こった場合でも、飼養管理者が自ら再装着することで、獣医師や装蹄師に依頼することなく、応急処置を施すことが可能です。

D_6 写真5:厚尾状3DPS                   

D_7 写真6:蹄底スケール

 

【3DPSの普及にあたって】

今後、積極的な臨床応用が期待される3DPSですが、一連の作製過程に専門的な知識と技術が必要となることが普及の障壁として危惧されます。現在、この解決法として、最低限のパソコン操作が可能な方であれば、3DPSをデザインできるマニュアルを作成している段階であり、完成した際には、無料配信する予定です。このマニュアルには、スケール(縮尺を判別できる目盛)を含めた蹄底の写真(写真6)を基に、自動的に3DPSが作製できる補助ツールが付録されています。さらに、今後は3DPS作製用スマホアプリの開発も進めています。一方、CADソフト、3Dプリンターともに高価であることから、現段階では現場での作製まで展開することは困難であるため、当面はJBBAに専用窓口を設置し、現場からスケール入り蹄底写真と希望の形状をメール等で申請していただき、印刷した3DPSを送付する方法を検討しています。

 

【おわりに】

 すべての馬が健康な状態で生活を送ることは、私たちホースマンの願いですが、残念ながら肢蹄疾患を発症する馬は少なくありません。我々生産地の装蹄師および獣医師は、不幸にも肢蹄疾患を発症してしまった馬に対して最善の処置を施すことはもちろん、飼養管理者に対しも、可能な限り負担が軽減できる処置方法を確立して、提供できることを目指し、今後も探求し続けたいと思います。 

最後になりますが、3D技術を活用した処置方法の検討では、生産牧場、育成牧場、装蹄師、獣医師の皆さまにご協力をいただき、多くの症例馬に携わる機会をいただきましたこと、この場をお借りして御礼申し上げます。

 

JRA日高育成牧場 専門役(装蹄担当) 金子大作

新しい乳母付け法(高用量PG法)

●はじめに
年も明け、再び競走馬の繁殖シーズンとなりました。繁殖シーズンへの準備は万全でしょうか?
今回は繁殖シーズンに出会う事例の1つとして「乳母付け」について、その概要と近年海外で報告されました高用量PG法について解説いたします。

●乳母
乳母とは母馬に代わって子馬を育てる存在であり、多くはサラブレッドではなく温厚な性格のハーフリンガーや重種馬がその役割を担います。乳母は母馬が出産直後に死亡してしまった場合や、初産の若馬で発生が多い育子拒否が生じた場合、また、母馬の乳量不足や疾患など、正常な育子が期待できない場合に導入が検討されます。

●子宮頚管マッサージ法
乳母に子馬を育ててもらうには、ただ単に乳母と子馬を同居させるだけでなく、乳母にその子馬を許容してもらわないといけません。これが乳母付け処置です。
現在、日本の馬生産地では乳母の子宮頚管を用手にて刺激し、分娩時の産道刺激を模倣する子宮頚管マッサージを用いた乳母付けが一般的です(図1)。この方法は、早ければ半日程度で乳母付けが完了する一方で、2~3日程度要することもあり、さらに、子馬の安全を確保するための枠場や馬房内の専用スペースを確保する必要もあり、非常に時間と労力を要します。また、乳母と子馬の相性が悪いときは、その乳母を諦めて他の乳母を検討しなければならない場合も散見されます。

●高用量PG法
2019年に英国でPGF2α(PG)の投与が母性の惹起に有効であることが発表されました。PGは普段、黄体退行剤として使用されていますが、このPGを高用量投与することによって母性惹起が可能であり、子宮頚管マッサージをすることなく、乳母(17症例中17症例)および育子拒否馬(4症例中3症例)への母性惹起に成功したと報告されています。さらに、米国のシンポジウムでも同手法が紹介され、子宮頚管マッサージを用いた従来法と比較して、驚くほど短時間で乳母付けが完了するとの所感が報告されました。また、同手法は2021年に出版された馬繁殖関連の教科書にも掲載されています。以下に「高用量PG法」による乳母付けの手順をまとめました。
1高用量のPG製剤(黄体退行剤として使用する際の3~4倍量)を投与後、15分ほど発汗や軽度の疝痛症状といった薬の作用を確認する。
2馬房内で子馬と対面させ、乳母の子馬の匂いを嗅ぐ、舐めるといった母性行動を確認する。
3子馬を乳母の側面に移動させ、乳房からの吸乳を促す。
4乳母が吸乳を無事受け入れたら、馬房内で乳母、子馬を自由にして数分間監視する。
5子馬の安全を確認して、乳母付けは完了となる。
6母性行動が認められない場合には(10%程度)、12~24時間後にPG製剤の用量を増加して、再度、手順に沿って実施する。
高用量PG法は、PG製剤の投与のみで30分程度で乳母付けが完了するという簡便さ、そして実際に育子拒否した母馬に対しても一定の効果が見込めることから、今後、広く普及していくものと思われます。

●最後に
昨シーズン、日高育成牧場において高用量PG法による乳母付けを実施したところ、子馬との対面からわずか3分後には、子馬の匂いを嗅ぐ・舐めるといった母性行動を認め(図2)、高用量PG投与から乳母付けが完了するまでに要した時間は約30分と非常に順調でした(図3)。なお、乳母となった繁殖牝馬は、乳母付け後に正常の発情サイクルが確認され、無事に受胎することができました。乳母が必要となるような事態が起きないのが一番ですが、万が一必要となってしまった際には、高用量PG法も検討してみてはいかがでしょうか。

Photo_2図1:子宮頚管マッサージ

Photo_3図2:子馬の匂いを嗅ぐ・舐めるといった母性行

Photo_4図3:子馬を受け入れ授乳を促す乳母

2024年1月15日 (月)

2023年「英・愛」種牡馬リーディングと各国の血統の融合

馬事通信「強い馬づくり最前線」第323号

 

 2023年の日本競馬は、非常に盛り上がりを見せた一年でした。特にドバイシーマクラシックを制して、レーティング世界一に輝いたイクイノックスを筆頭に、ドバイワールドカップではウシュバテソーロが、そしてサウジカップではパンサラッサが勝利するなど、日本産馬が海外G1競走で活躍しました。

 日本の種牡馬リーディングについて見てみると、昨年は激戦となりました。2022年まで11年連続で首位に君臨していたディープインパクトがついに陥落し、ドゥラメンテが最終週に逆転で初のリーディングを獲得しました。2位はロードカナロアで、キングカメハメハ産駒種牡馬の1・2フィニッシュとなりました。しかし、ドゥラメンテは2021年に早逝し、上位種牡馬の獲得賞金も拮抗していることから、今年以降も種牡馬の覇権争いは激しくなるかもしれません。

 その一方で、上位種牡馬の系統に着目すると、皆様もご存じの通り、現在の日本の活躍種牡馬の系統は、サンデーサイレンスやロベルトから広がるヘイルトゥリーズン系と、キングカメハメハをはじめとしたミスタープロスペクター系が多くを占めています。2023年の種牡馬ランキングトップ10(図1左)を見ると、ヘイルトゥリーズン系が6頭、ミスタープロスペクター系(全馬キングカメハメハ直仔)が3頭を占めています。これはサンデーサイレンス~ディープインパクトの親子やキングカメハメハの活躍により、特定の血統に偏った結果であると考えられます。

 それでは欧州の最近の種牡馬事情はどうなっているのでしょうか。2023年の英・愛種牡馬ランキングトップ10(図1右)を見ると、3位のドバウィ(Dubawi:ミスタープロスペクター系)を除いた9頭がノーザンダンサー系となっており、日本以上の偏りが確認できます。これは、クールモアグループを代表する大種牡馬サドラーズウェルズ(Sadler‘s Wells、英・愛リーディング14回:1990年、1992年~2004年)とその子ガリレオ(Galileo、英・愛リーディング12回:2008年、2010年~2020年)、そして、豪州でも長年トップサイアーとして君臨したデインヒル(Danehill、英・愛リーディング3回:2005年~2007年)というノーザンダンサー系の大種牡馬が長きに渡って英・愛競馬をリードしてきた歴史に起因しています。

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図1 日本の種牡馬ランキング(左) 英・愛の種牡馬ランキング(右)

青:ミスタープロスペクター系、桃:ヘイルトゥリーズン系、黄:ノーザンダンサー系

 さらに、2023年のチャンピオンサイアーも同系統のフランケル(Frankel)となりました。2021年に続き自身2度目の英・愛リーディング獲得で、欧州全体のランキングでは3年連続の戴冠となりました。現役時代には「史上最強」と称されたフランケルですが、種牡馬としてもすでに記録的な成績を残しています。昨年は英インターナショナルSなどG1競走を2勝したモスターダフ(Mostahdaf)など、産駒が英・愛のG1競走を9勝と大活躍しました。フランケルの父はガリレオ、母の父はデインヒルと、まさに欧州競馬の結晶と言える配合で、同配合からは数々のG1馬が誕生しています。昨年の素晴らしい活躍から、2024年度の種付け料は、ドバウィと並ぶ欧州最高価格の£350,000(約6,300万円)に設定されました。また、後継種牡馬としても昨年の凱旋門賞を勝ったエースインパクト(Ace Impact)の父クラックスマン(Cracksman)などがおり、この血統がさらに繁栄していくことは疑いようがありません。日本におけるフランケル産駒の種牡馬は、モズアスコットなど既に3頭がおり、グレナディアガーズも今年から新たに繋養される予定です。さらにアダイヤーとウエストオーバーの大物2頭も輸入され、日本競馬への広がりは加速してきています。

 昨年の欧州では、ディープインパクト産駒のオーギュストロダン(Auguste Rodin)の活躍が話題となりました。その母の父はガリレオですので、欧州で飽和している血統に日本の血統が融合して結果を出した好例と言えるでしょう。過去には欧州血統のナスルーラが米国で大成功し、近年では、米国で活躍したノーザンダンサーが欧州で、米国で活躍したサンデーサイレンスが日本で大成功を収めたように、血統の拡散がさらなる競馬の発展に寄与するとともに、それが各国の競馬をよりエキサイティングなものにすると推測されます。

 このように、現代競馬はそれぞれの開催国のスタイルが確立されていることから、各国の競馬はその国の競馬スタイルに適した馬の選抜レースという側面が強くなっています。そのため、その国に適した種牡馬や血統というものが固定される傾向、すなわち血統の飽和状態に陥ることが危惧されているともいわれています。

 日本では今後、多くの割合を占めているサンデーサイレンス系やキングカメハメハ直仔の母馬に欧州や米国の血統が融合することでどのような反応を示すのか、特にアウトブリード配合が注目されます。昨年導入されたカラヴァッジオ(JBBA静内種馬場:写真)の母Mekko Hokteは、父Holly Bull、母の父Relaunchはもちろん、4代までの8頭全ての父系がサンデーサイレンス系・ノーザンダンサー系・ミスタープロスペクター系ではない非主流のアウトブリード血統構成となっています。さらに父Scat Daddyも4代までの8頭のうち4頭の父系が同様に非主流の血統構成となっています(図2)。また、日本で活躍しているアグリをはじめ、海外でG1競走を勝利している3頭の馬はいずれも4代までにインブリードを保有していないことからも、日本でのアウトブリード血統としてゲームチェンジャーになることが期待されます。

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写真 母系がアウトブリード血統のカラヴァッジオ(JBBA静内種馬場)

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図2 カラヴァッジオの血統構成:血統表(上)とサイアーライン(下)

 

JRA日高育成牧場 業務課 竹部直矢(現在、英・愛国にて研修中)

厳冬期における当歳馬の管理

馬事通信「強い馬づくり最前線」第322号

 季節が移り変わり、寒さが本格化してきました。本稿では、世界的に見ても稀な積雪が継続する馬産地である北海道の厳冬期において、当歳馬を管理する上での課題となる点、および日高育成牧場におけるその対策について概説します。

  

厳冬期における飼養管理の課題

①運動量の減少

 1つ目の課題は「運動量の減少」です。昼夜放牧(放牧時間17時間)を行っていたとしても、冬期の放牧地における移動距離は、秋期の「8~10km」から「4~6km」にまで減少することが明らかになっています。運動は筋骨格系や心肺機能を発達させる上で重要となることから、運動量の減少は、健常な発育に影響を及ぼします。

②発育停滞

 もう1つの課題は「発育停滞」です。米国ケンタッキーやアイルランド等の他国の馬産地で飼育されている馬と日高地方で飼育されている馬との冬期における増体量を比較すると、日高地方の馬は、体重の増加が停滞するということが明らかになっています。このような発育停滞後には、代償性に急成長することがあり、この急成長がDOD(発育期整形外科疾患)などの発症要因となることが問題となっています。

 つまり、この2つの課題を克服することが、寒い北海道において他国に負けない強い馬づくりを行う上での重要なポイントになります。JRA日高育成牧場では、当歳から明け1歳における厳冬期においても、「運動量の減少」と「発育停滞」への対策について、試行錯誤しながら、昼夜放牧を実施しています。その中でも、特に注意している点を以下に示します。

 

「運動量の減少」への対策

①ウォーキングマシンの利用

 運動量の減少を補うためには、「ウォーキングマシン」の使用が最も容易にその目的を達成できます(写真1)。ウォーキングマシンは運動時間のみならず、速度も人為的にコントロールできることから、計画的に運動量を確保することが可能となります。

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写真1  厳冬期の運動量確保のために実施しているウォーキングマシン

②複数箇所への乾草の配置

 しかしながら、当場においても、ウォーキングマシンを利用できない環境下においては、運動量の減少を補うための対策として、馬が同じ場所に滞留しない環境、つまり移動しやすい環境を整備することを心掛けています。例えば、放牧地にロール乾草を1箇所だけに置いた場合、馬は移動することなく、その場所に留まることで「エサ」を確保できるため、結果的に、馬の運動を抑制してしまうことになってしまいます。一方、乾草を放牧地の複数箇所に置き、さらにそれぞれの場所の距離を離すことによって、馬は1箇所目の乾草を完食した後には、「エサ」を確保するために、離れたもう1箇所の乾草が置かれた場所まで移動しなければならなくなります。つまり、放牧地の複数箇所に乾草を置くことによって、自発的な運動を促進させることが可能になります(写真2)。この際に注意すべきことは、乾草を置く場所を変えると、馬が気付かないことがあるため、毎日同じ場所に乾草を置くことが推奨されます。このように毎日、複数箇所に乾草を置くことは、多大な労力が必要となりますが、一方でロール乾草を設置するよりも、「乾草の消費」という側面では、節約が可能になるというメリットもあることから、試していただく価値はあると感じています。

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写真2  放牧地の複数箇所に置かれた乾草を摂取する馬たち

③除雪等による移動通路の確保

 その他、運動量の減少を補うための対策として、放牧地内の移動を容易にすることを目的として、除雪を実施しています。除雪によって通路が確保された放牧地内の馬を観察していると、除雪された通路を好んで歩く姿を見ることができます。さらに、除雪によって地面に現れた牧草を食する姿も見ることができます(写真3)。一方で、除雪後に思わぬ降雨に見舞われると、路面が凍ってしまうというデメリットも生じるため注意が必要です。この対策としては、完全に除雪することなく、少し圧雪するだけでも馬の移動を容易にすることが可能となりますので、状況に応じた対応が不可欠となります。

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写真3  除雪された通路の牧草を食する馬たち

 

 

「発育停滞」への対策

 発育停滞への対策は、「エネルギー摂取量」と基礎代謝や発育のための「エネルギー消費量」を適切に維持することといえます。つまり、発育に必要なエネルギー蓄積量を不足させないように、心掛けなければなりません。そのためには、「冬毛」と「十分量の乾草給餌」がポイントとなります。

①「冬毛」の効果

 まずは「冬毛」の効果について触れてみます。寒冷環境下では、体温を維持するための基礎代謝エネルギー消費が高まります。体温は外気温よりも高いため、常に熱エネルギーは体の外へ失われています。そのため、体は代謝熱として、熱を産生し続け、熱産生が高まることによって、エネルギー不足となり、発育停滞、削痩、さらには免疫低下といった弊害が起こることが考えられます。この寒冷環境に対する動物の適応方法の最たるものが「冬毛への換毛」です。冬毛は毛が立っているため、「セーター」のように空気の層を形成することが可能となり、これによって体温が保持されます。このため、冬毛の上に雪が積もっても、馬はそれほど寒さを感じることはありません。つまり、冬毛は基礎代謝エネルギー消費量を減少させて、発育に必要なエネルギー蓄積量を不足させないためには、必要不可欠であると考えられます。一方、冬毛の状態の馬は、雨によって皮膚まで濡れてしまった際には、乾燥するまでに時間を要するため、雨に濡れた後に、気温が低下した場合には、タオルで乾かすなどの対応が必要となります。

 このように、冬毛への換毛は、寒冷環境に対する動物の生理的な反応であるため、厳冬期にも昼夜放牧を継続している当場では、冬毛への換毛は不可欠であると考えています。一方、春を迎えると早々に行われるセリやクラブ会員に向けた「写真撮影」が控えている馬に対しては、冬毛は極力伸ばしたくないという事情があることも理解できます。それらの馬に対しては、厳冬期の放牧時に防水性の馬服の着用が不可欠であり、馬服の着用は、冬毛と同様に保温効果を有しており、基礎代謝エネルギー消費量を減少させる効果があるのみならず、馬体を綺麗に維持することも可能になります。しかしながら、馬服に起因する不慮の事故が起こることもあるため、注意が必要です。

②「十分量の乾草給餌」の効果

 続いては「十分量の乾草給餌」の効果について触れてみます。馬は、摂取した「エサ」を腸内で発酵し、さらに分解・吸収しています。その際に、大きな発酵熱を産生しており、これを体温維持に利用しています。「牧草」は「濃厚飼料」よりも熱産生量が多いため、厳冬期の体温維持には、十分量の乾草を摂取させることが重要と言えます。一方、当歳馬は乾草だけでは十分な微量栄養素を摂取できないため、配合飼料も給与しなければなりませんが、厳冬期には可能な限り「十分量の乾草給餌」を心掛けなければなりません。また、飲水量が減少すると、特に乾草の採食量が低下すると言われています。特に厳冬期は、飲水量が減少しやすい時期であることから、十分量の乾草の摂取を促すためにも、十分量の飲水を確保できる環境を用意することが極めて重要となります。そのためにも、電熱線入りのウォーターカップを設置するなど、水桶の凍結防止措置が不可欠です。

③その他の対策

 その他、睡眠中に成長ホルモンの分泌を促進することを目的として、放牧地内に「シェルター(写真4)」や「風除け」を設置し、夜中に快適に眠れるような環境を整備することによって、発育停滞の改善に効果が期待されます。

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写真4 シェルターで休息する馬たち

 

●さいごに

 JRA日高育成牧場では、厳冬期における昼夜放牧管理で大きなトラブルは、今までありませんでしたが、本稿で概説したように、冬期においては夏期よりも、細やかな管理が必要となりますので、皆様方の飼育管理の参考にしていただければ幸いです。

 

 

 

日高育成牧場 業務課  久米紘一

さく癖と濃厚飼料摂取および消化器の障害との関係

馬事通信「強い馬づくり最前線」第321号

≪はじめに≫

  馬の「ゆう癖」、「旋回癖」および「さく癖」などの習慣的な行動は、馬が健康で精神的に健常であれば発現しないであろうと考えられており、好ましくない悪癖として認識されています。これらの悪癖は異常行動であり、様々なストレスが原因となり発現すると考えられています。しかし、馬が何に対してストレスを感じているかを我々が察知することは困難であり、その原因を取り除くことは容易ではありません。一方で、飼養管理方法が原因となって、悪癖が発現する場合があり、その原因を正しく理解できれば、それを改善することにより悪癖の馬を減らすことができるかもしれません。

 さく癖(グイッポ)は、馬が前歯を柵などの固定物に引っ掛けて頭頸部を屈曲させ、独特のうねり声を出しながら食道に空気を吸い込む悪癖です(写真)。さく癖の馬は、消化器官の障害を発症しやすいと言われてきました。しかし現在は、さく癖が胃潰瘍や疝痛の発症原因なのではなく、そのような疾病を発症しやすい飼養管理が、さく癖を発現する大きな要因になっていると考えられています。

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写真 さく癖の馬:前歯を柵などの固定物に引っ掛けて頭頸部を屈曲させ、独特のうねり声を出しながら食道に空気を吸い込む

 

 

≪濃厚飼料の過剰摂取は胃潰瘍の原因≫

 さく癖と胃潰瘍の関係の前に、濃厚飼料の摂取と胃潰瘍との関係について解説します。

 海外の調査で、胃潰瘍を発症した馬は、濃厚飼料の摂取量が多い傾向にあることが報告されています。胃潰瘍は、胃の無腺部が胃酸を多く含むpHの低い胃内容液に長時間、曝されることにより発症します。一方、唾液は採食時の咀嚼により分泌が促進されますが、アルカリ性であるため胃内のpHを上昇させ、胃粘膜が酸によって浸食されることを予防する作用があります。馬が粗飼料のみを摂取している場合、採食時間が長くなるため、唾液が胃内に流入する時間帯が多くなります。一方で、家畜として飼養管理されている馬、特にサラブレッドには1日に数回、エネルギー濃度の高い濃厚飼料が給与されますが、必要なエネルギーを短時間で獲得できるので採食に要する時間も短くなります。その結果、胃内に唾液が流入する時間帯は限定されるため、胃内のpHは低下しやすく、胃潰瘍を発症するリスクは高くなります。また、唾液の分泌量は咀嚼回数に従い増加しますが、濃厚飼料を嚥下するまでの咀嚼回数は、同量の粗飼料を摂取した場合に比べて少ないため、唾液の分泌量も少なくなります。さらに、濃厚飼料を摂取したとき、胃酸の分泌を刺激するガストリンというホルモンの血中濃度が粗飼料を摂取したときに比べて上昇するため、胃酸の分泌量が増加するとされています。このように、濃厚飼料の摂取は、粗飼料のみを摂取する場合に比べて、胃内のpHが低くなる要素が多いことが分かります(図1)。さらに、濃厚飼料の摂取量が増加するにつれ、胃内のpHを下げる要素の影響が大きくなることから、胃潰瘍発症のリスクがさらに高まることは容易に想像できます。

 

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図1 摂取飼料が胃内溶液のpHに及ぼす影響(乾草のみと濃厚飼料+乾草を給与した馬の24時間中の胃内容液のpH中央値を比較)

 

 

≪胃潰瘍とさく癖の関係≫

 海外の調査において、さく癖の馬はさく癖の無い馬に比べて胃潰瘍を発症している割合が多いことが報告されています。それでは、胃潰瘍とさく癖にどのような関係あるとされているのでしょうか? 正確には相互に関連があるのではなく、胃潰瘍が発症しやすい胃内のpH低下が、さく癖の発現と関係があるとされています。あくまでも仮説ではありますが、さく癖は胃内のpHを低下させないための適応行動であると考えられています。具体的には、胃内のpHが低下することは馬にとっては不快であり、さく癖は唾液の分泌を促して少しでもその不快感を解消しようとするための行動ではないかと推測されています。さく癖を行う馬に、自由にさく癖を許したときと、人為的に5分間さく癖を制止したときの唾液の分泌量を比較した場合、さく癖を許した馬の分泌量は変化が無かったのに対して、制止した馬の分泌量は有意に減少しました(図2)。この研究結果からは、さく癖は唾液の分泌を促す効果があることが示されています。また、さく癖の子馬に胃酸を緩衝させる効果のある制酸性サプリメントを給与したとき、さく癖の頻度が減少したことが報告されており、さく癖は胃のpH低下を抑制するための行動であるという仮説を裏付ける成績であると考えられています。

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図2 さく癖馬にさく癖を制止させたときの唾液分泌量の変化(プレの採材から5分間、さく癖を制止して唾液分泌量の変化を調査)

 

 

≪疝痛とさく癖の関係については不明≫

 さく癖により吸い込んだ空気が、食道を通過して消化器官に流入するため、“さく癖の馬は風気疝などを発症しやすい”とされていたことがありましたが、さく癖による吸気が大腸にまで達することはないようです。近年は、さく癖の馬に疝痛が多いのもまた、濃厚飼料が影響しているのではないかと推察されています。濃厚飼料を多く摂取すると、デンプン等の易消化性炭水化物が盲結腸内に流入し、腸内細菌により乳酸発酵されることで大腸内のpHが低下します。ちなみに、濃厚飼料の過剰摂取により疝痛が発症するのは、大腸内における過度な乳酸発酵が原因であると考えられています。大腸内のpHが過度に低下したとき、腸粘膜が侵され炎症(潰瘍)が発症します。腸に潰瘍が発症した馬は、歯ぎしりなどの行動を示すことがあり、これは大腸に不快感があるためであると考えられています。仮説としては、この不快感を緩和するための手段の一つがさく癖であり、さく癖の馬に疝痛が多くみられる理由ではないかと推察されています。しかし、このことを証明する情報は乏しく、さく癖と疝痛を結び付けるには更なる研究が必要なようです。

 

≪おわりに≫

 馬が行うさく癖などの悪癖は、身体や精神の健康にとって好ましくない状況にあることを伝えるためのサインとして捉えることができます。悪癖の発現を予防することは重要ですが、サインを受け取ったとき、飼養管理において改善すべき問題がないかを見直すこともまた重要であると考えています。

 

 

日高育成牧場 首席調査役 松井朗

2023年 英・愛競馬を振り返る

馬事通信「強い馬づくり最前線」第320号

 現在、日本競馬では秋のG1シリーズ真っ只中であり、これまでに三冠牝馬の誕生や、天皇賞での世界レコード勝利など印象的なレースが多く、大変な盛り上がりをみせています。一方、筆者が滞在している英国・愛国では、11月5日をもって芝の平地競走シーズンが終了しました。翌年3月のシーズン再開まで、平地競走はオールウェザー競走のみが行われ、主に障害競走が行われる季節になります。本稿では話題満載となった2023年の英・愛平地競馬を振り返ります。

 

【エイダン・オブライエン調教師とクールモアがG1戦線を席捲】

 今年も愛国のトップトレーナー、エイダン・オブライエン調教師とクールモアが英・愛G1を計14勝と圧倒的な結果を残しました。ディープインパクト産駒で英愛ダービーを勝ったオーギュストロダン(写真1)が日本でも話題となりましたが、負けず劣らずの成績を収めたのが同じ3歳馬のパディントン(父Siyouni)です。昨年10月にデビュー2戦目で勝ち上がってから、1,600~2,000mの距離で7連勝を記録しました。特に5月の愛2,000ギニーから8月のサセックスSまでのG1・4連勝は圧巻でした。さらに同厩舎からは2歳馬のシティオブトロイ(父 Justify)という新星も誕生しました。同馬はデビューから3連勝でデューハーストS(G1)を快勝しました。陣営が「Our Frankel(私たちにとってのフランケル)」と歴史的名馬になぞらえた発言をするほど期待されており、来年以降の活躍にも目が離せません。

 本年はシャドウェルの馬達の活躍も目立ちました。同グループは、2021年にオーナーであるシェイク・ハムダン殿下が亡くなったことで、競馬事業を縮小することを発表していました。しかしその翌年、バーイード(父 Sea The Stars)がマイル路線を中心に歴史的な結果を残して年度代表馬に輝き、今年もプリンスオブウェールズS(G1)とインターナショナルS(G1)の2大タイトルを制したモスターダフ(父 Frankel)や“キングジョージ”(G1)を制したフクム(父 Sea The Stars)などの大物が出現しました。今後の同グループの動向に注目が集まっています。

 

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写真1.英・愛で3つのG1を制したディープインパクト産駒、オーギュストロダン

 

 

【種牡馬部門はフランケルがリーディングを独走】

 種牡馬部門をみてみると、フランケル(父 Galileo)が自身2度目2年ぶりの首位を独走しています。前述のモスターダフをはじめ、産駒8頭でG1レースを9勝しました。さらに仏国では、後継種牡馬のクラックスマンが凱旋門賞を無敗で制したエースインパクトを輩出しました。同馬は今シーズンでの引退と仏国での種牡馬入りが決定しており、フランケルの血脈がさらに繁栄していくことが期待されています。フランケルの後継種牡馬といえば、日本には現在モズアスコットなど3頭がいますが、2021年英ダービーなどを制したアダイヤーと、2022年愛ダービーと本年のサンクルー大賞を制し、ドバイシーマクラシックでイクイノックスの2着となったウエストオーバーが来シーズンから国内で供用されることが発表されています。欧州の最強馬の血脈が、今後、日本にもどんどん広がっていくのかもしれません。

 

【日本種牡馬産駒の活躍】

 2023年は日本産種牡馬産駒の活躍が非常に話題となりました。前述のディープインパクト産駒オーギュストロダンは、英・愛ダービーに加えて愛チャンピオンSと3つのG1勝利を挙げた後、11月5日に行われたブリーダーズカップターフでも勝利を収めました。ディープインパクトのラストクロップということもあり、当初は引退して種牡馬入りする予定でしたが、オーナーサイドは「来年も現役続行を視野に入れている」とコメントしているようです。もし、現役続行するようなら、非常に楽しみです。

 エイダン・オブライエン厩舎からさらにもう一頭、ハーツクライ産駒のコンティニュアスも活躍しています。今年の英セントレジャー(G1)を勝利して、クラシックウイナーとなりました。同馬は凱旋門賞5着の後、ジャパンカップに出走予定となっています。父の母国、日本でどのような走りをするか、要注目です。

 

【“フランキー”・デットーリ騎手の欧州ラストシーズン】

 最後にトップジョッキーの去就について触れさせていただきます。長年にわたり欧州を拠点に世界の競馬をリードしてきたデットーリ騎手が欧州を後にすることとなりました。当初は今シーズン限りでの引退を表明していましたが、その後、米国に拠点を移して現役を続行することを発表。まだその一流の騎乗を見る機会が残されたことは喜ばしいのですが、欧州では10月21日のチャンピオンズデーが最後の騎乗機会となりました。

 この日はまさに有終の美という言葉が相応しい、記憶に残る一日となりました。第1レースのロングディスタンスカップ(G2)を制しただけでなく、最終騎乗となった英チャンピオンS(G1)では、キングオブスティールで道中最後方から猛然と差し切り、最後のG1制覇を成し遂げました。これ以上ないドラマティックな結末に、アスコット競馬場は大歓声に包まれました。欧州で「フライング・ディスマウント(写真2)」を見る機会はこれが最後になるかもしれませんが、ブリーダーズカップでは早速2つのG1を制した同騎手。米国でもさらなる活躍を見せてくれることを期待せずにはいられません。

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写真2.英チャンピオンSで欧州での有終の美を飾ったデットーリ騎手の「フライング・ディスマウント」

 

JRA日高育成牧場 業務課 竹部直矢(現在、英・愛国にて研修中)

育成期の運動器疾患とリハビリテーション

馬事通信「強い馬づくり最前線」第319号

 日高育成牧場に入厩した1歳馬たちは順調に初期調教を終え、騎乗調教をメインとした基礎トレーニング期に移行しました。この時期の1歳馬の身体はまだまだ未成熟であり、運動強度が増すにつれ、様々な運動器疾患を発症します。運動器疾患を発症した際に、どの程度休養すべきなのか、いつ立ち上げればよいのか、リハビリテーション(以下リハビリ)の際には頭を抱えることかと思います。皆さまと同様試行錯誤の中ではありますが、当場にて育成期の運動器疾患のリハビリにあたり気を付けているポイントを本稿ではご紹介させていただきます。

 1)正確な診断

 リハビリを開始するにあたり、何よりもその馬の病態の正確な診断が重要になります。疾患には骨・腱・靭帯など、発症した組織によって、それぞれ異なった修復過程が存在し、個体差も大きいとされています。歩様検査、触診はもちろんのこと、必要に応じて、診断麻酔検査やレントゲン検査、エコー検査などを実施し、損傷部位の特定に努めています。また、初期の症状の程度(跛行の重症度、触診所見の有無)やその後所見(跛行・患部の腫脹など)が消失するまでに要する日数なども見逃せません。疾病の重症度を総合的に判断し、短期的もしくは中・長期的なリハビリ計画を決定することがリハビリの第一歩になります(図1)。

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図1:深管骨瘤のリハビリ計画の一例

 2)完全休養の期間をつくる

 先に述べたように、骨・腱・靭帯といった各運動器にはそれぞれ異なる修復過程が存在します。修復に要する期間は決まっており、決して短縮されることはない点に留意が必要です。疾病は運動器の損傷の比率が、馬に備わっている修復・適応能力の比率を上回った際に生じます(図2)。例えば、骨の場合、損傷に対して修復が間に合わず、骨の細胞が死んでしまうと、死んだ骨の細胞が置き換わるのに約2~3週間かかることが知られています。この死んだ細胞が置き換わるまでの時期を十分に休養させることができれば、骨の質が変化し、損傷が周囲に波及しない様に損傷周囲の骨構造が修復されるとされています。(ちなみに、骨の質の修復には3ヶ月を要します。)育成期によくみられる疾患である、「深管骨瘤」、「内側管骨瘤」、および「管骨々膜炎」は、運動負荷に対する骨の適応の結果であると同時に、跛行などを伴う場合は、修復が間に合わず骨に

 損傷が蓄積した状態であると考えられます。動かしながら様子を見たいと頭はよぎりますが、疾病発症直後に、一定期間馬房内での完全休養を取り、損傷が周囲に波及しないよう備えることが再発を予防する意味でも重要であると考えています。

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図2:トレーニングによる負荷と組織修復の関係性の概念図

 3)休養明け調教の負荷調整

 一定期間の休養を挟んだ馬はどうしても筋肉量をはじめコンディションが低下しており、調教負荷の急な上昇はせっかく休養によって修復された損傷部を再び悪化させかねません。当場では、舎飼いでの休養期間後にウォーキングマシン(以下WM)での運動を再開し、1回あたりの時間を30分、60分と約1週間を目安に段階を分けて負荷を上げています。パドック放牧は、馬が予期せぬ動きをしてしまい、こちらが想定している以上の負荷がかかる恐れがあるため、馬の性格にもよりますが、WMを開始し、

ある程度馬の精神状態が落ち着いてから再開するようにしています。WMでの運動を再開しても患部の悪化がないことが確認できれば、トレッドミル(以下TM)での調教に移行します。TMの利点は、走行速度や傾斜を変更することで、リハビリの時期にあった運動量を調整できることです。この時期が最も気を遣い、速歩・駈歩の時間を調整しながら騎乗運動への移行時期を探ります。TM調教前後での患部の触診所見(腫脹・帯熱など)に悪化がないことが確認できれば、晴れて騎乗運動を再開します。騎乗運動再開後も、急ピッチな立ち上げにならないよう、TM+騎乗常歩運動からはじめ、騎乗速歩、ハロン30秒程度のハッキングと徐々に騎乗時間・強度を上げていくようにしています。運動再開後の馬の反応は様々で、患部に所見を再発することなく順調に強度を上げていける馬もいますし、どこかのステージで経過が安定せず再び休養させる馬もいます。馬をよく観察し、違和感が少しでもあるのであれば一度負荷を上げるのを辞め、目には見えないミクロな損傷部の修復程度を想像しながら、調教負荷を調整してやることが、最終的には患部の損傷が後に再発しづらいリハビリにつながると考えています。

 

 現在、患部の修復の一助になるのではと、野球選手の靱帯損傷等の治療に用いられるPRP療法や骨修復効果を期待できる低出力超音波パルス療法を完全休養期に併用し、その効果を検証中です。完全休養期により充実した損傷部の修復が可能になるよう、研究成果を今後報告できれば幸いです。

 

日高育成牧場 業務課 瀬川晶子

当歳馬に対するグランドワーク

馬事通信「強い馬づくり最前線」第318号

 

はじめに

 当歳馬の離乳もすでに終えられている牧場も多く、当歳馬を個別に管理し、個々の馬の個性に向き合われている時期ではないかと思います。当歳馬の体重は300㎏を超える個体も認められ、放牧地へ向かう引き馬の際に、制御するのが困難な状況を経験されている方も少なくないものと想像いたします。今回は、当歳馬の取り扱いを容易にすることを目的としたグランドワーク(写真1)の実施について概説します。

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写真1.グランドワークの基本となる引き馬はセリ馴致時にも役に立ちます

 

グランドワーク

 近年、ナチュラルホースマンシップの手法を基にした「グランドワーク」は、競走馬や育成馬のみならず、離乳後からセリ上場までの中期育成期に取り入れられることも少なくありません。グランドワークとはその名のとおり、馬に乗ることなく地上(グラウンド)において、馬に向き合って意思疎通を図る方法です。これにより、馬とのコミュニケーションを構築し、普段の取り扱いのみならず、騎乗時の信頼関係をも高めることが目的といえます。

 つまり、「人の指示に従うように導く」ことが最終目標であり、無理やり従わせるというより、馬が「自発的に行動を起こす」ことが重要となります。馬だけでなく、人も含めた動物全般の自発行動は、「オペラント条件づけ理論」に基づいて、学習させることによって、その頻度を増加させることが可能になると考えられています。

 

オペラント条件づけ理論

 「オペラント条件づけ理論」においては、行動を起こす頻度を上げることを「強化」、行動を起こす頻度を下げることを「弱化」と定義し、行動の直後に刺激を与えること「正」、行動の直後に刺激を取り除くことを「負」と定義しています。これらの「強化」および「弱化」、「正」および「負」という定義によって、1)「正の強化」、2)「負の強化」、3)「正の弱化」、4)「負の弱化」の4つに分類されます(図1)。馬に自発行動を促すには、行動を起こす頻度を上げる「強化」にフォーカスする必要があります。つまり、「正の強化」あるいは「負の強化」の理論に基づいて、自発行動を増加させるように誘導しなければなりません。

 「オペラント条件づけ理論」に基づいて考えると、捕食者である犬は獲物を得ることに満足感を得るため、何かを得ることにより、行動を起こす頻度が増加する「正の強化」によって行動が支配されている傾向が強いと考えられています。つまり、「正の強化」とは「お座り」をしたら「エサ」という好きなものがもらえるので、自発的に「お座り」する行動が増加するというイメージになります。
 一方、被捕食動物である馬では、肉食動物に狙われるという危険な状態から逃げることによって安全で快適な状態、つまり満足感を得るため、嫌なものが取り除かれることにより、行動を起こす頻度が増加する「負の強化」によって行動が支配されている傾向が強いと考えられています。つまり、「負の強化」とは、我々の身近な例で例えると、シートベルトを装着しなければ、不快なアラーム音が鳴り続ける(シートベルトを装着すると不快なアラーム音という嫌なものが取り除かれる)ので、自発的にシートベルトをする行動が増加するというイメージになります。

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図1.「オペラント条件づけ理論」の図解

 

「オペラント条件づけ理論」の馬への応用

 馬に対して「正の強化」および「負の強化」の手法に則って、自発行動を促進した例についてはQR①およびQR②をご参照ください。前者は障害飛越後に必ず「エサ」を与えるという行為を繰り返す「正の強化」によって、最終的には自発的に障害を飛越するようになるという例になります。後者は人に付いていくことによって「プレッシャー」が解除されるという行為を繰り返し理解させる「負の強化」によって、最終的には自発的に人の傍に位置するようになるという例になります。

                   

Qr1


QR①「正の強化」に基づく障害飛越  

Qr2


QR②「負の強化」に基づくジョインアップ

 

「負の強化」に基づいた当歳馬に対するグランドワーク

 当歳馬に対するグランドワークは、「オペラント条件づけ理論」の「不快な状態から解放されることがご褒美(プレッシャー&リリース)」となる「負の強化」に基づいて実施することが推奨されます。図2に示したとおり、4つの手順に分けて進めていきます。具体例としての動画はQR③をご参照ください。

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図2.当歳馬に対するグランドワークにおける4つの手順

Qr3


QR③ 当歳馬に対するグランドワーク

https://youtu.be/pnMaPDjwkns

 

右脳と左脳のイメージ

 馬を安全に取り扱うためには、グランドワーク等によって人の指示を馬に理解させなければならず、野性の本能でもある「臆病で逃げる」という性質を可能な限り排除する必要があります。一方、競馬では「全速力で走る」という野生の本能を誘起しなければなりません。この相反する2つのことを馬の右脳と左脳にフォーカスを当ててみると以下のように考えることができます(図3)。

 野生の馬は捕食者から逃げるために、反射的に反応できる右脳を優位に働かせていると考えられています。人とのコミュニケーションが不足している馬は右脳が優位であり、自身が経験したことのない全ての新しいことに対して「危険なこと」と認識して、逃げるという行動を取るのは極めて自然なことです。そのため、安全に取り扱うためには、主に思考を司る左脳を優位に働かせなければならず、人が関わることが「危険なことではない」と理解させる必要があります。

 馬が左脳を優位に働かせているような行動を見ると安心する一方で、競走馬として何か足りないのではと感じることがあります。その足りないものとは「反射的な俊敏な反応」であり、取り扱いの難しい競走馬が競馬で好成績を残すことが少なからずあるということと関係があるようにも思われます。理想的には、普段の取り扱いは左脳を優位にさせて扱いやすく、競馬の勝負どころでは右脳を最大限に優位にできるような馬を育成していきたいと考えています。

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図3.馬を用いた競技は馬術競技の馬場馬術を頂点として、調教程度の高い順に木の幹として表されます。「根」は全ての競技に不可欠な基本的な馬の取り扱い(グランドワーク)と捉えられています。競馬は馬を用いた競技の中で最も野生に近い競技であり、最も右脳の優位性が必要な競技と考えられます。

 

日高育成牧場 副場長

頃末 憲治