2026年2月10日 (火)

感染症診断の要となる様々な微生物検査

2025年も前半が終わりましたが、今年は馬の伝染病に関する様々な出来事がありました。帯広競馬場における13年ぶりの馬コロナウイルス感染症の集団発生を皮切りに、1月から2月にかけては馬鼻肺炎の神経型の発生、4月には国内では17年ぶりとなる馬インフルエンザの発生が熊本と北海道で確認され、ばんえい競馬の開催やくまもと国体の馬術競技が中止となりました。これらの伝染病は、防疫対応に当たった関係者の努力によって幸いにも全国的な流行を起こすことなく経過しています。このような伝染病の拡散を防ぐためには、いかに早く病気の原因となる病原体を特定し、病気をうつす可能性のある感染した馬を摘発、隔離することが重要となります。また、子馬のロドコッカス・エクイ感染症、馬ロタウイルス感染症のように日常的に認められ感染症は、早期に診断して適切な治療を行うことが、病気の重症化を防ぎ、回復を早めることに役立ちます。これらの感染症の診断には様々な技術に基づいた微生物検査が使用されています。今回の馬事通信では馬の微生物検査に用いられている3つの検査法の特徴について紹介します。

 

迅速性と手軽さを備えたイムノクロマト法 

イムノクロマト法は、特殊なシート上で起こる毛細管現象と抗原抗体反応を利用した微生物検査法です。ヒトでは簡易診断キットとして2020年にパンデミックを引き起こした新型コロナウイルス感染症や毎年冬になると流行を引き起こす季節性インフルエンザなどの診断に広く用いられています。5〜15分程度の時間で結果が得られるという迅速性と特別な機器を必要せずどこでも検査が行えるという手軽さが特徴です。2007〜8年の馬インフルエンザの流行時には他の動物に先駆けてイムノクロマト法(図1A)よる診断が行われ、流行の終息に大きく貢献しました。その他にも子馬の下痢症の原因としてよく知られるウマロタウイルス感染症(図1B)、致死的な腸炎を引き起こすことのあるクロストリディオイデス・ディフィシル感染症の診断にイムノクロマト法が用いられています。いずれの検査法も馬ではヒト用に開発されたキットを利用しています。

 

高感度と正確さを特徴とした核酸増幅法

核酸増幅法は、すべての生物の設計図である核酸(DNAやRNA)の一部を人工的に増幅する方法です。その原理は1980年代に開発され、1990年代からはヒトや動物の感染症を専門とする機関において用いられてきましたが、新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって世の中に広く知られるようになりました。核酸増幅法の一種であるリアルタイムPCR法は最もよく使用される方法であり、前述のパンデミックの際には駅前や公園などに臨時のPCR検査センターが設置されたことは皆様の記憶にも新しいことと思います。核酸増幅法を実施するためには特別な機器(図2)を必要としますが、イムノクロマト法にくらべて感度や正確性(専門用語では特異性と言います。)に優れている方法です。馬においても馬鼻肺炎、馬コロナウイルス感染症、ローソニア感染症など様々な感染症の診断に使用されています。

 

現在でも有用な古典的手法である培養法

感染症の診断技術は日々進化し、従来の検査法から新しいものへと置き換わりつつあります。一方、古典的な検査法の一つである培養法は、操作が煩雑で時間がかかったり、知識や経験が必要になったりと欠点も多いですが、現代の微生物検査において必ずしも不要になったわけではありません。培養法の最大の特徴は、“生きた病原体”を得られることにあります。“生きた病原体”は、治療に有用な抗生物質の種類を調べたり(図3)、感染や発症メカニズムの研究やワクチンの開発などにも活用することができます。培養法は、前述の2つの検査法に比べて、迅速性や感度などは劣る場合があるものの、その発展性は培養法のメリットとも言えます。

 

さいごに

今後、感染症の診断技術は、人工知能(AI)などの最新技術を取り込んで更に発展していくものと考えられます。当研究室ではこのような最新技術を生産地で発生する馬の感染症の診断に役立てられるよう研究を続けていきたいと思っています。

日高育成牧場 生産育成研究室 丹羽秀和

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図1. 馬で用いられるイムノクロマト法を応用した診断キット。A:馬インフルエンザ用、B:ウマロタウイルス用

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図2. リアルタイムPCR装置

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図3. 抗生物質の効き目を判断するための試験(薬剤感受性試験)。抗生物質の効き目は、薬を染み込ませた白いディスクの周辺にできる阻止円(菌が発育していないエリア)の大きさで評価します。

2026年1月22日 (木)

当歳馬におけるローソニア感染症の予防について

7月も終わりに近づき、日高地方でも暑い日が続いています。もちろん、本州以南よりも過ごしやすい気候なのですが、夏は暑さに加えてアブが増え、放牧中の馬達を悩ませています。アブを追い払うために尻尾を振りつづけて汗だくになり、体重を減らしてしまう馬もいます。このように、夏季の子馬たちのストレスを軽減することは生産牧場の課題だと感じています。ストレスがかかる生活が続くと、馬の体内でコルチゾールというホルモンの分泌が亢進し、免疫力が低下するため、様々な感染症にかかりやすくなります。本稿では、生産地で問題となる感染症の内の一つ、ローソニア感染症についてご紹介します。

ローソニア感染症は、Lawsonia Intracellularisという細菌が原因となる感染症です。当歳馬で多く発症し、1歳馬でも発症することがあります。特に寒さが増す冬や離乳直後など、子馬にストレスがかかりやすい季節に発症が多いと言われています。この細菌は小腸の細胞に寄生し、異常な細胞増殖を引き起こし、腸粘膜を肥厚させることでタンパク質などの栄養吸収が阻害されます。その結果として現れる主な症状は、下痢、元気消失、体重減少、低タンパク血症などがあり、重篤な症例では死んでしまうこともあります。

この感染症を予防するためには、できるだけストレスをかけない管理をすることはもちろんなのですが、ワクチン接種も行われています。豚用に認可されている生ワクチンが市販されており(写真①)、これを馬にも利用されています。現在、同ワクチンについては製薬会社と関係機関の協力のもと、馬用としての認可を取得できるよう調整が進められているところです。

投与方法は、豚では経口投与が推奨されていますが、馬では経直腸投与の方が効果が得られるようです。日高育成牧場の1歳馬を用いて過去に行った実験によると、経口投与群では10頭中1頭しかワクチンの効果を示す抗体価の上昇が見られなかったのに対し、経直腸投与群では10頭中8頭で明らかな抗体価の上昇が認められました。

写真②のように肛門からチューブを挿入し、一頭あたり30mlのワクチンを注入します。これを1か月間隔で2回行います。日高育成牧場では、例年8月下旬から9月上旬頃に離乳を行うので、その時期に抗体価を高く維持するため、7月上旬と8月上旬の2回投与を行っています。このワクチンを使用し始める以前は、日高育成牧場でも当歳馬や1歳馬での発症が認められましたが、使用以降は1例も発症しておらず、効果を実感しています。

疾病から身を守る免疫力が未熟な子馬にとって、感染すると重篤な症状を呈すことがあるローソニア感染症は、生産地で最も警戒するべき子馬の感染症の一つです。離乳や暑熱・寒冷ストレスなどにさらされざるを得ない子馬たちですが、立派な競走馬になるために逞しく育つよう、ワクチン接種をはじめとした疾病対策を万全にして管理していきましょう。

日高育成牧場 業務課 竹部直矢

Photo 写真①:市販されているローソニア生ワクチンであるベーリンガー・インゼルハイム社製「エンテリゾール®イリアイティス」

Photo_2 写真②:日高育成牧場では例年当歳の7月と8月にこのワクチンの経直腸接種を行います。

2026年1月15日 (木)

JRA育成馬における隊列調教の実践

JRA日高育成牧場では、毎年7~9月にかけて購買した1歳馬および日高育成牧場で生産したJRAホームブレッドに対して、早い群では9月上旬から騎乗馴致を行い、10月上旬から騎乗調教を始めています。獣医師や騎乗スタッフは、各馬の性格や能力を的確に把握し調教メニューを決めていきますが、人馬ともに楽なペースや位置取りで漫然と走るのではなく、足元の負担にも注意しつつ各馬が競走馬として活躍できるように最善の調教方法を考えています。

そのような調教方法の1つに、隊列調教があります。競馬では、馬が一団となって走る場面がほとんどです。馬群の中で落ち着いて走ること、騎乗者の指示に従順であることが競走馬には求められます。レースの場面を想定して日々調教を行っていきますが、その中で位置取りが自由自在であることが必要不可欠であり、それを教えるために隊列での調教が重要となってきます。最終的には個々の馬によって、先行逃げ、追い込み等様々なタイプの競走馬として成長していくことになるのです。今回は、この「隊列調教」に注目して、当場で実践している内容をご紹介します。

隊列調教では、まず集団・一群での運動から始め、次に一列に並んで走行する縦列調教を行っていきます。ここでは前の馬に付いていくことで、まっすぐに走ることや行きたがる馬に我慢することを教え、キックバックによる砂をかぶることにも慣れさせます。また先頭となった馬は、最初は物見をすることがほとんどですが、次第に慣れ自信をもって走行できるようになります。

次に、スピードが求められる段階になってきたら、2列縦隊・併走での調教を実施していきます。左右に馬がいることでお互いの前進気勢を促し、その中で折り合いやハミ受けを覚えさせます。最終的には隣の馬と鐙が当たる程に距離を詰めていきます。

さらに、競馬のレースを意識した実践的なトレーニングとして3列縦隊での調教も行っています。前後左右に馬が密集しているので隊列を崩さず走行することは難しく、育成牧場スタッフの高い騎乗レベルによって行うことができています。GⅠレースでジョッキーカメラの映像をご覧になった方も多いと思いますが、3列縦隊での調教時にヘルメットに装着したGoProで撮影された動画は、まさにレースさながらの臨場感です。

これら隊列調教のポイントとしては、馬の位置取りを変えていくことです。常に同じ馬が先頭や最後尾を走るのではなく、毎日走る位置を入れ替えることで、様々な状況や場面に対応できる能力を養っていきます。

毎年4月に開催されるJRAブリーズアップセールでは単走での走行ですが、いざ競馬に出走した際にはこのような隊列調教で培った精神力を武器に各馬が活躍してくれることを期待しています。

日高育成牧場 業務課 水上寛健

2 写真① 2列縦隊での調教

3写真② 3列縦隊での調教

Gopro 写真③ 3列縦隊での調教(ヘルメットに装着したGoProから)

Gopro_qr_2 写真④ 3列縦隊調教のGoPro動画

2025年12月 4日 (木)

馬のMRI検査続編

昨年10月1日発行の本コラムにて、馬用立位MRI検査(以下MRI)の簡単な紹介をさせていただきました。今回はさらに踏み込んで、どれだけの検査数をJRA栗東TCおよび美浦TCで実施してきたのか、MRIでどんな疾患がわかるのか、を紹介させていただきます。

 まずは、前回のおさらいになりますが、MRI(写真1)の概要です。MRIは、立位鎮静下で行うため、全身麻酔のリスクがなく、さらにレントゲン検査のように放射線による被ばくの心配はありません。一方、MRIの原理上、検査中の動きに弱く、馬が動いてしまうと検査をやり直さなければいけないことが多々あります。また、一か所の撮影に30分から1時間かかるため、事前の触診や診断麻酔による病変部位の特定が必要となります。

MRIは、2014年に栗東に国内で初めて導入され、2019年には美浦にも導入されました。2014年から2023年の10年間で延べ460頭(518件)の検査が両トレセンで実施されてきました。検査部位ごとの内訳は、球節・繋部が45%、蹄部が32%、腕節・管部が22%となっております。MRIというと、人の場合は腱靱帯や脳脊髄など軟部組織をターゲットにしていますが、競走馬の場合は、診断される疾患のほとんどが骨疾患となっています。今回は、骨折病変に対してMRIが有用であった症例を2つ紹介いたします。

 一つ目の症例は6歳の牡馬で、TCでの調教後に跛行を呈しました。球節の関節液増量と屈曲痛および第1指骨背部の圧痛を有したため、球節が原因の跛行と考えられ、初診日とその4日後にレントゲン検査を実施しましたが、明らかな病変は見つけられませんでした。そこで、MRIを実施したところ、第1指骨内に白く光る像が認められました(写真2)。詳しい画像の説明は省略させていただきますが、信号パターンを変えた複数の検査により、本症例は第1指骨内に骨折の前駆病変となる炎症を有すことがわかりました。この結果をもって、数か月単位の馬房内休養を提示しました。このような場合、レントゲン検査によって骨折線を描出できるようになるまで3週間程度かかったり、そもそもレントゲン検査ではいつまでたっても写ってこなかったりします。レントゲン画像で骨折線が認められないからといって、そのまま調教してしまうと骨折の悪化を引き起こす可能性があるので十分注意が必要です。

 二つ目の症例は2歳の牡馬で、TC入厩後初めての追い切りで常歩でもわかる跛行を呈しました。管近位掌側に帯熱と触診痛を有したため、いわゆる深管(繋靱帯近位付着部炎)を疑ってレントゲン検査を実施しました。すると剥離骨折と思われる所見を認めましたが、不鮮明でした。そこで同部のMRIを実施したところ、不鮮明な像を認めた内側だけではなく、第3中手骨の外側まで広がる炎症像を認めました。本症例は、跛行の程度もなかなか改善しなかったため、MRI所見と合わせて1.5か月程度のやや長めな馬房内休養を提示しております。育成場では、しばしばこの深管といわれる病態に悩んでいる方も多いかと思います。本症例のように、レントゲン画像では不鮮明でも、MRIによって広範囲の炎症像が認められることはしばしばあります。

 馬用MRIは、今回紹介させていただい症例のように、骨折の前駆病変を感知し重症化を未然に防ぐことで人馬の事故防止に大きく寄与したり、骨炎症の程度を評価することによって休養期間の決定に寄与したり、その活用法は多岐にわたります。皆様には、レントゲンで診断できない骨折もあるということを改めて知っていただき、さらには馬用MRIに関心を持っていただければ幸いです。皆様の牧場にも、TCでMRIを実施し帰ってきた馬がいるかもしれません。その際、検査結果などご不明な点があればぜひ相談いただければと思います。

日高育成牧場 業務課 井畔 貴之

Mri1_2写真1 馬用立位MRI装置と検査の様子

Mri2 写真2 球節部のMRI画像

(球節を前面から撮影しており、矢印で示す第1指骨に白く光る像を認める)

Mri3写真3 管近位のMRI横断画像
(左の中央に見える扇形の構造が第3中手骨。赤矢印が剥離骨折部位。黄色矢印は周囲の正常な第3中手骨と信号強度が異なり、骨炎症の範囲と考えられる。)

2025年11月21日 (金)

飼料に対する嗜好性に影響する要因は?

はじめに
読者の皆様は好きな食べ物はありますか? ほとんどの方には好物の食べ物はあり、中には好物が多すぎて一つに絞れない方もいらっしゃるかもしれません。食べ物が好きな度合は嗜好性という言葉で表現されますが、食の嗜好性はどのような要因によって形成されるのでしょうか? 私たちが好物に対して嗜好性が高い理由を尋ねられたとき、「美味しいから」という答えが多いかもしれません。もちろん嗜好性には味覚も影響していますが、食べ物に含まれる栄養も嗜好性に影響を及ぼしているとされています。喫食したことにより生理的に欲求する栄養素が充足され、そのことが脳内に記憶されることで、その食べ物に対する嗜好性が高くなるとされています。すなわち、“体が喜ぶ食べ物を食べたくなる”ということなのかもしれません。
 馬は乾草などの粗飼料に比べて燕麦などの濃厚飼料への嗜好性が高く、同じ粗飼料でもチモシーなどのイネ科牧草に比べ、マメ科牧草であるルーサンの嗜好性が高いことを私たちは知っています(写真)。しかし、馬の嗜好性について十分には解明されていません。今回は、嗜好性に関するいくつかの研究から、現在までに知られている馬の嗜好性に影響を及ぼす要因について紹介いたします。
 
栄養と嗜好性の関係
 ヒトやラットおよび反芻動物(ウシやヒツジなど)の研究において、栄養価の高い食事や飼料に対して嗜好性が高いことが分かっています。これは必要な栄養が、消化管から取り込まれることと関係があるとされています。前述したように、栄養が取り込まれることでプラスの情報が脳に記憶されるためであり、これは“食欲に対するポジティブ・フィードバック”(以下 ポジティブ・フィードバック)と呼ばれます。ちなみに食べた結果、体調が悪くなるなどの影響があった場合、その食べ物にトラウマを持つような意識的な記憶と別に、“食欲に対するネガティブ・フィードバック”といわれる嗜好性が低下するような現象もあるようです。
ヒトやラットなどは栄養の吸収部位は主に小腸となりますが、馬は後腸発酵動物と呼ばれるように小腸の後部となる大腸で栄養を吸収するよう進化してきました。小腸に比べて大腸で栄養が吸収されるタイミングは、喫食後からの時間経過が大きいため、馬ではポジティブ・フィードバックが起こりにくいのではと考えられてきたようです。図1に馬においてタンパク質、糖質および脂質が高濃度に含まれた飼料と対照としてヘイレージ(水分が50%以下のサイレージ)の嗜好性を比較した成績を示しました。試験は給与開始した最初の9日間(ステージ1)とその後の9日間(ステージ2)に分けられますが、ステージ1では各飼料の採食量に差はありませんでしたが、飼料摂取を経験させるとステージ2では高タンパク質および高糖質飼料の採食量が多くなりました。これは、タンパク質および糖質摂取によるポジティブ・フィードバックが、これらの飼料の嗜好性が高くなった原因であると考察されています。このように馬においても嗜好性への“ポジティブ・フィードバック”があると考えられますが、なぜ高脂質飼料の嗜好性は低かったのでしょうか? 脂質も小腸で吸収されるのですが、馬では脂質の給与量が多いとき脂質分解酵素が適正に分泌されるようになるまでの期間が長く(給与開始から約3~4週間後)、試験期間中に脂質が十分に分解吸収されなかったためであると考えられています。

香りと嗜好性の関係
 馬はニンジンが好物とされていますが、ほとんどの馬は生まれて初めて見たニンジンに齧りつくことはありません。馬は初見の物に対してネオフォビア(新奇性恐怖)があり初めて見る飼料に口を付けたがりませんが、これは自然界で毒性の植物などを食べることがないための生来の習性であるとされています。しかし、馴染みのある香りをつけた初見の飼料に対して、馬はどのような行動をするでしょうか? 笹の葉にルーサンの香りをつけたときに、嗜好性に及ぼす影響について調べた研究が報告されています。試験は9日間連続で実施し、ルーサンの香りを付けた笹の葉(“ルーサン香りあり”)と香りを付けていない笹の葉(“香りなし”)を同時に給与し、総採食量に対するそれぞれの笹の葉の採食割合で嗜好性が比較されました(図2)。ちなみに、試験馬が笹の葉を飼料として給与されたのは初めてです。1日目から5日目は馬が食べた笹の葉のほとんどは“ルーサン香りあり”でしたが、6日目以降から“香りなし”の採食量も増加していき、馬たちが笹の葉に馴れてきたため考えられました。このように香りは嗜好性に影響を及ぼしますが、その効果は長期的ではないのかもしれません。

馬は甘党!?
 ヒトには五味(「甘味」、「塩味」、「酸味」、「苦味」、「うま味」)と呼ばれる5つの基本的な味覚があるとされていますが、この中で馬が感じることの味覚は「うま味」を除いた4つとされています。馬の「甘味」、「塩味」、「酸味」、「苦味」の嗜好性について調べた報告がありますが、異なる化合物を水道水に溶解して各味覚の溶液をつくりそれぞれの飲水量から嗜好性を調べました。味覚溶液と無味覚である水道水を一定時間、馬房内に同時に配置し、総飲水量(味覚溶液+水道の飲水量)に対する味覚溶液の飲水量の割合によって嗜好性を評価しています。すなわち、味覚溶液の飲水割合が50%であったとするとその味覚の嗜好性は水道水と同じということになり、50%を超えると水道水より嗜好性が高かったということになります。さら溶液の味覚溶液の濃度を変化させ味覚の嗜好性が調べられました(図3)。「塩味」、「酸味」、「苦味」は濃度が高くなるにつれ飲水割合(嗜好性)が減少する一方、「甘味」は濃度が高くなると飲水割合が増加しました。このことから馬は「甘味」に対する嗜好性が高いことが分かります。

おわりに
  このように嗜好性には様々な要因が影響を及ぼしますが、香りや味覚などの感覚的なものに比べ栄養(糖質やタンパク質)がより大きく嗜好性に影響すると考えられています。難しい分野ではありますが嗜好性を知ることは、馬への適切な栄養管理とって重要であると考えています。今後も機会があれば嗜好性に関する情報を、発信していきたいと考えています。

日高育成牧場 首席調査役 松井 朗

1写真 濃厚飼料の摂取風景

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2025年10月29日 (水)

「空胎繁殖牝馬を用いた泌乳誘発と乳母付けの実践」

~はじめに~
乳母とは母馬に代わって子馬を育てる存在であり、母馬が出産直後に死亡してしまった場合や育子拒否の場合に乳母の導入を検討され、通常は乳母牧場から1シーズンレンタルという形で利用します。
2年前の「強い馬づくり講習会」にて、乳母レンタルをしなくても空胎繁殖牝馬を乳母として利用できるということを日高育成牧場における実例を通して、紹介させていただきました。そのため、昨シーズンから民間牧場にて本乳母付け法を試みたり、相談されるケースが増えてきました。本稿では、今シーズン民間牧場にて実施した乳母付けの1例の概要について所感を交えて紹介させていただきます。

~乳母付け例の概要~
子馬の母馬は分娩後1か月目に腰痿を発症、起立困難となり、安楽死となりました。乳母レンタルも検討しましたが、昨年度まで繁殖として供用し、今年度から離乳した当歳の面倒を見るリードホースとして活用予定であった空胎繁殖牝馬(11歳、4産、BCS5.5)が牧場内にいたため、性格の大人しい同馬を乳母候補として泌乳誘発できないかとの依頼を受けました。

~泌乳誘発と乳母付け~
泌乳誘発は図1のプロトコルに従って行いました。泌乳量は開始11日目の時点で日量2L弱となり、12日目(搾乳刺激5回/日)に乳母付けを実施しました。乳母付けは子宮頚管マッサージ法に高用量プロスタグランジン(PG)投与を組み合わせた方法(参考1)で行いました。
しかし、乳母候補馬に子馬の匂いを嗅いだり舐めたりといったような母性行動は惹起出来ず、子馬に対して攻撃的な場面も見られ、1回目の乳母付け失敗となりました。海外の教科書では1回目の乳母付けに失敗した場合、翌日以降に乳母付けを再実施してみることで母性惹起ができる場合もあるとの記載もあるため、翌々日に高用量PG法(参考2)で再度乳母付けを実施しましたが、状態は変わらず、母性惹起は出来ませんでした。その後、鎮静、保定(鼻ねじ、前足上げ)下での授乳を試みたり、徐々に保定を緩めて様子を観察したり、馬房内を畳と馬栓棒で区切り、乳母候補と子馬を共同生活させるなど、手はつくしましたが、子馬を受け入れることはなく、子馬への攻撃性も増してきてしまったため乳母付けは諦め、乳母牧場からの乳母レンタルに切り替えました。無事に乳母はついたとのことです。


~本症例から学んだこと~
泌乳誘発については、私が経験した中では今回が最も泌乳量が多くなりました。しかし、既報よりも泌乳量が伸び始めるタイミングが数日程度遅いと感じております。人での研究ではプロゲステロンがプロラクチン産生を抑制するといった泌乳誘発におけるマイナス要素も報告(Zinger, 2003)されています。今回の泌乳誘発プロトコルで振り返ると、1~7日目まで投与しているRegu-Mate(合成プロゲステロン類製剤)を投与しなければドンペリドンによるプロラクチン分泌がより活性化されプロラクチンによる泌乳分泌がより早く立ち上がるのではないかと考えており、今後調査していきたい部分です。より早く乳母作成ができるように検証を重ねたいと思っています。
 次に1回目の乳母付けで母性惹起できない場合、乳母供用はかなり厳しいということを再確認できました。1回目の乳母付けでうまくいかなかった場合は乳母の交代や今回であれば乳母レンタルへの切り替えを早期に決断するべきだと感じました。
そして最後に、人に対する態度(特に搾乳時)と子馬に対する態度は全くの別物だと改めて学びました。理解しているつもりではいましたが、今回、泌乳誘発の搾乳中にあまりにも乳母候補馬が大人しいので、乳母付けもきっとうまくいくだろうと安易に考えていました。現状だと以前に他の子馬の吸乳を許容していたなどの確定的なイベントがない限り、乳母適性の判断が非常に難しくなっています。今後、乳母適性を見極める客観的な指標を見つけていきたいなと感じた実践例でした。

日高育成牧場 生産育成研究室 浦田賢一

1図1. 泌乳誘発プロトコル

参考1 乳母付け法(子宮頚管マッサージ+高用量PG)

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参考2. 乳母付け法(高用量PG法)

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2025年10月16日 (木)

アイルランドにおける放牧地管理【牛と羊を用いた管理】

 北海道では長かった冬が終わり、放牧地に緑が増え過ごしやすい季節になってきました。JRA日高育成牧場では、親子馬を含む多くの馬が夜間放牧もしくは24時間放牧を開始しており、馬達が長い時間放牧地で過ごすようになりました。良質な牧草の摂取と運動場所の確保のために、どこの生産牧場でも放牧地の管理に工夫を凝らして行っていることと思います。

 筆者は、昨年2月までアイルランドで研修をしましたので、現地の放牧地管理方法についてご紹介します。アイルランドはヨーロッパの島国で、北海道と同程度の面積、人口をもつ小さな国ですが、世界第3位の軽種馬生産頭数を誇っています。北海道より高緯度に位置しますが、冬は北海道ほど寒くならず積雪もほとんどありません。そのため、放牧地は冬でも青い草が生えており、馬の放牧管理をするには最適な気候となっています。

現地の放牧地管理について、面白い方法が一般的に行われています。それは牛や羊との混合放牧もしくは交互放牧です。混合放牧とは、馬と他種の動物を一緒の放牧地で同時に放すことです。写真のように、繁殖牝馬や育成馬などが牛と仲良く放牧されているのを現地ではよく見かけます。また、羊は馬が使用しない時期に馬の放牧地に放す交互放牧に用いられることが多いです。現地には羊のリース業者がおり、牧場は業者から羊を一定期間借り受け放牧地に放します。

このような他種との放牧のメリットは大きく二つ考えられています。一つ目は、寄生虫対策です。馬に罹る寄生虫の主なものである円虫、回虫などは、罹患馬の体内で成長し、産卵した卵が糞便中に排出されます。虫卵は、円虫では放牧地で孵化し感染幼虫となり、回虫では虫卵内に感染幼虫が成長し、それらを他の馬が摂食することで感染が広がります。これを防ぐためには、放牧地の糞を拾うことで感染源となる虫体数を減らしたり、ハローで糞を散らすことで糞便中の虫卵や幼虫を乾燥させて死滅を促すなどします。これらの寄生虫は、馬に寄生し病気を起こすことがありますが、牛や羊が食べても感染しないため数を減らすことができます。また、寄生虫対策でまず行われるのは定期的な駆虫薬の投与ですが、薬の効かない耐性虫の出現が問題となります。その点、この方法では耐性虫の発生を心配する必要がなく優れた方法と言えます。

二つ目は牧草の管理上のメリットです。馬は放牧中の大半の時間、生えている牧草を食べて過ごしますが、短めの草を好んで食べます。食べられず伸びすぎた部分は残り続けてしまう(不食過繁地)ため、これを正すためにちょうど良い長さに刈る「掃除刈り」を頻繁に行わなければなりません。こうした中、牛は馬より長い草も食べるため、牛との混合放牧によって掃除刈りの頻度を減らすことができます。また、羊は雑草など短い草を食べてくれます。体重が軽いため放牧地を痛めないことから、特に降水量が多い冬に放すことが推奨されています。

今回はアイルランドにおける牛や羊を用いた放牧地管理についてご紹介しました。日本とは気候や牧場運営のスタイルが異なることから導入は難しいかもしれませんが、良い放牧地管理のヒントになれば幸いです。

 

日高育成牧場 調査役 竹部 直矢

Img_6003馬の放牧地に放牧される羊の群れ

Img_3575 牛と馬の混合放牧

2025年10月 2日 (木)

国内における多剤耐性ロドコッカス・エクイの出現

馬産地である日高管内ではあちこちで馬の親子を見かけるようになってきました。このような微笑ましい光景が見られる一方、この時期は生産者の皆様にとって頭を悩ます子馬の感染症であるロドコッカス・エクイ感染症が猛威を振るい始める時期でもあります。

ロドコッカス・エクイ感染症は、主に1〜3ヶ月齢の子馬が感染し、肺炎や腸炎などを引き起こす病気として知られています。馬の飼養環境中の土壌中には病気の原因となるロドコッカス・エクイ(図1)という菌が生息しており、空気中に巻き上げられた菌を子馬が肺の中に吸い込むことによって感染が起こります。ロドコッカス・エクイ感染症は、早く発見し、すぐに抗菌薬による適切な治療が行われれば、ほとんどが問題なく回復する病気です。しかし、米国では2000年ごろから治療の切り札となるアジスロマイシンなどのマクロライド系抗菌薬とリファンピシンの両方に対して抵抗性もった株、すなわち多剤耐性株が増加していることが明らかとなってきました(図2)。Giguèreら(2010)は、米国のある診療施設において多剤耐性株によって感染した子馬の生存率(25.0%)が、耐性を持たない株の生存率(69.6%)と比較して有意に低かったことを報告しました。このことから、多剤耐性株の存在は、ロドコッカス・エクイ感染症の治療の中で最も脅威となる要因として認識されるようになってきています。

この米国における多剤耐性株の増加は、特定のクローン(同じ遺伝的な特徴を持つ株同士の集まり)の増加が原因となっていました。このクローンは、最近まで米国内に限って検出されていましたが、2016年には大西洋を越えてアイルランドに広がり、2022年には太平洋を越えて日本国内でも検出されました。今後、馬の移動とともに世界中の馬産地に拡散してしまうことが大変危惧されています。幸いなことに、現在のところ国内ではこのクローンによる感染の広がりは限定的ですが、ワクチンなどの有効な予防方法が存在しない感染症であることから、米国で起きてしまったような多剤耐性株の増加は防がなければなりません。そのためには、①必要な場合のみ抗菌薬による治療を行う②薬剤感受性試験を行い有効な抗菌薬を使用する③多剤耐性株による感染状況を監視するといった基本的な対策が重要です。現在、日高管内では馬関係団体とJRA競走馬総合研究所が協力し、多剤耐性株の監視を続けています。

 日高育成牧場 生産育成研究室 丹羽 秀和

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2025年8月21日 (木)

未来の馬を守る獣医師を育てる - JRA日高育成牧場スプリングキャンプ -

 読者の皆さまもご存じのことと思いますが、近年、人口減による人材不足について世間で叫ばれるようになっており、馬産業においても深刻な問題となっています。今回は馬産業の未来を守るべく、馬獣医師を志す若者を増やすため、先日JRA日高育成牧場で実施しました「スプリングキャンプ」を紹介します。

 スプリングキャンプは獣医学生を対象とした研修プログラムで2014年から始まりました。2018年からは、家畜衛生や産業動物臨床分野における先導的かつ実践的な教育プログラムを構築し獣医学教育の高度化や国際水準化を推進するために始まった事業(VPcamp)の一つとして実施しております。

 サラブレッドの出産シーズンに併せて日高育成牧場で開催することで、研修参加者はサラブレッドの生産現場に身を置き、繁殖牝馬や子馬などに触れ、一般的な診療技術や健康管理、繁殖学について学びます。採血、直腸検査、レントゲン検査やエコー検査などの実践的な体験を通して、臨床獣医師としての業務を体験します。さらに、検査・治療だけでなく、引き馬や馬房掃除など実際に馬を飼養するために必要な作業についても経験してもらい、馬をより深く知ってもらう機会を提供しています。

 また、若手からベテランまで様々な年代の獣医師との交流を通じて、現場のリアルな声を聞くことができ、参加者は馬獣医師としての自身の将来を考える上で貴重な情報を得られます。

 過去のスプリングキャンプ参加者から、多くの馬獣医師が誕生しており、馬産業の将来を支える重要な役割を果たしていると言えます。

 本年のスプリングキャンプでは添付のカリキュラムを実施しました。多くの学生にとって初めての経験となるカリキュラムもたくさんありましたが、今回の研修での講義やこれまで大学で学んできた知識を活かしながら、実習に積極的に取り組んでいました。

 また、幸運にも当場の繁殖牝馬の分娩が重なり、サラブレッドの誕生に立ち会うことができました。生まれたばかりの子馬が起立しようとする賢明な姿や子馬に寄り添う母馬の姿を見ることができ、その現場に寄り添う喜びを感じてくれたのではないかと思います(写真2:出産への立会い)。本年の参加者がこのような体験を通して馬獣医師への道を歩んでくれることを願っております。

 スプリングキャンプの実施に際し、業務見学などご協力をいただいたHBA、JBBA、BTCの皆様にこの場を借りてお礼申し上げます。

 JRA日高育成牧場では、毎年、春と夏に獣医学生を対象とした研修を実施しております。興味のある方はVPcampHP(図1:VPcampの二次元コード)をご確認ください。

日高育成牧場 調査役 大塚健史

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写真1.出産への立会い

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図1.VPcampの二次元コード

2025年7月28日 (月)

持続性交配誘発性子宮内膜炎(PBIE)に対する多血小板血漿(PRP)療法の可能性

北海道の厳寒期も過ぎ、馬繁殖シーズンも真っ盛りとなりました。皆様、出産に種付けと忙しい毎日を送られているかと思います。

今回はヒト医療やウマ医療で話題のPRP(Platelet Rich Plasma:多血小板血漿)療法について、持続性交配誘発性子宮内膜炎(Post Breeding Induced Endometritis, PBIE)への臨床応用の可能性についてお話ししようと思います。

持続性交配誘発性子宮内膜炎(PBIE)とは

牝馬は交配を行うと、子宮内の異物である精液に対する炎症反応が起こります。通常は免疫機構により速やかに解消されますが、一部の馬ではこの炎症が持続しPBIEとなってしまうのです。PBIEになると炎症産物が胚の着床を妨げるため、受胎率低下につながる大きな課題の一つとされています。現在、この問題を解決する一つの方策として、PRP療法が注目されています。

PRP療法のメカニズム

PRPとは、自身の血液から遠心分離により血小板を高濃度に含む血漿を抽出したものです。成長因子や抗炎症因子を豊富に含むため、組織修復や炎症抑制に役立つと考えられています。ヒト医療では関節炎や腱、靭帯損傷といった運動器疾患治療や、皮膚投与による美容治療に用いられています。ウマ医療でも浅屈腱炎などの腱・靱帯の損傷や、外傷への適用が報告されているところです。

PBIEに対するPRP療法の効果

近年の研究では、PRP療法がPBIEに有効であることがいくつか報告されています。ある研究では、PBIEに罹患しやすい牝馬に対して、人工授精前後にPRPを子宮内に注入することで、炎症誘発物質を優位に減少させ、子宮内貯留液も減少したとの報告があります(Segabinazziら, 2021)。また、他の報告では、交配2日後にPRPを子宮内注入することで、次の発情までの日数が優位に短くなり、交配後の子宮内膜肥厚および、妊娠率が優位に高くなったと報告されています(Dawodら, 2021)。これらの結果は、PRPが持つ成長因子、抗炎症因子に起因していると考えられます。

PBIEに対するPRP療法の応用

 これらのことから、種付け後の排卵確認の際に子宮内に貯留液が溜まっている場合、従来通り子宮洗浄やオキシトシン投与を行い、子宮内膜細胞診などによる細菌感染が否定的であれば、後日PRPの投与、細菌感染が疑われるのであれば抗生剤の投与を行うといった治療方法の選択ができれば、不妊リスクの低減、繁殖効率の向上に繋がると考えています。

Photo図. 交配誘発性子宮内膜炎(PBIE)による子宮内貯留液の超音波検査画像

 

生産育成研究室 浦田 賢一