2024年9月25日 (水)

レポジトリーに関する調査

先日、本年最初の1歳せりである九州1歳市場が開催されました。道内でも、今月のセレクトセール、セレクションセールを皮切りに本格的なせりシーズンが始まります。そこで今回は、市場で公開されるレポジトリーの所見に関する調査について、昨年末開催された講習会「レポジトリーに関する異常所見や調査研究」(主催:静内軽種馬生産振興会、講師:JRA久米紘一 獣医師)の内容から抜粋してご紹介します。

 調査は、2017~2023年に行われた北海道市場(セレクション、サマー、セプテンバー)に上場された12977頭のうち、レポジトリーを確認した4815頭を対象としました。気になるレポジトリー所見として喉頭片麻痺(LH)グレードⅢa以上、大腿骨軟骨下骨嚢胞(SBC)グレード3以上、球節部以下SBCを取り上げ、それら有所見馬の売却率、売却金額、出走率、初出走日、獲得賞金を調査しました。

 

喉頭片麻痺(LH)

 LHは、披裂軟骨(左側90%以上)の開きが悪くなることにより気道が狭くなり、状態次第では異常呼吸音(ヒューヒュー音)や運動不耐性(プアパフォーマンス)を呈します。披裂軟骨の外転の程度によりグレードⅠ(正常)~Ⅳに分類され(図1)、グレードⅢ以上でプアパフォーマンスの可能性が高くなることが知られています。

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図1 喉頭片麻痺グレード

 

軟骨下骨嚢胞(SBC)

 SBCでは、関節に面した骨に体重負荷がかかることで軟骨が損傷し、骨内部の空洞化が認められます。無症状のままレポジトリーで初めて見つかることも多いかと思います。ほとんどの関節で発生することが報告されていますが、レポジトリーでは後膝(大腿骨)(図2)や球節以下(第3中手骨、第1~2指/趾骨)(図3)で見られることが一般的です。大腿骨SBCはグレード1~4に分類され、過去の調査ではグレード3以上で跛行のリスクが高いことが報告されています。

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図2 大腿骨軟骨下骨嚢胞およびグレード

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図3 第3中手骨SBC(左・中)第2指骨SBC(右)

 

 調査結果を表1に示します。いずれの所見を認めた場合でも、売却率は8割近くであり、売却金額とともにせり全体の結果との差は認めませんでした。また、中央および地方競馬の出走率はいずれの所見も9割以上と高く、初出走日、獲得賞金の結果(2017~2021年上場馬を対象)においても、所見を認めない対照群と比較して差はありませんでした。これらの結果より、一般的にリスクが高いとされている上記レポジトリー所見ですが、市場成績、競走成績への影響は限定的と言えます。ただし、本調査では症状(跛行や喘鳴音)の有無や、手術を含む治療の有無について個別には言及していないため、中には後期育成期以降にスムーズさを欠いた症例もいたかと思います。

 

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表1(中央値)

 

レポジトリーは購買時の重要な指標の一つですが、全く所見を認めない場合でも疾患のリスクがゼロになることはありません。最も大切なことはコンフォメーションや血統、予算、その他公表事項などを含めて総合的に判断することであり、購買者本人が納得した状態で取引に参加することです。JRAはブリーズアップセールでは運営・販売者側、1歳市場では購買者側であり、両方の経験を持つ私たちだからこそ、今後も新しい知見を発信していきたいと思います。

 

JRA日高育成牧場 業務課主査 原田大地

 

馬の暑熱対策

馬の熱中症

 北海道でも、愛馬が熱中症にかかってしまった、という声を聴くようになりました。熱中症は馬自身が作り出す熱をうまく排出できないため体温が上昇し、身体に異常をきたす症候群です。運動後にふらふらする、横臥して立てなくなるなどの症状を示すことが多く、夕方になっても呼吸が早く、体温が高い場合も熱中症の可能性があります。

 

暑さ指数(WBGT)と競走馬の熱中症

人では暑さ指数(WBGT:℃表示されますが気温とは異なります)が高値になるほど熱中症発症リスクが上昇します。WBGTは、気温に湿度や風、日光等の輻射熱の要素を加えたもので、指数は温度1、湿度7、輻射熱2の割合で計算されます。湿度の要素が大きいのは、湿度が上がると汗が蒸発しにくくなり体温が低下しにくくなるためです。中央競馬における熱中症とWBGTとの関係についての調査では、WBGTの上昇に伴って熱中症は増加することがわかりました(図1)。特にWBGTが28℃を超えるあたりから発症率は急上昇しており、人と同様にWBGTが28℃を超える日や、急に暑さが増す日には危険性が増加します。

 

効果的な馬体冷却方法の検討

運動後の馬の体温は42℃を超えることがしばしばあり、暑熱環境下において、運動後に体温を速やかに下げることは重要です。国際的な総合馬術では以前より馬体の冷却方法として、間欠的に冷水をかけ汗こきを行う事が推奨されてきました。しかし、根拠となる科学的な証拠がなかったことから、以下のような実験を行いました。方法は、WBGT31-32℃の暑熱環境下で運動を行い、体温が42℃に達した時点から、馬体の冷却を行います。冷却方法は①常歩、②常歩を行いながら冷水(10℃)を3分おきに掛け、汗こきをする、③常歩を行いながら冷水(10℃)を3分おきに掛け、汗こきをしない、④水道水(25-28℃)を馬体に掛け続ける、の4条件により行い、運動終了後30分まで観察しました。馬体の冷却効果としては条件④水道水(25-28℃)を馬体に掛け続けるが最も効果的であり、10分程度で安静時の体温に戻りました(図2)。夏場の水道水はそれほど低い水温ではありませんが、25℃以上の水道水でも掛け続けることで十分な冷却効果が得られることが明らかとなりました。次に効果の高かったのは3分おきに冷水(10℃)をかける方法ですが、条件②汗こきをするよりも、条件③汗こきをしない、の方が体温の低下は速いことか示されました。汗こきをせず、毛の間に水分があった方が気化熱による体温の低下が大きいためと考えられます。常歩のみでは30分後でも体温は40℃をやっと下回る程度であり、暑熱環境下でのクーリングダウンは最も推奨されない方法となりました。これらの結果は、国際馬術連盟にも周知され、東京オリンピックでは、馬に水をどんどんかけて冷却する参加国が多くなり熱中症を防ぐことができました。中央競馬においても、レース後すぐに馬体を冷却できるよう各競馬場に水冷装置を新設しました(図3)。

 

運動後の水分・塩分補給

競走馬の暑熱環境下における運動後の体重減少は約10kgと非常に多いですが、そのほとんどは発汗によるものと考えられます。馬の場合、人と比較し汗中のナトリウムを回収する能力が低く、発汗量の約1%の食塩が身体から排出されるため、体重10kg減では食塩約100gが失われることになります。そのため、馬においては普段以上に夏場の食塩の給与が非常に重要です。加えて、食塩の摂取は飲水量の増加にもつながることから、運動後の体重リカバリーのカギは食塩の給与といえます。

 

おわりに

熱中症を予防するため、暑熱環境下においては運動を控えることも選択肢となりますが、夏場にも競馬を行う上では避けては通れない部分でもあります。人もそうですが、熱中症は体調が悪い時ほど起こりやすくなることから、体調管理も重要となります。今回の記事を参考に、少し暑くなった時期から積極的に馬体冷却を行うこと、塩分の給与に留意することで北海道の暑い夏を乗り切りましょう。

 

日高育成牧場 副場長 大村 一

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図1 競走馬のWBGTと熱中症発症率

28℃を超えると発症率は急増する

 

 

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図2 冷却方法の違いによる運動後の体温の変化

水道水による冷却が一番効果的であり、汗こきはむしろない方が良い

 

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図3 競馬場における水道水による冷却装置

レース直後に走路近くで馬体冷却を行う事が可能となった

 

寄生虫対策の現状

馬の管理上、内部寄生虫対策は非常に重要であることは言うまでもありませんが、「決まった駆虫薬を投与する」という方法以外に明確な対処法を実施できていないのが現状です。しかし、その駆虫薬ですら万能ではなく、近年駆虫薬が効かない「駆虫薬耐性虫」の増加が世界的な問題となっており、日本国内でも同様の事例は起こっています。今回は、駆虫薬耐性虫が増加してしまった要因とその対策法について改めてまとめてみたいと思います。

複数の牧場に協力していただいたアンケートによると、ほぼ全ての牧場で何らかの駆虫薬を定期的に投与しているという回答が得られました。では、これで万事解決かと言うとそう簡単ではなく、駆虫薬投与にも関わらず十分な効果が得られていない牧場が散見されています。つまり、駆虫薬の効かない駆虫薬耐性虫がすぐそばにいるかもしれない、ということになります。なぜこのような駆虫薬耐性虫が増えてきたのでしょうか?

いわゆる駆虫薬の効かない、もしくは効きにくい虫というのは一定の割合で出現していると考えられています。多くの場合は突然変異などによって発生した少数派であるため、同種間の生存競争を生き残ることができていませんでした。しかし、駆虫薬によって耐性を持っている虫以外が駆虫されると生き残った駆虫薬耐性虫には増加するチャンスが生まれます。生き残った上でうまく馬の体内に入り込んだ駆虫薬耐性虫がそこで多くの虫卵を産生し、次世代が数を増やして耐性虫群を作ることに成功するとその馬の飼育されている牧場では駆虫薬が効かない、という事態が発生してしまうのです。

また、駆虫薬を投与する時期も重要です。寄生虫には発育や生存に適した条件、適していない条件があり、真夏や真冬などの生存環境の厳しい時期には寄生虫の総数が少なくなっています。その時期に駆虫薬を投与して耐性虫が残ってしまうとその数自体が少なくても群の中での相対的な割合が高くなってしまい、より駆虫薬耐性虫が数を増やして耐性虫群を形成する可能性が強まってしまうことになります。

つまり、闇雲に駆虫薬を投与し続けることは駆虫薬耐性虫を選抜し、増加の手助けをしてしまっているとも言えます(図参照)。

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このような状況は問題視されており、従来の駆虫薬を使用しつつ駆虫薬耐性虫を増やさないための対策が考えられてきています。その最終的な目標は①栄養失調や消化管の閉塞など寄生虫感染によるリスクを最小限にする、②虫卵排出を減少させる、③駆虫薬耐性虫の出現を抑えて駆虫薬の有効性を保つこととされており、駆虫薬耐性虫を全滅させることではありません。なぜなら馬体外に存在している寄生虫を根絶することは不可能かつ少数の寄生で馬に重篤な症状を引き起こすことは稀だからです。①と②については従来の寄生虫対策とほぼ同様で、寄生虫感染の影響の大きい若馬を中心に計画的に駆虫薬を投与して馬体内の寄生虫を減らしつつ、馬糞拾いや拾った馬糞の確実な堆肥化、放牧地のローテーションやハロー掛けといった牧草地の寄生虫にとって生存しにくい環境の維持に努めることが大切です。そして③が近年重要視されています。

駆虫薬耐性虫をできるだけ出現させないためには計画的な駆虫プログラムにおいて「一年の適切な時期に効果的な駆虫薬を投与すること」と、「駆虫薬耐性虫の出現をいち早く検知すること」が大切になります。前者は先ほど述べた通り、駆虫薬投与の時期次第では駆虫薬耐性虫の増加を助けてしまうためです。一方、後者に関しては、これまでの糞便虫卵検査を応用することで可能となります。これまでは感染している寄生虫の種類及び排出される虫卵の量を調べるために実施していましたが、駆虫薬投与前後の虫卵数を調べる「糞便虫卵数減少試験」により虫卵の減少率を調べることで駆虫薬耐性虫の有無が確認できます。

日本においてもすでに駆虫薬耐性虫の存在が確認されています。これからの寄生虫対策には駆虫薬耐性虫を念頭に置いた対策が不可欠であり、その存在を明らかにするためには糞便虫卵検査の有効活用が現状では最も効果的であると考えられています。まだまだ細かい対策法の策定には調査、分析が必要ですが、今後も新たな対策につながる結果が得られましたら報告していきたいと考えています。

 

日高育成牧場 生産育成研究室 国井博和

2024年5月27日 (月)

国際馬繁殖シンポジウムについて

昨年7月10-15日にブラジルにおいて第13回国際馬繁殖シンポジウム(International Symposium on Equine Reproduction, ISER)が開催され、日本から私を含む3名が参加してまいりました。本シンポジウムは4年毎に開催されており、世界中のウマ繁殖研究者が一同に会す場となっています。今回は計246題もの研究が発表されました。日本獣医学会における馬繁殖の演題は片手で数えるほどですので、いかに世界のウマ繁殖研究が進んでいるかお分かりいただけるのではないでしょうか。このシンポジウムは発表者と限られたメンバーしか参加できないクローズドな学会ではあるものの、それでも世界中から約400人が参集しました。本稿ではなかなか接する機会のない馬繁殖獣医学研究の最前線について簡単に紹介いたします。

 馬繁殖の学会では一般的に「非妊娠馬」「妊娠馬」「牡馬」「生殖補助医療技術(ART)」「出産・子馬」に分けられます。日本では「馬は人工授精できない」と思われている方も多いかもしれえませんが、近年の馬繁殖研究においては、人工授精どころか受精卵移植は当然のこと顕微授精、体外受精、クローン、性選別精液といったART分野が急速に発展しています。特に馬では不可能と言われていた体外受精や性選別精液といった技術に関して実用化が近づいていることに驚きました。当然、これらは競走馬ではなく馬術競技馬やポロ競技馬を対象としたものです。一方、サラブレッド種の研究は本交配を前提とした臨床データが多く、特に米国ケンタッキーのウマ病院が大学と提携して取り組んでいる調査が多く見受けられました。

発表内容のご紹介

 本稿では比較的身近なキーワードとなってきたバイオフィルムとPRPに関する報告を紹介いたします。

ハグヤード馬病院のDr. Luがバイオフィルムに関する診断的治療法を報告しました。バイオフィルムは細菌が分泌する粘液であり、これによって抗菌薬が細菌に届きにくくなるため、難治性子宮内膜炎の原因となります。治療法として粘液を溶解させるNアセチルシステイン(NAC)や過酸化水素水、DMSO、Tris-EDTAなどが有効とされていますが、厄介なのは診断方法が確立していないことです。そこでDr. Luらは診断的治療法を実施した成果を発表しました。59頭の牝馬に対してNアセチルシステイン(NAC)を子宮内投与し、翌日に検査することで検出率が飛躍的に向上しました(細胞診による炎症評価19%→73%、培養による細菌検出37%→69%)。NAC投与前の検査では59頭中48頭(81%)が正常と診断されましたが、このうち17頭(35%)がNAC処置後の検査で陽性となりました。このことはNAC処置により子宮内のバイオフィルムが溶解し、細菌検出率が向上したことを示唆しています。この結果からバイオフィルムが特別な存在ではなく、非常に身近な存在であると言えそうです。

また、多血小板血漿PRPに関する報告が幾つかありました。PRPは再生医療分野ではすでに臨床応用されている技術ですが、近年は繁殖分野への応用性について研究されています。今回、交配誘発性子宮内膜炎やバイオフィルムに対して有用であったという結果が報告されました。また、子宮内投与する場合には再生医療に比べて大量のPRPを作成する必要があるため、その作成方法や保存方法に関する研究もありました。ただ、これらはあくまでも無処置と比べて有効であったというものであり、従来の治療法である子宮洗浄や抗生物質と比較してどうかというのは明らかになっていませんので、従来の治療法を改善させるものかどうかについては引き続き調査研究が必要と思われました。

ISERの今後

閉会の場において、ISERは今後国際馬繁殖協会International Society of Equine Reproductionとして、研究のみならず教育、交流を先導していきたいということが述べられました。その第一歩としてISER Global Educationというサイトを開設し、専門家による講義動画を100本以上アップロードしています。今後も動画は増えていく予定となっており、世界的な馬繁殖獣医療の底上げに貢献するものと思われます。このウェビナーは日本中央競馬会もスポンサーを務めていますので、ご興味ある獣医師は是非ご視聴ください(有料です)。

日高育成牧場 生産育成研究室長(現馬事部) 村瀬晴崇

28歳の繁殖を引退した高齢牝馬への泌乳処置と乳母付け

昨年度、門別と浦河で開催された強い馬づくり講習会にて、空胎繁殖牝馬への泌乳処置とPGF2α製剤を用いた新しい乳母付け法を紹介させていただきました。その際のアンケートの中で「何歳までなら泌乳処置が可能なのか?」という質問が多数あり、私自身も答えを持てていない部分でありました。今回は民間牧場にて28歳の繁殖を引退した高齢牝馬への泌乳処置と乳母付けを実施しましたので所感とともに内容をお伝えいたします。

子馬は分娩後4日で母馬が急性心不全で亡くなったため乳母が必要となり、その候補として牧場内で繋養中の2頭が挙がりました。

まずは15歳の空胎馬で約2週間の泌乳処置後、2回の乳母付けを実施しましたが、性格の問題か、子馬を許容せず失敗に終わりました。

2頭目は今回の子馬の祖母にあたる28歳の繁殖を引退した高齢牝馬で、最後の分娩は7年前でした。泌乳処置プロトコルは図1に従って行いましたが、高齢が大きく影響しているためか、搾乳量は泌乳処置12日目でも1日当たり600ml程度で、頭打ちとなってしまいました。教科書的には泌乳処置した空胎馬を乳母付けするタイミングとして、1日当たりの泌乳量が3L以上と記載されています。圧倒的な泌乳量不足から乳母付けの実施自体も悩みました。しかし、子馬の馬社会性形成の観点からパートナーになるだけでも、という生産者の希望から乳母付けを実施してみました。乳母付けは図2に従い、PGF2α製剤のみを用いた方法で実施しました。乳母の子馬への攻撃性は全くなく、吸乳も許容していましたが、乳母側の母性行動の発現(子馬を嗅ぐ、舐める)が弱い点、そして子馬の意識がどうしても近くにいる人間に向かってしまう点が気になりました。そこで、馬房よりも少し広い外パドックに2頭を入れ、私達は2頭から距離をとることにしました。人が見えるとまずは人に近寄ってきていた子馬も、乳母と2頭だけの空間になったことで乳母に興味を示すようになり、徐々に2頭の距離感が近くなりました。そして半日後には本当の親子のような関係となり乳母付け自体は成功となりました。

乳母付け翌日以降は、やはり懸念点であった乳量不足が影響し、子馬の体重が減少しました。そのため、バケツで人工乳を給与することと早めのクリープフィードの開始で対応したところ、子馬は満足に吸乳できるようになったことで精神面が落ち着きました。また、興味深いことに28歳の乳母も子育ての使命に燃え始めたのか、以前より目の輝きが増したそうです。後は、子馬の吸乳刺激で多少なりとも泌乳量が増えることを願うばかりです。

今回の経験から、28歳という高齢な牝馬への泌乳処置は効果が乏しいことが分かりました。また乳母の適性としてその馬の性格がとても大事なのだなと改めて学ばせていただきました。そして子馬の栄養源が母乳だけに依存しない時期であれば、乳量の少ない乳母であってもパートナーとしての意義は十分にあり、繁殖を引退した牝馬の活用法の1つとなりうるのではないかと感じました。

Urata1_2 図1
Urata2_2図2

日高育成牧場 生産育成研究室 浦田 賢一

2024年5月14日 (火)

寒さとお産の関係性

競走馬の繁殖シーズン真っ只中の4月、生産牧場の皆様は寝不足の日々を過ごされているかと思います。筆者の勤めるJRA日高育成牧場でもまだお産を控えた繁殖牝馬がおり、気を引き締めて準備をしているところです。

 生産牧場の皆様はご存知のとおり、馬の妊娠期間は340日前後と言われています。前の年に種付けし受胎確認ができた際、「分娩予定日」が計算によって決まります。すなわち、種付け日または排卵確認日から起算して340日後が「分娩予定日」と定められ、その日が近くなってくると警戒態勢が敷かれるわけです。JRA日高育成牧場では、種付け翌日に直腸検査で排卵確認を行うので、排卵確認日を妊娠0日目として分娩予定日を計算しています。

この分娩予定日は大まかな目安にはなりますが、実際には馬の正常な妊娠期間は320~360日とレンジが大きく、分娩予定日からずれることがほとんどです。ちなみに320日未満の場合は早産と見なされ、未熟子のリスクがあると一般的には言われています。

 筆者は英国の牧場での研修期間中、夜間の分娩兆候を監視する仕事(ナイトチェック)を経験しました。ちょうどその牧場では、予定日を過ぎても生まれない馬が例年よりも多くおり、いつ生まれるのかやきもきしながら監視をした記憶があります。その時に同僚達から、「今年の冬は寒いから分娩が遅れている」という話を聞きました。「寒い=気温が低いと分娩が遅くなる」、これは同様に日本の生産地でも一般的に考えられている事象であると思います。この原因は、馬は日照時間が長い時期に繁殖を行う「長日繁殖動物」であることから、日が短く気温がまだ低い1月、2月には分娩が起こりづらいという考えや、気温が低いと体熱産生に母馬のエネルギーが奪われることで、胎子への栄養供給が少なくなり、胎子の成熟が遅れることが原因であるという説などがあります。

 実際のところはどうなのでしょうか?過去の海外の報告をいくつか調べてみると、例外もありますが通説と同様「寒い時期は分娩が遅くなる」という結果が多く見られました。そこでJRA日高育成牧場で生産してきたホームブレッド108頭のデータを用い、2月~5月生まれの馬における妊娠期間の長さを、生まれ月ごとに解析してみました。その結果は表の通りで、生まれ月によって差はないことがわかりました(表1)。さらに、出生時の子馬の馬体重についても生まれ月毎に調べてみたところ、これも生まれ月による差はありませんでした(表2)。つまり、分娩時が寒い時期か暖かくなってからかに関わらず、胎子は同じくらい成長し、同じくらいの妊娠期間で生まれてくるという結果となりました。

 また、そもそも妊娠期間の長さによって子馬のサイズに違いはあるのでしょうか?これについてもJRA日高育成牧場のデータを調べてみました。上記と同じデータを使用して分析したところ、妊娠期間は318日から363日まで(平均341.8日)、体重も29kg(母馬が重篤な蹄葉炎に罹患した例)から66kgまで(平均53.3kg)と幅広かったのですが、両者に相関関係は認められませんでした(図1)。

 今回の結果はJRA日高育成牧場のデータのみのため、全ての分娩に当てはまらないかもしれませんが、分娩が遅れる原因は気温の低さではなく、まだ胎子が生まれてくる準備をしているだけなのかもしれません。分娩3か月程前から胎子は急激に成長することが分かっており、母馬が必要とするエネルギー量も増加します(図2)。JRA日高育成牧場では、この時期に妊娠馬への増し飼い(燕麦換算で約2㎏)を推奨しており、BCS(ボディコンディションスコア)を確認することで母馬の栄養状態をこまめにチェックし、胎子の正常な成長をサポートしています。分娩が遅れていると心配になってしまいますが、これらの準備をした上で元気な子馬が生まれるのを待ちましょう。

Photo_5 図1 Photo_6 図2

Photo_7 表1(左) 表2(右)

ファームコンサルト養成研修について

月となり生産牧場では多くの子馬が誕生して忙しい時期となりました。強い馬づくりのためには、適切な飼養管理が重要であることは周知の事実であります。しかしながら、日本のサラブレッド産業においては、飼養管理技術を学ぶ機会が少なく、各生産牧場がそれぞれ独自の手法で試行錯誤をしているのが現状です。このような現状を改善するために、サラブレッドの飼養管理(栄養管理)技術の向上と専門家の養成を目的とした研修として、ファームコンサルタント養成研修(以下FC研修)が実施されてきました。今回はFC研修の概要についてご紹介していきます。

 

FC研修とは

 FC研修は、競馬法附則第8条に基づいて特別振興資金を活用して実施される地方競馬全国協会「競走馬生産地振興事業」の中の「軽種馬経営高度化指導研修事業」の1つとして実施されています。日本軽種馬協会が実施主体であり、JRA日高育成牧場や各種軽種馬関連団体も協力して開催されています。その目的は、文字通りファームコンサルタントを養成することであり、日本の軽種馬産業に飼養管理技術の専門家を輩出することにあります。ファームコンサルタントとは、アメリカを中心とした欧米のサラブレッド生産国で活躍する牧場アドバイザーのことであり、大学において馬栄養学や馬管理学といった専門教育を受けた人材が多く含まれます。そのため、FC研修においても、高度な専門知識が得られるようなカリキュラムが設定されています。講義内容は、「馬の見方(コンフォメーション)」、「ボディーコンディションスコアの見方」、「馬の飼料」、「栄養学」といった飼養管理にとって重要な内容を馬の各ステージ(離乳前子馬、中期育成、後期育成、繁殖牝馬など)ごとに解説することに加え、「繁殖学」、「獣医学」、「装蹄学」、「草地管理学」といった軽種馬生産にかかわる多種多様な内容も広く網羅しています。また、講師陣もJRA日高育成牧場の職員だけでなく、大学教授や飼料会社職員といった専門家が行うことで、質の高い内容となっています。

 研修期間は毎月一回の実習と講義が2年間という長期にわたって行われます。これまでに2015~2017年の第1期、2018~2020年の第2期、2021~2023年の第3期が実施されました。当初の参加者は牧場アドバイザーを志す飼料会社職員や軽種馬関連団体職員が中心でしたが、近年では飼養管理技術を学びたい牧場関係者の参加者も増えています(表1)。研修の流れは、まずはJRA日高育成牧場にて繋養されている当歳馬または1歳馬を用いた実習から行われます(写真1)。参加者がファームコンサルタントとして各馬の馬体を確認し、生産牧場へのアドバイスをするための知識と技術を身につけます。研修の後半では、実際に生産牧場への報告書を作成することも行い、知識だけでなく実務も学べる形になっています(図1)。その後の講義では、先ほど述べた内容が行われますが、予習として内容に沿った海外の論文や文献の和訳が課題として課されます。課題は講義内容を理解するだけでなく、英語の文献を読むことで参加者が自身で海外の文献を読む際の練習にもなるようにしています。その結果、講義の後に行われる総合討論では、各参加者が自身の経験も踏まえた活発な議論が行われることになりました。

Photo_4 表1 FC研修修了者内訳

 

Photo_2 写真1 FC研修の実習の様子

Photo_3 図1 FC研修の報告書例

 

FC研修の今後

 表1に示したように、これまで29名の方がFC研修を修了しています。これらの方の中には、実際にファームコンサルタントとして活動されている方やこの研修で得た知識を本業で活かしている方もいらっしゃいます。一方で、第2期からは牧場関係者の参加が増加してきており、実際に牧場に勤務している方の間で飼養管理技術に関する研修の需要が高まっているという状況にあります。しかしながら、牧場関係者は繁殖シーズンやセリシーズンはなかなか牧場を離れることが難しいことから、本研修の途中で参加を断念する方もいらっしゃいました。

 そこで、2024年からは「担い手飼養管理研修(仮)」という名称で、牧場関係者のニーズに沿った形式での開催が計画されております。詳細については、主催する日本軽種馬協会から発表されますので、興味のある方はそちらをご確認ください。

2024年3月15日 (金)

妊娠期の運動

暖かい日差しを感じる日が増えてまいりました。生産地は分娩、新生子馬の管理に加えて種付けも始まり、繁殖シーズン真っ只中を迎えています。

ヒトは妊娠期に適度な運動を実施することが推奨されており、特に妊娠中期以降の運動は母体および胎児の健康、さらには分娩のための体力づくりに良い影響を与えることが広く知られています。馬においても、分娩数か月前からのウォーキングマシンによる運動の実施は、難産の予防効果が期待されています。そのため、日高育成牧場においても、分娩1~2か月前から30~60分間ほどのウォーキングマシンによる常歩運動を実施しています。その効果については検証中ですので、今回は妊娠期における繁殖牝馬の運動について、海外での研究報告を基に概説します。

Photo_8 写真1. 妊娠後期のウォーキングマシンによる運動は難産予防効果が期待される

 

妊娠期における運動実施の利点

冬季の北海道は放牧地が雪で覆われ、さらに妊娠後期には胎子重量が増加することから、妊娠馬の運動量(移動距離)は低下します。その結果、分娩直前の妊娠馬は下肢部の浮腫の発生が多くみられます。この浮腫は運動量の低下に起因するため、引き運動やウォーキングマシン運動によって改善することが知られています。また、前述したとおり、難産予防効果も期待されていますが、明確な根拠は不明のままとなっています。

一方で、インスリン感受性など代謝に関する知見は、少しずつ明らかとなってきています。インスリン感受性とは「インスリンの効きやすさ」の指標です。インスリンは糖代謝に関連するホルモンの一種で、血糖値を下げる作用があります。ヒトにおいては、肥満や妊娠の進行によってインスリン感受性が低下することが知られており、感受性の低下による高血糖状態の持続は、母体と胎児の双方に悪影響を及ぼす可能性があります。馬においても、ヒトと同様に肥満や妊娠の進行によって、インスリン感受性が低下すると考えられています。加えてインスリン感受性の低下は、蹄葉炎発症の一要因となることも知られています。

繁殖牝馬においては、痩せた馬(BCS 4.5以下)と比較して、肥満馬(BCS 8以上)はインスリン感受性が低いことが明らかとなっています(Powell et al., 2002)。また、肥満馬に30分間の速歩運動(心拍数120~140回/分となるように速度を調整)を7日間実施すると、運動前と比較してインスリン感受性が上昇したこと(図1)から、運動実施は代謝機能を改善させる効果があることが示唆されています(Powell et al., 2002)。したがって繁殖牝馬において、過肥を避ける飼養管理を実施すること、さらに過肥な馬に運動を課すことは、代謝機能の維持および改善につながると考えられます。現在、日高育成牧場においては、妊娠後期の繁殖牝馬のインスリン感受性やそれに影響を及ぼす運動の効果についての調査を実施しておりますので、新たな知見が得られましたら改めてご紹介いたします。

Photo_9 図1. 運動前後のインスリン感受性変化

 

妊娠期の運動による懸念

妊娠期の運動実施の利点をお伝えしましたが、懸念事項はないのでしょうか。

排卵(種付け)日から7日間にわたって、駈歩を含む30分間の運動を実施したところ、実施していない馬と比較して、胚回収率(≒受胎率)が低下(図2)したことが報告(Mortensen et al., 2009)されており、種付け直後の過度な運動は、受胎率を下げる可能性が示唆されています。この胚回収率の低下は、運動に起因して体温が上昇することによる熱ストレスが原因であることが推察されています。また、運動により骨格筋への血流が増加することに伴って、子宮や卵巣への血流が減少し、卵胞の質が低下する可能性も示唆されています。牛においては暑熱環境下で飼養された場合、受胎率が低下し、熱ストレスは胚に悪影響を及ぼすことが広く知られているため、馬においても同様である可能性が高いと推察されます。したがって交配前後の馬への過度な運動負荷は、受胎率に悪影響を及ぼす可能性があると考えられます。

受胎確認後の妊娠16日から80日にわたって、30~60分間の駈歩を含む運動を実施した研究においては、母体および胎子ともに悪影響は認められなかったことが報告されており(Anton MS et al., 2014)、交配直後でなければ、運動の実施は妊娠継続に悪影響はないことが示唆されています。

Photo_10 図2. 排卵後の運動の有無と胚回収率

最後に

サラブレッド生産においては、繁殖牝馬の運動効果に関してはほとんど議論されていませんでした。しかしながら、代謝機能を改善するなどの健康効果が認められつつありますので、今後の検証結果もお待ちいただければ幸いです。

繁殖牝馬の管理方法については、JRA日高育成牧場管理指針 -生産編- にも記載しています。このたび本指針を改訂し、第3版を発刊いたしました。繁殖牝馬や子馬の管理に関する最新の知見を追加するとともに、動画への二次元コードを掲載し、これまで以上に活用しやすい内容となっております。引き続き、生産・育成の参考書として利用いただけますと幸いです。

 

参考資料

JRA育成牧場管理指針 - 生産編(第3版)-

https://www.jra.go.jp/facilities/farm/training/research/pdf/research_seisan.pdf

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早期胚死滅の原因

◎はじめに

 馬の生産に関わっていれば、早期胚死滅という言葉を否応なしに耳にしたことがあると思います。胚死滅とは文字どおり、一旦受胎した「胚」が死滅・消失することを指し、日高のサラブレッドにおける調査において、発生率は5.8%と報告されています(Miyakoshi, 2012)。「胚」とは卵と精子が受精した結果できる受胎産物が子宮内に着床するまでを指し、40日前後で起こる着床後は、「胚」を「胎子」と呼ぶようになります。着床までの間に胚が死滅してしまう原因はいくつも存在しており、大きく「母体要因」、「胎子要因」、「環境要因」に分けられます。以前より影響因子として考えられている「加齢」、「子宮内膜シスト」、「BCS」、「予防としての陰部縫合」は、母体要因あるいは環境要因に含まれます。一方、「遺伝子・染色体異常」は胎子要因として考えられていましたが、その実態は詳しく分かっていませんでした。昨年末に開催されたAAEP(アメリカ馬獣医師協会)の年次大会において、この胎子要因を含めたレビューが報告されましたので、その内容を概説いたします。

 

◎胚の位置と大きさ

 通常、胚は排卵後18日頃に左右どちらかの子宮角基部に固着(写真1)しますが、これが子宮体部に固着した場合に妊娠喪失しやすいとされています(Jobert, 2005)。また、胚死滅例では同時期の正常妊娠に比べて小さい傾向があります。顕微授精における調査の結果、胚移植7日の大きさが正常妊娠8.6mmであるのに対して、胚死滅例は6.6mmでした(Cuervo-Arango, 2019)。臨床現場においては厳密な排卵(授精)時期が分からないため、胚の大きさを正確に判断することは困難ですが、双胎妊娠の場合に大きい胚を残すという判断は妥当と言えます。

Photo_6 写真1 子宮角基部に固着した胚のエコー像(排卵後21日)

◎遺伝学的要因

遺伝子情報であるDNAは、複雑に折りたたまれて「染色体」という構造で核に保存されています。この染色体の数は動物種によって異なり、ウマは通常32対(64本)ですが、特定の染色体が1本(染色体数63)となる「モノソミー」、3本(染色体数65)となる「トリソミー」、全ての染色体が3倍となる「三倍体(染色体数94)」などの染色体異常が起こることがあります(図1右)。妊娠15-65日に妊娠喪失した99例において胚(もしくは胎子)の染色体を調べたところ、これら染色体異常が49例(49%)も認められました(トリソミー10%、モノソミー4%、部分的異数性2%、3倍体35%)。一方、妊娠後半に流死産に至った150例における染色体異常は1.3%(部分的異数性が2例)にすぎないことから、これら染色体異常の多くは妊娠早期に死滅に至ると言えます。また、胚死滅を繰り返す母馬において、何種類かの「染色体の構造異常」が報告されています(図1左)。常染色体構造異常は、「転座」とも呼ばれており、異なる2本の染色体に切断が起こり、その断片が交換される現象です。ただし、その発生率は胚死滅全体の2%未満であることから、染色体の数的異常に比べると稀と言えます。

Photo_7図1 染色体の構造異常(転座)と染色体の数的異常

 

◎診断と治療

 胚死滅を繰り返す牝馬については、染色体検査(カリオタイピング)によって母馬の染色体転座を検査することが推奨されますが、残念ながら日本では実施できる施設はありません。一方、胚死滅を確認した際、子宮内に胚が残っている場合には、胚を回収して検査に供すことで、死因を特定することができるかもしれません。しかし、やはり検査を受託する施設がないことに加えて、確定診断できたとしても有効な治療法がないため、現場で検査するのは現実的とは言えません。

 筆者は胚死滅の原因として、このような遺伝的要因が多く占めているという報告に基づいて、胚死滅の予防処置として比較的簡単であるために一般的に実施されている「黄体ホルモン剤」の投与に対して、注意を促したいと考えています。なぜならば、実際に胚死滅が黄体形成不全(ホルモン濃度が低い状態)に起因している症例はそれほど多くないこと、さらに、胚死滅染色体異常はそもそも出生に至らないことから、安易に黄体ホルモン剤を投与することは生存性に効果がないばかりか、胚死滅後の再交配のタイミングを遅らせてしまうリスクがあると考えているからです。

 

◎おわりに

 本稿を読み終え、意外にも多くの染色体異常が生じていることを目の当たりにし、胚死滅の予防が困難であると思われるかもしれません。しかし、子宮内の汚染や分娩損傷からの回復遅延、子宮内膜シスト、低栄養など母馬や環境に由来する原因については、適切な飼育管理によりリスクを低減することができます。実際、日高地区の胚死滅率5.8%という数字は世界的に見ても低く、高額なサラブレッド種において、日本の生産者が入念に飼育している結果だと考えられます。

 

日高育成牧場 生産育成研究室長 村瀬晴崇

肢蹄管理への「3D技術」の応用

【肢蹄管理の問題点】

馬の蹄の怪我や病気は、専門的な知識や技術に基づいて、装蹄師を中心に飼養管理者ならびに獣医師が協力して治療しています。特に、特殊な形状の蹄鉄を使用する装蹄療法や子馬の肢勢矯正には、高度な装蹄技術が要求されるため、装蹄師による速やかな処置が不可欠です。また、疼痛を伴う症例や蹄が小さい子馬では釘による蹄鉄の固定が困難であるため、蹄鉄の接着に充填剤を使用しますが(写真1)、蹄の成長を阻害してしまうことが危惧されるばかりか、充填剤が硬化するまで肢を挙げ続けなければならないため、人馬共に大きな負担となっています。

このような問題を解決すべく、日本軽種馬協会が事業主体である「競走馬生産振興事業」における「軽種馬経営高度化指導研修事業」の一環として、日本軽種馬協会とJRAは、2021年より「生産地における3D技術の活用」について、共同で調査研究を行ってきました。本研究では、ヒト医療でも注目されている3Dプリント技術のウマ医療分野での活用を模索し、これまでに、「3Dプリンターによる特殊蹄鉄(3Dプリントシュー)の作製方法」の他、「子馬の肢勢矯正や蹄病罹患馬への応用」について検討し、その成果を2022年および2023年の「JRA競走馬に関する調査研究発表会」および「ウマ科学会」において報告しました。

D 写真1:充填剤で装着した特殊蹄鉄  

D_2 図1:3DプリントシューのCGデザイン

 

【3Dプリントシューとは】

3Dプリントシュー(以下3DPS)は、蹄の3Dデータに合わせた蹄鉄をCADと呼ばれる3D設計ソフトを用いてデザインし(図1)、それを3Dプリンターで印刷して作製します。その特徴として、「どんな形状でも簡単に造作できる」、「同じ物を量産できる」等が挙げられます。また、材質が樹脂であるため、通常の特殊蹄鉄に比べて軽量であること、さらに、蹄尖壁(蹄の前方)にカバーを付設してスリッパ形状(写真2)にすることが可能であることから、充填剤による接着が不要で、伸縮性のある包帯による固定が可能なために、着脱を容易に行うことができます(写真3)。また、充填剤を使用して接着する場合においても、接着領域をカバー部分と蹄壁に限定することで、大量の充填剤を使用する必要がなく、子馬の蹄の成長を阻害する心配はないものと考えられます(写真4)。

D_3 写真2:蹄壁カバーの付設            

D_4 写真3:伸縮包帯による固定                

D_5 写真4:カバ―部での接着

【子馬の肢勢矯正】

子馬の肢勢矯正処置として、特殊形状の「ベビーシュー」の装着や、充填剤を使用して「蹄に張出しや高低差を付ける方法」が実施されていますが、常に同じ条件で張出や高低差を付けるには、高い技術と経験が要求されます。現在、この高い技術と経験を不要することを目的として、設計段階で張出しや高低差を予め設定することを可能とし、容易に特殊形状が作製可能な3DPSを有効活用できないか調査研究を実施していますが、3DPSの強度や接着方法が確立されていないため、実用に向けて、「北海道立総合研究機構」や「旭川工業専門高等学校」などの協力を得ながら模索しています。

 

【蹄病罹患馬への応用】 

 蹄葉炎治療法として、3DPSの臨床応用を繰り返し試みた結果、初期治療において一定の効果が認められています。3DPSと蹄の間にクッション材を挿入し、厚尾状にした3DPS(写真5)を装着して、深屈腱の緊張を和らげることによって、反回を改善させることが可能となり、患肢にかかる負担を軽減させることに成功しています。また、前述したように、スリッパ状に設計したカバー付き3DPSは、ベトラップ、エラスチコン等の伸縮包帯とダクトテープとを組み合わせて使うことによって、釘や充填剤を使用することなく、安定した固定が可能となります。装着にかかる時間は短く(90~120秒)、人馬にかかる負担が軽減されます。また、3DPSが破損した場合でも、同じ形状のスペアーを準備しておくことによって、治療を継続することができ、さらに、設計を変更することによって、症状に合わせた3DPSを容易に作製することが可能です。この様に、着脱が容易であり、スペアーが準備できることから、治療中に外れてしまうなど不測の事態が起こった場合でも、飼養管理者が自ら再装着することで、獣医師や装蹄師に依頼することなく、応急処置を施すことが可能です。

D_6 写真5:厚尾状3DPS                   

D_7 写真6:蹄底スケール

 

【3DPSの普及にあたって】

今後、積極的な臨床応用が期待される3DPSですが、一連の作製過程に専門的な知識と技術が必要となることが普及の障壁として危惧されます。現在、この解決法として、最低限のパソコン操作が可能な方であれば、3DPSをデザインできるマニュアルを作成している段階であり、完成した際には、無料配信する予定です。このマニュアルには、スケール(縮尺を判別できる目盛)を含めた蹄底の写真(写真6)を基に、自動的に3DPSが作製できる補助ツールが付録されています。さらに、今後は3DPS作製用スマホアプリの開発も進めています。一方、CADソフト、3Dプリンターともに高価であることから、現段階では現場での作製まで展開することは困難であるため、当面はJBBAに専用窓口を設置し、現場からスケール入り蹄底写真と希望の形状をメール等で申請していただき、印刷した3DPSを送付する方法を検討しています。

 

【おわりに】

 すべての馬が健康な状態で生活を送ることは、私たちホースマンの願いですが、残念ながら肢蹄疾患を発症する馬は少なくありません。我々生産地の装蹄師および獣医師は、不幸にも肢蹄疾患を発症してしまった馬に対して最善の処置を施すことはもちろん、飼養管理者に対しも、可能な限り負担が軽減できる処置方法を確立して、提供できることを目指し、今後も探求し続けたいと思います。 

最後になりますが、3D技術を活用した処置方法の検討では、生産牧場、育成牧場、装蹄師、獣医師の皆さまにご協力をいただき、多くの症例馬に携わる機会をいただきましたこと、この場をお借りして御礼申し上げます。

 

JRA日高育成牧場 専門役(装蹄担当) 金子大作