2024年1月15日 (月)

当歳馬に対するグランドワーク

馬事通信「強い馬づくり最前線」第318号

 

はじめに

 当歳馬の離乳もすでに終えられている牧場も多く、当歳馬を個別に管理し、個々の馬の個性に向き合われている時期ではないかと思います。当歳馬の体重は300㎏を超える個体も認められ、放牧地へ向かう引き馬の際に、制御するのが困難な状況を経験されている方も少なくないものと想像いたします。今回は、当歳馬の取り扱いを容易にすることを目的としたグランドワーク(写真1)の実施について概説します。

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写真1.グランドワークの基本となる引き馬はセリ馴致時にも役に立ちます

 

グランドワーク

 近年、ナチュラルホースマンシップの手法を基にした「グランドワーク」は、競走馬や育成馬のみならず、離乳後からセリ上場までの中期育成期に取り入れられることも少なくありません。グランドワークとはその名のとおり、馬に乗ることなく地上(グラウンド)において、馬に向き合って意思疎通を図る方法です。これにより、馬とのコミュニケーションを構築し、普段の取り扱いのみならず、騎乗時の信頼関係をも高めることが目的といえます。

 つまり、「人の指示に従うように導く」ことが最終目標であり、無理やり従わせるというより、馬が「自発的に行動を起こす」ことが重要となります。馬だけでなく、人も含めた動物全般の自発行動は、「オペラント条件づけ理論」に基づいて、学習させることによって、その頻度を増加させることが可能になると考えられています。

 

オペラント条件づけ理論

 「オペラント条件づけ理論」においては、行動を起こす頻度を上げることを「強化」、行動を起こす頻度を下げることを「弱化」と定義し、行動の直後に刺激を与えること「正」、行動の直後に刺激を取り除くことを「負」と定義しています。これらの「強化」および「弱化」、「正」および「負」という定義によって、1)「正の強化」、2)「負の強化」、3)「正の弱化」、4)「負の弱化」の4つに分類されます(図1)。馬に自発行動を促すには、行動を起こす頻度を上げる「強化」にフォーカスする必要があります。つまり、「正の強化」あるいは「負の強化」の理論に基づいて、自発行動を増加させるように誘導しなければなりません。

 「オペラント条件づけ理論」に基づいて考えると、捕食者である犬は獲物を得ることに満足感を得るため、何かを得ることにより、行動を起こす頻度が増加する「正の強化」によって行動が支配されている傾向が強いと考えられています。つまり、「正の強化」とは「お座り」をしたら「エサ」という好きなものがもらえるので、自発的に「お座り」する行動が増加するというイメージになります。
 一方、被捕食動物である馬では、肉食動物に狙われるという危険な状態から逃げることによって安全で快適な状態、つまり満足感を得るため、嫌なものが取り除かれることにより、行動を起こす頻度が増加する「負の強化」によって行動が支配されている傾向が強いと考えられています。つまり、「負の強化」とは、我々の身近な例で例えると、シートベルトを装着しなければ、不快なアラーム音が鳴り続ける(シートベルトを装着すると不快なアラーム音という嫌なものが取り除かれる)ので、自発的にシートベルトをする行動が増加するというイメージになります。

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図1.「オペラント条件づけ理論」の図解

 

「オペラント条件づけ理論」の馬への応用

 馬に対して「正の強化」および「負の強化」の手法に則って、自発行動を促進した例についてはQR①およびQR②をご参照ください。前者は障害飛越後に必ず「エサ」を与えるという行為を繰り返す「正の強化」によって、最終的には自発的に障害を飛越するようになるという例になります。後者は人に付いていくことによって「プレッシャー」が解除されるという行為を繰り返し理解させる「負の強化」によって、最終的には自発的に人の傍に位置するようになるという例になります。

                   

Qr1


QR①「正の強化」に基づく障害飛越  

Qr2


QR②「負の強化」に基づくジョインアップ

 

「負の強化」に基づいた当歳馬に対するグランドワーク

 当歳馬に対するグランドワークは、「オペラント条件づけ理論」の「不快な状態から解放されることがご褒美(プレッシャー&リリース)」となる「負の強化」に基づいて実施することが推奨されます。図2に示したとおり、4つの手順に分けて進めていきます。具体例としての動画はQR③をご参照ください。

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図2.当歳馬に対するグランドワークにおける4つの手順

Qr3


QR③ 当歳馬に対するグランドワーク

https://youtu.be/pnMaPDjwkns

 

右脳と左脳のイメージ

 馬を安全に取り扱うためには、グランドワーク等によって人の指示を馬に理解させなければならず、野性の本能でもある「臆病で逃げる」という性質を可能な限り排除する必要があります。一方、競馬では「全速力で走る」という野生の本能を誘起しなければなりません。この相反する2つのことを馬の右脳と左脳にフォーカスを当ててみると以下のように考えることができます(図3)。

 野生の馬は捕食者から逃げるために、反射的に反応できる右脳を優位に働かせていると考えられています。人とのコミュニケーションが不足している馬は右脳が優位であり、自身が経験したことのない全ての新しいことに対して「危険なこと」と認識して、逃げるという行動を取るのは極めて自然なことです。そのため、安全に取り扱うためには、主に思考を司る左脳を優位に働かせなければならず、人が関わることが「危険なことではない」と理解させる必要があります。

 馬が左脳を優位に働かせているような行動を見ると安心する一方で、競走馬として何か足りないのではと感じることがあります。その足りないものとは「反射的な俊敏な反応」であり、取り扱いの難しい競走馬が競馬で好成績を残すことが少なからずあるということと関係があるようにも思われます。理想的には、普段の取り扱いは左脳を優位にさせて扱いやすく、競馬の勝負どころでは右脳を最大限に優位にできるような馬を育成していきたいと考えています。

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図3.馬を用いた競技は馬術競技の馬場馬術を頂点として、調教程度の高い順に木の幹として表されます。「根」は全ての競技に不可欠な基本的な馬の取り扱い(グランドワーク)と捉えられています。競馬は馬を用いた競技の中で最も野生に近い競技であり、最も右脳の優位性が必要な競技と考えられます。

 

日高育成牧場 副場長

頃末 憲治

獣医学生の生産地研修

馬事通信「強い馬づくり最前線」第317号

はじめに

 競走馬の生産地において馬の健康維持や健やかな成長を助け、「強い馬づくり」に貢献している職業の一つに獣医師があります。ところが、馬の獣医師を目指す獣医学生は小動物や他の大動物業界に進む学生に比べて多いとは言えず、大学にもよりますが、一般的に馬を対象とした獣医療を専門的に学ぶ機会が少ないというのが実情です。筆者は、幸いにも馬の生産牧場や臨床獣医師のもとでの研修・実習を通じて学ぶ機会に恵まれましたが、馬業界での実習や就職活動は、当時(20年以上前)の学生(自分)にとっては、まさに暗中模索だったと記憶しています。

 昔話はさておき、現代では学生に対して業界をあげて大きく門戸を開いており、その一つとして、日高育成牧場では学生の長期休暇に合わせて「スプリングキャンプ」および「サマーキャンプ」と銘打ったそれぞれ計5日間の研修を開催しています。

 

日高育成牧場での研修

 この研修では、生産から育成、売却、競馬の仕組みなど馬の獣医師として必要な知識のほか、運動器疾患や内科疾患のみならず、生産地ならではの繁殖学に関する検査手技や診療技術の初歩について、繁殖牝馬、子馬ならびに乗馬を使いながら体験学習することができます(写真1~3)。春と夏の研修ともに分娩やセリの見学などのなかなか経験することができないコンテンツがあり、馬の周産期医療や競走馬売買の実態など大学で触れる機会の少ない「現場」を体験することができるため、毎回多くの学生からの応募を頂いています。

 実際に参加してもらった学生が馬の獣医師を本気で目指すきっかけになることも多いようで、「〇年前に研修でお世話になりました!」と若い獣医師に話しかけられると、非常に嬉しいものです(写真4)。一方、生産地の馬獣医療を担う他の獣医療施設においても、積極的に学生の獣医研修をサポートしていただいています。

 

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写真1:大学では学ぶことができない現場ならではの馬繁殖学の講義の様子

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写真2:緊張感が漂う実馬を用いたX線検査実習。

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写真3:装蹄チームの講義は巧みな話術が人気の秘密。

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写真4:直腸検査実習(指導している獣医師も実は元研修生)




臨床現場での研修

 実際の馬臨床獣医療は、農業共済(NOSAI)、軽種馬農協(HBA)ならびに軽種馬調教センター(BTC)などの団体に所属する獣医師のほか、個人経営の開業獣医師の皆さんが担っていることは、競馬関係者の皆さんは良くご存じだと思います。各団体や開業獣医師の方々は、生産地の獣医療現場(特に繁忙期である分娩シーズンや北海道の生活環境)を学生に体験する機会を提供して、装蹄師や牧場スタッフなど他職種の皆さんとの協力体制の重要性を教え、先輩獣医師の生の声を聞くことができる機会を設けて、獣医学生が生産地の獣医師を志す一助になるようサポートしていただいています。こうした研修は、学生が本格的に獣医療を学ぶことはもちろん、生産地や馬獣医療の厳しさや素晴らしさを知ることができるため、将来を見据えた就職活動の一環として人材確保に大きく貢献していると言えます。

 

【団体の問い合わせ先】

・NOSAI北海道:ホームページの採用情報の家畜診療業務体験研修の募集案内から

・HBA:ホームページの採用情報(獣医師職員)の問い合わせフォームから

 

馬医療の担い手の確保

 前項で人材確保という言葉が登場しましたが、生産地における人材不足は獣医師についても同じ状況で、安定的な獣医療を提供していくにあたり、深刻な障害となりかねない問題であると捉えられています。上述したように、業界全体で人材育成や就職活動のサポートに力を入れていますので、お忙しいとは思いますが研修や実習への協力依頼に応じていただけたら幸いです。また、読者の皆さんの知り合いや親せきに獣医師に興味がある方がいたら、気軽に生産地での研修を紹介していただきますよう、お願いします。これからの強い馬づくりを支える人材確保に、是非ともご協力ください。

 なお、JRAでは、馬の獣医師を志す学生を支援し、日本の馬産業を支える人材を育成することを目的として「競走馬および乗馬の獣医師を志す学生を支援するための奨学金制度」を日本国際教育支援協会(JEES)の協力のもと実施しています。例年、新5年生となる獣医学生(34名程度)を対象に、月額35,000円を24か月間支給しています(2023年9月現在)。詳細については、各大学の学生課または奨学金担当部署へご確認ください。

 

主任研究役 琴寄泰光

ローソニア感染症

馬事通信「強い馬づくり最前線」第316号

はじめに

 夏の暑さも少し落ち着き、今年も子馬の離乳時期を迎えています。今回は離乳時期の子馬に発症しやすいローソニア感染症について概説します。本疾病はLawsonia intracellularis (Li)という細菌による腸管感染症です。腸管粘膜を著しく肥厚させることから、別名「馬増殖性腸症」とも呼ばれています。腸からの栄養の吸収障害による、下痢や栄養不良が主症状であり、短期間で削痩してしまうことが本疾病の大きな問題となっています。日本では2009年に初めて発症が確認され、生産地に広がりましたが、ここ数年の発症頭数は減少傾向にあります(図1)。 

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図1.日高管内におけるローソニア感染症の発生状況

症状、診断

 本疾病の症状は、下痢や急激な体重減少(削痩)、浮腫、疝痛、発熱など様々です(写真1)。確定診断は糞便や血液を用いたPCR検査および抗体価測定検査によって行われますが、現場では子馬の症状、および本疾病の特徴的な血液検査所見である低タンパク血症(TP:5.0 mg/ml 以下)から獣医師が推定診断します。このように低タンパク血症が本疾病の大きな特徴である理由は、Liの感染により腸粘膜の上皮細胞が病的に増殖することに起因して、タンパク質などの栄養を腸から吸収できなくなるためです。その結果、発症馬の体重は著しく減少し、重篤な症例では死亡することもあります。 

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写真1.著しい削痩を呈したローソニア感染症発症馬(1歳7ヵ月齢)

治療

 治療は、抗生物質(テトラサイクリン系、マクロライド系)が効果的です。治療が遅れると回復に長い時間を要し、減少した体重が元に戻るまでに数ヵ月も要するため、早期診断と早期治療が非常に重要です。

 

予防

 本疾病の感染様式は経口感染です。感染馬は糞中にLiを排出し、その糞便で汚染された飼料、水、環境を介して他馬に感染します。糞中へのLi排出期間は非常に長く、半年以上に及ぶこともあります。本疾病は不顕性感染が多い点、ネズミなどの野生小動物も原因菌を媒介している可能性が高い点を考慮すると、パコマやビルコンといった消毒薬だけで厩舎内へのLiの侵入を防ぐことは非常に困難です。そこで現在では、豚用弱毒生ワクチンの投与が効果的な予防策となっています。

 

ワクチン投与

 豚用弱毒生ワクチンは馬のローソニア感染症においても予防効果が報告されており(Pusterla N et al. 2012)、国内の馬生産現場においても使用されています(写真2)。2019年にはサラブレッド全生産頭数の1/3に当たるおよそ2500頭へ投与がされていると推測されています。一方、本ワクチンは馬では承認されておらず、獣医師が自己責任で使用する適応外使用を余儀なくされているのが現状です。現在、日本軽種馬協会、ワクチンメーカー、JRAなどが一致団結し、馬における本ワクチンの承認に向けて取り組んでいます。 

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写真2.当歳馬への投与の様子(ローソニア感染症ワクチンは直腸から投与)

まとめ

 2009年に国内で初めて確認された馬のローソニア感染症ですが、その発症予防には当歳馬に対するワクチン投与が有効です。また、日々の健康観察を確実に行うことが重要です。病気が発症しやすい秋から冬にかけては体温や飼食い、便の状態などに異常を認めたら、出来るだけ早く獣医師に相談しましょう。

2024年1月 9日 (火)

装蹄師の養成について

馬事通信「強い馬づくり最前線」第314号

 馬は肢先に蹄を持つことで体重を支えて安定した歩行や、長距離移動や時速約70㌔で速く走ることを可能としています。このように、馬の蹄は非常に重要な役割を果たしています。しかし、運動時の衝撃や偏った摩耗により、蹄にかかる負重がアンバランスな状態になると、蹄あるいは関節や靭帯などを痛めてしまい、重症の場合には跛行することがあります。

 そのため、定期的に蹄を管理・メンテナンス(削蹄・改装)して、バランスを調整する必要があります。このメンテナンスを行うのが装蹄師という職種で、日本で唯一装蹄師の養成を行っている施設が「装蹄教育センター」となります。

 本号では、「装蹄教育センター」における装蹄師の養成に関わる制度やその教育過程などを概説いたします(写真1)。 

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写真1.蹄のメンテナンス(削蹄)

装蹄教育

 装蹄師になるためには、日本装削蹄協会の装蹄師養成施設である、栃木県宇都宮市の「装蹄教育センター」において、約1年間全寮制で行っている装蹄師認定講習会を受講しなければなりません。講習会は主に実技(鍛冶技術と装蹄技術)と専門的な学科(運動学や解剖学)を中心に行われますが、馬との接し方を学ぶために騎乗訓練も行われます。

 また、馬に関する豊富な知識を学ぶ目的で、様々な専門分野の講師による特別講義も行われており、JRA馬事公苑やNAR教養センターの現役装蹄師から実践的な技術指導を受けることもできます。その他にも、馬産地日高地方での研修、競馬場や競馬関連施設、トレセンなどの見学もカリキュラムの中に組み込まれています。

 このように1年間という短い期間ですが、装蹄師になるためのとても内容の濃い講習会となっています。装蹄師認定講習会の修了前に、装蹄師認定試験が行われ、2級認定試験(※1)に合格する事によって、晴れて装蹄師のスタートラインに立つことができます(写真2)。

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写真2.装蹄教育センターでの実技の様子

就職先

 講習会修了後の進路は「JRAやNARなどの団体職員となり勤務装蹄師になる」か、「個人で行う開業装蹄師に技術習得や経験を積むために、一定期間弟子入りする」の概ね2種類となります。

 また、就職先の勤務地や業務内容は馬の使用目的で異なり、「①競馬関係施設であれば競走馬の装削蹄」、「②生産地の牧場ならば繁殖牝馬や幼駒の削蹄」、「③各地乗馬クラブなら競技馬や乗馬の装削蹄」に分かれます。その求人情報は全国から装蹄教育センターに集まっており、幸いなことに修了者の就職率は、開設以来29年間100%を誇っています。

 

入講試験

 講習会に入構するには、入構試験に合格しなければなりません。来年度の募集の定員は16名となっています。試験内容は「①筆記試験(高等学校卒業程度の一般教養レベルの試問および作文)」、「②面接」、「③体力試験」が行われます。体力試験では総合的な腕力を測るため、異なる重さのハンマー(1.5㌔・1.75㌔・約3㌔)を順に持ち上げるなど、装蹄師の養成のための特殊な試験が行われます。

 また、男女や乗馬経験の有無は、特に問われることはなく、入講前に馬に触れたことのない者でも、1年間講習によって装蹄師認定試験を受験できるまでに指導して貰えるので、馬に興味があるが触れたことのない者でも安心して入講することができます(写真3)。

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写真3.女性装蹄師も増えています

 

おわりに

装蹄師の仕事は肢元を支える裏方の仕事で、炎天下での装蹄作業や、重い馬の肢を支えての作業など、決して楽な仕事ではありません。しかし、多くの競馬関係者やオーナー、さらにファンの夢を背負って走る競走馬や、乗用馬と騎乗者が大会等で充分な力が発揮できるように、あるいは母馬や子馬が健康に生活して丈夫に成長するために、人馬に寄り添った装蹄を目指す楽しみがあるなど、非常にやりがいのある仕事です。

なお、教育センターでは、オープンキャンパスも実施されており、実際に講習生の実習を見学したり、現役装蹄師でもある教官のお話を聞くことができます。

この記事を読んでいただき、「装蹄師」という職業に、少しでも興味を持っていただけましたら、装蹄師認定講習会の受講内容がより詳しく紹介されている「日本装削蹄協会のホームページ」をご覧いただきたいと思います。

 

※1「装蹄師資格」は昭和45年までは「国家資格」でしたが、現在は、「公益社団法人日本装削蹄協会」による「認定資格」となっています。資格の種類は「2級認定資格」を取得後4年以上経過した後に「1級資格の試験」の受験が可能となり、さらに「1級認定資格」を取得後9年以上経過した後に「指導級の試験」の受験が可能となっており、それぞれの試験に合格すると昇級することができます。

 

JRA日高育成牧場 業務課(装蹄師) 橋本孟佳

当歳の離乳について

馬事通信「強い馬づくり最前線」第313号

 春に生まれた子馬たちはすくすくと成長していますが、夏には越えなければならないイベントである「離乳」が待ち構えています。

 野生環境下では、出産の1~2ヶ月前になると、徐々に母子の距離が離れていき、子馬の哺乳が見られなくなるといわれています。このことは、離乳は母馬が次の出産準備を行うためであり、離乳の目的は、胎子成長のための母体の十分な栄養確保、および乳房の母乳分泌機能の一定期間の休養によって、次の出産に備えることであることを意味していると考えられています。今回は、JRA日高育成牧場で実際に行っている例を踏まえて離乳について概説します。

離乳時期

 一般的な離乳時期は4~6ヶ月齢が目安となりますが、1歳馬の売却状況による放牧地や空き馬房の関係から、牧場によっては7~8ヶ月齢と遅い場合もあるようです。離乳の時期を決めるうえで、子馬の「栄養面」と「精神面」の2点を考慮しなければなりません。

 「栄養面」としては、子馬の多くは離乳に伴うストレスにより、体重の減少や成長停滞が認められます。その後の発育や健康に及ぼす影響はほとんどありませんが、発育停滞後の代償的な急成長がOCD(離断性骨軟骨症)などの骨疾患発症の誘因となるため、前号で概説した子馬が離乳前に固形飼料である「クリープフィード」を一定量(1~1.5kg)摂取できるようになっている必要があります。「クリープフィード」の給与開始時期は、母乳量が低下し始める2~3ヶ月齢が目安とされますが、固形飼料に馴れるまでの時間が必要となります。一般的に養分要求量を満たす量を子馬が摂取できるようになる時期は16~18週齢前後と考えられています。しかしながら、各牧場の飼育環境や個体管理等を考慮した際に、栄養面のみの観点からは、十分なクリープフィードを摂取できていれば、より早期に離乳させることは可能ともいえます。

 「精神面」としては、15~16週齢以降に放牧地で子馬は母馬から適度に離れ、子馬同士の距離が接近していることから、この時期の子馬は群れの中で、精神的に自立し始めていると推測されます(図1)。つまり、精神面の観点からは、16週齢以降に離乳を迎えることが望ましいと考えられます。

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図1.16週齢ごろには母馬から離れ、子馬同士の群れでも精神的に安定する

 

 以上のことから、「精神面」と「肉体面」の両方を考慮した場合には、離乳の時期は早くても「4ヶ月齢以降」が望ましいと考えられます。また、「成長面」を考慮すると、体重が「220kg以上」であることも離乳の条件の一つともいわれており、さらに、動物福祉の観点からも早すぎる離乳に警鐘が鳴らされていることも考慮すると、離乳の適期は「5~6ヶ月齢」と考えられます(図2)。

 なお、「7月中旬から8月中旬まで」は気温が高く、アブなどの吸血昆虫が多いため、離乳後のストレスを考慮すると、この時期を避けることが望ましいかもしれません。
 このように、離乳は子馬の健康状態、成長速度、気候や放牧草の状態などを総合的に判断する必要があり、さらに、離乳は個体毎ではなく群で実施することからも、毎年の離乳時期は適宜判断しなければなりません。

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図2.離乳時期の目安

離乳方法

 JRA日高育成牧場では「間引き法」と呼ばれる「放牧地の母子の群れを一斉に離乳せずに、放牧地から母馬を数頭ずつ複数回に分けて群れから引き離していく」離乳方法を採用しています。また、それに加えて「コンパニオンホース」を導入しています。

 方法としては、離乳に先立ち、母子の放牧群の中に「穏やかな性格の子育て経験豊富かつ今年は出産していない牝馬(穏やかな性格のセン馬でも可能)」を「コンパニオンホース」として、離乳前から母子の群に混ぜて馴らしておきます(図3①)。その後、離乳は段階的に2、3組ずつ複数回に分けて、最終的に子馬とコンパニオンホースだけになる状態まで行います(図3②③、写真1)。子馬の状態が落ち着いたことを確認してから最後にコンパニオンホースを群れから引き離して、離乳を完了します(図3④)。

 このように母馬を段階的に除くことによって、群の中でコンパニオンホースや離乳していない母子、すでに離乳した子馬が平常でいることができるため、離乳直後の子馬がパニックになって興奮状態を長続きさせないことが可能になるなどの効果があります。 

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図3.一斉に離乳せずに母馬を数頭ずつ複数回に分けて群れから引き離していく「間引き法」

 

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写真1.離乳後の当歳馬とコンパニオンホース(矢印)

離乳に伴うリスク

 離乳を実施するうえで考慮しなくてはならないリスクとして、先にあげた発育停滞の他、悪癖の発現、疾病発症(ローソニア感染症など)、放牧地での事故などがあります。

 特に、隣接する放牧地に他の馬がいる場合、母馬を探し求める子馬が柵を飛越するリスクがあるため、牧柵や周辺環境を含めた放牧地の選択、離乳直後の子馬の監視など、事故防止策を講じる必要があります。つまり、離乳を安全に実施するためには、周辺環境のストレス要因の軽減に努めるとともに、あらかじめ危険要因を排除する必要があります。

 最後に、不適切な離乳方法を行った場合には、成長阻害、大きな事故、将来の取扱いに支障をきたすような心傷などが懸念されることから、牧場の放牧地や厩舎などの施設環境に応じた離乳方法の選択が重要です。

日高育成牧場 業務課  久米紘一

なぜクリープフィーディングが必要なのか?

馬事通信「強い馬づくり最前線」第312号

 哺乳期の家畜に飼料を給与することは「クリープフィーディング」と呼ばれますが、「抜け穴」を意味するクリープ(Creep)が語源となっています。すなわち、家畜の子供だけが囲いを通り抜け飼料を食べられるようにする給餌方法がクリープフィーディングです。ちなみに、少し混乱させるかもしれませんが、クリープフィーディングにおいて給与する飼料はクリープフィードと呼ばれます。クリープフィーディングを実施する目的は、家畜種で若干異なりますが、サラブレッドにおいては、母乳や放牧草で不足する栄養の補給と離乳前から固形食に馴らすことが主な目的となります。クリープフィードは子馬だけが餌を食べるようにすると同時に、母馬の飼葉を横取りして過剰な栄養を摂取することは避けなければなりません。他の家畜では、クリープフィーディングで増体をより大きくすることを目指すので、母親の餌を盗み食いすることには寛容である場合がほとんどです。しかし、サラブレッドの場合、クリープフィーディングの実施は、栄養の摂取不足だけでなく栄養摂取の過剰やアンバランスを避けるためでもあります。栄養に起因したDOD(発育期整形外科疾患)発症には、銅などのミネラルの不足以外に、急激な増体や濃厚飼料に多く含まれるデンプン等の過剰摂取による糖代謝異常も原因となることが知られています。

 

クリープフィーディングによる不足する栄養の補給

 過去の研究で調べた当歳馬の哺乳量および放牧草採食量から、クリープフィーディングについて考えてみましょう。子馬の哺乳量は1.5ヵ月齢から2ヵ月齢にかけて、急激に減少していきます(図1)。母乳中のカルシウムおよびリン濃度もまた経時的に減少していく(図2 (a))ため、乳由来のカルシウムおよびリン摂取量は成長に伴い加速度的に減少していきます(図3 (a))。また、母乳中の亜鉛および銅濃度は初期を除き哺乳期間中にほとんど変化はみられません(図2 (b))が、哺乳量が減少するため乳由来の亜鉛の摂取量もまた成長に伴い減少していくことになります(図3 (b))。一方、放牧草の採食量は成長に伴い増加していくため、放牧草由来のミネラル摂取量は増加していきます。栄養の摂取量に対する要求量(必要量)の割合(摂取量÷要求量×100[パーセント])は、充足率と呼ばれ、充足率が100%に満たないとき、その栄養は不足していることになります。2ヵ月齢および4ヵ月齢における母乳と放牧草から摂取したカルシウム、リン、亜鉛および銅の充足率を調べると、全てのミネラルで充足率は100パーセントを下回りました(図4)。放牧草の採食量が増加しても、必要量を満たす程度のミネラルが摂取できていないことが分かります。カルシウムおよびリンは骨の重要な材料であり、亜鉛や銅は軟骨の骨化に重要な役割があることから、これらのミネラルが不足することで骨軟骨症などの骨疾患が発症することが知られています。したがって、クリープフィーディングにより、これらのミネラルを補給し充足率が100%を超えるようにする必要があります。仮に「バランサーS」という飼料を、クリープフィードに用いたとします(図5)。全てのミネラルの充足率が100パーセント以上になるようにするには、2ヶ月齢および4ヶ月齢でそれぞれ「バランサーS」を850gおよび750g給与する必要があることが分かりました(図6)。このように、サラブレッドの健康な発育のためには、おおむね2ヶ月齢からクリープフィーディングを実施し、栄養の不足がないようにする必要があります。

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図1.成長に伴う哺乳量の変化

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図2.母乳中ミネラル濃度の経時的変化

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図3.成長に伴う母乳由来のミネラル摂取量の変化

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図4.2ヶ月齢および4ヶ月齢における母乳および放牧草由来で摂取するミネラルの充足率(要求量に対する割合)

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図5.「バランサーS」のミネラル成分

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図6.2ヶ月齢および4ヶ月齢における母乳と放牧草にバランサーを加えたときのミネラルの充足率(要求量に対する割合)。2ヶ月齢 (a) には「バランサーS」を850g、4ヶ月齢(b)には750gを加えた

離乳前に固形飼料摂取の馴致

 離乳により子馬は母乳を絶たれるために、固形飼料のみから栄養を採る必要があります。もし、子馬が牧草以外の飼料を食べることに馴れていなければ、離乳後、飼桶から飼料を摂取するようになるまでしばらく時間がかかるかもしれません。また、母馬と一緒に飼料を食べていた子馬は、離乳後のしばらくは飼葉に口をつけないかもしれません。離乳は子馬にとって精神的には大きなストレスであり、一時的に増体が停滞もしくは減量することは避けられません。しかしながら、離乳前から個別に固形飼料を食べるようになっていれば、少なくとも栄養が摂取できないことによるストレスの心配はありません。離乳による精神面のストレスに加えて栄養摂取が不十分であれば、増体停滞の期間は長くなります。子馬はやがては離乳によるストレスから解放され再び増体していきますが、増体停滞の程度が大きい程、代償的に急速に増体します。増体速度の急増によりDOD発症のリスクが高まることから、離乳後の増体の停滞はなるべく軽度であることが好ましいとされています。このことから、クリープフィーディングは離乳ストレスの軽減のために、必要であるとあるとされています。

 

さいごに

 生後早い時期の下痢のことを「発情下痢」と呼びますが、この下痢と母馬の発情とは関係ありません。子馬が母馬の糞や牧草などを食べたとき、腸内環境がそれらの消化に適応しないためによる下痢であって、偶然に母馬の初回発情時期と重なる場合が多いことから「発情下痢」と呼ばれるようになったのではないでしょうか。下痢になるのは摂取する飼料に対して腸内細菌が少ないことや適応していないためと考えられますが、クリープフィーディングを実施することは腸内環境を飼料に適応させていく過程としても必要であると考えられます。 

首席調査役 松井朗

2024年1月 5日 (金)

第244回 英国ダービーを観戦して

馬事通信「強い馬づくり最前線」第311号

 近年、日本調教馬が海外競馬においてめざましい成績をあげていることは、皆様もご存じの通りかと思います。今年3月のドバイワールドカップデーでは、ウシュバテソーロが日本史上2頭目のワールドカップ勝ち馬となり、イクイノックスがシーマクラシックをIFHA(国際競馬統括機関連盟)のランキングで1位となるハイパフォーマンスで圧勝しました。その他、米国や香港などの大レースでも、日本調教馬が毎年のように活躍を見せています。筆者は現在英国にて研修生活を送っておりますが、現地ホースマンからの日本の馬に対する注目度が明らかに高まっていることを肌で感じております。

 そんな中、去る6月4日にエプソム競馬場において行われた第244回英国ダービーでは、日本が誇るトップサイアーであるディープインパクト産駒のオーギュストロダン(August Rodin)がゴール前で差し切り、「日本産種牡馬産駒として初の英国ダービー制覇」の快挙を達成しました(写真1・QR1)。ディープインパクトは2019年に他界したため、3歳世代がラストクロップとなります。海外産の同世代同産駒は6頭のみであり、ディープインパクトはこの限られた海外産駒のなかから、英国ダービー馬を誕生させたことになります。この勝利によって、同産駒の英国G1競走における勝ち馬は、サクソンウォリアー(2018年2000ギニー)、スノーフォール(2021年オークス)に続いて3頭目となりました。改めて日本の血統が欧州の主要G1競走においても活躍できることが証明されたと言えるでしょう。

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写真1.英国ダービーを制したディープインパクトのラストクロップとなるオーギュストロダン

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QR1.2023年英国ダービーのレース動画

 冒頭で述べたように、近年、世界各国で強い競馬を見せている日本調教馬ですが、実は欧州の舞台では、これまで苦戦を強いられてきた歴史があります。特に英国および愛国に限定すると、G1競走を制した馬はアグネスワールド(2000年ジュライカップ)とディアドラ(2019年ナッソーステークス)の2頭のみとなっています。仏国では5頭がG1競走を制していますが、毎年のように日本のトップホースたちが挑戦している凱旋門賞では、ご存じのようにエルコンドルパサー、ナカヤマフェスタ、オルフェーヴルの2着が最高成績と高い壁に阻まれており、悲願成就には至っていません。

 その理由は様々あるかと思いますが、日本との馬場の相違も一因として挙げられるかもしれません。昨年の凱旋門賞には、タイトルホルダーをはじめ日本のトップホース4頭が出走しましたが、残念な結果となっています。出走直前に降った豪雨による馬場の悪化が敗因とも言われています。このように、欧州の馬場は日本と質が異なるため、ぬかるむと特に力を要する特殊な馬場になり、これが日本調教馬には合わないのかもしれません。

 馬場の重さの他にも、欧州の競馬場の多くは自然の地形を利用しており、その形状も日本と異なります。特に日本の競馬場と比較した際の「高低差」は特筆すべき点であり、その中でも特徴的な一例として、英国ダービーの舞台であるエプソム競馬場について、以下にご紹介します。英国ダービーが行われる約2,420mのコースは、左回りの馬蹄形となっており、スタートしてから約1,100mは長い上り坂が続きます。この区間では約42m上るため、傾斜としては平均で3.8%となり、これは栗東トレセンの坂路の勾配以上となります。その後は下りに転じて、約1,200mの区間で約30m下り、最後の約100mは再び上り坂に転じてゴールを迎えることとなります(写真2・QR2)。特に下り坂は日本の競馬場や調教コースでは、経験できない長く急な傾斜になっています。日本では京都競馬場の外回りコースの3コーナーからの下り坂が有名ですが、その高低差が約4.3mであることを考えると、エプソム競馬場の下り坂はこの約7倍にもなります。

 このようなタフな条件でも強い競馬を見せてくれたディープインパクトのラストクロップとなるオーギュストロダン。今後の更なる活躍に期待し、注目していきたいと思います。

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写真2.通称「タッテナムコーナー」より続く急勾配の下り坂からラスト約100mに上りに転じる特徴的なエプソム競馬場のゴールに向かう直線

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QR2.3D Bird’s-eye Viewによる英国ダービーのコース

JRA日高育成牧場 業務課 竹部直矢

2023BUセールを振り返って ~今シーズンに新たに実施した調教~

馬事通信「強い馬づくり最前線」第310号

 おかげさまをもちまして、今年もJRAブリーズアップセール(以下、BUセール)に上場した馬について、全頭完売することができました。ご購買いただきました方々には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。今回は、JRA育成馬を調教していく上で、今シーズンに新たに意識して取り組んだ調教方針についてご紹介したいと思います。

 

〇速歩でのドライビング

 JRAではこれまでも、騎乗調教に先立ってヨーロッパ式のランジングおよび常歩でのドライビングを取り入れた「ブレーキング」を行ってきました。今シーズンに新たに取り組んだことは、常歩だけでなく「速歩でのドライビング」です(写真1・QR1)。速歩でのドライビングの利点は、常歩よりも速いスピードでの運動が可能となることによって、馬の真直性の程度や、開き手綱の扶助をどの程度理解しているかがより明確になることです。本年、速歩ドライビングを実施したことで、騎乗調教開始後にまっすぐ走行できる馬が例年よりも増加したという効果が得られました。例をあげるなら、自転車を運転する際に、ゆっくりのスピードであれば、フラフラして安定しませんが、ある程度のスピードを出し続けることでまっすぐな状態を維持できるというのと同じ原理です。

 一方、速歩ドライビングの唯一のデメリットを挙げるとするなら、それはレーンを操作する者が速歩で進む馬と同じ速さで移動しなくてはならない点です。その点について、スタッフたちには多大な苦労をかけてしまいました。しかしながら、その甲斐あって、例年以上に騎乗調教へとスムーズに移行することが可能となりました。また、速歩ドライビングでは「左!」「まっすぐ!」「右!」「まっすぐ!」「左!」「まっすぐ!」「右!」・・・という様に、短時間で多くのコマンドを馬に出し続けることとなるため、馬が人にフォーカスし、人から出される指示にすぐに応えようと従順になる効果もあると感じました。その結果、昨シーズンより騎乗時のみならず、普段の取り扱いに関しても人の指示に従順な馬が増加した印象です。

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写真1.速歩でのドライビング(9月中旬:動画はQR1を参照)

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〇調教パターンのルーティーン化

 次に新たに意識して取り組んだことは、調教パターンのルーティーン化です。馬は「予測できる環境」に馴化、つまり落ち着くという性質があります。この性質を利用して、馬が落ち着いた状態での調教が可能となるように、本年は調教パターンのルーティーン化を実践しました。

 その方法は、調教開始時にウォーミングアップとして角馬場での速歩の後、800m屋内馬場での最初の1周を「コーナー速歩-直線ハッキング」とパターン化して、毎日繰り返して実施するというものです(QR2)。例年、スピード調教を開始した頃から馬のテンションが上がり、徐々に人の指示に従わなくなる傾向がありました。しかしながら、このルーティーン化した調教を繰り返すことによって、馬が騎乗者のコマンドを待つ状態、つまり興奮せずに冷静さを保つことが可能となり、スピード調教を開始した後も、昨年より従順であった馬が多かった印象です。

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QR2:調教パターンのルーティーン化(コーナー速歩-直線ハッキングで800m屋内馬場を1周)

 

〇坂路コースでの3列縦隊での調教

 本年は「集団調教」にも意識して取り組みました。坂路コースでの集団調教時において、昨年までは1列縦隊あるいは2列縦隊で走行していましたが、前述のように興奮せずに冷静さを保つことが可能となり、さらに騎乗スタッフのレベルも上がったことから、2列縦隊での集団調教が例年よりも容易に実施できるようになりました。そのため、今シーズンは3列縦隊での集団調教を実践し、隊列の質にもこだわりました(QR3)。

 また、調教のタイム指示については「ステディキャンター(馬が落ち着く速度で安定した駈歩を続ける)」に設定することで、馬が常に落ち着いた状態で調教を実施することが可能となりました。さらに、スピード調教時においても、2頭だけでなく3頭併走での走行を積極的に行いました(写真2)。

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写真2.坂路コースにおける3頭併走での調教(1月下旬)

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QR3:坂路コースにおける3列縦隊での集団調教

 

〇1600m馬場における3列縦隊での調教

 3月下旬にBTCの1600m周回ダートコースが開場してからは、同馬場でも3列縦隊の調教を行いました。直線だけの坂路とは異なり、隊列を維持したままコーナーを曲がらなくてはいけないため、騎乗者にはより高度な技術が要求されます。これまで馬が騎乗者の指示に従順となるように調教が進んでいたため、競馬に類似した馬群を想定した調教が可能となりました(QR4および5)。

 このように、今シーズンの最終目標として、実際の競馬に類似した状況下での調教を実施することによって、競馬出走時においても、前後左右を他馬によって囲まれてもひるまずに走行できる馬、つまり群れに慣れる馬を作ることを目指しました。

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写真3.1600m馬場における3列縦隊での調教(3月下旬:動画はQR4・5を参照)

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QR4(左)およびQR5(右:騎乗者カメラで撮影した映像)

 

〇おわりに

 今回は、今シーズン新たに取り組んだ調教内容をご紹介いたしました。今シーズンは当場の騎乗スタッフおよび騎乗研修を実施していたBTC生徒たちが本当に良く頑張ってくれたため、シーズンを通してレベルの高い調教を行うことができました。

 JRA日高育成牧場では、BUセール後に競走馬として順調にデビューできる馬、さらには勝つことのできる馬を目指して日々調教に取り組んでいます。その過程で得られた知見は、各種講演会や出版物で発信しております。今回の記事が普段育成牧場で馬を調教されている皆さんの少しでもお役に立てば幸いです。

 

JRA日高育成牧場 業務課長 遠藤祥郎

1歳セリにおけるレポジトリー検査

馬事通信「強い馬づくり最前線」第309号

 サラブレッド市場におけるレポジトリーとは、セリの主催者が開設した市場内の情報開示室やインターネット上において、上場馬の医療情報(四肢X線検査画像、上気道内視鏡動画など)を購買者に向けてあらかじめ公開するシステムのことです。国内の市場では2006年のセレクトセール1歳市場で導入されて以降、現在までに広く浸透しています。今回はこれから迎える1歳馬のセリシーズンに向けて、「レポジトリーのどのような所見に注目するべきか」をテーマとして概説します。

 

近位種子骨

 球節の背面に存在する近位種子骨では、X線検査において線状陰影や骨増生を認めることがあります。この線状陰影は、病理学的には栄養血管周囲の拡張した線維組織です。JRAではこの所見に対して4段階のグレード(グレード0~3)を用いて評価しています(図1)。過去の調査において、グレードの低い馬では競走能力に影響がなく、グレードの高い馬では繋靭帯炎の発症率が高くなることが報告されているため、慎重に調教を進める、入念に水冷を行うなど、管理上の注意が必要です。

1_4図1.近位種子骨の線状陰影に基づくグレード0~3のX線所見

 

離断性骨軟骨症(OCD)

 OCDとは骨が成長する過程で軟骨が離れてしまった状態であり、レポジトリーでは飛節や後膝に認められることがあります(図2)。飛節のOCDでは、熱感や腫脹などの明らかな炎症症状がなければ、競走能力に影響がないことが報告されています。一方、OCDが跛行の原因として疑われた際には、関節鏡を用いた摘出術が必要となる場合もあります。後膝のOCDは偶発的に発見されることが多く、そのほとんどは臨床症状を伴いません。

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図2.レポジトリーにおいて注目すべき飛節および後膝におけるOCDの好発部位

 

骨嚢胞(ボーンシスト)

 骨嚢胞とは、関節に面した骨に負荷がかかることで軟骨が損傷し、骨の内部が空洞化してしまった状態であり、特に後膝の検査画像において認められることがあります(図3)。JRAでは4段階のグレードを用いて評価しており、グレードの高い馬ではしばしば跛行の原因となることが知られているため注意が必要です。

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図3.後膝(大腿骨内側顆)における骨嚢胞のX線所見および各グレードの目安

 

喉頭片麻痺(LH)

 レポジトリーに提出される上気道内視鏡動画は、馬が静止した状態で撮影されます(安静時内視鏡検査)。そこで見られる所見で最も注目すべきは披裂軟骨の動きです。正常な状態では、吸気時にほぼ同時に左右の披裂軟骨が開きますが、LHの馬は片側(ほとんどが左側)の被裂軟骨の動きが反対側に比べて悪くなります(図4)。LHは一般的に4段階のグレード(グレードⅠ~Ⅳ)で評価され、グレードⅠおよびⅡは競走能力に影響がないことが知られています。披裂軟骨の動きが悪く、完全に開かない場合には、馬を運動させた状態でより詳細な検査(運動時内視鏡検査)が推奨されます(図5)。また、披裂軟骨がほとんど動かない場合には手術を検討する必要があるため、慎重な評価が求められます。

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図4.喉頭片麻痺(LH)におけるグレードⅠ~Ⅳの安静時内視鏡検査所見像

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図5.運動時内視鏡検査における正常所見(左)と喉頭片麻痺(LH)所見(右)

 

 代表的な注目ポイントを上述しましたが、レポジトリーでは他にも多種多様な所見が認められます。各所見が競走能力に影響するかどうかは、科学的に裏付けされていないものもあり、判断が難しいのも事実です。そのため、実際の生産馬や購買希望馬の所見に関しては、十分な知識を持った信頼のおける獣医師に相談の上、適切に判断することが重要です。

 

日高育成牧場 業務課主査 原田大地

寄生虫が及ぼす影響

馬事通信「強い馬づくり最前線」第308号

 北海道では桜の鑑賞シーズンが終わり、放牧地に青々とした牧草が眩しい季節となりました。今回は、そんな放牧地に潜み、馬の口の中に入り込む瞬間を待ち受けている内部寄生虫についてのお話です。内部寄生虫は、馬の消化管内で何らかの形で栄養素を盗んでいるであろうことは想像がつきますが、計画的な駆虫を勧められるものの具体的にどのような影響があるのかまで知る機会は少ないのではないのでしょうか。

 

内部寄生虫の体内移行

 内部寄生虫には、何らかの形で体内移行するものがいることが知られており、これが馬に対して様々な影響の及ぼす原因となっています。

 大円虫は幼虫の段階で牧草と一緒に馬に摂取され、成長を続けながら腸壁を通過して消化管に栄養を供給する動脈に入り、その後は大腸に移動し成虫となります(図1)。その虫卵は糞便に交じって馬の体外に排出された後に孵化して幼虫となり、再び感染に至るまでのサイクルが始まります。

 小円虫も幼虫として馬の消化管内に入りますが、こちらは体内移行せず腸壁内部に移動して嚢胞を形成し(被嚢)、成虫となって虫卵を排出するのに適した時期まで休眠します(図2)。これらの幼虫が休眠から目覚めて腸管内部へ侵入(脱嚢)します。この脱嚢が大量に発生した場合に、腸壁に対して大きな損傷を与えることがあります。

 回虫は、特に当歳馬にとってより大きな問題となります。幼虫が牧草と一緒に摂取された後に肝臓や肺を通過してから小腸で成熟していきますが、その活動が刺激と炎症を引き起こす可能性があります。また、虫体が大きいため、大量寄生によって生きた虫体のみならず駆虫薬によって麻痺、あるいは死滅した虫体が腸管内に詰まって腸閉塞を引き起し、重症例では死に至ることもあります。

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図1:大円虫の体内移行

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図2:小円虫の被嚢と脱嚢

 

腸管機能との関連性

 このように内部寄生虫の問題は、寄生虫自身が生存するために馬から栄養素を得ることだけでなく、消化管組織に損傷を与え、腸の機能そのものを障害する可能性があることです。

 腸壁は栄養素の吸収に不可欠で、小腸の最初の部分である十二指腸では、糖、デンプン、アミノ酸、脂肪酸などの分子を分解するために必要な多くの消化酵素が分泌されています。消化酵素により分解された栄養素は、その後に続く空腸と回腸の腸上皮に吸収されます。

 寄生虫によってもたらされた腸管組織の損傷や瘢痕は、炎症や刺激となり腸蠕動が亢進して下痢につながる可能性があるほか、酵素を分泌する細胞や栄養吸収を担う細胞に悪影響を及ぼします。また、腸管の動脈内に生存する寄生虫は血流を制限し、腸組織に到達する酸素の量を減少させるだけでなく、この領域の血管の損傷は腸からの栄養素の移動を制限すると考えられています。さらに、これらの損傷部位は動脈瘤を形成する場合もあり、基本的に正常な状態まで完全に回復することはなく、仮に駆虫に成功したとしても罹患馬は体重が増加しにくい状態となる可能性があるということも問題視されています。

 また、前述しませんでしたが、葉状条虫の大量寄生では、腸壁の損傷のみならず腸神経系 (ENS) に悪影響を与えることが知られています。ENSは自律神経系の一部であることから、無意識に消化機能に影響を与えることとなります。宿主のENSが寄生虫の影響を受けると、胃腸の運動障害が誘発されることが推測されます。腸管の運動性が低下すると疝痛発症のリスクが高くなり、反対に運動性が過剰に増加すると栄養素の消化と吸収が低下して下痢を引き起こしやすくなると考えられます。

 

おわりに

 消化管は主に栄養素の消化と吸収、および潜在的に有害な物質が体内に侵入するのを防ぐバリアとしての機能などがあります。内部寄生虫は、これらすべての機能に悪影響を与え、短期的に馬から栄養素を奪うのみならず、駆虫などによって寄生虫が腸管内から排出された後においても、馬が十分な栄養素を得るのを妨げる状況に陥らせることがあります。したがって、2歳未満の馬、そのなかでも特に当歳馬にとっては、スムーズな成長を阻害しうる問題とも言えます。このように書いてしまうと、駆虫薬の積極的な投薬によって寄生虫を駆逐するのが好ましいように聞こえてしまいますが、現状では「駆虫薬耐性寄生虫」という問題が悩みの種となっています。駆虫薬耐性寄生虫とは、駆虫薬が効かない寄生虫のことを意味しており、使用可能な駆虫薬の種類が限定的であるとともに、新しい駆虫薬の開発が困難であることが原因とされています。これらの対策として、「使用する駆虫薬に同じものばかり使用しないこと」、「耐性虫の出現をいち早く検知すること」が提言されています。前者は複数の駆虫薬をローテーションで投薬することであり、後者は駆虫薬投与前後に虫卵数をカウントする「糞便虫卵数減少試験」により、虫卵の減少率を調べることで耐性虫の存在を確認することになります。詳しくは馬の資料室でも紹介していますので、ご参考ください(QR1)。

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QR1:馬の資料室「これからの寄生虫対策」

 このように、馬の内部寄生虫の問題は、もはや個体ごとの駆虫のみでは対応できない状況であり、生産地全体で考えていかなければならない問題となっています。今後も皆様にお伝えできる新しい知見を得ることができましたら、お伝えさせていただきたいと思います。

 

日高育成牧場 主任研究役 琴寄泰光