2023年10月17日 (火)

スプリングフラッシュ

馬事通信「強い馬づくり最前線」第306号

 北海道でも春を迎えて暖かくなり、青々とした放牧地が増えてきました。今回は春に発生する牧草の急生長「スプリングフラッシュ」についてご紹介いたします。

 

スプリングフラッシュとは

 春になり牧草が急激に生育する状態を「スプリングフラッシュ」と呼んでいます。チモシーやオーチャードグラスなどの寒地型牧草は春の長日条件で出穂、開花するためスプリングフラッシュが顕著にみられます。スプリングフラッシュは日中の最高気温が10~15℃、夜間の気温が4℃以上の日が数日続いた時期に起こりやすく、北海道では4月下旬から5月にかけて起こりやすいと考えられます。気象庁の季節予報によると、本年は例年より早い気温上昇が見込まれているため、本年のスプリングフラッシュが起こる時期は少し早まるかもしれません。

 一般的に採草地におけるスプリングフラッシュは収量の面で歓迎できますが、放牧地においては、過度に生長した牧草の嗜好性が低くなるなどの理由により好ましくないと考えられます。そのため、牛の場合においては、スプリングフラッシュの前に放牧強度を高める(放牧地面積あたりの頭数を増やす)ことや、短期輪換放牧(放牧地を区切り、ある程度の期間で順繰りに放牧していくこと)といった対策が講じられています。一方、馬の場合においては、牛と異なり放牧地が運動の場としての役割も兼ねることから、ある程度の放牧地の面積が必要であるため、スプリングフラッシュが起こる前の施肥は避けて6月上旬に行うことや、掃除刈り(写真1)頻度の増加といった対策が推奨されます。

 

スプリングフラッシュが馬に及ぼす影響

 放牧地のスプリングフラッシュは牧草の過度の生長以外に、馬の健康に悪影響を及ぼす可能性があるとされています。スプリングフラッシュ時期の牧草は自身の生長のため、非構造性炭水化物(以下NSC)と呼ばれる糖分(デンプンやフルクタン)を多く蓄えています。このNSCを過剰に摂取することによって糖代謝異常となり、高インスリン血症由来の蹄葉炎を発症する可能性があることが知られています。2000年に行われたアメリカ農務省の調査によると、蹄葉炎発症馬の50%以上が草量豊富な草地への放牧または濃厚飼料の多量摂取によるものであると報告されており、食餌量や内容が蹄葉炎の発症に大きく関与していると言えます。

 春に放牧される馬は採食量の増加と牧草中NSC含有率の上昇によってNSC摂取量が非常に多くなる場合があります。アメリカで8 万頭の馬(用途・種問わず、除ポニー)を対象に行われた蹄葉炎に関する調査では、蹄葉炎の発症は冬と比較して春および夏に多いことが示されました(図1)。つまり、スプリングフラッシュが起こる時期にNSCを多量に摂取することによって蹄葉炎を発症した可能性が示唆されているということになります。

 なかでも、肥満あるいは高齢馬は蹄葉炎などの糖代謝疾患発症のリスクが高いことが懸念されます。日高育成牧場においても、昨年6月にボディコンディションスコア(BCS)が 7と肥満であった8歳の繁殖牝馬が蹄葉炎を発症しました。このような高リスク馬に対して、スプリングフラッシュに伴う牧草中のNSC含量が高い時期の糖代謝疾患発症リスクを軽減するためには、放牧制限が最も有効です。この理由は、牧草中のNSCは季節変動のみならず日内変動が大きく、これは日射量が光合成による糖の産生量に影響を及ぼすためです。つまり、牧草中のNSCは午前3時から10時の間に低くなることから、NSCの過剰摂取を予防するためには、この時間帯に放牧することが推奨されます。

 

おわりに

 今回はスプリングフラッシュとその影響についてご紹介いたしました。青々とした牧草はとても良好な栄養源ですが、時として悪影響を及ぼす場合もあります。過度に警戒する必要はありませんが、肥満あるいは高齢など糖代謝疾患の懸念がある馬の管理の際に参考としていただければ幸いです。

 

日高育成牧場 生産育成研究室 根岸菜都子

1_7 写真1. 掃除刈り前(左)および掃除刈り後(右)の放牧地

  

1_5

図1. 季節ごとの蹄葉炎発症馬の割合:冬と比較して春および夏の発症が多い(Kane AJ et al. 2000より改変)

BUセールの個体情報開示について

馬事通信「強い馬づくり最前線」第305号

 JRAブリーズアップセール(以下BUセール)では、購買者の皆様が安心してセリに参加していただくために、病歴、体測値、飼養管理および調教内容等の個体情報をオンラインでおよび冊子(図1)で公開しています。開示している個体情報は、①体高、胸囲、管囲、馬体重、②病歴、③レポジトリー検査所見、④最近の調教状況、⑤その他の開示事項になります。今回はこれら個体情報のうち、「レポジトリー検査所見」について紹介いたします。

 

検査所見をもとにした上場馬選定

 JRA育成馬をBUセールに上場する過程では、怪我や運動器疾患の発症等、順調に調教が進まないことや、調教中に異常呼吸音を聴取することも少なくありません。JRAでは抽選馬の時代から、これらの症例に対する検査データを蓄積して、育成期における下肢部X線所見や上気道内視鏡所見と競走期における疾病発症や競走成績との関連について調査・研究を継続しています。そして、これらの成績をもとに、BUセール前の3月に実施した上気道内視鏡検査や下肢部レントゲン検査等のレポジトリー検査所見を評価し、セール売却後の調教および出走に差し支えないと判断した馬を上場することとしています。

 

上気道内視鏡検査

 上気道内視鏡検査では喉頭片麻痺(LH)、軟口蓋背方変位(DDSP)、喉頭蓋の異常(AE)についてグレード分けをしています。特に、LHのグレードが高い馬で競走能力に影響を及ぼす可能性があります。そのため、グレードⅢa以上の馬および喘鳴音が聴取された馬については運動時内視鏡検査(OGE)を実施し、その検査映像についても公開しています。OGEでは走行中の喉の状態が確認できるため、安静時内視鏡検査よりも高い精度で競走能力への影響の評価が可能となります。

 

下肢部レントゲン検査

 レントゲン検査では、両前肢の近位種子骨の評価、腕節の骨端線、その他疾患の画像を提示しています。さらに近年は大腿骨のボーンシストの評価をグレード1~4で評価しています(図2)。大腿骨内側顆は運動時に荷重がかかる部分となり、軟骨下骨嚢胞の好発部位となります。大小さまざまな所見がみられ、大きな骨嚢胞を有する場合は、しばしば跛行の原因となることが知られています。当場においても過去7年間調査したところ、グレード1と2については無症状でしたが、グレード3の馬の37.5%、グレード4の馬の75%が育成期に跛行を呈しています(図3)。その他にも育成期に発見されたOCD(離断性骨軟骨症)や陳旧性骨折などの存在についても全て記載していますが、腫脹や跛行等の臨床症状がない場合には、競走成績に及ぼす影響は極めて低いことが知られています。

 BUセールでは、セール前日に「個体情報冊子」を配布するとともに、中山競馬場に「情報開示室(レポジトリールーム)」を開設いたします。また、同様の情報はオンライン(JRA育成馬サイト、JBISホームページ内、特設サイト)上でも閲覧可能ですので、ご利用下さい。なお、情報開示室には獣医職員を配置いたしますので、画像の見方や獣医学的判断についてご相談いただくことが可能です。

 私たちは、購買者の皆様にとって「わかりやすく透明性のあるセリ」を目指して参りたいと考えています。

 

最後に

 本年の上場馬名簿(図4)はブラックタイプの文字を例年よりも大きくするとともに、ブラックタイプと立ち姿写真を見開きページでご覧いただけるように改良しましたので、是非、お手に取ってご覧いただければと思います。

 

日高育成牧場 業務課  久米紘一

1_3

図1:2022年BU上場馬の個体情報

2_2

図2:大腿骨内側顆軟骨下骨嚢胞(SBC)所見のグレーディング


3_2 図3:SBCグレード別跛行馬の割合(過去7年間)

4図4:ブラックタイプと立ち姿写真を見開きページでご覧いただける上場馬名簿

PPID調査その2

馬事通信「強い馬づくり最前線」第304号

 前号では下垂体中葉機能障害PPIDについて概説いたしました。本疾患に対して2019-21年に「生産地疾病等調査研究」として取り組みましたので、本稿ではその成果を紹介いたします。本調査研究は大別すると「有病率を明らかにすること」、「繁殖性への影響を明らかにすること」、「治療効果を検証すること」を目的として実施しました。

 

PPID有病率および繁殖性への影響

 日高地区の10歳以上の不受胎馬339頭を対象に、10月上旬に採血しACTH濃度を測定しました。その結果、PPID陽性率8.3%、疑陽性率21.8%、陰性率69.9%でした(図1)。PPID陽性馬28頭の平均年齢は16.1歳で、年齢が上がるにつれてPPID陽性、疑陽性の比率は増加しました(図2)。陽性馬のうち外貌所見(長くカールした被毛)を示した馬はわずか3頭であり、外貌所見を認めない潜在的なPPID馬が多数存在していることが分かりました。陽性馬、疑陽性馬、陰性馬の翌春のシーズン受胎率はそれぞれ63.2%、88.6%、82.8%と陽性馬で低く、PPIDが繁殖成績に影響を及ぼしうることが示唆されました(図3)。各群の平均年齢は16.1歳、14.7歳、13.1歳と異なるため、この年齢差を補正した検定を行っても、依然PPIDが受胎性に影響しているという結果になりました。

 

治療効果

 続いて、10月の一斉検査でPPID陽性と診断された馬を治療群(15頭)と非治療群(7頭)に分けて、翌春の受胎成績を比較しました。その結果、非治療馬の受胎率が28.6%であったのに対し、治療馬の受胎率は80.0%と高く、PPIDによって低下した繁殖性は投薬によって改善しうることが示唆されました。さらに、個別に詳細な繁殖記録も比較しましたが、発情所見、卵巣・子宮などに一貫した傾向は認められず、PPIDがなぜ受胎率を低下させるのか考察することは叶いませんでした。

 

蹄葉炎を発症した馬

 本調査では11月から投薬を開始し、繁殖シーズンが終了した6月末に投薬を終了しましたが、投薬終了後の7-9月に2頭が致死性の蹄葉炎を発症しました。未だ蹄葉炎発症とPPIDの関連性について明確なことは分かっていませんが、ペルゴリド治療が蹄葉炎リスクを軽減している可能性を示唆する事例でした。

 

調査結果を踏まえて

 今回、PPIDが受胎性に一定の影響を及ぼすことが示唆されましたが、PPID陽性馬すべてが不受胎となるわけではありませんので、不受胎であったすべて馬に対してPPIDの検査をする必要はないと思われます。特に10歳未満であればPPIDの可能性は極めて低く、10-12歳でもそれほど高くありません。まずは一般的な不受胎原因(子宮内膜炎や排卵障害、外陰部の形態異常、子宮頚管の損傷など)について検査および治療を行い、それらの可能性が低いような馬、高齢馬、肥満馬、蹄葉炎に罹患したことがある馬などに対してACTH検査を検討することが推奨されます。

 

さいごに

 本調査は臨床現場における調査ですので、さまざまなバイアスが存在し、必ずしも科学的に証明されたデータとは言えない部分があります。また、PPIDが妊娠維持に影響するのか(受胎後、出産まで治療が必要なのか)、疑陽性馬はその後に陽性へと進行するのか、治療が必要なのか、IDが繁殖性にどう影響するのか等については本調査ではアプローチできておらず、今後の課題として残っています。それでも従来「PPIDは受胎性に影響する」と漠然と言われていたことに対して、日高地区の獣医師および生産者が協力して取り組んだことで具体的な数字を示すことができました。本調査研究にご協力いただきました多くの獣医師、生産者の皆さまに深謝いたします。

 

1_2

図1 不受胎馬(10-20歳)におけるPPID区分

 

2

図2 年齢ごとのPPID区分内訳

3

図3 スクリーニング調査時のPPID区分における翌春のシーズン受胎率

 

日高育成牧場 生産育成研究室長  村瀬晴崇

PPID調査その1

馬事通信「強い馬づくり最前線」第303号

 徐々に日差しが暖かくなり、雪が解けて地面が見えてまいりました。生産牧場では新生子馬の管理に加えて交配管理も始まり、いよいよ繁殖シーズン真っ只中となってきたのではないでしょうか。交配に関して、周知のとおり牝馬の加齢に伴って受胎率は低下しますが、それでも高齢馬を受胎させたいというのがサラブレッド生産特有の悩みと言えます。高齢馬が受胎しづらくなる原因は卵細胞の品質低下、卵胞発育不全、子宮環境の悪化、外陰部の構造不整などいろいろ知られていますが、本稿では内分泌疾患のPPIDについて概説いたします。

 

PPIDとは

 PPIDはPituitary Pars Intermedia Dysfunctionの略で、「下垂体中葉機能不全」と訳します。脳でホルモン分泌の上位を司る下垂体という組織のうち、中葉という部分が肥大し、機能不全をきたすことで、全身に様々な症状を示します。以前は「クッシング病」と呼ばれていましたが、ヒトやイヌのクッシング病とは病態が異なることが明らかとなり、近年病名がPPIDに変わりました。このPPIDは「インスリン調節異常ID」、「馬メタボリックシンドロームEMS」などとともに代謝疾患というカテゴリに分類される疾患です。

 PPIDの症状として被毛(長毛、巻き毛)、削痩(背腰の筋肉がおちる)、局所的な脂肪沈着(首の付け根)といった外貌上の変化がよく知られています。その他に多飲多尿、発汗、免疫低下、行動異常(大人しくなる)、繁殖性低下など様々な症状を示します。繁殖性に影響を及ぼす機序は未だ解明されていませんが、考えられる仮説として1)下垂体が分泌する生殖ホルモンの異常により直接的に子宮卵巣機能に影響を及ぼす、2)代謝ホルモンの異常により体調・体質が悪くなり間接的に繁殖性に影響する、3)免疫力が低下することで子宮内感染が起きやすくなる等が考えられます。

 

PPIDの何が問題なのか

 PPIDは加齢に伴って有病率が高まることが知られており、高齢馬(15歳以上)の有病率は21-27%にもなりますので(McGowan2013, Christiansen2009)、病気ではなく「加齢性変化」と言うことができるかもしれません。病気か否かはさておき、PPIDは蹄葉炎のリスクファクターでもあるため、近年注目されています。また、繁殖領域においては繁殖性低下という点において注目されており、世界的に不受胎馬に対して検査、治療が行われるようになりました。

 

PPIDの検査方法と治療方法

 馬内分泌学グループ(Equine Endocrinology Group)という団体がPPIDをはじめとする代謝疾患の診断基準や治療プロトコルを提唱しています。PPIDの診断チャートは非常に複雑ですが(図1)、検査方法はACTH濃度測定とTRH刺激試験の2つのみです。慣例的に、まずは手軽なACTH濃度を測定します。ACTH検査で最も注意すべきことは、季節による影響を理解することです。特に下垂体中葉の機能は秋に亢進し、診断精度が高くなるため、この時期の検査が推奨されます(表1)。繁殖シーズンに不受胎であった牝馬に対して秋にACTH測定を行い、陽性と診断された馬についてはそこから春に向けて投薬を開始するのが良いでしょう。

 PPIDの治療にはドパミン作動性神経拮抗薬であるペルゴリド錠が用いられます。PPIDは下垂体中葉のドパミン作動性神経が障害される疾患であるため、このドパミン受容体に結合するペルゴリドの投与により神経伝達機能が回復します。このペルゴリドは副作用として泌乳ホルモンであるプロラクチンの分泌を抑制するため、妊娠馬に対しては分娩予定日1か月前から投薬を控えることが推奨されているのでご注意ください。また、障害された神経細胞が再生するわけではないので、投薬を継続する必要があります。

 

さいごに

 本稿ではPPIDの概要について解説いたしました。それでは、どれほどの繁殖牝馬がPPIDに罹患しているのか、受胎率にどれほど影響があるのか。これらの点について、2019-22年に「生産地疾病等調査研究」において取組みましたので、次号ではその成果を報告いたします。

 

1

図1 PPID診断チャート

 

表1 月ごとのPPID診断基準値(pg/mL) 

  否定的 判別不可 可能性高い
12月―6月 <15 15-40 >40
7月&11月 <15 15-50 >50
8月 <20 20-75 >75
9月―10月 <30 30-90 >90

日高育成牧場 生産育成研究室長  村瀬晴崇

2023年3月 7日 (火)

分娩シーズンに向けた準備

馬事通信「強い馬づくり最前線」第302号

 生産地では新年を迎えた1月から少しずつ子馬が誕生したという嬉しい知らせが聞かれるようになり、2月に入ってからは本格的に分娩シーズンを迎えています。分娩の準備を用意周到に行ったはずが、いざシーズン最初の分娩が始まると、忘れていたことに気づき、冷や汗をかいたという経験をされたことがある方もいらっしゃると思います。そこで今回は、分娩前に準備すべきものについて簡単に解説するとともに、それらの詳細について記載している日高育成牧場のインターネットサイトのQRコードを紹介します。

 

準備するもの

 一般的にスムーズな分娩であれば破水後20~30分で子馬が生まれます。このため、分娩予定日が近づいたら、あるいは分娩の兆候が確認された際に、あらかじめ分娩に必要な器材を用意してカゴなどにまとめておくことが推奨されます。特にシーズン最初の分娩は、経験豊富な方にとっても約1年ぶりの分娩となることから、備忘録的にリストを作成しておくことによって、うっかり忘れてしまうということを防止できます(表1)。

               

1 表1:分娩準備器材チェックリストの例

1_2 写真1:必要な器材をカゴなどにまとめておく

 

分娩記録シート

 分娩状況の記録は分娩の進行度合いと経過時間を把握できるため、難産時の獣医師への往診依頼や二次診療施設への輸送など、迅速な判断が必要とされる場面での必要不可欠な情報となります。記録シートには、段階的に進む各分娩ステージの時刻(陣痛症状の発現・破水・娩出・子馬の起立・哺乳・胎便)の他、母馬および子馬の健康状態や処置を施した内容を記録しておくことが推奨されます。繁殖牝馬ごとにファイリングすることによって、翌年以降の出産時の対処方法の参考資料として活用できます。なお、記録シートはパソコンのエクセルなどで簡単に作成できます(表2)。シート下部の子馬のAPGARスコアの評価方法については、過去に掲載したJRA育成馬日誌にて詳しく解説していますのでご参考ください(QR1)。

 2 表2:分娩記録シートの例 

Qr1QR1:APGARスコア解説

 

繁殖牝馬に使用する器材

 破水を確認したら、尾を巻く包帯(伸縮性のあるものが良い)を使用して速やかに尾をまとめ上げることによって、その後の子馬の胎位の確認や分娩介助を衛生的に実施することが可能になります(写真2)。子馬の娩出後に少しずつ出てくる後産(あとざん)は、そのままの状態では後肢で引きずって踏みつけ、引きちぎれてしまう恐れがあります。後産はすでに役割を終えた臓器ですので、汚れて損傷しても問題無さそうに思われがちですが、無理に引っ張られると離断して一部が子宮内に残存し、感染源となってしまいます。そのため、排出されている後産を紐で束ねて自然落下を促す必要があります(写真3)。外陰部から露出する後産が短かったり、ちぎれてしまった場合にはペットボトルを数本結びつけることを推奨いたします。

  

2_2 写真2:破水したら尾を巻く

3写真3:後産を紐で束ねる

4 写真4:レッドバッグ

 

新生子馬のための準備

 糖度計によって計測可能なBrix値は、分娩前には分娩時期の予測(QR2)に、さらに分娩後には初乳に含まれる抗体の量を推定できることから、移行免疫不全症のリスクを推定する検査としても利用可能ですので是非とも準備しておきたいツールのひとつです。また、万が一、分娩後に良質の初乳を飲ませることができない場合に必要となるのが凍結保存しておいた初乳です。分娩シーズン初期には前年度に凍結保存していた初乳を、ある程度シーズンが進んでからは、同年に分娩した繁殖牝馬のうちBrix値が20%以上であり、初産ではなく、泌乳量が多い馬の初乳を採取して凍結保存しておきことが推奨されます。これを生後24時間(腸管からの抗体吸収能を考慮すると理想的には生後12時間)以内に対象となる子馬に投与します。保存方法や投与量についてはQR3にて詳しく解説していますのでご参照ください。

 排出された胎盤(後産)は子馬の状態を推測する材料になるので、計量することが推奨されます。これは、分娩の際に臍帯を通じて子馬の体内に流入するはずであった血液が胎盤内に残っていないか、胎盤炎や循環障害による浮腫が起こっていなかったか等を確認するためです。もし、胎盤重量が子馬の体重の10~11%(4.8~5.5㎏との記載もある)よりも著しく重い場合には何らかの異常が考えられるため、より注意深く子馬を観察する必要があります。他にも子馬が低酸素状態に陥る原因にレッドバッグ(早期胎盤剥離)という状態があります(QR4)。正常な分娩であれば、胎盤は臍帯が子馬の臍から自然に離断するまで酸素を供給し続けますが、これが破水に先立って子宮の内側から剝がれてしまうため子馬が低酸素状態になってしまいます。このレッドバッグは、馬の流産原因の5~10%と言われており、写真4のような赤いベルベットのような表面の袋(レッドバッグ)が膣から排出されるので、これを確認したら速やかにこの赤い膜を破って迅速に娩出させ、必要に応じて酸素ボンベを使用して新生子に酸素吸入を行いましょう。

 また、新生子馬に散見される胎便停滞には浣腸液を使用します。胎便は胎子期に、嚥下された羊水、脱落した腸管細胞や粘液の塊で構成されており、通常は生後数時間以内に排出されはじめますが、通常の便とは異なり、粘ちょう度が高く硬いことが通過障害を誘発しやすい理由です。したがって、子馬が立ち上がって初乳を飲んだ後に、胎便が排出されるまで観察することが推奨されます。

Qr2 QR2:分娩予測について

Qr3 QR3:初乳についてQr4QR4:レッドバッグについて

 

分娩馬房の準備

 分娩前後に使用する器材以外に、環境面の準備も必要です。分娩予定日の4~6週間前には、妊娠馬を分娩厩舎に移動させることが推奨されます。その理由は、その場所に常在する細菌やウィルスに対する抗体を初乳中に産生させ、初乳を介してその抗体を子馬に獲得させるためです。同様に、妊娠7~9か月齢の妊娠馬に対して、馬インフルエンザ、破傷風およびロタウイルスワクチンを接種することによって、抗体を産生させる方法も推奨されます(QR3)。

 

おわりに

 今回の内容が少しでも分娩対応の準備の一助となれれば幸いです。この記事が掲載される時には、日高育成牧場のホームブレッドの出産もスタートしていると思いますが、皆様と一緒に今シーズンを無事に乗り切れるよう祈っております。

 

日高育成牧場 主任研究役 琴寄泰光

2023年1月20日 (金)

厳寒期のサラブレッド育成に関する研究

 「強い馬づくり最前線」は、平成22年(2010年)1月から連載が開始され、今回で第300回目を迎えることができました。この連載が開始された頃は、日高育成牧場において‟生産から競走馬までの一貫した育成研究”が開始され、その第一世代がちょうど1歳馬になった年でもありました。この13年間、日高育成牧場では、生産したJRAホームブレッドや1歳市場で購買したJRA育成馬を活用して様々な育成研究や技術開発を行い、本紙面を通じてその成果を皆さまにお知らせしてまいりました。今回は、これから迎える‟北海道の寒い冬”をテーマにした研究成果と課題について述べます。

 

早生まれのサラブレッド

 長日性季節繁殖動物であるウマの特性を応用したライトコントロール(LC)法は、繁殖牝馬の非繁殖期から繁殖期への移行期に、人工的に光を照射して発情を早期化することによって受胎率を向上させる技術です。その結果、早生まれの子馬を生産することも可能になり、近年では誕生日が1月や2月のGⅠ勝馬も珍しくなくなりました。「早生まれ」と「遅生まれ」の成長や内分泌機能を比較した我々の成績では、子馬は、生まれ月に関わらず、長日期である5月~8月にかけて、1日当たりの体重増体量(ADG;kg)が相対的に高値となることや脳下垂体前葉から分泌される性腺刺激ホルモン(LH、FSHおよびプロラクチン)の分泌も高値になることが明らかになりました。このことは、生まれて間もない子馬の時期から、性ホルモン分泌の中枢である脳の視床下部-下垂体軸が日長時間の延長に反応していることを示しており、そのため、長日期には下垂体前葉から分泌される成長ホルモンの活性も高いと考えられます。これらの考え方から、以前はホームブレッドの出産時期を4月頃になるように計画していました。一方、生まれ月に関わらず、生後間もない時期の子馬は甲状腺ホルモンやコルチゾール値が高値を示すこともわかっています。このことは早生まれの子馬でも、寒冷ストレスに対して甲状腺や副腎が正常に機能していると考えられ、厳寒期においても、適切な飼養管理を実施すれば、子馬を問題なく成長させることができることを示唆しています。早生まれが増加している背景には、人気種牡馬との交配を早期に確実に行いたいなどの事情もあると仄聞しています。かつて、日本の「早生まれ」は活躍しないといわれていましたが、近年は情勢が変化しているようです。したがって、1月や2月の寒冷な時期に出産する母馬や誕生する子馬の飼養管理法の開発は新たな研究課題です(写真1)。

1

写真1 早生まれの子馬の放牧風景

 

厳寒期の昼夜放牧

 放牧地が雪に覆われ気温が極めて低い北海道において、中期育成期の子馬の飼育管理方法の開発も重要なテーマです。13年前、我々は昼夜放牧を22時間継続する群(昼夜群)と7時間の昼間放牧とウォーキングマシン(WM)運動を1時間実施する群(昼W群)の生理機能を比較する実験を行いました。その結果、昼夜群は、耐寒のため体温や心拍数が低下するなど、副交感神経活動が優位になるとともに、寒冷時に体温を維持するなどの働きをもつ甲状腺ホルモンやコルチゾールの分泌を低下させて自らの代謝を抑制する冬眠に似た生体反応が生じることが明らかになりました。一方、昼W群ではWM運動によって昼夜放牧と同等の移動距離を確保することができ、さらに、成長ホルモンと同様に成長促進作用を有するインスリン様成長因子(IGF-1)や様々なアンチストレス作用を有するプロラクチンの分泌が促進されることも判明しました。プロラクチンは、寒冷などのストレス感作時に副腎に作用して、生体を防御する働きをもつ糖質コルチコイドの分泌を促すことが報告されています。異なる実験になりますが、日高育成牧場に繫養する4歳のサラブレッド種雄馬を用いてトレッドミルによる運動負荷を加えた研究では、運動強度に応じて成長ホルモンの血中濃度が上昇し、運動後もしばらく一定の濃度が維持されることが明らかになり、集中的な運動は成長に良い影響を及ぼすことが示唆されました。現在、我々は初期から中期育成期においては、自然に近い環境で飼育する観点から、冬期の昼夜放牧に関する研究を継続しています(写真2)。昼夜群のデメリットを昼W群のメリットで補うことができるように、寒さ対策としてシェルター設置や馬服の着用、冬期の代謝や成長を促すためのWM運動を継続しながら、現在もデータを集積しています。

 

2

写真2 厳寒期の放牧風景

 

温暖地での二元育成

 JRAでは冬期に寒さが厳しい日高育成牧場(日高)と冬期に穏やかな気候の宮崎育成牧場(宮崎)の2ヶ所で後期育成に関する研究を行っています。過去10年間の後期育成期の体重、体高、胸囲および管囲の成長率を日高と宮崎で比較したところ、すべての指標において雌雄ともに宮崎の方が冬期の成長率が高値でした。その理由は、冬期の気候が穏やかな宮崎では、寒さの厳しい日高と比べて後期育成期の成長停滞が少ないためであると考えられています。生殖機能に関連した内分泌ホルモンの分泌濃度等を比較すると、宮崎は日高と比べて性腺刺激ホルモンや、精巣や卵巣などの性腺から分泌されるステロイドホルモンが早期から分泌を認め、雄では成長促進ホルモンである血中インスリン様成長因子(IGF-1)の濃度が早期に高値となることも判明しました。宮崎では冬季の日長時間の長さから性腺の賦活時期が早いことがその理由として推察されています。さらに、日高と宮崎の調教強度を概ね同程度に設定しているにもかかわらず、宮崎の雄では、筋肉量の指標である除脂肪体重の増加率が高値であったことから、宮崎は冬期に効果的なトレーニングを実施することができる気候である可能性が示唆されました。すなわち、北海道で生産し初期~中期育成を行ったサラブレッドを冬期に温暖な地域で後期育成する「二元育成」の有効性が示されました(写真3)。

 

3

写真3 宮崎の調教風景(12月)

 

北海道の後期育成馬に対するLC法

 冬期に気温が低くなる日高では、宮崎と比較すると冬期の成長が停滞しやすいことから、トレーニング負荷によって、未成熟な若馬に特有な深管骨瘤などの筋骨格系疾患(MSI)が発症しやすいと考えられ、競走馬としてのデビューが遅れることが危惧されます。そこで、冬期の成長抑制に対する改善策として、日高の後期育成馬に対して、繁殖牝馬で実施されているLC法を1歳12月から2歳4月中旬まで実施したところ、雌雄ともに、1月下旬から性腺刺激ホルモンや性ステロイドホルモンの分泌が開始されるとともに、自然光下の宮崎と同様に成長が促進されることが明らかになりました。また、雌雄ともに除脂肪体重の増加が観察され、LC法の応用によって北海道においても冬期に十分なトレーニング効果が得られることも判明しました。

 

4

写真4 日高の調教風景(12月)

 

体組成(筋肉量や体脂肪率)に関する研究

 近年、筋肉量の増加にはミオスタチンという筋肉内の物質が関与することが注目されています。また、成長ホルモンとインスリン様成長因子(IGF-1)、さらに、性ステロイドホルモンであるテストステロンとエストロジェンは、ミオスタチンの機能抑制に関与することで筋肉量の増加を促進すると考えられています。雄馬と雌馬を比較すると、雄馬は筋肉量が多く、体脂肪率が低いという性差も明らかになっていますが、テストステロンが分泌されない雌馬においてもトレーニングによって筋肉の増量が観察されることから、雌馬では筋肉量増加のメカニズムが雄馬と異なる可能性もあります。このように、後期育成期のサラブレッドの筋肉量増加におけるメカニズムについては不明な点が多く、今後のさらなる研究が必要と考えています。

 

最後に

 日高育成牧場の「世界に通用する強い馬づくり」を目指した研究や技術開発は、我国のサラブレッド生産と競馬が続く限り、永遠に続いていくものと考えています。今後の「強い馬づくり最前線」にご期待ください。

 

日高育成牧場 場長 石丸 睦樹

2023年1月 6日 (金)

良質な初乳を給与するためのポイント

 12月となり、そろそろ来年の分娩の準備に取り掛かる時期になっていることと思います。出生後の子馬に対して、生産者のみなさんがもっとも心配していらっしゃることの一つは、良質な初乳を給与できるかどうかということかと思います。初乳は出生直後の子馬が得られる唯一の抗体供給源であり、上手く獲得できなかった場合には感染症にかかるリスクが非常に高くなります。そのため、如何にして良質な初乳を得ることができるかが、子馬の健康な発育には不可欠と言えます。今回は、良質な初乳を給与するためのポイントについて、ご紹介していきたいと思います。

 

分娩前の妊娠馬への対応

 良質な初乳を得るための作業は、分娩前の妊娠後期から始まっています。その一つが妊娠馬に対するワクチン接種になります。多くの生産者の方は、インフルエンザや破傷風といったサラブレッドに基本的に接種しているワクチンに加え、妊娠馬に対しては流産予防を目的とした馬鼻肺炎ワクチンを接種していることかと思います。馬鼻肺炎ワクチンは、流産の発生する妊娠後期に最も効果を高めるため、妊娠7~9か月齢の間に接種することが推奨されています。JRA日高育成牧場では、上記の期間に生ワクチンを2回接種しています。このワクチン接種は流産予防が第一の目的ですが、ここで作られた抗体が初乳から子馬に移行することで、子馬が馬鼻肺炎に感染することを防ぐことにも役立っています。さらに良質な初乳を作るためには、初乳への抗体が作られる分娩1か月前までに馬インフルエンザ、破傷風およびロタウイルスなどのワクチンを接種することが望まれます。特に、出生後の子馬に重篤な下痢を発生させるロタウイルス感染症を予防するためには、母馬にロタウイルスワクチンを接種しておくことが非常に重要となります。JRA日高育成牧場では、ロタウイルスワクチンの1本目(基礎)を分娩2か月前に、その2本目(補強)および馬インフルエンザワクチンと破傷風ワクチンを分娩1か月前に接種しています。

Photo

図1 妊娠馬に接種するワクチンの種類と推奨される接種時期

 また、妊娠馬は遅くとも分娩1か月前までに分娩を行う厩舎に移動することが推奨されています。これは、分娩を行う厩舎の環境に慣らすことで、落ち着いた状態で分娩させることのみならず、分娩厩舎の環境中に存在する細菌やウイルスに接触させることで、それらに対する抗体を作らせることも目的にしています。その結果、生まれた子馬は環境中の細菌やウイルスに対する抗体を含んだ初乳を飲むことになり、病気にかかりにくくなると考えられます。この考え方に基づくと、分娩前には分娩を行う馬房だけでなく、出生後の子馬を放すパドックや放牧地などにも母馬を放しておくことが重要となります。JRA日高育成牧場では、分娩1か月前になった段階で、インドアパドックや小さい放牧地に妊娠馬を最低1日以上放すことを行っています。

 

初乳の品質と繁殖牝馬の状態との関係

 繁殖牝馬が無事に分娩を終えた直後には、初乳の品質を調べることが推奨されています。糖度計を用いて初乳の糖度(Brix値)を測定し、この値によって初乳の品質を判断することになります。これは、Brix値が初乳に含まれる抗体量(IgG量)に比例することが知られているからであり、表1のようにBrix値で初乳の品質を判断することができます。JRA日高育成牧場で過去5年間に発生した分娩時の初乳Brix値を調べたところ、すべての初乳の品質が「Very good」 (36%)または「Good」(64%)という結果でした。この結果から、JRA日高育成牧場では十分な品質の初乳を得られる飼養管理ができていることが示唆されます。Brix値が低くなる要因として、分娩前に乳房から乳汁が漏れ出る“漏乳”が知られています。そこで、「Very good」と「Good」の品質の初乳において、それぞれ漏乳が起きていた割合を調べたところ、「Very good」では6.7%であったのに対し、「Good」では22.2%と高い結果となっていました(図2)。漏乳が発生した妊娠馬に対しては、初乳のBrix値が低くなっている可能性を踏まえた対策を考えておく必要がありそうです。

Photo_2

表1 Brix値による初乳の品質の評価

 

Photo_3

図2 初乳の品質ごとの漏乳の発生割合

 また、良質な初乳を得るためには、栄養面でも適切な飼養管理を行うことが重要であると考えられます。繁殖牝馬の栄養状態の判断は、馬体への脂肪の付き具合を数値化したボディコンディションスコア(BCS)を用いて評価する方法が推奨されています。一般的には、BCSが高く(栄養状態が高く)なるにつれて、初乳Brix値も高くなると考えられがちですが、日高育成牧場において分娩前3か月間の平均BCSと初乳Brix値との関係について調べた調査結果(図3)では、BCSが高くなるにつれて、初乳Brix値が低くなる傾向、つまり、弱い負の相関が認めらました(相関係数-0.29)。この結果からは、太りすぎの馬の初乳Brix値が低くなる可能性が示唆されましたが、これはBCSの高い馬は乳量が多いことから、IgG(抗体)濃度が希釈されたためであり、総IgG(抗体)濃度が低いということではないと推測されます。この結果からは、少なくとも標準的な脂肪の付き具合であるBCSが5以上あれば、十分な品質の初乳が得られるものと考えられます。一方、分娩後の母馬の管理等を考慮すると、分娩前にはBCSが6となるように管理することが推奨されます。

Photo_4

図3 分娩前3か月平均BCSと初乳Brix値の関係

 良質な初乳が得られたとしても、子馬に抗体が移行していなければ意味がありません。子馬が十分量の抗体を摂取できているかを調べるために、生後11~14時間の子馬に対して採血を行い、血中IgG量を測定することが推奨されています。子馬の血中IgG濃度と初乳Brix値の関係を調べた結果が図4となります。初乳Brix値が高くなるほど、子馬の血中IgG濃度も高くなる正の相関関係が認められました(相関係数0.46)。この結果から、やはり初乳Brix値が低い場合には、子馬が十分量の抗体を獲得できていない可能性が高くなると言えそうです。

Photo_5

図4 子馬血中IgG濃度と初乳Brix値の関係

良質な初乳が得られない時には?

これまでお話してきたように、適切な飼養管理を行ってきたとしても、良質な初乳が得られない状況がどうしても発生してしまいます。そのような状況への対策として、凍結された良質な保存初乳を準備しておくことが挙げられます。一般的に、Brix値が20%以上であり、初産ではなく、乳量の多い(乳房の大きい)繁殖牝馬から、300ml程度の初乳を採取して冷凍保存(-20℃で2年程度)しておくことが推奨されています。JRA日高育成牧場でも、過去に得た保存初乳をストックしており、母馬の初乳のBrix値が低い場合や子馬の血中IgG濃度が低い場合に、積極的に活用しています。保存初乳の投与には注意点があり、生後24時間以内に投与しなければなりません。これは、子馬の腸管が生後24時間経過すると構造が変化し、初乳に含まれる抗体を吸収できなくなるためです。このように、保存初乳は生後直後に必要となることから、一定数をストックしておくことがとても重要だと考えられます。

 また、残念ながら保存初乳がない場合や生後24時間以上経過している場合には、血漿輸血を行うという方法もあります。これは母馬やユニバーサルドナー(供血馬)から採血を行い、その中の血漿成分(抗体が含まれる部分)を子馬に輸血することで、子馬に十分な抗体を移行させる方法になります。特に、ユニバーサルドナーは輸血後の拒絶反応のリスクが低い馬であり、母馬よりも安全に輸血を行うことができます。JRA日高育成牧場にはユニバーサルドナーが繋養されておりますので、牧場の担当獣医師の方の判断で血漿輸血が必要な場合にはご相談ください。

JRA日高育成牧場 専門役(生産担当) 岩本洋平

2022年12月14日 (水)

安全な分娩のための分娩予測

 温度計が氷点下を指し示す時期となり屋外での活動が厳しくなってきましたが、競走馬の生産牧場においては年明けから始まる分娩シーズンに向けての準備が着々と進んでいる時期でもあります。サラブレッドの分娩は、春の交配によって妊娠した繁殖牝馬に対する緻密な飼養管理を約11か月間も継続してようやく迎える競走馬生産の集大成であり、生まれてくる子馬が高額商品であることも相まって、逆子や生後直後のトラブルを予防し、より安全な分娩を実現するために多くの牧場で分娩介助が行われています。

 馬の正常な妊娠期間は、一般的に平均して妊娠335日程度と言われていますが、極めて少ない例外的なものも含めると妊娠300~400日程度まで大きく前後する場合があるとされており、交配日から算出した分娩予定日通りに生まれるとは限りません。そのため、生産地では分娩シーズンになると分娩予定日の近い馬を夜間に監視して、いざ分娩が始まったら迅速に介助できるよう備えなければならず、分娩監視にかかる労力とストレスは多大なものとなっています。そこで、本号では分娩監視の負担を軽減する分娩予測方法について、過去に紹介した内容に最新情報をアップデートする形で紹介します。

 

〇古くから行われてきた分娩予測方法

 牧場では繁殖牝馬ごとの過去の分娩前兆候の履歴を参考としながら、分娩予定日の2週間前から注意深く観察し、分娩時期を推定するのが一般的です。主な分娩前兆候には、①乳房の成熟(腫脹)(図1)、②漏乳(分娩に先立っての泌乳)(図2)、③臀部の平坦化、④外陰門部の弛緩(図3)、⑤体温の低下(通常は朝よりも夕方の体温の方が高い)などがありますが、誤差や個体差が大きいため、あくまでも目安にしかならないという予測方法です。

Photo_11

図1:分娩3週間前(左)と分娩当日(右)の乳房

 

Photo_12

図2:漏乳による乳汁が付着した後肢

 

Photo_13

図3:分娩1ヶ月前(左)と分娩当日(右)の外陰部

 

〇科学的な分娩予測方法

 獣医師によって行われる分娩時期を推定する検査には、血清中プロジェステロン濃度の測定、乳汁カルシウム濃度の測定、子宮頸管の軟化の確認などがあります。計測機器や専門知識が必要なこれらの検査のうち、客観的かつ比較的信頼度が高い方法が乳汁カルシウム濃度の測定です。海外では一般的に普及しており、誰でも使える簡易キットが市販されていますが、残念ながらこの簡易キットは日本で販売されていません。

 しかしながら、乳汁カルシウム濃度の測定と同程度の精度を有し、特別な機器が不要で獣医師でなくとも実施可能な方法として、乳汁pH(図4)や乳汁Brix値(図5)による分娩予測方法があります。これらは市販のpH試験紙(6.2~7.6の範囲の測定が可能なpH-BTB試験紙)による乳汁のpH、および糖度計による乳汁のBrix値を指標とする方法です。日高育成牧場におけるデータでは、乳汁pHは分娩前10日以前には7.6以上を示しますが、分娩が近づくにつれ低下し始め、6.4に達してからは24~36時間で分娩する確率が約85%となりました。また、pHが6.4に達していなければ、24時間以内に分娩しない確率が約90%となりました。同様に、乳汁Brix値は分娩前10日以前には10%以下を示しますが、分娩が近づくにつれ上昇し始め、20%に達してからは36~48時間で出産する確率が約80%となりました。特筆すべきは、両測定法とも約30秒で測定が可能であり、経費も非常に安価であるため、牧場での応用に向いていると言えます。一方、当然個体差もあり、特に初産の場合、精度が低くなる傾向がありますので注意が必要です。また、個体ごとに急速にpHが低下するケースやpHが6.4に達してからも分娩までに日数を要するケース、pHが6.4に達することなく分娩を迎えるケースなど、毎年類似した傾向を示すことが多いので、データを毎年記録することが個体ごとの分娩予測精度の向上に役立つと考えています。

Photo_14

図4:試験紙を用いた乳汁のpH検査                

Photo_15

図5:糖度計によるBrix値測定

 

〇分娩予測方法の最新情報

 ここからは、技術や経験を必要としない海外で実用化されている分娩自動監視警報装置について紹介します。この方法は、①監視カメラで撮影された馬房内での繁殖牝馬の様子、②下顎部に装着したスマホ端末や姿勢感知装置からのデータならびに③体表温センサーからのデータを基に人工知能(AI)が分娩兆候を判断し、所有者のスマートフォンに専用アプリを介して警報を発するというものです(図6)。残念ながらこれらのシステムの説明には的中率が明示されておらず、また日本国内での使用の可否も不明ですが、海外では馬産業向けにこのようなシステムの開発が盛んに行われているようです。国内でもAIを応用した同様の分娩予測システムの実用化に向けた研究が進められていますので、より客観的な分娩予測方法として期待が高まります。なお、日高育成牧場では、現在も繁殖牝馬の分娩直前の行動パターン、発汗量などの指標により分娩予知の精度向上を目指した研究を進めているところです。

Photo_16

図6:最新の分娩予測システム

 

 今回は分娩予測方法について、新旧交えていくつか紹介しましたが、いずれの方法でも測定値の変動傾向に個体差が有り、的中率が100%のものは存在しません。したがって、安全な分娩を実践するためには、繁殖牝馬毎の記録や身体的な分娩兆候の変化を参考にしつつ、複数の分娩予測を組み合わせて総合的に分娩に備えるのが最善だと考えられます。今後も、当場からの新たな研究成果の発信にご期待いただけましたら幸いです。

 

日高育成牧場 主任研究役 琴寄泰光

 

日高育成牧場における育成調教 ②競馬に向けてのトレーニング

 前号に引き続き、育成馬の調教について触れてみたいと思います。今号では競馬に求められる走行速度や走法などの走力の要素を向上させる「競走トレーニング期」についての考えをご紹介させていただきます。

 

1.競走トレーニング期とは

 競走トレーニング期は、競馬に求められる走行速度や走法などの走力の要素を向上させることが目的となります。

1)ピッチの強化

 ピッチの強化とは「単位時間当たりの歩数減少を抑制すること」であり、筋肉を動かし続けるスタミナを身に付けることで得られ、結果としてレース後半の疲労によるスピード低下の防止につながります。これには筋肉を動かし続けることが求められ、そのエネルギー源はATPであり、グリコーゲンがピルビン酸に分解される解糖系、および解糖系で産生されたピルビン酸を利用する有酸素系において産生されます(図1)。

Photo 図1. 解糖系と有酸素系によるATP産生

  • 速筋線維の解糖能および乳酸の利用

 筋線維には速筋線維と遅筋線維があり、速筋線維の方が解糖能に優れています。このため、解糖能を高めるには速筋線維を鍛えることが有効であり、人では呼吸が上がって苦しくなる程度の運動が必要とされています。解糖能の上昇により乳酸産生量が高まると、乳酸がピルビン酸に変換され、ミトコンドリア内での有酸素系のATP産生も高まりますつまり、解糖能が上昇すると解糖系と有酸素系の両方によるATP産生能が結果的に高まるということになります。これは競走馬も同様であり、競走トレーニング期の馬には、血中乳酸濃度が概ね10mmol/Lを超える運動負荷によって効果が得られると考えられています。

  • 解糖能の上昇とアドレナリン分泌

 運動強度が上昇すると、解糖系によるエネルギー産生が必要となるため、交感神経優位の状態になり、アドレナリン分泌によって心拍数および血液循環量が増加します。アドレナリンは馬では恐怖や不安などのストレス状態下において、その状況から逃れるために身体や脳の機能を高める物質です。一方、過剰なアドレナリン分泌は、エネルギーの大量消費を誘発するため、体力を消耗しやすくなるのみならず、攻撃性や慢性的な疲労等を誘発する負の部分も有しています。

 馬は名誉心などなく、自ら苦しい調教を耐えようとしないため、競走馬の調教では交感神経と副交感神経のバランスを常に維持するように注意し、オーバーワークは避けなければなりません(図2)。このことが人のアスリートとは比較できないくらい競走馬の調教の運動量が少ない理由と考えられています。

Photo_2

図2. 交感神経と副交感神経のバランスが重要

  • ミトコンドリア内のATP産生能と母系遺伝

 ミトコンドリアDNAは受精の過程で母親のミトコンドリアのみが子に受け継がれると考えられています。つまり、有酸素能力に大きく影響を及ぼすミトコンドリアの質は、母親の質に左右されるため、調教によって向上するミトコンドリア内のATP産生能は先天的にある程度決まっているものと推測されます。このことがサラブレッド競走馬において、母系の血統が重要視される理由のひとつであると考えられています。

2)ストライドの強化

 ストライドの強化に関連する重要な要素は、陸上でもストライドと強い相関関係を持つ着地直前のスイング速度です(写真1)。つまり、後肢を前方に大きく振り上げて、着地に向けて肢を引き戻してスイング速度が上がることによって、着地の瞬間に働く地面からの制動力が抑制されて推進力が維持され、結果としてストライドが伸展すると考えられます。

Photo_4

写真1. 後肢から繰り出される運動エネルギーは踏込よりスイング速度が重要

2.育成調教における騎乗者の役割

 競馬では馬7:騎手3という言葉がありますが、これは競馬における馬と騎手の重要度の比率を意味しており、競馬での騎手の役割は、馬の能力には及ばないと考えられています。一方、日々の育成調教においては、騎乗方法によって、柔軟性やランニングエコノミーを向上させることが可能となることもあるため、その概念について説明します。

1)項靭帯の伸展を利用した騎乗

 項靭帯とは頭蓋骨の後面からキ甲まで走行する靭帯であり、キ甲から仙骨に走る棘上靭帯と連続しています(図3)。そのため、項靭帯が伸展すると前躯と後躯が連結して、全身を使用したランニングエコノミーの向上が可能となります。

Photo_5

図3 項靱帯は棘上靱帯に移行して前後を連結する

2)ハミを利用した項靭帯の伸展

 項靭帯を伸展させるためには、頭頚の位置を一定に維持するハミ受けという技術が不可欠です。ハミ受けによって頭頚が固定されて項靭帯が伸展し、後躯から発生したエネルギーが項(うなじ)を頂点とした項靭帯に蓄積されます。その蓄積されたエネルギーの一部は前肢を高く上げることに利用され、結果として踏着前のスイング速度が高められます。これにより、前肢の着地が遅延するとともに地面との接地時間の短縮が可能になり、着地による制動力が最小限に抑制されます。また、項から棘上靭帯を通して腰部と連結している項靭帯に蓄積されたエネルギーは、しなった釣竿のように骨盤の沈下を生み出します。これによって後肢が大きく前方に振り上がり、後肢のスイング速度も上昇するため、ストライドが大きくなり、走行速度も上昇します(図4)。

 

Photo_6

図4. 項靱帯の伸展による効率的な走行フォーム

 

3.最後に

 競馬というスポーツは、サラブレッドという種の育種、つまり「速く走る」という遺伝子を持つ個体を選抜する目的で行われているため、捕食者から逃れるという本能を発揮させなければなりません。一方、馬は名誉心などなく、自ら苦しい状況を選択しようとはしないと思われます。そのため、調教時には馬との意思疎通を図るために副交感神経を優位に、競走時にはより速く走らせるために交感神経を優位にというように相反する精神状態を巧みにコントロールする技術が不可欠となります。しかし、馬は機械ではなく意思を持つため、個体差が大きいのも事実です。このことが画一的な調教が困難である理由であるとともに、人馬一体を成し遂げ得た時の喜びが非常に大きく、古来、多くの人を魅了し、そしてこれからも多くの人を魅了する理由でもあるのだろうと考えています。

 

日高育成牧場 副場長 頃末 憲治

 

2022年12月 6日 (火)

強い馬づくりのための生産育成技術講座資料 ①若馬の昼夜放牧における放牧草の採食量

12月6日(火)17時開始オンラインセミナー資料

1_3

こちらよりダウンロードしてください

若馬の昼夜放牧.pdfをダウンロード