妊娠期の運動
暖かい日差しを感じる日が増えてまいりました。生産地は分娩、新生子馬の管理に加えて種付けも始まり、繁殖シーズン真っ只中を迎えています。
ヒトは妊娠期に適度な運動を実施することが推奨されており、特に妊娠中期以降の運動は母体および胎児の健康、さらには分娩のための体力づくりに良い影響を与えることが広く知られています。馬においても、分娩数か月前からのウォーキングマシンによる運動の実施は、難産の予防効果が期待されています。そのため、日高育成牧場においても、分娩1~2か月前から30~60分間ほどのウォーキングマシンによる常歩運動を実施しています。その効果については検証中ですので、今回は妊娠期における繁殖牝馬の運動について、海外での研究報告を基に概説します。
写真1. 妊娠後期のウォーキングマシンによる運動は難産予防効果が期待される
妊娠期における運動実施の利点
冬季の北海道は放牧地が雪で覆われ、さらに妊娠後期には胎子重量が増加することから、妊娠馬の運動量(移動距離)は低下します。その結果、分娩直前の妊娠馬は下肢部の浮腫の発生が多くみられます。この浮腫は運動量の低下に起因するため、引き運動やウォーキングマシン運動によって改善することが知られています。また、前述したとおり、難産予防効果も期待されていますが、明確な根拠は不明のままとなっています。
一方で、インスリン感受性など代謝に関する知見は、少しずつ明らかとなってきています。インスリン感受性とは「インスリンの効きやすさ」の指標です。インスリンは糖代謝に関連するホルモンの一種で、血糖値を下げる作用があります。ヒトにおいては、肥満や妊娠の進行によってインスリン感受性が低下することが知られており、感受性の低下による高血糖状態の持続は、母体と胎児の双方に悪影響を及ぼす可能性があります。馬においても、ヒトと同様に肥満や妊娠の進行によって、インスリン感受性が低下すると考えられています。加えてインスリン感受性の低下は、蹄葉炎発症の一要因となることも知られています。
繁殖牝馬においては、痩せた馬(BCS 4.5以下)と比較して、肥満馬(BCS 8以上)はインスリン感受性が低いことが明らかとなっています(Powell et al., 2002)。また、肥満馬に30分間の速歩運動(心拍数120~140回/分となるように速度を調整)を7日間実施すると、運動前と比較してインスリン感受性が上昇したこと(図1)から、運動実施は代謝機能を改善させる効果があることが示唆されています(Powell et al., 2002)。したがって繁殖牝馬において、過肥を避ける飼養管理を実施すること、さらに過肥な馬に運動を課すことは、代謝機能の維持および改善につながると考えられます。現在、日高育成牧場においては、妊娠後期の繁殖牝馬のインスリン感受性やそれに影響を及ぼす運動の効果についての調査を実施しておりますので、新たな知見が得られましたら改めてご紹介いたします。
妊娠期の運動による懸念
妊娠期の運動実施の利点をお伝えしましたが、懸念事項はないのでしょうか。
排卵(種付け)日から7日間にわたって、駈歩を含む30分間の運動を実施したところ、実施していない馬と比較して、胚回収率(≒受胎率)が低下(図2)したことが報告(Mortensen et al., 2009)されており、種付け直後の過度な運動は、受胎率を下げる可能性が示唆されています。この胚回収率の低下は、運動に起因して体温が上昇することによる熱ストレスが原因であることが推察されています。また、運動により骨格筋への血流が増加することに伴って、子宮や卵巣への血流が減少し、卵胞の質が低下する可能性も示唆されています。牛においては暑熱環境下で飼養された場合、受胎率が低下し、熱ストレスは胚に悪影響を及ぼすことが広く知られているため、馬においても同様である可能性が高いと推察されます。したがって交配前後の馬への過度な運動負荷は、受胎率に悪影響を及ぼす可能性があると考えられます。
受胎確認後の妊娠16日から80日にわたって、30~60分間の駈歩を含む運動を実施した研究においては、母体および胎子ともに悪影響は認められなかったことが報告されており(Anton MS et al., 2014)、交配直後でなければ、運動の実施は妊娠継続に悪影響はないことが示唆されています。
最後に
サラブレッド生産においては、繁殖牝馬の運動効果に関してはほとんど議論されていませんでした。しかしながら、代謝機能を改善するなどの健康効果が認められつつありますので、今後の検証結果もお待ちいただければ幸いです。
繁殖牝馬の管理方法については、JRA日高育成牧場管理指針 -生産編- にも記載しています。このたび本指針を改訂し、第3版を発刊いたしました。繁殖牝馬や子馬の管理に関する最新の知見を追加するとともに、動画への二次元コードを掲載し、これまで以上に活用しやすい内容となっております。引き続き、生産・育成の参考書として利用いただけますと幸いです。
参考資料
JRA育成牧場管理指針 - 生産編(第3版)-
https://www.jra.go.jp/facilities/farm/training/research/pdf/research_seisan.pdf