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2024年3月15日 (金)

早期胚死滅の原因

◎はじめに

 馬の生産に関わっていれば、早期胚死滅という言葉を否応なしに耳にしたことがあると思います。胚死滅とは文字どおり、一旦受胎した「胚」が死滅・消失することを指し、日高のサラブレッドにおける調査において、発生率は5.8%と報告されています(Miyakoshi, 2012)。「胚」とは卵と精子が受精した結果できる受胎産物が子宮内に着床するまでを指し、40日前後で起こる着床後は、「胚」を「胎子」と呼ぶようになります。着床までの間に胚が死滅してしまう原因はいくつも存在しており、大きく「母体要因」、「胎子要因」、「環境要因」に分けられます。以前より影響因子として考えられている「加齢」、「子宮内膜シスト」、「BCS」、「予防としての陰部縫合」は、母体要因あるいは環境要因に含まれます。一方、「遺伝子・染色体異常」は胎子要因として考えられていましたが、その実態は詳しく分かっていませんでした。昨年末に開催されたAAEP(アメリカ馬獣医師協会)の年次大会において、この胎子要因を含めたレビューが報告されましたので、その内容を概説いたします。

 

◎胚の位置と大きさ

 通常、胚は排卵後18日頃に左右どちらかの子宮角基部に固着(写真1)しますが、これが子宮体部に固着した場合に妊娠喪失しやすいとされています(Jobert, 2005)。また、胚死滅例では同時期の正常妊娠に比べて小さい傾向があります。顕微授精における調査の結果、胚移植7日の大きさが正常妊娠8.6mmであるのに対して、胚死滅例は6.6mmでした(Cuervo-Arango, 2019)。臨床現場においては厳密な排卵(授精)時期が分からないため、胚の大きさを正確に判断することは困難ですが、双胎妊娠の場合に大きい胚を残すという判断は妥当と言えます。

Photo_6 写真1 子宮角基部に固着した胚のエコー像(排卵後21日)

◎遺伝学的要因

遺伝子情報であるDNAは、複雑に折りたたまれて「染色体」という構造で核に保存されています。この染色体の数は動物種によって異なり、ウマは通常32対(64本)ですが、特定の染色体が1本(染色体数63)となる「モノソミー」、3本(染色体数65)となる「トリソミー」、全ての染色体が3倍となる「三倍体(染色体数94)」などの染色体異常が起こることがあります(図1右)。妊娠15-65日に妊娠喪失した99例において胚(もしくは胎子)の染色体を調べたところ、これら染色体異常が49例(49%)も認められました(トリソミー10%、モノソミー4%、部分的異数性2%、3倍体35%)。一方、妊娠後半に流死産に至った150例における染色体異常は1.3%(部分的異数性が2例)にすぎないことから、これら染色体異常の多くは妊娠早期に死滅に至ると言えます。また、胚死滅を繰り返す母馬において、何種類かの「染色体の構造異常」が報告されています(図1左)。常染色体構造異常は、「転座」とも呼ばれており、異なる2本の染色体に切断が起こり、その断片が交換される現象です。ただし、その発生率は胚死滅全体の2%未満であることから、染色体の数的異常に比べると稀と言えます。

Photo_7図1 染色体の構造異常(転座)と染色体の数的異常

 

◎診断と治療

 胚死滅を繰り返す牝馬については、染色体検査(カリオタイピング)によって母馬の染色体転座を検査することが推奨されますが、残念ながら日本では実施できる施設はありません。一方、胚死滅を確認した際、子宮内に胚が残っている場合には、胚を回収して検査に供すことで、死因を特定することができるかもしれません。しかし、やはり検査を受託する施設がないことに加えて、確定診断できたとしても有効な治療法がないため、現場で検査するのは現実的とは言えません。

 筆者は胚死滅の原因として、このような遺伝的要因が多く占めているという報告に基づいて、胚死滅の予防処置として比較的簡単であるために一般的に実施されている「黄体ホルモン剤」の投与に対して、注意を促したいと考えています。なぜならば、実際に胚死滅が黄体形成不全(ホルモン濃度が低い状態)に起因している症例はそれほど多くないこと、さらに、胚死滅染色体異常はそもそも出生に至らないことから、安易に黄体ホルモン剤を投与することは生存性に効果がないばかりか、胚死滅後の再交配のタイミングを遅らせてしまうリスクがあると考えているからです。

 

◎おわりに

 本稿を読み終え、意外にも多くの染色体異常が生じていることを目の当たりにし、胚死滅の予防が困難であると思われるかもしれません。しかし、子宮内の汚染や分娩損傷からの回復遅延、子宮内膜シスト、低栄養など母馬や環境に由来する原因については、適切な飼育管理によりリスクを低減することができます。実際、日高地区の胚死滅率5.8%という数字は世界的に見ても低く、高額なサラブレッド種において、日本の生産者が入念に飼育している結果だと考えられます。

 

日高育成牧場 生産育成研究室長 村瀬晴崇