繁殖牝馬 Feed

2024年3月15日 (金)

新しい乳母付け法(高用量PG法)

●はじめに
年も明け、再び競走馬の繁殖シーズンとなりました。繁殖シーズンへの準備は万全でしょうか?
今回は繁殖シーズンに出会う事例の1つとして「乳母付け」について、その概要と近年海外で報告されました高用量PG法について解説いたします。

●乳母
乳母とは母馬に代わって子馬を育てる存在であり、多くはサラブレッドではなく温厚な性格のハーフリンガーや重種馬がその役割を担います。乳母は母馬が出産直後に死亡してしまった場合や、初産の若馬で発生が多い育子拒否が生じた場合、また、母馬の乳量不足や疾患など、正常な育子が期待できない場合に導入が検討されます。

●子宮頚管マッサージ法
乳母に子馬を育ててもらうには、ただ単に乳母と子馬を同居させるだけでなく、乳母にその子馬を許容してもらわないといけません。これが乳母付け処置です。
現在、日本の馬生産地では乳母の子宮頚管を用手にて刺激し、分娩時の産道刺激を模倣する子宮頚管マッサージを用いた乳母付けが一般的です(図1)。この方法は、早ければ半日程度で乳母付けが完了する一方で、2~3日程度要することもあり、さらに、子馬の安全を確保するための枠場や馬房内の専用スペースを確保する必要もあり、非常に時間と労力を要します。また、乳母と子馬の相性が悪いときは、その乳母を諦めて他の乳母を検討しなければならない場合も散見されます。

●高用量PG法
2019年に英国でPGF2α(PG)の投与が母性の惹起に有効であることが発表されました。PGは普段、黄体退行剤として使用されていますが、このPGを高用量投与することによって母性惹起が可能であり、子宮頚管マッサージをすることなく、乳母(17症例中17症例)および育子拒否馬(4症例中3症例)への母性惹起に成功したと報告されています。さらに、米国のシンポジウムでも同手法が紹介され、子宮頚管マッサージを用いた従来法と比較して、驚くほど短時間で乳母付けが完了するとの所感が報告されました。また、同手法は2021年に出版された馬繁殖関連の教科書にも掲載されています。以下に「高用量PG法」による乳母付けの手順をまとめました。
1高用量のPG製剤(黄体退行剤として使用する際の3~4倍量)を投与後、15分ほど発汗や軽度の疝痛症状といった薬の作用を確認する。
2馬房内で子馬と対面させ、乳母の子馬の匂いを嗅ぐ、舐めるといった母性行動を確認する。
3子馬を乳母の側面に移動させ、乳房からの吸乳を促す。
4乳母が吸乳を無事受け入れたら、馬房内で乳母、子馬を自由にして数分間監視する。
5子馬の安全を確認して、乳母付けは完了となる。
6母性行動が認められない場合には(10%程度)、12~24時間後にPG製剤の用量を増加して、再度、手順に沿って実施する。
高用量PG法は、PG製剤の投与のみで30分程度で乳母付けが完了するという簡便さ、そして実際に育子拒否した母馬に対しても一定の効果が見込めることから、今後、広く普及していくものと思われます。

●最後に
昨シーズン、日高育成牧場において高用量PG法による乳母付けを実施したところ、子馬との対面からわずか3分後には、子馬の匂いを嗅ぐ・舐めるといった母性行動を認め(図2)、高用量PG投与から乳母付けが完了するまでに要した時間は約30分と非常に順調でした(図3)。なお、乳母となった繁殖牝馬は、乳母付け後に正常の発情サイクルが確認され、無事に受胎することができました。乳母が必要となるような事態が起きないのが一番ですが、万が一必要となってしまった際には、高用量PG法も検討してみてはいかがでしょうか。

Photo_2図1:子宮頚管マッサージ

Photo_3図2:子馬の匂いを嗅ぐ・舐めるといった母性行

Photo_4図3:子馬を受け入れ授乳を促す乳母

2023年10月17日 (火)

PPID調査その2

馬事通信「強い馬づくり最前線」第304号

 前号では下垂体中葉機能障害PPIDについて概説いたしました。本疾患に対して2019-21年に「生産地疾病等調査研究」として取り組みましたので、本稿ではその成果を紹介いたします。本調査研究は大別すると「有病率を明らかにすること」、「繁殖性への影響を明らかにすること」、「治療効果を検証すること」を目的として実施しました。

 

PPID有病率および繁殖性への影響

 日高地区の10歳以上の不受胎馬339頭を対象に、10月上旬に採血しACTH濃度を測定しました。その結果、PPID陽性率8.3%、疑陽性率21.8%、陰性率69.9%でした(図1)。PPID陽性馬28頭の平均年齢は16.1歳で、年齢が上がるにつれてPPID陽性、疑陽性の比率は増加しました(図2)。陽性馬のうち外貌所見(長くカールした被毛)を示した馬はわずか3頭であり、外貌所見を認めない潜在的なPPID馬が多数存在していることが分かりました。陽性馬、疑陽性馬、陰性馬の翌春のシーズン受胎率はそれぞれ63.2%、88.6%、82.8%と陽性馬で低く、PPIDが繁殖成績に影響を及ぼしうることが示唆されました(図3)。各群の平均年齢は16.1歳、14.7歳、13.1歳と異なるため、この年齢差を補正した検定を行っても、依然PPIDが受胎性に影響しているという結果になりました。

 

治療効果

 続いて、10月の一斉検査でPPID陽性と診断された馬を治療群(15頭)と非治療群(7頭)に分けて、翌春の受胎成績を比較しました。その結果、非治療馬の受胎率が28.6%であったのに対し、治療馬の受胎率は80.0%と高く、PPIDによって低下した繁殖性は投薬によって改善しうることが示唆されました。さらに、個別に詳細な繁殖記録も比較しましたが、発情所見、卵巣・子宮などに一貫した傾向は認められず、PPIDがなぜ受胎率を低下させるのか考察することは叶いませんでした。

 

蹄葉炎を発症した馬

 本調査では11月から投薬を開始し、繁殖シーズンが終了した6月末に投薬を終了しましたが、投薬終了後の7-9月に2頭が致死性の蹄葉炎を発症しました。未だ蹄葉炎発症とPPIDの関連性について明確なことは分かっていませんが、ペルゴリド治療が蹄葉炎リスクを軽減している可能性を示唆する事例でした。

 

調査結果を踏まえて

 今回、PPIDが受胎性に一定の影響を及ぼすことが示唆されましたが、PPID陽性馬すべてが不受胎となるわけではありませんので、不受胎であったすべて馬に対してPPIDの検査をする必要はないと思われます。特に10歳未満であればPPIDの可能性は極めて低く、10-12歳でもそれほど高くありません。まずは一般的な不受胎原因(子宮内膜炎や排卵障害、外陰部の形態異常、子宮頚管の損傷など)について検査および治療を行い、それらの可能性が低いような馬、高齢馬、肥満馬、蹄葉炎に罹患したことがある馬などに対してACTH検査を検討することが推奨されます。

 

さいごに

 本調査は臨床現場における調査ですので、さまざまなバイアスが存在し、必ずしも科学的に証明されたデータとは言えない部分があります。また、PPIDが妊娠維持に影響するのか(受胎後、出産まで治療が必要なのか)、疑陽性馬はその後に陽性へと進行するのか、治療が必要なのか、IDが繁殖性にどう影響するのか等については本調査ではアプローチできておらず、今後の課題として残っています。それでも従来「PPIDは受胎性に影響する」と漠然と言われていたことに対して、日高地区の獣医師および生産者が協力して取り組んだことで具体的な数字を示すことができました。本調査研究にご協力いただきました多くの獣医師、生産者の皆さまに深謝いたします。

 

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図1 不受胎馬(10-20歳)におけるPPID区分

 

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図2 年齢ごとのPPID区分内訳

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図3 スクリーニング調査時のPPID区分における翌春のシーズン受胎率

 

日高育成牧場 生産育成研究室長  村瀬晴崇

PPID調査その1

馬事通信「強い馬づくり最前線」第303号

 徐々に日差しが暖かくなり、雪が解けて地面が見えてまいりました。生産牧場では新生子馬の管理に加えて交配管理も始まり、いよいよ繁殖シーズン真っ只中となってきたのではないでしょうか。交配に関して、周知のとおり牝馬の加齢に伴って受胎率は低下しますが、それでも高齢馬を受胎させたいというのがサラブレッド生産特有の悩みと言えます。高齢馬が受胎しづらくなる原因は卵細胞の品質低下、卵胞発育不全、子宮環境の悪化、外陰部の構造不整などいろいろ知られていますが、本稿では内分泌疾患のPPIDについて概説いたします。

 

PPIDとは

 PPIDはPituitary Pars Intermedia Dysfunctionの略で、「下垂体中葉機能不全」と訳します。脳でホルモン分泌の上位を司る下垂体という組織のうち、中葉という部分が肥大し、機能不全をきたすことで、全身に様々な症状を示します。以前は「クッシング病」と呼ばれていましたが、ヒトやイヌのクッシング病とは病態が異なることが明らかとなり、近年病名がPPIDに変わりました。このPPIDは「インスリン調節異常ID」、「馬メタボリックシンドロームEMS」などとともに代謝疾患というカテゴリに分類される疾患です。

 PPIDの症状として被毛(長毛、巻き毛)、削痩(背腰の筋肉がおちる)、局所的な脂肪沈着(首の付け根)といった外貌上の変化がよく知られています。その他に多飲多尿、発汗、免疫低下、行動異常(大人しくなる)、繁殖性低下など様々な症状を示します。繁殖性に影響を及ぼす機序は未だ解明されていませんが、考えられる仮説として1)下垂体が分泌する生殖ホルモンの異常により直接的に子宮卵巣機能に影響を及ぼす、2)代謝ホルモンの異常により体調・体質が悪くなり間接的に繁殖性に影響する、3)免疫力が低下することで子宮内感染が起きやすくなる等が考えられます。

 

PPIDの何が問題なのか

 PPIDは加齢に伴って有病率が高まることが知られており、高齢馬(15歳以上)の有病率は21-27%にもなりますので(McGowan2013, Christiansen2009)、病気ではなく「加齢性変化」と言うことができるかもしれません。病気か否かはさておき、PPIDは蹄葉炎のリスクファクターでもあるため、近年注目されています。また、繁殖領域においては繁殖性低下という点において注目されており、世界的に不受胎馬に対して検査、治療が行われるようになりました。

 

PPIDの検査方法と治療方法

 馬内分泌学グループ(Equine Endocrinology Group)という団体がPPIDをはじめとする代謝疾患の診断基準や治療プロトコルを提唱しています。PPIDの診断チャートは非常に複雑ですが(図1)、検査方法はACTH濃度測定とTRH刺激試験の2つのみです。慣例的に、まずは手軽なACTH濃度を測定します。ACTH検査で最も注意すべきことは、季節による影響を理解することです。特に下垂体中葉の機能は秋に亢進し、診断精度が高くなるため、この時期の検査が推奨されます(表1)。繁殖シーズンに不受胎であった牝馬に対して秋にACTH測定を行い、陽性と診断された馬についてはそこから春に向けて投薬を開始するのが良いでしょう。

 PPIDの治療にはドパミン作動性神経拮抗薬であるペルゴリド錠が用いられます。PPIDは下垂体中葉のドパミン作動性神経が障害される疾患であるため、このドパミン受容体に結合するペルゴリドの投与により神経伝達機能が回復します。このペルゴリドは副作用として泌乳ホルモンであるプロラクチンの分泌を抑制するため、妊娠馬に対しては分娩予定日1か月前から投薬を控えることが推奨されているのでご注意ください。また、障害された神経細胞が再生するわけではないので、投薬を継続する必要があります。

 

さいごに

 本稿ではPPIDの概要について解説いたしました。それでは、どれほどの繁殖牝馬がPPIDに罹患しているのか、受胎率にどれほど影響があるのか。これらの点について、2019-22年に「生産地疾病等調査研究」において取組みましたので、次号ではその成果を報告いたします。

 

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図1 PPID診断チャート

 

表1 月ごとのPPID診断基準値(pg/mL) 

  否定的 判別不可 可能性高い
12月―6月 <15 15-40 >40
7月&11月 <15 15-50 >50
8月 <20 20-75 >75
9月―10月 <30 30-90 >90

日高育成牧場 生産育成研究室長  村瀬晴崇

2023年3月 7日 (火)

分娩シーズンに向けた準備

馬事通信「強い馬づくり最前線」第302号

 生産地では新年を迎えた1月から少しずつ子馬が誕生したという嬉しい知らせが聞かれるようになり、2月に入ってからは本格的に分娩シーズンを迎えています。分娩の準備を用意周到に行ったはずが、いざシーズン最初の分娩が始まると、忘れていたことに気づき、冷や汗をかいたという経験をされたことがある方もいらっしゃると思います。そこで今回は、分娩前に準備すべきものについて簡単に解説するとともに、それらの詳細について記載している日高育成牧場のインターネットサイトのQRコードを紹介します。

 

準備するもの

 一般的にスムーズな分娩であれば破水後20~30分で子馬が生まれます。このため、分娩予定日が近づいたら、あるいは分娩の兆候が確認された際に、あらかじめ分娩に必要な器材を用意してカゴなどにまとめておくことが推奨されます。特にシーズン最初の分娩は、経験豊富な方にとっても約1年ぶりの分娩となることから、備忘録的にリストを作成しておくことによって、うっかり忘れてしまうということを防止できます(表1)。

               

1 表1:分娩準備器材チェックリストの例

1_2 写真1:必要な器材をカゴなどにまとめておく

 

分娩記録シート

 分娩状況の記録は分娩の進行度合いと経過時間を把握できるため、難産時の獣医師への往診依頼や二次診療施設への輸送など、迅速な判断が必要とされる場面での必要不可欠な情報となります。記録シートには、段階的に進む各分娩ステージの時刻(陣痛症状の発現・破水・娩出・子馬の起立・哺乳・胎便)の他、母馬および子馬の健康状態や処置を施した内容を記録しておくことが推奨されます。繁殖牝馬ごとにファイリングすることによって、翌年以降の出産時の対処方法の参考資料として活用できます。なお、記録シートはパソコンのエクセルなどで簡単に作成できます(表2)。シート下部の子馬のAPGARスコアの評価方法については、過去に掲載したJRA育成馬日誌にて詳しく解説していますのでご参考ください(QR1)。

 2 表2:分娩記録シートの例 

Qr1QR1:APGARスコア解説

 

繁殖牝馬に使用する器材

 破水を確認したら、尾を巻く包帯(伸縮性のあるものが良い)を使用して速やかに尾をまとめ上げることによって、その後の子馬の胎位の確認や分娩介助を衛生的に実施することが可能になります(写真2)。子馬の娩出後に少しずつ出てくる後産(あとざん)は、そのままの状態では後肢で引きずって踏みつけ、引きちぎれてしまう恐れがあります。後産はすでに役割を終えた臓器ですので、汚れて損傷しても問題無さそうに思われがちですが、無理に引っ張られると離断して一部が子宮内に残存し、感染源となってしまいます。そのため、排出されている後産を紐で束ねて自然落下を促す必要があります(写真3)。外陰部から露出する後産が短かったり、ちぎれてしまった場合にはペットボトルを数本結びつけることを推奨いたします。

  

2_2 写真2:破水したら尾を巻く

3写真3:後産を紐で束ねる

4 写真4:レッドバッグ

 

新生子馬のための準備

 糖度計によって計測可能なBrix値は、分娩前には分娩時期の予測(QR2)に、さらに分娩後には初乳に含まれる抗体の量を推定できることから、移行免疫不全症のリスクを推定する検査としても利用可能ですので是非とも準備しておきたいツールのひとつです。また、万が一、分娩後に良質の初乳を飲ませることができない場合に必要となるのが凍結保存しておいた初乳です。分娩シーズン初期には前年度に凍結保存していた初乳を、ある程度シーズンが進んでからは、同年に分娩した繁殖牝馬のうちBrix値が20%以上であり、初産ではなく、泌乳量が多い馬の初乳を採取して凍結保存しておきことが推奨されます。これを生後24時間(腸管からの抗体吸収能を考慮すると理想的には生後12時間)以内に対象となる子馬に投与します。保存方法や投与量についてはQR3にて詳しく解説していますのでご参照ください。

 排出された胎盤(後産)は子馬の状態を推測する材料になるので、計量することが推奨されます。これは、分娩の際に臍帯を通じて子馬の体内に流入するはずであった血液が胎盤内に残っていないか、胎盤炎や循環障害による浮腫が起こっていなかったか等を確認するためです。もし、胎盤重量が子馬の体重の10~11%(4.8~5.5㎏との記載もある)よりも著しく重い場合には何らかの異常が考えられるため、より注意深く子馬を観察する必要があります。他にも子馬が低酸素状態に陥る原因にレッドバッグ(早期胎盤剥離)という状態があります(QR4)。正常な分娩であれば、胎盤は臍帯が子馬の臍から自然に離断するまで酸素を供給し続けますが、これが破水に先立って子宮の内側から剝がれてしまうため子馬が低酸素状態になってしまいます。このレッドバッグは、馬の流産原因の5~10%と言われており、写真4のような赤いベルベットのような表面の袋(レッドバッグ)が膣から排出されるので、これを確認したら速やかにこの赤い膜を破って迅速に娩出させ、必要に応じて酸素ボンベを使用して新生子に酸素吸入を行いましょう。

 また、新生子馬に散見される胎便停滞には浣腸液を使用します。胎便は胎子期に、嚥下された羊水、脱落した腸管細胞や粘液の塊で構成されており、通常は生後数時間以内に排出されはじめますが、通常の便とは異なり、粘ちょう度が高く硬いことが通過障害を誘発しやすい理由です。したがって、子馬が立ち上がって初乳を飲んだ後に、胎便が排出されるまで観察することが推奨されます。

Qr2 QR2:分娩予測について

Qr3 QR3:初乳についてQr4QR4:レッドバッグについて

 

分娩馬房の準備

 分娩前後に使用する器材以外に、環境面の準備も必要です。分娩予定日の4~6週間前には、妊娠馬を分娩厩舎に移動させることが推奨されます。その理由は、その場所に常在する細菌やウィルスに対する抗体を初乳中に産生させ、初乳を介してその抗体を子馬に獲得させるためです。同様に、妊娠7~9か月齢の妊娠馬に対して、馬インフルエンザ、破傷風およびロタウイルスワクチンを接種することによって、抗体を産生させる方法も推奨されます(QR3)。

 

おわりに

 今回の内容が少しでも分娩対応の準備の一助となれれば幸いです。この記事が掲載される時には、日高育成牧場のホームブレッドの出産もスタートしていると思いますが、皆様と一緒に今シーズンを無事に乗り切れるよう祈っております。

 

日高育成牧場 主任研究役 琴寄泰光

2023年1月 6日 (金)

良質な初乳を給与するためのポイント

 12月となり、そろそろ来年の分娩の準備に取り掛かる時期になっていることと思います。出生後の子馬に対して、生産者のみなさんがもっとも心配していらっしゃることの一つは、良質な初乳を給与できるかどうかということかと思います。初乳は出生直後の子馬が得られる唯一の抗体供給源であり、上手く獲得できなかった場合には感染症にかかるリスクが非常に高くなります。そのため、如何にして良質な初乳を得ることができるかが、子馬の健康な発育には不可欠と言えます。今回は、良質な初乳を給与するためのポイントについて、ご紹介していきたいと思います。

 

分娩前の妊娠馬への対応

 良質な初乳を得るための作業は、分娩前の妊娠後期から始まっています。その一つが妊娠馬に対するワクチン接種になります。多くの生産者の方は、インフルエンザや破傷風といったサラブレッドに基本的に接種しているワクチンに加え、妊娠馬に対しては流産予防を目的とした馬鼻肺炎ワクチンを接種していることかと思います。馬鼻肺炎ワクチンは、流産の発生する妊娠後期に最も効果を高めるため、妊娠7~9か月齢の間に接種することが推奨されています。JRA日高育成牧場では、上記の期間に生ワクチンを2回接種しています。このワクチン接種は流産予防が第一の目的ですが、ここで作られた抗体が初乳から子馬に移行することで、子馬が馬鼻肺炎に感染することを防ぐことにも役立っています。さらに良質な初乳を作るためには、初乳への抗体が作られる分娩1か月前までに馬インフルエンザ、破傷風およびロタウイルスなどのワクチンを接種することが望まれます。特に、出生後の子馬に重篤な下痢を発生させるロタウイルス感染症を予防するためには、母馬にロタウイルスワクチンを接種しておくことが非常に重要となります。JRA日高育成牧場では、ロタウイルスワクチンの1本目(基礎)を分娩2か月前に、その2本目(補強)および馬インフルエンザワクチンと破傷風ワクチンを分娩1か月前に接種しています。

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図1 妊娠馬に接種するワクチンの種類と推奨される接種時期

 また、妊娠馬は遅くとも分娩1か月前までに分娩を行う厩舎に移動することが推奨されています。これは、分娩を行う厩舎の環境に慣らすことで、落ち着いた状態で分娩させることのみならず、分娩厩舎の環境中に存在する細菌やウイルスに接触させることで、それらに対する抗体を作らせることも目的にしています。その結果、生まれた子馬は環境中の細菌やウイルスに対する抗体を含んだ初乳を飲むことになり、病気にかかりにくくなると考えられます。この考え方に基づくと、分娩前には分娩を行う馬房だけでなく、出生後の子馬を放すパドックや放牧地などにも母馬を放しておくことが重要となります。JRA日高育成牧場では、分娩1か月前になった段階で、インドアパドックや小さい放牧地に妊娠馬を最低1日以上放すことを行っています。

 

初乳の品質と繁殖牝馬の状態との関係

 繁殖牝馬が無事に分娩を終えた直後には、初乳の品質を調べることが推奨されています。糖度計を用いて初乳の糖度(Brix値)を測定し、この値によって初乳の品質を判断することになります。これは、Brix値が初乳に含まれる抗体量(IgG量)に比例することが知られているからであり、表1のようにBrix値で初乳の品質を判断することができます。JRA日高育成牧場で過去5年間に発生した分娩時の初乳Brix値を調べたところ、すべての初乳の品質が「Very good」 (36%)または「Good」(64%)という結果でした。この結果から、JRA日高育成牧場では十分な品質の初乳を得られる飼養管理ができていることが示唆されます。Brix値が低くなる要因として、分娩前に乳房から乳汁が漏れ出る“漏乳”が知られています。そこで、「Very good」と「Good」の品質の初乳において、それぞれ漏乳が起きていた割合を調べたところ、「Very good」では6.7%であったのに対し、「Good」では22.2%と高い結果となっていました(図2)。漏乳が発生した妊娠馬に対しては、初乳のBrix値が低くなっている可能性を踏まえた対策を考えておく必要がありそうです。

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表1 Brix値による初乳の品質の評価

 

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図2 初乳の品質ごとの漏乳の発生割合

 また、良質な初乳を得るためには、栄養面でも適切な飼養管理を行うことが重要であると考えられます。繁殖牝馬の栄養状態の判断は、馬体への脂肪の付き具合を数値化したボディコンディションスコア(BCS)を用いて評価する方法が推奨されています。一般的には、BCSが高く(栄養状態が高く)なるにつれて、初乳Brix値も高くなると考えられがちですが、日高育成牧場において分娩前3か月間の平均BCSと初乳Brix値との関係について調べた調査結果(図3)では、BCSが高くなるにつれて、初乳Brix値が低くなる傾向、つまり、弱い負の相関が認めらました(相関係数-0.29)。この結果からは、太りすぎの馬の初乳Brix値が低くなる可能性が示唆されましたが、これはBCSの高い馬は乳量が多いことから、IgG(抗体)濃度が希釈されたためであり、総IgG(抗体)濃度が低いということではないと推測されます。この結果からは、少なくとも標準的な脂肪の付き具合であるBCSが5以上あれば、十分な品質の初乳が得られるものと考えられます。一方、分娩後の母馬の管理等を考慮すると、分娩前にはBCSが6となるように管理することが推奨されます。

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図3 分娩前3か月平均BCSと初乳Brix値の関係

 良質な初乳が得られたとしても、子馬に抗体が移行していなければ意味がありません。子馬が十分量の抗体を摂取できているかを調べるために、生後11~14時間の子馬に対して採血を行い、血中IgG量を測定することが推奨されています。子馬の血中IgG濃度と初乳Brix値の関係を調べた結果が図4となります。初乳Brix値が高くなるほど、子馬の血中IgG濃度も高くなる正の相関関係が認められました(相関係数0.46)。この結果から、やはり初乳Brix値が低い場合には、子馬が十分量の抗体を獲得できていない可能性が高くなると言えそうです。

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図4 子馬血中IgG濃度と初乳Brix値の関係

良質な初乳が得られない時には?

これまでお話してきたように、適切な飼養管理を行ってきたとしても、良質な初乳が得られない状況がどうしても発生してしまいます。そのような状況への対策として、凍結された良質な保存初乳を準備しておくことが挙げられます。一般的に、Brix値が20%以上であり、初産ではなく、乳量の多い(乳房の大きい)繁殖牝馬から、300ml程度の初乳を採取して冷凍保存(-20℃で2年程度)しておくことが推奨されています。JRA日高育成牧場でも、過去に得た保存初乳をストックしており、母馬の初乳のBrix値が低い場合や子馬の血中IgG濃度が低い場合に、積極的に活用しています。保存初乳の投与には注意点があり、生後24時間以内に投与しなければなりません。これは、子馬の腸管が生後24時間経過すると構造が変化し、初乳に含まれる抗体を吸収できなくなるためです。このように、保存初乳は生後直後に必要となることから、一定数をストックしておくことがとても重要だと考えられます。

 また、残念ながら保存初乳がない場合や生後24時間以上経過している場合には、血漿輸血を行うという方法もあります。これは母馬やユニバーサルドナー(供血馬)から採血を行い、その中の血漿成分(抗体が含まれる部分)を子馬に輸血することで、子馬に十分な抗体を移行させる方法になります。特に、ユニバーサルドナーは輸血後の拒絶反応のリスクが低い馬であり、母馬よりも安全に輸血を行うことができます。JRA日高育成牧場にはユニバーサルドナーが繋養されておりますので、牧場の担当獣医師の方の判断で血漿輸血が必要な場合にはご相談ください。

JRA日高育成牧場 専門役(生産担当) 岩本洋平

2022年12月14日 (水)

安全な分娩のための分娩予測

 温度計が氷点下を指し示す時期となり屋外での活動が厳しくなってきましたが、競走馬の生産牧場においては年明けから始まる分娩シーズンに向けての準備が着々と進んでいる時期でもあります。サラブレッドの分娩は、春の交配によって妊娠した繁殖牝馬に対する緻密な飼養管理を約11か月間も継続してようやく迎える競走馬生産の集大成であり、生まれてくる子馬が高額商品であることも相まって、逆子や生後直後のトラブルを予防し、より安全な分娩を実現するために多くの牧場で分娩介助が行われています。

 馬の正常な妊娠期間は、一般的に平均して妊娠335日程度と言われていますが、極めて少ない例外的なものも含めると妊娠300~400日程度まで大きく前後する場合があるとされており、交配日から算出した分娩予定日通りに生まれるとは限りません。そのため、生産地では分娩シーズンになると分娩予定日の近い馬を夜間に監視して、いざ分娩が始まったら迅速に介助できるよう備えなければならず、分娩監視にかかる労力とストレスは多大なものとなっています。そこで、本号では分娩監視の負担を軽減する分娩予測方法について、過去に紹介した内容に最新情報をアップデートする形で紹介します。

 

〇古くから行われてきた分娩予測方法

 牧場では繁殖牝馬ごとの過去の分娩前兆候の履歴を参考としながら、分娩予定日の2週間前から注意深く観察し、分娩時期を推定するのが一般的です。主な分娩前兆候には、①乳房の成熟(腫脹)(図1)、②漏乳(分娩に先立っての泌乳)(図2)、③臀部の平坦化、④外陰門部の弛緩(図3)、⑤体温の低下(通常は朝よりも夕方の体温の方が高い)などがありますが、誤差や個体差が大きいため、あくまでも目安にしかならないという予測方法です。

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図1:分娩3週間前(左)と分娩当日(右)の乳房

 

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図2:漏乳による乳汁が付着した後肢

 

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図3:分娩1ヶ月前(左)と分娩当日(右)の外陰部

 

〇科学的な分娩予測方法

 獣医師によって行われる分娩時期を推定する検査には、血清中プロジェステロン濃度の測定、乳汁カルシウム濃度の測定、子宮頸管の軟化の確認などがあります。計測機器や専門知識が必要なこれらの検査のうち、客観的かつ比較的信頼度が高い方法が乳汁カルシウム濃度の測定です。海外では一般的に普及しており、誰でも使える簡易キットが市販されていますが、残念ながらこの簡易キットは日本で販売されていません。

 しかしながら、乳汁カルシウム濃度の測定と同程度の精度を有し、特別な機器が不要で獣医師でなくとも実施可能な方法として、乳汁pH(図4)や乳汁Brix値(図5)による分娩予測方法があります。これらは市販のpH試験紙(6.2~7.6の範囲の測定が可能なpH-BTB試験紙)による乳汁のpH、および糖度計による乳汁のBrix値を指標とする方法です。日高育成牧場におけるデータでは、乳汁pHは分娩前10日以前には7.6以上を示しますが、分娩が近づくにつれ低下し始め、6.4に達してからは24~36時間で分娩する確率が約85%となりました。また、pHが6.4に達していなければ、24時間以内に分娩しない確率が約90%となりました。同様に、乳汁Brix値は分娩前10日以前には10%以下を示しますが、分娩が近づくにつれ上昇し始め、20%に達してからは36~48時間で出産する確率が約80%となりました。特筆すべきは、両測定法とも約30秒で測定が可能であり、経費も非常に安価であるため、牧場での応用に向いていると言えます。一方、当然個体差もあり、特に初産の場合、精度が低くなる傾向がありますので注意が必要です。また、個体ごとに急速にpHが低下するケースやpHが6.4に達してからも分娩までに日数を要するケース、pHが6.4に達することなく分娩を迎えるケースなど、毎年類似した傾向を示すことが多いので、データを毎年記録することが個体ごとの分娩予測精度の向上に役立つと考えています。

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図4:試験紙を用いた乳汁のpH検査                

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図5:糖度計によるBrix値測定

 

〇分娩予測方法の最新情報

 ここからは、技術や経験を必要としない海外で実用化されている分娩自動監視警報装置について紹介します。この方法は、①監視カメラで撮影された馬房内での繁殖牝馬の様子、②下顎部に装着したスマホ端末や姿勢感知装置からのデータならびに③体表温センサーからのデータを基に人工知能(AI)が分娩兆候を判断し、所有者のスマートフォンに専用アプリを介して警報を発するというものです(図6)。残念ながらこれらのシステムの説明には的中率が明示されておらず、また日本国内での使用の可否も不明ですが、海外では馬産業向けにこのようなシステムの開発が盛んに行われているようです。国内でもAIを応用した同様の分娩予測システムの実用化に向けた研究が進められていますので、より客観的な分娩予測方法として期待が高まります。なお、日高育成牧場では、現在も繁殖牝馬の分娩直前の行動パターン、発汗量などの指標により分娩予知の精度向上を目指した研究を進めているところです。

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図6:最新の分娩予測システム

 

 今回は分娩予測方法について、新旧交えていくつか紹介しましたが、いずれの方法でも測定値の変動傾向に個体差が有り、的中率が100%のものは存在しません。したがって、安全な分娩を実践するためには、繁殖牝馬毎の記録や身体的な分娩兆候の変化を参考にしつつ、複数の分娩予測を組み合わせて総合的に分娩に備えるのが最善だと考えられます。今後も、当場からの新たな研究成果の発信にご期待いただけましたら幸いです。

 

日高育成牧場 主任研究役 琴寄泰光

 

2022年12月 6日 (火)

強い馬づくりのための生産育成技術講座資料 ②繁殖牝馬におけるPPID(下垂体中葉機能障害)(いわゆるクッシング病)

こちらよりダウンロードしてください

繁殖牝馬におけるPPID.pdfをダウンロード

2022年4月29日 (金)

輸入した繫殖牝馬の管理

 JRAでは、2009年生まれの産駒から自家生産馬をJRAホームブレッドと名付け、生産から一貫した研究業務を行っています。今まで母馬として用いてきたのは基本的にブリーズアップセールを疾患により欠場した未出走の牝馬ばかりでしたが、このたび競走実績のある馬を導入するため、海外から繁殖牝馬を購買することとしました。具体的には、2018年および2019年に米国キーンランド協会のノベンバーセールにて各年2頭、計4頭の繁殖牝馬を購買し、輸入しました。今回は、輸入した繁殖牝馬に対し当時行った管理についてご紹介したいと思います。

・着地検査

 農林水産省動物検疫所(動検)で実施される輸入検疫が終了し、解放された後、各都道府県が主導で行う検査のことです。牧場到着時から3ヵ月、牧場内に元からいる馬とは隔離しなくてはなりません。JRA日高育成牧場では、飼付厩舎と呼んでいる主に7月のセリで購買した1歳馬を昼夜放牧している際に使用している厩舎を用いて着地検査を行いました(図1)。

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図1. 着地検査を行った場所

 牧場到着時には家畜防疫員に指定されている獣医師の検査を受けます。検査の内容は、臨床検査(検温や聴診など)、馬インフルエンザの簡易検査、採血です。馬インフルエンザ検査は鼻腔スワブを採材しクイックチェイサーという簡易キットを用いますが、15℃未満の低温環境で使用するとA型陽性の線が出ることがわかっており、冬の北海道では屋外で検査しないなどの注意が必要です(図2)。採血は10mlのプレーン管1本を採取し、家畜保健衛生所(家保)で馬伝染性貧血、馬パラチフス、馬ウイルス性動脈炎、馬鼻肺炎の検査が行われます。この血液と、動検から送付されてくる輸入検疫証明書、そして家畜防疫員が記載した輸入馬着地検査名簿を家保に提出します。到着1ヶ月後にも同様の検査が必要ですが、馬インフルエンザの簡易検査および輸入検疫証明書の提出は不要になります。また、これとは別に繁殖牝馬の場合は種付けを行う前に伝染性子宮炎の検査が必要です。陰核スワブを競走馬理化学研究所に送り、検査してもらいます。到着1ヶ月後の検査の結果が全て陰性であれば、着地検査中でも種付けは可能です。

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図2 15℃未満の低温環境ではA型陽性の線(矢印)が出るので注意

・発情誘起と繁殖成績(1年目)

 2018年のノベンバーセールでは、アーツィハーツ号(父Candy Ride、2015年生まれ、1勝2着4回3着1回)およびブレシッドサイレンス号(父Siyouni、2013年生まれ、3勝2着3回3着2回)の2頭を購買しました。この2頭は動検成田支所で輸入検疫を受けた後、12月26日に当場に到着し、直ちにライトコントロールを開始しました(図3)。アーツィハーツ号については、翌年3月27日にシーズン初回排卵が観察され、4月12日に種付けし、受胎が確認されました。しかしながら、ブレシッドサイレンス号は、3月13日にシーズン初回排卵が確認できたにもかかわらず、3月30日、4月14日、5月1日の3回種付けしたものの、不受胎に終わりました。この時は、プロスタグランジン(PG)製剤を使用しなかったにもかかわらず、通常3週間の発情周期が2週間になるなど不安定な性周期となる現象が見られました。これは、一般的にシーズン初期の「春季繁殖移行期」に認められる現象であり、ホルモンの分泌異常が関連していると思われました。

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図3 牧場到着後直ちにライトコントロールを開始

・発情誘起と繁殖成績(2年目)

 2019年のノベンバーセールでは、ラキュストル号(父Dansili、2015年生まれ、1勝2着2回3着2回)およびミスミズ号(父Mizzen Mast、2016年生まれ、3勝2着1回3着1回)の2頭を購買しました。この2頭は動検胆振分室で輸入検疫を受けたのですが、動検と事前調整し許可を得た上で輸入検疫中の12月6日からライトマスク(EquilumeTM)を着用し(図4)、ライトコントロールを開始させてもらいました。このマスクは右目のブリンカーにブルーライトが付いている構造で、1日7時間点灯するように設定することができます。我々は16時から23時まで点灯するように設定し使用しました。その結果、ラキュストル号は2月19日にシーズン初回排卵が観察され、3月25日に種付けを行い受胎。ミスミズ号は3月11日に排卵が観察され、3月24日に種付けし受胎が確認されました。

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図4 ライトマスクを着用した馬

・最後に

 早期にライトコントロールを開始したことが繁殖成績を向上させた一因になったと考えられました。当場では以前1月に入厩した繁殖牝馬で3月下旬になっても発情が認められず、ブセレリンという排卵誘発剤を少量ずつ筋肉内投与する方法で発情誘起を行ったこともありました。2020年5月発行の馬事通信886号(強い馬づくり最前線238回)に詳細を記載しておりますので、興味のある方はご一読いただけましたら幸いです。

 今回の記事が、皆さんの愛馬の管理に少しでも参考になりましたら幸いです。

JRA日高育成牧場 専門役 遠藤祥郎

馬鼻肺炎とその予防について

 3月に入り、生産地では繁殖シーズン真っ只中となりました。たくさんの可愛い子馬が生まれ明るい話題の多い季節ですが、流産など周産期のトラブルに気を付けなければならない季節でもあります。流産の原因はさまざまですが、その中でも特に注意しなければならない伝染性の流産の原因として馬鼻肺炎があります。生産地の馬関係者にはよく知られている疾病ですが、本稿ではあらためてその概要と予防方法について確認したいと思います。

馬鼻肺炎はウイルスが原因

 馬鼻肺炎の原因となるウマヘルペスウイルスには、1型と4型の2種類があります。1型ウイルスによる症状は、主に冬季に起きる発熱や鼻水などの呼吸器症状、流産、まれに後躯麻痺などの神経症状があります。4型では主に育成馬などの若馬で、季節に関係なく呼吸器症状を呈します。流産の原因となるのはほとんどが1型ウイルスで、特に妊娠9か月以降に起こるため、経済的な損失が非常に大きくなってしまいます。

 ウイルスは感染馬の鼻汁や流産した場合の胎子に多く含まれ、ウイルスを含んだ飛沫を直接吸引したり、感染源を触った人や器具を介して伝播します。また、このウイルスのやっかいなところは、一度かかった馬の体内からは生涯ウイルスが排除されることがないことです。症状が治まっても潜伏感染をした状態となり、ストレスによって免疫が落ちると体内のウイルスが再活性化しウイルスを排出し始めるため、周りの馬への感染源となる可能性があります。

予防について

 予防には特に以下の3点を重点的に行います。

  1. ワクチンの接種

 ワクチンを接種することで馬鼻肺炎に対する免疫を増強することができます。以前は不活化ワクチンが使用されていましたが、現在では生ワクチンが用いられています。ワクチンを接種しても完全には感染を防ぐことはできませんが、集団内の接種率を高くすることによって、感染拡大を抑えることができます。

  1. 飼養衛生管理の徹底

 流産のリスクを低くするためには、妊娠馬群を他の馬群と離して飼うことが重要です。特に若い育成馬などでは、免疫が弱いため感染すると大量にウイルスが増殖して排出します。このような若馬と妊娠馬を近い環境で飼うことは、感染リスクを高めてしまいます。また、ウイルスが付着した人の手や衣服、道具などを介してウイルスが伝播するので、妊娠馬厩舎に行く前に消毒をしたり、衣服を着替えるなどの対策を徹底することが必要です。なお、消毒槽などに使用する消毒薬は、北海道の厳冬期の気温では効果が薄れてしまうため、室内に設置したり微温湯やヒーターを使うなど温度が下がらない工夫をしましょう。

  1. ストレスをかけない管理

 一度馬鼻肺炎にかかったことがある馬は、馬群や放牧地の変更や輸送などのストレスがかかると体内にいるウイルスが活性化して再びウイルスを排出する可能性があります。特に妊娠後期にはこのようなストレスがかからない管理を心がけましょう。

それでも発生してしまった時は

 流産が発生してしまった場合には速やかに所管の家畜保健衛生所に連絡し指示を仰ぎましょう。流産胎子からウイルスが拡散しないようにビニール袋などに入れたり、周囲や馬房を消毒するなど、まん延防止が何より大切です。また、流産した母馬はウイルスを排出するため、直ちに他の妊娠馬から隔離する必要があります。

 生産地では古くから怖れられてきた馬鼻肺炎による流産。正しく認識し、正しく対策をすることで、未来ある馬たちが元気に誕生できるような春にしたいものです。

日高育成牧場 業務課 竹部直矢

pastedGraphic.png写真1:予防のため生ワクチンを接種し、馬群全体の免疫を高めます。

pastedGraphic_1.png写真2:消毒槽にヒーターを設置するなど温度が下がらないようにしましょう。

2021年8月31日 (火)

母乳中の栄養成分について

はじめに

 生後まもない子馬にとって母乳は唯一の餌であり、そこに含まれる栄養が健康な成長にとって不可欠であることは言うまでもありません。母乳が子供にとって重要な栄養源であることは全ての哺乳動物において共通ですが、動物種により母乳に含まれる栄養成分は少し異なります。今回は、馬の母乳中の栄養についてお話しします。

 

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馬の母乳中の炭水化物・脂質・タンパク質

 馬の乳中の炭水化物、脂質およびタンパク質含量について、牛およびヒトの乳と比較します(表1)。乳中に含まれる炭水化物のほとんどは乳糖ですが、馬の母乳中の乳糖含量は5~6%であり、牛より多くヒトより少なく、一方で、脂質含量は2~3%であり、牛やヒトに比べて低いことが知られています。馬の母乳中のタンパク質含量は、1.7~2.2%であり、ヒトより多く牛より少なくなっています。母乳中のタンパク質含量は、生まれてからの成長速度が早い哺乳動物ほど多いことが知られています(図1)。タンパク質はエネルギーの基質であると同時に、筋肉や骨などの基となる物質ですから、成長が早いほどタンパク質の需要が高まることからこの関係は当然であるといえます。馬の成長速度は早い印象がありますが、実際は他の哺乳動物に比べると早くはありません。肉食動物に捕食されやすい動物ほど早く成長するよう進化してきた一方で、出生時すでに体が大きく、速く走ることのできる馬や、危険から逃げる知恵のあるヒトは、進化の過程において早い成長は必要なかったのかもしれません。

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 海外の指導書等において、馬が母乳を飲めなくなったときに、通常の牛乳でなく市販の低脂肪乳にグラニュー糖などを加えて給与することで牛乳を代用乳として利用することは可能であるように記載されていることがあります。しかし、牛乳と馬の母乳ではタンパク質含量が異なると同時に、タンパク質の種類にも違いがみられます。乳中のタンパク質は、ホエー(乳清)タンパク(以下 ホエー)とカゼインタンパク(以下 カゼイン)の2種類に分けることができ、乳からチーズがつくられる過程において、チーズの原料である沈殿物に含まれるタンパク質がカゼインで、上澄み液に含まれるのがホエーです。ホエーは、カゼインに比べ消化吸収されやすいのですが、牛乳中のホエーはタンパク質全体の20%以下であるのに対して、馬の乳中のホエーはタンパク質の約40%を占めます。すなわち、子馬は、牛乳に比べ母乳のタンパク質を速やかに消化吸収できることになります。このことから、牛乳の糖や脂質の含量を馬の乳と同様に調整しても、牛乳を代用乳として子馬に給与することは好ましくないと考えられます。

 

初乳の栄養

 ヒトとは異なり馬は、胎子期に胎盤を介して免疫を獲得できないため、子馬は初乳から免疫グロブリン(IgG)などの抗体を獲得する必要があります。そのため、初乳は抗体を獲得するための媒体として注目されがちですが、栄養の供給源としても非常に重要です。子馬は胎子期に胎盤から供給された糖(グルコース)により、出生後もしばらくは血糖値を維持することができます。しかし、哺乳を未経験の子馬が、口をすぼめて空中で乳を吸う仕草をすることがありますが、この行動は血糖値の低下による空腹感に起因するものとされています。すなわち、子馬は出生後の早い時間より栄養を欲しており、初乳こそがその供給源となります。

 通常の母乳中の固形分含量は11-12%であるのに対し、初乳には25%以上の固形分が含まれます。また、初乳中にはタンパク質が約20%も含まれており、その量は分娩後1週間で5分の1以下に減少します。初乳の脂肪含量は約1.5~3%ですが、泌乳期の経過に伴い約1~2%に減少します。一方、初乳中の乳糖は約1.5~4%程度ですが、分娩後1週間で約6-7%に上昇します。 子馬が2~15日齢頃によくみられる下痢症状は、母馬の初回発情時期と重なることから俗に“発情下痢”と呼ばれることがありますが、実際は子馬の下痢と母馬の発情に因果関係はありません。かつては、発情下痢は母乳中の乳糖の増加によるものではないかと考えられていましたが、馬の乳糖分解酵素の活性は出生直後がピークであり、ヒトの乳糖不耐症のような乳糖の分解が不十分なことによる下痢ではないようです。近年では、食糞や口から乳以外の飼料や雑菌を取り込むことで腸内細菌層が変化したことにより下痢を発症するのではないかと考えられています。さらに、初乳中にはミネラルやビタミンについても、通常の母乳に比べ多く含まれることが知られています(表2)。このように、初乳に含まれる栄養の濃度が高いことにより、母乳を吸う力が弱い生まれたての子馬が、効率よく栄養を摂取できるようになっています。

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母乳の成分改善のための研究

 泌乳中や妊娠中の母馬への給与栄養により、母乳中の成分を改善する試みがいくつかの研究で行われています。母馬に濃厚飼料もしくは粗飼料を多給したときの乳中の脂肪酸を比較したとき、粗飼料多給の母馬の乳中リノレン酸濃度が高くなったことが報告されています。子馬では濃厚飼料の摂取により胃潰瘍が発症する可能性が指摘されていますが、ヒトではリノレン酸には胃粘膜を保護し胃潰瘍発症の予防効予防効果があることが知られています。そのため、研究者らは母馬への粗飼料の給与量を増やすことで、母乳中のリノレン酸含量を増加させることは、子馬の胃潰瘍予防に有効かもしれないと考察しています。

 母馬へのビタミンEの補給により乳中のビタミンE濃度が増加し、さらには母乳を介して子馬の血中ビタミンE濃度が上昇したことが報告されています。さらには、ビタミンEが細胞の抗体産生を刺激することで、乳中のIgGが増加したことが報告されています(図2)。

 

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おわりに

 母乳により子馬に適切に栄養が供給されることを期待するためには、まずは妊娠中から泌乳期間の母馬に適切な栄養の給与を心掛ける必要があります。そのためには、母馬のボディコンディションスコアをつけながら飼料の給与量を調整することが有効ではないかと考えています。

日高育成牧場 上席調査役 松井 朗