今回は、馬における発酵牧草の利用についての話題ですが、読者の皆様には“発酵牧草”より“サイレージ”のほうが馴染みあると思います。しかし、正確にはサイレージは発酵牧草のひとつに分類されます。
はじめに
国内で馬に給与される粗飼料は、放牧草を除き、ほとんどは乾草です。古来より乾草は、草が生えない時期や場所での貯蔵牧草としてつくられてきました。牧草の貯蔵中にカビや微生物が増殖すると腐敗、栄養低下および嗜好性低下の原因となりますが、乾草は水分が少ないことでこれらの有害物の増加や活動を防ぐことができます。しかし、世界中には天候不順や多湿により乾草づくりに不向きな地域があり、そのような地方では、乾草の代わりに発酵牧草がつくられるようになりました。発酵牧草では、牧草養分を発酵させる菌の活動に適当な水分が不可欠なため、乾草ほど天日乾燥させる必要がありません。発酵牧草では発酵により生成される有機酸の作用により、有害物の増殖を防ぎ、牧草の鮮度や栄養価を長期間維持することが可能となっています。
発酵牧草の区分(サイレージとヘイレージ)
発酵牧草は、サイレージ以外に、“ヘイレージ”と分類される区分があります。情報源によりその区分の基準は多少異なりますが、発酵牧草は水分含量が15%以上であり、さらに水分含量が50%以上のものがサイレージ、50%未満であればヘイレージと区分されます。水分含量が15%未満の牧草が、乾草ということになります。しかし、生産現場においてサイレージとヘイレージをつくり分ける理念がないことから、この区分にはあまり意味がないと考えています。生産現場ではフィルム包装されたロール牧草は、総じて“ラップ乾草”(写真)と呼ばれることが多いですが、正確には水分含量に応じて“ラップサイレージ”、“ラップヘイレージ”、“ラップ乾草”と呼び分けなければなりません。しかし、この区分も意味がないので、本文中では“ラップ牧草”で統一させていただきます。
写真 ラップ牧草
生産現場における発酵牧草(ラップ牧草)の利用
国内の生産現場において、給餌する粗飼料は乾草が主体ですが、一部の牧場では、ラップ牧草がつくられています。現在、ラップ牧草を利用している牧場数についての正確な情報はありませんが、一時に比べてその利用件数は少なくなった印象があります。また、利用している牧場でも、天候により十分に牧草を乾かせないため、非常手段としてラップ牧草をつくることがほとんどのようです。
日高地方では、その年の牧草収穫期における天候不順により、刈り倒しの遅れや、乾燥に日数を要することで、良質な乾草が収穫できないことがあります。良質な牧草を馬に供給するためには、時にはラップ牧草による収穫も視野にいれるべきですが、積極的には利用されていません。このように生産現場で発酵牧草が、普及しない理由には、馬用飼料としての有用性や健康に無害であるかの情報不足もあるのではないかと考えています。
いずし(北海度の郷土料理で野菜とともに魚を乳酸発酵させた食品)のような発酵食品は、かつては保存のためのものでしたが、冷蔵庫などが普及した現在でも需要があるのは、味覚の嗜好や健康面での期待があるためです。ヒトの発酵食品のように、発酵牧草は馬の飼料として保存性以外に何か利点があるのでしょうか?
発酵牧草と乾草の栄養および嗜好性の違い
発酵牧草と乾草に含まれる栄養には、何か違いがあるのでしょうか? 発酵牧草の水分含量が高いことは確かですが、タンパク質をはじめとする栄養成分には、ほとんど差はありません(表)。発酵牧草に含まれる易消化性炭水物(糖など)や植物繊維の一部は、微生物によって分解されていることでやや少なくなっていることや、その微生物の発酵によって乳酸などの有機酸が多くなっています。しかし、これらの発酵による成分変化は、腸内細菌によるものと比較して微量であり、最終的な栄養の取り込みでみると、発酵牧草と乾草の栄養価はほとんど同じであるといえます。
発酵牧草と乾草では栄養面の差はほとんどないようですが、その嗜好性が高いことは知られています。海外の研究で、乾草、ヘイレージ(高水分と低水分)およびサイレージに対する馬の嗜好行動が報告されています。草種や収穫期による嗜好性の差がないようそれぞれの試験牧草は、チモシーが主体の同一の採草地から収穫したものです。馬がそれぞれの牧草を同時に食べられるようにしたとき、サイレージは完食された回数が最も多くなりました(図 ①)。また、臭いをかぐ、もしくは、短時間採食した後、他の牧草を食べるために移動した回数は、サイレージが0回で、一度サイレージを食べ始めた馬は、満足して食べ続けることがわかります(図 ②)。さらに、サイレージから食べ始める回数が最も多く(図 ③)、その特有の香りに馬は誘われるのかもしれません。この試験の結果、サイレージの次に、水分含量が高いヘイレージ、水分含量が低いヘイレージの順に、馬の嗜好性が高いことが分かりました。このように発酵牧草の嗜好性が高くなる要因のひとつとして、水分含量の影響が考えられます。
ラップ牧草におけるカビの発生
ラップ牧草において、度々カビの発生が問題とされることがあります。ラップ牧草に限らず、あらゆる飼料においてカビが発生することが好ましくないのは当然ですが、特にカビが生産するカビ毒(マイコトキシン)は、その種類によって蕁麻疹、消化器障害および繁殖障害などの原因となることが知られています。
通常、発酵牧草では嫌気性菌により乳酸などの有機酸が生成されることによってpHが低下し、カビの生育が抑制されます。ラップ牧草はフィルムを巻いて空気を遮断しますが、ラップ内に空気が入ると嫌気性菌の活動が弱まり、pHが低下せず、カビが生育しやすくなります。また、酸素の存在によって好気性の微生物の活動が活発になり、栄養価の損耗や腐敗の原因となります。そのため、フィルムで厳重に包装し、ラップ牧草内に空気が入らないようすることが重要となります。また、嫌気性菌による発酵は水分が多いほうが活発であるため、包装する牧草の水分含量が高い方が、貯蔵中にカビが発生しにくくなります。しかし逆に、ラップ牧草を開包した後は、水分含量が高い方が、カビが発生しやすく腐敗しやすくなります。馬産では酪農などに比べて繋養頭数が少なく、開包後のラップ牧草の消費に時間がかかり、牧草を劣化させやすいこともラップ牧草が不評となる原因のひとつのようです。
おわりに
天候不順などによって良質な乾草が収穫できなかった場合、栄養価が保証された貯蔵牧草を収穫するには発酵牧草(ラップ牧草)は有用です。しかし、栄養価と衛生を維持するためには、ラップ牧草の収穫時に水分含量をはじめとし適切な調整が不可欠です。発酵牧草の調整が不適切な場合、乾草よりも嗜好性が劣る場合があるとされています。
現状において、馬のためのラップ牧草の調整方法については、まだまだ情報が不足していると考えています。残念ながら、日高育成牧場でもラップ牧草は収穫していませんが、機会があれば、大学等の研究機関や普及機関と協力し、ラップ牧草の適正な収穫・調整技術について情報収集し、皆様にお伝えできればと考えています。
日高育成牧場 松井 朗