さく癖と濃厚飼料摂取および消化器の障害との関係
馬事通信「強い馬づくり最前線」第321号
≪はじめに≫
馬の「ゆう癖」、「旋回癖」および「さく癖」などの習慣的な行動は、馬が健康で精神的に健常であれば発現しないであろうと考えられており、好ましくない悪癖として認識されています。これらの悪癖は異常行動であり、様々なストレスが原因となり発現すると考えられています。しかし、馬が何に対してストレスを感じているかを我々が察知することは困難であり、その原因を取り除くことは容易ではありません。一方で、飼養管理方法が原因となって、悪癖が発現する場合があり、その原因を正しく理解できれば、それを改善することにより悪癖の馬を減らすことができるかもしれません。
さく癖(グイッポ)は、馬が前歯を柵などの固定物に引っ掛けて頭頸部を屈曲させ、独特のうねり声を出しながら食道に空気を吸い込む悪癖です(写真)。さく癖の馬は、消化器官の障害を発症しやすいと言われてきました。しかし現在は、さく癖が胃潰瘍や疝痛の発症原因なのではなく、そのような疾病を発症しやすい飼養管理が、さく癖を発現する大きな要因になっていると考えられています。
写真 さく癖の馬:前歯を柵などの固定物に引っ掛けて頭頸部を屈曲させ、独特のうねり声を出しながら食道に空気を吸い込む
≪濃厚飼料の過剰摂取は胃潰瘍の原因≫
さく癖と胃潰瘍の関係の前に、濃厚飼料の摂取と胃潰瘍との関係について解説します。
海外の調査で、胃潰瘍を発症した馬は、濃厚飼料の摂取量が多い傾向にあることが報告されています。胃潰瘍は、胃の無腺部が胃酸を多く含むpHの低い胃内容液に長時間、曝されることにより発症します。一方、唾液は採食時の咀嚼により分泌が促進されますが、アルカリ性であるため胃内のpHを上昇させ、胃粘膜が酸によって浸食されることを予防する作用があります。馬が粗飼料のみを摂取している場合、採食時間が長くなるため、唾液が胃内に流入する時間帯が多くなります。一方で、家畜として飼養管理されている馬、特にサラブレッドには1日に数回、エネルギー濃度の高い濃厚飼料が給与されますが、必要なエネルギーを短時間で獲得できるので採食に要する時間も短くなります。その結果、胃内に唾液が流入する時間帯は限定されるため、胃内のpHは低下しやすく、胃潰瘍を発症するリスクは高くなります。また、唾液の分泌量は咀嚼回数に従い増加しますが、濃厚飼料を嚥下するまでの咀嚼回数は、同量の粗飼料を摂取した場合に比べて少ないため、唾液の分泌量も少なくなります。さらに、濃厚飼料を摂取したとき、胃酸の分泌を刺激するガストリンというホルモンの血中濃度が粗飼料を摂取したときに比べて上昇するため、胃酸の分泌量が増加するとされています。このように、濃厚飼料の摂取は、粗飼料のみを摂取する場合に比べて、胃内のpHが低くなる要素が多いことが分かります(図1)。さらに、濃厚飼料の摂取量が増加するにつれ、胃内のpHを下げる要素の影響が大きくなることから、胃潰瘍発症のリスクがさらに高まることは容易に想像できます。
図1 摂取飼料が胃内溶液のpHに及ぼす影響(乾草のみと濃厚飼料+乾草を給与した馬の24時間中の胃内容液のpH中央値を比較)
≪胃潰瘍とさく癖の関係≫
海外の調査において、さく癖の馬はさく癖の無い馬に比べて胃潰瘍を発症している割合が多いことが報告されています。それでは、胃潰瘍とさく癖にどのような関係あるとされているのでしょうか? 正確には相互に関連があるのではなく、胃潰瘍が発症しやすい胃内のpH低下が、さく癖の発現と関係があるとされています。あくまでも仮説ではありますが、さく癖は胃内のpHを低下させないための適応行動であると考えられています。具体的には、胃内のpHが低下することは馬にとっては不快であり、さく癖は唾液の分泌を促して少しでもその不快感を解消しようとするための行動ではないかと推測されています。さく癖を行う馬に、自由にさく癖を許したときと、人為的に5分間さく癖を制止したときの唾液の分泌量を比較した場合、さく癖を許した馬の分泌量は変化が無かったのに対して、制止した馬の分泌量は有意に減少しました(図2)。この研究結果からは、さく癖は唾液の分泌を促す効果があることが示されています。また、さく癖の子馬に胃酸を緩衝させる効果のある制酸性サプリメントを給与したとき、さく癖の頻度が減少したことが報告されており、さく癖は胃のpH低下を抑制するための行動であるという仮説を裏付ける成績であると考えられています。
図2 さく癖馬にさく癖を制止させたときの唾液分泌量の変化(プレの採材から5分間、さく癖を制止して唾液分泌量の変化を調査)
≪疝痛とさく癖の関係については不明≫
さく癖により吸い込んだ空気が、食道を通過して消化器官に流入するため、“さく癖の馬は風気疝などを発症しやすい”とされていたことがありましたが、さく癖による吸気が大腸にまで達することはないようです。近年は、さく癖の馬に疝痛が多いのもまた、濃厚飼料が影響しているのではないかと推察されています。濃厚飼料を多く摂取すると、デンプン等の易消化性炭水化物が盲結腸内に流入し、腸内細菌により乳酸発酵されることで大腸内のpHが低下します。ちなみに、濃厚飼料の過剰摂取により疝痛が発症するのは、大腸内における過度な乳酸発酵が原因であると考えられています。大腸内のpHが過度に低下したとき、腸粘膜が侵され炎症(潰瘍)が発症します。腸に潰瘍が発症した馬は、歯ぎしりなどの行動を示すことがあり、これは大腸に不快感があるためであると考えられています。仮説としては、この不快感を緩和するための手段の一つがさく癖であり、さく癖の馬に疝痛が多くみられる理由ではないかと推察されています。しかし、このことを証明する情報は乏しく、さく癖と疝痛を結び付けるには更なる研究が必要なようです。
≪おわりに≫
馬が行うさく癖などの悪癖は、身体や精神の健康にとって好ましくない状況にあることを伝えるためのサインとして捉えることができます。悪癖の発現を予防することは重要ですが、サインを受け取ったとき、飼養管理において改善すべき問題がないかを見直すこともまた重要であると考えています。
日高育成牧場 首席調査役 松井朗
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