人馬の信頼関係の強化:引き馬編~リトレーニングプログラムの応用~
はじめに
昨年の第225号でもご紹介しましたが、JRAでは『引退競走馬のリトレーニングプログラム』の作成に取り組んでおります。プログラムが完成した暁には、『引退競走馬のリトレーニング指針』としての発刊も予定しております。今回は作成中のプログラムの中から、重点項目の一つである『人馬の信頼関係の強化』について2回に分けて紹介させていただきます。第一回目の今回は、『引き馬』をメインにお話することとします。
『引き馬』による信頼関係の構築
我々のプログラムでは、グラウンドワークと呼ばれる、騎乗せずに地上から馬に働きかける手法を用います。グラウンドワークでは『プレッシャーとプレッシャー解除』を馬に分かり易く伝え、馬の動くスピードと方向をコントロールして人が『リーダー』となると同時に、人の横が『安全で快適な場所』であることを馬が理解するように働きかけます。『引き馬』はグラウンドワークの最も重要な基礎となる作業です。『引き馬』では前後方向にプレッシャーを与え、発進・後退(スピード有り・前後方向)と停止(スピード無し:ゼロスピード)を繰り返します。具体的な働きかけ方は以下の通りです。
- 発進
引き綱(リード)をゆったりと保持し、舌鼓等の音声扶助や長鞭を使用して馬を発進させます。馬がしっかりとした常歩を開始したら後ろからのプレッシャーを解除し、馬の動きに同調して歩きます。徐々に扶助のフェーズ(段階・強さ)を下げ、最終的には扶助を使用しなくても馬が人の前進する動きに合わせて発進できるような関係を構築します。
- 停止
引き運動中に人が馬についていくのをやめ、リードを譲らないことで鼻梁に鼻革があたり、馬が止まるように働きかけます。上手に停止できたらリードを緩めてプレッシャー解除します。最初は(ホー)などの音声扶助も利用しますが発進同様最終的には前触れもなく人が止まったら馬も停止できるような関係を構築します。
- 後退
静止した馬の顔の前でリードの余り部分を回したり(写真1)、鼻面の前に左手をかざして前方からのプレッシャーを与えます。初期段階では、右手でリードを引っ張って鼻梁へ与えるプレッシャーも組み合わせると、後退の合図が馬に伝わりやすくなります。
馬が人の動きに合わせて停止することを理解できていない、若しくは馬が自己主張している場合は、人の前方に進みすぎて停止します。その際は前方からのプレッシャーを与えて人が肩の位置に立てるところまで後退させてからプレッシャー解除します。この働きかけによって馬は人より前に進みすぎるのは間違いであり、人の横に収まっていれば余計なプレッシャーを受けないこと、つまり人の横が『安全で快適な場所』であることを理解します。また、前触れなく突然人が前進したり停止したりする動きに合わせて動くことで、人に意識を向ける(フォーカスする)ようになります。
『引き馬』は単純な作業でもあるため軽視され易く、ついつい手を抜いてしまいがちです。馬房掃除で馬を移動させる際に人が前方に立って馬をノロノロ歩かせたり(写真2)、あるいは放牧する際に、馬が勝手に先に進むことを許容してしまったりすることがあります。調教とその他の『引き馬』の違いは、馬を混乱させる原因となり得ます。馬に勝手に動かれてしまうと人は『リーダー』ではなくなり、人馬の位置関係が間違っていることをきちんと馬に伝えなければ人の横が『安全で快適な場所』ではなくなってしまいます。馬を扱う際は常に細心の注意を払い、馬に余計な混乱をもたらさないように意識する必要があると思います。
次回は馬と人との距離感(パーソナルスペース:支配領域)を利用した駐立の調教についてご紹介します。
写真1:馬の顔の前でリードの余り部分を回して前方からプレッシャーを与えて後退を促す
写真2:人が前方に立って馬をノロノロ歩かせ引き馬
JRA馬事公苑 診療所長 宮田健二
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