後期育成 Feed

2022年12月14日 (水)

日高育成牧場における育成調教 ②競馬に向けてのトレーニング

 前号に引き続き、育成馬の調教について触れてみたいと思います。今号では競馬に求められる走行速度や走法などの走力の要素を向上させる「競走トレーニング期」についての考えをご紹介させていただきます。

 

1.競走トレーニング期とは

 競走トレーニング期は、競馬に求められる走行速度や走法などの走力の要素を向上させることが目的となります。

1)ピッチの強化

 ピッチの強化とは「単位時間当たりの歩数減少を抑制すること」であり、筋肉を動かし続けるスタミナを身に付けることで得られ、結果としてレース後半の疲労によるスピード低下の防止につながります。これには筋肉を動かし続けることが求められ、そのエネルギー源はATPであり、グリコーゲンがピルビン酸に分解される解糖系、および解糖系で産生されたピルビン酸を利用する有酸素系において産生されます(図1)。

Photo 図1. 解糖系と有酸素系によるATP産生

  • 速筋線維の解糖能および乳酸の利用

 筋線維には速筋線維と遅筋線維があり、速筋線維の方が解糖能に優れています。このため、解糖能を高めるには速筋線維を鍛えることが有効であり、人では呼吸が上がって苦しくなる程度の運動が必要とされています。解糖能の上昇により乳酸産生量が高まると、乳酸がピルビン酸に変換され、ミトコンドリア内での有酸素系のATP産生も高まります。つまり、解糖能が上昇すると解糖系と有酸素系の両方によるATP産生能が結果的に高まるということになります。これは競走馬も同様であり、競走トレーニング期の馬には、血中乳酸濃度が概ね10mmol/Lを超える運動負荷によって効果が得られると考えられています。

  • 解糖能の上昇とアドレナリン分泌

 運動強度が上昇すると、解糖系によるエネルギー産生が必要となるため、交感神経優位の状態になり、アドレナリン分泌によって心拍数および血液循環量が増加します。アドレナリンは馬では恐怖や不安などのストレス状態下において、その状況から逃れるために身体や脳の機能を高める物質です。一方、過剰なアドレナリン分泌は、エネルギーの大量消費を誘発するため、体力を消耗しやすくなるのみならず、攻撃性や慢性的な疲労等を誘発する負の部分も有しています。

 馬は名誉心などなく、自ら苦しい調教を耐えようとしないため、競走馬の調教では交感神経と副交感神経のバランスを常に維持するように注意し、オーバーワークは避けなければなりません(図2)。このことが人のアスリートとは比較できないくらい競走馬の調教の運動量が少ない理由と考えられています。

Photo_2

図2. 交感神経と副交感神経のバランスが重要

  • ミトコンドリア内のATP産生能と母系遺伝

 ミトコンドリアDNAは受精の過程で母親のミトコンドリアのみが子に受け継がれると考えられています。つまり、有酸素能力に大きく影響を及ぼすミトコンドリアの質は、母親の質に左右されるため、調教によって向上するミトコンドリア内のATP産生能は先天的にある程度決まっているものと推測されます。このことがサラブレッド競走馬において、母系の血統が重要視される理由のひとつであると考えられています。

2)ストライドの強化

 ストライドの強化に関連する重要な要素は、陸上でもストライドと強い相関関係を持つ着地直前のスイング速度です(写真1)。つまり、後肢を前方に大きく振り上げて、着地に向けて肢を引き戻してスイング速度が上がることによって、着地の瞬間に働く地面からの制動力が抑制されて推進力が維持され、結果としてストライドが伸展すると考えられます。

Photo_4

写真1. 後肢から繰り出される運動エネルギーは踏込よりスイング速度が重要

2.育成調教における騎乗者の役割

 競馬では馬7:騎手3という言葉がありますが、これは競馬における馬と騎手の重要度の比率を意味しており、競馬での騎手の役割は、馬の能力には及ばないと考えられています。一方、日々の育成調教においては、騎乗方法によって、柔軟性やランニングエコノミーを向上させることが可能となることもあるため、その概念について説明します。

1)項靭帯の伸展を利用した騎乗

 項靭帯とは頭蓋骨の後面からキ甲まで走行する靭帯であり、キ甲から仙骨に走る棘上靭帯と連続しています(図3)。そのため、項靭帯が伸展すると前躯と後躯が連結して、全身を使用したランニングエコノミーの向上が可能となります。

Photo_5

図3 項靱帯は棘上靱帯に移行して前後を連結する

2)ハミを利用した項靭帯の伸展

 項靭帯を伸展させるためには、頭頚の位置を一定に維持するハミ受けという技術が不可欠です。ハミ受けによって頭頚が固定されて項靭帯が伸展し、後躯から発生したエネルギーが項(うなじ)を頂点とした項靭帯に蓄積されます。その蓄積されたエネルギーの一部は前肢を高く上げることに利用され、結果として踏着前のスイング速度が高められます。これにより、前肢の着地が遅延するとともに地面との接地時間の短縮が可能になり、着地による制動力が最小限に抑制されます。また、項から棘上靭帯を通して腰部と連結している項靭帯に蓄積されたエネルギーは、しなった釣竿のように骨盤の沈下を生み出します。これによって後肢が大きく前方に振り上がり、後肢のスイング速度も上昇するため、ストライドが大きくなり、走行速度も上昇します(図4)。

 

Photo_6

図4. 項靱帯の伸展による効率的な走行フォーム

 

3.最後に

 競馬というスポーツは、サラブレッドという種の育種、つまり「速く走る」という遺伝子を持つ個体を選抜する目的で行われているため、捕食者から逃れるという本能を発揮させなければなりません。一方、馬は名誉心などなく、自ら苦しい状況を選択しようとはしないと思われます。そのため、調教時には馬との意思疎通を図るために副交感神経を優位に、競走時にはより速く走らせるために交感神経を優位にというように相反する精神状態を巧みにコントロールする技術が不可欠となります。しかし、馬は機械ではなく意思を持つため、個体差が大きいのも事実です。このことが画一的な調教が困難である理由であるとともに、人馬一体を成し遂げ得た時の喜びが非常に大きく、古来、多くの人を魅了し、そしてこれからも多くの人を魅了する理由でもあるのだろうと考えています。

 

日高育成牧場 副場長 頃末 憲治

 

2022年12月 2日 (金)

日高育成牧場における育成調教 ①ブレーキング

 サラブレッド競走馬は1歳秋に「ブレーキング」とよばれる騎乗馴致を開始します。JRA日高育成牧場で実施している騎乗馴致に対する考え方について、今号と次号にわたってご紹介させていただきます。

 

1.調教のステージ

 サラブレッドは競走馬としての活躍を期待されてこの世に生を受けますが、本来、臆病であり人を乗せて走るまでには様々なステップを経なければなりません。そのため、育成期のステージは騎乗するまでの「初期調教期」、基礎体力を養成する「基礎トレーニング期」、競馬に求められる走行速度や走法などの走力の要素を向上させる「競走トレーニング期」の3期に分けて、段階を踏んで調教を実施しなければなりません。

 

2.初期調教期

 初期調教期は馬に人を乗せることを許容させることを目的に実施します。馬は運動する際にバランスが崩れると不安に陥ります。騎乗を許容させるには、騎乗者は馬上でバランスを崩さずに馬の動きに同調、つまり騎乗者自身の重心と馬の重心とを一致させなければなりません。直線運動時には騎乗者は比較的容易に重心を一致させることができますが、回転運動時に人馬の重心を一致させることは容易ではありません。その理由は、人は回転運動の際には、自転車で回転する時のように進行方向に腰を回転しますが、馬は頭頚を外側上方に向けて馬体を内側に倒して回転する習性があるためです。つまり、回転時に人と馬は本能的に相反する態勢をとることが原因となります。

 
Photo_12

写真1.馬の自然な回転と内方姿勢での回転

 

 回転時に人馬の重心を一致させるためには、騎乗者が自転車を操作する時のような姿勢での回転が可能となるように、馬に内方姿勢と呼ばれる体勢を取らせて回転させることを教える必要があります(写真1)。そのためには、ランジングやドライビング調教が非常に有効であり、これらのプロセスを総じてブレーキンと呼んでいます。なお、ブレーキングとは騎乗時に手綱を引いて馬が止まるブレーキ(brake)を馬に教えることではなく、それまで群れでの放牧によって培われてきた馬社会の約束事を壊す(break)ことであり、新たに人と馬との約束事を構築することを意味します。ブレーキングは、決して人が力任せに馬を屈服させることではなく「馴らして目標とする状態に至らしめること」であり、馬に人の要求を強要させるのではなく、馬が人の要求を自ら行うように仕向ける姿勢が重要です。その原理原則は、人が馬に対して何かを要求する指示(プレッシャー)を与え、そのプレッシャーから馬が逃げる方向が、人が要求するものと一致するよう馬を導くことです。人の要求が達成された際には、持続して与えていたプレッシャーを即座に解放(オフ)してあげることで、馬は楽になれることを理解します。つまり「プレッシャーオフ」とは馬が要求に応じた際、即座に声をかけたり愛撫をしたりして褒めることともいえます。馬は草食動物であるので、危険あるいは不快なもの(プレッシャー)からは回避すると同時に、同じ場所にとどまって草を食べる安住の場所(プレッシャーオフ)を求めています。ブレーキングでは、この習性を利用することが非常に重要となります。

1)遠心運動を利用したランジング調教

 ランジングにおける円運動では遠心力が生じるため、馬はバランスを維持しようとして、手綱が連結した内側のハミを支点として頭頚を少し内側に向けて馬体を湾曲させます。これこそが騎乗者が回転時に人馬の重心を一致させやすくなる体勢であり、円運動を行う最大の利点は、馬にこの内方姿勢に近い状態でのバランス維持を習得させることが可能となる点といえます(写真2)。

Photo_7

写真2. 遠心力を利用したランジング

2)ドライビング調教

 ドライビング調教とはハミに連結した2本の長い手綱を馬の後方で馬車のように操作して、騎乗する前に開き手綱による回転やハミと口角との間に遊びのスペースを設けてハミに頼ることなく馬自身によるバランスで運動することを教える調教方法です(写真3)。前述のランジングで教えた内方姿勢での左右両側の回転のみならず、前進や停止など騎乗時と同様の合図を騎乗することなく習得させることを目的にドライビングを実施します。つまり、騎乗時と同一の扶助で馬を操作し、騎乗後にも一貫した扶助で馬を操作することによって馬に混乱を生じさせないことが安全な騎乗へとつながります。

 開き手綱の理解や重心移動の習得を目的に、ドライビングによるスラロームや8の字運動などで手前変換を行う際には、前進気勢と馬自身によるバランスを維持した体勢(セルフキャリッジ)の維持に留意しなければなりません。特に、前進気勢の重要性はどれほど強調してもし過ぎることはありません。例えるなら、止まっている自転車のハンドルをいくら動かしても曲がれないのと同様で、ドライビングにおける馬の前進気勢は絶対条件となります。そのためにも前進気勢が維持しやすく、さらに、重心のブレが少ない速歩の方が常歩よりも容易に実施できます。

Photo_8

Photo_9

写真3. ドライビングによる左右の内方姿勢

 

3.基礎トレーニング期

 基礎トレーニング期は騎乗による基礎体力の養成を目的に、キャンターでの調教に多くの時間を費やさなければなりません。しかし、初期調教を終えたばかりの馬は、未だ騎乗者の荷重に慣れておらず、バランスの維持が困難な状態にあります。そのため、キャンターでの調教を実施する前に、騎乗した状態で放牧地における馬自身によるバランスを維持した体勢を習得させる必要があります。

 キャンターでのセルフキャリッジを習得させるためには、人馬の重心の一致を図ることを目的として、騎乗者には馬の重心に近い鐙上にバランスを維持する技術が求められます(写真4)。また、セルフキャリッジは馬の重心の移動や頭頚の動きが少ない速歩でより習得しやすいことから、速歩調教を繰り返し実施した後にキャンターでの調教に移行することが非常に重要です。また、この時期には競馬の要素として不可欠な群れでの走行に慣らすことも重要となります。

Photo_13

写真4. 馬の重心と鐙の位置の関係

参考動画
Jra

Jra_4

Jra_2

日高育成牧場 副場長 頃末 憲治

育成期の運動器疾患

はじめに

 多くの育成場では、育成馬の騎乗馴致を開始している頃だと思います。トレセンや競馬場に移動するまで順調に調教が進む場合もあれば、疾患の発症によって休養を余儀なくされる場合もあるでしょう。今回は皆様の悩みの種となる育成期における運動器疾患について紹介させていただきます。

 

離断性骨軟骨症(OCD)

 軟骨内骨化の過程に異常をきたす疾患で、関節軟骨の糜爛や剥離を生じさせる骨端骨化異常と考えられています。好発部位は球節、肩関節、飛節、膝関節であり、特に飛節でよく認められます。跛行等の臨床症状を認めることが少ないため、セリ上場に際するレポジトリー検査のX線撮影時に偶発的に発見されることがほとんどです。なお、X線検査で所見を認めていても無症状であることが多く、これらの場合は育成調教および出走に影響を与えることは少ないと考えられています。JRA育成馬を用いた調査においても、飛節のOCDを認めた馬と非OCD馬の出走時期および出走回数に有意な差は認められませんでした。一方、OCDに起因する跛行が継続する場合には、関節鏡による骨軟骨片の摘出手術が必要となることもありますので注意が必要です。

Photo

図1.飛節(距骨滑車外側稜)のOCDのX線所見

  • この馬は育成期間中を通して症状を示さず2歳7月に出走

 

軟骨下骨嚢胞(ボーンシスト)

 関節軟骨の下にある骨の発育不良により発生する骨病変で、栄養摂取や成長速度のアンバランスなどの素因がある子馬において関節内の骨の一部に過度の物理的ストレスが加わることで発症すると考えられています。好発部位は前肢の球節、指骨間関節、肩関節、膝関節であり、前述のOCDと同様にセリ上場に際するレポジトリー検査のX線撮影時に偶発的に発見されることがほとんどです。骨嚢胞が認められても、調教に支障をきたさない場合もありますが、特に膝関節の軟骨下骨嚢胞に起因する跛行などの臨床症状が認められた場合は、長期休養が必要になることもあります。治療としてはステロイド投与、シスト領域へのスクリュー挿入や掻把等があります。

 

Photo_2

図2.大腿骨内側顆における軟骨下骨嚢胞のX線所見(グレード1~4)

 

近位繋靭帯付着部炎(深管骨瘤)

 繋靭帯と第3中手骨の付着部位における炎症の総称です。原因として繋靭帯の役割が関わっていると考えられています。馬が走行する際には球節が沈み込み、繋靭帯はそれを元の位置へ戻そうと球節を上に引っ張り上げる役割があります。そのため、繋靭帯付着部では下へ引っ張る強いテンションがかかることによって炎症が起こります。

 軽度~中程度の跛行を示し、患部の触診痛や熱感を伴うこともありますが、触診痛を示す症例は少なく、さらにX線検査や超音波検査といった画像診断で異常所見を認める症例も多くありません。そのため、所見が認められない場合には、局所麻酔による跛行改善を確認することで確定診断を行います。軽傷であれば比較的早い調教復帰も可能ですが、再発例も多く認めることから、慎重なリハビリを行うことが重要です。

Photo_3

図3.赤丸内が繋靭帯付着部

 

ウォブラー症候群(腰フラ)

 頸椎脊髄の圧迫に起因する運動失調を示す疾患で、主に後肢で多くみられます。発症時期は4~24ヶ月齢、特に生後4~8ヶ月齢と14~18ヶ月齢の二峰性の好発時期があると考えられています。サラブレッドの発症率は1.3~2.0%といわれており、牡馬は牝馬よりも発症率が高いという調査結果があります。発症原因は遺伝や栄養バランス、成長障害、外傷などが考えられており、診断方法としてはX線検査やCT検査があります。予後は悪く、発症後に運動失調が進行する場合が多く、重症例では起立不能となります。軽症例では、抗炎症剤の投与や馬房内休養、過度な成長を抑制するために飼料給与量を75%に制限した食餌管理法を実施することで症状が改善される場合がありますが、根本的な治療にはならないことがほとんどです。

Photo_4

図4.第3頸椎の脊椎管狭窄部位のX線所見(この狭窄が主に後肢の運動失調を誘発)

 

最後に

 早期発見が重要になってきますので、歩様の異常、下肢部の腫脹、関節液の増量など些細な変化を見逃さず、日々チェックやケアをしていくことが不可欠です。

 

JRA日高育成牧場 業務課 久米紘一

2022年9月30日 (金)

1歳セリのレポジトリー検査について(X線検査)

 1歳馬のセリシーズンを迎えるにあたり、「レポジトリー検査」に関して2号にわたりご紹介させていただきます。すでに広く浸透しておりますが、レポジトリーとは、馬のセリにおける上場馬の医療情報開示のことを示します。レポジトリーの活用により、外見上では判断できない情報、例えば骨・関節の状態をX線検査画像として、喉の状態を内視鏡動画として、それぞれ確認することが可能になります。

 今回は骨・関節の状態確認の手段にあたるX線検査についてご紹介いたします。X線検査は何気なく行っているような印象をもたれがちですが、質の高い画像を撮影するためには注意しなければならないポイントがございます。

ポイント1:撮影の角度(照射角度)

 レポジトリー画像撮影時に何度も撮り直す。そんな場面に遭遇したことはありませんか?剥離骨片を評価することの多い球節、軟骨疾患である離断性骨軟骨症(OCD)を評価することの多い飛節など、所見を正しく評価するためには関節面を重なりなく描出することが求められます(図1)。撮影器機の角度調整はもちろんですが、馬の駐立姿勢の微調整は質の高い画像撮影に不可欠です。馬の保定にご協力いただく際は、検査する肢がなるべく地面に対して垂直になるよう、また馬体が動かないように負重を促すなどサポートしていただけるとより円滑な撮影が可能になります。

pastedGraphic.pngpastedGraphic_1.png

図1:関節面が重なっていない像(左)と重なっている像(右)(球節)

ポイント2:画像のブレ

 皆さんがX線検査を受ける身近な機会は、健康診断、はたまた歯科検診などでしょうか?「動かないでくださいね。」とはよく耳にするフレーズかと思います。X線画像検査において、馬のわずかな動きは検査画像の質を損なう原因となります。画像がブレてしまうと、軟骨疾患である骨嚢胞など白黒の階調の違いで評価する所見は途端に判別困難となります。後膝関節の屈曲外―内側像などは股の間にカセッテを差し込み、かつ検査肢を持ち上げて保定し、撮影を実施します。これらの部位は特に馬・カセット保持者・検査肢保定者の動きとブレやすくなる要素の多い撮影箇所であることから、息を合わせた撮影が求められます。馬の反応に合わせて、鎮静剤による化学的保定、鼻捻子による物理的保定を併用することで、人馬とも安全にかつブレの少ない撮影が可能となる場合があります。また、馬の呼吸のタイミングもわずかなブレにつながることもあり、撮影者はよくよく人馬の動きを観察して撮影を実施しています。

 X線検査画像の撮り直しはわずらわしいかと思いますが、検査所見を正しく評価するためには、質の高い検査画像が必要となります。購買者が正しく評価できるX線検査画像の提出のため、上記のポイントも念頭にご協力いただければ幸いです。

 レポジトリーに提出されるX線検査画像はどのように評価されているかご存じでしょうか?過去に実施した調査から、撮影部位によって好発しやすい所見が明らかにされており、その知見をもとに評価されています。画像を見る際は、好発部位の理解はもちろんですが、骨の輪郭をひとつずつなぞって確認することをおすすめします。剥離骨片などは比較的わかりやすく、関節面や骨の辺縁などに欠片のように描出されます(図2)。似たような所見として描出されるのが、骨の成熟する過程で生じる離断した骨軟骨片です(図3)。飛節、膝関節などの骨の辺縁、端を観察してみると所見が認められることがあります。これらの所見を保有していても症状を示さず、問題なく調教を進めることができる馬が多くいます。一方で、骨片・軟骨片保有部位の関節液が増加する、熱感を帯びるといった関節炎症状を示す場合には、跛行の原因となることもあります。レポジトリーでこれらの所見を認めた際は、実際の馬を見て、関節の腫れ・熱感や跛行などの症状の有無を確認するべきと思われます。欠片ではなく、X線透過領域(黒い色調)として描出されるのが、軟骨部の障害に起因する骨嚢胞です。辺縁でドーム状に認められるもの(図4)、関節面付近で丸く黒く抜けたように見えるもの(図5)があります。大腿骨内側顆は骨嚢胞の好発部位であり、嚢胞の大きさや位置により調教を進めていく過程での跛行のリスクが異なります。触診しづらい箇所でもあり、調教が始まるまでほとんど跛行しないため、レポジトリーでの検査所見の評価をあらかじめ実施しておくことで、歩様に違和感が生じた際の早期対応につながるかと思います。

 pastedGraphic.png

図2:第1指骨近位の剥離骨片(辺縁は丸く陳旧性と思われる)

 pastedGraphic.png

図3:大腿骨外側滑車稜の離断性骨軟骨片

 pastedGraphic.png 

図4:大腿骨内側顆に認められたドーム状の骨嚢胞(黒い窪みとして描出)

 pastedGraphic.png

図5:球関節面に認められた球状の骨嚢胞

 レポジトリーに提出されるX線検査画像は、骨・関節の状態を確認することができる有用な情報です。撮影された画像に何かしらの所見を認めることも少なくありませんが、これらの所見は必ずしも将来の跛行につながるわけではなく、臨床所見を伴うものでなければ競走能力に大きく影響を及ぼすものではないと考えております。また、万が一症状を認めた場合でも、早期発見・早期治療で改善を見込める所見もありますので、常に馬の状態を観察することが重要です。最後になりますが、愛馬の状態を確認するひとつのツールとして、レポジトリーのX線検査の機会を有効に活用していただければと思います。

日高育成牧場 業務課 瀬川晶子

2021年11月22日 (月)

競走馬の長距離輸送について

 国内における馬の輸送は、周知のとおり主に馬運車というトラックで行われます。競馬開催のためや近隣の種馬場までの輸送なら数時間程度ですが、休養のために本州から北海道の牧場まで輸送するなど、長時間の輸送が必要な場合もあります。このような場合に、馬の健康を害さないように輸送するためにはどのようなことに気を付けるべきなのでしょうか。

輸送後に頻発する発熱(輸送熱)に注意

 輸送に際して最も問題となるのは輸送熱です。輸送熱は輸送のストレスなどが引き金となって起こる発熱で、細菌感染が重症化すると肺炎を起こす極めて注意が必要な疾患です。輸送熱の主な病原菌は、馬の気道に常在している(常にいる)細菌であることが知られており、輸送による疲労やストレスにより馬の免疫機能が低下することで、感染が成立して発症すると考えられています。また、誘因の一つとして、輸送中に排出された糞尿による空気の汚染も挙げられます。馬運車内の空気中に糞尿由来のアンモニアなどが充満すると、普段問題とならない細菌に感染しやすくなってしまうのです。

 過去の調査により、輸送が20時間以上かかると輸送熱の発症率が大幅に上昇することが分かっています。これを予防するために、輸送前の抗生剤投与などが行われ、大きな成果が出ています。一方で、抗生剤の副作用で腸内細菌が悪影響を受ける可能性があり、これが一因と疑われる腸炎の発生も確認されています。

 JRAの育成部門では、毎年北海道の1歳セリで購買した馬をJRA宮崎育成牧場まで、所要時間にしておよそ40時間以上かかる輸送を行っています※。この環境を利用し、抗生剤投与以外の方法で、いかに輸送熱を予防するかを目的とした研究を行ってきました。そこから得られた知見をいくつかご紹介いたします。

※現在は中継地点で1泊休憩を入れるスケジュールで輸送しています

車内環境を整える

 馬運車内の空気中の細菌やアンモニアなどの有害物質を除去する目的で、次亜塩素酸水の噴霧を行う実験をしました。次亜塩素酸水は近年の新型コロナウイルス対策で手の消毒などにも用いられている消毒薬です。その結果、次亜塩素酸水を噴霧した馬運車では、空気中のアンモニア濃度と細菌数が減少することがわかりました(写真1)。また、輸送後の鼻腔スワブ(鼻の中の拭い液)にいる細菌の数も噴霧群のほうが少なかったことから、空気をきれいにすることは輸送熱の予防に有効であると考えられました。消毒薬を使用しなかったとしても、馬運車内の換気を十分にし、新鮮な空気に入れ替えることが重要だと思われます。

pastedGraphic.png

 写真1:空気中の細菌数は次亜塩素酸水噴霧群の方が対照群よりも少なくなった

中継地点での休憩は効果あり

 輸送中の馬は、揺れるトラックの荷台に繋がれ、立ったまま過ごします(写真2)。そのため、肉体的な疲労や精神的ストレスにさらされ、非常に過酷な状況であるといえます。そこで、北海道から宮崎までの中間地点で馬を下ろし、馬房内で一晩休ませた時の反応を調べました。ストレスがかかると上昇する指標である、血中コルチゾール濃度を調べたところ、休憩の前後でコルチゾール濃度は明らかに下がり、ストレスが軽減していることがわかりました。また、血中の免疫細胞の数も休憩前後で増加したことから(図1)、輸送熱の原因菌への抵抗力が上がり、感染症にかかりにくくなる効果もあると考えられました。

pastedGraphic.png

写真2:輸送中の馬は立ったまま馬運車に揺られている

pastedGraphic_2.png

図1:休憩前後で免疫細胞数は増加した

 以上のように、輸送中の車内環境を改善すること、そして馬の疲労やストレスを軽減することは健康な状態で馬を輸送するために重要なことであると言えます。先ほどの例のように、日本を縦断するほどの長時間輸送をする機会は少ないかもしれませんが、長い時間輸送する場合にはできるだけ疾病リスクを下げられるよう心がけましょう。

日高育成牧場 業務課 竹部直矢

2021年10月 5日 (火)

JRAホームブレッドの馴致

 今回は、日高育成牧場でJRAホームブレッドに対して行っている馴致について、中でも特に1歳秋にブレーキングを行う前までの当歳から1歳夏にかけての馴致の内容についてご紹介したいと思います。

母子の引き馬

 引き馬の躾は生後翌日から開始します。日高育成牧場では一人で母子を保持するやり方を行っています。将来的に「子馬を左側から引く」ことを教えるため、位置関係は「人の左に母馬、右に子馬」としています(図1)。左手で母馬のリード(引き綱)を保持し、右手で子馬の左側から頚をかかえるようにします。このようにして子馬の左肩の位置に人がいる「引き馬の位置関係」を教えます。特に生後2ヶ月までの間は、頚部へのダメージを防止するため、子馬にはリードを使用しません。

pastedGraphic.png

図1. 人の左に母馬、右に子馬の位置で母子を引く

駐立の練習

 将来的に検査者の前で馬の左側を向けた左表(ひだりおもて)で四肢が重ならないように立たせることができるように、写真撮影などの機会を通して駐立の練習を行っています(図2)。最初は前後に人が立ち、プレッシャーとその解除により前進後退を行いながら、馬を人に集中させます。まず軸肢(左前肢と右後肢)の位置を決めます。左前管部を地面に対して垂直にし、軸を動かさないまま馬を前後に動かして右前肢と左後肢の位置を決めます。馬の立ち位置が決まったら保持者は後退し、リードを緩めます。馬の接近および前傾姿勢を回避するため、後退する前に人馬の距離を保持するためのプレッシャーをかけます。周囲に人がいない状況できちんと駐立できるようになったら、場内見学バスツアーなどの機会を通して人に囲まれている場面でも同じことができるように慣らしていきます。

pastedGraphic_1.png

図2 写真撮影を通して駐立の練習をする

離乳後の馴致

 離乳後は母馬の存在がなくなるため、子馬が精神的に不安定になります。人間が子馬のリーダーであることを再認識させるとともに、人馬の1対1の関係を強化する上で大切な時期となります。集放牧の際に前の馬と一定の距離をとって歩かせることで、周囲に他の馬の姿が見えなくなっても鳴かない馬を作ることができます。また、ビニールシートを通過させるなどの機会を設け、人が課題(ビニールシートの通過)を与えてプレッシャー・オンの状態にし(リードを引く)、それに従えばプレッシャーはオフになる(リードは緩められる)ということを繰り返すことで人の指示に従うことを教え(図3)、人馬の1対1の関係を強化することができます。

pastedGraphic_2.png

図3 ビニールシートを通過させることで人の指示に従うことを教える

“インディペンデント”な馬を作る

 馴致を通して、騎乗せずに「人が馬のリーダーとなること」や「人馬の信頼関係」を教えることが可能です。このため、集放牧を躾の機会と捉えて、普段からこれらを意識した引き馬を繰り返し実施することが重要です。子馬の引き馬で重要なことは、「人の指示に従って歩くこと」と「子馬自身のバランスで歩くこと」の2点です。「自身のバランス」とは、子馬が歩く際に「引っ張られたり、押されたりしない」状態であり、人間の指示に従った上で馬自らが意思を持って歩くということです。言わば“インディペンデント(独立した、他に頼らない)”な馬を作るということで、このことができていればブレーキングが始まった後、非常にスムーズに調教を進めることができます。

 日高育成牧場では、以上のような点を心掛けて日々ホームブレッドの馴致を行っています。今回の記事が、皆さんの愛馬の管理に少しでも参考になりましたら幸いです。

JRA日高育成牧場 専門役 遠藤祥郎

2021年8月31日 (火)

喉の病気と内視鏡検査

競走馬の喉の病気

 競走馬の喉の病気の中には、喉の披裂軟骨の一方(主に左側)が十分に開かない【喉頭片麻痺(LH)】や、強い運動時にヒダや声帯が気道の中心側に倒れてしまう【披裂喉頭蓋ヒダ軸側偏位(ADAF)】、【声帯虚脱(VCC)】などがあります(図1)。原因はさまざまですが、呼吸の際に鼻孔から吸い込んだ空気の通り道が喉で狭くなってしまい、結果的に競走能力を発揮することができないこと(プアパフォーマンス)が問題となります。これまでの競走馬に関する研究により、走行距離が伸びるほど有酸素エネルギーの負担割合が増加すること、また、短距離のレースでさえ走行エネルギーのおよそ70%を有酸素エネルギーに頼っていることが明らかとなっていることから(長距離レースでは86%)、競走馬にとって気道の確保がいかに大切かご理解いただけるかと思います。今回は、そんな喉の病気の検査方法についてご紹介します。

Photo_3図1:喉の疾患の内視鏡像

Photo_4図2:安静時内視鏡検査

診断方法(内視鏡検査)

 基本的には、気道内を観察するためのビデオスコープを馬の鼻孔から挿入し咽喉頭部を観察する安静時内視鏡検査により喉の疾病を診断しています(図2)。「ノドナリ」と呼ばれることもあるLHの診断方法としてご存じの方が多いかと思われます。一方、そのLHの症状がプアパフォーマンスの原因となるほど重症かどうかは、馬に運動負荷をかけないと正確に診断しにくいことや、ADAFおよびVCCなど運動時にのみ症状を表す疾病の存在が注目されるようになったことで、馬をトレッドミル上で走らせながら内視鏡検査を実施する運動時内視鏡検査が盛んに行われるようになりました(図3)。近年では、人が騎乗してより強い運動負荷をかけた状態の喉を観察できるオーバーグラウンド内視鏡(OGE)が開発され(図4)、実際の調教で高速走行中の状態を観察することで、安静時の内視鏡で発見できなかった病気が発見できるようになっています。しかし、どちらの運動時内視鏡検査もトレッドミルやOGEなどの特殊な器材が必要になること(JRAでは、美浦・栗東の両トレセン競走馬診療所、日高育成牧場にトレッドミルとOGEが設置されています)、特にOGEは熟練した獣医師による器材装着が必要となることから、検査を受けるチャンスが限定されているのが現状です。

Photo_5 図3:運動時内視鏡検査(トレッドミル)

Oge

 図4:運動時内視鏡検査(OGE)

詳細情報

 競走馬の様々な喉の病気の症状や治療法、詳しい運動時内視鏡検査の応用方法についてはユーチューブ動画「ホースアカデミー 馬の上気道疾患 ~咽喉頭部の内視鏡検査~」(URL、QRコード参照)にて解説していますので、是非ご視聴ください。今回ご紹介した運動時内視鏡検査が皆様の愛馬の喉の病気を診断する一助としていただければ幸いです。

https://www.youtube.com/watch?v=QQb62hFdRPQ&t=629s

 

日高育成牧場 生産育成研究室 琴寄泰光

2021年8月26日 (木)

物理療法(レーザー治療)について

はじめに

 物理療法とは物理的なエネルギー(熱や光、電気など)を生体に与えることで疼痛緩和や血行改善など治癒促進を期待する治療法です。基本的には副作用が少ないと言われ、国際的な薬物規制が進む中見直されています。物理療法はさまざまあり電気針・SSPを用いた電気療法、マイクロレーダーを用いた電磁波療法、ウルトラソニックを用いた超音波療法、ショックウェーブ療法、スーパーライザーやレーザー光線を用いた光線療法などがあり簡単に実施できるものがほとんどです。今回はレーザー治療について詳しく説明していきます。

レーザー治療とは

 レーザーを患部に照射するとレーザー光が生体に吸収され発生した温熱作用と光エネルギーが化学反応を起こし発生した光化学作用により、疼痛緩和、炎症軽減、血行改善、創傷治癒促進を得られます。

基本的なプロトコル

 一般的な治療計画は、1週目は48時間毎または毎日照射し、2週目は72時間毎、3週目以降は週に1~2回の照射を実施します。照射量は6~8(深部の場合は8~10)J/cm2で設定すると良いとされ、プローブは皮膚に対し垂直に当てて、皮膚から少し離すか接触させてゆっくり動かしながら照射させます。局所に当て続けると熱傷を引き起こすので注意が必要です。

適応症例

 レーザー治療は腕節炎・球節炎・種子骨炎・骨瘤・ソエなどの骨疾患や、浅屈腱炎・繋靭帯炎に効果があるとされています。症状の程度にもよりますが、骨疾患には2週間程度、腱靭帯炎には1カ月程度照射を続けてください。

 先述のとおり創傷も適応で、肉芽増生や皮膚再生を促進させることができます。感染時の抗生物質投与や壊死組織の除去などを行った上で2週間程度は毎日照射してください。また、レーザーを経穴(ツボ)に当てることで鍼療法と同様の効果が得られるため、特に筋肉痛の際は筋肉全体に照射していくよりは経穴を重点的に当てることでより効果が得られると考えられています。他にも慢性的な蹄葉炎の疼痛管理や静脈炎の治療といった幅広い適応症例が報告されています。

 しかし、レーザー治療等の温熱作用をもつ物理療法は急性期での使用は控えるべきです。受傷直後に照射すると組織が低酸素状態に陥り周囲の正常な細胞までダメージがでてしまうため、冷やすことで周囲の代謝を抑制し2次的損傷を防ぐ必要があります。

使用時の注意点

 とても便利な治療法ですが、注意すべき点があります。一番重要なことは、眼に直接当ててはいけません。失明する恐れがありますので使用者は保護メガネを装着し、保定者や馬の眼にも照射しないよう注意してください。また、妊娠馬の腹部や牡馬の睾丸、若馬の骨端板、メラノーマなど腫瘍が疑われる部位への照射は予期せぬ作用をもたらす可能性があるので注意してください。

最後に

 レーザー治療は特に創傷管理や慢性的な筋骨格疾患のケアには大きな助けとなり、その効果を我々は実感していますので、皆さんもぜひ利用してみてください。

pastedGraphic.png

日高育成牧場で使用しているレーザー装置(CTS-S)

日高育成牧場 業務課 久米 紘一

2021年7月29日 (木)

さく癖について

 馬には好ましくない習慣、いわゆる「悪癖」があります。さく癖、ゆう癖、旋回癖および身食いといった「悪癖」は、一般的に馬の精神状態の悪さを反映している、あるいは馬の健康に悪影響を及ぼすとされて嫌われています。馬が売買されるセリの多くにおいても、これら「悪癖」の有無を開示することが求められており、落札後に開示事項にない「悪癖」が判明した場合には契約解除となる場合もあるなど、重要なものとして捉えられています。しかし、果たしてこれらの悪癖は本当に馬に悪影響を及ぼすものなのでしょうか。本稿では「悪癖」の中で最もポピュラーな「さく癖」について、最新の知見をまとめた海外の記事をベースとして簡単にご紹介することとします。

「さく癖」とは何か?馬はなぜ「さく癖」をするのか?

 「さく癖」とは、馬が壁の出っ張りや柵の縁などに上顎の前歯を引っかけて、「ぐう」という特徴的な音を出しながら空気を飲み込む動作のことを言います(写真1)。馬がさく癖をする原因については諸説ありますが、何らかのストレスが関係しているという説が一般的に言われています。この説では、馬房などの狭い空間に閉じ込められる、あるいは孤立しているような状況に対して馬がストレスを感じ、そのストレスを解消するためにさく癖行動を選択するのだと考えられています。この「ストレス関与説」を検証するため、ストレスの指標とされる血液中のコルチゾール値を測定した研究がされました。この研究によると、さく癖を有する馬はさく癖の前後で血液中のコルチゾール値が低下し、しかもさく癖後に下がったコルチゾール値はさく癖のない馬よりも低くなるらしいのです。しかし、同様にコルチゾールを指標とした実験を行った他の研究チームは、さく癖の有無による差はないと報告していることから、この「ストレス関与説」についてはいまだ議論の余地がありそうです。

  

なぜ「さく癖」は「悪癖」なのか?

 さく癖のデメリットには、疝痛の発症リスク増加、切歯の異常な磨耗(写真2)、胃潰瘍、および体重減少などがあげられます。さく癖を有する馬はない馬に比較して、再発性の疝痛を発症するリスクが12倍も高いとの報告もあります。

 しかしその一方で、さく癖による疝痛発症の仕組みについてはよく分かっていません。恐らく多くの方は、さく癖によって飲み込んだ空気が腸に溜まることで疝痛を発症するというイメージをお持ちかと思いますが、海外の研究によるとさく癖で飲み込んだ空気の大部分は食道の上部で留まり、胃まで到達するのはごく一部であることが分かっています。他にも、そもそも慢性的で軽い疝痛を発症している馬がさく癖行動を見せると考えている専門家もおり、さく癖から疝痛を発症するメカニズムについては明らかにされていないのが現状です。

馬の「さく癖」は止めさせるべきか?

 さく癖予防としては、頸に巻き付ける防止バンドの装着や切歯を引っ掛けそうな場所に予め馬が嫌う薬品を塗っておくなどの方法が一般的に用いられます。しかし、そもそもさく癖行動を妨害するべきかどうかについては、意見が分かれるようです。前段で申し上げた通り、馬はさく癖によってストレスを軽減している可能性があるため、これを妨害することがさらなるストレスの付与に繋がってしまうかもしれません。ある海外の調査では、さく癖を有する馬のさく癖行動に対する欲求は非常に強く、実に一日の15%もの時間をさく癖行動に費やしているというデータが示されています。したがって、さく癖を妨害することがストレスをより増強させ、そのストレスから疝痛を発症してしまう可能性もあり得ないことではないでしょう。我々が考えなくてはいけないことは、物理的にさく癖行動ができないように制限することより、まずはさく癖を行わないで済むような飼養環境の整備やストレスを排除してやることなのかもしれません。

pastedGraphic.png

図1 さく癖を有する馬。柵の縁を噛みながら空気を吸い込みます。

pastedGraphic_1.png

図2 長年さく癖が治らなかった馬の切歯は異常に磨耗してしまいます。

日高育成牧場 業務課 竹部直矢

2021年7月27日 (火)

調教後の乳酸値データの活用

乳酸値=疲労物質?

 「乳酸値」という言葉を聞くと、「疲労物質」というイメージを持たれる方も少なくないのではないでしょうか。確かにほんの10年ほど前までは「昨日、久しぶりに運動したら、体中に乳酸が溜まって筋肉痛が・・・」などという会話が良く聞かれたもので、「乳酸の蓄積が疲労の原因」という考え方が一般的でした。ところが、最近の運動生理学では、ヒトのアスリートや競走馬の世界を例にしても、乳酸は「エネルギー源」であり、かつ乳酸を多く出すようなトレーニングをすることで持久力が向上する効果も確認されています。

 すなわち、乳酸はアスリートにとって悪者ではなく、運動する過程で必要なエネルギー物質の1つであり、効率的にトレーニング効果を高めるための指標になり得るということです。

日高育成牧場における乳酸値データの活用

 日高育成牧場ではこれまで、運動後の乳酸値データを定期的に採っており、実際の調教現場で活用しています。過去の本稿でも触れましたが、当場の育成馬を使った調査では、乳酸値を高めるような強調教を行ったことで、V200※などの有酸素運動能の指標が高まることなどが確認されています。これ以外にも、乳酸値が運動強度の指標に利用できるという観点から、様々な手法を用いて現場で応用しています。

pastedGraphic.png

坂路調教直後における乳酸値測定のための採血

乳酸値を活用した併走調教の組み分け

 育成馬に対する強調教は、概ね週1もしくは2回実施していますが、その際に頭を悩ませるのが併走馬の組み合わせです。従来は、走行スピード、騎乗者の感覚(手応え)、馬の動きなどを総合的に判断してきましたが、現在ではこれらの目安に調教後の乳酸値を加えて組み合わせを考えています。

 わかりやすいように図に一例を示します。12月20日の調教で、2組のグループが屋内坂路1,000mを1ハロン約18秒平均(上がり3ハロン54秒)で走ってきました。この際の各馬の調教後の乳酸値(単位は全てmmol/L)は、1組目のA馬は9.3、B馬は9.9、C馬は5.7、そして2組目のD馬は5.9、E馬は9.4でした。

 そこで、1週間後の12月27日の調教では各グループを1組目「A馬、B馬、E馬」と2組目「C馬、D馬」に変更し、1組目には1週前と同タイムの指示を、2組目には前回よりも速いタイムを指示しました。その結果、1組目は1ハロン約18秒平均で走り、この際の乳酸値はA馬は12.3、B馬は10.8、E馬は11.3という結果でした。一方、2組目は1ハロン15.5秒平均(上がり3ハロン46.5秒)で走り、C馬の乳酸値は15.1、D馬は14.7でした。2組目については、結果的に調教強度が想定よりも上がってしまいましたが、いずれのグループも1週前と比較するとグループ内の乳酸値に大きな差異を認めなくなりました。

pastedGraphic_1.png

 我々は、このように乳酸値を活用してグループ分けを行うことで個々の馬に応じた運動負荷を適切にかけることができるのではないかと考えています。

騎乗スタッフとの乳酸値データの共有

 騎乗調教において乳酸値を活用するうえでの欠点の1つは「調教後にしか測定できないこと」で、あくまで前回の調教時のデータを活用せざるを得ないのが現状です。このため当場では、騎乗スタッフが自身の騎乗馬の動きとスピードから乳酸値を推定できるように、毎回の測定データを騎乗スタッフと共有しています。これによって、騎乗者自身がターゲットとなる乳酸値が出るような運動負荷を課すような騎乗をすることを目指しています。

pastedGraphic_2.png

 近年、人間のアスリートの世界では、乳酸値を活用して運動強度を設定するトレーニング方法が注目されています。競走馬の世界でも同様に注目されており、「どの程度の乳酸値を上げるトレーニング強度が必要なのか」、「乳酸値を上げるトレーニングは何日間隔で行うのが効果的か」など検討課題は山積しています。

 日高育成牧場では、引き続き乳酸値を用いた調教法のデータを蓄積し、これを活用した効果的なトレーニング方法を模索したいと考えています。

※1分間の心拍数が200回に達した時の走行スピードのことで、この数値が高いほど有酸素運動能に優れていると考えられている。

日高育成牧場 業務課 冨成雅尚