さく癖について
馬には好ましくない習慣、いわゆる「悪癖」があります。さく癖、ゆう癖、旋回癖および身食いといった「悪癖」は、一般的に馬の精神状態の悪さを反映している、あるいは馬の健康に悪影響を及ぼすとされて嫌われています。馬が売買されるセリの多くにおいても、これら「悪癖」の有無を開示することが求められており、落札後に開示事項にない「悪癖」が判明した場合には契約解除となる場合もあるなど、重要なものとして捉えられています。しかし、果たしてこれらの悪癖は本当に馬に悪影響を及ぼすものなのでしょうか。本稿では「悪癖」の中で最もポピュラーな「さく癖」について、最新の知見をまとめた海外の記事をベースとして簡単にご紹介することとします。
「さく癖」とは何か?馬はなぜ「さく癖」をするのか?
「さく癖」とは、馬が壁の出っ張りや柵の縁などに上顎の前歯を引っかけて、「ぐう」という特徴的な音を出しながら空気を飲み込む動作のことを言います(写真1)。馬がさく癖をする原因については諸説ありますが、何らかのストレスが関係しているという説が一般的に言われています。この説では、馬房などの狭い空間に閉じ込められる、あるいは孤立しているような状況に対して馬がストレスを感じ、そのストレスを解消するためにさく癖行動を選択するのだと考えられています。この「ストレス関与説」を検証するため、ストレスの指標とされる血液中のコルチゾール値を測定した研究がされました。この研究によると、さく癖を有する馬はさく癖の前後で血液中のコルチゾール値が低下し、しかもさく癖後に下がったコルチゾール値はさく癖のない馬よりも低くなるらしいのです。しかし、同様にコルチゾールを指標とした実験を行った他の研究チームは、さく癖の有無による差はないと報告していることから、この「ストレス関与説」についてはいまだ議論の余地がありそうです。
なぜ「さく癖」は「悪癖」なのか?
さく癖のデメリットには、疝痛の発症リスク増加、切歯の異常な磨耗(写真2)、胃潰瘍、および体重減少などがあげられます。さく癖を有する馬はない馬に比較して、再発性の疝痛を発症するリスクが12倍も高いとの報告もあります。
しかしその一方で、さく癖による疝痛発症の仕組みについてはよく分かっていません。恐らく多くの方は、さく癖によって飲み込んだ空気が腸に溜まることで疝痛を発症するというイメージをお持ちかと思いますが、海外の研究によるとさく癖で飲み込んだ空気の大部分は食道の上部で留まり、胃まで到達するのはごく一部であることが分かっています。他にも、そもそも慢性的で軽い疝痛を発症している馬がさく癖行動を見せると考えている専門家もおり、さく癖から疝痛を発症するメカニズムについては明らかにされていないのが現状です。
馬の「さく癖」は止めさせるべきか?
さく癖予防としては、頸に巻き付ける防止バンドの装着や切歯を引っ掛けそうな場所に予め馬が嫌う薬品を塗っておくなどの方法が一般的に用いられます。しかし、そもそもさく癖行動を妨害するべきかどうかについては、意見が分かれるようです。前段で申し上げた通り、馬はさく癖によってストレスを軽減している可能性があるため、これを妨害することがさらなるストレスの付与に繋がってしまうかもしれません。ある海外の調査では、さく癖を有する馬のさく癖行動に対する欲求は非常に強く、実に一日の15%もの時間をさく癖行動に費やしているというデータが示されています。したがって、さく癖を妨害することがストレスをより増強させ、そのストレスから疝痛を発症してしまう可能性もあり得ないことではないでしょう。我々が考えなくてはいけないことは、物理的にさく癖行動ができないように制限することより、まずはさく癖を行わないで済むような飼養環境の整備やストレスを排除してやることなのかもしれません。
図1 さく癖を有する馬。柵の縁を噛みながら空気を吸い込みます。
図2 長年さく癖が治らなかった馬の切歯は異常に磨耗してしまいます。
日高育成牧場 業務課 竹部直矢
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