引退競走馬のリトレーニングについて
・始めに
近年、動物福祉への関心が高まり、引退競走馬のアフターケアに関する取り組みは様々な角度から注目されています。これまでも乗馬への再調教(リトレーニング)が行われてきましたが、サラブレッドを一人前の乗馬へと育て上げるには、熟練の技術者を以ってしてもかなりの労力と時間を要します。また、ある程度調教が進むまでは経験の浅い人には扱えないため、技術者の負担が増えます。“乗馬への転用促進”のためには、リトレーニング技術の効率や汎用性の向上が課題です。JRAでは2年前から馬事公苑と日高育成牧場を拠点として、新たな『リトレーニングプログラム』の作成と実践検証に取り組んできました。今回は「引退競走馬のリトレーニングプログラム」に関するお話です。
JRAで作成したプログラムの目的は、乗馬へ転用するための基礎作りで、3つの重点項目があります(表1)。
①心身ともにリフレッシュさせる。(所要期間:2~4週間)
引退したばかりの競走馬は、心身ともに張り詰めた状態です。中には疲れ切った馬や、運動器疾患を抱えた馬も多いと思います。乗馬転用のため、新しいことを学ぶためには余裕が必要です。広大な放牧地を有する日高育成牧場がリトレーニングの拠点となっているのは、馬をリフレッシュさせるために最適な施設だからです。例えば、運動器疾患などの理由により長期間の休養が必要な馬であっても、日高育成牧場では放牧地で昼夜放牧を行いながら適切な治療と休養を与えることができます。放牧によって落ち着く馬は多く、その後の調教をスムーズに行うために休養は欠かせません。
②人馬の良好な関係を構築する。(所要期間:2~4週間)
野生馬は群れで行動し、群れには必ず1頭の『リーダー』が存在します。また、草食動物である馬は、『安全で快適な場所』を好みます。そして、『リーダー』は捕食獣に襲われない様、群れ全体のスピードと方向をコントロールし、安全な場所に導きます。これを人間と馬の関係に置き換えると、人が馬のスピードと方向をコントロールすることで、『リーダー』になることができるともいえます。
そのことを教えるため、グラウンドワークと呼ばれる手法を用います。グラウンドワークによって人が『リーダー』であることと、人の隣は『安全で、快適な場所』であることを教えます。これらのことを理解すると馬は人を信頼し、人の指示に対して従順になります。また、安心できる人のそばでは、突然の物音などにも動じなくなります(写真1、2)。
写真1:傘をかざしています
写真2:釣竿に付けたビニール袋を揺らしています
③競走馬としての特殊な調教を初期化する。(所要期間:4~8週間)
競走馬は、『勝つための特殊な調教』により、全力で走り、他の馬より前に出ることを教え込まれていますが、乗馬には、落ち着いてライダーの求めるペースとバランスを維持することを求められます。乗馬としての調教を円滑に進めるには、『勝つための特殊な調教』を初期化する必要があります。
グラウンドワークによって人馬の良好な関係を構築した後は、軽いコンタクトのみを求める速歩騎乗を開始します。ゆったりとした一定のペースで速歩を続けると、焦って突進することがなくなります。また、競走馬特有の、やや前のめりのバランスが、馬本来の『ナチュラルなバランス』に変ります。休養中に落ちた筋力の回復も期待できます。
・最後に
乗馬転用には様々なアプローチ方法があると思います。この手法では、馬の習性や特性を十分に理解し、馬とのコミュニケーションを深めることをポイントとしています。馬にリフレッシュなどの準備期間を与え、人馬の良好な関係を構築できれば、不要の混乱や事故を減らすことができます。そして、それが、引退競走馬の転用促進に繋がると考えています。
JRAでは、これまで実施したリトレーニングプログラムの実践検証を基に『リトレーニングの指針』作りに着手しているところです。その詳細については完成次第、ご紹介させていただきます。
馬事公苑 診療所長 宮田 健二
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