国際馬繁殖シンポジウムについて
昨年7月10-15日にブラジルにおいて第13回国際馬繁殖シンポジウム(International Symposium on Equine Reproduction, ISER)が開催され、日本から私を含む3名が参加してまいりました。本シンポジウムは4年毎に開催されており、世界中のウマ繁殖研究者が一同に会す場となっています。今回は計246題もの研究が発表されました。日本獣医学会における馬繁殖の演題は片手で数えるほどですので、いかに世界のウマ繁殖研究が進んでいるかお分かりいただけるのではないでしょうか。このシンポジウムは発表者と限られたメンバーしか参加できないクローズドな学会ではあるものの、それでも世界中から約400人が参集しました。本稿ではなかなか接する機会のない馬繁殖獣医学研究の最前線について簡単に紹介いたします。
馬繁殖の学会では一般的に「非妊娠馬」「妊娠馬」「牡馬」「生殖補助医療技術(ART)」「出産・子馬」に分けられます。日本では「馬は人工授精できない」と思われている方も多いかもしれえませんが、近年の馬繁殖研究においては、人工授精どころか受精卵移植は当然のこと顕微授精、体外受精、クローン、性選別精液といったART分野が急速に発展しています。特に馬では不可能と言われていた体外受精や性選別精液といった技術に関して実用化が近づいていることに驚きました。当然、これらは競走馬ではなく馬術競技馬やポロ競技馬を対象としたものです。一方、サラブレッド種の研究は本交配を前提とした臨床データが多く、特に米国ケンタッキーのウマ病院が大学と提携して取り組んでいる調査が多く見受けられました。
発表内容のご紹介
本稿では比較的身近なキーワードとなってきたバイオフィルムとPRPに関する報告を紹介いたします。
ハグヤード馬病院のDr. Luがバイオフィルムに関する診断的治療法を報告しました。バイオフィルムは細菌が分泌する粘液であり、これによって抗菌薬が細菌に届きにくくなるため、難治性子宮内膜炎の原因となります。治療法として粘液を溶解させるNアセチルシステイン(NAC)や過酸化水素水、DMSO、Tris-EDTAなどが有効とされていますが、厄介なのは診断方法が確立していないことです。そこでDr. Luらは診断的治療法を実施した成果を発表しました。59頭の牝馬に対してNアセチルシステイン(NAC)を子宮内投与し、翌日に検査することで検出率が飛躍的に向上しました(細胞診による炎症評価19%→73%、培養による細菌検出37%→69%)。NAC投与前の検査では59頭中48頭(81%)が正常と診断されましたが、このうち17頭(35%)がNAC処置後の検査で陽性となりました。このことはNAC処置により子宮内のバイオフィルムが溶解し、細菌検出率が向上したことを示唆しています。この結果からバイオフィルムが特別な存在ではなく、非常に身近な存在であると言えそうです。
また、多血小板血漿PRPに関する報告が幾つかありました。PRPは再生医療分野ではすでに臨床応用されている技術ですが、近年は繁殖分野への応用性について研究されています。今回、交配誘発性子宮内膜炎やバイオフィルムに対して有用であったという結果が報告されました。また、子宮内投与する場合には再生医療に比べて大量のPRPを作成する必要があるため、その作成方法や保存方法に関する研究もありました。ただ、これらはあくまでも無処置と比べて有効であったというものであり、従来の治療法である子宮洗浄や抗生物質と比較してどうかというのは明らかになっていませんので、従来の治療法を改善させるものかどうかについては引き続き調査研究が必要と思われました。
ISERの今後
閉会の場において、ISERは今後国際馬繁殖協会International Society of Equine Reproductionとして、研究のみならず教育、交流を先導していきたいということが述べられました。その第一歩としてISER Global Educationというサイトを開設し、専門家による講義動画を100本以上アップロードしています。今後も動画は増えていく予定となっており、世界的な馬繁殖獣医療の底上げに貢献するものと思われます。このウェビナーは日本中央競馬会もスポンサーを務めていますので、ご興味ある獣医師は是非ご視聴ください(有料です)。
日高育成牧場 生産育成研究室長(現馬事部) 村瀬晴崇