« JRA育成馬のゲート馴致について | メイン | 運動後の栄養摂取のタイミング »

2021年1月22日 (金)

運動前の栄養給与のタイミング

“腹が減っては戦ができぬ”ということわざがあります。前回の連載では、運動後の栄養給与のタイミングについて解説しましたので、今回は運動前の給与タイミングについて考えてみたいと思います。

デンプンと植物繊維の消化吸収
本題に入る前に、飼料の消化について簡単に説明します。ウマの飼料は、乾草や放牧草などの粗飼料と燕麦やフスマなどの濃厚飼料の2種類に大きく分けることができます。どちらの飼料も、ウマにとってはエネルギーの供給源ですが、その基となる物質が違います。粗飼料のエネルギーの基となる主な物質は植物繊維であるのに対し、濃厚飼料の場合は主なエネルギー源となる物質はデンプンです。
食餌が通過する消化管の順序を大雑把に並べると、胃→小腸→大腸となります(図1)。胃は、胃酸によって食塊を物理的に細かく砕き、後に続く消化器官で消化しやすくするのが主な役割です。胃から小腸に入った植物繊維は、小腸では消化吸収されず、そのまま大腸に入っていきます。1_9(図1)



ウマの大腸(盲腸と結腸)には、植物繊維を分解するバクテリアが多数存在し、バクテリアによる分解後に生成された脂肪酸が、大腸において吸収されます。一方、デンプンの場合、小腸においてアミラーゼと呼ばれる酵素で分解され、糖(グルコース)として小腸で吸収されます。大腸で脂肪酸が吸収されても血中のグルコース濃度はあまり変化しませんが、小腸で糖が吸収されると血中のグルコース濃度が高くなります。血中のグルコース濃度は一般には血糖値と言われています。

運動前の血中インスリン濃度が上昇することの影響
飼料を摂取し、血中グルコース濃度が上昇すると、それを抑えるために、すい臓からインスリンと呼ばれるホルモンが分泌されます。インスリンは筋肉や肝臓などの組織に、“糖を取り込みなさい”と指示し、組織がそれに答えて糖を取り込むため、血中グルコース濃度は減少します。組織に取り込まれたグルコースはグリコーゲンとして貯蔵されます。すなわち、インスリンはグルコースを使うよりも蓄えようとする方向に作用します。本来、運動の最中は、グルコースはエネルギー源として積極的に使いたいのですが、分泌されたインスリンがそれと真逆の作用をするため、エネルギー源として効果的に利用できません。特に、脳の唯一のエネルギー源は血液中のグルコースなので、運動中に血中グルコース濃度が低下すると、中枢性の疲労(疲労感)になりやすくなります。このような理由により、かつて(・・・)は、私たちが運動する直前に血中グルコース濃度が上昇するような食事は避けるべきとされてきました。
ウマにおいても、運動直前に血中グルコース濃度が上昇する飼料を摂取すべきでないという意見もあります。海外の研究で、運動の3時間前に濃厚飼料を摂取したときに、運動中に血中グルコース濃度が著しく低下したことが報告されています(図2)。2_8(図2)



『闘争と逃走』を司るホルモンと血中グルコースの関係
私たちが、運動前に燕麦を給与し、追切りや競馬と同じくらいの強度の運動を負荷する実験を行った時、海外の報告(図2)にあるような血中グルコース濃度の極端な低下はみられませんでした(図3)。その理由は以下のように考えられます。高強度運動を負荷した時、カテコールアミンと呼ばれるホルモンが分泌されます。カテコールアミンとは総称であり、その中でもアドレナリンおよびノルアドレナリンが運動に関連して分泌量が増加します。アドレナリンおよびノルアドレナリンは、『闘争と逃走』を司る物質とも呼ばれています(図4)。アドレナリンおよびノルアドレナリンは、恐怖、緊張や怒りの状況で分泌され、神経に作用します。この作用により心臓の働きや呼吸が活性化され、運動(戦うか逃げるかどちらの行動をとるにしても)の継続が可能となります。これらのホルモンには、心肺機能の活性化以外に、グルコースの集合体であるグリコーゲンを元の形態(グルコース)に分解して、エネルギーとして使えるようにする働きもあります。インスリンはグリコーゲンを合成し、血中のグルコースを減少させますが、アドレナリンおよびノルアドレナリンは、これと相反する作用があるわけです。競馬程度の高強度運動において分泌されるアドレナリンおよびノルアドレナリンは、インスリンの作用をいくらか相殺すると考えられます。図3の試験結果程度の、運動中の血中グルコース濃度の低下は、パフォーマンスへの影響は無いであろうと考えています。
ヒトの運動生理学分野でも、”運動前にインスリンの分泌を促進するような食事を摂取すべきではない”という考えは、過去のものになりつつあります。むしろ、絶食して運動することのほうが、問題であるとされているようです。

3_6(図3)

4_4(図4)

おわりに
競馬の前に飼料を摂取するということは、消化管内容物を増やすことにもなり、競走馬にとって本当に利益があるかどうかはよくわかりません。しかし、普段の調教であれば、運動の3~4時間前に飼料を摂取することに大きな不利益はなく、筋肉や肝臓のグリコーゲンを温存しやすいことから、コンディション維持には良いかもしれません。

日高育成牧場 生産育成研究室
主任研究役 松井朗

コメント

この記事へのコメントは終了しました。