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2025年10月

2025年10月29日 (水)

「空胎繁殖牝馬を用いた泌乳誘発と乳母付けの実践」

~はじめに~
乳母とは母馬に代わって子馬を育てる存在であり、母馬が出産直後に死亡してしまった場合や育子拒否の場合に乳母の導入を検討され、通常は乳母牧場から1シーズンレンタルという形で利用します。
2年前の「強い馬づくり講習会」にて、乳母レンタルをしなくても空胎繁殖牝馬を乳母として利用できるということを日高育成牧場における実例を通して、紹介させていただきました。そのため、昨シーズンから民間牧場にて本乳母付け法を試みたり、相談されるケースが増えてきました。本稿では、今シーズン民間牧場にて実施した乳母付けの1例の概要について所感を交えて紹介させていただきます。

~乳母付け例の概要~
子馬の母馬は分娩後1か月目に腰痿を発症、起立困難となり、安楽死となりました。乳母レンタルも検討しましたが、昨年度まで繁殖として供用し、今年度から離乳した当歳の面倒を見るリードホースとして活用予定であった空胎繁殖牝馬(11歳、4産、BCS5.5)が牧場内にいたため、性格の大人しい同馬を乳母候補として泌乳誘発できないかとの依頼を受けました。

~泌乳誘発と乳母付け~
泌乳誘発は図1のプロトコルに従って行いました。泌乳量は開始11日目の時点で日量2L弱となり、12日目(搾乳刺激5回/日)に乳母付けを実施しました。乳母付けは子宮頚管マッサージ法に高用量プロスタグランジン(PG)投与を組み合わせた方法(参考1)で行いました。
しかし、乳母候補馬に子馬の匂いを嗅いだり舐めたりといったような母性行動は惹起出来ず、子馬に対して攻撃的な場面も見られ、1回目の乳母付け失敗となりました。海外の教科書では1回目の乳母付けに失敗した場合、翌日以降に乳母付けを再実施してみることで母性惹起ができる場合もあるとの記載もあるため、翌々日に高用量PG法(参考2)で再度乳母付けを実施しましたが、状態は変わらず、母性惹起は出来ませんでした。その後、鎮静、保定(鼻ねじ、前足上げ)下での授乳を試みたり、徐々に保定を緩めて様子を観察したり、馬房内を畳と馬栓棒で区切り、乳母候補と子馬を共同生活させるなど、手はつくしましたが、子馬を受け入れることはなく、子馬への攻撃性も増してきてしまったため乳母付けは諦め、乳母牧場からの乳母レンタルに切り替えました。無事に乳母はついたとのことです。


~本症例から学んだこと~
泌乳誘発については、私が経験した中では今回が最も泌乳量が多くなりました。しかし、既報よりも泌乳量が伸び始めるタイミングが数日程度遅いと感じております。人での研究ではプロゲステロンがプロラクチン産生を抑制するといった泌乳誘発におけるマイナス要素も報告(Zinger, 2003)されています。今回の泌乳誘発プロトコルで振り返ると、1~7日目まで投与しているRegu-Mate(合成プロゲステロン類製剤)を投与しなければドンペリドンによるプロラクチン分泌がより活性化されプロラクチンによる泌乳分泌がより早く立ち上がるのではないかと考えており、今後調査していきたい部分です。より早く乳母作成ができるように検証を重ねたいと思っています。
 次に1回目の乳母付けで母性惹起できない場合、乳母供用はかなり厳しいということを再確認できました。1回目の乳母付けでうまくいかなかった場合は乳母の交代や今回であれば乳母レンタルへの切り替えを早期に決断するべきだと感じました。
そして最後に、人に対する態度(特に搾乳時)と子馬に対する態度は全くの別物だと改めて学びました。理解しているつもりではいましたが、今回、泌乳誘発の搾乳中にあまりにも乳母候補馬が大人しいので、乳母付けもきっとうまくいくだろうと安易に考えていました。現状だと以前に他の子馬の吸乳を許容していたなどの確定的なイベントがない限り、乳母適性の判断が非常に難しくなっています。今後、乳母適性を見極める客観的な指標を見つけていきたいなと感じた実践例でした。

日高育成牧場 生産育成研究室 浦田賢一

1図1. 泌乳誘発プロトコル

参考1 乳母付け法(子宮頚管マッサージ+高用量PG)

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参考2. 乳母付け法(高用量PG法)

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2025年10月16日 (木)

アイルランドにおける放牧地管理【牛と羊を用いた管理】

 北海道では長かった冬が終わり、放牧地に緑が増え過ごしやすい季節になってきました。JRA日高育成牧場では、親子馬を含む多くの馬が夜間放牧もしくは24時間放牧を開始しており、馬達が長い時間放牧地で過ごすようになりました。良質な牧草の摂取と運動場所の確保のために、どこの生産牧場でも放牧地の管理に工夫を凝らして行っていることと思います。

 筆者は、昨年2月までアイルランドで研修をしましたので、現地の放牧地管理方法についてご紹介します。アイルランドはヨーロッパの島国で、北海道と同程度の面積、人口をもつ小さな国ですが、世界第3位の軽種馬生産頭数を誇っています。北海道より高緯度に位置しますが、冬は北海道ほど寒くならず積雪もほとんどありません。そのため、放牧地は冬でも青い草が生えており、馬の放牧管理をするには最適な気候となっています。

現地の放牧地管理について、面白い方法が一般的に行われています。それは牛や羊との混合放牧もしくは交互放牧です。混合放牧とは、馬と他種の動物を一緒の放牧地で同時に放すことです。写真のように、繁殖牝馬や育成馬などが牛と仲良く放牧されているのを現地ではよく見かけます。また、羊は馬が使用しない時期に馬の放牧地に放す交互放牧に用いられることが多いです。現地には羊のリース業者がおり、牧場は業者から羊を一定期間借り受け放牧地に放します。

このような他種との放牧のメリットは大きく二つ考えられています。一つ目は、寄生虫対策です。馬に罹る寄生虫の主なものである円虫、回虫などは、罹患馬の体内で成長し、産卵した卵が糞便中に排出されます。虫卵は、円虫では放牧地で孵化し感染幼虫となり、回虫では虫卵内に感染幼虫が成長し、それらを他の馬が摂食することで感染が広がります。これを防ぐためには、放牧地の糞を拾うことで感染源となる虫体数を減らしたり、ハローで糞を散らすことで糞便中の虫卵や幼虫を乾燥させて死滅を促すなどします。これらの寄生虫は、馬に寄生し病気を起こすことがありますが、牛や羊が食べても感染しないため数を減らすことができます。また、寄生虫対策でまず行われるのは定期的な駆虫薬の投与ですが、薬の効かない耐性虫の出現が問題となります。その点、この方法では耐性虫の発生を心配する必要がなく優れた方法と言えます。

二つ目は牧草の管理上のメリットです。馬は放牧中の大半の時間、生えている牧草を食べて過ごしますが、短めの草を好んで食べます。食べられず伸びすぎた部分は残り続けてしまう(不食過繁地)ため、これを正すためにちょうど良い長さに刈る「掃除刈り」を頻繁に行わなければなりません。こうした中、牛は馬より長い草も食べるため、牛との混合放牧によって掃除刈りの頻度を減らすことができます。また、羊は雑草など短い草を食べてくれます。体重が軽いため放牧地を痛めないことから、特に降水量が多い冬に放すことが推奨されています。

今回はアイルランドにおける牛や羊を用いた放牧地管理についてご紹介しました。日本とは気候や牧場運営のスタイルが異なることから導入は難しいかもしれませんが、良い放牧地管理のヒントになれば幸いです。

 

日高育成牧場 調査役 竹部 直矢

Img_6003馬の放牧地に放牧される羊の群れ

Img_3575 牛と馬の混合放牧

2025年10月 2日 (木)

国内における多剤耐性ロドコッカス・エクイの出現

馬産地である日高管内ではあちこちで馬の親子を見かけるようになってきました。このような微笑ましい光景が見られる一方、この時期は生産者の皆様にとって頭を悩ます子馬の感染症であるロドコッカス・エクイ感染症が猛威を振るい始める時期でもあります。

ロドコッカス・エクイ感染症は、主に1〜3ヶ月齢の子馬が感染し、肺炎や腸炎などを引き起こす病気として知られています。馬の飼養環境中の土壌中には病気の原因となるロドコッカス・エクイ(図1)という菌が生息しており、空気中に巻き上げられた菌を子馬が肺の中に吸い込むことによって感染が起こります。ロドコッカス・エクイ感染症は、早く発見し、すぐに抗菌薬による適切な治療が行われれば、ほとんどが問題なく回復する病気です。しかし、米国では2000年ごろから治療の切り札となるアジスロマイシンなどのマクロライド系抗菌薬とリファンピシンの両方に対して抵抗性もった株、すなわち多剤耐性株が増加していることが明らかとなってきました(図2)。Giguèreら(2010)は、米国のある診療施設において多剤耐性株によって感染した子馬の生存率(25.0%)が、耐性を持たない株の生存率(69.6%)と比較して有意に低かったことを報告しました。このことから、多剤耐性株の存在は、ロドコッカス・エクイ感染症の治療の中で最も脅威となる要因として認識されるようになってきています。

この米国における多剤耐性株の増加は、特定のクローン(同じ遺伝的な特徴を持つ株同士の集まり)の増加が原因となっていました。このクローンは、最近まで米国内に限って検出されていましたが、2016年には大西洋を越えてアイルランドに広がり、2022年には太平洋を越えて日本国内でも検出されました。今後、馬の移動とともに世界中の馬産地に拡散してしまうことが大変危惧されています。幸いなことに、現在のところ国内ではこのクローンによる感染の広がりは限定的ですが、ワクチンなどの有効な予防方法が存在しない感染症であることから、米国で起きてしまったような多剤耐性株の増加は防がなければなりません。そのためには、①必要な場合のみ抗菌薬による治療を行う②薬剤感受性試験を行い有効な抗菌薬を使用する③多剤耐性株による感染状況を監視するといった基本的な対策が重要です。現在、日高管内では馬関係団体とJRA競走馬総合研究所が協力し、多剤耐性株の監視を続けています。

 日高育成牧場 生産育成研究室 丹羽 秀和

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