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2021年7月28日 (水)

後肢跛行診断と治療(膝関節領域)に関する講習会について

 2019年11月27日および28日、静内エクリプスホテルおよび日本軽種馬協会軽種馬生産技術総合研修センターにおいて、カタール国Eqine Veterinary Medical CenterのFlorent David氏とTatiana Vinaedell氏を講師に招き、馬の後肢跛行診断と膝関節領域の超音波検査に関する講習会が開催されました。今回はTatiana氏の後肢跛行に関する講習会の内容の一部をご紹介します。

後肢跛行について

・アプローチ

 馬の後肢跛行を診断するにはまずその馬の履歴を正確に把握する必要があります。履歴とは、年齢、品種、調教の状況、過去の跛行歴等を含みます。また馬を観察する際には厩舎のように馬が慣れている環境で行う必要があります。観察する際には、姿勢、筋肉の緊張、触診への反応、熱感や腫れがある部位はないか等をチェックします。歩様の評価は常歩、速歩、駆歩で実施しますが、特に速歩での評価が重要です。この際、引き手をフリーにして馬をコントロールしながらも自由に走らせることがポイントになります。

・後肢の跛行診断

 歩様検査は診断に不可欠ですがこの際は、跛行の有無だけでなく、患肢は一肢に限局されるのか複数なのか、また跛行の重症度等についてもチェックする必要があります。一般的に、後肢の跛行診断は前肢のそれよりも難しいとされています。また後肢の跛行は「ハミの後ろ側」「後肢の衝突」「後肢の弾み」といった漠然とした用語で表現されることがあるため、関節の曲がり、歩幅、前方への展出、骨盤の回転運動といった明らかな客観的指標を見つけることが正しい跛行診断の第一歩となります。

 以下に獣医師が後肢の跛行診断を行う2通りの方法を紹介します。

〇上下運動の評価:

 これは骨盤の背側正中に大きなボールや目印を設置し、その上下運動を一定時間観察する方法です(図1)。跛行している馬では、骨盤の患肢側における下向きの動きが小さくなる、あるいは患肢から離れる上向きの動きが小さくなるという2つの変化が確認されます。

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図1(骨盤背側正中にボールを設置、Tatiana氏のスライドより引用)

◯骨盤の回転運動の評価:これは、診断者が馬の真後ろに立ち、馬の歩行に伴う寛結節(矢印)の動きについて上下の振幅を左右で比較する方法です(図2)。

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図2(赤丸が寛結節)

おわりに

 本講習会には300人を超える牧場関係者や獣医師が詰めかけ、大きな関心を集めました。後肢跛行の原因は様々ですが、いずれの場合も早期発見と適切な治療が必要となります。本講演会の開催により参加者はこれまで以上に後肢跛行に対する高い意識を持つようになったのではないでしょうか。

JRA日高育成牧場 業務課 診療防疫係  長島 剛史

『第48回生産地における軽種馬の疾病に関するシンポジウム』について

 2020年10月15日(木)静内エクリプスホテルにおいて、JRA主催の「第48回生産地における軽種馬の疾病に関するシンポジウム」が開催されました。このシンポジウムは、生産地で問題となる疾病に関する最新の知見や、保健衛生管理に関する問題点や対応策に関する情報を共有するため、講師の先生方をお招きして毎年開催されています。例年は夏季に開催されていますが、本年は新型コロナウイルス感染症の流行のため、延期されたこの時期での開催となりました。本年の講演内容は「最近の米国の獣医療」、「微生物学」、「遺伝学」、「免疫学」、「外科学」と多岐にわたる分野に精通された講師の皆様に、大変貴重なご講演をしていただきました。本稿では、その中でも馬を飼養する上で問題となる感染症について興味深いご講演がありましたので、その概要をご紹介いたします。

ウマコロナウイルス感染症

 現在、ヒトの世界で新型コロナウイルス(COVID-19)が猛威を振るっていますが、ウマにもコロナウイルス感染症が存在します。本講演では、ウマコロナウイルス(ECoV)について研究をされている、競走馬総合研究所の根本学先生と上林義範先生よりお話しいただきました。

 ECoVはウマ固有のウイルスで、2000年に米国で感染馬が初めて確認されて以降、日本と米国で流行が報告されています。日本では2004年、2009年、2012年の3回、ばんえい帯広競馬場の重種馬群で流行が発生し、本年春に初めてサラブレッドを含む馬群での流行が確認されました。

 ECoVに感染した馬の主な症状は、発熱、食欲不振、元気消失、下痢などの消化器症状です。発症馬の多くは軽症で、数日のうちに回復しますが、米国では一部の発症馬で神経症状を呈し予後の悪い馬も確認されており(日本では確認されていません)、注意が必要な疾患であると言えます。ヒトのCOVID-19感染では主に肺炎などの呼吸器症状があらわれるのに対し、ECoVでは下痢などの消化器症状が主症状となり、過去の重種馬群での流行の際にも発症馬の1~3割で下痢が認められています。

 ECoVは糞便を介して伝染しますが、競走馬総合研究所が行った研究では9日間以上の長期間にわたって感染馬の糞便から大量のウイルスRNAが検出されることが確認されています。このウイルスを大量に含んだ糞便を、他の馬が経口摂取することにより感染が広がっていくと考えられています。また、ECoVに感染しても症状を示さなかった「不顕性感染馬」からも、症状を示した馬と同程度の量および期間のウイルス排出が確認されており、症状がない馬も感染源となってしまいます。

 診断には、COVID-19の検査でよく聞くPCR法という遺伝子検査法が用いられます。さらに競走馬総合研究所でさまざまな種類のPCR法を比較したところ、リアルタイムPCR法という検査法が最も検出感度が高いことも分かりました。

 一方、本年春のサラブレッドでの流行は、JRA施設内の41頭の馬群で起こりました。サラブレッド16頭とアンダルシアンやミニチュアホースなど様々な品種の馬で構成されていた馬群のうち15頭で症状がみられましたが、そのうち発熱は11頭、下痢は3頭でした。いずれも軽症で症状が現れてから1~3日で治まりましたが、注目すべき点はその感染力の強さでした。症状のない馬も含めて同一馬群の全頭に対して、ECoVに対する抗体を持っているかどうかを調べる中和試験を行った結果、全頭が抗体を持っていたことが分かり、馬群の全頭にECoVが感染していたことがわかりました。このことから、ECoVの感染力が非常に強力であることがうかがえます。

 さらにこの流行の調査から品種間のECoV感染率には差がなかったものの、糞便中へのウイルス排泄期間に差があることも明らかとなっています。サラブレッド感染馬では、糞便からウイルスが検出された期間が最長19日であったのに対し、非サラブレッド感染馬の5頭で19日以上ウイルスが検出され、最長で感染から98日間もウイルスを排出し続けました。このことは、品種によって感染源となるリスクの高さに違いがあることを表しています。

 今回のご講演では、ヒトで大変な問題となっているコロナウイルス感染症が、特徴や重篤度は違いますがウマでも起きているという興味深いお話をしていただけました。ご紹介したのはシンポジウムの演題のごく一部ですが、疾病の情報を知っておくことで、発生した際の適切な対応につなげられる可能性がありますので、常に最新の情報にアンテナを張ることが重要といえそうです。

 

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若馬の昼夜放牧時の放牧草採食量(その2) ~放牧草からの栄養摂取〜

はじめに

 放牧は優れた飼養管理方法であり、成長中の若馬にとって様々な恩恵があります。放牧中の自発的運動により、基礎体力の向上が期待できるとともに、運動による物理的刺激が、骨、筋肉および腱の発達を促進します。また、同世代の若馬やその母親との集団放牧の中で、他個体との戯れや時には威嚇されるなどの交流は、精神的な成長にとって必要な刺激であると考えられます。さらに、放牧地に生える放牧草は、若馬の成長のための重要な栄養源となります。

 放牧草には若馬の成長に必要な栄養が豊富に含まれる一方で、一部の栄養の含量が少ないことが知られています。そのため、放牧草を十分採食していても、これらの栄養は他の飼料により補う必要があります。また、逆に放牧草に多く含まれているため、飼料からさらに多く摂取させることが好ましくない栄養もあります。馬にとって適切に施肥管理された放牧地の放牧草は、母乳に次いで栄養バランスのとれた天然の飼料ですが、決して完全無欠な飼料ではありません。

 馬事通信226号 「強い馬づくり最前線」“若馬の昼夜放牧時の放牧草採食量”の記事において、離乳前から騎乗調教開始前までの、放牧草採食量について解説しました。今回は、この成績を応用し、放牧草から摂取する栄養の過不足や、それに伴う飼料給与の必要性を、栄養計算をしながら検証していきたいと思います。

放牧草に豊富に含まれる栄養

 放牧草中の栄養含量(専門的には養分含量)は、草種、施肥、土壌、放牧密度、季節など様々な要因によって変化するため、今回は、栄養計算ソフト『SUKOYAKA』から、多くのサンプルの平均である「放牧草(日高平均10年)JBBA」の成分値を引用しました。放牧草中のタンパク質、リジン、マンガンおよびビタミンEの含量を燕麦と比較したとき、放牧草にはこれらの栄養が多く含まれていることが分かります(図1)。配合飼料は、栄養の過不足が無いよう人為的に設計されていますが、放牧草の栄養含量はその配合飼料にも劣りません。その他、カルシウム、リンおよびマグネシウムなど主要なミネラルやビタミンA(ビタミンAの前身であるβカロチンとして)も放牧草には多く含まれています。

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図1放牧草、燕麦および配合飼料(市販の既製品)の栄養含有量

放牧草に含まれる量が少ない栄養

 銅や亜鉛は、若馬の成長や骨の発達に重要な役割をするミネラルであり、特に銅の不足は、離断性骨軟骨症(OCD)発症の原因となることがよく知られています。放牧草はこの銅および亜鉛の含量が、他の飼料に比べて少ないことが知られています。過去に報告された哺乳量と、前述の放牧草の採食量から、クリープフィード開始期(以下 CF開始期)(2ヵ月齢)、離乳直前(4ヵ月齢)、離乳直後(5ヵ月齢)および騎乗調教開始前(15ヵ月齢)におけるエネルギー摂取量を算出し、各成長ステージにおける必要量に対する充足率を調べました(図2)。

2図2 放牧草ならびに母乳からのエネルギー摂取量の各成長ステージにおける充足率

 

 充足率とは、必要量に対する摂取量のパーセント割合であり、充足率が100%を超えると、摂取量が必要量を満たしていることになります。各期のエネルギー充足率は、いずれも100%を超えており、必要なエネルギーは、放牧草と母乳から摂取できていたことが分かります。しかし、放牧草と母乳からの銅の充足率は、いずれの成長ステージも50%以下であり、明らかに銅が不足することが分かります(図3)。3図3 放牧草並びに母乳からの銅摂取量の各成長ステージにおける充足率

 この不足を補うためには、サプリメントや配合飼料の給与が必要となります。日高育成牧場で利用しているバランサータイプの配合飼料(以下の配合飼料の表記はこれを指します)を、図4の左表に示した量で給与したとき、CF開始期以外の成長ステージの銅の充足率は100%以上になりました(図4)。

4 図4 配合飼料を給与したときの銅摂取量の各成長ステージにおける充足率

 

 ここでは、銅の充足率だけを確認しましたが、実際は、他の栄養も充足できているのかを調べる必要があります。そこで次に、他の栄養の充足率も確認しながら、放牧草由来で不足する栄養を補えるよう飼料の給与量を決定してみましょう。

クリープフィードの給与量の算出

 他の時期同様にCF開始期においても、銅の摂取量は不足しているため、飼料により銅を補う必要があります。詳細は省略しますが、計算の結果、先の配合飼料を350g以上給与すると、銅の充足率が100%以上になることが分かりました。さらに、配合飼料を350g給与することにより、他のミネラルについても充足率は100%を超えることが確認できました(図5)。

5図5 配合飼料を350g給与したときのCF※開始期におけるミネラルの充足率

 しかし、これで全ての栄養が充足できたとするのは間違いであり、実は、配合飼料を350g給与しても、タンパク質の充足率は100%を僅かに下回ってしまいました(図6)。計算の結果、タンパク質の必要量を充足させるためには、配合飼料を440g以上給与する必要があることが分かりました。計算で導かれたため、配合飼料の給与量が440gと細かい数字になりましたが、実務的には、クリープフィードを開始するときの配合飼料の給与量は、500g弱でよいというのが結論となります。この給与量は、あくまでも日高育成牧場が利用している配合飼料について算出したもので、全ての飼料に当てはまるものでないことを付け加えておきます。6図6 配合飼料を350g給与したときの各成長ステージにおけるタンパク質の充足率

放牧草由来のタンパク質

 放牧草には、タンパク質が非常に多く含まれており、離乳直後や騎乗調教開始前のタンパク質の充足率は、放牧草のみで200%以上になりました(図6)。馬において、タンパク質の過剰摂取による健康への影響は明らかにはなっていませんが、放牧草の採食量が多い時期に高タンパク質の飼料により、さらに余剰のタンパク質を給与することは推奨できません。バランサータイプの飼料は、放牧草で不足する栄養を補って“バランス”をとることを目的として設計されています。したがって、離乳前など放牧草の採食量が少ない時期は、高タンパク質のバランサーでもよいですが、放牧草の採食量が多い時期は、タンパク質含量を控えたバランサーを選択することが理想であると考えています。

おわりに

 今回解説したCF開始期、離乳直前、離乳直後および騎乗調教開始前は、おおむね6月から9月の期間にあたり、放牧密度が高くなく、適正な草地管理がされていれば、放牧草から(離乳前であれば母乳からも)必要なエネルギーが摂取できるため、馬体を見ただけで栄養の不足に気づくことはできません。しかし、将来、競走馬となる若馬にとって、放牧草だけで必要な栄養を全て満たすことができないということは、理解しておいていただきたいと思います。

日高育成牧場 上席調査役 松井 朗

人馬の信頼関係の強化:駐立編 ~リトレーニングプログラムの応用~

はじめに

 今回は馬と人との距離感(パーソナルスペース:支配領域)を利用した『駐立』の調教についてお話します。

パーソナルスペースとは?

 人におけるパーソナルスペースとは、他人に近づかれる(侵入される)と不快に感じる空間のことで、『対人距離』、『パーソナルエリア』とも呼ばれます。馬は、自分が主張する『支配領域』である球状のパーソナルスペースを持つといわれています。馬の群れは、リーダーを頂点とする階層社会ですので、パーソナルスペースは順位付けに利用されます。集団放牧の際、不用意に近づいた馬を威嚇して追い払う『強い馬:群れでの階級が高い馬』や、『弱い馬』が『強い馬』の侵入を許容し、場合によってはスペースを譲る光景を見たことがある方も多いと思います。この習性を利用して、馬に『駐立』を教えます。

『駐立』の調教

 『駐立』に問題のある馬の多くは、必要以上に保持者(駐立させている人)に接近してじゃれたり、周囲の刺激を気にして落ち着かなかったり、動きまわります。前者は『リーダー』である人のパーソナルスペースに侵入することを、保持者が許容してしまうことが問題であり、後者は保持者にフォーカス(意識を向ける)せず、勝手に動いてしまうことが問題です。これらの問題を解決するために、以下2種類のグラウンドワークによる働きかけを活用します。

  1. 横方向の働きかけ

 適度の距離を置いて馬の正面に立ち、プレッシャーによって前肢を軸に後躯を回転させることを目的とします(図1)。最初に『リーダー』となるべき人(自分)と馬のパーソナルスペースをイメージします。次に、馬の斜め前方のパーソナルスペースに侵入し、腰角付近にプレッシャーを与えます。腰角に向けてリードを振り回す、あるいは長鞭を使って腰角を刺激します。初期は一歩でも動いたら、直ちにプレッシャーを解除し、停止したら馬を褒めます。プレッシャーに反応しない場合は、徐々にプレッシャーのフェーズ(強さ:段階)を上げ、馬が反応したら解除します。反対に、馬が人の要求以上に動き過ぎてしまう場合にはプレッシャーのフェーズを下げ、馬が反応した瞬間に解除します。馬が勝手に動くのではなく、人の指示に従って要求されただけ後躯を動かすことが大切です。なお、後躯を回転させた際に馬が前進して人のパーソナルスペースに侵入してしまう場合には注意が必要です。馬の前進に対して、人がスペースを譲って(後退して)しまったら、馬に主導権が渡ってしまいます。馬に人のパーソナルスペースを強く意識させる必要があります。

  1. 前後方向の働きかけ

 正面からのプレッシャーコントロールによって馬を前後方向に動かすことを目的とします。最初は馬の正面に立ち、頭部や胸前にプレッシャーを与えて後退させます(図2)。後退を促すプレッシャーとしては、リードを振り回すことや、目線などのボディーランゲージを使用します。なお、反応しない馬には無口が動くほどリードを揺らしたり、余ったリードを鼻先に触れさせたりすることによって段階的にフェーズをコントロールします。後退したらプレッシャーを解除し、停止したら褒めます。次に、人が後退しながら馬から離れ馬を呼びます(図3)。最初は軽くリードで引っ張る、あるいは人が前かがみになって伏し目がちになることで馬は前進しやすくなります。人のパーソナルスペースに侵入しない位置で馬を停止させて褒めます。停止の際に馬を褒める行為によって、馬に考える時間を与えることができます。考えて理解する時間を与えれば、調教はよりスムーズに進むと思います。

 『駐立』できない馬の問題は、この二つの働きかけで改善できると思います。馬の動くスピードと方向は、人がコントロールしなければなりません。馬が勝手に動いて(スピード有り)も、止まって(スピード無し)も『駐立』はできません。人が明確な目的を持って分かり易く働きかけることで、馬は人にフォーカスします。馬と適切な距離を保ち、動いてしまう馬にはプレッシャーを上手に使って人が馬を動かし、プレッシャー解除によって馬に自ら停止することを選択させられれば、自然と『駐立』できるようになると思います。

図1 横方向の働きかけ

馬の腰角にプレッシャーを与えて後躯を動かします。

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図2 前後方向の働きかけ①

頭部や胸前にプレッシャーを与えて後退させます。

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図3 前後方向の働きかけ②

馬が前進しやすい態勢で馬を呼び込みます。

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JRA馬事公苑 診療所長 宮田健二

離乳時のコンパニオンホース導入の効果

 当歳馬の離乳についてJRA日高育成牧場では、伝統的な“母子の群れから子馬だけを引き離す”方法ではなく、“母馬の方を数頭ずつ順に群れから引き離していく”「間引き法」と呼ばれる方法を行ってきました。近年では、間引き法と併用して「コンパニオンホース」の導入による離乳後のストレス緩和を試みています。今回は、当場における過去数年間の離乳期の当歳馬の体重データから、コンパニオンホースの効果を検証してみたいと思います。

・コンパニオンホースと間引き法

 現在、当場で行っている離乳の方法を簡単にご紹介します。まず準備として、子育て経験豊富かつ当年は子付きではない牝馬(コンパニオンホース)を予め離乳の前から母子の群に混ぜて馴らしておくことが必要です。離乳は計画的に数頭ずつ数回に分けて、群れにストレスを与え過ぎないように注意しながら行います。具体的には、離乳させたい子馬を2~3頭選択し、放牧中の母子の群れからその子馬の母馬だけ静かに引き出し、視覚的にも聴覚的にも隔離された別の放牧地に移動させるという作業を1週間毎、最終的に群に母馬がいなくなって子馬とコンパニオンホース1頭だけが残っている状態になるまで繰り返します(図1)。コンパニオンホースは乳汁こそ出せませんが、不安で嘶く子馬たちの中でも悠然と構えているため、この方法であれば子馬たちの不安を軽減してくれるのではないかと期待しています。

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図1. 離乳後の子馬とコンパニオンホース(矢印)

・コンパニオンホース導入の効果検証~当歳馬の体重データから~

 当場では、2013年より離乳時のコンパニオンホースの導入を開始しましたが、2009年以降に誕生したJRAホームブレッド計82頭の体重を比較したところ、コンパニオンホース導入前は離乳後に平均4.54kgも体重が減少していたのですが、導入以降は平均2.72kgの減少に留まっています(図2)。この差は統計学的にも有意な差であり、コンパニオンホースの導入により離乳後の当歳馬の体重減少を抑えられることがわかりました。

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図2 コンパニオンホース導入前後の離乳時の子馬の体重減少

・コンパニオンホースと引き離す際の当歳馬の体重減少

 一方、離乳後のコンパニオンホースはどうするのか?という問題が残ります。海外の文献の中には、「コンパニオンホースと離乳した子馬を引き離す際に、離乳時と同等のストレスがかかる」と書かれているものもあります。そこで、“第二の離乳”とでも呼ぶべき離乳後の子馬からコンパニオンホースを引き離す際の影響について、同様に体重減少を比較してみました。2013年以降に当場で生まれたJRAホームブレッドのうち、データが残っていた31頭について、コンパニオンホースを引き離す前後の体重を比較した結果、体重は平均0.35kg増加していました!。図2でお示しした通り、離乳時は体重が減少するのが通常であり、減少した体重の平均値は前述のとおりコンパニオンホース導入前で4.54kg、導入後で2.72kgでした。統計学的に解析したところ、第二の離乳による体重の増減幅は、これら離乳前後の体重の減少幅と比較しても有意に少ない、つまり第二の離乳は子馬の体重に影響を及ぼすほどストレスを与えない可能性があることがわかりました(図3)

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図3 子馬の体重減少の比較

・“第二の離乳”で体重が減少した当歳馬もいる

 前述の通り、第二の離乳前後の体重の増減は平均するとプラスとなりましたが、中には体重が減少した馬もいました。図4にその内訳を示しますが、最大で4kgも体重が減少した子馬がいました。

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図4 “第二の離乳”での子馬の体重減少の内訳

 以上のことから総合的に判断すると、離乳した子馬からコンパニオンホースを引き離す“第二の離乳”について、多くの場合は問題ないが中には注意しなくてはならない馬もいる、という結論が導けそうです。結局のところ、特に当歳の子馬については日頃からよく観察し、離乳時には個体の状況を勘案して個別にケアしてあげることが大切だと言えます。

 毎年、離乳後の子馬のコンディションが悪くなってしまうことにお悩みのようであれば、当場で成果を挙げているコンパニオンホースの導入も一つの方法としてご検討いただけましたら幸いです。

JRA日高育成牧場 専門役 遠藤祥郎

蹄充填剤と接着装蹄法について

 今回は装蹄に使われる蹄充填剤と蹄充填剤を用いた装蹄法についてご紹介させていただきます。

・蹄充填剤とは・・・

 馬の蹄は1か月に約10mm程度の生長をしますが、運動をすることで蹄は擦り減ります。もし、蹄の伸びる量よりも減る量のほうが多くなると、知覚部が露呈してしまい、疼痛を伴うようになってしまいます。蹄鉄を装着することは、このような過剰な蹄の擦り減りを防止して保護することを目的としています。

 一般的に、蹄鉄は蹄釘(ていちょう)と呼ばれるれる釘を蹄壁に打ち込んで装着します。しかし、蹄壁欠損などの理由によって蹄釘を打ち込む場所が確保できず、蹄鉄の装着が困難になるケースもよくあります。一昔前であれば、このようなケースの馬は蹄壁が伸びるまでの期間の休養を余儀なくされていたのですが、蹄壁の欠損部を補える充填剤が開発されたことでこのような問題が解消されるようになりました。

 皆さんもよく耳にするエクイロックス(Equilox社製)はこのような充填剤の一つです。充填剤は2種類の薬剤が混ざり合うことで硬化する、蹄専用の樹脂素材のものが一般的で、蹄壁(蹄の外側)に塗布するものと蹄底(蹄の裏側)に充填するものの2種類に大別されます。

  1. 主に蹄壁に使用する充填剤

 ・エクイロックス

 蹄壁の欠損によって、蹄釘での装蹄が困難な場合に使用します。薬剤混合時の化学反応の際に熱を発します(約60℃)が、この熱が硬化を促進します。したがって硬化時間は外気の影響を受けやすく、製品にも夏用(エクイロックスNO.Ⅰ)と、冬用(エクイロックスNO.Ⅱ)がラインナップされています。それぞれの硬化時間は夏場に夏用を使用したときは5~10分程度、冬場に冬用の時では少し延長して10~15分程度が必要となります。使用する際の注意点として、水分・油分や汚れが付着していると上手に蹄壁に接着できないことがあるため、事前にアルコール、金ブラシや紙ヤスリを使用し除去するなどの下準備が必要です。正常に硬化すると、蹄壁と同等の硬度が得られます。

【使用例】

 写真1の左は、蹄壁の欠損によって蹄の強度が保たれなくなった症例です。右の通り欠損部にエクイロックスを充填し、仮の蹄壁を作成したことで蹄自体の強度が保たれました。

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 またエクイロックスは、度重なる釘打ちなどで蹄下部が崩壊して釘打ちが困難な症例に対して蹄釘を使用しない接着装蹄法を選択する場合などに用いることもあります。(写真2)

 接着装蹄法での使い方も蹄壁に充填する時と同様に、蹄の接着予定部分を綺麗にすることから始めます。綺麗にした部分は水分や汚れが付かないように蹄ごとラップなどで巻いて保護してから肢を降ろします。ここまで準備ができたら、蹄鉄の蹄負面側(蹄と接着する面)にエクイロックスの薬剤を塗布して蹄鉄を蹄に合わせて接着します。蹄鉄の接着をより強固なものとするため、さらに蹄踵部(蹄の後半部分)の隙間にエクイロックスを充填して埋めます。仕上げにヤスリを掛けて完成です。

写真2

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・スーパーファスト(Vettec社製)

 プラスチック樹脂であることからエクイロックスに比べて硬く、蹄の輪郭に盛り付けることで歩様や肢向きの改善など、主に肢軸異常の矯正に使用します

【使用例】

 写真3は当歳馬の左前肢で、蹄の内向を矯正するために、スーパーファストを蹄外側に張り出すように盛り付けています。張り出しを作ることにより、内側に掛かる力を外側に分散させる効果が期待できます。また、歩様の際も蹄の外側が先に地面に接地するようになり、内側に傾く歩様を矯正することができます。

写真3

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  1. 蹄底に使用する充填剤

・エクイパック

 シリコン樹脂で硬化してもある程度柔さを保っているのが特徴です。挫跖や裂蹄など、蹄底への負重時に疼痛がみられる際の蹄底保護に使用します。

・エクイパックCS(写真4左)

 エクイパックに硫酸銅を混合した充填剤です。硫酸銅の混合により、蹄底への充填剤挿入が長期間に及ぶ際に起こりやすい蹄叉腐爛や、蹄底の脆弱化が予防できます。

・アドバンスクッションサポート(ACS)(写真4右)

 主に蹄葉炎の予防、治療に用います。粘土状の2種類の薬剤を混ぜることで硬化が開始し、スーパーボールと同程度まで硬化するクッション材です。

 全身疾患、栄養過多や負重性など様々な原因から発症する蹄葉炎では、蹄内部の血液循環が阻害されて蹄骨を吊り下げている葉状層が剥がれ、蹄骨が回転あるいは沈下するなどの症状が知られています。この疾患に対しては、蹄全体で均等に負重させることを目的に蹄底にACSを充填する治療法が一般的です。ACSにはある程度の硬さがあるので、下から沈下する蹄骨を支え、これ以上蹄骨が沈下しないようにする効果が期待できます。しかし、ACS自身には接着力はないため、蹄鉄を装着して挟み込むかベトラップなどで固定する必要があります。

写真4

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まとめ

 馬の装蹄で用いられる充填剤には、それぞれの用途に応じた硬度や接着力が異なる様々な製品が開発されています。蹄の状態に応じて適切な充填剤を正しく使用することで、様々な蹄病や肢勢の矯正に対応することが可能です。しかし、使用に際してはこれら充填剤の特徴や性質を十分に理解しておくことが必要であり、使い方によっては病態や肢勢のさらなる悪化を招くこともあるということを忘れてはなりません。今後、新たな充填剤が開発されることで、今よりさらに多くの症例に対応することが可能となるかもしれません。

日高育成牧場 業務課 装蹄師 津田佳典 

2021年7月27日 (火)

調教後の乳酸値データの活用

乳酸値=疲労物質?

 「乳酸値」という言葉を聞くと、「疲労物質」というイメージを持たれる方も少なくないのではないでしょうか。確かにほんの10年ほど前までは「昨日、久しぶりに運動したら、体中に乳酸が溜まって筋肉痛が・・・」などという会話が良く聞かれたもので、「乳酸の蓄積が疲労の原因」という考え方が一般的でした。ところが、最近の運動生理学では、ヒトのアスリートや競走馬の世界を例にしても、乳酸は「エネルギー源」であり、かつ乳酸を多く出すようなトレーニングをすることで持久力が向上する効果も確認されています。

 すなわち、乳酸はアスリートにとって悪者ではなく、運動する過程で必要なエネルギー物質の1つであり、効率的にトレーニング効果を高めるための指標になり得るということです。

日高育成牧場における乳酸値データの活用

 日高育成牧場ではこれまで、運動後の乳酸値データを定期的に採っており、実際の調教現場で活用しています。過去の本稿でも触れましたが、当場の育成馬を使った調査では、乳酸値を高めるような強調教を行ったことで、V200などの有酸素運動能の指標が高まることなどが確認されています。これ以外にも、乳酸値が運動強度の指標に利用できるという観点から、様々な手法を用いて現場で応用しています。

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坂路調教直後における乳酸値測定のための採血

乳酸値を活用した併走調教の組み分け

 育成馬に対する強調教は、概ね週1もしくは2回実施していますが、その際に頭を悩ませるのが併走馬の組み合わせです。従来は、走行スピード、騎乗者の感覚(手応え)、馬の動きなどを総合的に判断してきましたが、現在ではこれらの目安に調教後の乳酸値を加えて組み合わせを考えています。

 わかりやすいように図に一例を示します。12月20日の調教で、2組のグループが屋内坂路1,000mを1ハロン約18秒平均(上がり3ハロン54秒)で走ってきました。この際の各馬の調教後の乳酸値(単位は全てmmol/L)は、1組目のA馬は9.3、B馬は9.9、C馬は5.7、そして2組目のD馬は5.9、E馬は9.4でした。

 そこで、1週間後の12月27日の調教では各グループを1組目「A馬、B馬、E馬」と2組目「C馬、D馬」に変更し、1組目には1週前と同タイムの指示を、2組目には前回よりも速いタイムを指示しました。その結果、1組目は1ハロン約18秒平均で走り、この際の乳酸値はA馬は12.3、B馬は10.8、E馬は11.3という結果でした。一方、2組目は1ハロン15.5秒平均(上がり3ハロン46.5秒)で走り、C馬の乳酸値は15.1、D馬は14.7でした。2組目については、結果的に調教強度が想定よりも上がってしまいましたが、いずれのグループも1週前と比較するとグループ内の乳酸値に大きな差異を認めなくなりました。

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 我々は、このように乳酸値を活用してグループ分けを行うことで個々の馬に応じた運動負荷を適切にかけることができるのではないかと考えています。

騎乗スタッフとの乳酸値データの共有

 騎乗調教において乳酸値を活用するうえでの欠点の1つは「調教後にしか測定できないこと」で、あくまで前回の調教時のデータを活用せざるを得ないのが現状です。このため当場では、騎乗スタッフが自身の騎乗馬の動きとスピードから乳酸値を推定できるように、毎回の測定データを騎乗スタッフと共有しています。これによって、騎乗者自身がターゲットとなる乳酸値が出るような運動負荷を課すような騎乗をすることを目指しています。

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 近年、人間のアスリートの世界では、乳酸値を活用して運動強度を設定するトレーニング方法が注目されています。競走馬の世界でも同様に注目されており、「どの程度の乳酸値を上げるトレーニング強度が必要なのか」、「乳酸値を上げるトレーニングは何日間隔で行うのが効果的か」など検討課題は山積しています。

 日高育成牧場では、引き続き乳酸値を用いた調教法のデータを蓄積し、これを活用した効果的なトレーニング方法を模索したいと考えています。

※1分間の心拍数が200回に達した時の走行スピードのことで、この数値が高いほど有酸素運動能に優れていると考えられている。

日高育成牧場 業務課 冨成雅尚

ウマにおける生殖補助医療

 サラブレッド競走馬の生産は本交配に限られていますが、世界に目を向けると、乗用馬はもちろんのこと、繋駕競走用のスタンダードブレッドも人工授精や受精卵(胚)移植で生産されており、アルゼンチンのポロ競技馬ではすでにクローン技術も臨床応用されています。残念ながらサラブレッドが主体である日本ではこのような技術が身近ではなく、十分に認知されていません。今回は競馬から離れますが、一般的なウマ生産技術のことも知っていただきたいという思いから、生殖補助医療(Assisted Reproductive Technology, ART)について解説いたします。ARTとはヒトの不妊治療分野でよく耳にする言葉ですが、獣医畜産分野においても胚移植(ET)、体外受精(IVF)、顕微授精(ICSI)など、おおよそ同様のことが行われています。

 まず人工授精(AI)について解説します。AIはARTに含まれませんが、ウマ生産のごく基本的な技術です。メリットはなんといっても馬の輸送が不要であるということです。そのため、労力・コストは大きく削減され、品種改良に大きく貢献します。AIに用いられる精液には生精液、冷蔵精液、凍結精液の3タイプがあり、それぞれの受胎性や保存性などの特徴に応じて使い分けられます。冷蔵精液を用いる場合、一般的に48時間程度は受胎能力が期待できますが、時間的な制約から採取した精液は直ちに輸送、精液の到着後迅速なAIの実施が必要となります。一方、主に国外から優良な血統を導入する目的で用いられる凍結精液は、半永久的な保存が可能である反面、受胎率が低くなることや凍結保存のための特殊な設備が必要であるなどのデメリットがあります。国内でこのようなAIを実施するには獣医師もしくは人工授精師の国家資格が必要ですが、ウマ人工授精師の資格であれば北海道十勝牧場で取得のための講習会が3年毎に開かれています。また現在、国内で精液を入手するためには、乗用馬であれば遠野馬の里、重種馬であれば前述の十勝牧場から精液を取り寄せる他、フランスからの輸入精液を販売する業者(現在国内では3社のみ)を利用する必要があります。

 ウマARTの中で最も一般的に行われているのがETです。これは母馬(ドナー)を妊娠させ、受精後1週間程度でその胚(受精卵)を回収、代理母(レシピエント)に移植するという技術です。優秀な競技馬は15-20歳あたりまで競技および騎乗者の育成に活用されるため、そこから繁殖生活を始めても高い受胎性は望めませんし、産駒数も限られてしまいます。しかし、ETであれば競技生活を送りながら産駒を得ることができるため、既に欧米ではハイクラス・良血の現役競技馬に対して実施されています。この技術の難点は、ドナーとレシピエントの発情周期が一致している必要がある点です。欧米の大規模なレシピエント牧場では繋養頭数が数百頭にも及ぶため、常に最適なレシピエントを選ぶことができますが、レシピエント候補馬の繋養頭数に制限がある日本でETを実施するためには、ドナーとレシピエント双方の発情を同期化するなどの工夫が必要となります。現在、日本でウマのETを実施しているのは、唯一帯広畜産大学のみです。

 体外(シャーレ上)で卵と精子を受精させる手法であるIVFはヒトでは最も一般的なART技術ですが、ウマの精子は体外では卵細胞を覆う透明帯を通過することができないため、実用的な方法ではありません。また、ICSIとはこのIVFをさらに発展させた技術になり、マニピュレーターという専用器具を用いて精子を卵細胞に直接注入する方法のことを指します。精子を注入した受精卵は、実験室内で1週間程度培養した後にレシピエントの子宮内に移植します。ETが1度に1つの胚しか移植できないのに対し、ICSIでは1度に10個前後の卵を採取できること、さらにその採卵処置を最短2週間ごとに繰り返すことができることから、短期間に多くの産駒をとることが期待できます。また妊娠が困難な高齢馬から産駒をとることができる点も大きなメリットです。一方でこの方法は卵巣から卵細胞を吸引回収し、人工的に受精させた受精卵を培養する必要があるため、ETに比べて高い技術やコストが要求されます。現在、国内でICSIを行える施設はありません。

 今回ご紹介したウマARTは、欧米を中心に既に世界各国で研究・実用化されている技術です。この分野において日本は世界に大きく遅れをとっていますが、2017年にフランスからの凍結精液輸入が解禁されたことでハイクラスの乗用馬生産に活路が見出されました。日本でこれらの技術を用いた乗用馬生産を根付かせるためにはまだまだ多くの課題がありますが、今後益々発展し、我が国のウマ産業のさらなる発展に繋がることが期待されます。

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ドナーから胚を回収する様子(ケンタッキー大学にて)

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ドナーから回収された胚

日高育成牧場 生産育成研究室 村瀬晴崇

若馬の種子骨炎と予後

種子骨炎とは

 種子骨とは、関節部を跨ぐ靭帯あるいは腱構造に包まれている骨を指し、馬では球節の掌側(底側)にある近位種子骨、蹄内の遠位種子骨および膝関節の膝蓋骨などが知られています(図1)。この種子骨の役割は、運動時に骨や腱、靭帯にかかる負荷を分散させることですが、大きな負荷が反復してかかると損傷して炎症が起こると言われています。今回は、このうち近位種子骨の炎症(以下、種子骨炎)について解説します。

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1:馬の種子骨

診断・分類方法

 種子骨炎を発症すると、球節部の腫脹や帯熱の他、跛行(支跛)する可能性があり、発症馬は調教を中止し休養する必要があります。診断は主にX線検査で行われており、重症度にもよりますが、種子骨内の血管孔の状態を示す線状陰影の拡幅や増加、辺縁の靭帯付着部の粗造化や変形および骨嚢胞状の陰影が観察されます。これを基に、近位種子骨のX線画像を異常所見の無いものから順にグレード(G)0~3の四段階に分類(図2)することで、種子骨炎の重症度を客観的に評価できます。これらの情報は、JRAブリーズアップセールをはじめ、多くの若馬のセリ市場の上場馬情報として開示されており、購買を検討するうえで重要な情報の一つとなっています。

2:種子骨グレード(G0:異常所見なし、G1:2㎜以上の線状陰影1~2本、G2:線状陰影を3本以上・辺縁不正、G3:線状陰影多数・辺縁不正・骨嚢胞状陰影、%はJRA育成馬に占めた割合)

治療と予後

 局所の炎症やそれに伴う疼痛(跛行)が著しい場合、球節部の冷却や鎮痛消炎剤の投与が推奨されますが、基本となるのは運動制限(休養)です。また、必要とされる休養期間は、重症度により異なります(軽度:3~4週間、重度:3~6か月)。

予後の調査

 JRA日高育成牧場で育成馬を対象に行った調査では、育成馬の売却時の種子骨炎グレードと売却後に発症した疾病や成績との関連性について報告されています。前肢の種子骨グレードと競走成績の関連についての調査は、競走期のデータが不足している2歳馬などを除外した221頭で行い、前肢の種子骨グレードが高い馬はグレードが低い馬に比べて繋靭帯炎を発症するリスクが高いことが明らかになっています。

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グラフ1:種子骨グレードと前肢繋靭帯炎の発症率の関係

 一方、初出走までに要した日数や、2・3歳時の出走回数ならびに総獲得賞金に関する調査(550頭分)(グラフ2~4)では、種子骨グレードは出走回数や能力に殆ど影響していませんでした。また、一度も出走しなかった馬は9頭いましたが、いずれの原因も種子骨炎ではありませんでした。なお、出走回数や獲得賞金のグラフには一見差があるように見えますが、グレード3の中に活躍馬が含まれているためです

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グラフ2:種子骨グレードと初出走までに要した日数の関係

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グラフ3:種子骨グレードと出走回数の関係 

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 グラフ4:種子骨グレードと総獲得賞金の関係

最後に

 種子骨炎の発症を予防する方法は残念ながら報告されていませんが、JRA育成馬では、治療と休養後に調教復帰し、売却後に出走しています。他の疾患同様、早期発見・早期治療が最も重要となりますので、普段から注意深く馬体や歩様を観察することが重要です。また、種子骨炎を発症したことがある馬に対しては、調教を進めるにあたって定期的に検査を実施し、再発や繋靭帯炎などの続発を防ぐため、状態に合わせた調教、その後の患肢冷却および飼養管理を行うことが推奨されます。

日高育成牧場 生産育成研究室 琴寄泰光

2021年6月16日 (水)

BUセールに向けての日高育成牧場における取り組み

 2020JRAブリーズアップセールは、新型コロナウイルス感染症の拡大を防止する観点から例年行ってきた中山競馬場でのセリ開催や騎乗供覧等を取りやめ、メール入札方式に変更しての開催となりました。異例の開催となってしまいましたが、日高育成牧場におけるJRA育成馬への調教は例年の質の高さを維持しつつ、運動負荷については例年以上の強度で行ってきました。

 本年売却した育成馬に対しては、例年よりやや早めの12月頃より調教のギアを上げ始め、年明け以降も坂路およびトレッドミルを用いて昨年より高強度の調教を実施してきました。グラフ①は、昨年2019年(△)と本年2020年(●)の1月20日前後の屋内坂路ウッドチップコース(1000m)でのスピード(上がり3ハロン平均値)と乳酸値のデータを示します。昨年と比較して本年は坂路でのスピードが速く、調教後の乳酸値が高い、すなわち運動強度が高い調教を課してきたことが分かります。

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グラフ①.昨年と本年の1月20日前後の屋内坂路コースでのスピードと乳酸値

 約1ヶ月後にあたる2月中旬の同じデータをグラフ②に示します。昨年と比較すると本年は全体的にスピードが速い馬が多い一方で、乳酸値が低い傾向にあることが分かります。すなわち、2月時点では本年の育成馬の方が昨年に比較してより体力がある、すなわちグラフ①で示したような高強度の調教を継続した効果が表れたものと推定することができます。

 さらに、走行中の心拍数とスピードから算出されるV200(1分間の心拍数が200に達した際の走行スピードで示され、持久力の指標とされる。値が高い方が持久力に優れている)については、日高育成牧場では例年2月と4月に測定していますが、いずれの月も過去2年に比較して高値を示しており、特に本年4月の703.5m/minという値は過去最高を記録しました(グラフ③)。このように、乳酸値のみならず、心拍数データからも本年の育成馬の体力の高さを伺い知ることができます。

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グラフ②.昨年と本年の2月中旬の屋内坂路コースでのスピードと乳酸値

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グラフ③.過去3年の2月および4月の800ダートコースにおけるV200

 もちろん若馬に対する強運動負荷は、体力向上が期待できる半面、馬体や精神面への悪影響も懸念されます。本年の調教についてはその点を考慮し、強調教の翌日にはハッキングもしくはウォーキングマシンでの常歩調教を行うなど、ダメージ回復に努めました。本年の育成馬の運動器疾患の発症頭数(一定期間の休養を要したもの)が例年と同程度であったことから、本年の強調教による馬体への悪影響は、例年より多かったわけではないと感じています。ただし、牝馬においては例年より食欲の減退が多く認められたことから、調教メニューを組み立てる際にはフィジカル面のみならずメンタル面をも含めた十分なケアと、必要な運動の負荷とを両立させるよう留意することが今後の課題と捉えています。

日高育成牧場 業務課 冨成雅尚