競走馬のエサとトレーニングⅠ(炭水化物と脂肪)
No.149 (2016年6月15日号)
♪どうしてお腹が鳴るのかな?♪と童謡にもありますが、この腹が鳴る現象、腹鳴(はらなり)は、“食事を摂ってください”という体の合図であるともいえます。食物に含まれる様々な栄養はどれも重要であり欠くことはできませんが、量だけでみれば、ほとんどエネルギーを摂るために食べているといえます。エネルギーは、体温を維持する、心臓や内臓を動かす、体を動かすなどのあらゆる生命活動に使われます。腹鳴は、血糖値が低下したとき胃の動きが活発になり、胃内のガスが押し出されるときに出る音とされています。恥ずかしいときもある腹鳴ですが、体内のエネルギーが切れないようにする警告音だと考えれば、羞恥心も減るかも?しれませんね。
エネルギー源として使われる物質は主に炭水化物と脂肪です。時速60km以上で走る競走馬は非常に多くのエネルギーを摂る必要がありますが、エネルギーの素となる炭水化物や脂肪の理想的な摂取量はあるのでしょうか?
ウマの炭水化物と脂肪摂取
この話題について考えるために、まず、草食動物であるウマの炭水化物と脂肪の摂取と利用について知る必要があります。ヒトの場合、そもそも脂肪はある程度摂取しており、脂肪の摂取が推奨される場合はほとんどありません。ヒトの食事中の脂肪は15~30%であり、それに対して、一般的なウマの飼料、牧草や燕麦に含まれる脂肪は3~4%程度で、ヒトの場合よりはるかに低くなっています。つまり、ウマはエネルギーの大半を脂肪ではなく炭水化物から摂取していることになります。
それでは、摂取した炭水化物は、そのまま炭水化物としてエネルギーの材料になるのでしょうか? 炭水化物を摂取したからといって、体内でも炭水化物として利用されるとは限りません。体内で脂肪に変換され、その後にエネルギー生成の材料として使われることがあります。炭水化物はある特定の物質の名称ではなく、“グルコース(ブドウ糖)”同士が多数繫がって構成されている物質の総称です。そして、その繫がりの強さの違いによって、炭水化物は「糖類」と「食物繊維」というグループに大きく分けられます。ちなみに、糖類はグルコースの繋がりが弱く、食物繊維の方が強く繋がっています(図1)。この繋がりの強さの違いが糖類と食物繊維の消化吸収のされやすさに影響します。
ウマが食べている飼料の中で、糖類のグループに入る代表的なものは、燕麦などの穀類に多く含まれるデンプンです。一方、食物繊維のグループの代表的なものは、牧草などの粗飼料に含まれるセルロース(植物繊維の主成分)という物質です。デンプンは、ウマの小腸内で酵素(アミラーゼなど)の作用により、小さな単位であるグルコースやフルクトース(果糖)に分解され吸収されます(図2)。一方、セルロースは小腸では消化吸収されず、盲腸や結腸内の数百億ともされる数のバクテリアや原虫によって発酵され揮発性脂肪酸に変換された後、吸収されます。
生成される揮発性脂肪酸は、酢酸・酪酸・プロピオン酸です。脂肪酸とは脂肪を構成する最小単位の物質なので、炭水化物であるセルロースは最終的に脂肪に変えられたことになります。穀類は炭水化物としてエネルギーの源を供給しますが、牧草の場合は、脂肪として含まれている量以上に、結果として脂肪を供給することになります。牧草を主体に摂取するということは、穀類を摂取する場合と比較すると、エネルギー源としてより多くの脂肪を摂取しているといえます。 (図1)糖類と食物繊維におけるグルコースの結合
(図2)炭水化物(デンプンおよびセルロース)の消化器官における消化・吸収
摂取飼料の違いが運動中の炭水化物および脂肪がエネルギー源として利用される割合に影響するのか?
ここまでの内容を予備知識として、本題に入りたいと思います。競走馬が穀類を主体とした飼料または植物油や植物繊維を主体とした飼料を摂取したとき、運動中のエネルギー源として利用される炭水化物と脂肪の割合に影響を及ぼすのでしょうか? ヒトの場合では、自転車で時速30km程度の軽い運動を行ったときには、普段から脂肪の摂取量が多いヒトの方が運動中の脂肪の利用割合が高かったことなど、炭水化物と脂肪の摂取割合の違いが運動中のエネルギー利用割合に影響することが知られています。しかし、草食動物であるウマにおいて、雑食動物である人間のように給与飼料内容の違いにより運動中の炭水化物および脂肪のエネルギー利用割合に影響があるのでしょうか? また、時速70㎞以上で走破する競輪に近い全力疾走の競馬の場合でも、時速30kmの自転車走と同じようなエネルギー利用割合になるでしょうか?
デンプンを主体に給与したウマと、油(脂肪)と植物繊維を主体に給与したウマで、運動時に脂肪がどれぐらいの割合でエネルギー源として利用されているかについて実験を行いました。炭水化物も脂肪も体内の組織で使われるだけでなく、組織から血液中に出てくることもあります。そこで、安定同位体で標識した脂肪を食べさせて、組織への脂肪の取込速度を調べました(図3)。組織への脂肪の取込速度は、おおむね脂肪がエネルギー源として利用される程度を表しています。グラフの縦軸は組織への脂肪の取り込み速度、横軸は時間経過を示しています。横軸に、赤字で“W・T・C・G”とあるのは、英語のウォーク(Walk:常歩)・トロット(Trot:速歩)・キャンター(Canter:駈歩)・ギャロップ(Gallop:襲歩)を意味し、全体の運動内容は図に示すとおりです。運動前の“-60、-45・・・”は、運動開始を0分として、運動何分前であるかをマイナスで示しています。-60は運動開始60分前を表します。“高デンプン”飼料のグループには、トウモロコシのデンプンを主体とした配合飼料を約1ヵ月間、毎日4㎏給与しました。グラフでは黄色の○で示しています。“高脂肪・繊維”飼料のグループには、植物油や植物繊維が豊富なビートパルプを主体とした配合飼料を同様に給与しました。グラフではピンク色の○で示しました。運動前においては、高デンプン飼料を与えたウマと高脂肪・繊維飼料を与えたウマの間で、脂肪のエネルギー利用に差はありませんでした。運動中をみてみると、速歩(T)においては高脂肪・繊維飼料給与グループの脂肪の利用割合は高くなりましたが、よりスピードの速い駈歩(C)や襲歩(G)においては飼料間の差はありませんでした。どちらの飼料グループにおいても、運動中よりも運動後の方が脂肪の利用割合は大きくなりますが、飼料間の差はありませんでした。
今回はお示ししませんが、炭水化物(グルコース)の運動中の利用割合にも飼料間に違いはありませんでした。速歩のような遅いスピードでは、脂肪(もしくは脂肪源)を多く摂取していたウマで、脂肪の利用割合は高まるようですが、それより速いスピードのときは、給与飼料中の炭水化物と脂肪の量は運動中の両者のエネルギー利用割合に影響しないようです。
有酸素性エネルギー供給と無酸素性エネルギー供給
運動するためのエネルギーの生成には、筋肉内のアデノシン三リン酸(ATP)という物質が必要なのですが、ATPの蓄えはあまり多くありません。そこで、運動を持続するためには、常にATPを再合成していかなければなりません。ATPの合成方法にはいくつかの種類があり、炭水化物もしくは脂肪を材料とし(少ないがタンパク質も一部使われる)、酸素を利用するATPの合成過程は「有酸素性エネルギー生成」とよばれます(図4)。一方、酸素を必用としないATPの合成過程もあり、このときは「無酸素性エネルギー生成」とよびます。無酸素性エネルギーの生成過程では、脂肪は使われず、材料は炭水化物(筋肉中のグリコーゲン)のみです。無酸素性エネルギー生成は有酸素性エネルギー生成に比べてATPの合成量は少ないですが、すばやく供給できるため、運動強度が強くなるにしたがって、エネルギー需要のうち無酸素性に生成されるエネルギーが占める割合は高くなります。
軽い運動のときは、炭水化物または脂肪の普段の摂取量は、有酸素性のエネルギー生成を炭水化物あるいは脂肪のどちらに依存するかということに影響を与えるようです。しかし、競馬のような強い運動が負荷されたときは、エネルギー生成は、炭水化物を材料とした無酸素性のエネルギー生成にかたよります。そのため、先の試験において、炭水化物または脂肪の摂取量の違いが、強い運動負荷時の脂肪のエネルギー利用割合に影響しなかったのであろうと考えています。
それでは、競走馬には炭水化物を多量に給与すべきなのでしょうか? 競走馬もアスリートなので、ある程度は炭水化物を重点的に摂取すべきです。しかし、炭水化物を過剰に摂取しても意味は無く、どこかのCMのセリフのように「今でしょ」というときに必要なものであり、そのために適正なタイミングが摂取することが重要です。このことに関する解説は、また別の機会に紹介したいと思います。
(日高育成牧場 研究役 松井 朗)
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