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2021年1月22日 (金)

妊娠馬のホルモン検査

早朝には氷が張るようになり、冬の訪れを感じるようになりました。ほとんどの胎子は母馬のおなかの中で順調に成長していますが、毎年受胎頭数と出生頭数の間には700頭以上のロスが生じているように、残念ながら出産に至らない子馬もいます。今回は、妊娠馬モニタリング法の一つであるホルモン検査について解説いたします。

妊娠馬のホルモン変化
ホルモン検査は母馬の血中プロゲステロン、エストラジオール濃度を測定することで、妊娠が順調に進行しているか評価します。両ホルモンは非妊娠時には発情サイクルに合わせた周期的な変化をしますが、妊娠すると特有の変動を示します(図1)。妊娠前半には大きく変化し、7ヶ月以降には安定します。そして、10ヶ月頃から分娩に向けて再び大きく変化します。

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図1 妊娠馬の血中ホルモン動態


一般に、プロゲステロンは子宮収縮(陣痛)抑制や子宮外口の閉鎖に、エストラジオールは胎子の成長に伴う子宮の拡張に寄与していると言われています。これらの合成分泌には母馬のみならず胎子も大きく関与しているため、胎子に異常があった際の指標となりうるのです。胎子はストレスホルモンと呼ばれるコルチゾールを合成できず、ストレスを受けた場合には代わりにプロゲステロンが上昇します。
一方、エストラジオールは胎子の性腺(精巣・卵巣)がその前駆物質を合成しているため、胎子の活力が低下すると母体血中エストラジオール濃度が低下します。海外の研究ではプロゲステロンが有用である一方、エストラジオールはそうではなかったという報告がありますが、我々は両方測定することでより精度で異常を検知できると考えています。

ホルモン検査の注意点
ホルモン検査は採血するだけの手軽な検査法ですが、注意しなければいけない点が二つあります。一つは馬ごとの個体差が大きいことです。そのため、平均値(標準値)と比べるのではなく、複数回測定して馬ごとの変化をみることが重要です。二つ目は測定系によって値が異なるということです。このホルモン検査には幾つかの測定系がありますが、測定系によって値が若干異なるため、その標準値も違ってきます。検査施設によって測定系が異なりますので、異なる施設間の値を比較しないように気を付けてください。なお、このホルモン検査は長らく栃木県の競走馬理化学研究所で受託していましたが、2017年からはその業務が帯広畜産大学の動物医療センターに移っています。詳しくは担当の獣医師にご相談下さい。

実際の使用例
測定はいつから行うべきですか?どのくらいの間隔で測定するべきですか?といった質問をよく受けます。まずは7ヶ月齢頃から4週間隔の測定を基本として、結果が気になった場合には追加検査として超音波検査をする、予防的に投薬を開始する、間隔を詰めて再検査するといったことを検討してみてください。全頭が定期的に妊婦検診を受けるというのは現実的ではありませんので、特に高価な馬、預託されている馬、過去に異常産歴のある馬などターゲットを絞って試してみてはいかがでしょうか。

現状の問題点
流産にはさまざまな原因があり、それぞれ流産に至る経過が異なるため、残念ながら全ての異常を同じように検知できるわけではありません。馬鼻肺炎ウイルスによる流産を検知することは難しそうです。この分野の研究は主に感染性胎盤炎について進んでいますが、それ以外の原因については実験モデルをつくることも難しく、十分なデータがないというのが実情です。

おわりに
流産とは交通事故のような突発的なものではなく、母子に何らかの異常が生じた結果として起こります。残念ながら目に見える流産兆候が認められてからの対処では防ぐことが難しく、そのような兆候が現れる前に異常を検知しなくてはなりません。ホルモン検査のみでは確実なモニタリング法とは言えませんが、目に見えない胎子の状態を評価する方法としては手軽で現実的な方法です。また、このような試みをする中で研究も発展していきますので、興味がある方は是非お試し下さい。

日高育成牧場生産育成研究室 主査 村瀬晴崇

ロドコッカス肺炎

 本稿では、昨年改訂された「子馬のロドコッカス感染症(中央畜産会出版)」より主なポイントを抜粋してご紹介いたします。なお同誌は軽種馬防疫協議会のサイトで無料ダウンロードできますので、是非ご一読ください。

発症馬と不顕性感染馬
本感染症の発生時期は毎年4月下旬から9月上旬で30~50日齢の頃に発症、50~70日齢の頃に死亡することが多いようです。諸外国においては、罹患率5~17%・致死率40~80%などと報告されていますが、日高地方においては、罹患率は5%以下、致死率は約8%と推定されています。近年でも毎年20頭前後の子馬が死亡あるいは淘汰されていることが伺えます。また、感染しても(体内に菌が入っても)ほとんど症状を示さない不顕性感染例が多いことも本感染症の大きな特徴です。

菌の感染経路
本感染症の原因菌であるロドコッカス菌は馬の飼育環境中の土壌に生息し、子馬の口や鼻から感染します(経口感染)。肺に入った菌は喉まで押し上げられ、嚥下により消化管を介して多量の菌を含む糞便が排出されます。これによって土壌や厩舎環境が汚染されるため、子馬の糞便は重要な汚染源と言えます。前述の不顕性感染子馬も糞便に多くの菌を排出します。また、厩舎内の空気中からも分離されており、土壌のみならず閉鎖環境における気道感染の可能性も示唆されています。

診断方法
 ロドコッカス菌は一般的な抗生物質が効きづらいため、子馬が肺炎に罹った際にはロドコッカス感染か否かを診断することが重要になります。直接、菌の存在を確かめるためには鼻腔ぬぐい液ではなく、気管洗浄液を採取しなければなりません。ただ、確定診断には時間と手間がかかるため、簡便な診断方法として血液検査による抗体価の測定や胸部エコー検査により間接的に推定することも一般的です。疫学情報も極めて重要な判断材料です。毎年発生するような高度汚染牧場やすでに何頭も発生している場合には、確定診断をするまでもなく、本症を疑った治療が選択されます。近年、JRA総研においてLAMP法を用いた診断法が報告されました。これはわずか1時間程度でロドコッカス遺伝子の有無を直接判定できます。特殊な機器を必要としないため、臨床現場における迅速診断法として期待される検査法です(写真1)。

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治療法

 ロドコッカス感染症の治療は世界的にもマクロライド系抗生物質(日本では主にアジスロマイシン)とリファンピシンの併用がゴールドスタンダードとなっています。ただ、近年海外ではこれらが効かないロドコッカス菌が報告されており、このような耐性菌による感染は予後が悪いと言われています。今のところ日本で耐性菌は確認されていませんが、常に頭の片隅に入れておかなければいけません。

予防法
飼育密度の低減、血漿製剤の投与、胸部エコー検査によるモニタリング、抗生物質の予防的投与など海外ではさまざまな予防管理法が報告されています。残念ながら、飼育密度の低減や日本では市販されていない血漿製剤の投与は現実的ではありません。胸部エコー検査は発熱するよりも早い段階で診断できることもあり有効な検査法ですが、治療を必要としない不顕性感染例まで検出されるため、手間と費用が膨れる可能性があります。抗生物質の予防的投与はコストがかかることに加えて、前述の耐性菌を生み出すリスクがあり推奨できません。ロドコッカス感染症については、昔から数多くの研究が行われているにもかかわらず、未だに有効な対処法がないというのが実情です。成書にも「残念ながら効率的な予防管理法はない」と明記されています。

さいごに
日本における致死率は近年大きく低下しました。これは獣医療の発展というよりも牧場スタッフの意識向上、特に細やかな検温による早期発見によるところが大きいと思われます。牧草作業が始まり、牧場では相変わらず忙しい時期が続くと思われますが、子馬が疾病に罹り易い時期でもありますので、引き続き十分な健康管理を心がけましょう。


日高育成牧場 生産育成研究室・主査 村瀬晴崇

2020年5月28日 (木)

胎盤炎

No.158(2016年11月1日号)

 

 繁殖シーズンからの牧草作業、セール、そして離乳も落ち着き、生産者の皆様はようやく一息つける時期かと推察します。この時期、毎日繁殖牝馬を管理していても胎子の発育を感じにくいものですが、お腹の中で着実に成長しています。しかし、妊娠中は常に流産のリスクがあり、実はおなかの中では流産に向けて異常が進行しているかもしれません。本稿では感染性流産の主な原因である「胎盤炎」についてご紹介いたします。

 

胎盤炎とは

 胎盤とは我々哺乳類のみがもつ組織です。母馬にとって異物である胎子を許容し、栄養供給、ガス交換、老廃物の除去、妊娠維持に必要なホルモンの分泌など多くの役割を担います。胎盤に感染・炎症が起こると、上述したさまざまな機能が阻害され、胎子の発育遅延や死亡に至ります。

 胎盤炎は、感染性胎盤炎あるいは上向性胎盤炎とも言われます。つまり、細菌や真菌(カビ)といった病原微生物が外陰部から頚管を通って(上向性に)子宮に侵入し、胎盤を侵します。主な原因菌は大腸菌や連鎖球菌、アスペルギルスといった一般環境中にいるものです。高温多湿な日本では海外よりカビの割合が多いのですが、カビは細菌よりも治りづらく、やっかいです。そのため、妊娠馬にはカビで汚染された寝藁や乾燥を与えないようにしましょう。

 胎盤炎は時間をかけて進行します。陰部滲出液、乳房腫脹といった異常が認められる時点では、すでにお腹の中の病態は進行しています。そのため、流産を防ぐためにはこのような症状を示す前に異常を診断し、治療を始めることが重要となります。

 

早期の診断が重要

 胎盤も炎症が起きると腫れるため、超音波検査で胎盤の厚みを計測することで診断できます。この指標はCTUP(Combined Thickness of Uterus and Placenta:子宮胎盤厚)と呼ばれ、エコーを用いた直検で簡単に計れます。また、ホルモン検査も有効です。胎盤や胎子の異常はホルモン代謝異常を来たすことが多いため、母馬の血液中ホルモンを測定することで早期に異常を診断できます。しかし、ホルモンは個体差が大きいため、1回の測定では微妙な判定はできません。そのため、妊娠7ヶ月以降において継続的に測定(モニタリング)することにより、より正確な診断が可能となります。妊娠馬全頭にホルモン検査を行うのは現実的ではないかもしれませんが、過去に流産歴のある馬だけでも検討してみてはいかがでしょうか。

 

胎盤炎の治療

 胎盤炎には治療が必要です。感染に対して抗菌剤(主にST合剤)、炎症に対して抗炎症剤(主にバナミン)、陣痛抑制剤として子宮収縮抑制剤(リトドリン製剤)や黄体ホルモン剤(プロゲストンやレギュメイト)、海外では抹消血管拡張剤(ペントキシフィリン)が用いられます。ただ残念ながら、現状では確実に流産を防げるわけではありません。十分な治療成果が得られない理由としては、発見の遅れ、注射剤を含めて十分な投薬が難しいこと、真菌に対しては抗菌剤が効かないこと、ヒトのように絶対安静ができないことなどが挙げられます。

 

 さまざまある流産原因の中で、胎盤炎は感染実験を含め、比較的研究が進んでいると言えます。まだまだ十分ではありませんが、流産を予防するためには、新しい知見を積極的に利用してみることが必要です。生産者の皆様には新しい検査法・治療法についてのご理解よろしくお願いします。

 
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写真1 感染胎盤。破膜部(上方)が変性して白くなっている。右の胎盤は底側(写真左側)に広く膿が付着している。

 
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写真2 正常なCTUP像。妊娠後期には胎盤が発達し、子宮と胎盤の2層構造が確認できる。異常時には胎盤の肥厚や剥離が認められる。

 

 

(日高育成牧場 生産育成研究室 村瀬晴崇)

2020年5月13日 (水)

交配誘発性子宮内膜炎

No.147 (2016年5月15日号)

 

   

 日中は暖かく、放牧地の緑も鮮やかになり、放牧地で横たわる当歳馬の姿に心安らぐ季節になってまいりました。交配シーズンもピークを過ぎ、若干タイミングが遅れてしまいましたが、本稿では「交配誘発性子宮内膜炎」についてご紹介いたします。

 

子宮内膜炎

 子宮は粘膜、筋層、漿膜からなる3層構造をしています(写真1)。この粘膜は内膜とも呼ばれ、発情期に浮腫を起こし、エコー検査で特徴的な所見を示す部位です。また、内視鏡検査時には直接観察できる部位ですので、生産者にとってはイメージしやすいことかと思います。子宮内膜炎とは、主に外陰部から病原微生物が進入し、感染することによって、子宮内膜に炎症が生じることを指します。

1_10 写真1

 

交配誘発性とは

 受胎に必須の交配が受胎を阻害しうる子宮内膜炎を起こすということについては、違和感を抱く方がいるかもしれません。その主な理由は交配時に異物が混入してしまうことです。種馬の陰茎は清潔に管理されていますが、交配時に多少混入することは避けられません。しかし、それ以上に注目されているのは精液自体の影響です。交配の際、子宮内には約80mlの精液が射精されます。この精液自身が牝馬にとっては異物であるため、子宮内から排除しようという生理反応が起きます。これが交配誘発性子宮内膜炎の正体です。従って、これは病気ではなく正常な自浄作用と言えます。通常は交配10-12時間後をピークに、24時間後までには炎症が収まるため、受胎性に影響はありません。

  

問題になるケース

 しかしながら、サラブレッドの中には炎症が持続することで受胎に影響を及ぼす例が10-15%あると報告されています。交配後の炎症が3日4日と続くと、子宮体からPGF2αの分泌が惹起され、妊娠維持に重要な黄体を退行させる、つまり受胎を阻害する要因となります。このように炎症が持続する馬の条件として、子宮平滑筋の収縮が乏しかったり、子宮が落ち込んでいたり(産歴の多い馬)といったことが知られていますが、臨床現場においてこれを明確に診断することは難しく、あまり一般的ではありません。簡単な診断は交配翌日のエコー検査で貯留液を確認することです。貯留液が認められる場合には、本疾病が生じていると考えられます。発情期には若干の粘液が認められるため、教科書的には深さ2cm以上の貯留液が炎症の指標とされます。

  

対処法

 対処法の一つは交配翌日の子宮洗浄です。受精に必要な精液は交配2-4時間後には卵管に移動するとされており、実際交配4時間後に子宮洗浄を行っても受胎性は低下しないという研究報告があります。そのため、子宮洗浄を実施するタイミングは交配4-18時間後が推奨されます。もう1つの対処法はオキシトシンの投与です(写真2)。オキシトシンは子宮平滑筋を収縮させることで、貯留液の排出を促します。やはり交配4-6時間以降に投与することが推奨されます。子宮洗浄よりも簡便に行えますが、半減期(血液中で濃度が半減する時間)が7分と短く、子宮収縮作用は短時間に限られます。そのため、特に注意すべき馬に対しては4-6時間おきに複数回投与することが推奨されます。PGF2α製剤(いわゆるPG)はオキシトシンよりも子宮収縮作用が長く続くため、同様に用いられていますが、排卵後の黄体形成を阻害するという報告もありますので、注意が必要です。

 いずれにしても交配翌日にエコー検査を受けることが肝要です。近年、排卵促進剤が普及したことで、排卵確認を省略するケースが散見されますが、本疾病の確認のためにも交配翌日のエコー検査を推奨いたします。交配自体が子宮内膜炎を誘発するという現象については近年広く認識されつつあります。全ての馬に対して処置が必要というわけではありませんが、該当する馬に対しては適切な処置が必要です。本稿が皆様の受胎率向上の一助になれば幸いです。2_7 写真2

 

 

(JRA日高育成牧場 生産育成研究室 村瀬晴崇)

馬運車内環境の改善効果

No.146 (2016年5月1日号)

 

 

 4月26日(火)にJRA中山競馬場でJRAブリーズアップセールが開催され、日高および宮崎育成牧場での騎乗馴致を経て後期育成を終えたJRA育成馬たちは、無事に新しい馬主様に売却されていきました。今後は出走を目指してトレーニング・センターや育成場で調教を積み、各地の競馬場での出走に備えることになります。このように競走馬は生まれてから引退後まで、日本各地を移動し続けることになり、馬運車内にいる時間は少なくありません。そこで、今回は競走馬の「馬運車内環境」について触れ、その中でも我々が昨年研究を行った「馬運車内環境」の改善の試みについてご紹介したいと思います。

 

「輸送熱」の発症要因と予防方法

 みなさんも「輸送熱」という言葉を聞いたことがあると思います。これは輸送(特に20時間以上の長時間輸送)によって発熱する病気の総称です。「輸送熱」の発症要因としては、輸送のストレスによる免疫力(細菌などと戦う力)の低下や長時間輸送による「馬運車内環境」の悪化などが知られており、これらの要因が細菌感染を助長するため、「輸送熱」を発症してしまうと考えられています。以上のことから、「輸送熱」を予防するためには細菌感染を防ぐ手立てを準備しておくことが重要となります。

 近年の「輸送熱」を予防する方法としては、①輸送直前の抗生物質の投与、②輸送前の免疫賦活剤(免疫力を高める薬剤)の投与、③「馬運車内環境」の改善などが行われています。①の抗生物質の投与は、近年では最も一般的な「輸送熱」の予防方法であり、特にマルボフロキサシン製剤の輸送直前投与が実施されるようになってからは、「輸送熱」の発症が大幅に減少しました。しかしながら、抗生物質の投与を行うことで輸送後に腸炎(重篤な下痢)を発症してしまう可能性があることや耐性菌(抗生物質が効かない細菌)が現れてしまう可能性も指摘されていますので、抗生物質の投与以外の効果的な予防方法を確立することも求められています。今回はその中で③の「馬運車内環境」の改善による予防方法ついてご説明いたします。

 

輸送中の「馬運車内環境」は悪化していく

 輸送中の「馬運車内環境」について改めて考えてみますと、競走馬にとっては非常に不快な場所であると考えられます。1頭分の狭いスペースに押し込まれ、その場所に長い場合には20時間以上にわたって立っていなければいけないことを強いられているわけで、これだけでも大きなストレスを受けているはずです(図1)。

 さらに、輸送中には馬運車内に糞尿が増えていくことから、アンモニア等の悪臭の発生や湿度の上昇なども合わせて起こり、時間の経過と共にさらに「馬運車内環境」は不快なものとなっていきます。そして、これらの「馬運車内環境」の悪化が細菌増殖の温床となったり、それぞれの個体の免疫力を低下させたりする要因となっていると考えられます。そこで、「馬運車内環境」を改善することが「輸送熱」の発症予防に繋がるのではないかと考え、研究を行いました。1_8

図1.輸送中の馬の狭い空間で立っているため大きなストレスを受けています。

 

微酸性次亜塩素酸水の空間噴霧による環境改善の試み

 微酸性次亜塩素酸水とは次亜塩素酸ナトリウムという物質を希塩酸で弱酸性(pH6程度)に調整した消毒薬であり、多くの細菌やウイルスを死滅させる効果やアンモニア等の悪臭物質も分解する効果があります。さらにこの消毒薬は、反応後に水へと変化することから、生体への悪影響無く安全に空間噴霧できるという利点があります。以上のことを踏まえ、この微酸性次亜塩素酸水を空間噴霧することによる「馬運車内環境」の改善効果について以下の研究を行いました。

 今回の研究では、北海道から宮崎へ輸送するサラブレット1歳馬11頭を用いて、1台は通常の馬運車(対照群:6頭)で輸送し、もう1台は微酸性次亜塩素酸水を噴霧した馬運車(噴霧群:5頭)で輸送しました。輸送中の馬運車内の細菌数やアンモニア濃度を測定したり、輸送馬の状態を検査したりして噴霧による「馬運車内環境」の改善効果を調べています。輸送中の馬運車内の細菌数は、噴霧群の方が減少するという結果が得られました(図2)。これは噴霧効果によって細菌やウイルスが減少したことに加え、埃などの異物も少なくなっていた結果によるものと考えられます。また、輸送中のアンモニア濃度については、輸送24時間後までは噴霧群の方がアンモニアの濃度が低いという結果が得られました(図3)。これらの結果から、微酸性次亜塩素酸水の噴霧には、「馬運車内環境」を改善させる効果があると考えられ、「輸送熱」の予防に繋がる可能性が示されたと言えます。2_6

図2.輸送中の馬運車内細菌数は対照群に比べ噴霧群の方が少ない。3_6

図3.輸送24時間後までは馬運車内のアンモニア濃度は噴霧群の方が低い。

  

最後に

 様々な予防方法の確立によって「輸送熱」は減少傾向にありますが、完全に発症を予防するには至っておりません。また、これまで確立してきた予防方法の効果が無くなったり、副作用が生じてきてしまったりする可能性も考えられます。そのため、今後も新たな予防方法を確立していくための研究を行っていき、皆様にご紹介していきたいと考えております。一方、実際に競走馬に関わっている皆様にも快適な「馬運車内環境」で輸送を行うという意識を持っていただければと思います。それぞれの馬の状態をしっかりと見極めていただき、少しでも快適な環境で輸送できるようにしていただければ幸いです。

 

 

(宮崎育成牧場 育成係長 岩本 洋平)

2020年5月 8日 (金)

ERVの予防

No.139(2016年1月15日号)

 年が明け、いよいよ繁殖シーズンが迫ってきました。本稿では今一度馬鼻肺炎ウイルス(ERV)による流産について解説いたします。ERVは妊娠後期(妊娠9ヶ月齢以降)に流産を起こすヘルペスウイルスの一種です。現在のところ、馬鼻肺炎に対する特別な治療法はなく、妊娠馬は無症状のまま突然流産することが多いため予防が重要となります。ERVは我々人間の口唇ヘルペスと同じく体内に潜伏し、ストレスなどで免疫が低下した際に発症するというやっかいな特性をもっています。そのため、妊娠馬には馬群の入れ替えや放牧地変更といったストレスを与えないよう注意が必要です。当然、体内に潜伏していたウイルスが再活性化するだけでなく、外部から新たにウイルスに感染することも大きな原因となります。

 

踏み込み消毒槽

ERVには逆性石鹸(パコマやアストップ)、塩素系消毒薬(クレンテやビルコンS)など一般に用いられる市販消毒薬が有効です。冬期の踏み込み消毒槽には、低温でも効果が比較的維持される塩素系消毒薬の使用が推奨されますが、北海道では消毒液が容易に凍結してしまうことが大きな問題となります。凍結防止のため市販のウインドウウォッシャー液で消毒薬を希釈することが、牛の分野ではしばしば推奨されています。この件について、JRA競走馬総合研究所で検証したところ、ビルコンSでは-10℃まで有効でしたが、常温に比べて大きく効果が低下しており、牧場現場の踏み込み槽としては必ずしも推奨できないと考えています。低温下では消毒薬の効果が低下してしまうため、凍結しなければ良いというわけではなさそうです。水槽用のヒーターを用いることが理想ですが、残念ながら踏み込み消毒槽用の製品は市販されておらず、確実な消毒効果を期待するのであればその都度微温湯で消毒液を作成するのがベストです。こまめな微温湯の作成が困難な状況においては、ウインドウウォッシャー液や自作ヒーターを検討してみてはいかがでしょうか。また、消毒薬の効果は薬液を攪拌することで向上しますので、踏込槽に軽く踏み込むだけではなく数回足踏みをするように心がけて下さい。

 

洗剤による消毒効果

 JRA競走馬総合研究所では洗剤の主成分である直鎖アルキルベンゼンスルホン酸(LAS)による消毒効果も検証しています。その結果、通常の使用濃度(台所用洗剤であれば500倍希釈程度)でERVに対する消毒効果があることが分かりました。そのため、こまめに馬具を洗浄や衣服の洗濯も予防に有効であると考えられます。

 

繁殖厩舎専用の長靴と衣服

多くの生産牧場は繁殖牝馬と明け1歳馬を同じスタッフが管理していると思われます。ERVは若馬の呼吸器症状の原因でもあり、手入れや引き馬の際に腕に付着する若馬の鼻汁は感染源として注意する必要があります。日高育成牧場では、この鼻水が妊娠馬に付かないよう、妊娠馬を扱う際にはアームカバーを着けています(写真1)。

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牧場によっては繁殖厩舎専用の長靴を用意しています。小規模牧場ではなかなか実施しにくいと思われますが、リスクの高さを考えれば、繁殖厩舎に専用の長靴と上着を用意することは決して大げさではありません。

 

ERV生ワクチン

ERVに対するワクチンは、従来の不活化ワクチンに加え新たに生ワクチンが開発され、平成27年から流通しています。一般に、不活化ワクチンより生ワクチンの方が免疫増強作用が高いとされているため、生産界でもより有効な流産予防として注目されていました。しかし、生ワクチンの効能として現在認められているのは呼吸器疾病の症状軽減のみであり、流産予防としての妊娠馬への使用は禁止されています。一方で、従来からの不活化ワクチンは、流産と呼吸器疾病の予防が効能として認められています(写真2)。ワクチンの効能として記載されていない以上、生ワクチンの流産予防効果を獣医師が担保することはできません。また、生ワクチンは軽種馬防疫協議会による費用補助の適用外となっていることをご承知おきください。

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(写真2)
 

本コラムではこれまでにも「馬の感染症と消毒薬について(2011年39号)」、「馬鼻肺炎(ERV)の予防(2011年24号)」、「馬鼻肺炎の流産(2015年117号)」と、度々ERVについて触れております。競走馬総合研究所のサイトでバックナンバーをお読みいただけますので是非ご覧下さい。

(日高育成牧場 生産育成研究室 村瀬晴崇)

2019年11月29日 (金)

虚弱新生子馬NMSについて

No.118(2015年2月15日号)

 今年もいよいよ出産シーズンが到来しました。皆さんシーズン突入に向けて意識は切り替わっているでしょうか。分娩には不慮の事故も多いため牧場では神経を尖らせてしまいますが、後悔しないようしっかり準備をして備えたいものです。今号では前号の分娩予知に続き、生後間もない虚弱子馬について紹介いたします。

NMS?HIE?
 産まれた子馬が乳房に近づかず馬房内をグルグルと徘徊したり、壁を舐めまわしたりすることがあります。また、虚弱でなかなか立てず手厚い看護が必要な子馬もいます(図1)。この2つの症状は全く違ってみえますが、実は病態としては共通するものがあるのです。

1_12 図1 壁に頭をぶつける子馬(左)と手厚い看護を受ける子馬(右) COLOR ATLAS of Diseases and Disorders of the Foal (Siobhan Bら,2008)より

 これは獣医学的には新生子不適応症候群Neonatal Maladjustment Syndrome(以下NMS)、低酸素虚血性脳症Hypoxic Ischemic Encephalopathy(以下HIE)、周産期仮死症候群Perinatal Asphyxia Syndromeなどと呼ばれ、一般にはダミーフォール(Dummy Foals)、ライオン病(Barkers)などと呼ばれたりもします。子馬は娩出に伴って母馬の体内環境から外部環境へ体の仕組みを切り替えなければいけません。具体的には肺が空気を吸って機能し始めること、臍帯が閉じて腎臓の機能が高まること、消化管が機能すること、筋肉で体重を支えるようになることなどです。これらのスイッチの切り替えがうまくできず、外部環境に適応できない病態であるということからNMSと呼ばれます。一方、大きな問題として脳組織が低酸素により障害されることからHIEとも呼ばれます。詳細な病態が十分解明されていないこともあり、さまざまな呼び方が混在しているのですが臨床的には同じものを指します。本稿では国内でも昔から呼称されていたNMSと呼ぶことにします。

臨床上2つに分類される
 NMSは臨床上2つに分けることができます。1つは出生直後から異常を示す場合であり、もう1つは時間が経ってから異常を示す場合です。前者の場合は胎盤炎や未熟子、敗血症などのトラブル出産に併発するケースが多いと言われています。後者は出生時には問題なく起立、吸乳していたにもかかわらず、その後2日以内に発症します。時間をおいて発症する原因としては未熟子、横臥位、敗血症、貧血、肺の疾患、気道閉塞などが考えられていますが、残念ながらはっきりした原因が思い当たらないケースも多くあります。

症状
 NMSは脳組織が障害されることによって無目的歩行、吸乳反射の消失、異常発声、嗜眠、といった異常行動を示します。実際には、酸素欠乏だけではなくエネルギーの欠乏や血液の酸性化なども生じるため、脳だけではなく消化管や腎臓、肺といったあらゆる臓器が障害され、重症例では手厚い看病が必要となります。

治療
 軽症の場合の多くは特に何もしなくても良化しますが、重症例では早期の治療が重要となります。しかし、初期には軽症と重症の区別が困難であるため、軽症だからと決め付けずに疑わしい子馬には早期に対処することが重要です。牧場でまずできることは酸素を吸わせることです。体温を維持する機能が低いため保温も重要です。また肺や腎臓、消化器、筋肉などが障害された場合には呼吸や血圧の管理、栄養補給さらには脳浮腫や腎臓に対する治療のため獣医師による処置が必要となります。
 牧場では「乳を飲めば元気になるかもしれない」と母乳を搾乳して飲ませることがあります。母乳によるエネルギー給与が賦活剤として効果がある場合もありますが、重症例では消化管が十分に機能していないので、乳を飲ませることに固執せず、柔軟に他の対策に切り替えるべきです。早期に獣医師を呼ぶ決断をすることが救命率の向上と治療費用の抑制には重要と言われています。小規模の牧場では発生率の低い重症例を経験する機会は少なく、そのため「たぶん大丈夫だろう」と様子見してしまい初期治療が遅れてしまいがちです。では具体的にどういう状態で獣医師を呼べばいいのでしょうか?

APGERスコア
 4年前にAPGERスコアと呼ばれる子馬の評価方法が発表されました。これはAppearance(粘膜色)、Pulse(心拍数)、Grimace(反射)、Activity(筋緊張)、Respiration(呼吸数)をそれぞれ点数化し、その総計から重症、軽症、正常を判定するものです(表1)。特筆すべきは獣医師に頼らず誰でも、同じ目線で、数値化できることです。これを用いることで、重症例を経験したことがない人であっても「これはおかしい」と客観的に評価できますし、牧場でできる対処でスコアが改善しない場合には即座に獣医師を呼ぶ一助となります。
 実際スコアをつけてみると、大半が「正常」であるため、興味が薄れて投げ出してしまう方が多いようですが、万が一のために、スコア表を分娩室に常備しておくことをお奨めします。

2_10 表1 APGERスコア表。異常であれば低いスコアを示す。

 なぜNMSの多くは神経症状が一時的なのか?なぜ多くは特別な治療なしで回復するのか?なぜ多くの子馬は明らかな低酸素症状を示さずに悪化するのか?などNMSは未だに分からないことが多い疾病です。今日の獣医療をもってしても全ての子馬を救うことができるわけではありませんが、救える命を確実に救うためには、牧場現場における理解と判断が重要となります。

(日高育成牧場 生産育成研究室 主査  村瀬晴崇)

2019年11月25日 (月)

馬の輸血とユニバーサルドナー

No.116(2015年1月1・15日合併号)

 人間の医療と同様に、馬においても輸血が必要となる症例が存在します。外傷などによる大量出血はもとより、子馬で発症する新生子溶血性貧血、さらには、血液中のタンパク質成分である免疫グロブリンの投与が必要となる移行免疫不全症、同じくタンパク質成分であるアルブミンが必要となるローソニア感染症などが主なものです。

全血輸血と血漿輸血
 馬医療では、主に「全血輸血」と「血漿輸血」の2つの方法が実施されています。前者は文字通り、血液の提供馬(以下ドナー)から採取した血液を、提供される馬(以下レシピエント)に全て投与するのに対し、後者は血液の細胞成分(赤血球、白血球、血小板)を取り除いて必要な成分(タンパク質など)を投与する方法です。このため、大量出血や新生子溶血性貧血など、主に赤血球を必要とする場合には前者を、免疫グロブリンを必要とする移行免疫不全症や、アルブミンを必要とするローソニア感染症の場合には後者を実施します。

輸血時の副作用
 人間の医療と同じく、馬の輸血においても副作用が認められることがあります。このため、どの馬の血液であっても、安全に輸血できるわけではありません。馬の輸血で認められる副作用として、ドナーから採取した赤血球もしくはレシピエントの赤血球が溶血(赤血球の膜が損傷を受けることによる破壊)する「溶血性反応」や、過呼吸、頻脈、発汗、蕁麻疹、筋肉の痙攣(けいれん)などの「アレルギー反応」などが認められます。
 このような副作用を防ぐためには、レシピエントに対する適切なドナーの選択にくわえ、輸血開始時には投与スピードを遅めに設定して、レシピエントの状態を詳細に観察しながら徐々に早めていくなどの慎重な投与が必要です。

溶血性反応
 「溶血性反応」がレシピエントの赤血球で起こった場合には、赤血球の損失により貧血などの病態が悪化します。つまり、大量出血や新生子溶血性貧血などの症例において、赤血球を必要として輸血したにもかかわらず、逆にもともとレシピエントの体内にあった赤血球が減らされてしまうのです。また、ドナーから採取した赤血球がレシピエントの体内で破壊された場合、必要量の赤血球を提供できないだけでなく、赤血球の破壊により、その構成成分であるヘモグロビンの代謝産物であるビリルビンが大量発生し、それによる腎不全などを発症する場合もあります。

馬の血液型
 ではなぜ溶血性反応を発症するのでしょうか?それは馬の血液型が関係しています。人間のABO式やRh式のような血液型のシステムが、馬では、A式、C式、D式、K式、P式、Q式およびU式の7つのシステムとして存在し、溶血性反応に関係があるものとして、A式とQ式が主に知られています。A式では、a型やab型など8種の血液型が存在し、Q式においても、a型やab型など8種の血液型が存在します(表1)。このため、人間で例えるなら、ABO式がAB型、Rh式が+(プラス)型の人がいるように、馬では、A式がa型で、Q式がa型の馬がいるということです。
 これらの血液型のなかで、溶血性反応に関係する血液型因子として、AaとQaの2種類が知られています(これら以外にもAb、Db、Dc、Dg、Pa、Uaなどが知られていますが極めて稀な例です)。

 たとえば、レシピエントの血液型がAa因子プラス(A式でのa型、ab型、abc型、ac型)であった場合、レシピエントの赤血球の表面にはAa抗原が存在します。これに対しドナー側の血液内にAa抗原に対する抗体を保有していた場合、ドナーのAa抗体がレシピエントのAa抗原に結合し、赤血球が溶血します(図1)。また、反対にドナーがAa抗原を持ち、レシピエントがAa抗体を保有していた場合にも同様に、投与した赤血球の表面上で抗体と抗原の結合がおこり、溶血に至ります(図2)。このため、ドナーの選択で重要な条件は、「Aa抗原およびQa抗原のいずれも持たない馬」および「Aa抗原およびQa抗原に対する抗体を保有していない馬」であることです。

1_10 表1.馬のA式およびQ式の国際最少標準検査項目に定められた血液型
(下線は溶血性反応に関係する血液型)

2_8 図1.ドナーにAa抗体、レシピエントにAa抗原を有する赤血球がある場合

3_8 図2.ドナーにAa抗原を有する赤血球、レシピエントにAa抗体がある場合

ユニバーサルドナー
 以上の2つの条件を満たす馬を一般的には「ユニバーサルドナー」(広く血液を供給できる者)と呼んでいます。本来であれば、Ab、Db、Dc、Dg、Pa、Uaなどの血液型抗原も有していないことが望ましいのですが、これらによる副作用が稀であることを考慮すると、少なくともAa抗原およびQa抗原のいずれも持たなければ、1つ目の条件を満たすことができます。しかし、サラブレッド種では、この条件を満たす馬は限られており、0.3%すなわち1,000頭に3頭の割合でしか存在しないと言われています。一方、ハフリンガー種は、約8割がこの条件を満たすことが知られているため、ドナーとして活用されています(図3)。

4_7 図3.ハフリンガー種のユニバーサルドナーからの採血

 2つ目の条件である「Aa抗原およびQa抗原に対する抗体を保有していない馬」については、基本的には「出産経験がある馬」および「過去に輸血を受けたことがある馬」が、これらの抗体を保有する可能性があることに加え、これらの経験がなくても、稀に体内に抗体を保有する馬が存在します。このため、ドナーとして選択する場合には、あらかじめこれらの抗体の有無を調べておく必要があります。
 ユニバーサルドナーではなくても、輸血前にドナーとレシピエントの血液を用いた「クロスマッチテスト」という検査をすることで、溶血性反応を起こさないドナーとレシピエントの組み合わせを確認することができます。しかし、通常の輸血は緊急を要する場面で必要となるため、この検査を行うことは現実的ではありません。このため、馬医療の現場においては、血液型と抗体に関する2つの条件を満たしているユニバーサルドナーを緊急時に備えておくことが推奨されており、現在、日高地区においても、いくつかの施設でユニバーサルドナーが繋養されています。
 原稿執筆にあたり貴重なご助言をいただきました、公益財団法人 競走馬理化学研究所の側原仁先生に深謝致します。

(日高育成牧場 専門役 冨成雅尚)

2019年11月13日 (水)

ローソニア感染症

No.111(2014年10月15日号)

国内での広がり
 もはや生産地の馬関係者でローソニア感染症を知らない人はいないのではないでしょうか。国内では2009年から発症が報告されており、特にここ4,5年の間に生産界に広く発症が認められるようになりました。まだ経験したことがない方にとっては対岸の火事のように思われるかもしれませんが、他人事ではなく身近な疾病という認識をもってお読みいただければ幸いです。

秋から冬の当歳に注意
 ローソニア感染症は当歳馬で離乳や寒冷といったストレスがきっかけとなって発症すると考えられているため、特にこれからの時期に警戒しなければなりません。感染しても発症しない馬もいますが、疫学調査の結果から発症馬のいる馬群ではみるみる感染が広がることが分かっています。
 日高育成牧場で発症した当歳馬は食欲廃絶、下痢を呈し、330kgあった体重が1ヶ月で290kgまで低下してしました(図1)。何頭もの子馬がみるみる削痩する様子を目の当たりにすると本疾病の恐ろしさを痛感します。一般には下痢の病気として知られていますが、発症しても下痢を示さない馬も少なくなく、初診時に感冒と間違われることもあります。微熱を呈したり元気がなかったりした際には、是非本疾病を頭の片隅に置きながら対処して下さい。

1_4 図1 当歳の発症馬。元気消失し、3週間にわたって体重が減少し続けた。

ローソニアの問題点
 原因細菌のローソニアイントラセルラリスは馬の腸粘膜細胞の中に寄生するという特徴をもつため、血液検査や糞便検査での確定診断が難しく、薬が届きにくいという点がやっかいです。また、実験室での細菌培養が難しいことから有効な抗生物質を確かめることができないため、獣医師はさまざまな治療経験を蓄積、共有して対応しています。

育成馬でも発症!
 ローソニア感染症は基本的には当歳馬の疾病ですが、1歳馬や成馬が発症することもあり、育成牧場の関係者にとっても他人事ではありません。当歳馬に比べて発症率は低いものの、発症した際には当歳馬よりも重篤化することが多いようです。当場で重篤化した1歳馬は食欲が廃絶し、2週間もの長期に渡り一日の大半を横臥した状態で過ごし、体重が100kgも落ちてしまいました(図2、3)。幸いその後は順調に調教に復帰できましたが、廃用となる例もありますので注意が必要です。

2_3 図2 1歳の発症馬。食欲は著しく低下し、横臥時間が延長した。

3_4 図3 1歳の発症馬。著しい削痩を呈した。

どこから来たの?
 ローソニア細菌の由来については、昔からブタが原因ではないかと言われていました。しかしながら、最近の国内の研究でウマから分離された細菌遺伝子がブタ由来のものとは異なることから、ブタ由来説は否定的のようです。野生動物が媒介している可能性もありますが、当然我々人間が媒介している可能性もありますので、他所の牧場へお邪魔する際にはそのような点に注意を払う必要があるでしょう。

予防に向けて
 近年、ブタ用ワクチンの有用性についてわが国を含め世界中で調査が行われており、既に有効性を示す結果も報告されています(図4)。しかしながら、使用書には「ブタ以外には投与しないこと」と明記されているとおり、副作用を含む安全性の懸念もあり、現時点ではまだ積極的に推奨できる段階ではありませんのでご注意下さい。

4_2 図4 ブタ用ワクチンの有効性が期待される。

 近年は冬期も昼夜放牧を継続する牧場が増えてきました。昼夜放牧は心身の鍛錬が期待できる一方で、馬の観察が疎かになってしまいます。特に冬期にはその寒冷ストレスによって体力や免疫力が低下すると考えられますので、健康状態の把握がより一層重要となります。言うまでもないことですが、細やかな観察と治療に対する早期判断はローソニア感染症に限らずどの病気についても重要です。感染してしまうのはある程度仕方がないとしても、せめて発見が遅れるということはないようにしたいものです。

(日高育成牧場 生産育成研究室 主査 村瀬晴崇)

2019年8月 7日 (水)

Dr.Whiteによる生産者向け講習会

No.96(2014年3月1日号)

 昨年11月29日金曜日、静内エクリプスホテルにおいて疝痛の講演会が行われました。講師であるホワイト先生(写真1)は馬の疝痛の権威であり、40年前に出版された著著「馬の急性腹症」は今でも世界中の馬獣医師にとってバイブルとされています。当日は予想をはるかに上回る376名もの参加者が来場し、駐車場は大混雑、用意していた席が足りず、追加で用意するほどの大盛況でした(写真2)。この講習会は日本軽種馬協会が主催、日本ウマ科学会馬臨床獣医師ワーキンググループの共催として毎年同時期に開催されているもので、一昨年はダイソン先生による跛行診断、その前年はレブランク先生による繁殖管理と、海外の著名な方々を招聘し、生産者向けに講演いただいています。今回はこの講習会の内容について簡単にご紹介させていただきます。

1_5 写真1 講演に招いたホワイト先生

2_4 写真2 予想をはるかに上回る参加者が来場した講演会

疝痛に関する疫学情報
 まずは疝痛に関するさまざまな統計情報が紹介されました。そもそも、疝痛とは身近な疾病でありながら、死亡原因の28%も占める重要な疾患です(バージニア大学による報告)。現場ではひとくくりに「疝痛」でまとめられがちですが、実際にはさまざまなタイプに分けることが出来ます。これらの実態について膨大なデータを元に解説されました。発症率は1年間で100頭あたり4~10頭であり、発症が10頭以上の牧場は飼養管理に問題があることが示唆されます。疝痛の85%が一過性の単純疝痛であり、手術が必要な馬は2%程度です。疝痛の危険因子として「濃厚飼料の多給や不適切な給与」「厩舎飼育(非放牧環境)」「乾草や飼料の急激な変化」などが挙げられます(図1)。このことから、放牧せずに濃厚飼料が給与されている厩舎飼養は馬にとって不自然な状況であるということを改めて認識させられました。また、馬にとって給餌内容を変化させることが思いのほか消化管ストレスを与えており、疝痛に至らなくても採食量の低下、吸収率の低下といった気づきにくい影響も及ぼしているかもしれないということでした。

3_3図1

牧場現場における適切な管理
 牧場現場において対処できる予防策として「飼料の変更には10~14日以上かける」「気候の変わる時期は管理方法を変えない」「出来るだけ放牧する」「寄生虫を抑えるため、定期的な糞便検査をする」「リスクの高い馬には特に気をつける」などが提案されました。いずれも一手間かかることで、現場では「分かっているけど・・・」という基本的なことです。しかしながら、疝痛の発症を抑えるためには馬という動物を理解し、その消化生理に基づいた飼養管理が重要だと再認識させられました。
もちろん、「競走馬」「経済動物」であるため100%自然な飼養管理はできませんが、そのことに甘んじて「競走馬だから仕方ない」と思わずにより良い飼養管理を工夫したいものです。

獣医師向けの講習会
 翌日には日本軽種馬協会の研修センターにて、獣医師を対象とした講義、意見交換がなされました。疝痛、開腹手術についてはなかなか科学的な研究がされにくい分野ではあり、そのため獣医師によって解釈が異なる場合もあります。しかしながら、膨大な経験を踏まえたホワイト先生の言葉には重みがあり、これは獣医師個々人の理解を深めただけではなく、組織を越えて生産地の獣医師の間で共通認識を得ることができたことは大きな収穫だと思われました。

(日高育成牧場 生産育成研究室 村瀬晴崇)