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2019年11月13日 (水)

ローソニア感染症

No.111(2014年10月15日号)

国内での広がり
 もはや生産地の馬関係者でローソニア感染症を知らない人はいないのではないでしょうか。国内では2009年から発症が報告されており、特にここ4,5年の間に生産界に広く発症が認められるようになりました。まだ経験したことがない方にとっては対岸の火事のように思われるかもしれませんが、他人事ではなく身近な疾病という認識をもってお読みいただければ幸いです。

秋から冬の当歳に注意
 ローソニア感染症は当歳馬で離乳や寒冷といったストレスがきっかけとなって発症すると考えられているため、特にこれからの時期に警戒しなければなりません。感染しても発症しない馬もいますが、疫学調査の結果から発症馬のいる馬群ではみるみる感染が広がることが分かっています。
 日高育成牧場で発症した当歳馬は食欲廃絶、下痢を呈し、330kgあった体重が1ヶ月で290kgまで低下してしました(図1)。何頭もの子馬がみるみる削痩する様子を目の当たりにすると本疾病の恐ろしさを痛感します。一般には下痢の病気として知られていますが、発症しても下痢を示さない馬も少なくなく、初診時に感冒と間違われることもあります。微熱を呈したり元気がなかったりした際には、是非本疾病を頭の片隅に置きながら対処して下さい。

1_4 図1 当歳の発症馬。元気消失し、3週間にわたって体重が減少し続けた。

ローソニアの問題点
 原因細菌のローソニアイントラセルラリスは馬の腸粘膜細胞の中に寄生するという特徴をもつため、血液検査や糞便検査での確定診断が難しく、薬が届きにくいという点がやっかいです。また、実験室での細菌培養が難しいことから有効な抗生物質を確かめることができないため、獣医師はさまざまな治療経験を蓄積、共有して対応しています。

育成馬でも発症!
 ローソニア感染症は基本的には当歳馬の疾病ですが、1歳馬や成馬が発症することもあり、育成牧場の関係者にとっても他人事ではありません。当歳馬に比べて発症率は低いものの、発症した際には当歳馬よりも重篤化することが多いようです。当場で重篤化した1歳馬は食欲が廃絶し、2週間もの長期に渡り一日の大半を横臥した状態で過ごし、体重が100kgも落ちてしまいました(図2、3)。幸いその後は順調に調教に復帰できましたが、廃用となる例もありますので注意が必要です。

2_3 図2 1歳の発症馬。食欲は著しく低下し、横臥時間が延長した。

3_4 図3 1歳の発症馬。著しい削痩を呈した。

どこから来たの?
 ローソニア細菌の由来については、昔からブタが原因ではないかと言われていました。しかしながら、最近の国内の研究でウマから分離された細菌遺伝子がブタ由来のものとは異なることから、ブタ由来説は否定的のようです。野生動物が媒介している可能性もありますが、当然我々人間が媒介している可能性もありますので、他所の牧場へお邪魔する際にはそのような点に注意を払う必要があるでしょう。

予防に向けて
 近年、ブタ用ワクチンの有用性についてわが国を含め世界中で調査が行われており、既に有効性を示す結果も報告されています(図4)。しかしながら、使用書には「ブタ以外には投与しないこと」と明記されているとおり、副作用を含む安全性の懸念もあり、現時点ではまだ積極的に推奨できる段階ではありませんのでご注意下さい。

4_2 図4 ブタ用ワクチンの有効性が期待される。

 近年は冬期も昼夜放牧を継続する牧場が増えてきました。昼夜放牧は心身の鍛錬が期待できる一方で、馬の観察が疎かになってしまいます。特に冬期にはその寒冷ストレスによって体力や免疫力が低下すると考えられますので、健康状態の把握がより一層重要となります。言うまでもないことですが、細やかな観察と治療に対する早期判断はローソニア感染症に限らずどの病気についても重要です。感染してしまうのはある程度仕方がないとしても、せめて発見が遅れるということはないようにしたいものです。

(日高育成牧場 生産育成研究室 主査 村瀬晴崇)

2019年8月 7日 (水)

Dr.Whiteによる生産者向け講習会

No.96(2014年3月1日号)

 昨年11月29日金曜日、静内エクリプスホテルにおいて疝痛の講演会が行われました。講師であるホワイト先生(写真1)は馬の疝痛の権威であり、40年前に出版された著著「馬の急性腹症」は今でも世界中の馬獣医師にとってバイブルとされています。当日は予想をはるかに上回る376名もの参加者が来場し、駐車場は大混雑、用意していた席が足りず、追加で用意するほどの大盛況でした(写真2)。この講習会は日本軽種馬協会が主催、日本ウマ科学会馬臨床獣医師ワーキンググループの共催として毎年同時期に開催されているもので、一昨年はダイソン先生による跛行診断、その前年はレブランク先生による繁殖管理と、海外の著名な方々を招聘し、生産者向けに講演いただいています。今回はこの講習会の内容について簡単にご紹介させていただきます。

1_5 写真1 講演に招いたホワイト先生

2_4 写真2 予想をはるかに上回る参加者が来場した講演会

疝痛に関する疫学情報
 まずは疝痛に関するさまざまな統計情報が紹介されました。そもそも、疝痛とは身近な疾病でありながら、死亡原因の28%も占める重要な疾患です(バージニア大学による報告)。現場ではひとくくりに「疝痛」でまとめられがちですが、実際にはさまざまなタイプに分けることが出来ます。これらの実態について膨大なデータを元に解説されました。発症率は1年間で100頭あたり4~10頭であり、発症が10頭以上の牧場は飼養管理に問題があることが示唆されます。疝痛の85%が一過性の単純疝痛であり、手術が必要な馬は2%程度です。疝痛の危険因子として「濃厚飼料の多給や不適切な給与」「厩舎飼育(非放牧環境)」「乾草や飼料の急激な変化」などが挙げられます(図1)。このことから、放牧せずに濃厚飼料が給与されている厩舎飼養は馬にとって不自然な状況であるということを改めて認識させられました。また、馬にとって給餌内容を変化させることが思いのほか消化管ストレスを与えており、疝痛に至らなくても採食量の低下、吸収率の低下といった気づきにくい影響も及ぼしているかもしれないということでした。

3_3図1

牧場現場における適切な管理
 牧場現場において対処できる予防策として「飼料の変更には10~14日以上かける」「気候の変わる時期は管理方法を変えない」「出来るだけ放牧する」「寄生虫を抑えるため、定期的な糞便検査をする」「リスクの高い馬には特に気をつける」などが提案されました。いずれも一手間かかることで、現場では「分かっているけど・・・」という基本的なことです。しかしながら、疝痛の発症を抑えるためには馬という動物を理解し、その消化生理に基づいた飼養管理が重要だと再認識させられました。
もちろん、「競走馬」「経済動物」であるため100%自然な飼養管理はできませんが、そのことに甘んじて「競走馬だから仕方ない」と思わずにより良い飼養管理を工夫したいものです。

獣医師向けの講習会
 翌日には日本軽種馬協会の研修センターにて、獣医師を対象とした講義、意見交換がなされました。疝痛、開腹手術についてはなかなか科学的な研究がされにくい分野ではあり、そのため獣医師によって解釈が異なる場合もあります。しかしながら、膨大な経験を踏まえたホワイト先生の言葉には重みがあり、これは獣医師個々人の理解を深めただけではなく、組織を越えて生産地の獣医師の間で共通認識を得ることができたことは大きな収穫だと思われました。

(日高育成牧場 生産育成研究室 村瀬晴崇)


2019年5月20日 (月)

育成馬の輸送管理

No.75 (2013年4月1日号)

 本年も4月23日(火)にJRA中山競馬場でJRAブリーズアップセールが開催されます。昨年の各1歳セールでの購買後、日高および宮崎育成牧場に分かれて入厩し、騎乗馴致を経て後期育成を終えたJRA育成馬は、セールに備えて1週間前に中山競馬場に輸送されます。馬運車10台が一団となって浦河国道を走行する、このJRA育成馬の輸送をご覧になられたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。今回は育成馬の「輸送管理」について触れてみたいと思います。


「輸送熱」および「馬運車内での怪我」の予防
 「輸送熱」という言葉を聞いたことがあると思いますが、これは輸送によって発熱する病気の総称です。発熱の他にも、呼吸器の炎症に起因した咳や鼻汁を認めることも少なくありません。この「輸送熱」という病気は、重篤化すると肺炎へと進行し、治療の甲斐なく生涯を終えてしまう場合もあります。つまり「輸送管理」とは、この「輸送熱」の発症を予防することといっても過言ではありません。
また、「輸送熱」とともに「輸送管理」のポイントとなるのが、輸送中における「馬運車内での怪我」の予防です。近年の馬運車は改良が進み、特に換気に関しての工夫が施されています。さらに、輸送経路の整備に伴う輸送時間の短縮により、「輸送熱」や「馬運車内での怪我」も以前と比較すると格段に減少しています。しかし、依然として、強調教などによるストレスを受けている育成馬の輸送では、大事に至ることも皆無ではありません。


まずは馬運車に慣らす!
 馬の立場になって考えてみると、ある日突然、暗くて狭い箱の中に鞭で追われて無理やり押し込まれ、24時間以上もその中で過ごさなければならないという状況では、輸送自体によるストレス以上の精神的な不安に起因するストレスが生じるに違いありません。馬は環境に慣れる動物とはいえ、ストレスを軽減させることは「輸送管理」には極めて重要です。2歳になる育成馬にとって馬運車で輸送されることは、初めてではなく、生まれた直後の母馬の種付け、1歳セール時あるいは育成牧場に入厩する際に馬運車での輸送を経験しています。これらの経験によって馬運車内での駐立に慣れている場合もあれば、一方でこれらの経験が「トラウマ」となって馬運車に入ることを恐れている場合もあります。JRA育成牧場では、すべての育成馬に対して輸送の2~3週間前に「馬運車馴致」を実施します(図1)。これは、輸送当日に馬を積載する場所で実際に馬運車に積み、落ち着いた状態で駐立できることを目標としています。スムーズな積み込み、あるいは落ち着いた状態での駐立が困難であった場合には、日を改めて再度実施します。また、馬房が隣同士である馬を馬運車内でも隣にするなど、輸送中の馬の精神面を安定させる工夫を心掛けています。しかし、入念に馴致をしても、輸送中の突発的な事故は避けられないのが馬の輸送であります。そのために四肢の保護用のプロテクターの装着は不可欠です(図2)。

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図1.日高育成牧場での「馬運車馴致」の様子。馬運車内で落ち着いた状態で駐立できることを目標としています。

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図2.輸送中の突発的な事故は避けられないため、四肢の保護用のプロテクターの装着は不可欠です。


「輸送熱」のメカニズム
 図3のグラフは、日高育成牧場から中山競馬場までの26時間の長時間輸送を実施された32頭の輸送時間経過に伴う体温変化を示しています。輸送開始から18時間後には10%、24時間後には20%、そして中山競馬場到着時の26時間後には25%の馬が38.6℃以上の発熱を発症しました。さらに、39.0℃以上の高熱を認めた症例は、18時間後以降に増加することが分かりました。これらは「輸送開始から20時間後ごろから発熱する馬の割合が急激に増加する」という約20年前にJRA競走馬総合研究所で実施された研究と同様の結果でした。また、このJRA競走馬総合研究所での研究では、図2のように輸送中の馬の心拍数や呼吸数は、馬運車の走行と連動して増加していることも明らかとなっています。心拍数の増加は馬の不安定な精神状態を、そして呼吸数の増加は呼吸が浅く、速くなるために気道を乾燥させ、細菌などに対する抵抗性を低下させることを意味します。つまり、この研究結果から、「輸送熱」は「輸送にともなう種々の刺激が直接的あるいは間接的に馬体を冒すことにより、細菌感染に対する抵抗力が低下する結果、普段は害を及ぼさない気道中の常在菌(馬が健康な状態で持っている細菌)が日和見感染(ひよりみかんせん:免疫力が低下しているために、通常なら感染症を起こさないような感染力の弱い病原菌が原因で起こる感染のこと)し、肺に炎症を起こす」ことが主な原因であると考えられています。そして、輸送熱の予防には、馬運車内を清潔に維持すること(換気状況の改善、糞尿の処理、ホコリを少なくする工夫など)、輸送中の休憩はできるだけ長く、そして多くすること(換気回数の増加、ストレス因子の減少)などが重要であることも明らかとなっています。

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図3.日高育成牧場から中山競馬場までの26時間の長時間輸送を実施された32頭の輸送時間経過に伴う体温変化。輸送開始から20時間後ごろから発熱する馬の割合が急激に増加します。

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図4.輸送中の馬の心拍数や呼吸数の変化。馬運車の走行と連動して心拍数および呼吸数は増加します。

輸送前の抗生物質の投与による「輸送熱」予防
 近年、扁桃(へんとう)や気管内に存在する日和見感染菌に対して有効な抗菌薬を輸送開始から到着までの間、肺内(気管支肺胞領域内)に存在させることにより、長時間輸送に起因する「輸送熱」を予防することが可能かどうかについての研究を日高育成牧場から中山競馬場へのJRA育成馬の輸送時に実施しました。抗菌薬は、長時間作用型抗菌薬であるニューキノロン系のマルボフロキサシン製剤(体重1kg あたり2mgの投与量)を使用しました。馬運車への積み込み直前に抗菌薬を投薬した馬(抗菌薬投薬群)と投与しなかった馬(非投薬群)との中山競馬場到着後(輸送から26時間後)の輸送熱を発症した頭数の割合を比較した結果、図5に示すように、非投薬群では31%の馬が輸送熱を発症したのとは対照的に、投薬群では6%の馬にしか輸送熱の発症を認めませんでした。さらに、非投薬群では13%の馬が39.0℃以上の高熱を認め、中山競馬場到着後に抗生物質投与による治療が必要でしたが、投薬群では39.0℃以上の高熱馬は認められず、中山競馬場到着後に治療が必要であった馬もいませんでした。このように、ニューキノロン系のマルボフロキサシン製剤は、輸送熱予防に効果があることが確認できました。また、副作用などに関する安全性も確認されています。耐性菌の出現の問題などについて慎重に調査を継続する課題は残っていますが、輸送熱予防に効果が期待されます。

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図5.抗菌薬を投薬した馬(抗菌薬投薬群)と投与しなかった馬(非投薬群)との中山競馬場到着後(輸送から26時間後)の輸送熱を発症した頭数の割合の比較。

最後に
 わが国では、競走馬の馬運車といえば前向きに積むのが一般的ですが、世界各国では横積み、斜積みあるいは後向き積みタイプの馬運車などがあり、馬にとってどの向きで輸送するのが理想であるかについては明らかにはなっていません。今後、わが国でも横積みあるいは斜積みが一般的になるかもしれません。また、輸送熱予防にさらに有効な長時間作用型抗菌薬が新たに開発され、「輸送管理」の一助となるかもしれません。しかし、馬を輸送する際に最も重要なことは、精神的な不安に起因するストレスを減少させることです。このためにも、日常の取り扱いが極めて重要であることはいうまでもありません。つまり、人の扶助に対して従順であり、馬が人をリスペクトするように馴致することが重要であると考えられます。

(日高育成牧場 専門役 頃末 憲治)

2019年4月 8日 (月)

心電図からわかること2

No.63 (2012年9月15日号)

 動物の心臓は、刺激伝導系の働きによって自動的に収縮・弛緩を繰り返し、全身に血液を送り出すポンプとして働いていますが、外部からも実に巧妙な調節も受けていて、そのひとつが自律神経による調節です。

心拍数と自律神経
 心臓は、交感神経と副交感神経という2系統の自律神経により、2重の支配を受けています。この2種類の自律神経は互いに拮抗的に働いていています。大まかにいうと、交感神経は心臓機能に対して促進的に、副交感神経は逆に抑制的に働いています。心拍数に関していえば、交感神経は心拍数を増やす方向に、副交感神経は心拍数を減らす方向に働くというわけです。心拍のリズムは、交感神経と副交感神経の影響を2重に受けながら、およそ一定のリズムで刻まれるわけです。
 心電図で各心拍の間隔を測定したいときには、通常はQRS波の中のR波(下に出ている一番大きな波)の間隔を測定します。この間隔が2秒であれば、1分間あたりの心拍数は30拍/分になるわけです(図1)。

1_8図1:馬の心電図で各心拍の間隔を測定したいときには、通常は QRS波の中のR波(下に出ている一番大きな波)の間隔を測定します。この間隔が2秒であれば、1分間あたりの心拍数は30拍/分になるわけです。上の図では、約2.1秒なので、28.5拍/分くらいになります。

 安静にしているときに自分で脈を取ってみると、心臓は一定の間隔で拍動しているように感じられます。しかし、実際には、心拍間隔は1拍ごとに微妙に変動しています。聴診器で数えた心拍数が30拍/分である場合は、心拍の間隔は2秒になるわけですが、メトロノームみたいにいつも正確に2秒間隔で拍動しているわけではありません。実は、2.01秒、1.97秒、2.02秒といった具合に、わずかではありますが、変動しています。このわずかな心拍間隔の変動を解析することで、自律神経機能を評価する試みが行なわれるようになりました。心拍変動解析というのがそれで、JRA競走馬研究所と東京大学との共同研究により、馬における解析の手法が確立されています。
 この方法では、馬の心電図記録から1拍ごとの時間を読み取り、それを周波数解析します。その結果、高周波数の成分の数値(HFパワー)と低周波の成分の数値(LFパワー)が得られます。このHFパワーが副交感神経活動を示していると考えられています。

トレーニングと自律神経機能
 トレーニングすると、安静時の心拍数が減少していくことはよく知られています。JRA日高育成牧場おいて、2歳の10月まで普通にトレーニングを行なった馬と、同期間を放牧のみでトレーニングしていない馬の心臓機能を比較する調査が行なわれました。すると、トレーニングした馬では安静時心拍数が低下していましたが、トレーニングしていない馬では安静時心拍数はほとんど低下していないことがわかりました。また、副交感神経活動を示すHFパワーという数値は、トレーニングした馬たちでは650程度であったのに対し、トレーニングしていない馬たちでは300を超える程度で、トレーニングしていた馬に比べて明らかに低い値を示しました。
 JRA育成馬を用いた調査でも興味深い研究成績が得られています。1歳の12月から2歳の4月にかけて、V200(心拍数が200拍/分になる走行スピード)が向上した馬たち、つまりトレーニング効果があった馬たちでは、安静時心拍数は明らかに少なくなっていました。一方、V200があまり変わらなかった馬たち、つまりトレーニング効果があまりみられなかった馬たちでは、安静時心拍数はほとんど減っていませんでした。さらに、安静時心拍数が減っていた馬たちでは、副交感神経活動を示すHFパワーが増加していたことがわかりました。
 サラブレッド競走馬の安静時心拍数が少なくなるのは、トレーニングによって副交感神経活動が亢進するからだろうということは古くからいわれていて、いろいろなところで紹介されていました。しかし、具体的にそれを示すような研究成績はみあたらず、詳細は不明のままでしたが、私たちの調査研究により初めて証明されたことになります。

スポーツ心臓
 前回の連載で、テイエムオペラオーの安静時心拍数は3時間にわたる長時間記録中の平均でさえ25拍/分であったことを紹介しましたが、この馬のHFパワーの値は6000近い値でした。この値は、2歳4月時のJRA育成馬の値(577)と比較すると、非常に高い値です(図2)。また、心臓エコー検査によると、安静時の1回拍出量は約1.5リットルで、平均的な2歳馬の値である0.8リットルと比較すると大きな値を示しました。また、左心室壁の厚さも平均的な馬よりはかなり厚かったことがわかっています。これらの心臓エコー検査で得られた各種の測定値から心臓の重さを推定すると、テイエムオペラオーの心臓は約7kgであったと考えられています。当時の体重から考えると、体重の1.5%を超えるような大きな心臓だったと思われます。

2_9 図2:トレーニングと副交感神経活動(HFパワー)の関係。JRA育成馬のHFパワーは、1歳秋から2歳春までの育成調教によって有意に高くなっていたが、テイエムオペラオーの値ははるかに高い値であった。

 普通の動物の心臓重量は体重の約0.6%ですが、サラブレッドは少なくても体重の1%くらいあるのが普通ですので、体重500kgのサラブレッドでは、心臓の重さは最低でも5kgくらいあります。以前、JRA競走馬総合研究所が調べた成績によると、トレーニングしていない馬たちの心臓の平均重量は4.1kgで、体重の約0.94%であったのに対し、トレーニングした馬たちでは平均4.8kgで、体重の約1.1%であったことが報告されています。このことは、他の動物に比較してそもそも大きいサラブレッドの心臓が、トレーニングによってさらに大きくなっていったことを物語っています。このような現象は、一般にはスポーツ心臓などと呼ばれますが、テイエムオペラオーの心臓はスポーツ心臓の典型といえるでしょう。
 有名競走馬の心臓重量の実測値が報告されることは稀で、古くはエクリプスの心臓が6.4kgであったことが成書に記載されています。また、2008年に発刊された馬の運動生理学の教科書(Equine Exercise Physiology: The Science of Exercise in the Athletic Horse)によれば、イージーゴアーの心臓は6.8kgであったといいます。やはり一流馬の心臓は大きいといえそうです。

(日高育成牧場 副場長 平賀 敦)

2019年4月 5日 (金)

心電図からわかること1

No.62 (2012年9月1日号)

 今回と次回は、スポーツカーのエンジンに匹敵するサラブレッドの心臓とその検査に用いられる心電図について紹介します。

心筋の興奮
 心臓を構成する心筋は骨格筋と同様に横紋構造を持っていますが、内臓の平滑筋と同様に自分の意思では動かすことの出来ない不随意筋です。心筋細胞は刺激に反応して興奮し、収縮します。心臓には、興奮刺激を心臓各所に伝える刺激伝導系といわれる仕組みがあります。まず、右心房の洞房結節という部位が一定のリズムで自動的に興奮します。その電気的興奮は周囲の心房筋に伝わり、心房筋全体を興奮させるとともに、心房内の伝導路を伝わって房室結節に伝わります。興奮は次いでヒス束を通過し、右脚・左脚を経由して、心室筋に分布するプルキンエ線維に達します(図1)。つまり、心臓を収縮させる刺激は、洞房結節から房室結節を経て、最終的には心室筋全体にいきわたるわけです。

1_7 図1:右心房に位置する洞房結節と呼ばれる部位が一定のリズムで自動的に興奮する。その電気的興奮は周囲の心房筋に伝わって心房筋全体を興奮させるとともに、心房内を伝わって、房室結節に達する。興奮は次いでヒス束を通過し、右脚・左脚を経由して、心室筋に分布するプルキンエ線維に達する。


 ちなみに、心臓の刺激伝導系についての研究に関しては、日本人研究者の大きな貢献があったことが知られています。1900年代初頭、ドイツのマールブルグ大学で研究を行なった田原淳博士がその人です。今でも房室結節は「田原の結節」の名で呼ばれることがありますし、刺激伝導系という言葉も田原博士が最初に用いた用語でもあります。心臓の収縮メカニズムの解明に大きく貢献した業績であり、まさにノーベル賞に値する研究だったといえるでしょう。

心電図
 心臓は4つの部屋から構成されています。すなわち、左右の心房と左右の心室です。心房が収縮すると、血液は心房と心室の間にある房室弁を通り、心室に入ります。血液が心室に入ると血液が逆流しないように房室弁は閉じます。次いで、左右の心室が収縮すると、大動脈弁と肺動脈弁が開いて血液が心室から送り出されることになります。これらの機能は実にうまく調節されています。
 心筋の興奮は心房にはじまり、心室に伝播します。この心筋におこる興奮の伝播とそれに伴う心臓の収縮と弛緩を電気的にとらえたものが心電図です(図2)。心房がまず興奮・収縮するわけですが、これを心電図上でみるとP波として観察されます。この後に観察される一連のQRS波とT波が心室の活動をあらわしています。
 現在では、市販の心電計を使えば簡単に馬の心電図を記録することができますが、40年くらい前ではなかなか難しいことで、きれいな心電図が記録可能になるまでには大きな苦労があったといいます。

2_8図2:馬の心電図:心房の興奮・収縮は心電図上でみるとP波として観察される。この後に観察される一連のQRS波とT波が心室の活動をあらわしている。

サラブレッドの心拍数
 心拍数というのは、心臓が1分間に何回拍動するかをあらわしています。人間などのように1分間に70拍程度だと聴診器で聞いて数えることができますが、100拍を超えるようだと数えきれないので、心電図を記録して数える必要があります。
 安静時の心拍数は、体重が軽く小さい動物で多くなります。体重3グラム程度のトガリネズミの仲間の安静時心拍数は600~800拍/分にもなります。一方、大きな動物であるゾウは30拍/分程度であるといわれています。動物の体重と心臓重量の間に一定の関係があることが知られていますが、動物の体重と安静時心拍数との間にもある一定の関係があります。それは、「安静時心拍数=241×体重-0.25」というものです。体重のマイナス0.25乗などという数式をイメージすることは難しいですが、簡単にいうと、この式は体の大きな動物ほど安静時の心拍数が少なくなることを意味しています。この式から体重500kgの動物の安静時心拍数を計算すると、約50拍/分になります。ところが、サラブレッド競走馬の安静時心拍数は30~40拍/分程度であることが多く、体重から推定される動物の平均的な数値よりも明らかに少ないことが分かります。サラブレッドとほぼ同体重のウシは、60~90拍/分程度なので、こちらはサラブレッドよりは明らかに多いといえます。
 獣医師が聴診して数えた競走馬の安静時心拍数については、新聞紙上でたまにみかけることがありますが、心電図記録からきちんと数えた競走馬の心拍数のデータはあまり多くありません。テイエムオペラオーは長時間の心電図記録から安静時心拍数を計算できた稀な例で、3時間にわたる長時間記録中の平均心拍数でさえ、25拍/分でした。安静にしていると心拍数は一定になっているだろうと感じられますが、実は結構変動しています。テイエムオペラオーの場合でも、落ち着いて心拍数が下がっているときは、20拍/分前後のこともありました。

馬の房室ブロック
 サラブレッドは運動選手であるため、その能力を発揮するためには、優秀な心肺機能が必要です。そのため、心臓に先天的な奇形や重篤な弁膜疾患などの病気を持っている馬が競走馬としてデビューすることはまずありません。
 競走馬でみられる心臓の病気の一つに不整脈があります。不整脈というのは、簡単にいうと、心拍のリズムが不整になることをいいます。もちろん、命にかかわる重篤な不整脈もありますが、競走馬に観察される不整脈には命にかかわるようなものはそれほど多くありません。頻繁に観察される不整脈として、房室ブロックといわれる不整脈があります。
 冒頭でも説明したとおり、心筋の興奮は心房から始まり、その興奮刺激が心室に伝わり、1サイクルの心臓の収縮が完了します。房室ブロックでは、心房から心室への興奮の伝導がブロックされます。そのため、心電図でみると、心房の興奮をあらわすP波は認められますが、それに連なる心室の興奮・収縮を示すQRS波とT波が出現しません(図3)。聴診すると、心臓が1回休んだように聞こえ、結滞脈という言い方がされる場合もあります。房室ブロックは、安静時に認められても、運動を始めるとすぐに消失します。トレーニングを積んだ競走馬によく観察されることから、トレーニングに関連する副交感神経機能活動の変化にも関係があるのではないかと考えられています。少なくとも、心筋細胞や刺激伝導系細胞そのものに障害はなく、機能的な変化によって起こるのではないかと考えられています。

3_6図3:房室ブロックの心電図:P波のみが観察され、それに引き続くQRS波とT波が出現していないのがわかる。


(日高育成牧場 副場長  平賀 敦)

2019年2月18日 (月)

サラブレッドのストレスを考える

No.44 (2011年11月15日号)

 レースで走る事を宿命として生まれるサラブレッド。今、牧場でのんびり暮らしている子馬にも、やがてレースで走る日がやってきます(図1)。その前には、馴致や調教、環境の変化などの慣れない生活なども待っており、そのようなイベントは一部の馬には大きなストレスになると考えられます。今回は、彼らが感じているストレスと、それをコントロールしていくための方法を探ってみたいと思います。

1_4 図1 離乳を終えた当歳馬たち
草を食べたり寝転がったり、群れで過ごすのは本来の馬の姿です。

「ストレス」の概念
 「ストレス」と言う言葉は、色々な人が色々な意味で使っていて、分かっているようで分からない言葉です。もとは物理学で使われていたことば専門用語ですが、カナダの生理学者であるセリエ博士が1936年に「ストレス学説」なるものを発表したことからこの言葉が一般的に使われ始めました。人間や動物は外部からの様々な刺激から身を守るために自律神経系、内分泌系、免疫系の働きによって体を調節し適応しようとしています。この様に体が刺激に対して適用しようと反応している状態が「ストレス」と呼ばれる状態なのです。生体をボールに例えると、「ストレス」状態とはボールに圧力がかかっている状態のことを指します。このとき「ストレス」状態を引き起こす要因は「ストレッサー」と呼ばれています(図2)。このストレッサーには、①物理的刺激(運動、痛み、暑熱や寒冷など)、②心理的刺激(新規環境、不安や情動など)、③生物学的刺激(細菌やウィルスなど)、④化学的刺激(薬物や紫外線など)などが挙げられます。ストレッサーは身の回りにたくさん存在します。生きている限りストレスは続きます。まったくストレスが無い状態は死を意味することになるのです。

2_4 図2 ストレスの概念
ストレスとは外部からの刺激(ストレッサー)による歪み(ストレス)から抵抗しようとしている状態に例えられる。

サラブレッドにとって「ストレッサー」とは何か?
 元来、馬は群れで暮らし、草地を自由に移動しながら、1日の大半は草を食べて生きている動物です。放牧地でのびのびと草を食んでいる姿は、馬の本来の姿に近いものです(図1)。しかし、この様な状態でも優劣関係や熱暑寒冷などのストレスは存在します。また、競走馬としていずれは競馬場のような特殊な環境下で生活しなければならない時がやってきます。1日の大半を馬房で過ごす厩舎での生活は仲間と隔離された状態にあり、飼葉の時間も規則正しく決められています(図3)。運動自体もストレッサーの一つに挙げられます。レースでは激しい運動により激しい生体反応が引き起こされることになります。

3_2 図3 トレセンでの競走馬の様子
新たな環境での生活にはストレスが付きもの。

過度なストレスが引き起こすもの
 適度なストレスは身体能力を向上させる一方で、ストレスが高じると馬体にどのような影響が現れるのでしょうか?
 過度なストレスは食欲不振や消化率の低下、免疫機能の低下を引き起す原因になると考えられています。特殊な飼養環境にいるサラブレッドは、胃が空になっている時間が長いため胃壁が胃酸にさらされている時間も長いことが知られています。そこに運動や環境からのストレッサーが複合的に作用することにより多くの競走馬に胃潰瘍の発症が認められています。また、長時間輸送の影響として「輸送熱」という病気があります。これは、長時間輸送のストレッサーで免疫力が低下したところに、車内に浮遊する細菌などにより感染が成立し発熱するものです。その他に「常同的異常行動」いわゆる「サク癖」や「ユウ癖」などのいわゆる悪癖もストレス反応であると考えられています。

ストレスの緩和方法
 疾病に陥る前にストレスを和らげるには、どのような方法や環境が求められるのでしょうか?
ストレス対策の一つは、ストレスに対する耐性を高めることです。それに関連して我々は次の様な実験を行ったことがあります。サラブレッドを通常の調教後、刺激群には「未知の場所につれて行き、未知の体験をさせる」という刺激を3ヶ月間繰り返しました。「未知の刺激」というのは、トレセン内にある発馬機や地下道などです。この間、刺激群の馬は、最初のうち、未知の刺激に遭遇すると心拍数が上がるなど、落ち着かない態度が観察されましたが、日を追うごとに、新しい刺激を与えても平常に近い心拍数へ落ち着いていく様子が確かめられました。既存の施設でも活用次第で十分メンタルトレーニングの場になります。常に適度な緊張を与え、刺激に対して耐性を作ることがストレスの緩和法になるのです。

ストレスをコントロールする
 自然界において馬が“走る”ということは、危険から逃げる事を意味します。馬は非常に感受性が強く臆病な動物です。この臆病な性質を利用して調教やレースを行うわけですから、サラブレッドは常にストレスに曝され、適応を求められていることになります。それゆえにサラブレッドを扱う人間は、馬の受けているストレスを理解し、それを上手にコントロールすることが重要です。馬は本来、仲間とともに生活し、仲間とふれあいを持ちたいという欲求を持っています。しかし、それが制限される環境下で飼育されているサラブレッドにとっては、人間が仲間になりリーダーになる必要があるのです。退屈させないよう、厩舎から出して運動をさせたり、世話をする際にも、話し掛けたり愛撫したりしながら愛情をもって世話をしてあげる事も大切です。
 競走馬を育てていく上で、肉体的に鍛えると同時に、精神的な面からも馬について考え、「心身ともに強い馬づくり」が求められているのです。

4_2 図4 グラスピッキング中の育成馬
様々な環境に連れて行くことでストレスへの耐性を獲得することができる。

(日高育成牧場 生産育成研究室 研究役 佐藤文夫)