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2019年2月18日 (月)

サラブレッドのストレスを考える

No.44 (2011年11月15日号)

 レースで走る事を宿命として生まれるサラブレッド。今、牧場でのんびり暮らしている子馬にも、やがてレースで走る日がやってきます(図1)。その前には、馴致や調教、環境の変化などの慣れない生活なども待っており、そのようなイベントは一部の馬には大きなストレスになると考えられます。今回は、彼らが感じているストレスと、それをコントロールしていくための方法を探ってみたいと思います。

1_4 図1 離乳を終えた当歳馬たち
草を食べたり寝転がったり、群れで過ごすのは本来の馬の姿です。

「ストレス」の概念
 「ストレス」と言う言葉は、色々な人が色々な意味で使っていて、分かっているようで分からない言葉です。もとは物理学で使われていたことば専門用語ですが、カナダの生理学者であるセリエ博士が1936年に「ストレス学説」なるものを発表したことからこの言葉が一般的に使われ始めました。人間や動物は外部からの様々な刺激から身を守るために自律神経系、内分泌系、免疫系の働きによって体を調節し適応しようとしています。この様に体が刺激に対して適用しようと反応している状態が「ストレス」と呼ばれる状態なのです。生体をボールに例えると、「ストレス」状態とはボールに圧力がかかっている状態のことを指します。このとき「ストレス」状態を引き起こす要因は「ストレッサー」と呼ばれています(図2)。このストレッサーには、①物理的刺激(運動、痛み、暑熱や寒冷など)、②心理的刺激(新規環境、不安や情動など)、③生物学的刺激(細菌やウィルスなど)、④化学的刺激(薬物や紫外線など)などが挙げられます。ストレッサーは身の回りにたくさん存在します。生きている限りストレスは続きます。まったくストレスが無い状態は死を意味することになるのです。

2_4 図2 ストレスの概念
ストレスとは外部からの刺激(ストレッサー)による歪み(ストレス)から抵抗しようとしている状態に例えられる。

サラブレッドにとって「ストレッサー」とは何か?
 元来、馬は群れで暮らし、草地を自由に移動しながら、1日の大半は草を食べて生きている動物です。放牧地でのびのびと草を食んでいる姿は、馬の本来の姿に近いものです(図1)。しかし、この様な状態でも優劣関係や熱暑寒冷などのストレスは存在します。また、競走馬としていずれは競馬場のような特殊な環境下で生活しなければならない時がやってきます。1日の大半を馬房で過ごす厩舎での生活は仲間と隔離された状態にあり、飼葉の時間も規則正しく決められています(図3)。運動自体もストレッサーの一つに挙げられます。レースでは激しい運動により激しい生体反応が引き起こされることになります。

3_2 図3 トレセンでの競走馬の様子
新たな環境での生活にはストレスが付きもの。

過度なストレスが引き起こすもの
 適度なストレスは身体能力を向上させる一方で、ストレスが高じると馬体にどのような影響が現れるのでしょうか?
 過度なストレスは食欲不振や消化率の低下、免疫機能の低下を引き起す原因になると考えられています。特殊な飼養環境にいるサラブレッドは、胃が空になっている時間が長いため胃壁が胃酸にさらされている時間も長いことが知られています。そこに運動や環境からのストレッサーが複合的に作用することにより多くの競走馬に胃潰瘍の発症が認められています。また、長時間輸送の影響として「輸送熱」という病気があります。これは、長時間輸送のストレッサーで免疫力が低下したところに、車内に浮遊する細菌などにより感染が成立し発熱するものです。その他に「常同的異常行動」いわゆる「サク癖」や「ユウ癖」などのいわゆる悪癖もストレス反応であると考えられています。

ストレスの緩和方法
 疾病に陥る前にストレスを和らげるには、どのような方法や環境が求められるのでしょうか?
ストレス対策の一つは、ストレスに対する耐性を高めることです。それに関連して我々は次の様な実験を行ったことがあります。サラブレッドを通常の調教後、刺激群には「未知の場所につれて行き、未知の体験をさせる」という刺激を3ヶ月間繰り返しました。「未知の刺激」というのは、トレセン内にある発馬機や地下道などです。この間、刺激群の馬は、最初のうち、未知の刺激に遭遇すると心拍数が上がるなど、落ち着かない態度が観察されましたが、日を追うごとに、新しい刺激を与えても平常に近い心拍数へ落ち着いていく様子が確かめられました。既存の施設でも活用次第で十分メンタルトレーニングの場になります。常に適度な緊張を与え、刺激に対して耐性を作ることがストレスの緩和法になるのです。

ストレスをコントロールする
 自然界において馬が“走る”ということは、危険から逃げる事を意味します。馬は非常に感受性が強く臆病な動物です。この臆病な性質を利用して調教やレースを行うわけですから、サラブレッドは常にストレスに曝され、適応を求められていることになります。それゆえにサラブレッドを扱う人間は、馬の受けているストレスを理解し、それを上手にコントロールすることが重要です。馬は本来、仲間とともに生活し、仲間とふれあいを持ちたいという欲求を持っています。しかし、それが制限される環境下で飼育されているサラブレッドにとっては、人間が仲間になりリーダーになる必要があるのです。退屈させないよう、厩舎から出して運動をさせたり、世話をする際にも、話し掛けたり愛撫したりしながら愛情をもって世話をしてあげる事も大切です。
 競走馬を育てていく上で、肉体的に鍛えると同時に、精神的な面からも馬について考え、「心身ともに強い馬づくり」が求められているのです。

4_2 図4 グラスピッキング中の育成馬
様々な環境に連れて行くことでストレスへの耐性を獲得することができる。

(日高育成牧場 生産育成研究室 研究役 佐藤文夫)

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