夫婦円満の秘訣は分娩予知にあり?
No.50 (2012年3月1日号)
春のG1 シリーズに先立ってフェブラリーSが行われ、中央競馬は3歳クラッシック戦線へと盛り上がりを見せ、関係者のみならず競馬ファンもスターホースの誕生を今か今かと心待ちにしています。全ての競馬の物語の最初の1ページは、その主人公となる馬の誕生から始まることはいうまでもありません。本年も3年後のクラシックを目指す若駒達の誕生が始まっており、生産地は出産と交配が重なる1年で最も忙しい時期を迎えています。
出産シーズンには「夫婦ゲンカ」が多くなる?
サラブレッドの出産は、交配から受胎を経て、適切な栄養管理など細心の注意を払ってきた1年間の集大成であり、さらに、生まれてくる子馬は“高額な商品”であるために、多くの牧場では出産時には人的な分娩介助が行われます。一方、自然分娩を尊重する牧場においても、出産時の不慮の事故を未然に防ぐべく、いつでも介助できるように母馬を見守っているのが一般的です。そのために、分娩が近づくと徹夜での監視が不可欠となり、1頭の出産に対して1週間以上もの夜間監視が必要となることも珍しくありません。大きな牧場では夜間のみ勤務を行う専門のスタッフが分娩監視を行うことも少なくありません。しかしながら、ほとんどの牧場では、夜間は分娩監視、早朝からきゅう舎作業、その後種付けのための馬運車の運転、そして帰ってきてから再び分娩監視となってしまう場合もあり、この時期にはその労力とストレスによって「お父さん」の機嫌が悪くなるために、1年で最も「夫婦ゲンカ」が多くなる季節ともいわれています。今回は出産シーズンの「夫婦ゲンカ」を減らすかもしれない分娩日の予測方法を紹介します。
分娩日はどのように決定されるのか?
馬の妊娠期間は平均335日といわれていますが、ご存じのように個体差が大きく、320~360日が正常範囲と考えられているために、交配日から算定した分娩予定日はあくまでも目安にしかなりません。ヒトの場合は保育器でも発育が可能なために誘発剤などによって分娩時期のコントロールが可能ですが、馬はヒトとは異なり、出産時における胎子の成熟が不可欠となります。つまり、新生子は自力で起立し、母乳を吸飲できなければなりません。この胎子の成熟は母馬の乳汁の組成の変化と関連があると考えられており、これを利用したのが海外で普及している乳汁のカルシウム濃度の測定による分娩予知方法です。
乳汁中のpH値の測定による新しい分娩日の予測方法
JRA日高育成牧場では、分娩が近づくにつれて乳汁のpH値が低下する点に着目し、市販のpH試験紙(6.2~7.8の範囲の測定が可能なpH-BTB試験紙)を用いた分娩時期の推定方法の開発に成功しました。この方法はすでに講習会や各種紙面を通じて普及に努めていますが、改めてご紹介させていただきます。乳汁のpH値は分娩10日前頃には7.6とアルカリ性ですが、分娩が近づくにつれて低下し、分娩時には6.4と酸性に変化することが分かりました(図1)。さらにpH値が6.4に達してから24、48、72時間以内に分娩する確率は、それぞれ54%、85%、98%となり、一方、乳汁のpH値が6.4に達していなければ24時間以内に分娩する確率は1%未満ということが分かりました。つまり、pH値の基準値を6.4に設定し、pH値が6.4にまで低下していなければ24時間以内に分娩が起こらないという予測の正解率が非常に高いことが明らかとなりました。これは牧場現場において夕方の乳汁のpH値が6.4に達していなければ、夜間分娩監視が不要であることを意味します。
毎年の個体ごとの記録が分娩予知の精度を上げる?
前述のようにこの分娩予知方法の精度は非常に高いのですが、その精度をさらに上げる方法があります。その方法とは分娩前のpH値の変化を馬ごとに毎年記録することです。つまり、個体によって分娩前のpH値の変化に傾向があるために、その個体ごとの変化を把握することによって、分娩日の予測の確率がさらに高くなります。これらの理由から、馬ごとのpH値の変化を毎年記録しておくことをお勧めします。
最後に
この方法はシリンジやピペットなどの器材が不要で、少量の乳汁(約0.5ml)での測定、および約5秒で客観的な評価が可能という測定手技の簡便性、さらに非常に安価であるという点において、海外で分娩予知方法として一般的に普及しているカルシウム濃度の測定よりも利点が大きいため、牧場現場での応用に非常に優れています。ただし、初産などの場合には採乳を嫌う馬もいるので、採乳時には細心の注意が必要であることを付け加えておきます。すでにこの方法を導入していただいた牧場からは「夫婦ゲンカ」が減ったとの声もいただいていますので、皆様も是非お試しいただきたいと思います。
(日高育成牧場業務課 専門役 頃末 健治)
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