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2020年5月

2020年5月13日 (水)

BTC屋内坂路馬場の運動負荷について

No.141 (2016年2月15日号)

 『強い馬づくり最前線』バックナンバーにも書いたとおり、調教時の心拍数や血中乳酸濃度から算出する指標で馬の体力評価を行なうことができます。しかし、運動負荷の異なる馬場で測定すると、筋肉や心肺機能への生体負担度の違いで得られる結果が変わってくるため、馬の体力検査を行う際はできるだけ同じ条件で測定する必要があります。一方、違う馬場を利用するグループ間でデータを比較した場合、どちらの馬場が重くどちらが軽いという馬場の特徴を調べることができます。今回は、JRA育成馬で得られたデータを基に、BTC屋内坂路馬場の運動負荷がどれくらいかを考えてみましょう。

 

血中乳酸濃度を用いたBTC屋内坂路馬場の運動負荷評価

 日高育成牧場では1歳12月から2歳3月までJRA育成馬の調教にBTC屋内坂路馬場を利用し、走行後の血中乳酸濃度を測定して体力評価を行っています(写真1)。今回、BTC屋内坂路馬場の運動負荷を評価するために、平成27年3月に測定した牡馬延べ52頭の育成馬データを利用しました。横軸に坂路走行時の平均速度、縦軸に血中乳酸濃度をとると図1のようになり、11m/秒(約F18秒)あたりから速度に比例して乳酸値が増加していることがわかります。これらのデータから体力指標の一つであるOBLA(血中乳酸蓄積開始点:血中乳酸濃度が4mmol/Lになる速度、有酸素性運動と無酸素性運動の分岐点)を計算すると、11.4m/秒(F17.4秒)となりました。

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写真1 BTC坂路走行後に採血を実施し血中乳酸濃度を測定2

図1 BTC坂路馬場のOBLA

速度の上昇とともに乳酸値が増加している部分(赤丸)で回帰直線を引き、4mmol/Lの時の速度を算出

 

美浦トレセン坂路馬場のOBLA

 比較したのは美浦トレセン坂路馬場で、平成26年1月から6月までに得られた延べ167頭の競走馬データを用いました。トレセンでは年齢・競走クラス・トレーニング状態・馬場状態などが一定ではないため、グラフにプロットすると育成馬よりも広い範囲にデータが分布していました(図2)。また、今回の調査期間中(平成26年4月)に、転圧の効かない新型ハロー車を導入し坂路馬場の管理方法を変更したため、変更前(1~3月)と変更後(4~6月)とで分けてOBLAを計算しました。その結果、OBLAは変更前が11.9m/秒(F16.9秒)、変更後が10.2m/秒(F19.7秒)でした(図3)。

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図2 美浦トレセン坂路馬場走行後の血中乳酸濃度

トレセンではさまざまな条件の馬で測定しているため、データが広い範囲に分布している

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図3 美浦トレセン坂路馬場におけるOBLA

馬場管理方法変更前(1~3月・赤)と変更後(4~6月・青)のOBLAを算出

 

BTCと美浦トレセンの運動負荷比較

 BTC屋内坂路馬場と美浦トレセン坂路馬場を比較すると、BTCのOBLAは美浦の馬場管理方法変更後よりも大きかったものの変更前よりもやや低値を示しました。馬場の比較にOBLAを利用する場合、値が大きいと馬場が軽く小さいと重いと評価できるため、BTC屋内坂路馬場の運動負荷は馬場管理方法変更後の美浦トレセン坂路馬場よりも軽いものの、変更前と比較すると同等~やや重いと評価できます。

 このような比較を行なう際に調査対象馬(育成馬VS競走馬)の体力差を考慮する必要はありますが、BTC坂路では最も調教が進んでおり体力がある時期の育成馬データを利用したことから、競走馬との差は比較的小さいと考えられます。したがって、BTC屋内坂路馬場は馬場管理方法変更前の美浦トレセン坂路馬場と比較して運動負荷が同程度であり、育成調教を行なう上で十分なトレーニングができる馬場であると考えられました。今回の調査結果を参考に、BTC屋内坂路馬場で調教してみてはいかがでしょうか。

 

(日高育成牧場 生産育成研究室長 羽田哲朗)

2020年5月 8日 (金)

JRA育成馬の管理 ~入厩からBUセールまで~

No.140 (2016年2月1日号)

 今年で12回目となる「2016JRAブリーズアップセール」が4月26日(火)、中山競馬場で開催されます。同セールは中央競馬に登録のある馬主を対象としたセールで、上場馬はJRAが購買もしくは生産した育成馬です。JRA育成馬は騎乗馴致や調教を行いながら「強い馬づくり」のための生産育成研究や技術開発に供され、ここで得られた研究成果を普及・啓発することで生産育成分野のレベルアップに役立てています。

今回の記事では、同セールに上場されるJRA育成馬の購買から調教、上場までのながれを日高育成牧場の馬を中心に紹介させていただきます。

 

育成馬の購買

 国内で生産されるサラブレッドの約3割が1歳の夏から秋に開催される6つの民間市場に上場されています。JRAはこれらすべての上場馬について、馬格・健康状態・血統など様々な観点から検討してJRA育成馬として相応しい1歳馬を購買します。昨年は合計74頭の1歳馬を購買しました。また、2009年からは日高育成牧場で生産したサラブレッド(JRAホームブレッド)もJRA育成馬に加えました。JRAホームブレッドは市場購買馬の入厩にあわせて育成厩舎へ移動し、市場購買馬と同じ飼養管理を行います。今年は7頭のJRAホームブレッドが購買馬とともに育成されています。

現在、合計81頭の育成馬が日高育成牧場(59頭)と宮崎育成牧場(22頭)で順調に調教を積んでいます。

 

夜間放牧と騎乗馴致

 JRA育成馬は、入厩直後から夜間放牧を開始します。全馬を数頭のグループにわけ、午後15時から翌朝8時までの17時間を放牧地で過ごします。放牧地では青草をふんだんに摂取し、自然に近い環境で十分な運動をすることで馬体の発育を促し、心身ともに健康な体を育むことができます。

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写真:夜間放牧中の育成馬。

 

 騎乗馴致は9月初旬から段階的に開始し、馴致開始にあわせて夜間放牧を終了しパドック放牧(昼)に切り替えます。全馬を3つの群にわけ、1・2群で牡牝各20頭程度を行った後、3群の馴致を行います。3群には入厩時期の遅いオータムセール購買馬や遅生まれの馬、小柄な馬や血統的に奥手と思われる馬を選び、他馬より長く夜間放牧を行うことで成長を促してから馴致を始めます。馴致に要する期間は約1カ月で、日高・宮崎の両育成牧場で同じ馴致方法を用いています。騎乗馴致の手法についてはJRA育成牧場管理指針(JRAホームページ) http://www.jra.go.jp/ebook/ikusei/nichijo/ をご参照ください。

 騎乗馴致では十分な時間と手間をかけて、わかりやすく教えることを心がけています。特に時間をかけて行うのがプレ馴致で行うタオルパッティングと馴致開始7日目から行うドライビングです。タオルパッティングは全身をタオルでパタパタと叩き、人間がどこに触れても動じなくなるように慣らします。最初は落ち着きなく逃げ回っていた馬も次第に慣れて、人を受け入れるようになります。ドライビングは騎乗馴致で最も重要な行程だと考えています。2本のレーンをハミから取り、馬の後方から馬を操作するドライビングには、馬に騎乗せずにハミ操作(口向き)を教えられるのと同時に、人が後方に位置するため馬自らが外の世界に向かうことで馬の気持ちが前向きになるというメリットがあります。

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写真:ドライビング中の育成馬。後方からの操作で口向きを作ります。

 

 馬によって個体差はありますが、殆どの馬は馴致開始1ヶ月後には800m馬場でのキャンターができるようになります。とはいえ若馬のことですから馴致途中で苦手箇所が見つかることも多く、その時はじっくり時間をかけて馬が理解するのを待ちます。これは馴致過程をショートカットすると後々の大きな失敗やトラウマにつながり、修正できない悪癖として競走時パフォーマンスに影響することもあるからです。

 

調教の進め方

 馴致が終わると順次800m屋内トラックでのキャンター調教を開始します。最初は誘導馬の後ろで真っ直ぐ走ることを目標とし、スピードは求めません。まずはゆっくりした速度で長めのキャンターを乗りこみ、基礎体力の向上と正しいハミ受け・走行フォーム作りに努めます。

 基礎体力が向上し人の指示を理解したキャンターができるようになる10月頃、最初に馴致した牡馬は1600mトラック馬場での調教を開始します。これまでの馬場と違い幅員がありコースも広いので、騎乗者の指示どおり真っ直ぐ走れるか否かは一目瞭然です。自然環境の影響も直接受けるため、この時期の若馬にはとても良い刺激となる調教場です。屋外にあるこの馬場は、積雪・凍結のためクローズされる11月末まで利用します。

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写真:1600mトラック馬場でのキャンター調教。

 

 その後は屋内坂路馬場での調教を開始します。今では若馬の坂路調教が一般的となっており、この時期にも民間育成場の若馬を多く見かけます。坂路調教日は800m屋内トラック2周のウォーミングアップをしてから坂路を1本(60秒/3ハロン程度)駆けあがるメニューを継続し、体力がつくのをじっと待ちます。年が明けて、坂路調教(57~54秒/3ハロン程度)で馬の雰囲気(息遣い、発汗など)に余裕がみられる1月下旬頃からは、坂路を2本あがる調教を開始します。

 

 育成馬が走ることに飽きず、調教にフレッシュな状態で臨むための工夫として、調教メニューや隊列の組み合わせには常に変化をもたせています。800m馬場で2本のキャンターをする際には1本目を縦列、2本目を2列もしくは3列縦隊とし、周回方向(右・左回り)は毎回変えています。その上で、1週間の調教はパターン化しています。坂路調教は毎週火曜日と金曜日に実施して坂路翌日(水曜日と土曜日)と週はじめの月曜日には800m屋内馬場で「リラックス」を目的とした調教を行います。木曜日は800m屋内トラックで走距離を長くした「スタミナ強化」にあてています。このように調教のリズムをつけることで、育成馬に「オン」と「オフ」を理解したメリハリのある調教をさせたいと考えています。

 

スピード調教の実施

 スピード調教は屋内坂路馬場もしくは1600mトラック馬場で実施します。800m屋内トラックは構造上、コーナーがきついのでスピード調教には適していません。3月下旬には坂路馬場を3ハロン48~45秒程度(併走)、4月中旬には1600mトラック馬場を3ハロン42秒程度(単走)で走れることが目標となります。JRAブリーズアップセールでは馬を走る気にさせて必要以上に追うことなく、ラスト2ハロンをハロン13秒-13秒で走行することを目標にしています。

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写真:3頭併走でのスピード調教。

 以上がJRA育成馬の入厩からセール上場までの流れです。我々は常に馬の将来を見据え、心身ともに健康で走ることに対して意欲的な競走馬を育成・調教したいと考えています。両育成牧場の育成馬は、事前にご連絡いただければいつでもご覧いただくことができます。是非育成牧場まで足を運んでいただき、育成馬達の鍛錬の様子を見に来てください。

  (日高育成牧場 業務課長 秋山健太郎)

ERVの予防

No.139(2016年1月15日号)

 年が明け、いよいよ繁殖シーズンが迫ってきました。本稿では今一度馬鼻肺炎ウイルス(ERV)による流産について解説いたします。ERVは妊娠後期(妊娠9ヶ月齢以降)に流産を起こすヘルペスウイルスの一種です。現在のところ、馬鼻肺炎に対する特別な治療法はなく、妊娠馬は無症状のまま突然流産することが多いため予防が重要となります。ERVは我々人間の口唇ヘルペスと同じく体内に潜伏し、ストレスなどで免疫が低下した際に発症するというやっかいな特性をもっています。そのため、妊娠馬には馬群の入れ替えや放牧地変更といったストレスを与えないよう注意が必要です。当然、体内に潜伏していたウイルスが再活性化するだけでなく、外部から新たにウイルスに感染することも大きな原因となります。

 

踏み込み消毒槽

ERVには逆性石鹸(パコマやアストップ)、塩素系消毒薬(クレンテやビルコンS)など一般に用いられる市販消毒薬が有効です。冬期の踏み込み消毒槽には、低温でも効果が比較的維持される塩素系消毒薬の使用が推奨されますが、北海道では消毒液が容易に凍結してしまうことが大きな問題となります。凍結防止のため市販のウインドウウォッシャー液で消毒薬を希釈することが、牛の分野ではしばしば推奨されています。この件について、JRA競走馬総合研究所で検証したところ、ビルコンSでは-10℃まで有効でしたが、常温に比べて大きく効果が低下しており、牧場現場の踏み込み槽としては必ずしも推奨できないと考えています。低温下では消毒薬の効果が低下してしまうため、凍結しなければ良いというわけではなさそうです。水槽用のヒーターを用いることが理想ですが、残念ながら踏み込み消毒槽用の製品は市販されておらず、確実な消毒効果を期待するのであればその都度微温湯で消毒液を作成するのがベストです。こまめな微温湯の作成が困難な状況においては、ウインドウウォッシャー液や自作ヒーターを検討してみてはいかがでしょうか。また、消毒薬の効果は薬液を攪拌することで向上しますので、踏込槽に軽く踏み込むだけではなく数回足踏みをするように心がけて下さい。

 

洗剤による消毒効果

 JRA競走馬総合研究所では洗剤の主成分である直鎖アルキルベンゼンスルホン酸(LAS)による消毒効果も検証しています。その結果、通常の使用濃度(台所用洗剤であれば500倍希釈程度)でERVに対する消毒効果があることが分かりました。そのため、こまめに馬具を洗浄や衣服の洗濯も予防に有効であると考えられます。

 

繁殖厩舎専用の長靴と衣服

多くの生産牧場は繁殖牝馬と明け1歳馬を同じスタッフが管理していると思われます。ERVは若馬の呼吸器症状の原因でもあり、手入れや引き馬の際に腕に付着する若馬の鼻汁は感染源として注意する必要があります。日高育成牧場では、この鼻水が妊娠馬に付かないよう、妊娠馬を扱う際にはアームカバーを着けています(写真1)。

1(写真1

牧場によっては繁殖厩舎専用の長靴を用意しています。小規模牧場ではなかなか実施しにくいと思われますが、リスクの高さを考えれば、繁殖厩舎に専用の長靴と上着を用意することは決して大げさではありません。

 

ERV生ワクチン

ERVに対するワクチンは、従来の不活化ワクチンに加え新たに生ワクチンが開発され、平成27年から流通しています。一般に、不活化ワクチンより生ワクチンの方が免疫増強作用が高いとされているため、生産界でもより有効な流産予防として注目されていました。しかし、生ワクチンの効能として現在認められているのは呼吸器疾病の症状軽減のみであり、流産予防としての妊娠馬への使用は禁止されています。一方で、従来からの不活化ワクチンは、流産と呼吸器疾病の予防が効能として認められています(写真2)。ワクチンの効能として記載されていない以上、生ワクチンの流産予防効果を獣医師が担保することはできません。また、生ワクチンは軽種馬防疫協議会による費用補助の適用外となっていることをご承知おきください。

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(写真2)
 

本コラムではこれまでにも「馬の感染症と消毒薬について(2011年39号)」、「馬鼻肺炎(ERV)の予防(2011年24号)」、「馬鼻肺炎の流産(2015年117号)」と、度々ERVについて触れております。競走馬総合研究所のサイトでバックナンバーをお読みいただけますので是非ご覧下さい。

(日高育成牧場 生産育成研究室 村瀬晴崇)