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2024年1月15日 (月)

当歳馬に対するグランドワーク

馬事通信「強い馬づくり最前線」第318号

 

はじめに

 当歳馬の離乳もすでに終えられている牧場も多く、当歳馬を個別に管理し、個々の馬の個性に向き合われている時期ではないかと思います。当歳馬の体重は300㎏を超える個体も認められ、放牧地へ向かう引き馬の際に、制御するのが困難な状況を経験されている方も少なくないものと想像いたします。今回は、当歳馬の取り扱いを容易にすることを目的としたグランドワーク(写真1)の実施について概説します。

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写真1.グランドワークの基本となる引き馬はセリ馴致時にも役に立ちます

 

グランドワーク

 近年、ナチュラルホースマンシップの手法を基にした「グランドワーク」は、競走馬や育成馬のみならず、離乳後からセリ上場までの中期育成期に取り入れられることも少なくありません。グランドワークとはその名のとおり、馬に乗ることなく地上(グラウンド)において、馬に向き合って意思疎通を図る方法です。これにより、馬とのコミュニケーションを構築し、普段の取り扱いのみならず、騎乗時の信頼関係をも高めることが目的といえます。

 つまり、「人の指示に従うように導く」ことが最終目標であり、無理やり従わせるというより、馬が「自発的に行動を起こす」ことが重要となります。馬だけでなく、人も含めた動物全般の自発行動は、「オペラント条件づけ理論」に基づいて、学習させることによって、その頻度を増加させることが可能になると考えられています。

 

オペラント条件づけ理論

 「オペラント条件づけ理論」においては、行動を起こす頻度を上げることを「強化」、行動を起こす頻度を下げることを「弱化」と定義し、行動の直後に刺激を与えること「正」、行動の直後に刺激を取り除くことを「負」と定義しています。これらの「強化」および「弱化」、「正」および「負」という定義によって、1)「正の強化」、2)「負の強化」、3)「正の弱化」、4)「負の弱化」の4つに分類されます(図1)。馬に自発行動を促すには、行動を起こす頻度を上げる「強化」にフォーカスする必要があります。つまり、「正の強化」あるいは「負の強化」の理論に基づいて、自発行動を増加させるように誘導しなければなりません。

 「オペラント条件づけ理論」に基づいて考えると、捕食者である犬は獲物を得ることに満足感を得るため、何かを得ることにより、行動を起こす頻度が増加する「正の強化」によって行動が支配されている傾向が強いと考えられています。つまり、「正の強化」とは「お座り」をしたら「エサ」という好きなものがもらえるので、自発的に「お座り」する行動が増加するというイメージになります。
 一方、被捕食動物である馬では、肉食動物に狙われるという危険な状態から逃げることによって安全で快適な状態、つまり満足感を得るため、嫌なものが取り除かれることにより、行動を起こす頻度が増加する「負の強化」によって行動が支配されている傾向が強いと考えられています。つまり、「負の強化」とは、我々の身近な例で例えると、シートベルトを装着しなければ、不快なアラーム音が鳴り続ける(シートベルトを装着すると不快なアラーム音という嫌なものが取り除かれる)ので、自発的にシートベルトをする行動が増加するというイメージになります。

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図1.「オペラント条件づけ理論」の図解

 

「オペラント条件づけ理論」の馬への応用

 馬に対して「正の強化」および「負の強化」の手法に則って、自発行動を促進した例についてはQR①およびQR②をご参照ください。前者は障害飛越後に必ず「エサ」を与えるという行為を繰り返す「正の強化」によって、最終的には自発的に障害を飛越するようになるという例になります。後者は人に付いていくことによって「プレッシャー」が解除されるという行為を繰り返し理解させる「負の強化」によって、最終的には自発的に人の傍に位置するようになるという例になります。

                   

Qr1


QR①「正の強化」に基づく障害飛越  

Qr2


QR②「負の強化」に基づくジョインアップ

 

「負の強化」に基づいた当歳馬に対するグランドワーク

 当歳馬に対するグランドワークは、「オペラント条件づけ理論」の「不快な状態から解放されることがご褒美(プレッシャー&リリース)」となる「負の強化」に基づいて実施することが推奨されます。図2に示したとおり、4つの手順に分けて進めていきます。具体例としての動画はQR③をご参照ください。

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図2.当歳馬に対するグランドワークにおける4つの手順

Qr3


QR③ 当歳馬に対するグランドワーク

https://youtu.be/pnMaPDjwkns

 

右脳と左脳のイメージ

 馬を安全に取り扱うためには、グランドワーク等によって人の指示を馬に理解させなければならず、野性の本能でもある「臆病で逃げる」という性質を可能な限り排除する必要があります。一方、競馬では「全速力で走る」という野生の本能を誘起しなければなりません。この相反する2つのことを馬の右脳と左脳にフォーカスを当ててみると以下のように考えることができます(図3)。

 野生の馬は捕食者から逃げるために、反射的に反応できる右脳を優位に働かせていると考えられています。人とのコミュニケーションが不足している馬は右脳が優位であり、自身が経験したことのない全ての新しいことに対して「危険なこと」と認識して、逃げるという行動を取るのは極めて自然なことです。そのため、安全に取り扱うためには、主に思考を司る左脳を優位に働かせなければならず、人が関わることが「危険なことではない」と理解させる必要があります。

 馬が左脳を優位に働かせているような行動を見ると安心する一方で、競走馬として何か足りないのではと感じることがあります。その足りないものとは「反射的な俊敏な反応」であり、取り扱いの難しい競走馬が競馬で好成績を残すことが少なからずあるということと関係があるようにも思われます。理想的には、普段の取り扱いは左脳を優位にさせて扱いやすく、競馬の勝負どころでは右脳を最大限に優位にできるような馬を育成していきたいと考えています。

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図3.馬を用いた競技は馬術競技の馬場馬術を頂点として、調教程度の高い順に木の幹として表されます。「根」は全ての競技に不可欠な基本的な馬の取り扱い(グランドワーク)と捉えられています。競馬は馬を用いた競技の中で最も野生に近い競技であり、最も右脳の優位性が必要な競技と考えられます。

 

日高育成牧場 副場長

頃末 憲治

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