2019年3月15日 (金)

双子の減胎処置について

No.54 (2012年5月1日号)

双子が維持されると87%が流産・死産・虚弱子となる!
 サラブレッド生産で双子妊娠が継続することは大きな損失となります。Pascoeら(1987)によれば、結果的に双子であった130頭の妊娠馬から、たった17頭(13%)しか生子を得ることができなかった、と報告しています。さらに、翌年の生産状況を加味しても、2年間で年23%という低い生産率となり、妊娠中に双子が継続することが馬の生産性の損耗に大きく影響することを示唆しています。

妊娠馬6頭に1頭は双子になる!
 最近は交配の前に排卵誘発剤を使用することが多くなってきました。排卵誘発剤は、正しく使用すれば適期に一回の交配で高率に受胎させることが証明されている優れた薬剤ですが、唯一の問題は、双子妊娠率が高まることにあります。英国のNewcombeら(2005)の調査では、排卵誘発剤の使用が常在化しているサラブレッドの生産現場において2排卵率は30%を超え、妊娠馬6頭に1頭(16%)は初回の検査で双子と診断されています。日高地方での調査でも、初回の妊娠鑑定の際に10%を超える双子が確認されることが報告されています。もちろん、これら双子と診断された妊娠馬は、用手法により一方の胚をつぶして正しく減胎処置が執り行われていますが、双子による損耗の大きさを考えるといかに初回妊娠鑑定による双子の診断が重要かわかります。

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適切な減胎処置は、「排卵日」から14-16日、その後28-35日に妊娠再確認を
 生産地の馬診療所での妊娠鑑定の際に、「17日目」、「18日目」という言葉が聞こえてきます。新馬戦がかつて「明け3歳馬」のレースであった頃と同じく、物事の初めを0ではなく1と数える習慣から、交配日を1日と数えたときの「17日目」「18日目」を示し、生産地で広く理解されている数え方です。したがって日本の「17日目」は、海外の標準的な数えではDay 16 (交配後16日)を表しています。
 多くの研究結果から、減胎処置を適切に実施するためには、交配日ではなく、排卵日(=受精日)を0日として排卵後16日以内に実施することが推奨されています。これは、排卵後17日を過ぎると子宮の緊縮力が高まり、2つの胚が重なったまま子宮に強く接着するという、馬特有の妊娠生理現象に起因しています。したがって、排卵日が確認できたときは、それを基に妊娠鑑定の日を決定することが推奨されます。胚の大きさを見た際に、「排卵後13日=胚直径13mm」「1日あたり直径3mm増加」と覚えると便利な指標になります。排卵日が分からないときは、当該馬の卵巣や子宮内シストの状態を診た獣医師に相談して妊娠鑑定日を決めるとよいでしょう。妊娠鑑定の際には、胚の有無だけではなく、卵巣内の黄体の数を調べてもらうと、双子の可能性を側面的に推察することができます。また、馬は超音波エコーによる妊娠鑑定が早くから可能な動物で、排卵後12日には検査が可能です。「17日目(交配後16日)」よりも前に初回の妊娠鑑定を実施することが双子の減胎処置に有効に働き、生産性の向上につながります。

用手法以外の新しい減胎法
 軽種馬の双子を適切に処置するには、何よりも妊娠16日よりも前に片方の胚を破砕することが最も成功率の高い方法となっています。その後は以下の表に示すように、減胎処置による成功率が低下します。妊娠25日以内では用手法によりまずますの成功率を示しているようですが、それを超えると成功率が急激に低下します。破砕した尿水がもう一方の胚に触れることや、処置を行う刺激が子宮からの炎症物質の分泌を促進するなど悪影響によるものと考えられています。妊娠37日を過ぎると、たとえ人工流産処置を施したとしても良好な発情が回帰せず、そのシーズンに受胎させることが難しくなります。したがって、超音波エコーを用いた28-35日の妊娠再鑑定(いわゆる5週目の鑑定)は、双子や胚死滅を確認するうえでとても重要ですので必ず受診してください。その後、やむを得ず双子妊娠が継続している状況に出くわした場合は、以下の表に紹介されている方法が検討されています。いずれも決して満足のいく成果とは言えませんが、この中で、米国のWorfsdorfらが報告している、マウス大に成長した胎子(60-90日齢)の頸椎を脱臼させる方法が紹介されています。この方法は特別な施設や機械が必要ない方法として有用性が期待されています。

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終わりに
 最近は交配前に排卵誘発剤を使用することが普及し、適期に排卵するようになった反面、2排卵率も上昇しています。2排卵は馬生産の中では、受胎率を2倍にするよい機会になりますし、現代ではむしろ推奨される方法です。それゆえ、妊娠鑑定の時期には今まで以上に注意を払い、適切に減胎処置を実施する必要があります。

(日高育成牧場 生産育成研究室 室長 南保泰雄)

2019年3月13日 (水)

JRAブリーズアップセールの新たな取組み

No.53 (2012年4月15日号)

 来たる4月24日(火)、中山競馬場で2012 JRAブリーズアップセール(第8回JRA育成馬調教セール)を開催いたします。本年も多くの皆さまのご来場をお待ち申し上げております。今回は、JRAが実施する生産育成業務の役割と本年のセールにおける新たな取組みについて紹介したいと思います。

JRA生産育成業務の役割
 JRAでは、各地で開催されるサラブレッド市場で購買した1歳馬を、日高・宮崎の両育成牧場で育成・調教したのち、2歳の春に売却しています。その目的である「強い馬づくり」に資するため、これらのJRA育成馬を用い、1歳夏から2歳春の後期育成期の調査研究や技術開発を実施し、競走裡で検証して成果を普及することです。
 また、JRAでは平成10年秋から生産に関する研究を実施しています。生産から中期育成期には“早期胚死滅”や“DOD(発育期整形外科疾患)”など、多くの課題が残されていることから、日高育成牧場に繋養する繁殖牝馬に対し2008年以降に種付けした産駒を用い、“母馬のお腹の中から競走馬までの一貫した調査研究や技術開発”を実施することとし、その成果の普及・啓発にも取り組んでいます。このようにJRA日高育成牧場で生産した産駒をJRAホームブレッドとよび、1歳夏以降は市場購買馬とともにJRA育成馬として管理されます。これまで得られた研究成果として、“乳汁のpH測定による分娩時期の推定方法”や“ホルモン処置によって泌乳誘発した非分娩馬の乳母としての導入”があります。これらは、講習会や雑誌等によって公表、普及していますので※1、ぜひ活用していただければと考えています。また、昨年ブリーズアップセールで売却した後、競走馬となったホームブレッドは、トレセンの競走馬診療所と連携し、調教中の心拍数測定や飛節OCD所見の変化等、継続して競走期のデータを蓄積されており、現在、研究成果を競走裡で検証しているところです。
さらに、BTC(軽種馬育成調教センター)研修生やJRA競馬学校騎手課程生徒に対する人材養成にもJRA育成馬を活用しています。この実践研修の一環として、騎手課程生徒は、多くの馬主や調教師の見守る中、JRAブリーズアップセールの調教供覧で騎乗することになっています。

セールにおける新たな取組み
 2012JRAブリーズアップセールでは、これまで同様、“購買者の視点に立った運営”を維持しつつ、新規の方や不慣れな方にもよりわかりやすく参加しやすいセールを目指し、以下のような新たな取組みを実施します。

1)「前日展示会」の開催
 セールを火曜日に移行し、月曜日に前日展示会を実施します。JRAでは購買者ニーズに合致したセール運営を目指す中で、馬主や調教師の皆様にアンケート調査を行なったところ、「セール当日に馬を十分に吟味する時間が不足している」との指摘が多く寄せられました。これに応える取組みとして、セールを4月24日(火)に移行し、4月23日(月)は「前日展示会」の日として、装鞍所での比較展示を行うとともに、従来セール当日に公表していた個体情報冊子と台付価格表を配布し、十分にご検討いただく時間を設けました。
 「前日展示会」以外にも、4月19日(木)~22日(日)の10時~17時には、厩舎で購買候補馬のチェックを行うことが可能です。また、滞在中の調教【5時半頃~9時半頃】もご覧になることが可能です。(事前下見のお問合せは、ブリーズアップセール特設電話 TEL:080-3588-4357(4/16以降開設)にお願いします)

2)新規馬主に対するセリ市場参加の促進
① 育成馬を知ろう会 in宮崎(3/9~3/10)の開催
 新規馬主(2009年1月以降に馬主登録された方)を対象として、宮崎育成牧場で育成したJRA育成馬を用いて、「セリで購買する際の馬の見方」などを解説するとともに、「セリへの参加の仕方」、「購買した馬が競走馬になる過程でどのような育成調教がなされているか」などを、お伝えいたしました。また、この開催に賛同する日本馬主協会連合会競走馬資源委員会、日本調教師会およびセリ市場主催者からのご案内もお伝えしました。当日は、10組の新規馬主とその関係者の皆様が来場され、南国宮崎でのイベントを楽しんでいただけました(写真1)。

1_2 (写真1)生産育成対策室の山野辺室長が、JRA育成馬を活用してセリにおける「馬の見方」を解説しました。

② 新規馬主限定セッションの開催 
 JRAホームブレッドの売却を新規馬主の方(09年1月以降に馬主登録された方)に限定して実施します※2。限定セッションでは、多くの新規馬主の皆様に馬を所有していただくチャンスを広げるため、お一人1頭のみの購買制限を行わせていただきます(限定セッション上場馬が売却されず再上場された場合は、全馬主が参加可能となり、購買頭数の制限はございません。詳しくは名簿をご覧ください)。

3)早期のセール情報発信
 冬季の降雪や寒さのため、これまで作成が遅れていた“調教VTR”や“馬体写真カタログ”などのセリ情報を、従来よりも早期(4月初旬)にJRAホームページ上に発信します。また、事前に購買登録を済ませた馬主の皆様に対しましては、要望の多かった調教DVDの早期配布を実施します。これは、従来1600m屋外トラックで撮影していた調教DVDを、屋内坂路で撮影することにより可能となりました(1600mの調教状況は後日、JRA育成馬ブログ「JRA育成馬日誌」でご覧いただけます)。

4)鑑定人によるセリ上げの「先読み方式」採用
 鑑定人がセリ上げる金額を事前に購買者に問いかける「先読み方式」を採用します。例えば、最初に800万円の声がかかった場合、鑑定人は次に「800万円の上はありませんか?」と問いかけるのではなく、「850万円のお声はありませんか?」と次の価格を提示してセリをリードする方式です。この方式によって購買者が自分の予算に応じた範囲でのセリ上げが容易になるとともに、セリに不慣れな方も声をかけやすくなるものと考えています。
 JRAブリーズアップセールでは、前日に公表する「台付け価格」がリザーブ価格であるとともに、セリのスタート価格となります。また、購買者の皆様がご予算に応じた購買馬の選定が容易となるように声をかけやすいリーズナブルな台付け価格を設定していますので、気に入った馬に一声でも声をおかけいただきたいと願っています。

 JRAブリーズアップセールは、これまで同様、来場された皆様がセリを楽しんでいただけるよう、また、皆様の信頼を失わないよう、今年も適切な運営に取組んでまいります。セール当日には、5月から行われる民間の2歳トレーニングセールや夏の1歳市場および秋・冬の繁殖馬市場などの主催者ブースを設ける予定です。JRAは、ブリーズアップセールへのご来場により、一人でも多くのお客様が“セリに参加しよう”というきっかけづくりとなることを願っています。

※1グリーンチャンネル「馬学講座ホースアカデミー(全9話)」として、昨年8月から本年3月まで放映したJRAの生産育成研究成果をDVDにまとめました。このDVDおよび「育成牧場管理指針Ⅱ-生産編-」が必要な方は日高育成牧場(0146-28-1211:担当 石丸)または馬事部生産育成対策室(03-5785-7535:担当 吉田)までお問い合わせください。

※2「新規馬主限定セッション」に参加される方は、事前の購買登録が必要であることなど、売却馬名簿に定める基準を満たす必要があります。なお、調教進度遅れとして上場の場合は、限定セッションから除外します。また、欠場または調教進度遅れにより、対象となるホームブレッドが5頭に満たない場合は、市場購買馬を補欠馬として加えることがあります。

2_2 (写真2) 昨年のブリーズアップセール風景

(日高育成牧場 業務課長 石丸 睦樹)

2019年3月11日 (月)

日本ウマ科学会シンポジウム -「最近の馬生産の現状を知ろう!」-

No.52 (2012年4月1日号)

シンポジウム開催の狙い
 2011年11月29日(火)、東京大学で行われた第24回日本ウマ科学会において、「最近の馬生産の現状を知ろう!」と題し、我が国の馬生産の最近の知見・情報についてシンポジウム形式で講演会が開催されました。畜産学の世界では「馬は、牛のように一年を通して繁殖可能な動物ではなく、限られた時期にしか生産することができない。また、豚のように4か月程度で一度に10頭近い子を産むこともなく、妊娠期間は一年近い個体もあることから、繁殖効率の低い動物である」と言われています。一方で、馬の生産性が低いということは、「飼養管理や検査方法の改善によって生産性が向上する」というチャンスも含んでいるということになります。シンポジウムでは、前号で紹介したミッシェル・レブランク先生の基調講演に続き、日本の馬の生産に関する4名の専門家を招き、それぞれの分野における生産技術の変遷と今後の課題等について紹介がありました。本稿では、それぞれの講演について簡単に紹介したいと思います。

栄養管理指導と生産性の向上を目指して(朝井洋)
 生産性を向上するための栄養管理を行うためには、専門家に飼料設計や飼養管理方法について相談し、正常値とどのくらい違っているのかを知ることが重要である。本発表では、演者らが中心となって大学や専門機関との共同により初版刊行(1998年)した「軽種馬飼養標準」の作成が日本の生産界に客観的指標を理解させるうえで貢献したこと、現在では中国語に訳されて海を渡るに至っていることを紹介した。当時、生産地にない概念であった「ボディコンディションスコア」は、大手から中小の多数の牧場で利用されるほど一般的なものとなっている。また、日本軽種馬協会(JBBA)が主体となって実施してきた栄養指導者の養成事業について、海外の優れた栄養指導者を定期的に招聘し、民間牧場への巡回指導を通じて、国内の技術指導者、栄養コンサルタントを養成する事業を展開し、現在に至っている。日本の生産界に対してケンタッキーの専門機関から指摘されている「当歳馬からの運動、昼夜放牧を」「1歳セリ前に筋肉質感のあるBCS6に」「冬季に入る前に繁殖牝馬をBCS6に」「草地管理にエアレーターやチェーンハローを」等の提言は、今すぐにでも改善を目指すことができる実質的で具体的なメッセージとなり、きわめて有用な講演であった。

サラブレッド生産における種牡馬の変遷(中西信吾)
 競馬を発展させる上で、種牡馬の果たす役割は大きい。JBBAは、セリ市場の活性化など日本の軽種馬生産育成に関わる一連の事業を担う団体であり、全国4箇所の種馬場で19頭の種牡馬を繋養し、種付事業を行うことにより日本の競馬産業の発展と向上に寄与してきた。国内のリーディングサイアトップ10を見ると、1974年には内国産馬はシンザンの一頭のみであったが、2011年現在ではすべて内国産馬であることを紹介し、サンデーサイレンスが大きな影響を及ぼしていることを示唆した。国内の種牡馬登録頭数は、1989年の621頭から2011年の289頭と減少し、1シーズンに200頭以上の雌馬と交配する種牡馬数も見られるようになったことを示した。その他、普段は知られていない森林逍遥馬を利用した種牡馬の運動方法の紹介や、1997年より日本でも開始されたシャトルスタリオンの現状について言及し、2002年以降オーストラリアでのシャトルスタリオン頭数は徐々に減少しているものの、2010年度に種牡馬のハイチャパレルはアイルランドで218頭、オーストラリアで235頭と、両半球で合計453頭の雌馬と交配されたという驚異的な種牡馬産業の一面を紹介した。発表は、学術関係者が普段知ることのできない種牡馬産業の変遷を知る良い機会となり、興味深いものであった。

重輓馬の歴史と生産(石井三都夫)
 日本では、明治以来150万頭を数えた馬は、戦争で50万頭を失い、さらに戦後10年間で10分の1以下にまで激減した。その中で、重輓馬は、農耕などの力仕事を目的に改良され、軍馬としても活用された。1947年には北海道ばんえい競馬が始まり、地域の祭典輓馬で力を競った馬たちに活躍の場が与えられた。近年、重輓馬の生産は年間2000頭を切るまで減少したが、その90%が北海道、特に道東地域において生産されている。その一部はばんえい競馬に供用されるが、多くは九州にて肥育し馬肉として消費されているが、国内自給率は40%程度と低い。改良に改良を重ねて育種された日本輓系種は現在世界で最も大きな馬として登録されるに至った。重輓馬たちは日本独特の馬および人文化を背負い脈々と生きている。この様な重輓馬の生産事情は世界でも希少であり、後世にわたり日本独特の文化として大切に残したい。馬の臨床教育の充実に力をいれる演者の講演は、学会関係者に重輓馬の生産の重要性を理解させるに十分説得力のあるものであった。

我が国におけるサラブレッド生産の現状と展望(南保泰雄)
 日本は、サラブレッドの生産頭数においては世界第5位の生産頭数を誇っている。生産性を向上させるために、その実態を調査し、予防措置を講ずることが重要である。JRAでは1982年から、生産地で発生する馬の伝染病や子馬の病気を解決するために、日高軽種馬防疫推進協議会と協力して「生産地疾病等調査研究」を実施し、その対策を図ってきた。2004年から演者が担当となり、馬の繁殖に関する研究を開始し、分娩後初回発情での交配の是非、早期胚死滅の実態とその対策、繁殖牝馬の流産予知の胎子診断に関する研究などを実施し、現在に至っている。早期胚死滅については、1)加齢、2)繁殖牝馬の低栄養状態、3)分娩後初回発情での交配、が主な早期胚死滅に直結する要因であることを明らかにし、これらの予防について講演会等を通じて普及啓蒙している。また、流産経験のある繁殖牝馬について、積極的に妊娠中に定期的にエコー検査を実施し、子宮胎盤の炎症の度合いを検査することが推奨される。近年では3Dエコー検査診断技術が開発され、新しい胎子検査法として国内外から注目を集めている。これらの研究で得られた成果や情報は、生産地で行われる講習会等で発表し、生産性の向上に結び付けることが重要である。

Photo_4 シンポジウム演者席(前列奥から3人目がレブランク先生)

(日高育成牧場 生産育成研究室 室長 南保泰雄)

2019年3月 8日 (金)

米国のサラブレッド生産の現状について -Dr. LeBlancの日本ウマ科学会基調招待講演より-

No.51 (2012年3月15日号)

 2011年11月29日(火)、東京大学で行われた第24回日本ウマ科学会において、「最近の馬生産の現状を知ろう!」と題したシンポジウムが行われました。このシンポジウムでは、フロリダ大学で2002年まで馬繁殖学教授として教鞭をとったのち、サラブレッド生産の本場ケンタッキー州レキシントンにあるルード&リドル馬診療所に仕事の中心を移したミッシェル・レブランク先生(写真)が基調講演演者として招聘されました。米国のサラブレッド生産の現状について貴重な講演がなされたので、その内容について紙面上で紹介したいと思います。

1 レブランク教授(ケンタッキー ルード&リドル馬診療所繁殖セクションチーフ)、ジャパンカップ観戦の様子

米国サラブレッド生産ベスト4州と経済不況
 米国のサラブレッド生産の中心といえば、全体の43%を占めるケンタッキー州が有名ですが、次いでフロリダ、カリフォルニア、ルイジアナも主要な生産地として知られています。しかし、近年の経済不況により、ここ5年連続で生産頭数が減少し、生産が45%も縮小しました。同様に種牡馬の数も全国的に減少しています。この傾向は今後も続く見込みであり、米国サラブレッド生産が大きな危機に瀕してします。また、不況になる前の高い交配料金によって生産された子馬が、ここ数年の不況で交配料金以上の価格で売れないという現象に陥っており、多くの牧場が閉鎖する事態になっています。

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フロリダにおけるサラブレッド生産の特徴
 温暖な気候をもつフロリダは、競走馬の育成地としてよく知られています。ケンタッキーに本拠地を持つ牧場がフロリダで分場を所有することがあり、盛んに生産も行われています。気候の特徴として、9月から翌年の5月までは温暖で非常に快適な時期が続きますが、夏は蒸し暑く、毎日のように雨が降り、時々ハリケーンに襲われることがあります。ケンタッキーの夏と比較すると、蚊や昆虫が多く発生し、ロドコッカスによる子馬の肺炎が多くみられます。春と夏はケンタッキーで過ごし、秋と冬にフロリダで育成されるという流れが理想的ですが、フロリダは経済不況の影響を大きく受けた地域であり、特に育成産業が大きな打撃をうけ、育成馬頭数が激減しました。生産についても同様で、フロリダで交配された雌馬の頭数はここ5年で約60%も減少し、全米ワースト1となっています。また、フロリダには、一流の種牡馬よりは交配料が安いものの、将来的に産駒が活躍し、ケンタッキー州の種馬場に移動されることを期待する、いわば予備軍の種牡馬が多数飼養されていますが、この数年の不況で、種牡馬頭数の減少が55%とこちらもワースト1となっています。

ケンタッキーにおけるサラブレッド生産の特徴
 ケンタッキーは米国を代表する世界一の生産地として知られており、整備された大規模の牧場が並んでいます。ケンタッキーは、夏にそれほど暑くならないという利点がありますが、冬は0℃以下に下がり、放牧地が凍りつくこともあり、様々な蹄の問題が多発します。ケンタッキー州では、放牧地の草のタンパク含量が高く、これが仇となり、肥満やメタボリックシンドロームを発症することがあります。ケンタッキーに多い病気として、子馬の下痢、とくにロタウイスル下痢症が多く発生し、子馬が死に至ることもあります。また、2001年、毛虫の大発生が原因となった「繁殖牝馬流産症候群(MRLS)」が大問題となりました。これは毛虫の毛の毒素によるものと考えられ、約3000頭の胎子が失われました。胎齢40日以上の馬で流産することから、胎盤の形成と毒素の伝達の関連性が疑われており、現在でも調査が続けられ、常に警戒されています。

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その他の問題
 多くの馬が昼夜放牧されているなかで、イノシシやコヨーテなどの野生動物は子馬を襲い深刻な問題となっています。そのため、牧場のフェンスは、それぞれの地域で工夫され、丈夫に作られています。また、駆虫剤に対して耐性を持った寄生虫が増加しており、(世界で最も多く使われている)イベルメクチンが薬剤耐性で使えない状況になっています。そこで駆虫の前に糞便検査をしてから、それに適した駆虫薬を選択するようになっています。
 経済の悪化は非常に大きな問題ですが、交配料が低下したことは、より広く交配の可能性が広がったことにつながり、オーナーにとっては利点といえます。Fasig-TiptonやKeenlandのセリでは、販売価格が上昇したというニュースは一筋の光でした。

おわりに
 レブランク先生は、世界馬獣医学会より世界で最も優れている獣医学研究者に贈られる、2001年度ライフタイムアチーブメント賞を受賞されました。馬の繁殖に関する研究者として長きにわたり第一線級の仕事を継続されながらも、サラブレッド生産の2大州であるケンタッキーとフロリダでサラブレッド生産牧場への往診や病院での診療業務などを続けられ、現在においても現場での仕事を大切にされています。本講演では、単なる1学者としてではなく、生産現場をよく理解されたホースマンとして、米国のサラブレッド産業の現状を紹介していただきました。お忙しい中、来日していただき、米国の状況が十分理解できる講演をしていただいたことに感謝の意を表したいと思います。

(日高育成牧場 生産育成研究室 室長 南保泰雄)

2019年3月 6日 (水)

夫婦円満の秘訣は分娩予知にあり?

No.50 (2012年3月1日号)

 春のG1 シリーズに先立ってフェブラリーSが行われ、中央競馬は3歳クラッシック戦線へと盛り上がりを見せ、関係者のみならず競馬ファンもスターホースの誕生を今か今かと心待ちにしています。全ての競馬の物語の最初の1ページは、その主人公となる馬の誕生から始まることはいうまでもありません。本年も3年後のクラシックを目指す若駒達の誕生が始まっており、生産地は出産と交配が重なる1年で最も忙しい時期を迎えています。

出産シーズンには「夫婦ゲンカ」が多くなる?
 サラブレッドの出産は、交配から受胎を経て、適切な栄養管理など細心の注意を払ってきた1年間の集大成であり、さらに、生まれてくる子馬は“高額な商品”であるために、多くの牧場では出産時には人的な分娩介助が行われます。一方、自然分娩を尊重する牧場においても、出産時の不慮の事故を未然に防ぐべく、いつでも介助できるように母馬を見守っているのが一般的です。そのために、分娩が近づくと徹夜での監視が不可欠となり、1頭の出産に対して1週間以上もの夜間監視が必要となることも珍しくありません。大きな牧場では夜間のみ勤務を行う専門のスタッフが分娩監視を行うことも少なくありません。しかしながら、ほとんどの牧場では、夜間は分娩監視、早朝からきゅう舎作業、その後種付けのための馬運車の運転、そして帰ってきてから再び分娩監視となってしまう場合もあり、この時期にはその労力とストレスによって「お父さん」の機嫌が悪くなるために、1年で最も「夫婦ゲンカ」が多くなる季節ともいわれています。今回は出産シーズンの「夫婦ゲンカ」を減らすかもしれない分娩日の予測方法を紹介します。

分娩日はどのように決定されるのか?
 馬の妊娠期間は平均335日といわれていますが、ご存じのように個体差が大きく、320~360日が正常範囲と考えられているために、交配日から算定した分娩予定日はあくまでも目安にしかなりません。ヒトの場合は保育器でも発育が可能なために誘発剤などによって分娩時期のコントロールが可能ですが、馬はヒトとは異なり、出産時における胎子の成熟が不可欠となります。つまり、新生子は自力で起立し、母乳を吸飲できなければなりません。この胎子の成熟は母馬の乳汁の組成の変化と関連があると考えられており、これを利用したのが海外で普及している乳汁のカルシウム濃度の測定による分娩予知方法です。

乳汁中のpH値の測定による新しい分娩日の予測方法
 JRA日高育成牧場では、分娩が近づくにつれて乳汁のpH値が低下する点に着目し、市販のpH試験紙(6.2~7.8の範囲の測定が可能なpH-BTB試験紙)を用いた分娩時期の推定方法の開発に成功しました。この方法はすでに講習会や各種紙面を通じて普及に努めていますが、改めてご紹介させていただきます。乳汁のpH値は分娩10日前頃には7.6とアルカリ性ですが、分娩が近づくにつれて低下し、分娩時には6.4と酸性に変化することが分かりました(図1)。さらにpH値が6.4に達してから24、48、72時間以内に分娩する確率は、それぞれ54%、85%、98%となり、一方、乳汁のpH値が6.4に達していなければ24時間以内に分娩する確率は1%未満ということが分かりました。つまり、pH値の基準値を6.4に設定し、pH値が6.4にまで低下していなければ24時間以内に分娩が起こらないという予測の正解率が非常に高いことが明らかとなりました。これは牧場現場において夕方の乳汁のpH値が6.4に達していなければ、夜間分娩監視が不要であることを意味します。

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毎年の個体ごとの記録が分娩予知の精度を上げる?
 前述のようにこの分娩予知方法の精度は非常に高いのですが、その精度をさらに上げる方法があります。その方法とは分娩前のpH値の変化を馬ごとに毎年記録することです。つまり、個体によって分娩前のpH値の変化に傾向があるために、その個体ごとの変化を把握することによって、分娩日の予測の確率がさらに高くなります。これらの理由から、馬ごとのpH値の変化を毎年記録しておくことをお勧めします。

最後に
 この方法はシリンジやピペットなどの器材が不要で、少量の乳汁(約0.5ml)での測定、および約5秒で客観的な評価が可能という測定手技の簡便性、さらに非常に安価であるという点において、海外で分娩予知方法として一般的に普及しているカルシウム濃度の測定よりも利点が大きいため、牧場現場での応用に非常に優れています。ただし、初産などの場合には採乳を嫌う馬もいるので、採乳時には細心の注意が必要であることを付け加えておきます。すでにこの方法を導入していただいた牧場からは「夫婦ゲンカ」が減ったとの声もいただいていますので、皆様も是非お試しいただきたいと思います。

(日高育成牧場業務課 専門役 頃末 健治)

2019年3月 4日 (月)

坂路トレーニングの効果(2)

No.49 (2012年2月15日号)

 前回の記事では、トレッドミルで得られた傾斜の違いが呼吸循環機能におよぼす影響に関する成績を紹介しました。トレッドミルを用いた研究では、傾斜が1%増えると、走行中の心拍数はおよそ4~6拍/分くらい増えるという結果が得られました。つまり、同じスピードで走っているときの心拍数は、3~4%傾斜では平坦(0%傾斜)に比較して10~25拍/分前後多くなる計算です。この差をハロンタイムに換算すると、3~4%傾斜では平坦にくらべて、2~4秒くらい遅いスピードで負荷が同じになることがわかります。

野外坂路コースでの心拍数
 浦河町の軽種馬育成調教センター(BTC)にも屋内坂路コースがあります。この屋内坂路コースの表面素材はウッドチップとバークの混合素材です。そこで、表面素材がウッドチップで屋内坂路コースと似た表面素材を持つ屋内直線1000m平坦コースとで、走行中の心拍数を比べてみました。その結果、ハロンタイムで比較して、屋内坂路コースは平坦コースよりも2~4秒遅いタイムで同じ負荷がかかることがわかりました。屋内坂路コースの傾斜は大まかに言って3~4%なので、トレッドミル運動負荷試験で得られた傾斜の影響とほぼ同様な結果が得られているといってよいでしょう。どうやら、走路の表面素材が同じであれば、走行コースの傾斜変化が運動中の心拍数におよぼす影響は、野外であれトレッドミルであれ、ほぼ同じのようです。

上り坂走行と走行フォーム
 傾斜の変化が心拍数をはじめとする呼吸循環機能におよぼす影響は前述のとおりですが、走行フォームにおよぼす影響はどうなのでしょうか。
 馬がギャロップで走っているときの四肢の着地の順番は、左手前ギャロップであれば、右後肢→左後肢→右前肢→左前肢の順に四肢を着地し、左前肢で踏み切って空中に浮き、再び右後肢を着地します(図)。

1_3 図1:ギャロップ走行時の四肢の着地順と1完歩。1完歩の長さ(ストライドの長さ)は、4つの歩幅の合計{(A)+(B)+(C)+(D)}で表される。傾斜がきつくなると、(A)で示した両後肢間の歩幅は短くなる傾向にあった。(B)で示した手前後肢と反手前前肢で作る歩幅は長くなる傾向にあり、(D)で示した空中に浮いている歩幅は、傾斜がきつくなるにつれて短くなった。

 一本の肢が着地してからもう一度着地するまでの1サイクルを1完歩(1ストライド)というわけです。右後肢を基点に考えると、1ストライドの幅は、右後肢と左後肢で作る歩幅(A)、左後肢(手前後肢)と右前肢(反手前前肢)で作る歩幅(B)、右前肢と左前肢で作る歩幅(C)、空中に浮いている歩幅(D)の4つの歩幅の合計で表されることになります。
 トレッドミルを用いて、上り坂を走行しているときの走行フォームを分析すると、図の(A)で示した両後肢間の歩幅は、傾斜がきつくなると短くなる傾向にありました。これはおそらく、両方の後肢の幅を狭くすることで、推進力を大きくしようとしているのだと思われます。また、(B)で示した手前後肢と半手前前肢で作る歩幅は、傾斜がきつくなると長くなる傾向にありました。つまり、体を前に伸ばす傾向があることがみてとれます。(C)で示した前肢で作る歩幅はあまり変化しませんでしたが、(D)で示した空中に浮いている歩幅は、傾斜がきつくなるにつれて短くなりました。
 もう一つの大きな特徴は、頭の動きが大きくなることです。上り坂を効率良く走りあがるためには、推進力をより有効に使う必要があります。このために、後肢の間隔を狭めて推進力を大きくしようとしている訳ですが、推進力が働く方向も重要になります。坂路を走行する際には、馬の重心の位置を前方でしかも下方方向へ持っていくようにしないと、後ろにひっくり返ってしまうことになります。そのため、頭部をより前下方に下げることで、体の浮き上がりを抑えているわけです。坂路を走行する時には、馬は自然と頭の動きを大きくしているのです。

坂路調教の特徴
 坂路調教の特徴はなんといっても遅いスピードで大きな負荷がかけられることです。もっとも普通に用いられている傾斜3~4%の坂路コースでは、平地に比べてハロンタイムで2~4秒遅いタイムで、平地と同様の負荷をかけることができます。
 走行フォームから見ると、後肢の負担が増えることになるので、後肢に対する有効なトレーニングになります。また、体を前に伸ばし、頭を下げて走ることを覚えさせることもできます。一方で、後肢の負担が増えるので、騎乗にあたっては注意も必要になります。たとえば、馬が頭を上げた状態で走ると、後肢に負荷がかかりすぎ、筋肉や関節を痛める原因ともなります。馬が頭を上げないように注意して騎乗する必要があります。
 坂路調教のもうひとつの大きな特徴は、坂路は距離が決まっているため、トレーニングが必然的に反復あるいはインターバル形式になることです。反復トレーニングは、強度の設定が比較的簡単で、トレーニングを安全かつ有効に行なうことができます。注意点は、坂路調教のような短時間の運動は、一見楽そうに見えるという特徴があることです。実際は、2歳の2月頃を例にとると、ハロン18~20秒程度の運動でも、かなりの負荷がかかっています。しかし、外見上は楽そうにみえるので、もっと強めの調教をしても大丈夫と思いがちです。特に、若馬の場合には、過剰な負荷がかかることを念頭にいれておくことが必要です。

                (日高育成牧場 副場長 平賀 敦)

2019年3月 1日 (金)

坂路トレーニングの効果(1)

No.48 (2012年2月1日号)

 坂路コースは北海道においても数多くみられるようになりました(図1)。坂路トレーニングは文字通り、上り坂を利用したトレーニングです。走路の傾斜がきつくなれば、それだけ呼吸循環機能にかかる負荷が増えることは容易に想像できますが、走路の傾斜の違いによって呼吸循環機能にかかる負荷の程度がどのくらい違うのかを、野外の坂路コースを使って評価するのはそれほど簡単ではありません。
傾斜の異なる上り坂を走っているときの呼吸循環機能を評価するためには、傾斜の設定を簡単に行なうことのできるトレッドミルが大変役に立ちます(図2)。今回は、トレッドミルを用いて、走路面の傾斜の違いが走行中のサラブレッドの呼吸循環機能におよぼす影響を調べた結果について簡単に紹介したいと思います。

1_2 図1:JRA日高育成牧場の屋内坂路コース

2_2 図2:トレッドミル運動負荷試験

トレッドミルは傾斜の設定が簡単に出来るので、傾斜の違いが呼吸循環機能におよぼす影響を調べるのに有用である

傾斜の変化と呼吸循環機能
 トレッドミルを用いた実験では、酸素摂取量(1分あたり、体重1kgあたりの量ミリリットル)をはじめとして、1分間当たりに肺に取り込まれる空気量である分時換気量、1回の呼吸で肺に取り込まれる空気の量である1回換気量、1分間当たりの呼吸数、心拍数などを測定しました。
 酸素摂取量は、走行スピードが速くなるのに比例して増加しました(図3)。傾斜が0%でも、3%でも、6%でも、10%でも、いずれの場合でも、スピードが速くなると、それに比例して右肩上がりに酸素摂取量が増加しているのがわかります。一方、傾斜が0%から3%→6%→10%ときつくなるにつれて、酸素摂取量も増加しているのが分かります。たとえば、秒速10mで走っている場合で比べると、0%では約90ml/kg/minであった酸素摂取量が、3%では約120ml/kg/min、10%では約160ml/kg/minとなっています。いうまでもなく、運動がきつくなればそれだけエネルギーが多く必要になるので、それに伴ってエネルギー生成のための燃料である酸素の要求量も増えるというわけです。

3_2 図3:酸素摂取量は、走行スピードが速くなるとそれに比例して増加する。傾斜が0%でも、3%でも、6%でも、10%でもいずれの場合でも、走行スピードが速くなると、それに比例して酸素摂取量は右肩上がりに増加しているのが分かる。一方、傾斜が0%から3%→6%→10%へと増加するにつれて、酸素摂取量も増加している。

傾斜の変化と換気
 酸素摂取量が増えるということは、肺における空気の取り入れ、すなわち換気が亢進していることを意味しています。1回換気量に1分間あたりの呼吸数を掛け算すると、1分間当たりに体内に取り込まれる空気の量、すなわち分時換気量が求められます(分時換気量=1分間当たりの呼吸数×1回換気量)。分時換気量は、秒速10mで0%傾斜上を走っているときには、およそ1200リットルでしたが、10%傾斜上を走っているときには約1700リットルにまで増加していました。
 馬がギャロップで走っているときの呼吸は1回のストライドに1回になっています。1分間あたりの呼吸数は、0%傾斜上を走っているときと10%傾斜上を走っているときとを比較するとほとんど変わりませんでした。前述のように、分時換気量は1回換気量と1分間当たりの呼吸数の掛け算で求められます。呼吸数は傾斜が変化してもほとんど変わらなかったので、傾斜が0%から10%になったときに分時換気量が増加したのは、主に1回換気量が増加したことによることがわかります。つまり、傾斜のきつい上り坂を走っているときには、同じスピードであっても1回の呼吸量が増えていることになります。

傾斜の変化と心拍数
 心拍数は走行スピードが速くなるのに比例して増加しているのがわかります(図4)。傾斜が0%でも、3%でも、6%でも、10%でもいずれの場合でも、スピードが速くなると、それに比例して右肩上がりに心拍数が直線的に増加しています。一方、傾斜が0%から10%へと増加すると、それにつれて心拍数も増加しています。

4_2 図4:傾斜が0%でも、3%でも、6%でも、10%でもいずれの場合でも、スピードが速くなると、それに比例して右肩上がりに心拍数が直線的に増加している。一方、傾斜が0%から10%へと増加すると、それにつれて、心拍数も増加しているのが分かる。

 この実験で求められた傾斜および走行スピードと心拍数との関係からV200(心拍数が200拍/分になるスピード)を計算すると、0%傾斜におけるV200は秒速11.2mになります。同様に、3%傾斜におけるV200は秒速10.0m、4%傾斜におけるV200は秒速9.7mとなります。これをハロンタイムに直すと、0%傾斜はハロン17.9秒、3%傾斜はハロン20秒、4%傾斜はハロン20.7秒 くらいになります。つまり、3~4%傾斜では平坦(0%傾斜)にくらべて、ハロンタイムで2~3秒くらい遅いスピードで負荷が同じになることがわかります。

 トレッドミルを用いた実験によると、傾斜が1%増えると、走行中の心拍数は大まかにいって、4~6拍/分くらい増えるようです。つまり、同じスピードで走っていれば、平坦(0%傾斜)に比較して3~4%傾斜では、心拍数は10~25拍/分前後多くなる計算です。もちろん、心拍数は無限には増えないので、坂路コースでも最大心拍数である220~230拍/分が上限であることはいうまでもありません。

(日高育成牧場 副場長  平賀 敦)

2019年2月27日 (水)

お腹の中から健康管理! 発育のカギを握る胎生期の精巣・卵巣

No.47 (2012年1月1・15日合併号)

 お正月が終わり、そろそろ牝馬のお産準備が始まっている牧場さんも多いことと思います。妊娠期最後の3か月は胎子の大きさが急激に上昇している時期であり、サラブレッドとしての発育を考えると最も重要な時期といっても過言ではありません。本稿では、馬の胎子の成長に非常に重要な役割を担っている胎子の精巣・卵巣について知見を深めてみましょう。

馬の胎子の精巣・卵巣(性腺)は大きい
 精巣は精子を、卵巣は卵子をつくる器官です。胎生期にも精巣・卵巣(以下性腺といいます)があり、原始的な生殖細胞が存在します。まだホルモンの刺激を受けていないため、精子・卵子を作りだすには至っていません。多くの動物で胎子性腺は未発達であることが多いものです。ところが、馬の胎子性腺は非常に大きく、妊娠7か月頃、胎子がまだ中型犬ぐらいの大きさの頃に、鶏卵よりも大きな楕円形の性腺が左右一つずつおなかの中に備わっていることが知られています(写真1下部、あずき色)。その胎子を宿した600kgを超える母馬の卵巣(写真1上部、白色)よりも大きいことになります。胎子性腺は、新生子として娩出されるまでにはウズラの卵大まで退縮する、とても不思議な器官です。

1 写真1;妊娠195日の母馬の卵巣(上段)と胎子卵巣(下段)。白線は1cm。600kgを超える母馬の卵巣よりも大きいことになります。

紀元前400年にすでに発見されていた!
 プラトン、ソクラテスと並び紀元前の3大学者と呼ばれるアリストテレスは、文学、物理学、哲学、そして生物学と広い学識を持った天才科学者でした。アリストテレスは多くの動物の解剖を行い、イルカが哺乳類であることなどを肉眼所見から初めて明らかにしました。馬の解剖も実施し、「馬の胎子には腎臓が4つある」という記述を残しています。馬の胎子性腺の肥大化は生殖細胞の増殖によるものではなく、間質細胞という内分泌細胞の増数・増大によることから、卵巣にみられるような胞状構造はみられません。その記述が胎子性腺を表していたと考えられますが、2400年前に馬の胎子の特徴を正確にとられていたアリストテレスは、観察の必要性を後世に伝える偉大な学者であったことがうかがえます。

胎子性腺が妊娠に必要なエストロジェンの原料を生成する
 では、馬の胎子性腺はどのような役割を担っているのでしょうか?いまだに謎に包まれた不思議な現象です。これまでの研究でよく知られていることは、「エストロジェン」の分泌に関係しているということです(写真2)。馬の妊娠期には「エストロジェン」が非常に多く分泌されており、ヒト用の女性ホルモン内服薬など、多くは妊娠馬の尿や胎盤から分離されたエストロジェン類が使用されてきました。ヒトの医療に貢献している馬のエストロジェン、しかし妊娠馬自身にどのような意味を持っているか、いまだ不明な点が多く、専門学会でも論議の的となっています。本来発情を誘発するホルモンである「エストロジェン」が妊娠期に高いことは都合のよいこととは思えません。専門家の意見として最も有力な役割は、1)胎子の大きさに見合った子宮の拡張作用、2)子宮への血流促進作用、そして3)子宮の免疫力増強作用に役立っていることが考えられています。また、Pashen & Allenによる有名な実験として、胎子性腺摘出手術後の血中エストロジェン濃度が急激に低下することが知られており、その後妊娠は2か月以上維持されたものの、いずれの馬も虚弱か死産であったことを報告しています。これらの研究から、胎子性腺が妊娠馬の高濃度のエストロジェンの原料となるDHEA(デヒドロエピアンドロステロン)を合成し、胎子の健全な成長に役だっていることがわかってきました。

2 写真2;妊娠期のホルモン分泌。胎子は妊娠に必要なホルモンの原料(DHEA;デヒドロエピアンドロステロン)の産生・分泌を積極的に行い、臍帯を通じて胎盤に運ばれ、エストロジェンとして妊娠の維持を助けています。

健康で丈夫な子馬を生産するために
 最近の研究では、胎子の性腺がエストロジェンの原料を分泌するだけではなく、細胞の分化や増殖に非常に重要な成長因子を分泌していることが明らかになってきました。これらの因子は、胎盤と相互に作用し、健康な胎盤の形成や胎子自身の発育に働いていることが考えられています。これらの知見を踏まえ、日高育成牧場では母馬の腹壁から深さ30cmまで観察可能な超音波探触子を用いて、胎子性腺の大きさを測定する方法の確立を検討しています(写真3)。また、現在NOSAI、HBA、日高家保との共同研究により、一般的なポータブル超音波装置を使って子宮と胎盤の厚さを測定し、胎盤の炎症の度合いを診断するという方法の普及を進めています。「妊娠期は検査してもよくわからないし対処方法もない」、という今までの考えが変わりつつあります。これまで流産・早産などの経験のある牝馬、妊娠後半になると乳房が腫脹する馬、外陰部から悪露を排出する馬は、最寄りの獣医師に相談して、検査されることをお勧めいたします。また、たとえ流産してしまったとしても、流産の原因や感染源を特定することは次回の妊娠の可能性を高めることにつながります。

3 写真3;妊娠240日における馬胎子性腺の超音波画像。腹壁から形態観察や計測が可能です。

(日高育成牧場生産育成研究室 室長 南保泰雄)

2019年2月22日 (金)

装蹄技術の向上を目指して

No.46 (2011年12月15日号)

 サラブレッドは、より速く走るために改良が続けられてきました。そのため、皮膚の延長である『蹄(ひづめ)』の蹄壁は薄く、蹄底は浅くなり、蹄質が脆弱化した結果、蹄壁凹湾、アンダーラン・ヒール、挫跖、白帯病、蹄葉炎、肢軸異常、クラブフット等といった様々な病気にかかりやすくなってしまったと考えられます。
 こうした蹄のトラブルを予防し、改善するうえで装蹄師の技術向上は欠くことができません。今回は、その装蹄技術向上に向けた話題を紹介いたします。

全国装蹄競技大会と海外での大会
 毎年10月下旬に、全国地方予選を勝ち抜いた選手達が栃木県の装蹄教育センターに集い、その年の日本一を決める「全国装蹄競技大会」が開催されています。1941年から始まったこの大会も、今年で64回目を向かえました。本競技大会は、造鉄競技、装蹄競技、装蹄判断競技の3種目により勝敗を決めますが、本年、栄えある最優秀賞(農林水産大臣賞)に選ばれたのは、北海道日高装蹄師会所属の中舘敬貴氏で、同装蹄師会所属者が全国一になるのは初めてとのこと、北海道の装蹄技術が日本のトップレベルにあることを証明した大会となりました(写真1)。

1 写真1:全国装蹄競技大会での中館選手

 また、この大会の優勝者は、翌年の2月下旬にアメリカで開催されるAFA(米国装蹄師会)が主催する米国装蹄競技大会にも出場します。競技内容は、北米選手権と呼ばれる装蹄競技、基本造鉄競技、治療用の特殊蹄鉄を3~4種類作る造鉄競技、二人一組で行うドラフト競技、60歳以上を対象としたシニアクラス造鉄競技など様々な種目があります。この大会は、北米に限らずヨーロッパあるいは南米、アジアからも選手が集うとともに、その年のアメリカナショナルチームの選考も兼ねているため、参加選手のレベルは正に世界トップクラスといっても過言ではありません(写真2)。

2 写真2:米国装蹄競技大会風景(ケンタッキー州)

 一方、アジア国際装蹄競技大会は、毎年マレーシアで開催されています。この大会は、同国で競馬を主催する4つの団体が、毎年持ち回りで開催するナショナルホースショーの付帯行事として行われています。本年は、JRA装蹄職員である竹田信之、大塚尚人の両名が、日本人としては初めて同大会へ参加し、総勢43名による競合の結果、竹田職員は総合1位、大塚職員は総合2位という、日本勢ワンツーフィニッシュを達成しました(写真3)。過去に日本人が参加したことのない大会であったため、競技に関する情報は皆無に等しく、貸出される器材や会場の環境などは全て現地に行ってから確認し、競技本番中には周りの選手が行う作業内容を確認しつつ、ようやく競技の内容を理解して蹄鉄を作成するような状況でした。こうした環境のなかで獲得した両名の栄誉を称えたいと思います。

3 写真3:アジア装蹄競技大会風景(上:竹田選手、下:大塚選手)

4 写真4:指動脈の確認

海外の一流装蹄師
 昨年2月、英国上級装蹄師国家資格(FWCF)という取得が極めて難しい資格を持つ装蹄師、サイモン・カーティス装蹄師(英国ニューマーケット)が来日しました。彼は、多くの馬関係の専門書籍を執筆するだけでなく、世界20カ国以上における講演、また英国で獣医大学や各種馬専門機関で講師や理事を務めるなど、世界規模で活躍する著名な装蹄師です。輝かしい経歴を持つ同氏からは、子馬における肢軸異常の矯正方法やデモンストレーション、また肢勢の見方や症例報告などの講演が行われました。この講演で彼が力説したことを以下に要約します。

 子馬の成長は日々早く、肢蹄に異常を見過ごすと肢軸異常や変形蹄を発症して競走能力にも影響します。日ごろから、子馬の馬体を観察して異常がないかを確認するためには、肢軸検査で子馬の馬体をチェックしなければなりません。したがって、異常肢軸を見抜く眼、すなわち眼力を養うことは重要な技術のひとつです。肢軸検査は装削蹄を行う前には、平らな路面上で3つの検査を行います。駐立検査・歩様検査・挙肢検査を綿密に行なうことが大切です。成馬の検査(装蹄判断)を行う際は、馬の正面(前望)、後ろ(後望)、左横(左側望)から検査をしますが、子馬の検査(肢軸検査)の場合は若干異なります。馬の正面や真後ろの延長線上から見ると、正常な肢であっても捻じれているように見えてしまうので、前肢では腕間節の正面から、また後肢では蹄の正面(蹄尖の延長線から)から観察します。一般的に前肢では前方から観察しますが、後方から前肢の状態を観察することも重要となります。

(1) 駐立検査:姿勢および肢軸を見る検査
(2) 歩様検査:歩き方を見る検査
(3) 挙肢検査:蹄の内外バランスを見る検査

 子馬の肢軸異常には、大きく分けて3種類あります。肢軸旋回・オフセットニー・内・外方肢軸旋回、これらは、単独で発生するのではなく、ひとつの関節に複合している場合や一本の肢の複数の関節に見られることもあります。ひとつの異常に対して矯正を行うと別の部位に異常を生みだしてしまう場合もあるので、より慎重な対応が必要です。

(1) 肢軸旋回:肢の一部または全体が旋回しているもので、肢全体的が外側に旋回しているのが多数を占めています。また、75%程は成長に伴って自然に正常な範囲にまで回復すると言われています。
(2) オフセットニー:橈骨と管骨の骨中心軸が、腕関節部を挟んでまっすぐでないもの(軸ズレ)で、多くの場合は管骨中心軸が外側にズレています。
(3) 内・外方肢軸旋回:前肢では腕関節や球節、後肢では飛節や球節おいて関節を中心に、上部と下部の骨の中心軸が内外いずれかに屈曲(破折)するものです。

 肢軸矯正の時期は、関節を構成する骨の成長板の活動期と重なり、球節では3ヵ月齢まで、腕関節では12ヵ月齢までですが、できるだけ早い時期(6ヵ月齢)の方が高い効果が得られると言われています。肢軸異常の治療法には、『張り出し処置法(エクステンション)』が行われ、この処置法には、ダルマシューズのようなカフタイプ(蹄にはめ込む)の蹄鉄を使用していましたが、蹄を締め付け、蹄の成長を阻害する恐れあるので、現在は、アルカリ樹脂やポリマーウレタン製の充填剤が使用されています。

 子馬の蹄の成長速度は、1ヶ月間におよそ、当歳では15㎜、1歳では12㎜、2歳以上では9㎜伸びます。しかし、当歳馬の蹄角質は柔らかいので、蹄に加わる体重圧のバランスが崩れると直ぐに蹄形に歪みが発生します。そのため、生まれた直後から体重が四肢蹄に均等に分担されるように、また、ひとつの蹄でもバランスよく負重するように気を配る必要があります。子馬の初回の削蹄は、4週齢から始めてその後は4週間毎に行います。サイモン・カーティス装蹄師は、経験的に、削蹄周期が不規則な牧場に比べ、4週間毎に定期的に削蹄している牧場では、肢蹄トラブルの発生が少ないと報告していました。ただし、何らかの問題が発生した症例では、矯正のため2週間毎に削蹄を行うことが大切です。

重要な日々の蹄チェック
 普段から馬体を支え、地面から伝わる衝撃にも耐える蹄は、組織的にも構造的にも高性能な緩衝作用を持つ、とても丈夫な器官です。しかし、蹄に何らかのトラブルを抱え、満足に運動も行えないような馬も散見されます。痛みに対する耐性が強い蹄は、僅かな痛みぐらいでは跛行も違和感も見せないため、その症状は気づかれないまま放置され、積もりに積もったストレスは、やがて大きなトラブルとなって蹄を蝕みます。したがって、症状が現れる頃には相当なダメージが蓄積されており、長期間の治療を要することになります。蹄疾患を予防するには、日頃から健康な蹄の状態を把握することが大切で、そのためには日常の手入れの際の蹄のチェック(素手で蹄温度を診てみる、指動脈を確認する(写真4)、ウラホリで蹄底を打診してみる)をしましょう。また蹄鉄を装着している場合は、蹄鉄を外さないと分からないこともあるので、装削蹄の際に装蹄師とコミュニケーションをとり、その馬の蹄状態をしっかり把握しましょう。早期発見、早期治療、病魔は小さいうちに対処をすれば完治も早いでしょう。軽度の蹄疾患であれば装蹄師だけでも十分に対処できますが、重度な時は装蹄師の装蹄療法だけでは対処できない場合があります。獣医師+装蹄師+牧場関係者、三者が一丸となって治療に向き合うことが、早期治癒への近道となるでしょう。

(日高育成牧場 専門役 川端 勝人)

2019年2月20日 (水)

JRA育成馬の調教方法

No.45 (2011年12月1日号)

 これまで、JRA育成馬の放牧管理、引き馬、飼料、ライトコントロール法等の飼養管理方法や、騎乗馴致方法について日高育成牧場の担当者が連載してきました。今回は、当場で現在行っている調教方法やその考え方について紹介します。

初期の騎乗
 騎乗馴致を終了した馬は、リードホースを先頭に800m屋内トラック(以下屋内トラック)での調教を開始します。騎乗調教開始初期は、馬自身が人を乗せて走るためのバランスや人を乗せて動くための筋力の会得に重点をおきます。そのため、初期段階では、人が馬の口を必要以上に引っ張らないよう、拳を下げてネックストラップを保持し、リズムよくゆっくりした速歩を行います。速歩では馬の頭頚の動きが安定しているので、馬自身が人を乗せて動くバランスを会得しやすいというのがその理由です。筋力がつき速歩のリズムが安定した後、騎乗者を乗せてゆっくりしたキャンターを行うことができるようになります。

角馬場での準備運動
 メイン調教場に行く前の準備運動として、角馬場(73m×40m)で速歩を2周ずつ両方の手前を実施しています。ここでの目的は、馬体のリラックスと調教監督者による歩様確認です。騎乗者は、馬をリラックスさせ手前に合わせた正しい軽速歩をとることが大切です。地道ですが、このことによって左右の筋肉の均等な発育を促し、ひいては走行バランスがいい馬につながるものと考えています。そのような考え方から、駆歩を実施する主運動コースである屋内トラックにおいても、基本的に両手前を実施します。競馬においては、最後の直線で手前変換が適切に実施できるかどうかが鼻差の勝負を制します。したがって、左右均等に良好な筋肉の発育を促すことが重要と考えています。

1_5 角馬場での速歩

1600mトラックや屋内坂路の活用
 屋内トラック以外の調教コースとして、日高育成牧場総合調教施設内の1600mトラックと1000m屋内坂路(以下屋内坂路)も活用しています。
 11月上旬から1600mトラックでのキャンター調教(走行距離1600m程度)を行います。ここでは、ある程度のスピードにのって(F23~20程度)まっすぐに走ることを教えます。
 1600mトラックがクローズになった後(12月)、屋内坂路の使用(週2~3回)を開始します。坂路調教のメリットは、平地よりも遅いスピードで心肺に負荷をかけることができること、トップラインを伸ばし後肢の筋肉を鍛えることができると考えています。さらに、私たちが屋内坂路を使用するそれ以外の理由として、①厩舎から調教場が遠いこと、②坂路を下る際に後肢をより深く踏み込んで歩くことで後躯の可動域を増加させる、という2点を考えています。①については、物理的に運動前後の常歩を多く行うことができるため、常歩を速く大きく歩かせることで馬の全身の筋肉を使ったバイタルウォークを促します。 また、②については、坂路を下る際は馬の後肢の関節可動域が大きくなります。特に若馬は柔軟なので、骨盤全体を大きく踏み込んで歩くフォームを覚えます。こうした運動により、通常は意識して鍛えることが困難な腹筋や斜角筋などのいわゆるアンダーラインの筋肉をトレーニングすることができるのではないかと期待しています。これらの筋肉が鍛えられると、坂路を上がる際に骨盤全体を使って後肢が踏み込むことが可能になり、また、肩の動きも大きくなります。結果として、頭頚が起きるとともにその位置が安定し、騎乗者がコントロールしやすいフォームで走行することが可能になるものと考えています。
 坂路調教初期のキャンターはリードホースの後ろを一列で走行し、列からはみ出して遊ばないようにどんどん前に出しまっすぐ走ることを教えています。
 また、これまでの育成研究の成果から、年内にある程度の負荷をかけてトレーニングを行っておくことで、育成後期のV200の値も高くなることが分かっています。どの程度の負荷が最適かは、今後も継続して調査を継続していかなければなりませんが、現在は、12月末までに屋内坂路で3Fを60秒程度の安定したスピードで、隊列を整えて走行することができることを目標にしています。

2_5屋内坂路での調教

隊列を組んだ集団調教の考え方
 競馬において多頭数で走行する際に求められる走りの要素をシンプルに分解した縦列での隊列を組んだ調教を応用しています。もっともシンプルな隊列は前の馬との距離を2馬身程度あけた「一列」での調教です。これは、前の馬についていくことでまっすぐ走ることを覚える、推進力をためた走りを覚えさせる、行きたがる馬を後ろで我慢させる、および、競馬において前の馬のキックバックによって砂をかぶることに慣れさせるなどが目的です。このような調教を積み重ねることで、馬の前進気勢をためて騎乗することが可能になり、後躯の筋肉により負荷をかけることができます。
 縦列調教の応用として、「二列縦隊」での調教や「3頭ずつに区切った一列調教」も行っています。二列縦隊での調教は前後左右の馬に慣れさせ、馬群の中でコントロールした状態でリラックスして騎乗できるようにすることを目的としています。したがって、屋内トラックでゆっくりした(F22程度)スピードで実施します。馬に体力がつき、坂路等でステディなスピード(F20-18程度)で一列の調教を実施する際には、隊列がバラけないよう、3頭単位で前の馬と距離をあけずに(テイルトゥノーズ)実施しています。馬に走るための行く気を喚起する効果があります。

3_3 縦列調教(屋内トラック)

4_3 二列縦隊での調教(屋内トラック)

5_2 3頭単位での縦列調教(屋内坂路)

1週間の調教
 調教に対するモチベーションを若馬に与えるためには、調教のオンとオフを馬に理解させる必要があります。そのため、1週間の中で強弱を明確につけた調教をパターン化して実施しています。2月中旬の調教の一例を示します。
 月曜日は、休日明けなので馬の張りをとり無駄な力を抜くため、屋内トラックで速歩を半周(400m)した後、2周半(2000m)の連続したキャンターを一列の隊列で実施します。
 火曜日と金曜日は週の中でも強めの調教を実施しています。まず、屋内トラックで一列の隊列で約2周キャンターを実施(1400m程度:F22秒程度)した後、屋内坂路へと移動し、3頭単位の一列隊列で坂路を2本(1000m×2:1本目3F60秒、2本目3F54秒程度)実施します。このときの最大心拍数と乳酸値は、1本目、2本目ともに心拍数が210-230回/分程度、乳酸値が6-12ミリモル/ミリリットル程度となり、有酸素能力を高めることができる値になっています(心拍数200以上、乳酸値4ミリモル/ミリリットル以上の負荷をかけた運動で有酸素能力を鍛えることができるとされています)。
 水曜日と土曜日は坂路調教の翌日なので、馬の精神面・肉体面のリフレッシュを図ることを目的に、屋内トラックを一列でゆっくり1周した後、手前を変えて二列縦隊で、リラックスしたキャンター(F23)を行います。
 木曜日は、スタミナをつけることを目的に、1本目は一列で2周(1600m:F25-22)したのち、2本目は手前を変えて二列縦隊で2周(1600m F22-20)行います。

スピード調教
 3月下旬までは、スピード調教は週2回屋内坂路で行います。屋内トラックでF22-20秒程度のキャンターを1400m行った後、屋内坂路で2本のキャンターを実施します。1本目は4頭単位で一列のキャンター3F54秒程度で実施した後、2頭併走で3F48秒を目安とした少し強めの調教を行います。このとき、併走馬同士をできるだけ近づけ走りたい気持ちを喚起しますが、人が鞭で叩いて追うということは行いません。逆に手綱をしっかりと保持し「走りたい気持ちを我慢させる」ことで走る気持ちを強くするように教えています。
 4月に1600mトラックが開場になったら、併走で3F45秒程度のキャンター調教を週2回行うとともに、セールに向けた単走の練習を行います。単走の練習は縦列調教の延長で教えます。最初は、馬と馬の間の距離を7馬身あけ、徐々にその距離を開け前の馬を目標に走る中で単走でも走ることができるように教えます。ブリーズアップセールでは2F13秒-13秒を目安に走行しますが、基本的な考え方は、6月の競馬デビューを見据え、そこから逆算して無理せず馬を鍛えていくようにしています。したがって、成長の遅い晩成型の馬は、馬の将来を考え、無理してスピードを出しすぎないように注意しています。

6 併走での調教(1600mトラック)

  (日高育成牧場 業務課長 石丸睦樹)