2021年8月26日 (木)

アイルランドにおける軽種馬生産

 生産牧場におけるサラブレッドの出産シーズンも一息ついた頃かと思います。JRA日高育成牧場でも、本年生まれる予定の当歳馬はすべて誕生しており、放牧地を元気に駆けまわっています。このようなサラブレッドの出産シーズンの光景は、日本だけでなく北半球の競馬先進国でも同様にみられるものです。今回は私が2018年から2年間にわたり研修に行かせていただいた、アイルランドにおける軽種馬生産の状況についてご紹介したいと思います。

ヨーロッパ最大の軽種馬生産国

 アイルランドの2020年の生産頭数は9,182頭であり、世界第3位のサラブレッド生産大国です(表1)。イギリスやフランスといったヨーロッパの競馬大国の中でも、最大の生産頭数を誇っています。一方で、競走数や出走頭数に目を向けると、他の競馬先進国に比べると非常に少ない数となっています(表1)。このことは、アイルランドが競馬開催国としてよりも、軽種馬生産国として世界の競馬産業に影響を及ぼしていることを示しています。つまり、アイルランド国内で生産されたサラブレッドが、競馬場のあるイギリスやフランスなどのヨーロッパ諸国、さらにはアメリカやオーストラリアといった地域へも輸出されていることになります。HRI(アイルランド競馬協会)が作成した統計によると、2020年にアイルランドから輸出されたサラブレッドは4,814頭であり、そのうちの3,573頭がイギリスへとなっています。日本への輸出は26頭(2020年)ですが、ディープインパクトの母であるウインドインハーヘアがアイルランド産馬であるなど、日本の競馬産業にも大きな影響を与えています。すなわち、アイルランドは世界のサラブレッド生産地であると言っても過言ではありません。

表1 世界各国の生産頭数、競走数、出走頭数(2020年)

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馬の生育に適した気候風土

 このようにアイルランドが世界有数のサラブレッド生産地となった背景には、その気候風土が大きく影響しています。ライムストーン(石灰岩)に覆われた肥沃な大地のおかげで、サラブレッドの生育に必要な良質な牧草が育ちます。また、真夏でも30℃を超えることはほとんどなく、冬でも氷点下をわずかに下回る程度の気温であることから、年間の気温差が小さく非常に過ごしやすいという特色もあります。その結果、日本の北海道では非常に厳しい寒さとなる1月下旬であっても、放牧地には青々とした牧草が維持されています(写真1)。その結果として、年間を通じて馬の体調管理が容易となり、良質なサラブレッドを生産することが可能となります。

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写真1 1月下旬のアイルランドの放牧地の様子(クールモア・スタッド)

大手生産牧場における生産の流れ

 HRIに登録されているアイルランドの生産者数は6,445名(2020年)でした。この生産者数は繁殖牝馬所有者数のことを示しており、生産牧場数とは異なります。繁殖牝馬所有者は少頭数所有が多く、生産牧場も経営しているケースは非常にまれです。したがって、多くの生産者は自身の保有する繁殖牝馬をどこかに預託する必要があります。大手生産牧場は手厚い管理が期待できますが、預託料は高く設定されています。一方で、中小の生産牧場の預託料は安く済みますが、アイルランドでも人手が足りていない現状があり、十分な管理を受けられない可能性があります。そこで、繁殖シーズン以外は中小の生産牧場に預託し、分娩が近くなると大手牧場に預託することが一般的となっています。さらに、大手牧場ではそれぞれの繁殖牝馬の状態に応じて繋養する厩舎が分かれていますので、一年間を通じて様々な場所を移動することになります(図1)。この方式のメリットは、各厩舎で専門性の高いスタッフの管理を受けられることが挙げられます。私の研修先であったクールモア・スタッドでは、それぞれの分娩厩舎で年間に100頭以上の出産があり、多くの経験を積んだスタッフが対応することになります。さらに、預託されている繁殖牝馬がクールモア・スタッドの優良な種牡馬の種付けを希望した場合には、受胎するまで手厚い管理を受けることも可能です。

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図1 大手生産牧場における繁殖牝馬の動き

終わりに

 今回の記事では、アイルランドが世界各国にサラブレッドを輸出している重要な生産国であることをご紹介しました。近年、海外競馬での日本馬の活躍が目まぐるしい状況ですが、まだまだ海外から学ぶことはあると思われます。アイルランドの気候風土は、日本とは大きく異なるため、管理方法をそのまま導入することは難しいと考えられます。しかしながら、近年の技術革新や新しい知見を活用することで、日本におけるより良い管理方法を模索することもまだまだ可能だと考えています。

日高育成牧場 業務課  岩本洋平

子馬の肢蹄管理について

(馬事通信 強い馬づくり最前線  4月15日号掲載)

 いつになく早い桜の気配に心浮き立つ今日この頃ですが、馬産地は繁忙期真っ只中だと思います。そして、誕生した子馬の成長に目を見張る毎日ではありますが、生産者の方や装蹄師の方の心配の種になるのが子馬の肢勢や肢軸になると思います。そこで今回は子馬の成長に合わせた肢蹄管理についてご紹介させていただきます。

  • 誕生から1~3ヶ月齢
  1. 異常肢勢への対応

 馬は生まれてすぐに自分の肢で立つため、母親の胎内にいるときから、胎生角質と呼ばれるしっかりとした蹄を持っています。ただし、母親のお腹にいる間は胎内を傷つけないよう、蹄餅という白くて軟らかい角質に覆われています。この蹄餅は、生後数時間で乾燥や地面との摩擦などで剥がれ落ち、成馬と同じような蹄となります。この時期の子馬の肢蹄は発育、負重、歩様など、様々な要因により変化します。異常肢勢があった場合でも、成長とともに治癒することもありますが、重度の異常肢勢を放置してしまうと運動器疾患の発症要因となることもあります。このため、誕生直後より、蹄や肢勢・肢軸を注意深く観察し、異常肢勢などを早期発見することが大事です。異常が認められた場合は、装蹄師による蹄壁補修剤や矯正用のシューズやプレートを用いた肢勢・肢軸矯正、獣医師による薬の投与や重度の場合は外科手術が必要となります。

  1. 削蹄の開始

 削蹄は概ね誕生から1~3ヶ月を目安に開始します、間隔は3~4週間が基本的ですが、肢蹄の状態によっては時期を早めることもあります。また、この時期は胎生角質と新生角質と呼ばれる蹄角質が同時に存在しています。母胎で形成された胎生角質は負重など地面からの影響を受けていないのに対し、誕生してから生長した新生角質は負重など様々な影響を受けるため、その差異が、蹄壁の凹湾や不正蹄輪となって現れることがあります。そのような場合は蹄の状態を確認しながら、徐々に蹄鑢(テイロ。ヤスリのこと)などで胎生角質を削切し凹湾した蹄壁を修整します。削蹄の作業は馬が生きていく限り継続されるものであるため、肢挙げや装蹄師による保定の馴致はしっかりと行い子馬に恐怖感をもたせないことが重要です。

  • 4~6ヶ月齢
  1. 端蹄廻し

 離乳を始める時期になり子馬だけで放牧を始めると、元気に放牧地を走り回り、蹄壁欠損などを起こすことがあります。そのため、端蹄廻し(はづめまわし)を実施し、蹄壁欠損などを予防します。端蹄廻しとは、蹄壁の厚さ2分の1を目安として、蹄鑢で外縁を削り、蹄壁に対して45度の丸みをつけることです。牧場でも削蹄用の蹄鑢を常備し、軽度の蹄壁欠損を発見した際は装蹄師ではなくても、拡大を防ぐため端蹄廻しを行うことが良いと思います。

  1. 裏堀り

 放牧するため馬房にいる時間も減少し、放牧地の泥土が蹄に詰まりやすい時期でもあります。蹄底を不潔な状態で放置すると、蹄質が悪化し、蹄叉腐爛などの蹄病の発症原因となります。清潔な状態を保つためにはこまめな裏堀りが重要です。裏堀りの際には、蹄壁に触れることにより蹄の異常サインである帯熱を感知することができます。さらに、子馬の蹄を裏堀りの道具で叩いて軽く音を出し、衝撃を与えることでその後に実施する蹄鉄の装着(釘打ち)の馴致となります。

  • 7~10ヶ月齢
  1. 裂蹄(蹄角質部である蹄鞘の一部に亀裂が発生したもの)

 誕生から7~8ヶ月経過すると、秋から冬の寒い時期に差し掛かります。蹄が乾燥し固くなることもあるため、蹄底部などの裂蹄に注意が必要です。特に蹄底部の亀裂が深くなり、砂などが知覚部(角質の下の柔らかいところ)まで入り込んでしまうと炎症が発生し、跛行の原因となります。亀裂は削開して砂などを除去し、拡大を防ぎます(写真1)。

  1. 白帯病(白線裂とも呼ばれる。白帯が変質して崩壊し、蹄壁中層と蹄底部が剥離したもの)

 蹄の生長とともに、白帯病が発症し始める時期でもあります。この場合も剥離部が知覚部まで達すると跛行の原因となるため、亀裂が深くならないよう病変を早期発見し、削り取ってしまう必要があります(写真2)。

  1. 挫跖(蹄への圧迫や衝撃による知覚部の炎症)

 挫跖も多くなる時期ですので、この時期の子馬の蹄に関しては、蹄負面を注意深く観察し、蹄病の予防や悪化を防ぐこと、歩様や蹄の熱感・球節部の指動脈の拍動亢進などに留意することが重要となります。

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写真1 赤丸は蹄底裂。裂部を削開し砂を除去した。

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写真2 赤丸は白帯病。削蹄し病変を削り取った。

・最後に

 子馬の肢蹄管理は装蹄師による定期的な装削蹄だけでは限度があり、牧場での日常的な管理が必要不可欠です。また、肢蹄の異常などを発見した場合は速やかに担当の装蹄師や獣医師に相談して、健全な肢蹄の発育を心掛けましょう。

日高育成牧場業務課 装蹄師 津田佳典

物理療法(レーザー治療)について

はじめに

 物理療法とは物理的なエネルギー(熱や光、電気など)を生体に与えることで疼痛緩和や血行改善など治癒促進を期待する治療法です。基本的には副作用が少ないと言われ、国際的な薬物規制が進む中見直されています。物理療法はさまざまあり電気針・SSPを用いた電気療法、マイクロレーダーを用いた電磁波療法、ウルトラソニックを用いた超音波療法、ショックウェーブ療法、スーパーライザーやレーザー光線を用いた光線療法などがあり簡単に実施できるものがほとんどです。今回はレーザー治療について詳しく説明していきます。

レーザー治療とは

 レーザーを患部に照射するとレーザー光が生体に吸収され発生した温熱作用と光エネルギーが化学反応を起こし発生した光化学作用により、疼痛緩和、炎症軽減、血行改善、創傷治癒促進を得られます。

基本的なプロトコル

 一般的な治療計画は、1週目は48時間毎または毎日照射し、2週目は72時間毎、3週目以降は週に1~2回の照射を実施します。照射量は6~8(深部の場合は8~10)J/cm2で設定すると良いとされ、プローブは皮膚に対し垂直に当てて、皮膚から少し離すか接触させてゆっくり動かしながら照射させます。局所に当て続けると熱傷を引き起こすので注意が必要です。

適応症例

 レーザー治療は腕節炎・球節炎・種子骨炎・骨瘤・ソエなどの骨疾患や、浅屈腱炎・繋靭帯炎に効果があるとされています。症状の程度にもよりますが、骨疾患には2週間程度、腱靭帯炎には1カ月程度照射を続けてください。

 先述のとおり創傷も適応で、肉芽増生や皮膚再生を促進させることができます。感染時の抗生物質投与や壊死組織の除去などを行った上で2週間程度は毎日照射してください。また、レーザーを経穴(ツボ)に当てることで鍼療法と同様の効果が得られるため、特に筋肉痛の際は筋肉全体に照射していくよりは経穴を重点的に当てることでより効果が得られると考えられています。他にも慢性的な蹄葉炎の疼痛管理や静脈炎の治療といった幅広い適応症例が報告されています。

 しかし、レーザー治療等の温熱作用をもつ物理療法は急性期での使用は控えるべきです。受傷直後に照射すると組織が低酸素状態に陥り周囲の正常な細胞までダメージがでてしまうため、冷やすことで周囲の代謝を抑制し2次的損傷を防ぐ必要があります。

使用時の注意点

 とても便利な治療法ですが、注意すべき点があります。一番重要なことは、眼に直接当ててはいけません。失明する恐れがありますので使用者は保護メガネを装着し、保定者や馬の眼にも照射しないよう注意してください。また、妊娠馬の腹部や牡馬の睾丸、若馬の骨端板、メラノーマなど腫瘍が疑われる部位への照射は予期せぬ作用をもたらす可能性があるので注意してください。

最後に

 レーザー治療は特に創傷管理や慢性的な筋骨格疾患のケアには大きな助けとなり、その効果を我々は実感していますので、皆さんもぜひ利用してみてください。

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日高育成牧場で使用しているレーザー装置(CTS-S)

日高育成牧場 業務課 久米 紘一

発情誘起法

 馬の繁殖シーズンは春と言われますが、自然環境下では3-5月になってようやく卵巣が動き始めて繁殖の準備が整います。つまり、繁殖シーズンは春だけではなく春からなのです。この繁殖の季節性には日照時間が大きく関係しており、ライトコントロール(照明による長日処置)で卵巣活動の開始を早めることができることはよく知られていますが、日照時間以外にも気温、飼育管理法、年齢、栄養状態、泌乳、疾患などさまざまな要因が影響します。そのため、生産現場ではライトコントロールを実施しているにもかかわらず発情がみられないこともあり、そのような場合には交配できません。本稿では、このような場合における発情誘起方法について解説いたします。

【GnRH法】 発情兆候は卵胞から分泌される卵胞ホルモン(エストラジオール)の作用によって起こります。そのため、卵胞を発育させることで発情が誘起されます。卵胞の発育はホルモンによって制御されており、その最も上流にあるホルモンは脳の視床下部から分泌されるGnRHです。これが短い間隔で(パルス状に)分泌されると、この信号を受けた下垂体からFSH(卵胞刺激ホルモン)が分泌され、卵胞の発育が促されます(図1)。また、GnRHが一度に大量に(サージ状に)分泌されると脳下垂体からLH(黄体形成ホルモン)が分泌され、黄体形成(つまり排卵)が起きます。不思議なことに、同じホルモンでも分泌様式によって作用が異なるのです。そのため、GnRH注射剤を低用量で継続的に投与すると発情誘起作が、高用量で1回だけ投与すると排卵促進作用が得られます。HBAの獣医師らは、87頭中68頭(78.2%)において投与開始から5.3日後に35mmまで発育させることができたと報告しています(生産地シンポジウム、2016)。

【その他の発情誘起法】 伝統的な方法として、黄体ホルモン製剤を2週間程度にわたって投与して発情を抑制し、投与中止のリバウンドで発情を惹起する方法があります。この機序は黄体ホルモンによって下垂体からのLH分泌を抑制し、本来分泌されるはずだったLHを貯蔵させ、黄体ホルモンの投与終了によって一気に放出されるためにおこるものと考えられています。この方法の効果や作用機序の説には賛否両論あるものの、古くから知られている方法です。また、プロラクチン分泌を促すスルピリドやドンペリドンという薬品にも発情誘起作用があることが報告されていますが、GnRH法に比べて時間がかかるため一般的な方法となりえていません。ここで、PG(PGF2α)には基本的に発情誘起作用がないという点にご注意ください。PGは黄体退行作用を有すため、黄体存在下では黄体退行に続いて次の発情が起こりますが、無発情期および移行期の牝馬には作用すべき黄体が存在しません。「眠っている卵巣に刺激を与える」というイメージで使われ、注射1本投与するだけという簡便さもあって古くから用いられていますが、この効果は学術的に証明されておらず、実際教科書に一切記載がありません(注:筆者はその効果を否定しているわけではありません)。

【発情誘起の前提条件】 卵巣活動はホルモンによって制御されているため、ホルモン剤を用いることで発情を誘起することができます。しかしながら、生体本来の内分泌機能を完全に代替できるわけではなく、効果を示すためには前提として対象馬が冬の無発情期から正常な発情周期となるまでの移行期間である繁殖移行期にある必要があります。これはエコー検査で20-25mm程度の卵胞があるけれどそれがなかなか成長しない時期を指します。この時期に至るには一般的にライトコントロール開始から1-2か月ほどの時間が必要ですので、いざ「発情がこない」時に対処するためにも、やはりライトコントロール処置を行ってシーズンに備えておくことが重要と言えます。

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図1 卵巣機能を調節するGnRH

日高育成牧場 生産育成研究室 村瀬晴崇

2021年7月29日 (木)

筋タンパク質の合成促進のための運動後のタンパク質摂取   ~ヒトの研究からの知見~

はじめに

 「若い頃に比べて筋肉痛になるのが遅れてくる」と感じておられる方は、いらっしゃいませんか。強い強度の運動負荷により筋線維は傷つきますが、運動後に傷ついた筋線維は修復されます。筋肉痛には、筋線維が傷ついたときに感じるものと、傷ついた筋線維が修復される際に生じるものがあるそうです。実は高齢になると筋肉痛が遅れてくるという感覚は、若い頃ほど筋線維に大きなダメージを与える運動負荷ができていないため、初段の筋線維が傷つく際の痛みはなく、筋線維修復の際の痛みのみを感じるので、「筋肉痛が遅れている」と感じているそうです。

 筋線維はタンパク質からつくられていますが、運動と休養を繰り返すことで、筋タンパク質は分解と合成を繰り返すことになります。筋タンパク質の分解が合成を少しずつ上回っていくことで筋肉が肥大することになり、これを「超回復」といいます。アスリートがウエイトトレーニングを練習に取り入れるのは、より強く大きい筋肉を「超回復」により獲得するためです。

運動後のタンパク質摂取は筋タンパク質の合成を促進

 成長ホルモンなどのホルモンが筋細胞に作用することで、筋タンパク質が合成されますが、運動直後は運動の物理刺激によって、ホルモンに対する筋細胞の感度が上昇し、筋タンパク質がより合成されやすい状態になります。筋細胞のホルモンに対する感度を感受性といいますが、この感受性は運動終了から120分後まで持続するとされ、この時間帯は「ゴールデンタイム」と呼ばれます。タンパク質(アミノ酸)は筋タンパク質の材料であるのと同時に、BCAAとして知られているバリン、ロイシン、イソロイシンは、筋タンパク質の合成を促進する作用があり、「ゴールデンタイム」にタンパク質やBCAAを摂取することにより、筋タンパク質の合成がより促進されることが知られています。

 馬事通信168号の「運動後の栄養摂取のタイミング」において、馬においても運動後の「ゴールデンタイム」にタンパク質を摂取することで、筋タンパク質の合成速度が高まることを解説しましたが、近年、この情報はかなり普及しており、競走馬や育成馬のみならず乗馬にも、運動後のタンパク質給与が実践されているようです。ヒトの分野では、筋タンパク質合成をより促進するタンパク質の種類について研究されており、今回はその情報について紹介します。

大豆タンパクと乳タンパクの比較

 ヒトの試験において、レジスタンス運動(筋肉に抵抗負荷を繰り返しかける運動)後に大豆由来のタンパク質(大豆タンパク)と乳由来のタンパク質(乳タンパク)を摂取したときの、筋タンパク質の合成速度が比較されました(図1)。大豆タンパクと乳タンパクは、どちらも必須アミノ酸(必要量が体内で合成できないため必ず食事から摂取する必要のあるアミノ酸)と同じく必須アミノ酸のグループに属するBCAAが多く含まれており、この試験では両タンパクに含まれるアミノ酸に差はありませんでした。しかし、大豆タンパクに比べて乳タンパクを摂取したとき、筋タンパク質の合成速度は大きくなりました。この結果の理由は明確にはされていませんが、研究者らは、レジスタンス運動後に大豆タンパクおよび乳タンパク摂取は筋タンパク合成を促進にはどちらも効果があるが、その効果は乳タンパクのほうがより高いことは確かであると述べています。

乳中のタンパク質であるホエーとカゼインの比較

 乳中のタンパク質は、ホエー(乳清)とカゼインいう2種類に分けることができます。私たちの日常でホエーとカゼインを個別に目にすることはほとんどありませんが、乳からチーズがつくられる工程において、チーズの原料となる沈殿物に含まれるタンパク質がカゼインであり、沈殿物以外の上澄み液の部分に含まれるのがホエーです。身近なところでは、ヨーグルトに上澄み液が溜まることがありますが、この部分に含まれるのがホエーです。ヒトの試験において、運動後にホエーとカゼインを摂取したときの筋タンパク質の合成速度が比較されています(図2)。ホエーは摂取後の早いタイミングで筋タンパク質合成が増加した一方で、カゼインを摂取したときは、それより遅れて筋タンパク質の合成が増加しました。しかし、より長時間でみると、ホエーとカゼイン摂取による筋タンパク質合成の促進効果は同じでした。ホエー摂取後の血中必須アミノ酸濃度は、急激に上昇し、その後に急降下しましたが、カゼインの摂取後は緩やかに上昇し、他のグループに比べて高値を長時間維持しました(図3)。そのため、ホエーとカゼイン摂取で筋タンパク質の合成速度が増加するタイミングが異なったと考えられています。この試験において、カゼインとホエー摂取による筋タンパク質合成速度は、長時間みると変わりませんでしたが、私は「ゴールデンタイム」に血中アミノ酸濃度が高くなるホエーのほうがベターではないのかと考えています。

運動前のタンパク質摂取について

 馬の講習会等で運動後のタンパク質摂取の効果の話のときに、「運動前にタンパク質を摂取した方が効果的なのでは?」ということがよく質問されます。ヒトの方では、消化吸収の時間を考えて運動前にタンパク質を摂取することを推奨しているコーチもいらっしゃると聞いたことがあります。ヒトの方でも運動の前か後かで物議はあるようですが、現在のところ運動後のほうが筋タンパク質の合成速度の促進効果は高いという意見が優勢なようです(図4)。その理由についての考察も様々であり、運動前にタンパク質を摂取した場合、運動中の血中アミノ酸が潤沢になることで、アミノ酸がエネルギーの原料として積極的に利用されるため、運動後の筋タンパク質合成のために動員されるアミノ酸が希薄になるとの意見もあります。また、運動前後のどちらが筋タンパク質合成に有利かという議論の他に、一般的に運動前の食事にデメリットがあると考えられています。喫食すると生理的には血液を消化器官に集めようと働く一方で、運動時は血液を運動筋に積極的に送り込もうとするため、運動前の食事時間によっては、体に矛盾した血液循環を促すことになってしまいます。したがって、現時点では、筋タンパク質の合成を促進するためのタンパク質給与のタイミングとしては、運動後を推奨したいと考えています。

今回の内容をまとめますと

① 運動後に、大豆由来のタンパク質より乳由来のものが筋タンパク質の合成にはより効果がある

② 試験では乳タンパク質であるカゼインとホエーを運動後に摂取したとき、筋タンパク質合成の効果は同等であったが、理論的には取り込みが早いホエーのほうがより効果的と考える

③ 筋タンパク質の合成促進のためのタンパク質の摂取タイミングとしては、現時点では運動前より運動後が推奨できる

 これらの内容はいずれもヒトのアスリートに関する話題ですが、馬においても同様の効果が得られる可能性はあります。今後、馬においてこれらの課題について、我々もしくは海外を含めた他の研究者が検証し結果が得られた際には、皆様にいち早くお伝えしたいと思います。

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日高育成牧場 上席調査役 松井 朗

さく癖について

 馬には好ましくない習慣、いわゆる「悪癖」があります。さく癖、ゆう癖、旋回癖および身食いといった「悪癖」は、一般的に馬の精神状態の悪さを反映している、あるいは馬の健康に悪影響を及ぼすとされて嫌われています。馬が売買されるセリの多くにおいても、これら「悪癖」の有無を開示することが求められており、落札後に開示事項にない「悪癖」が判明した場合には契約解除となる場合もあるなど、重要なものとして捉えられています。しかし、果たしてこれらの悪癖は本当に馬に悪影響を及ぼすものなのでしょうか。本稿では「悪癖」の中で最もポピュラーな「さく癖」について、最新の知見をまとめた海外の記事をベースとして簡単にご紹介することとします。

「さく癖」とは何か?馬はなぜ「さく癖」をするのか?

 「さく癖」とは、馬が壁の出っ張りや柵の縁などに上顎の前歯を引っかけて、「ぐう」という特徴的な音を出しながら空気を飲み込む動作のことを言います(写真1)。馬がさく癖をする原因については諸説ありますが、何らかのストレスが関係しているという説が一般的に言われています。この説では、馬房などの狭い空間に閉じ込められる、あるいは孤立しているような状況に対して馬がストレスを感じ、そのストレスを解消するためにさく癖行動を選択するのだと考えられています。この「ストレス関与説」を検証するため、ストレスの指標とされる血液中のコルチゾール値を測定した研究がされました。この研究によると、さく癖を有する馬はさく癖の前後で血液中のコルチゾール値が低下し、しかもさく癖後に下がったコルチゾール値はさく癖のない馬よりも低くなるらしいのです。しかし、同様にコルチゾールを指標とした実験を行った他の研究チームは、さく癖の有無による差はないと報告していることから、この「ストレス関与説」についてはいまだ議論の余地がありそうです。

  

なぜ「さく癖」は「悪癖」なのか?

 さく癖のデメリットには、疝痛の発症リスク増加、切歯の異常な磨耗(写真2)、胃潰瘍、および体重減少などがあげられます。さく癖を有する馬はない馬に比較して、再発性の疝痛を発症するリスクが12倍も高いとの報告もあります。

 しかしその一方で、さく癖による疝痛発症の仕組みについてはよく分かっていません。恐らく多くの方は、さく癖によって飲み込んだ空気が腸に溜まることで疝痛を発症するというイメージをお持ちかと思いますが、海外の研究によるとさく癖で飲み込んだ空気の大部分は食道の上部で留まり、胃まで到達するのはごく一部であることが分かっています。他にも、そもそも慢性的で軽い疝痛を発症している馬がさく癖行動を見せると考えている専門家もおり、さく癖から疝痛を発症するメカニズムについては明らかにされていないのが現状です。

馬の「さく癖」は止めさせるべきか?

 さく癖予防としては、頸に巻き付ける防止バンドの装着や切歯を引っ掛けそうな場所に予め馬が嫌う薬品を塗っておくなどの方法が一般的に用いられます。しかし、そもそもさく癖行動を妨害するべきかどうかについては、意見が分かれるようです。前段で申し上げた通り、馬はさく癖によってストレスを軽減している可能性があるため、これを妨害することがさらなるストレスの付与に繋がってしまうかもしれません。ある海外の調査では、さく癖を有する馬のさく癖行動に対する欲求は非常に強く、実に一日の15%もの時間をさく癖行動に費やしているというデータが示されています。したがって、さく癖を妨害することがストレスをより増強させ、そのストレスから疝痛を発症してしまう可能性もあり得ないことではないでしょう。我々が考えなくてはいけないことは、物理的にさく癖行動ができないように制限することより、まずはさく癖を行わないで済むような飼養環境の整備やストレスを排除してやることなのかもしれません。

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図1 さく癖を有する馬。柵の縁を噛みながら空気を吸い込みます。

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図2 長年さく癖が治らなかった馬の切歯は異常に磨耗してしまいます。

日高育成牧場 業務課 竹部直矢

2021年7月28日 (水)

卵管閉塞に対する新しい治療法

【卵管閉塞】 卵管閉塞という疾患をご存じでしょうか?卵管(子宮と卵巣を繋ぐ細い管)に卵胞由来のコラーゲンが蓄積、卵管腔が閉塞することで、精子が受精場所まで辿り着けなかったり、受精卵が子宮に降りなかったりするため不妊となります。卵管閉塞が不受胎の原因であることは古くから知られていましたが、馬は他動物種と比べて卵管子宮結合部(卵管乳頭)の平滑筋が発達していることから極めて狭く、子宮側から卵管にアプローチできないため、今日でも明確な診断方法が確立されていません。そのため、研究論文では「卵管閉塞の馬」ではなく「○年間原因不明の不受胎が続く馬」と表現されています。治療法として、これまで全身麻酔下で開腹して卵管内腔を生理食塩水でフラッシュする方法(Zent,1993)や立位鎮静下で腹腔鏡を用いて卵管の外側に平滑筋運動を促すPGE2ゲルを塗布する方法(Allen,2006)が報告されてきましたが、いずれも手術を要することから我が国では定着しませんでした。

【新しい治療法】 そのような状況の中、2013年に井上獣医師(イノウエホースクリニック)が卵管通水法を発表しました。これは不可能と思われていた子宮側から卵管にアプローチする方法で、子宮内視鏡を用いて卵管乳頭に特殊なカテーテルを接着させて卵管腔に生理食塩水を通します。この手法は手術を要さないことから世界的に大きな注目を集めました。さらに2018年にはブラジルのグループがユニークな治療法を発表しました(Alvarenga,2018)。これは深部人工授精の技術を応用し、PGE1溶液3mlを子宮角深部に入れる(卵管乳頭にかける)というもので、22頭の原因不明不受胎馬のうち15頭が受胎したと報告されています(図1,2)。我が国でもすでにHBAの獣医師らが取り組んでおり、原因不明の不受胎馬6頭のうち5頭が受胎したというとても良い成績を報告しています(水口,2020)。この手技は、手術はおろか内視鏡も不要であるため、臨床現場での応用性が大きく高まったと言えます。一方、本手法では卵管の通過性を確認できません。井上獣医師の方法は卵管乳頭を視認し、ポンプを推す手の感触で卵管の通過性を確認できますので、各検査法に一長一短があると言えます。

【治療対象馬】 手軽で新しい治療法が発表されたとは言え、不受胎牝馬に対して気軽に実施することは推奨されません。なぜなら、卵管閉塞は不受胎原因としては決してメジャーではないからです。仮に子宮内膜炎の馬に本治療を行った場合、効果がないばかりか、本手法の治療効果を低く見積もることになりますし、何より本当の不妊原因の診断・治療を遅らせてしまいます。まずは頸管や陰部の解剖学的異常、子宮内膜炎をはじめとする子宮疾患、排卵障害をはじめとする卵巣疾患など一般的な不妊原因を確認することが先決であり、基本的にはこれらの異常が否定された「原因不明の不受胎馬」が治療対象となります。

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図1 卵管乳頭への投与の模式図

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図2 深部授精用の柔軟で長いカテーテル

日高育成牧場 生産育成研究室 村瀬晴崇

後肢跛行診断と治療(膝関節領域)に関する講習会について

 2019年11月27日および28日、静内エクリプスホテルおよび日本軽種馬協会軽種馬生産技術総合研修センターにおいて、カタール国Eqine Veterinary Medical CenterのFlorent David氏とTatiana Vinaedell氏を講師に招き、馬の後肢跛行診断と膝関節領域の超音波検査に関する講習会が開催されました。今回はTatiana氏の後肢跛行に関する講習会の内容の一部をご紹介します。

後肢跛行について

・アプローチ

 馬の後肢跛行を診断するにはまずその馬の履歴を正確に把握する必要があります。履歴とは、年齢、品種、調教の状況、過去の跛行歴等を含みます。また馬を観察する際には厩舎のように馬が慣れている環境で行う必要があります。観察する際には、姿勢、筋肉の緊張、触診への反応、熱感や腫れがある部位はないか等をチェックします。歩様の評価は常歩、速歩、駆歩で実施しますが、特に速歩での評価が重要です。この際、引き手をフリーにして馬をコントロールしながらも自由に走らせることがポイントになります。

・後肢の跛行診断

 歩様検査は診断に不可欠ですがこの際は、跛行の有無だけでなく、患肢は一肢に限局されるのか複数なのか、また跛行の重症度等についてもチェックする必要があります。一般的に、後肢の跛行診断は前肢のそれよりも難しいとされています。また後肢の跛行は「ハミの後ろ側」「後肢の衝突」「後肢の弾み」といった漠然とした用語で表現されることがあるため、関節の曲がり、歩幅、前方への展出、骨盤の回転運動といった明らかな客観的指標を見つけることが正しい跛行診断の第一歩となります。

 以下に獣医師が後肢の跛行診断を行う2通りの方法を紹介します。

〇上下運動の評価:

 これは骨盤の背側正中に大きなボールや目印を設置し、その上下運動を一定時間観察する方法です(図1)。跛行している馬では、骨盤の患肢側における下向きの動きが小さくなる、あるいは患肢から離れる上向きの動きが小さくなるという2つの変化が確認されます。

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図1(骨盤背側正中にボールを設置、Tatiana氏のスライドより引用)

◯骨盤の回転運動の評価:これは、診断者が馬の真後ろに立ち、馬の歩行に伴う寛結節(矢印)の動きについて上下の振幅を左右で比較する方法です(図2)。

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図2(赤丸が寛結節)

おわりに

 本講習会には300人を超える牧場関係者や獣医師が詰めかけ、大きな関心を集めました。後肢跛行の原因は様々ですが、いずれの場合も早期発見と適切な治療が必要となります。本講演会の開催により参加者はこれまで以上に後肢跛行に対する高い意識を持つようになったのではないでしょうか。

JRA日高育成牧場 業務課 診療防疫係  長島 剛史

『第48回生産地における軽種馬の疾病に関するシンポジウム』について

 2020年10月15日(木)静内エクリプスホテルにおいて、JRA主催の「第48回生産地における軽種馬の疾病に関するシンポジウム」が開催されました。このシンポジウムは、生産地で問題となる疾病に関する最新の知見や、保健衛生管理に関する問題点や対応策に関する情報を共有するため、講師の先生方をお招きして毎年開催されています。例年は夏季に開催されていますが、本年は新型コロナウイルス感染症の流行のため、延期されたこの時期での開催となりました。本年の講演内容は「最近の米国の獣医療」、「微生物学」、「遺伝学」、「免疫学」、「外科学」と多岐にわたる分野に精通された講師の皆様に、大変貴重なご講演をしていただきました。本稿では、その中でも馬を飼養する上で問題となる感染症について興味深いご講演がありましたので、その概要をご紹介いたします。

ウマコロナウイルス感染症

 現在、ヒトの世界で新型コロナウイルス(COVID-19)が猛威を振るっていますが、ウマにもコロナウイルス感染症が存在します。本講演では、ウマコロナウイルス(ECoV)について研究をされている、競走馬総合研究所の根本学先生と上林義範先生よりお話しいただきました。

 ECoVはウマ固有のウイルスで、2000年に米国で感染馬が初めて確認されて以降、日本と米国で流行が報告されています。日本では2004年、2009年、2012年の3回、ばんえい帯広競馬場の重種馬群で流行が発生し、本年春に初めてサラブレッドを含む馬群での流行が確認されました。

 ECoVに感染した馬の主な症状は、発熱、食欲不振、元気消失、下痢などの消化器症状です。発症馬の多くは軽症で、数日のうちに回復しますが、米国では一部の発症馬で神経症状を呈し予後の悪い馬も確認されており(日本では確認されていません)、注意が必要な疾患であると言えます。ヒトのCOVID-19感染では主に肺炎などの呼吸器症状があらわれるのに対し、ECoVでは下痢などの消化器症状が主症状となり、過去の重種馬群での流行の際にも発症馬の1~3割で下痢が認められています。

 ECoVは糞便を介して伝染しますが、競走馬総合研究所が行った研究では9日間以上の長期間にわたって感染馬の糞便から大量のウイルスRNAが検出されることが確認されています。このウイルスを大量に含んだ糞便を、他の馬が経口摂取することにより感染が広がっていくと考えられています。また、ECoVに感染しても症状を示さなかった「不顕性感染馬」からも、症状を示した馬と同程度の量および期間のウイルス排出が確認されており、症状がない馬も感染源となってしまいます。

 診断には、COVID-19の検査でよく聞くPCR法という遺伝子検査法が用いられます。さらに競走馬総合研究所でさまざまな種類のPCR法を比較したところ、リアルタイムPCR法という検査法が最も検出感度が高いことも分かりました。

 一方、本年春のサラブレッドでの流行は、JRA施設内の41頭の馬群で起こりました。サラブレッド16頭とアンダルシアンやミニチュアホースなど様々な品種の馬で構成されていた馬群のうち15頭で症状がみられましたが、そのうち発熱は11頭、下痢は3頭でした。いずれも軽症で症状が現れてから1~3日で治まりましたが、注目すべき点はその感染力の強さでした。症状のない馬も含めて同一馬群の全頭に対して、ECoVに対する抗体を持っているかどうかを調べる中和試験を行った結果、全頭が抗体を持っていたことが分かり、馬群の全頭にECoVが感染していたことがわかりました。このことから、ECoVの感染力が非常に強力であることがうかがえます。

 さらにこの流行の調査から品種間のECoV感染率には差がなかったものの、糞便中へのウイルス排泄期間に差があることも明らかとなっています。サラブレッド感染馬では、糞便からウイルスが検出された期間が最長19日であったのに対し、非サラブレッド感染馬の5頭で19日以上ウイルスが検出され、最長で感染から98日間もウイルスを排出し続けました。このことは、品種によって感染源となるリスクの高さに違いがあることを表しています。

 今回のご講演では、ヒトで大変な問題となっているコロナウイルス感染症が、特徴や重篤度は違いますがウマでも起きているという興味深いお話をしていただけました。ご紹介したのはシンポジウムの演題のごく一部ですが、疾病の情報を知っておくことで、発生した際の適切な対応につなげられる可能性がありますので、常に最新の情報にアンテナを張ることが重要といえそうです。

 

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若馬の昼夜放牧時の放牧草採食量(その2) ~放牧草からの栄養摂取〜

はじめに

 放牧は優れた飼養管理方法であり、成長中の若馬にとって様々な恩恵があります。放牧中の自発的運動により、基礎体力の向上が期待できるとともに、運動による物理的刺激が、骨、筋肉および腱の発達を促進します。また、同世代の若馬やその母親との集団放牧の中で、他個体との戯れや時には威嚇されるなどの交流は、精神的な成長にとって必要な刺激であると考えられます。さらに、放牧地に生える放牧草は、若馬の成長のための重要な栄養源となります。

 放牧草には若馬の成長に必要な栄養が豊富に含まれる一方で、一部の栄養の含量が少ないことが知られています。そのため、放牧草を十分採食していても、これらの栄養は他の飼料により補う必要があります。また、逆に放牧草に多く含まれているため、飼料からさらに多く摂取させることが好ましくない栄養もあります。馬にとって適切に施肥管理された放牧地の放牧草は、母乳に次いで栄養バランスのとれた天然の飼料ですが、決して完全無欠な飼料ではありません。

 馬事通信226号 「強い馬づくり最前線」“若馬の昼夜放牧時の放牧草採食量”の記事において、離乳前から騎乗調教開始前までの、放牧草採食量について解説しました。今回は、この成績を応用し、放牧草から摂取する栄養の過不足や、それに伴う飼料給与の必要性を、栄養計算をしながら検証していきたいと思います。

放牧草に豊富に含まれる栄養

 放牧草中の栄養含量(専門的には養分含量)は、草種、施肥、土壌、放牧密度、季節など様々な要因によって変化するため、今回は、栄養計算ソフト『SUKOYAKA』から、多くのサンプルの平均である「放牧草(日高平均10年)JBBA」の成分値を引用しました。放牧草中のタンパク質、リジン、マンガンおよびビタミンEの含量を燕麦と比較したとき、放牧草にはこれらの栄養が多く含まれていることが分かります(図1)。配合飼料は、栄養の過不足が無いよう人為的に設計されていますが、放牧草の栄養含量はその配合飼料にも劣りません。その他、カルシウム、リンおよびマグネシウムなど主要なミネラルやビタミンA(ビタミンAの前身であるβカロチンとして)も放牧草には多く含まれています。

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図1放牧草、燕麦および配合飼料(市販の既製品)の栄養含有量

放牧草に含まれる量が少ない栄養

 銅や亜鉛は、若馬の成長や骨の発達に重要な役割をするミネラルであり、特に銅の不足は、離断性骨軟骨症(OCD)発症の原因となることがよく知られています。放牧草はこの銅および亜鉛の含量が、他の飼料に比べて少ないことが知られています。過去に報告された哺乳量と、前述の放牧草の採食量から、クリープフィード開始期(以下 CF開始期)(2ヵ月齢)、離乳直前(4ヵ月齢)、離乳直後(5ヵ月齢)および騎乗調教開始前(15ヵ月齢)におけるエネルギー摂取量を算出し、各成長ステージにおける必要量に対する充足率を調べました(図2)。

2図2 放牧草ならびに母乳からのエネルギー摂取量の各成長ステージにおける充足率

 

 充足率とは、必要量に対する摂取量のパーセント割合であり、充足率が100%を超えると、摂取量が必要量を満たしていることになります。各期のエネルギー充足率は、いずれも100%を超えており、必要なエネルギーは、放牧草と母乳から摂取できていたことが分かります。しかし、放牧草と母乳からの銅の充足率は、いずれの成長ステージも50%以下であり、明らかに銅が不足することが分かります(図3)。3図3 放牧草並びに母乳からの銅摂取量の各成長ステージにおける充足率

 この不足を補うためには、サプリメントや配合飼料の給与が必要となります。日高育成牧場で利用しているバランサータイプの配合飼料(以下の配合飼料の表記はこれを指します)を、図4の左表に示した量で給与したとき、CF開始期以外の成長ステージの銅の充足率は100%以上になりました(図4)。

4 図4 配合飼料を給与したときの銅摂取量の各成長ステージにおける充足率

 

 ここでは、銅の充足率だけを確認しましたが、実際は、他の栄養も充足できているのかを調べる必要があります。そこで次に、他の栄養の充足率も確認しながら、放牧草由来で不足する栄養を補えるよう飼料の給与量を決定してみましょう。

クリープフィードの給与量の算出

 他の時期同様にCF開始期においても、銅の摂取量は不足しているため、飼料により銅を補う必要があります。詳細は省略しますが、計算の結果、先の配合飼料を350g以上給与すると、銅の充足率が100%以上になることが分かりました。さらに、配合飼料を350g給与することにより、他のミネラルについても充足率は100%を超えることが確認できました(図5)。

5図5 配合飼料を350g給与したときのCF※開始期におけるミネラルの充足率

 しかし、これで全ての栄養が充足できたとするのは間違いであり、実は、配合飼料を350g給与しても、タンパク質の充足率は100%を僅かに下回ってしまいました(図6)。計算の結果、タンパク質の必要量を充足させるためには、配合飼料を440g以上給与する必要があることが分かりました。計算で導かれたため、配合飼料の給与量が440gと細かい数字になりましたが、実務的には、クリープフィードを開始するときの配合飼料の給与量は、500g弱でよいというのが結論となります。この給与量は、あくまでも日高育成牧場が利用している配合飼料について算出したもので、全ての飼料に当てはまるものでないことを付け加えておきます。6図6 配合飼料を350g給与したときの各成長ステージにおけるタンパク質の充足率

放牧草由来のタンパク質

 放牧草には、タンパク質が非常に多く含まれており、離乳直後や騎乗調教開始前のタンパク質の充足率は、放牧草のみで200%以上になりました(図6)。馬において、タンパク質の過剰摂取による健康への影響は明らかにはなっていませんが、放牧草の採食量が多い時期に高タンパク質の飼料により、さらに余剰のタンパク質を給与することは推奨できません。バランサータイプの飼料は、放牧草で不足する栄養を補って“バランス”をとることを目的として設計されています。したがって、離乳前など放牧草の採食量が少ない時期は、高タンパク質のバランサーでもよいですが、放牧草の採食量が多い時期は、タンパク質含量を控えたバランサーを選択することが理想であると考えています。

おわりに

 今回解説したCF開始期、離乳直前、離乳直後および騎乗調教開始前は、おおむね6月から9月の期間にあたり、放牧密度が高くなく、適正な草地管理がされていれば、放牧草から(離乳前であれば母乳からも)必要なエネルギーが摂取できるため、馬体を見ただけで栄養の不足に気づくことはできません。しかし、将来、競走馬となる若馬にとって、放牧草だけで必要な栄養を全て満たすことができないということは、理解しておいていただきたいと思います。

日高育成牧場 上席調査役 松井 朗