繁殖 Feed

2021年8月30日 (月)

繁殖関連の最新研究(AAEP2020)の紹介

 AAEP(米国馬臨床獣医師協会)は世界中に9000人の会員を抱える団体で、毎年年末に大規模な学会を開催しています。昨年はCOVID-19のためオンラインでの開催となりましたが、現地開催と変わらず多くの臨床研究が発表されました。本稿では「最前線の研究紹介」ということで、身近な繁殖疾患に関する3演題を紹介いたします。普段の業務に直結する情報ではありませんが、世界の馬繁殖研究の一端を知っていただければ幸いです。

顆粒膜細胞腫の術後成績

 ケンタッキーで有名な馬病院ルードアンドリドルのスペイセック氏は「顆粒膜細胞腫72症例の術後成績」を発表しました。これほどの術後成績をまとめた報告は世界で初めてです。顆粒膜細胞腫はウマで最も一般的な卵巣腫瘍であり、ホルモン分泌異常により不妊となるため、治療のためには罹患卵巣を手術により摘出しなくてはなりません。症例の平均年齢は9歳、術後最初の排卵は174.5日後、最初の妊娠診断は302日後、分娩は739日後でした(図)。一般に、顆粒膜細胞腫は卵巣静止(無発情)となりますが、興味深いことに半数は正常な発情周期を保っている状態でした。また、過去の報告では術後6か月までに半数が発情回帰し、さらにその半分程度が妊娠に至っています。

PBIEに対するPRP療法

 イリノイ大学の研究チームは持続性交配誘発性子宮内膜炎PBIEに対するPRP (Platelet Rich Plasma、多血小板血漿)の有効性を報告しました。子宮内に射精された精液が子宮内膜炎を誘発することを交配誘発性子宮内膜炎といい、これ自体は正常な生理反応ですが、これが持続すると受胎率を低下させてしまう要因となります。PRPとは血液を遠心分離することで得られる血小板成分が濃縮された血漿で、さまざまな成長因子やサイトカイン、殺菌および抗炎症因子が含まれていることから治癒促進や疼痛軽減などを目的にヒト医療でもよく用いられています。PBIEに罹患しやすい牝馬に対してPRP(40ml)を子宮内投与したところ、子宮内貯留液の量、炎症(細胞診における白血球数)、細菌数、受胎率で対照群に比べて良い成績でした。PRP療法が繁殖領域においても有用であることを示す大変興味深いデータです。ただし、この実験プロトコールは交配の48,24時間前および6,24時間後の合計4回も投与しているため臨床現場で4回も行えるのか、PRPの精製にかかる手間と時間に見合う価値があるのか、一般的な子宮洗浄や薬液注入と比較してPRPがどれほど有効なのかといった点についてはさらなる検証が必要と思われます。

感染性胎盤炎の診断マーカー

 ケンタッキー大学のフェドルカ氏は感染性胎盤炎における診断マーカーとして炎症性サイトカインのインターロイキン(IL-6)が有用であることを発表しました。ケンタッキー大学は胎盤炎について精力的に研究しているグループです。この研究では実験感染させた妊娠馬において、羊水、尿水、母体血液中のIL-6濃度が対照群に比べて有意に高い値を示しました。IL-6はヒトの羊膜感染の診断マーカーとして用いられていますが、ヒトとは胎盤構造の異なるウマにおいても母体血中のIL-6測定が有用であるとは興味深いデータです。現在、ウマの妊娠異常を診断するツールとしてホルモン検査がありますが、これは胎子胎盤の異常を検出する指標であるのに対して、IL-6は感染に特異的である可能性が考えられ、子宮内というアプローチが難しい胎子に対する診断の一助となるかもしれません。

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図 罹患馬の情報および術後の経過

日高育成牧場 生産育成研究室 村瀬晴崇

2021年8月26日 (木)

アイルランドにおける軽種馬生産

 生産牧場におけるサラブレッドの出産シーズンも一息ついた頃かと思います。JRA日高育成牧場でも、本年生まれる予定の当歳馬はすべて誕生しており、放牧地を元気に駆けまわっています。このようなサラブレッドの出産シーズンの光景は、日本だけでなく北半球の競馬先進国でも同様にみられるものです。今回は私が2018年から2年間にわたり研修に行かせていただいた、アイルランドにおける軽種馬生産の状況についてご紹介したいと思います。

ヨーロッパ最大の軽種馬生産国

 アイルランドの2020年の生産頭数は9,182頭であり、世界第3位のサラブレッド生産大国です(表1)。イギリスやフランスといったヨーロッパの競馬大国の中でも、最大の生産頭数を誇っています。一方で、競走数や出走頭数に目を向けると、他の競馬先進国に比べると非常に少ない数となっています(表1)。このことは、アイルランドが競馬開催国としてよりも、軽種馬生産国として世界の競馬産業に影響を及ぼしていることを示しています。つまり、アイルランド国内で生産されたサラブレッドが、競馬場のあるイギリスやフランスなどのヨーロッパ諸国、さらにはアメリカやオーストラリアといった地域へも輸出されていることになります。HRI(アイルランド競馬協会)が作成した統計によると、2020年にアイルランドから輸出されたサラブレッドは4,814頭であり、そのうちの3,573頭がイギリスへとなっています。日本への輸出は26頭(2020年)ですが、ディープインパクトの母であるウインドインハーヘアがアイルランド産馬であるなど、日本の競馬産業にも大きな影響を与えています。すなわち、アイルランドは世界のサラブレッド生産地であると言っても過言ではありません。

表1 世界各国の生産頭数、競走数、出走頭数(2020年)

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馬の生育に適した気候風土

 このようにアイルランドが世界有数のサラブレッド生産地となった背景には、その気候風土が大きく影響しています。ライムストーン(石灰岩)に覆われた肥沃な大地のおかげで、サラブレッドの生育に必要な良質な牧草が育ちます。また、真夏でも30℃を超えることはほとんどなく、冬でも氷点下をわずかに下回る程度の気温であることから、年間の気温差が小さく非常に過ごしやすいという特色もあります。その結果、日本の北海道では非常に厳しい寒さとなる1月下旬であっても、放牧地には青々とした牧草が維持されています(写真1)。その結果として、年間を通じて馬の体調管理が容易となり、良質なサラブレッドを生産することが可能となります。

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写真1 1月下旬のアイルランドの放牧地の様子(クールモア・スタッド)

大手生産牧場における生産の流れ

 HRIに登録されているアイルランドの生産者数は6,445名(2020年)でした。この生産者数は繁殖牝馬所有者数のことを示しており、生産牧場数とは異なります。繁殖牝馬所有者は少頭数所有が多く、生産牧場も経営しているケースは非常にまれです。したがって、多くの生産者は自身の保有する繁殖牝馬をどこかに預託する必要があります。大手生産牧場は手厚い管理が期待できますが、預託料は高く設定されています。一方で、中小の生産牧場の預託料は安く済みますが、アイルランドでも人手が足りていない現状があり、十分な管理を受けられない可能性があります。そこで、繁殖シーズン以外は中小の生産牧場に預託し、分娩が近くなると大手牧場に預託することが一般的となっています。さらに、大手牧場ではそれぞれの繁殖牝馬の状態に応じて繋養する厩舎が分かれていますので、一年間を通じて様々な場所を移動することになります(図1)。この方式のメリットは、各厩舎で専門性の高いスタッフの管理を受けられることが挙げられます。私の研修先であったクールモア・スタッドでは、それぞれの分娩厩舎で年間に100頭以上の出産があり、多くの経験を積んだスタッフが対応することになります。さらに、預託されている繁殖牝馬がクールモア・スタッドの優良な種牡馬の種付けを希望した場合には、受胎するまで手厚い管理を受けることも可能です。

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図1 大手生産牧場における繁殖牝馬の動き

終わりに

 今回の記事では、アイルランドが世界各国にサラブレッドを輸出している重要な生産国であることをご紹介しました。近年、海外競馬での日本馬の活躍が目まぐるしい状況ですが、まだまだ海外から学ぶことはあると思われます。アイルランドの気候風土は、日本とは大きく異なるため、管理方法をそのまま導入することは難しいと考えられます。しかしながら、近年の技術革新や新しい知見を活用することで、日本におけるより良い管理方法を模索することもまだまだ可能だと考えています。

日高育成牧場 業務課  岩本洋平

発情誘起法

 馬の繁殖シーズンは春と言われますが、自然環境下では3-5月になってようやく卵巣が動き始めて繁殖の準備が整います。つまり、繁殖シーズンは春だけではなく春からなのです。この繁殖の季節性には日照時間が大きく関係しており、ライトコントロール(照明による長日処置)で卵巣活動の開始を早めることができることはよく知られていますが、日照時間以外にも気温、飼育管理法、年齢、栄養状態、泌乳、疾患などさまざまな要因が影響します。そのため、生産現場ではライトコントロールを実施しているにもかかわらず発情がみられないこともあり、そのような場合には交配できません。本稿では、このような場合における発情誘起方法について解説いたします。

【GnRH法】 発情兆候は卵胞から分泌される卵胞ホルモン(エストラジオール)の作用によって起こります。そのため、卵胞を発育させることで発情が誘起されます。卵胞の発育はホルモンによって制御されており、その最も上流にあるホルモンは脳の視床下部から分泌されるGnRHです。これが短い間隔で(パルス状に)分泌されると、この信号を受けた下垂体からFSH(卵胞刺激ホルモン)が分泌され、卵胞の発育が促されます(図1)。また、GnRHが一度に大量に(サージ状に)分泌されると脳下垂体からLH(黄体形成ホルモン)が分泌され、黄体形成(つまり排卵)が起きます。不思議なことに、同じホルモンでも分泌様式によって作用が異なるのです。そのため、GnRH注射剤を低用量で継続的に投与すると発情誘起作が、高用量で1回だけ投与すると排卵促進作用が得られます。HBAの獣医師らは、87頭中68頭(78.2%)において投与開始から5.3日後に35mmまで発育させることができたと報告しています(生産地シンポジウム、2016)。

【その他の発情誘起法】 伝統的な方法として、黄体ホルモン製剤を2週間程度にわたって投与して発情を抑制し、投与中止のリバウンドで発情を惹起する方法があります。この機序は黄体ホルモンによって下垂体からのLH分泌を抑制し、本来分泌されるはずだったLHを貯蔵させ、黄体ホルモンの投与終了によって一気に放出されるためにおこるものと考えられています。この方法の効果や作用機序の説には賛否両論あるものの、古くから知られている方法です。また、プロラクチン分泌を促すスルピリドやドンペリドンという薬品にも発情誘起作用があることが報告されていますが、GnRH法に比べて時間がかかるため一般的な方法となりえていません。ここで、PG(PGF2α)には基本的に発情誘起作用がないという点にご注意ください。PGは黄体退行作用を有すため、黄体存在下では黄体退行に続いて次の発情が起こりますが、無発情期および移行期の牝馬には作用すべき黄体が存在しません。「眠っている卵巣に刺激を与える」というイメージで使われ、注射1本投与するだけという簡便さもあって古くから用いられていますが、この効果は学術的に証明されておらず、実際教科書に一切記載がありません(注:筆者はその効果を否定しているわけではありません)。

【発情誘起の前提条件】 卵巣活動はホルモンによって制御されているため、ホルモン剤を用いることで発情を誘起することができます。しかしながら、生体本来の内分泌機能を完全に代替できるわけではなく、効果を示すためには前提として対象馬が冬の無発情期から正常な発情周期となるまでの移行期間である繁殖移行期にある必要があります。これはエコー検査で20-25mm程度の卵胞があるけれどそれがなかなか成長しない時期を指します。この時期に至るには一般的にライトコントロール開始から1-2か月ほどの時間が必要ですので、いざ「発情がこない」時に対処するためにも、やはりライトコントロール処置を行ってシーズンに備えておくことが重要と言えます。

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図1 卵巣機能を調節するGnRH

日高育成牧場 生産育成研究室 村瀬晴崇

2021年7月28日 (水)

卵管閉塞に対する新しい治療法

【卵管閉塞】 卵管閉塞という疾患をご存じでしょうか?卵管(子宮と卵巣を繋ぐ細い管)に卵胞由来のコラーゲンが蓄積、卵管腔が閉塞することで、精子が受精場所まで辿り着けなかったり、受精卵が子宮に降りなかったりするため不妊となります。卵管閉塞が不受胎の原因であることは古くから知られていましたが、馬は他動物種と比べて卵管子宮結合部(卵管乳頭)の平滑筋が発達していることから極めて狭く、子宮側から卵管にアプローチできないため、今日でも明確な診断方法が確立されていません。そのため、研究論文では「卵管閉塞の馬」ではなく「○年間原因不明の不受胎が続く馬」と表現されています。治療法として、これまで全身麻酔下で開腹して卵管内腔を生理食塩水でフラッシュする方法(Zent,1993)や立位鎮静下で腹腔鏡を用いて卵管の外側に平滑筋運動を促すPGE2ゲルを塗布する方法(Allen,2006)が報告されてきましたが、いずれも手術を要することから我が国では定着しませんでした。

【新しい治療法】 そのような状況の中、2013年に井上獣医師(イノウエホースクリニック)が卵管通水法を発表しました。これは不可能と思われていた子宮側から卵管にアプローチする方法で、子宮内視鏡を用いて卵管乳頭に特殊なカテーテルを接着させて卵管腔に生理食塩水を通します。この手法は手術を要さないことから世界的に大きな注目を集めました。さらに2018年にはブラジルのグループがユニークな治療法を発表しました(Alvarenga,2018)。これは深部人工授精の技術を応用し、PGE1溶液3mlを子宮角深部に入れる(卵管乳頭にかける)というもので、22頭の原因不明不受胎馬のうち15頭が受胎したと報告されています(図1,2)。我が国でもすでにHBAの獣医師らが取り組んでおり、原因不明の不受胎馬6頭のうち5頭が受胎したというとても良い成績を報告しています(水口,2020)。この手技は、手術はおろか内視鏡も不要であるため、臨床現場での応用性が大きく高まったと言えます。一方、本手法では卵管の通過性を確認できません。井上獣医師の方法は卵管乳頭を視認し、ポンプを推す手の感触で卵管の通過性を確認できますので、各検査法に一長一短があると言えます。

【治療対象馬】 手軽で新しい治療法が発表されたとは言え、不受胎牝馬に対して気軽に実施することは推奨されません。なぜなら、卵管閉塞は不受胎原因としては決してメジャーではないからです。仮に子宮内膜炎の馬に本治療を行った場合、効果がないばかりか、本手法の治療効果を低く見積もることになりますし、何より本当の不妊原因の診断・治療を遅らせてしまいます。まずは頸管や陰部の解剖学的異常、子宮内膜炎をはじめとする子宮疾患、排卵障害をはじめとする卵巣疾患など一般的な不妊原因を確認することが先決であり、基本的にはこれらの異常が否定された「原因不明の不受胎馬」が治療対象となります。

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図1 卵管乳頭への投与の模式図

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図2 深部授精用の柔軟で長いカテーテル

日高育成牧場 生産育成研究室 村瀬晴崇

2021年7月27日 (火)

ウマにおける生殖補助医療

 サラブレッド競走馬の生産は本交配に限られていますが、世界に目を向けると、乗用馬はもちろんのこと、繋駕競走用のスタンダードブレッドも人工授精や受精卵(胚)移植で生産されており、アルゼンチンのポロ競技馬ではすでにクローン技術も臨床応用されています。残念ながらサラブレッドが主体である日本ではこのような技術が身近ではなく、十分に認知されていません。今回は競馬から離れますが、一般的なウマ生産技術のことも知っていただきたいという思いから、生殖補助医療(Assisted Reproductive Technology, ART)について解説いたします。ARTとはヒトの不妊治療分野でよく耳にする言葉ですが、獣医畜産分野においても胚移植(ET)、体外受精(IVF)、顕微授精(ICSI)など、おおよそ同様のことが行われています。

 まず人工授精(AI)について解説します。AIはARTに含まれませんが、ウマ生産のごく基本的な技術です。メリットはなんといっても馬の輸送が不要であるということです。そのため、労力・コストは大きく削減され、品種改良に大きく貢献します。AIに用いられる精液には生精液、冷蔵精液、凍結精液の3タイプがあり、それぞれの受胎性や保存性などの特徴に応じて使い分けられます。冷蔵精液を用いる場合、一般的に48時間程度は受胎能力が期待できますが、時間的な制約から採取した精液は直ちに輸送、精液の到着後迅速なAIの実施が必要となります。一方、主に国外から優良な血統を導入する目的で用いられる凍結精液は、半永久的な保存が可能である反面、受胎率が低くなることや凍結保存のための特殊な設備が必要であるなどのデメリットがあります。国内でこのようなAIを実施するには獣医師もしくは人工授精師の国家資格が必要ですが、ウマ人工授精師の資格であれば北海道十勝牧場で取得のための講習会が3年毎に開かれています。また現在、国内で精液を入手するためには、乗用馬であれば遠野馬の里、重種馬であれば前述の十勝牧場から精液を取り寄せる他、フランスからの輸入精液を販売する業者(現在国内では3社のみ)を利用する必要があります。

 ウマARTの中で最も一般的に行われているのがETです。これは母馬(ドナー)を妊娠させ、受精後1週間程度でその胚(受精卵)を回収、代理母(レシピエント)に移植するという技術です。優秀な競技馬は15-20歳あたりまで競技および騎乗者の育成に活用されるため、そこから繁殖生活を始めても高い受胎性は望めませんし、産駒数も限られてしまいます。しかし、ETであれば競技生活を送りながら産駒を得ることができるため、既に欧米ではハイクラス・良血の現役競技馬に対して実施されています。この技術の難点は、ドナーとレシピエントの発情周期が一致している必要がある点です。欧米の大規模なレシピエント牧場では繋養頭数が数百頭にも及ぶため、常に最適なレシピエントを選ぶことができますが、レシピエント候補馬の繋養頭数に制限がある日本でETを実施するためには、ドナーとレシピエント双方の発情を同期化するなどの工夫が必要となります。現在、日本でウマのETを実施しているのは、唯一帯広畜産大学のみです。

 体外(シャーレ上)で卵と精子を受精させる手法であるIVFはヒトでは最も一般的なART技術ですが、ウマの精子は体外では卵細胞を覆う透明帯を通過することができないため、実用的な方法ではありません。また、ICSIとはこのIVFをさらに発展させた技術になり、マニピュレーターという専用器具を用いて精子を卵細胞に直接注入する方法のことを指します。精子を注入した受精卵は、実験室内で1週間程度培養した後にレシピエントの子宮内に移植します。ETが1度に1つの胚しか移植できないのに対し、ICSIでは1度に10個前後の卵を採取できること、さらにその採卵処置を最短2週間ごとに繰り返すことができることから、短期間に多くの産駒をとることが期待できます。また妊娠が困難な高齢馬から産駒をとることができる点も大きなメリットです。一方でこの方法は卵巣から卵細胞を吸引回収し、人工的に受精させた受精卵を培養する必要があるため、ETに比べて高い技術やコストが要求されます。現在、国内でICSIを行える施設はありません。

 今回ご紹介したウマARTは、欧米を中心に既に世界各国で研究・実用化されている技術です。この分野において日本は世界に大きく遅れをとっていますが、2017年にフランスからの凍結精液輸入が解禁されたことでハイクラスの乗用馬生産に活路が見出されました。日本でこれらの技術を用いた乗用馬生産を根付かせるためにはまだまだ多くの課題がありますが、今後益々発展し、我が国のウマ産業のさらなる発展に繋がることが期待されます。

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ドナーから胚を回収する様子(ケンタッキー大学にて)

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ドナーから回収された胚

日高育成牧場 生産育成研究室 村瀬晴崇

2021年6月16日 (水)

卵巣静止に対するデスロレリン・ブセレリンを用いた発情誘起

 高齢、寒冷、日照や栄養の不足、あるいは生殖器疾患などが原因となり、繁殖牝馬の卵胞が発育せず排卵しなくなった状態のことを卵巣静止といいます(図1)。この卵巣静止に対する治療法としては、デスロレリンやブセレリンといった排卵誘発剤を少量ずつ継続して筋肉内投与する方法が提唱されていますが、今回はそれら治療法の詳細とJRA日高育成牧場での治療例についてご紹介します。

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図1.卵巣静止と診断された卵巣の超音波画像

日高軽種馬農協による調査研究

 排卵促進剤の一つであるデスロレリン(150μgを1日2回筋肉内、卵胞が35~40mmに発育するまで毎日、図2はデスロレリン注射剤)には、卵胞の発育を促進させる効果があると考えられています。2014年から2016年にかけ、柴田獣医師らのグループが87頭のサラブレッド繁殖牝馬を用いて行った調査によると、デスロレリン投与によって卵胞が35~40mmまで発育した繁殖牝馬は68/87頭(78.2%)、その平均治療日数は5.3日(3~14日)であったと報告されています。また、卵胞の発育後、交配から2日以内に排卵した繁殖牝馬は43/46頭(93.5%)と報告されているため、卵胞が発育してしまえばそのほとんどが排卵に至ることは明らかですが、実際に受胎した繁殖牝馬は28/66頭(42.4%)と低い割合にとどまりました。しかしながら、残念ながら不受胎であっても33/38頭(86.8%)が排卵後に正常な発情サイクルを取り戻し、通常の方法での交配に移行できたことも確認されています。

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図2.デスロレリン注射剤(輸入薬)

妊娠中に骨折し、栄養状態が悪くなった繁殖牝馬の一例

 JRA日高育成牧場で繋養する繁殖牝馬のうち分娩後に無排卵状態に陥った症例についてご紹介します。この馬は3歳未勝利で引退した後に繁殖入りし(引退の理由は両後肢の第三中足骨々折)、4歳で受胎しました。しかし、妊娠7ヶ月目に放牧地で両後肢の第一趾骨々折を発症し、骨折部の螺子固定術を実施しています。この馬を管理するにあたり、胎子の健全な発育を優先すると運動量を確保するために放牧管理をしたいところですが、当時は下肢部の状態を考慮すると運動を制限(馬房内休養でウォーキングマシンによる運動のみを負荷)せざるを得ないとの判断に至りました。また、疝痛予防の観点から、濃厚飼料の給餌量も必要最小限まで抑えられました。その結果、症例馬のBCS(ボディコンディションスコア)はみるみる低下することとなりました。翌年3月になんとか健康な子馬を分娩しましたが、この時点のBCSは4点台まで低下しており、分娩後もBCSを増加させることはできませんでした。症例馬の卵胞は、分娩後も約1ヶ月発育せず、排卵もみられませんでした。

 この馬に対して、先にご紹介したデスロレリン投与を試してみたところ、投与開始から9日後の超音波検査で卵胞が35mmまで発育していることが確認されました。そこで、別の排卵促進剤であるhCG(3,000IU)を投与して翌日に交配したところ、交配の翌日に排卵が確認できました。症例馬については、その後も交配2週間後の妊娠鑑定での受胎が確認されています。

 このように、何らかの原因(今回は給与量不足)により卵胞が発育しなくなってしまった繁殖牝馬の治療の選択肢の一つとして、デスロレリンを少量ずつ筋肉内投与する方法が有用であることがわかりましたが、現在のところ、デスロレリン製剤は国内では製造されておらず、海外からの輸入に頼るしかありません。そこで、国産で流通する製剤中で、デスロレリンと同様の効果を有するブセレリンに注目しました。

米国ケンタッキー州ハグヤード馬医療機関での調査研究

 卵胞の発育不全が認められた79頭のサラブレッド繁殖牝馬を用いた調査では、ブセレリン注射剤(図3)12.5μgを1日2回筋肉内投与することにより、卵胞が35~40mmに発育した繁殖牝馬は71%、その平均治療日数は10.42日であったと報告されています。デスロレリンとは異なり卵胞の発育後に排卵まで至ったものは64%とやや少なかったのですが、投与後の受胎率は72%と高い割合を示しました。

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図3.ブセレリン注射剤(国産薬)

ライトコントロールを行っても発情が来なかったあがり馬の一例

 JRA日高育成牧場において、ブセレリンを用いて発情誘起を行った一例をご紹介します。症例馬は6歳12月に競走馬を引退し、翌月より繁殖牝馬として当場に入厩しました。入厩後、すぐにライトコントロールを開始しましたが、3月下旬になっても発情がみられなかったため、超音波検査を行ったところ、左右の卵巣に大きな卵胞が全く存在しないことが確認できました。そこで、ブセレリン投与による発情誘起を試みることとし、国内に流通するブセレリン注射剤であるエストマール注(図1)を前述のハグヤード馬医療機関の報告に沿って投与を開始しました。投与開始6日後より、超音波検査にて卵胞が大きくなり始めたことが確認でき、10日後には排卵直前の基準である35mmにまで育ちました。そこで、排卵誘発剤のhCGを投与した翌日に種付けを行ったところ、種付け翌日のエコー検査で排卵が確認できました。この馬も交配2週間後の妊娠鑑定で受胎していることが確認されています。

 卵巣静止の発症原因は様々ですが、その治療の選択肢の一つとして、今回ご紹介した方法についてもご検討いただけましたら幸いです。今回の方法での治療については、かかりつけの獣医師にご相談ください。

日高育成牧場 専門役 遠藤祥郎

2021年6月 9日 (水)

馬の正常な胎盤付属物 ~胎餅と卵黄嚢遺残について~

 軽種馬の生産において、分娩後の後産のチェックは重要です。胎盤は残らず全て排出されているか、絨毛膜面の脱落や色が悪い部分はないか確認した後には、破水が起こり胎児が娩出されたために破れている子宮頚管部から中の尿膜面を引っ張りだして反転させると、尿羊膜と臍帯を確認することができます。普段から胎盤のチェックを実施して、正常と異常を見極める経験と知識を得ることが重要です。そのような中で、今回は馬の正常な胎盤付属物として知られる、「胎餅」と「卵黄嚢遺残」についてご紹介したいと思います。

胎餅(Hippomanes

 分娩の際、いつの間にか寝藁の上に落ちていことの多い、茶色く表面滑らかで柔らかいお餅の様な物体は、本来、馬の尿膜腔内に入っていた胎餅です(図1)。大きさは15㎝以上にもなります。胎餅の構成成分は尿膜液中の尿結晶物、脂質、尿膜細胞の残渣などで、言い換えれば胎児の臍帯を通した排泄物の塊です。胎餅の発生起源は、胎齢85日には認められないものの、胎齢100日以降には小さな白い楕円塊が認められ、次第に大きく成長し、その色も茶色く変化するとの報告があります。一方で、千切れた尿絨毛膜小嚢(Chorioallantic pouch)がその発生起源との説もあります。尿絨毛膜小嚢とは、受精卵が着床する際に形成される子宮内膜杯(Endometrium cup)に相当する部位の絨毛尿膜内側に形成される構造物です(図2)。尿絨毛膜小嚢の中には壊死した子宮内膜杯組織が包含されいて、尿膜から尿絨毛膜小嚢が剥がれ落ちることで胎餅が形成される核となるとされています。胎餅は、ほぼ全ての胎児の尿膜腔内に認められる正常な胎盤付属物になります。尿膜腔内に存在するするため、決して胎児が口にくわえて羊水を飲み込まない様にしているわけではありません!

1_2 (図1)胎餅

2(図2)尿絨毛膜小嚢(Chorioallantic pouch)(Equine Reproduction, 2nd edより)

卵黄嚢遺残(Remnant of yolk sac

 卵黄嚢遺残は、馬の後産に稀に認められる良性の胎盤付属物となります(図3)。なかなか出会う機会が少ないことから、偶然発見した際には、双子の残留物(無心体)や奇形腫などと間違えて心配してしまうことがあるかも知れません。卵黄嚢遺残の特徴は、娩出された後産の臍帯に有茎状に尿膜と細い動静脈で繋がった球状の骨化殻体であることです。内部に脊椎や臓器の遺残、臍帯や胎盤を独自に有するものではないことを確認してください。一般的に、卵黄嚢は胎齢50日までにその役目を終えて、臍帯に吸収されてしまいます(図4)。しかし、卵黄嚢が完全に退縮せずに遺残してしまうと、卵黄嚢を構成する組織から骨・造血組織が発生し、球状の骨化殻体に血様漿液を含有した物体を形成してしまいます。臍帯の羊膜-尿膜間の部位をX線検査で調べた海外の調査報告では、47頭2頭で臍帯の化骨が認められ、卵黄嚢の遺残は骨化を引き起こすことが明らかになっています。卵黄嚢遺残の大きさは様々で、筆者は正常な分娩後の後産にピンポン玉からソフトボール大の卵黄嚢遺残を見かけたことがあります。教科書的には、茎状の卵黄嚢遺残が胎児の臍帯に絡まると流産の原因になるとされていますが、本邦の生産地ではまだそのような症例の発生は無い様です。卵黄嚢遺残は珍しい症例です。見かけた際は、ご一報いただければ幸いです。

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(図3)卵黄嚢遺残 左:臍帯に有茎状に付着(矢印)、右:骨化殻体の外貌 (10×8×5 cm)

(提供:NOSAIみなみ 小笠原 慶 先生)

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(図4)胎齢50日の胎児の様子

左:卵黄嚢(黄色)、尿膜腔内(グレー)、羊膜腔(ブルー)

右:卵黄嚢(Yolk sac)は次第に退縮し臍帯に吸収される

(O. J. Ginther, AAEP proceedings 1998)

日高育成牧場 生産育成研究室 室長 佐藤文夫

2021年2月 1日 (月)

馬の飲水について

 動物にとっての水は、その摂取が絶たれたときの生命に及ぼす影響が大きい、つまりより短期間で生命維持を脅かす要素であるといえます。また、栄養素は比較的余裕をもって体内に蓄えることができます(例えばエネルギーなら体脂肪として)が、体水分量はおおむね一定(体成分の62-70%)に保たれており、水を余分に貯蔵することはできません。ボクシング選手にとって、減量時の水分制限は食事制限よりはるかに辛いそうです。したがって、管理する我々は馬が新鮮な水を常時摂取できるよう意識する必要があります。 

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馬が飲みたくなった時、いつでも飲めるように新鮮な水を用意して おく必要がある。

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ウォーターカップによって、馬はいつでも新鮮な水を飲むことができる。

飲水量に影響を及ぼす要因

成馬の1日の飲水量はおおむね体重100㎏当たり5リットル(体重500㎏とすると25リットル)とされていますが、気候環境、飼料、運動、成長ステージおよび個体差などに影響されることが知られています(表)。

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表 様々な環境下における馬の飲水量(NRC 2007)

 具体的には、気温や湿度が高い時などは見かけ上の発汗がなくても皮膚や気道から蒸散する水分(不感蒸泄)量が増えるため、飲水量は増加します。また、飼料の摂取量が多くなるに従って飲水量が増加することも知られています。この明確な理由は分かっていませんが、おそらく血中の総タンパク質濃度や血液の浸透圧の上昇が関係していると考えらえています。さらに、運動時の飲水量も発汗量に伴って増加しますし、泌乳期の飲水量も産乳で水分を消費することから妊娠期の1.5~2倍以上に増えるとされています。

 

飼料の成分や栄養素が飲水量に及ぼす影響

馬の飲水量は、摂取する飼料が粗飼料か濃厚飼料かによっても変化します。一般に、同じ量の飼料を摂取していても、飼料中の濃厚飼料の割合が高くなるほど飲水量は少なくなるとされていますが、この理由については次のように考えられています。馬が飼料を食べて飲み込むためには、食塊が食道を通過しやすくするために咀嚼によって唾液と混合する必要がありますが、粗飼料を飲み込むためには、濃厚飼料よりも多くの咀嚼と唾液が必要となります。この際、脳から飲水を促す指令(口渇感)は、唾液の分泌量が多いほど強くなり、結果的に飲水量が増加することになります。

 一方、栄養素の一つであるナトリウムと水分には密接な関係があり、体水分の調整にはお互いを切り離して考えることはできません。例えば、ナトリウム源である食塩を、体重1㎏あたり50㎎から100㎎(体重500㎏とすると25gから50g)に増やすと、飲水量が約1.5倍増加したことが報告されています。この理由については、生体が浸透圧を調節しようとするメカニズムによって説明がつきます。生体内では体液(細胞外液)のナトリウム濃度が高まった時、ナトリウムの濃度を元に戻そうとする機序が働きます。排尿量を減らして水分をなるべく外に出さないようにしたり、脳から飲水を指令(いわゆる喉の渇き)して体内の水分量を増加させ、高すぎるナトリウム濃度を希釈しようとする働きがこの機序にあたります。また、体内の水分が不足することによっても体液のナトリウム濃度が高くなるため、脳から口渇感の信号が出されて飲水行動がおこります。一方、ナトリウムが不足した場合はナトリウム源である塩分に対する摂取要求が発現します。飼養馬が鉱塩によってナトリウムを補うことができるのは、この生理的要求によって自発的な摂取が期待できるためです。

 その他に飲水量を増加させる要因として、タンパク質の摂取量が多い場合が挙げられますます。タンパク質はアミノ酸に分解されますが、生体内で使い終わったアミノ酸は尿素として尿中に排出されます。尿素の排泄量が増えれば、同時に尿として排泄する水分量も増えるため、その損失を補うべく飲水量が増加します。

 

気温や水温が飲水量に及ぼす影響

 一般に、気温が下がると飲水量も低下するとされており、気温が9℃から-8℃に下がることで、飲水量が減少したとの報告があります。

 また、ある研究グループによる水温が飲水量に及ぼす影響について調べた報告がありますので、ご紹介します。気温が-20℃から5℃の環境下において、外気で冷えたバケツに水を入れて給与した群(冷水群:平均水温 1℃)と、バケツ用のヒータで温めた水を給与した群(温水群: 平均水温19℃)の飲水量を比較したところ(図 ①)、温水群は冷水群より飲水量が約1.4倍に増加しました。このことから、冷水群の馬は、本来必要であった量の水を飲んでいなかった可能性があることが分かります。つまり、冷水群は水温が低いのを嫌って飲水量が減ったものと考えられました。同様の試験を15℃から29℃の暖かい気温でも実施したところ、冷水群(人工的に冷却)と温水群の飲水量に差はみられませんでした(図 ②)。両方の試験の結果から、馬は外気温が低い時にさらに体を冷やしてしまうような冷水の摂取を避けたものと結論付けられました。

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図 気温ならびに水温が馬の飲水量に及ぼす影響

①気温 -20から5°Cの気温下で、冷水(平均水温0°C)と温水(平均水温19°C)の水の飲水量を比較した。

②気温15から29°Cの気温下で、冷水(平均水温0~1°C)と温水(平均水温23°C)の水の飲水量を比較した。 気温が低いときに水温の低い水の飲水量が少なくなった。

 

 よく、冬期間の放牧地での給水について、飲水量が少ないようだが冬場はあまり水を飲みたくないのでしょうかと相談されることがありますが、このように判断するのは早計かもしれません。前述した通り、水分の不足は脱水症の発症などの懸念に繋がりますが、馬の場合は脱水以前に便秘疝を発症しやすくなります。放牧地に冬期も水が凍らない水桶を整備するにはコストがかかりますが、最低でも馬房内では馬が十分に飲水できるよう、気を配ることが重要です。

 

日高育成牧場 生産育成研究室 主任研究役 松井 朗

馬の放牧地における電気牧柵の利活用

はじめに

昨今、ハンターの減少や高齢化に伴ってシカの個体数の増加を実感できるようになりましたが、シカによる放牧地や採草地の食害に悩まされている方々も少なくないのではないかと思います。放牧地へのシカの侵入は放牧草の食害だけでなく、放牧中の馬がシカに驚いて狂奔したり雄シカの角に突かれたりした際に負傷する原因になることも珍しくはありません。また、シカによって持ち込まれた病原菌やダニなどが馬の感染ルートになることもあるため、シカの侵入に対して何らかの対抗措置をとる必要があります。

シカの放牧地への侵入防除には、ワイヤーメッシュ等の物理的な柵の設置が最も有効です。一定以上の面積を有する放牧地や採草地を整備する場合には、必要経費の一部についての助成事業「軽種馬生産基盤整備対策事業(放牧地整備事業)」を利用する方法もありますが、もう少し手軽に電気牧柵を利用するという方法もあります。今回は、JRA日高育成牧場における電気牧柵の利活用についてご紹介します。

 

シカ対策

一般的な電気牧柵は、物理的に動物の侵入・脱柵を防除できるような堅牢な構造ではなく、電気ショックを与えて対象動物を心理的バリアによってコントロールすることを目的としています。この電気牧柵装置には様々な種類がありますが、一般的なの動物防除用としては9,000Vのものが選択されます。電源はバッテリーから供給されますが、昼間のうちにソーラーパネルから充電されるため、電池切れの心配はありません。JRA日高育成牧場では、通常の牧柵の下方の間隙に電気牧柵を設置することで、シカの侵入防除効果を上げています(図1)

また、この電気牧柵は放牧地をぐるりと一周にわたって囲む必要は無く、一部のみの敷設(開始端と終止端を繋いで輪にする必要がない)でも有効です。シカなどの害獣が電気牧柵に触れることで、電流が高圧線から生体を伝って地中のアースに向かって流れる仕組みですが、高電圧でも電流は一瞬だけ微量が流れる仕組みなので、パチンと軽い痛みを感じるだけで感電することはありません。シカは、放牧地に侵入する際に(通常、牧柵の下の隙間を潜って侵入します)この電気牧柵に触れて痛みを覚えますが、何度か繰り返すうちに「柵に触れると痛い」ということを学習し、遂には放牧地に侵入しないようになるという訳です。

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(図1)シカ対策として設置している電気牧柵

 

生後間もない子馬の放牧地順化

広い放牧地で生後間もない子馬が勢いよく走る母馬の後を一生懸命追いかける姿は、生産地ではよく見かける微笑ましい光景です(図2)。しかし、最近の研究では、生後間もない子馬の骨軟骨は幼弱で激しい運動には耐えることができず、症状に表れないような軽微な軟骨損傷を発症している例もあることが明らかとなりました。(図3)。このような子馬の軟骨損傷を予防するためには、子馬が過度に走れないように小さな放牧地から徐々に大きな放牧地へと慣らしていくことが有効と考えられますが、JRA日高育成牧場では放牧地内の「間仕切り」に電気牧柵を利用することで、実際に子馬の種子骨損傷を予防できるかについて検証しました(図3)。

その結果、生後直ぐに広い放牧地へ放牧した子馬に比較し、電気牧柵を利用して段階的に放牧地の広さを制限した子馬では、この軟骨損傷の発症頻度が大幅に減少することが確認できました(表1)。

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(図2)広い放牧地で一生懸命母馬の後を追う生後間もない子馬

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(図3)生後1か月齢の子馬に認められた種子骨の離断骨片

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(図4)電気牧柵で仕切られた放牧地

乾電池式の電源装置と視認性が高い幅4cmの帯状の柵を使用

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(表1)治癒までに10週間以上を要した軟骨損傷の発生状況

 

おわりに

電気牧柵の利点は、通常の牧柵より安価で移設も容易という点です。したがって、子馬の成長に応じて放牧地のサイズを何度でも仕切り直すことが可能です。また、設置によるメリットはシカによる食害を防止して施肥効果を高めるだけに留まらず、シカが持ち込んでいたと思われるダニの寄生も減少させることもできました。 生後間もない子馬の種子骨損傷の予防は電気牧柵の活用法の一例ですが、その他の関節に発生する離断性骨軟骨症の原因となる過度の運動刺激についても同様に防ぐこともできそうです。実際に電気牧柵を運用するには、出産前の母馬を予め電気牧柵を敷設した放牧地に馴致しておくなどの工夫も必要ですが、電気牧柵自体には通常の柵のように物理的に馬の突進に耐える強度がないため、狂奔状態に陥った馬が電気牧柵を突破することは十分に考えられます。したがって、電気牧柵は、あくまでも放牧地内の「間仕切り」としての使用に限定すべきです。

 電気牧柵が有効に、安全に機能するには、適切に資材や機器を設置することだけでなく、漏電を予防するための下草の定期的な刈り取りなど、設置後の環境整備も必要となります。電気牧柵の詳細については、取り扱い販売店にお問い合わせの上、適切にご使用していただきますようお願いします。

 

日高育成牧場 生産育成研究室 室長 佐藤文夫

2021年1月27日 (水)

哺乳期子馬のクリープフィード

はじめに

 子馬が生まれて初めて摂取する食餌は母乳であると同時に、母乳は唯一の栄養源でもあります。やがて、子馬は母馬を真似て放牧草や乾草を食べるようになりますが、哺乳期の子馬の消化器官や腸内細菌は、まだ粗飼料を栄養源として利用できません。競走馬として育種改良されてきたサラブレッドの哺乳期子馬に対しては、生来供給される母乳や粗飼料以外にも必要な栄養を確実に給与することが望まれます。

 

クリープフィードとは?

 哺乳期の子馬だけが食べられる方法で与える飼葉を“クリープフィード”と呼びますが、これは飼葉の中身を示すのではなく給与の目的を示す言葉です。例えば、同じ燕麦でも子馬だけが食べられる方法で給与すれば、その燕麦はクリープフィードであると言えます。一般的なクリープフィードは、子馬だけが這ってくぐり抜けられる高さの柵や壁の向こう側に置かれることから、“這う”(creep)が語源とされています(図1)。

 

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図1 クリープフィードの語源は、英語の“這う”(creep)であると言われている。

哺乳期の子馬にクリープフィードを与える必要性

 哺乳期の子馬にクリープフィードを給与する目的は、母乳や牧草のみでは不足する栄養素を補い、子馬が離乳後の固形飼料に馴れさせることにあります。

一般に動物は、摂取するエネルギーが不足している場合に食欲を示します。したがって、哺乳期の子馬はエネルギーの需要に応じて母乳や牧草を自発的に摂取できます。しかし、動物は塩分以外のミネラルおよびビタミンの不足に対してはこの摂取欲求が無いものと考えられています。例えば、ある子馬の体内のカルシウムが不足していたとしても、特にその子馬が放牧草の中からカルシウムを多く含むクローバーを優先的に食べるようなことはありません。一方で、母乳中のミネラルやビタミン濃度は分娩後から徐々に減少しており、子馬が牧草からこれら不足するミネラルやビタミンを摂取できているかどうかは分からないということになります。ここでクリープフィードの出番となるわけですが、このクリープフィードは通常の飼葉のようにエネルギーを給与するのではなく、ミネラルやビタミンを補うことを目的として給与されます。

 

母乳および牧草からのミネラル摂取

 カルシウムとリンは、どちらも骨の発育にとって重要なミネラルですが、前述のとおり母乳中の両者の濃度は分娩後の時間経過とともに減少していきます(図2)。一方、軟骨形成に重要な亜鉛と銅の母乳中の濃度は初乳を除いて大きく変化しません。しかし、子馬の母乳摂取量は成長に伴って減少するため(図3)、子馬が摂取する両者の絶対量も徐々に減少することとなります。

これとは逆に、子馬における放牧草の摂取量は増加しますが、放牧草は優良なミネラル供給源である一方、その含量は草種、土壌および時期など様々な要因に影響されるため、安定した供給源とは言えません。銅と亜鉛の摂取不足は、骨軟骨症(OCD)など成長期における骨疾患の発症に繋がりますから、決して軽視することはできない問題です。

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図2 分娩後からの母乳中カルシウムおよびリン濃度の変化

 分娩3日~1週後をピークに母乳中カルシウムおよびリン濃度は経時的に減少する。

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図3 出生後からの子馬の哺乳量の変化

 1週齢をピークに哺乳量は子馬の成長とともに減少する。


 

養分要求量を満たすためのミネラルの給与

 養分要求量とは、馬が健康かつ最低限のパフォーマンスを維持するための栄養摂取の基準量です。全米研究評議会(NRC)が刊行した『馬養分要求量』(我々はこの冊子もNRCと呼んでいますが)には、4ヵ月齢の若馬のカルシウム、リン、亜鉛および銅の養分要求量が記載されていますが、母乳および牧草由来の摂取量と比較してみるとNRCの要求量を下回っていることがわかります(図4)。このような場合、クリープフィードからこれらのミネラルを補充してやる必要がでてくるわけです。

 近年、バランサーと呼ばれる飼料が多くの牧場で利用されるようになってきました。バランサーは、炭水化物や脂肪などのエネルギーの基質を供給するのではなく、アミノ酸、ビタミンおよびミネラルを高濃度に含んだ飼料です。例えば、図4で示す4ヵ月齢の若馬におけるカルシウム、リン、銅および亜鉛の要求量に対する不足については、表1のバランサー500gを給与することにより解消できます(図5)。これらのミネラルの要求量は2ヵ月齢頃から母乳および牧草からのみの摂取では不足するため、この時期からクリープフィードを開始することが推奨されます。

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図4  4ヵ月齢(哺乳期)子馬のミネラル要求量と摂取量の比較

    NRC(2007年版)における4ヵ月齢子馬のa)カルシウム、b)リン、c)亜鉛およびd) 銅の要求量と母乳および放牧草由来の各ミネラル摂取量を比較したところ、全てのミネラルにおいて摂取量が要求量を下回っていた。

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図5  4ヵ月齢(哺乳期)子馬にクリープフィードを給与したときのミネラル要求量と摂取量の比較

 4ヵ月齢子馬にクリープフィードとして表1のバランサーXを500g給与したところ、a)カルシウム、b)リン、c)亜鉛およびd) 銅の摂取量は要求量を概ね満たした。

さいごに

 クリープフィードには、離乳後を見据えて予め固形飼料に馴らしておくという目的もありますが、子馬によってはなかなかクリープフィードを食べてくれないこともあります。このような場合は、手で少量ずつ子馬の口に運んでやったり、母馬と同じ飼葉桶から一緒に食べさせる方法が効果的です。

 

日高育成牧場 生産育成研究室 主任研究役 松井 朗