2019年12月13日 (金)

競走馬のウォームアップ

No.124(2015年5月15日号)

 ウォームアップ(ウォーミングアップ:W-up)とはいわゆる準備運動のことで、主に2つの目的で行われます。1つは筋や腱の柔軟性を高め障害を防止すること、もう1つは馬の運動機能を活性化し高い運動能力を発揮させることです。前者は軽めの運動で筋・腱の温度を徐々に上げていくことが重要ですが、後者はしっかりした運動でエネルギー代謝を活性化することが重要となります。

W-upがエネルギー代謝に与える影響
 少し難しい話になりますが、W-upがエネルギー代謝に与える主な4つの影響についてお話します。①温度が10℃上昇すると代謝にかかわる酵素活性が2.5倍になることが知られており、筋温上昇によりエネルギー代謝が亢進します。②神経系の反応性向上に伴い運動開始時の呼吸循環系や筋肉系の反応性が向上します。③乳酸産生によって起こる代謝性アシドーシス(体の中が酸性になった状態)と体温上昇により筋肉内への酸素の取り込み量が増加し、運動中の有酸素性エネルギー利用量が増大します。④交換神経活動の活性化により循環系が活性化されるとともに、分泌されたアドレナリンの刺激で脾臓血が放出されて循環血液中の赤血球数が増加し、解糖系の酵素活性が活性化されエネルギー代謝が亢進します。
 上記①~④は運動能力を発揮する上では全てプラスの影響であり、これらが大きく現れる高強度W-upが最適なようにも思えますが、実際にはどうでしょうか?

トレッドミルを用いたW-up試験
 一般に、多量の乳酸産生を伴う過度なW-upは好ましいとは考えられていません。過度なW-upは筋疲労と中枢性疲労(脳が疲れたと感じる状態)を起こし、脾臓血の過剰放出に伴う血液濃縮により循環機能が低下し、肺動脈圧が上昇して鼻出血発症リスクが高まります。つまり、主運動前に頭も体も疲れて血流が悪くなるということです。
 ここで、JRAで行ったW-upに関する研究をご紹介します。この研究では、サラブレッド実験馬に馬用トレッドミル(ランニングマシーン)上で3種類のW-up(低強度群:21秒/F×200m、中強度群:17秒/F×350mまたは高強度群:14秒/F×650m)の後、15分間の常歩運動をはさんで試験走行(14秒/F×100秒)を行わせ、その間の血中乳酸濃度の変化を調べました(図1)。その結果、試験走行前に乳酸値が下がりきっていなかった中-高強度群では、安静時レベルまで回復していた低強度群よりも試験走行後の乳酸値が低い値を示しました(図2)。これは、運動前に少量の乳酸が残っている状態は運動能力を発揮する上でプラスの効果があることを示しています。しかし、別の実験では運動直前の乳酸値が6mmol/L以上の場合は運動後の乳酸値も高くなることが報告されており、乳酸値が高ければいいというものではないようです。

1_5 図1 トレッドミル試験の概略図
トレーニングされたサラブレッド実験馬を用いて行った実験の概略図。縦軸はトレッドミルの速度を、横軸は時間経過を表し、▲で血中乳酸値を測定。

2_4 図2 W-up試験の血中乳酸値の変化
中または高強度W-upを実施した場合、低強度W-upを行った時より試験走行後の血中乳酸値は低い値を示した。

競走馬にとって理想的なW-upとは?
 今回ご紹介した研究成績から、W-up後4~6mmol/Lまで血中乳酸値が上昇し運動前に2mmol/Lまで低下しているW-up(17~14秒/F×400~600mに相当)が理想的だと考えられます。しかし、競馬のレースは毎回条件が異なり返し馬からレースまでの間隔が一定ではないので、実際にはそれらを考慮してW-up強度を調整する必要があります。また気象条件も大きな要素で、高温環境下で強いW-upを行うと体温が上がりすぎて中枢性疲労を起こしやすくなります。さらに、体力のない馬はW-upで乳酸が上がりやすく、興奮しやすい馬はW-upを行わなくてもアドレナリンが多く分泌され体温が上昇しやすいので、体力や性格など馬の個性にも配慮が必要です。したがって、『競馬』を考えた場合、レースや気象条件、馬の個性を考慮して基本パターンのW-upから調整して行うのが好ましいと言えるでしょう。
 一方、育成調教を行っている競走馬では、障害防止・運動機能活性化のためだけではなくトレーニングとしてのW-upを考える必要があります。育成馬の駈歩調教は長くても4000m程度なので、競走期の調教やレースに耐えられる丈夫な身体を作るためには、常歩でのW-upや主運動後のクールダウン(クーリングダウン:整理運動)によってトータルの運動量(距離)を増やすことも重要です。したがって、育成馬ではW-upとクールダウンをトレーニングの一部として調教メニューに組み入れることをお勧めします。

おわりに
 以前JRAの競馬場で行った調査では、レース前の返し馬は約400m行う馬が最も多く、その平均速度は17.5秒/Fでした(図3)。これは、今回紹介した研究の中強度W-upに相当し、ジョッキーは騎乗する馬に必要なW-up強度を自分の感覚で理解しているように感じます。育成調教を行われている方々も、これまで以上にW-upを工夫して馬の反応を感じてみてはいかがでしょうか。

(日高育成牧場 生産育成研究室長 羽田哲朗)

2019年12月11日 (水)

サラブレッドの骨格筋の運動特性とミオスタチン遺伝子型

No.123(2015年5月1日号)

 今回は、サラブレッドの走能力に大きく関わる筋肉について、組織学的、運動学的、遺伝子学的な観点からJRA育成馬を使って調査した成績を交えながら紹介いたします。

●サラブレッドの骨格筋の特性
 競走馬の骨格筋の重量は、体重の50%以上にもおよぶことが知られています。細い四肢と低い体脂肪率で究極までに軽量化された馬体から、いかに筋肉の割合が大きい動物であるかが想像できます。もちろん筋量が多いだけでなく、その筋線維の組成にも速く走るための特徴があります。筋線維は、特殊な免疫組織学的方法を使うことで、収縮速度が遅いが疲労耐性が高い(持久力の発揮に向いている)遅筋(TypeⅠ)線維、収縮速度が速いが疲労耐性が低い(瞬発力の発揮に向いている)速筋(TypeⅡx)線維、これらの中間的な特徴を持つ中間型(TypeⅡa)線維の3つに染め分けることができます(図1)。走行時に推進力をもたらす後躯の主要な筋肉である中殿筋においては、90%近くを速筋線維が占めることから、サラブレッドがいかにスピード特性を兼ね備えた動物であるかが分かります。

1_4 図1 サラブレッドの筋線維の種類と特性

●ミオスタチンによる筋量の調節
 ミオスタチンとは、成長因子の1つで、筋細胞の増殖肥大を「抑制」する物質です。したがって、このミオスタチンが働かなくなると筋肉隆々の個体になることが知られています。しかし、通常はミオスタチンを介して適切な筋量の調節が行われるため、筋量は一定に保たれています。
 近年、このミオスタチン遺伝子に認められる一塩基多型(遺伝子の一部分が個体によって異なる)が競走距離適性に関わることが報告されました。すなわち、「C/C」型は短距離、「T/T」型は長距離、「C/T」型はその中間(中距離)に適した傾向を示すことが明らかにされたのです(図2)。では、この様な距離適性を持つサラブレッドの筋量にはどのような特徴があるのでしょうか?JRA育成馬を用いて、調教開始から6ヶ月後の測尺結果とミオスタチン遺伝子型との関連を解析した調査では、筋量を反映する「体重/体高(kg/cm)」は、C/C型で最も高いことが分かりました(図3)。さらに、中殿筋に針を刺して筋肉を少量採取して、組織学的に筋肉組成を分析した結果では、C/C型の馬のTypeⅡx線維面積が最も増加する傾向が認められました。これらのことから、C/C型の馬の筋肉はトレーニングにより肥大しやすく、スピード適性が高いと考えられました。

2_3 図2 日本のサラブレッド(雄1,023 頭)におけるミオスタチン遺伝子型の違いによる勝利度数分布
(T. Tozaki et. al., Animal Genetics, 2011から引用・改変)

3_3 図3 ミオスタチン遺伝子型と筋量との関係
※筋量の割合が高いサラブレッドでは「体重/体高」が筋量の指標となる

●ミオスタチン遺伝子型と持久力との関係
 馬の有酸素運動能力指標の1つとしてV200というものがあります。このV200とは、心拍数が毎分200回に達したときの馬の走行スピードを表した値です。馬は速く走れば走るほど、心拍数が上がっていくことが分かっているので、バテやすく早く心拍数が上がってしまう馬のV200の値は低く、バテにくい馬のV200の値は高くなります。JRA育成馬で測定したV200とミオスタチン遺伝子型との関係を見ると、T/T型の馬では他の遺伝子型の馬に比べてV200が高くなっていることが分かりました。また、中殿筋の血管新生因子や有酸素運動能力に関わる筋細胞中のミトコンドリア量に関連している遺伝子の発現量を解析したところ、T/T型で有意に高いという結果が得られました(図4)。これらのことから、T/T型の馬では、血管新生が促進され酸素供給が効率的に行われることで有酸素能の発達につながり、持久力が高い筋特性を持ち合わす傾向があると考えられました。

4_2図4 ミオスタチン遺伝子型とV200値(m/s)との関係

●最後に
 ブラッドスポーツと呼ばれるサラブレッドの世界では、約2世紀に渡る歴史の中で、レースで勝利を収めた馬が種牡馬や繁殖牝馬となり、子孫を残すことで、速く走るための育種改良がおこなわれてきました。競走体系は時代とともに変化しつつある中、近年、ますますスピードが求められるようになってきているのは確かです。しかし、レース中の馬の筋肉へのエネルギー供給の70~90%は有酸素的になされているため、運動能力を高めるには有酸素能力の向上が必須であり、それを鍛えることが重要となります。サラブレッドをトレーニングする際に、今回ご紹介したような遺伝子からみた筋特性も考慮することで、スピードと持久力を兼ね備えたサラブレッド本来の走能力を最大限に引き出すことができるのかも知れません。引き続き日高育成牧場では、育成馬を用いて新しい調教技術や科学的手法を取り入れながら、その成果を普及していきたいと考えています。

(日高育成牧場 生産育成研究室 研究役 佐藤文夫)

2019年12月 9日 (月)

2015 JRAブリーズアップセールについて

No.122(2015年4月15日号)

 JRAは 4月28日(火)、今年で11年目を迎えた「2015JRAブリーズアップセール」(第11回 JRA育成馬調教セール)を中山競馬場で開催します。今回の記事では、JRAブリーズアップセールについて、今年の新たな取り組みも交えてご紹介させていただきます。
 JRAブリーズアップセールは中央競馬に登録のある馬主を対象としてJRA育成馬のみが上場されるプライベートセールです。これまで同様、“購買者の視点に立った運営”を心掛け、新規で馬主になられた方やセリでの購買に不慣れな方にもわかりやすく参加しやすい「入門編としてのセール運営」を目指しています。

前日展示会の開催
 セール前日の4月27日(月)、13時から装鞍所において前日展示会を実施します。当日は全馬の比較展示とあわせて個体情報冊子の配布や台付価格の公表等を行います。また、調教師会主催の「馬主・調教師懇談会」も開催される予定です。
 また、入厩期間内の4月23日(木)から26日(日)の10時~17時には厩舎地区での事前下見が可能です。加えて朝の調教【6時~9時】もご覧いただけます。ご希望のお客様は事前にブリーズアップセール特設電話(※4月20日~5月8日のみ)までご連絡ください。

セール当日の流れ
 セール当日は騎乗供覧からはじまり、上場番号順に単走で供覧します。走行タイムの目安はラスト2ハロンを13.0-13.0(秒/ハロン)程度としていますが、“走行タイムよりも馬の走法フォームや出来栄え”を見ていただくことに主眼を置き、無理に追うことはせずにありのままの走りを披露します。

1_3 (写真1)昨年の騎乗供覧の様子。JRA騎手課程生徒も騎乗します。

 騎乗供覧後には比較展示を行い、各馬の状態を間近で確認していただきます。会場には個体情報開示室(レポジトリールーム)も設置してあり、全馬の医療情報から飼養管理までの広範な情報を提供しています。実馬と個体情報をあわせて確認していただき、購買馬の選定に役立てていただきたいと考えています。

2_2 (写真2)昨年の比較展示の様子。会場には育成馬を熱心にみられる購買関係者が多数来られました。

 その後、セリ方式での売却を行います。冒頭には新規で馬主になられた方がセリ市場へ参加しやすい環境づくりの一環として、「新規馬主限定セッション」が組まれています。2012年1月以降に馬主登録をされ、予め事前購買登録を済ませた方のみが参加でき(当日登録不可)、多くの新規馬主の方に馬を所有していただきたいという考えから「おひとり1頭のみ」という購買制限を設けています。ただし、このセッションの上場馬が主取りとなり再上場された場合や、順調に調教ができず「調教進度遅れ等」として上場される場合にはすべての馬主の方がセリ上げに参加できます。セール前日に公表される「台付価格」がセールのスタート価格であり、リザーブ価格となります。多くの馬主の方に購買馬選定をお楽しみいただくため、声をかけやすいリーズナブルな価格設定となっています。

未売却馬について
 セールで未売却となった馬は、翌29日(水)の「ファイナルステージ」での売却、もしくは5月26日(火)札幌競馬場で開催される北海道トレーニングセールへの上場を目指します。ファイナルステージはセリ当日までに購買登録を済ませた上でセールに参加された馬主の方本人のみが参加可能で、代理人参加はできません。詳細はセール事務局までお問い合わせください。

今年から行う新たな取り組みについて
 ブリーズアップセールの新たな取り組みとして、個体情報の一部を事前に確認していただく「個体情報早期開示」を開始します。これまでセリ前日にお知らせしてきた医療情報の一部を、4月6日(月)からインターネット上で開示するというものです。事前に開示する情報は、特別な開示事項(悪癖や手術歴、去勢など)の有無と、全馬の3月末現在の主な病歴やノドの内視鏡検査を含む各種検査結果などです。特に注意していただきたい項目であるノドの検査結果については、喉頭片麻痺グレードがⅢ以上の馬の内視鏡動画も開示します。
 ここで注意していただきたいのは、開示される情報が3月末までに取りまとめた情報であるため、追加病歴や過去の詳細な病歴などが反映されていない点です。購買前にはセリ前日から配布する個体情報冊子や台付価格表を必ず確認していただきたいと考えています。

 JRAではこれまで同様、ブリーズアップセールに来場された皆様がセリを楽しんでいただけるよう、また、皆様の信頼を失わないように適切な運営に取り組みます。また、セール当日には民間のトレーニングセールや1歳市場の主催者ブースも設ける予定です。当日ご来場いただいたお客様に、 “またセリに参加しよう”と考えていただくきっかけとなることを願っています。

3_2 (写真3)昨年のセリ会場の様子。多くのお客様にお越しいただき、白熱したセールとなりました。今年も多くのお客様のご来場をお待ちしております。

(日高育成牧場 業務課長 秋山健太郎)

2019年12月 6日 (金)

競走馬の装蹄について

No.121(2015年4月1日号)

 競走馬の護蹄や装蹄の重要性は、馬に携わる人であれば誰でもご存知のことだと思います。一方、近年は育成後期の運動量も強くなり、現役競走馬に近い蹄管理が求められるようになってきました。そこで今回は競走馬の装蹄や蹄疾患について解説したいと思います。

蹄の管理について
 一般に成馬の蹄は1ヶ月で約1cm伸び、約1年で全体が更新されます。しかし、蹄は体重を支えたり、地面を蹴ったりすることで常に磨耗するため、走行スピードが速く運動量も多い競走馬では蹄の磨耗が著しく、装蹄により保護する必要があります。また、蹄鉄を装着することでグリップ力を高めたり、蹄を治療(装蹄療法)することも可能となります。

装蹄の歴史について
 装蹄には約2000年の歴史があり、蹄鉄もそれぞれの時代において進化してきました。始めは、蹄を保護する目的で藁沓(わらぐつ)を履かせて管理していましたが、耐久性不足の問題からその後鉄製のサンダル状の物へ移行し、その後鉄製の蹄鉄を釘付けによって固定する方法へ進化していきます。それから競馬だけで使用する競走蹄鉄への打ち替えを行うようになりますが、人馬の安全確保や蹄壁欠損と言われる釘付けによる蹄壁の損傷が問題となり調教も競馬でも使用可能な兼用蹄鉄の開発が急がれました。そして昭和56年から、アルミニウム合金製で3週間の耐久性があり重さ約100グラムの兼用蹄鉄が使用されるようになっています。
 一方、乗用馬での装蹄は競走馬とは異なる歴史を歩んできました。なぜなら、装蹄に求められる目的が異なり、乗用馬では耐久性に加え滑らないことが最も重要なポイントとなるからです。乗用馬では蹄鉄に特に規制はないので、多くは鉄製の蹄鉄を装着し競技によってはクランポンと呼ばれるスパイク(図1)を使用することもあります。

1_2 図1 クランポン付き蹄鉄

競走馬に多く認められる蹄疾患
 競走馬はスピードが増すことによって骨折や屈腱炎などの運動器疾患や挫跖や裂蹄などの蹄疾患を発症する確率が増加します。その中で競走馬に特に多く見られる蹄疾患として弱踵蹄と呼ばれるものがあります。蹄踵部と言われる蹄の後半部が健常な蹄踵部(図2)に比べて酷く潰れたものです(図3)。側望でも健常蹄と弱踵蹄では明らかな違いが見られます(図4、5)。蹄尖壁が長くなり蹄踵壁の角度が低くなっています。走行時、1トンとも言われる衝撃を受ける蹄踵が潰れると蹄内の柔らかい組織が損傷を受けて慢性的な疼痛にさらされ、跛行することが多く見受けられます。弱踵蹄の原因として考えられるのは運動量の増加、坂路調教のような蹄後半部に多く負重が掛かることや改装遅延による過長蹄と言われる蹄が伸びすぎた状態になることなどです。さらに、左右で蹄の角度や大きさが異なる不同蹄は、蹄が大きく蹄角度が低い蹄で発症が多く認められます。弱踵蹄には多くのリスクがあり、屈腱炎は最も重要なリスクのひとつです。弱踵蹄の低い蹄踵が蹄の反回に悪影響を及ぼすことが屈腱炎の発症率を増加させると考えられます。

2 図2 健常蹄

3 図3 蹄踵が潰れた弱踵蹄

4 図4 健常蹄(側望)

5 図5 弱踵蹄(側望)

  次に注意を要するのはナビキュラー病です。この病気は、弱踵蹄の状態で馬を運動させ続けることにより不自然で過剰な力が「とう骨」の屈腱面とそれに相対している深屈腱の表面を損傷させることにより発症する病気です(図6)。一度弱踵蹄になると特殊な装蹄機材であるバーウェッジ(図7)やヒールリフト(図8)などを使用して蹄角度を起こして正常な肢軸に修整しなくてはなりません。しかし蹄形や肢軸を正常に戻すにはかなりの時間を要するため、とても厄介な蹄疾患であると言えます。

6 図6 ナビキュラー病の発症部位(線で囲んだ骨が「とう骨」)

7 図7 ㇻバーウェッジ

8 図8 ヒールリフト

最後に
 装削蹄は蹄の角質を削切し、蹄鉄を取り替えるだけではありません。蹄の健康診断も兼ねており、蹄病や変形を早期に発見し対応することで悪化を防ぎ、早期の回復が可能となります。従って、月に1度は装蹄師に削蹄を依頼し、蹄の状況を把握しておくことはとても大切なことであると言えます。

(日高育成牧場 専門役 下村英次)

2019年12月 4日 (水)

子馬に認められる近位種子骨のX線所見について

No.120(2015年3月15日号)

近位種子骨とは
 馬の近位種子骨(以下、種子骨)は、四肢球節の後ろに2個ずつ存在する小さな骨です。関節の一部を構成することで、球節の滑らかな動きに重要な役割を果たしています(図1)。馬は走行時、球節を自身の体重で大きく沈下させ、屈腱の伸縮力を利用することで推進力を得ています。種子骨は、この球節の沈下に耐えるため、繋靭帯をはじめとする周囲の腱靭帯と強固に結び付き、運動時に大きなストレスを受けている組織といえます。

1_14 図1 馬の前肢骨格標本
種子骨は、四肢球節の後ろ側にそれぞれ内外1対存在する。

子馬の種子骨における骨折様所見
 生後1~2ヶ月齢の子馬の種子骨をX線検査で確認すると、しばしば骨折様の陰影が認められることが判ってきました(図2)。これまでに、4牧場で生後8週齢までの幼駒42頭の種子骨についてX線検査を実施した結果、前肢は45.2%(19頭)、後肢は9.5%(4頭)の子馬に種子骨の骨折様所見が認められました。これらの骨折様所見は、種子骨の先端部に見られる小さなものから、中位の大きな離解を伴うものまで様々でしたが、有所見馬には、跛行や腫脹などの臨床症状は見られず、発見から1ヶ月以内に消失する所見が殆どでした。

2_12 図2 子馬における種子骨の骨折様X線検査所見
臨床症状は見られず、X線検査で初めて所見に気づくことが多い。

レポジトリーで認められる種子骨の異常所見の原因!?
 1歳サラブレッド市場で公開される四肢X線医療情報(レポジトリー)で認められる異常所見の中に、種子骨の陳旧性骨片や伸張などがあります(図3)。種子骨に骨片が認められた馬は、認められなかった馬に比較して初出走時期が遅れるとの報告もあり、調教開始後に何らかの影響を及ぼす可能性がある所見として知られています。このような種子骨の異常所見の原因の1つが、子馬の時期に発生する種子骨の骨折様所見であると考えられます。子馬の骨折様所見の中には、陳旧性の骨片として遺残する例や、所見の消失後に内外種子骨の大きさが異なってしまう例もあるからです。

3_11 図3 市場レポジトリー資料における球節部X線画像
左:正常な種子骨の例 
中:種子骨先端部に陳旧性の骨折片が認められる症例
右:内外の種子骨の大きさが異なる症例

予防法はあるか?
 子馬の種子骨に見られる骨折様所見の発生原因は、広い放牧地で母馬に付いて激走することにあると考えられています。生後間もない子馬の種子骨は、まだ激しい運動に耐えられません。馬の種子骨は、妊娠最後の1ヶ月頃に形成され始め、誕生後も大きく成長していきます。そのため、子馬の種子骨は、上下方向の大きなストレスに弱く、骨折様所見が発生したり、時には完全に破綻してしまうことがあります(図4)。この時期の子馬にとって襲歩のような激しい運動は必要ではありません。予防には、放牧地を段階的に大きな場所に変更するなど、母馬の息抜きをしながら放牧管理を行う工夫が必要であると思われます。

4_8 最後に
 子馬に認められた種子骨の骨折様所見の多くは、無症状でX線検査をしない限り判りませんでした。所見が確認された子馬のほとんどは、無処置で放牧を継続しながらでも最終的に所見が消失することから、気にする必要のない成長過程の現象の1つと言われることもあります。しかし、重篤化してしまう例が稀にもあること、レポジトリーにおける種子骨の異常所見の原因となることが調査を進める中で分かってきています。大事な生産馬を無事に競走馬にする過程のリスクの1つとして、生後間もない子馬の放牧管理について、もう一度考えてみる必要があります。

(日高育成牧場 生産育成研究室 研究役 佐藤文夫)

2019年12月 2日 (月)

クラブフットの対処方法

No.119(2015年3月1日号)

はじめに
 馬の発育期における蹄疾患のひとつにクラブフット(以下CF)があります。CFとは深屈腱の拘縮が原因で蹄骨が牽引されることにより、蹄尖壁が引っ張られて極度に肢軸が前方破折してしまう症例です(図1,2)。CFを放置して重篤化してしまうと競走馬として活躍することなく淘汰されてしまうこともあります。そのため、CFを発症してしまった時には早期に発見し、対処する事が非常に重要になります。今回は、CFの対処方法等について紹介いたします。

1_13 図1 重度なクラブフット

2_11 図2 クラブフットの発症機序

クラブフットの原因と症状
 CFの治療は軽症のうちに適切な処置を施すことが何よりも重要であり、そのためには早期発見がポイントとなります。しかし、早期発見をするためには正しい蹄形を理解した上で、CFの原因や症状を知らなければ判断することは困難です。まずは、CFの原因について説明したいと思います。CFは遺伝による先天性のものと生後1.5ヶ月~8ヶ月齢の子馬に発症する後天性のものがあります。後天性の原因として、栄養の不足や過多、馬体の発育異常による骨格と筋肉・腱のバランス異常、放牧地の硬さなどに起因する物理的な衝撃などが考えられています。特に注意すべきは上腕や肩などの痛みであり、これによって筋肉が緊張し関節が屈曲することにより深屈腱支持靭帯が弛緩し、蹄の形状異常を引き起こします。すなわち、支持靭帯は弛緩し短縮した状態になると再び元の長さには戻らず短い状態で固まってしまうので、深屈腱は拘縮し、CFを発症してしまいます(図2)。そのため、普段からこまめに歩様チェックを行い早期に痛みを取り除く事でCFの発症リスクを軽減することができます。

 次に症状について説明します。CF発症馬の蹄は、蹄尖壁は凹弯し、通常は蹄尖と蹄踵が等間隔である蹄輪が、蹄尖部が狭くなり、蹄踵部は広くなる不正蹄輪(蹄の年輪のような線が歪む)となります。発育期の若馬を手入れする時には、このような症状が出ていないかを十分に観察する必要があります。

クラブフットへの対応
 CFを発症してしまった時には獣医師・装蹄師と相談し、原因を取り除く必要があります。獣医師と相談し、歩様に違和感がある場合には運動を制限し鎮痛剤を使用し、痛みを取り除きます。また、筋肉の緊張が原因で発症するため、筋弛緩剤などの投与も有効です。
 装蹄療法としては、軽度な場合には蹄踵を多削し蹄の形状を整えますが、蹄踵が地面から浮いてしまっているような重度な症例では、蹄踵を多削してしまうと深屈腱の緊張が上昇し、蹄骨の牽引を助長してしまうため、蹄踵が地面に接地するまでは厚尾状のパット装着や充填剤によるヒールアップ(図3)を実施し深屈腱の緊張を緩和させる事が有効です。さらに重度な症例で装蹄療法だけでは治療が困難な場合には深屈腱支持靭帯の切除術を検討する必要があります。切除術を実施することで深屈腱の緊張が緩和され、CFの進行を抑制することができるため、競走馬として活躍するためには実施しなければならない症例もあります。

3_10 図3 充填剤(スーパーファスト)でヒールアップを実施した蹄

終わりに
 CFは競走馬としての将来を大きく左右する重要な蹄疾患です。発育期の若馬は特に蹄を注意深く観察し、その変化を早期に発見し素早く対応する事が求められます。そのため、発見した時にはすぐに獣医師・装蹄師に連絡を取り、早期に治療を行うことが最も重要です。

(日高育成牧場 業務課装蹄係 諫山太朗)

2019年11月29日 (金)

虚弱新生子馬NMSについて

No.118(2015年2月15日号)

 今年もいよいよ出産シーズンが到来しました。皆さんシーズン突入に向けて意識は切り替わっているでしょうか。分娩には不慮の事故も多いため牧場では神経を尖らせてしまいますが、後悔しないようしっかり準備をして備えたいものです。今号では前号の分娩予知に続き、生後間もない虚弱子馬について紹介いたします。

NMS?HIE?
 産まれた子馬が乳房に近づかず馬房内をグルグルと徘徊したり、壁を舐めまわしたりすることがあります。また、虚弱でなかなか立てず手厚い看護が必要な子馬もいます(図1)。この2つの症状は全く違ってみえますが、実は病態としては共通するものがあるのです。

1_12 図1 壁に頭をぶつける子馬(左)と手厚い看護を受ける子馬(右) COLOR ATLAS of Diseases and Disorders of the Foal (Siobhan Bら,2008)より

 これは獣医学的には新生子不適応症候群Neonatal Maladjustment Syndrome(以下NMS)、低酸素虚血性脳症Hypoxic Ischemic Encephalopathy(以下HIE)、周産期仮死症候群Perinatal Asphyxia Syndromeなどと呼ばれ、一般にはダミーフォール(Dummy Foals)、ライオン病(Barkers)などと呼ばれたりもします。子馬は娩出に伴って母馬の体内環境から外部環境へ体の仕組みを切り替えなければいけません。具体的には肺が空気を吸って機能し始めること、臍帯が閉じて腎臓の機能が高まること、消化管が機能すること、筋肉で体重を支えるようになることなどです。これらのスイッチの切り替えがうまくできず、外部環境に適応できない病態であるということからNMSと呼ばれます。一方、大きな問題として脳組織が低酸素により障害されることからHIEとも呼ばれます。詳細な病態が十分解明されていないこともあり、さまざまな呼び方が混在しているのですが臨床的には同じものを指します。本稿では国内でも昔から呼称されていたNMSと呼ぶことにします。

臨床上2つに分類される
 NMSは臨床上2つに分けることができます。1つは出生直後から異常を示す場合であり、もう1つは時間が経ってから異常を示す場合です。前者の場合は胎盤炎や未熟子、敗血症などのトラブル出産に併発するケースが多いと言われています。後者は出生時には問題なく起立、吸乳していたにもかかわらず、その後2日以内に発症します。時間をおいて発症する原因としては未熟子、横臥位、敗血症、貧血、肺の疾患、気道閉塞などが考えられていますが、残念ながらはっきりした原因が思い当たらないケースも多くあります。

症状
 NMSは脳組織が障害されることによって無目的歩行、吸乳反射の消失、異常発声、嗜眠、といった異常行動を示します。実際には、酸素欠乏だけではなくエネルギーの欠乏や血液の酸性化なども生じるため、脳だけではなく消化管や腎臓、肺といったあらゆる臓器が障害され、重症例では手厚い看病が必要となります。

治療
 軽症の場合の多くは特に何もしなくても良化しますが、重症例では早期の治療が重要となります。しかし、初期には軽症と重症の区別が困難であるため、軽症だからと決め付けずに疑わしい子馬には早期に対処することが重要です。牧場でまずできることは酸素を吸わせることです。体温を維持する機能が低いため保温も重要です。また肺や腎臓、消化器、筋肉などが障害された場合には呼吸や血圧の管理、栄養補給さらには脳浮腫や腎臓に対する治療のため獣医師による処置が必要となります。
 牧場では「乳を飲めば元気になるかもしれない」と母乳を搾乳して飲ませることがあります。母乳によるエネルギー給与が賦活剤として効果がある場合もありますが、重症例では消化管が十分に機能していないので、乳を飲ませることに固執せず、柔軟に他の対策に切り替えるべきです。早期に獣医師を呼ぶ決断をすることが救命率の向上と治療費用の抑制には重要と言われています。小規模の牧場では発生率の低い重症例を経験する機会は少なく、そのため「たぶん大丈夫だろう」と様子見してしまい初期治療が遅れてしまいがちです。では具体的にどういう状態で獣医師を呼べばいいのでしょうか?

APGERスコア
 4年前にAPGERスコアと呼ばれる子馬の評価方法が発表されました。これはAppearance(粘膜色)、Pulse(心拍数)、Grimace(反射)、Activity(筋緊張)、Respiration(呼吸数)をそれぞれ点数化し、その総計から重症、軽症、正常を判定するものです(表1)。特筆すべきは獣医師に頼らず誰でも、同じ目線で、数値化できることです。これを用いることで、重症例を経験したことがない人であっても「これはおかしい」と客観的に評価できますし、牧場でできる対処でスコアが改善しない場合には即座に獣医師を呼ぶ一助となります。
 実際スコアをつけてみると、大半が「正常」であるため、興味が薄れて投げ出してしまう方が多いようですが、万が一のために、スコア表を分娩室に常備しておくことをお奨めします。

2_10 表1 APGERスコア表。異常であれば低いスコアを示す。

 なぜNMSの多くは神経症状が一時的なのか?なぜ多くは特別な治療なしで回復するのか?なぜ多くの子馬は明らかな低酸素症状を示さずに悪化するのか?などNMSは未だに分からないことが多い疾病です。今日の獣医療をもってしても全ての子馬を救うことができるわけではありませんが、救える命を確実に救うためには、牧場現場における理解と判断が重要となります。

(日高育成牧場 生産育成研究室 主査  村瀬晴崇)

2019年11月27日 (水)

馬鼻肺炎の流産

No.117(2015年2月1日号)

 馬鼻肺炎ウイルスによる流産および生後直死は、1頭の子馬の被害に止まらず、複数頭に続発するケースが認められることから、生産牧場にとっては大きな被害を及ぼします。この原因ウイルスである「ウマヘルペスウイルス1型(以下EHV-1)」は、馬に一度感染すると、その体内に一生潜伏します。そして、何らかのタイミングで突然再活性化し、妊娠馬であれば流産を引き起こします。また、再活性化した馬は感染源となり、ウイルスを周囲の馬に拡散します。このことから、EHV-1は、撲滅が極めて困難なウイルスであると言われています。しかし、馬鼻肺炎に関する基礎知識を背景とした適切な飼養管理により、流産発生リスクを減らすことは可能だと考えられます。

 EHV-1とは?

 EHV-1は馬の流産原因の1割弱であることから、流産馬の10頭に1頭がこのウイルスの感染によるものと考えられます。その多くは、妊娠末期9ヶ月以降の流産、生後1~2日齢までの生後直死ですが、発症した母馬には発熱や鼻漏などの感染症状がない場合が多く、流産胎子は汚れや腐敗などがなく新鮮で、見た目が比較的きれいであることが特徴といえます。ただし、生後直死する子馬は、明らかに虚弱で元気がない様子が観察されます。

 これら以外の症状として、発熱や鼻漏、顎の下にあるリンパ節の腫脹などの風邪のような症状や、稀に起立不能や鼻曲がりといった神経症状を認めることがあります。しかし、EHV-1で注意が必要なのは、全く症状がないままウイルスを拡散させる馬がいることです。この場合には、飼養者の注意が行き届かないことが多く、感染拡大に繋がります。

 EHV-1の感染経路

 EHV-1の感染源となるのは「感染馬の鼻汁」および「流産時の羊水・後産・流産胎子」であり、これらに対して直接的および、間接的(人、鼻ねじなどを介して)に接触して馬が感染します(図1)。しかし、最も厄介なのは、馬自身の体内に潜伏しているEHV-1ウイルスの「再活性化」です。一度EHV-1に感染すると、生涯に亘って、その馬の体内(リンパ節や三叉神経節など)に潜伏すると言われており、体力低下、輸送、寒さなどのストレスが引きがねとなって、再活性化がおこります。これにより、潜伏部位から体内にEHV-1が拡散し、子宮内の胎子に到達した場合には流産を引き起こすことになります(図2)。EHV-1が再活性化した馬は、他の馬に対してもウイルスを拡散します。これらの馬からのEHV-1が若馬で初感染した場合、一度感染した経験をもつ馬よりも多くのウイルスを拡散させることが知られています。また、このような若馬はその後EHV-1を潜伏させて、再活性化のリスクを有した馬となります。このようなEHV-1のライフサイクル(図3)を考慮すると、冒頭でも述べたように、根絶が極めて困難なウイルスであることをご理解していただけるかと思います。

1_11 図1.EHV-1の感染経路

2_9 図2.EHV-1の潜伏場所および再活性化

3_9 図3.EHV-1のライフサイクル

EHV-1の予防法

 それでは、このような根絶困難なEHV-1に対して、我々はどのように感染リスクを減らすことができるのでしょうか?

「予防接種」

馬鼻肺炎のワクチン接種は極めて効果的な予防法です。もちろん、上記のようなウイルス特性から推察するに、接種による予防効果はパーフェクトではありませんが、妊娠末期の接種は、必要な予防措置と考えられます。また、妊娠馬のみならず、牧場で管理している他の同居馬(育成馬、空胎馬、乗馬、あて馬など)にも接種することで、牧場全体の馬のEHV-1の免疫を上昇させることは極めて有効です。

「妊娠馬の隔離」

 可能な限り妊娠馬は他の同居馬と隔離して飼養管理することが望ましいといえます。特に感染を経験していない若馬は、感染した場合に多くのウイルスを拡散させるため注意が必要です。このため、これらの馬は妊娠馬の近くでは管理しないこと、若馬を触った後は妊娠馬を触らないようにすること、触った場合の消毒・着替えが推奨されます。また、新たに入きゅうする上がり馬などは、輸送や環境変化のストレスにより再活性化しやすいため、妊娠馬の厩舎に入れることは推奨されません。しかし、やむを得ない場合は3週間程度の隔離を行い、感染徴候がないことを確認してから、同じ厩舎に入れる措置を取ったほうがよいでしょう。

「ストレスの軽減」

 再活性化を引き起こすストレスとしては、長距離輸送、手術、寒冷ストレス、放牧地や馬群の変更、過密放牧、低栄養などがあげられます。通常の飼養管理をするなかで、なるべくストレスを軽減するような管理方法を構築していく必要があるようです。

「消毒」

 妊娠馬の厩舎には踏み込み消毒槽の設置が重要です。消毒液としては、アンテックビルコンSやクレンテなどの塩素系消毒薬、パコマやクリアキルなどの逆性せっけんが有効です。しかし、いずれも低温では効果が低下するため、微温湯での希釈や屋内の温かい場所への設置など、水温低下を防ぐ措置が必要となります。また、消毒薬は、糞尿などの有機物の混入で効果が低下するため、頻繁な交換が推奨されます。また、野外や土間などには消石灰の散布が効果的ですが、塩素系消毒薬と混ざった場合、効果が減弱するため注意が必要です。

 発生時の対応

 それでは、実際にEHV-1による流産が発生した場合には、どのような対応が必要になるのでしょうか?

「消毒」

 馬鼻肺炎の流産の継続発生を防ぐためには、流産胎子や羊水、およびその母馬からの感染拡大防止が重要です。流産によって排出されたEHV-1は冬場の低温環境では2週間経過しても全体の約1/4が生存しますので、流産発生した場合には徹底的な消毒をしなくてはなりません。このため、流産が発生し、馬鼻肺炎が疑われる場合には、すみやかに胎子、寝藁、母馬、馬房を消毒します。この場合には、塩素系消毒剤のように金属腐食性がなく、生体にも比較的安全とされるパコマなどの逆性せっけんの使用が推奨されます。この場合にも微温湯で希釈した消毒液を大量に用いて徹底的に消毒します。

「隔離」

 流産をおこした母馬は、ウイルスの感染源となるので、他の妊娠馬への継続発生を防止するために、牧場内の他の厩舎へ隔離する必要があります。この際、他の馬がいる厩舎に隔離した場合、それらに感染し、牧場全体の被害を拡大させる可能性がありますので、出来るだけ単独隔離が可能な厩舎への移動が推奨されます。

 また、流産発生に備えて、消毒薬やバケツ・じょうろなどの必要品の準備に加えて、事前に母馬の隔離場所などを決めるなどの行動計画を作成し、厩舎スタッフで共有することも重要な感染拡大防止策であるといえます。

 (日高育成牧場 専門役 冨成雅尚)

2019年11月25日 (月)

馬の輸血とユニバーサルドナー

No.116(2015年1月1・15日合併号)

 人間の医療と同様に、馬においても輸血が必要となる症例が存在します。外傷などによる大量出血はもとより、子馬で発症する新生子溶血性貧血、さらには、血液中のタンパク質成分である免疫グロブリンの投与が必要となる移行免疫不全症、同じくタンパク質成分であるアルブミンが必要となるローソニア感染症などが主なものです。

全血輸血と血漿輸血
 馬医療では、主に「全血輸血」と「血漿輸血」の2つの方法が実施されています。前者は文字通り、血液の提供馬(以下ドナー)から採取した血液を、提供される馬(以下レシピエント)に全て投与するのに対し、後者は血液の細胞成分(赤血球、白血球、血小板)を取り除いて必要な成分(タンパク質など)を投与する方法です。このため、大量出血や新生子溶血性貧血など、主に赤血球を必要とする場合には前者を、免疫グロブリンを必要とする移行免疫不全症や、アルブミンを必要とするローソニア感染症の場合には後者を実施します。

輸血時の副作用
 人間の医療と同じく、馬の輸血においても副作用が認められることがあります。このため、どの馬の血液であっても、安全に輸血できるわけではありません。馬の輸血で認められる副作用として、ドナーから採取した赤血球もしくはレシピエントの赤血球が溶血(赤血球の膜が損傷を受けることによる破壊)する「溶血性反応」や、過呼吸、頻脈、発汗、蕁麻疹、筋肉の痙攣(けいれん)などの「アレルギー反応」などが認められます。
 このような副作用を防ぐためには、レシピエントに対する適切なドナーの選択にくわえ、輸血開始時には投与スピードを遅めに設定して、レシピエントの状態を詳細に観察しながら徐々に早めていくなどの慎重な投与が必要です。

溶血性反応
 「溶血性反応」がレシピエントの赤血球で起こった場合には、赤血球の損失により貧血などの病態が悪化します。つまり、大量出血や新生子溶血性貧血などの症例において、赤血球を必要として輸血したにもかかわらず、逆にもともとレシピエントの体内にあった赤血球が減らされてしまうのです。また、ドナーから採取した赤血球がレシピエントの体内で破壊された場合、必要量の赤血球を提供できないだけでなく、赤血球の破壊により、その構成成分であるヘモグロビンの代謝産物であるビリルビンが大量発生し、それによる腎不全などを発症する場合もあります。

馬の血液型
 ではなぜ溶血性反応を発症するのでしょうか?それは馬の血液型が関係しています。人間のABO式やRh式のような血液型のシステムが、馬では、A式、C式、D式、K式、P式、Q式およびU式の7つのシステムとして存在し、溶血性反応に関係があるものとして、A式とQ式が主に知られています。A式では、a型やab型など8種の血液型が存在し、Q式においても、a型やab型など8種の血液型が存在します(表1)。このため、人間で例えるなら、ABO式がAB型、Rh式が+(プラス)型の人がいるように、馬では、A式がa型で、Q式がa型の馬がいるということです。
 これらの血液型のなかで、溶血性反応に関係する血液型因子として、AaとQaの2種類が知られています(これら以外にもAb、Db、Dc、Dg、Pa、Uaなどが知られていますが極めて稀な例です)。

 たとえば、レシピエントの血液型がAa因子プラス(A式でのa型、ab型、abc型、ac型)であった場合、レシピエントの赤血球の表面にはAa抗原が存在します。これに対しドナー側の血液内にAa抗原に対する抗体を保有していた場合、ドナーのAa抗体がレシピエントのAa抗原に結合し、赤血球が溶血します(図1)。また、反対にドナーがAa抗原を持ち、レシピエントがAa抗体を保有していた場合にも同様に、投与した赤血球の表面上で抗体と抗原の結合がおこり、溶血に至ります(図2)。このため、ドナーの選択で重要な条件は、「Aa抗原およびQa抗原のいずれも持たない馬」および「Aa抗原およびQa抗原に対する抗体を保有していない馬」であることです。

1_10 表1.馬のA式およびQ式の国際最少標準検査項目に定められた血液型
(下線は溶血性反応に関係する血液型)

2_8 図1.ドナーにAa抗体、レシピエントにAa抗原を有する赤血球がある場合

3_8 図2.ドナーにAa抗原を有する赤血球、レシピエントにAa抗体がある場合

ユニバーサルドナー
 以上の2つの条件を満たす馬を一般的には「ユニバーサルドナー」(広く血液を供給できる者)と呼んでいます。本来であれば、Ab、Db、Dc、Dg、Pa、Uaなどの血液型抗原も有していないことが望ましいのですが、これらによる副作用が稀であることを考慮すると、少なくともAa抗原およびQa抗原のいずれも持たなければ、1つ目の条件を満たすことができます。しかし、サラブレッド種では、この条件を満たす馬は限られており、0.3%すなわち1,000頭に3頭の割合でしか存在しないと言われています。一方、ハフリンガー種は、約8割がこの条件を満たすことが知られているため、ドナーとして活用されています(図3)。

4_7 図3.ハフリンガー種のユニバーサルドナーからの採血

 2つ目の条件である「Aa抗原およびQa抗原に対する抗体を保有していない馬」については、基本的には「出産経験がある馬」および「過去に輸血を受けたことがある馬」が、これらの抗体を保有する可能性があることに加え、これらの経験がなくても、稀に体内に抗体を保有する馬が存在します。このため、ドナーとして選択する場合には、あらかじめこれらの抗体の有無を調べておく必要があります。
 ユニバーサルドナーではなくても、輸血前にドナーとレシピエントの血液を用いた「クロスマッチテスト」という検査をすることで、溶血性反応を起こさないドナーとレシピエントの組み合わせを確認することができます。しかし、通常の輸血は緊急を要する場面で必要となるため、この検査を行うことは現実的ではありません。このため、馬医療の現場においては、血液型と抗体に関する2つの条件を満たしているユニバーサルドナーを緊急時に備えておくことが推奨されており、現在、日高地区においても、いくつかの施設でユニバーサルドナーが繋養されています。
 原稿執筆にあたり貴重なご助言をいただきました、公益財団法人 競走馬理化学研究所の側原仁先生に深謝致します。

(日高育成牧場 専門役 冨成雅尚)

2019年11月22日 (金)

坂路調教が心肺機能に与える影響について

No.115(2014年12月15日号)

 ヨーロッパでは以前より自然の地形を利用した競走馬の坂路調教が一般的に行われていますが(写真1)、日本では1980年代に栗東トレーニングセンターに坂路コースが導入されてから、本格的な坂路調教が行われるようになりました。平成4年の2冠馬・ミホノブルボン号が、当時の栗東坂路コースでハードトレーニングされていたことをご記憶の方も多いと思います。『競走馬の坂路調教』という冊子(日本中央競馬会・事故防止委員会刊 http://www.equinst.go.jp/JP/arakaruto/siryou/j16.pdf)ではさまざまな坂路調教の効果が示されていますが、これまでの知見からその最も大きな効果は心肺機能への負荷が大きくなることだと考えられます。

1_8 写真1:アイルランドのバリードイル調教場

傾斜が競走馬の心肺機能に与える影響
 最初に、トレッドミルを用いて傾斜の影響を検討した研究を紹介します。この研究はサラブレッド5頭を用いて傾斜の異なるトレッドミル上(0, 3, 6, 10%)で運動させた時の反応を調べたもので(写真2)、心肺機能に関するさまざまな項目が報告(平賀ら、1995年「馬の科学」)されています。その中のいくつかを紹介すると、まず心拍数HR(図1)について、どの傾斜で走行した場合でも速度に比例して上昇しました。傾斜と心拍数との間にも比例関係が見られ、その増加はキャンター以上の速度で傾斜1%に付き4~6拍/分でした。また、これらのデータからV200値(心拍数200拍/分のときの速度、有酸素運動能力の指標、ハロンタイム換算)を算出し比較すると、傾斜1%に付きハロンタイムが0.9~1.4秒遅くなる、つまり傾斜3%の坂路では平坦な馬場と比較してハロンタイムで3~4秒遅い速度で心肺機能に同程度の負荷がかかることがわかりました。

2_7 写真2:トレッドミル走行試験の風景

3_7 図1:心拍数(HR)の変化

 次に酸素摂取量VO2(図2)について、これは運動中に身体に取り込んだ酸素の量を表しており、有酸素運動能力の指標として利用されています。酸素摂取量も心拍数と同様に、速度および傾斜に比例して増加しました。また、これらのデータから酸素使用量Oxygen Cost(図3:1m移動するために必要となる酸素の量、酸素摂取量÷走行速度)を計算してみると、こちらも傾斜の増大とともに大きくなり、その傾向は速度が遅いほど顕著でした。つまり、坂路では速歩や軽いキャンターでもある程度心肺機能に負荷がかけられることを示唆しています。

4_6 図2:酸素使用量(Oxygen Cost)の変化

5_6 図3:酸素摂取量(VO2)の変化

門別競馬場・調教用屋内坂路コースのデータ
 しかし、実際の競走馬の坂路調教は、傾斜の影響だけではなく馬場側(馬場形状・距離・素材・深さなど)の影響も受けます。したがって、傾斜がきつくても軽い馬場だと心肺機能への負荷はそれほど大きくなりません。今回は、昨年開設された門別競馬場・調教用屋内坂路コース(全長800m・ウッドチップ)のデータをご紹介します。道営所属競走馬4頭について、ダートまたは坂路で調教した際の調教中心拍数を測定し、前述のV200値を算出して比較しました。その結果、4頭の平均V200値はダートでF17.4秒、坂路でF20.2秒となり、ハロンタイムとして2.8秒の差がありました(図4)。この差は各馬場で調教する際に心肺機能にかかる負荷の差を表しており、つまり、坂路で調教を行う場合はダートよりハロン約3秒遅く走行して心肺機能への負荷が同じになると言えます。

6_2 図4:ダートと坂路のV200値の比較(ハロンタイム換算)

おわりに
 今回ご紹介した調教馬場の負担度の差は、調教中の心拍数や調教後の血中乳酸濃度などの運動生理学データにより調べることができます。これらのデータを測定する機会がありましたら、皆さんがお使いの調教馬場について心肺機能への負担度を調べてみてはいかがでしょうか?


(日高育成牧場 生産育成研究室 室長 羽田哲朗)