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2018年11月16日 (金)

育成後期トレーニングの原則

No.6 (2010年4月1日号)

 今回は馬の本性から考えられる育成後期のトレーニングの原則について紹介いたします。人間のアスリートがより高いトレーニング効果を得るための運動生理学上の理論として、以下の4つの原則があります。

1. 「過負荷」:日常の水準以上の負荷をかける
2. 「漸進性」:負荷は徐々に強めていく
3. 「反復性」:負荷はくり返し行う
4. 「個別性」:個々の体力、技術、性格に合わせて負荷をかける

 この4つの原則はサラブレッドの調教にもそのまま当てはまります。例えばオリンピック選手などは「栄誉(金メダル)」「社会的地位(引退後の身分保障)」「金銭(スポンサー収入)」などを得るため、人一倍のハングリー精神を発揮し自己のモチベーションを高め厳しいトレーニングに励みます。

 しかし、馬に金メダル獲得への動機付けを与えることは不可能です。皆さんは、そもそもサラブレッドは速く走ることを好む動物であると考えていませんか。競馬場では気持ちよさそうに疾走していますから・・・。ところが、馬とは「(生命維持のため)安心で快適な場所を求め、人間等からの指示や刺激がなければ元来無駄な動きをしたがらない」という本性を持っています。この本性は人類を含めすべての動物に共通するのかもしれません。しかし人類は自らの脳を使って思考する点が他の動物と大きく異なります。こうした馬の生物的な本質を理解したうえで、日々のトレーニングで負荷を高めていく必要がありますが、その最大のポイントは、「馬の精神面の管理(メンタルマネージメント)」です。ホースマンの金言に「馬をハッピーでフレッシュに保て!」というものがあります。筆者は初めてこの言葉にふれた時、非常に耳あたりが良いので当たり前のように受け流してしまいました。しかし、実際に馬の育成調教の現場に携わると、このハッピーでフレッシュという言葉の意味がずしりと重く肩にのしかかってくるのです。晴れて競走馬としてデビューすべく、日々のトレーニングで肉体的に鍛えられる馬達を、このような「ハッピーでフレッシュ」な精神状態に保てなければ、トレーニングをなかなか継続することは難しくなってしまうのです。馬のなかには、食欲が落ちたり、イライラしたりで、体が細くなってしまう馬もでてきます。

 さて、JRA日高育成牧場では、1歳馬の騎乗馴致ステージを終え、トレーニングステージに移行する2歳の年明けから、馬が「走らされたのではなく走ってしまったと感じる」調教をスタッフ全員のキーフレーズ(モットー)にして調教を進めていきます。これは、極力ムチや騎乗者の無理な体重移動によって、強制的に馬を動かすのではなく、「群れたがる習性」や「先行馬に追従する」馬本来の特性を利用し、結果として十分な運動をしてしまったという状況を作り出すことが鍵といえます。「運動と休息」のメリハリをつけ、調教後には褒美としてエサを与えます。

 調教コースや調教内容に変化をもたせ、馬を飽きさせないことも大事です。こうした工夫によって、毎日の調教が馬にとって「強制的な不快な運動」ではなく、「前向きで楽しいエクササイズ」になってほしいといろいろ取り組んでいるのです。

 調教を行う前提として、馬の体内には走るためのエネルギーと気持ちが蓄積されていることも重要です。朝、馬房から放牧地に放された馬が、気持ちよさそうにしばし駆け回るあの時の歓びの気持ちや心理状況をイメージすると、ある意味では「調教をやり過ぎない」ことも重要な視点です。筆者も鮨は大好物ですが、いくら美味しい鮨でも腹がはち切れるほど食べると、毎日は食べたくなくなります。いわゆる「腹八分目」の大切さです。筆者は競馬用語の「追いきり」という言葉にはどうも抵抗があります。今から20年ほど前、とあるアイルランドのホースマンが、ムチをバチバチ使い力強く手綱をしごく日本流の「追いきり」を見て、「もうこの馬の次走の好走はないね・・」とつぶやいたのが強く印象に残っています。「腹八分目」がどこなのか、これを見定めるのは非常に困難です。これは調教前後の馬の状態をよく観察することで見極めるしかありません。一方、「心拍数」「乳酸」を測定するなど、科学の目の活用も大切です。

 トレーニングそのものに、「意義や必要性」を感じることのできない馬達に、毎日の調教で気持ちよく前向きに走らせるためには、何より「ハッピーでフレッシュ」な気持ちの維持が不可欠なのです。

(日高育成牧場 副場長 坂本 浩治)

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現在は、1000m屋内坂路で週2回乗り込んでいる

安全な出産のために

No.5 (2010年3月15日号)

 馬の分娩対応をするにあたって念頭に置くべきことは、分娩が子馬を娩出させるためだけの作業ではなく、子馬を丈夫な馬として成長させるとともに、母馬が分娩後に順調に種付け準備ができるよう、安全な出産を目指すことが重要と考えられます。不必要な分娩介助はときとして難産の原因となることもあります。今回は、日高育成牧場で実践している分娩管理の方法を紹介します。


分娩前からの難産対策
 分娩前の適度な運動は難産を予防すると言われています。分娩前1ヶ月というと、2月あるいは3月分娩予定の馬では厳冬期にあたり、放牧地での運動量が低下します。これを補うのが引き運動やウォーキングマシンによる運動で、繁殖馬の負担とならない程度(だいたい時速4㎞で20分)で実施します。この際、高齢馬や蹄の異常を含む運動器疾患をもつ馬に対しては時間や速度を調整してください。


必要に応じた助産を心がける
 破水を認めたらまず、包帯などで母馬の尾を巻き束ねて介助の邪魔にならないように、可能な限り衛生的な分娩となるようにします。
 破水後、産道から半透明の膜に包まれた子馬の肢が見えてきます。このとき膜の色を確認してください。もし、膜内の羊水が濁っていたり血液が混じっているようであれば、助産による早目の娩出が必要となります。次に手や腕を消毒液で十分に洗浄し(あれば直腸検査用ビニール手袋を使用)、産道の中の子馬の体勢を確認してください。正常であれば蹄底が下向きの前肢2本と頭部が確認できるはずです。このような正常な分娩であった場合、余程のことがない限り助産は必要ありません。


助産が必要な状況とは
①子馬の命が危ないとき
 子馬の肢がでてきた際、赤い膜に包まれていれば緊急事態です。この現象は子宮と胎盤の早期剥離により臍の緒から子馬に酸素や栄養が送られなくなってしまう、つまり子馬は早く自分で呼吸をしなければならない状況です。ハサミで赤い膜の表面の白い星形部分を切り開き、羊膜を破り子馬の体勢を確認し、牽引します。
②難産の徴候があるとき
 子馬の産道内での体勢が前述した正常例と違う場合、子宮内に戻してやる必要があります。軽度であれば、母馬が寝起きや運動(引き馬でも可)を繰り返すことによって自然に直りますが、簡単に戻らない場合、人間が押し戻すことも必要です。それでも直らない場合は、獣医師に連絡し指示をあおいでください。手術が必要になることもあるので、いざというときの輸送手段を分娩シーズン前に確保しておくと良いでしょう。
③分娩時間の目安
 体勢に異常がなくても破水から40~50分経過しても子馬が娩出されない場合は、注意深く陣痛に合わせてゆっくりと子馬の前肢を牽引します。したがって、破水時刻を記録しておくことが重要です。


早すぎる不要な助産は難産の原因
 子馬を牽引する場合、牽引しすぎないよう注意します。強すぎる牽引、不要な牽引はときに体勢異常を悪化させたり後産停滞や子宮へのダメージの原因となり、産後の受胎の障害となりうるので、気をつけましょう。


子馬が産道から完全に出る前に
 母馬が横臥していよいよ産道から子馬が娩出されます。このとき、頭や前半身の膜を除去し後肢が臍の緒とともに産道内に残るようにするとよいでしょう。これは臍帯や胎盤内の血液が臍を通じて子馬の中に戻ることが子馬の出生直後の活性(元気、健康)につながるからであり、少なくとも5分程度はこの状態を維持するのが理想です(図参照)。自力分娩で疲労した母馬はすぐには起立しませんが、起立して臍の緒が切れてしまうのはやむをえません。


子馬が出てきたら
 まず、子馬の自力呼吸を確認してください。臍の緒が切れたら子馬の臍の消毒を数回します。臍の緒が切れてから全身をタオルで必要に応じて拭きます。厳冬期には急いでください。声をかけながら耳の中、腹部、股間、肛門、下肢部まで馴致を意識して行います。この間、母馬にも子馬を舐め愛撫させて生んだことを自覚させると良いでしょう。


母馬が起立したら
 母馬の起立後は、後産停滞を防ぐため、産道から垂れ下がる後産(羊膜・臍の緒・胎盤の塊)を紐などで束ねて地面をひきずったり踏んだりしないよう、まとめて縛ります。胎盤が排出されたらまず広げて、すべて出てきているか形状を確認し、重さを測定します。通常は5~10kgと幅があります。分娩後6時間以内に胎盤が排出されない場合は獣医師に相談してください。疝痛症状が認められることがありますが、腸の捻転や変位を起こしている可能性もあるので注意深く観察して、痛みが激しい場合は獣医師を呼んでください。また分娩直後に限らず何日間かはエンドトキシン・ショックの他、子宮動脈破裂や子宮穿孔を原因として循環障害を起こす可能性もあるので母馬の結膜や蹄の温度の変化に注意してください。


子馬が起立したら
 自然分娩では、子馬の起立時間が早まることが判明しています。初乳の吸引、胎便の排泄を確認し、自力吸乳から30分経過しても胎便排泄が確認できなければ浣腸をします。子馬の便が黄色くなってからも硬い胎便が混ざっているようでしたら、再度浣腸をかけてください。


おわりに
 日高育成牧場では、数年前から今回書いたことを実践し可能な限り自然分娩となるよう心がけています。みなさんも子馬を丈夫な馬として成長させる、自然で安全な分娩を実践しみてはいかがでしょうか。

(日高育成牧場 生産育成研究室 琴寄 泰光)

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分娩時期の予測と初乳の質の推定方法

No.4 (2010年3月1日号)

 昨年末からの世界的な異常気象の影響により、英国では競馬開催の中止が相次いでいますが、日高育成牧場のある浦河町西舎でも、今冬は例年と比較して多くの積雪を認めています。そのような中、当場でも2月の中旬に、本年最初の子馬が誕生しています。


 さて、生産地では出産と交配が重なる1年で最も忙しい時期を迎えています。サラブレッドの出産は、交配から受胎を経て、適切な栄養管理など細心の注意を払ってきた1年間の集大成であり、さらに、生まれてくる子馬は“高額な商品”であるために、ほとんどの牧場では人的な分娩介助を行っています。そのために、分娩が近づくと、徹夜での監視が一般的となっていますが、1頭の出産に対して1週間以上もの夜間監視が必要となることも珍しくなく、その労力とストレスは多大なものとなっています。


 馬の妊娠期間は平均335日といわれていますが、個体差が大きく、320~360日が正常範囲と考えられているために、交配日から算定した分娩予定日はあくまでも目安としかなりません。また、胎子の成熟は分娩の2~3日前になってはじめて完了するといわれており、胎子が成熟するこの2~3日前に起こる兆候を把握することが、精度の高い分娩予知につながると考えられています。


 牧場では繁殖牝馬ごとの過去の分娩前兆候の履歴を参考としながら、分娩予定日の2週間前から注意深く観察し、分娩時期を推定するのが一般的です。主な分娩前兆候を以下に記します。①乳房の成熟(腫脹)、②漏乳(分娩に先立っての泌乳)、③臀部の平坦化、④外陰門部の弛緩、⑤体温の低下(通常は朝よりも夕方の体温の方が高い)。その他、機器等を必要とし、獣医師によって行われる分娩時期を推定する検査には、血清中プロジェステロン濃度の測定、乳汁カルシウム濃度の測定、子宮頸管の軟化の確認などがあります。これらの分娩時期の推定方法のなかでも客観的かつ比較的信頼度が高いといわれている方法は、乳汁カルシウム濃度の測定です。この方法は、海外では一般的に普及しており、複数の簡易キットも市販されています。しかし、日本ではこの簡易キットは販売されていません。


 現在、日高育成牧場では、これらの方法以外による分娩時期の推定方法について検討しています。その中でも牧場現場での応用が期待できるものは、市販のpH試験紙(6.2~7.6の範囲の測定が可能なpH-BTB試験紙)による乳汁のpH値、および糖度計による乳汁のBrix値を指標とする方法です。乳汁pH値は出産前10日以前には7.6以上を示していましたが、出産が近づくにつれ低下し、6.4に達してからは24~36時間で出産する確率が80%となりました。一方、乳汁Brix値は出産前10日以前には10%以下を示していましたが、出産が近づくにつれ上昇し、20%に達してからは36~48時間で出産する確率が87%となりました。いずれの方法も乳汁カルシウム濃度による推定方法と同等の精度という結果になりました。さらに両測定法とも約30秒で測定が可能であり、経費も非常に安価であるために、牧場現場での応用が期待できる方法であることが示唆されました。


 また、糖度計によるBrix値は初乳中の移行免疫(IgG)濃度を推定する指標としても使用されています。この場合には、Brix値が25%を超えていると良質の初乳、20%を超えていると概ね良質の初乳、そして15%未満の場合には不良初乳と推定されます。出産直後の初乳を測定するだけではなく、出産前から乳汁を測定することによって、前述のように分娩時期の推定以外に、初乳の質もある程度予測することが可能となります。胎盤を介して移行免疫を取り入れ、出生前から免疫を獲得しているヒトと異なり、馬は母乳を介して移行免疫を取り入れるため、初乳の質が低ければ、感染症を発症する可能性が高くなります。特に分娩2~3日前から漏乳を認めるような場合には、出産直後のBrix値が低下し、初乳の質が低いことが多いので、出産前に初乳の質を把握することによって、冷凍初乳の準備など早めの対応が可能となります。最後に、このように色々な情報を提供してくれる母乳ですが、採乳を嫌う馬もいるので、採乳時には細心の注意が必要であることを付け加えておきます。


(日高育成牧場 専門役  頃末 憲治)

Photo_2 初乳、分娩3日前、分娩10日前の乳汁の色調とpH試験紙の色調の変化

2018年11月15日 (木)

サラブレッドと光の話

No.3(2010年2月15日号)

明るい時間と繁殖生理
 馬の生産地ではお産のピークを迎えようとしています。もともと馬を含め自然界の野生動物、野鳥は、十分に餌を食すことができる温暖な季節である春に子供を生むと、もっとも安全に子孫を残すことができることを知っています。近年の競走馬生産では、市場価格や早期育成に有利と考えられる1,2月の早生まれ生産を行う傾向にありますが、自然状態で飼育すると、多くの馬は5月以降に分娩します。それではなぜ、馬は春に子供を産むような仕組みになっているのでしょうか?そのヒントが光にあります。
 馬は「長日性季節繁殖動物」に属し、春になると発情する動物です。これと反対に、エゾシカやヒツジ、ヤギは「短日性季節繁殖動物」であり、秋になると発情します。妊娠期間が約半年の動物は、短日性の動物であることが多いものです。いずれの動物に共通することは、春に分娩するように発情する季節を調節している点にあります。北海道では、冬至のころの明るい時間が9時間、夏至のころのそれが15時間近くありますので、春先に起こる昼間時間の急激な延長を、目からの光刺激として受け入れ、「視床下部」という神経器官からのホルモン分泌を促進することにより、雌も雄も繁殖や免疫機能に重要な役割りを果たすホルモンを「下垂体」から分泌することが知られています。北半球では、馬の生殖機能がもっとも活発になるのは、夏至を中心とする5-7月ごろであるといわれます。したがって、約11ヶ月の妊娠期間を持つ馬は、翌年の4-6月に子馬を産む確率が高くなるわけです。

繁殖管理に使用するライトコントロール
 競走馬生産では、「ライトコントロール」という方法を用いて、人工的に早生まれ生産を行っています。専門用語では、長日処理、光線処理と呼ばれています。北海道のような極端な寒冷地においても、非妊娠の繁殖雌馬に対してライトコントロールを行なうと、2月下旬までに70%、3月下旬までに90%が初回排卵を開始し、その後の発情周期に大きな乱れは認められず、受胎率も高いことが判明しています。一般に繁殖シーズンの早期には、持続性発情、いわゆる「だらブケ」という状態に陥り、あて馬による判断が難しくなり、獣医師サイドの排卵予知診断にも狂いが生じやすいものです。ライトコントロールを実施して繁殖シーズン初回の排卵を早め、1回目の発情を見送り、2回目、3回目の安定した発情において計画的に交配することにより、持続性発情に惑わされることなく、効率的な繁殖管理が可能となります。それゆえに、大規模経営者ばかりでなく、中小の生産牧場にも、安価で効果的なライトコントロール法の導入をお勧めいたします。以下にライトコントロールの方法を示します。

 12月20日(冬至付近)から、昼14.5時間、夜9.5時間の環境を作成。一般的な飼養環境においては、たとえば朝5時半から朝7時30分頃まで馬房内で点灯し、昼間は扉を開けるなど適当な明るさが確保できるように管理し、続いて収牧後夜20時まで点灯する。照明は60-100ワットの白色電球を馬房の中央天井付近、または高さ2.5-3.0m付近に設置。蛍光灯でも全く問題ない。点灯、消灯はタイマーで作動させ開始終了時間を正確にする(時間がずれると効果がない)。24時間照明すると逆効果となり、一定時間の「夜」が必要である。ボディコンディションスコアとして6.0前後に維持されていると効果的である。早期に受胎したとしても、ライトコントロールにより黄体機能が賦活化されるため、妊娠維持に効果がある。3月下旬まで継続すべきである。

馬鹿にできない日々の光
 JRA日高育成牧場では、2歳育成馬に対するライトコントロールを実施しています。これにより、精巣や卵巣から分泌されるステロイドホルモンの血中濃度が有意に上昇し、臀部脂肪厚から計算式によって得られる総筋肉量の値や骨形成マーカーの値が対象群と比較して上昇しました。また、「プロラクチン」というホルモンも上昇し、これが冬から春への換毛を促進し、免疫機能を高めることも知られています。繁殖期は、子孫を繁栄させるための大切な期間ですので、光という季節変化を目からキャッチして、代謝量や運動量を変化させる作用が備わっていることが示唆されています。ライトコントロールによる最近の研究結果から、昼間時間の長さは、馬の繁殖機能ばかりでなく、脂肪代謝や被毛量、さらには運動量にも影響を与えることが示唆されてきました。馬が厳しい冬を無理なく過ごすための知恵が、昼間時間の長さの中に隠されていることに驚きを感じています。

(日高育成牧場 研究役 南保泰雄)

Photo_7 ライトコントロールによるホルモンの分泌と作用

繁殖牝馬の分娩前の栄養管理

No.2 (2010年2月1日号) 

はじめに
 新年を迎え、そろそろ生産牧場関係者にとって、気をもむ季節がやってきたのではないでしょうか?「欠点が無く、すばらしい」子馬が誕生することを誰もが夢見つつ、一方では不安を抱えながら、繋養馬の管理をされていることと思います。ちょうど繁殖牝馬の多くが妊娠後期(分娩予定日までの3ヶ月間)を迎えている頃でもありますので、今回は繁殖牝馬の妊娠後期の栄養管理上注意すべきことについて紹介したいと思います。

適正なボディコンディション維持
 ボディコンディションスコア(BCS)は馬のコンディション(脂肪のつき具合)を指数化したもので、9段階のスコアがあります。近年の報告からBCSと繁殖機能(あるいは成績)とは密接な関係があることが明らかとなっています。すなわち、良好なBCSにある繁殖牝馬は、性ホルモンのサイクルも良好で受胎率も良いが、BCSが低い繁殖牝馬では芳しくない繁殖成績しか得ることはできません。授乳前期(分娩後3ヶ月間)にBCSが5.0(普通)以下となってしまった場合、適正なBCSに上昇させるのは、なかなか困難です。分娩後は、分娩前と比べてBCSは0.5程度低下するので、妊娠後期の時期から繁殖牝馬のBCSは最低でも5.5以上、理想的には6.0(少し肉付きが良い)程度になるよう馬体をコントロールすることが望まれます。

エネルギー摂取
 胎子は妊娠後期3カ月で急激に成長します。このため、時を同じくして、繁殖牝馬の栄養要求量は増えることになります。このとき可消化エネルギー(DE)の要求量は25Mcal(体重640kgの繁殖牝馬の場合)となり、この時期の1歳馬のDE要求量より40~50%増加します。DE要求量の増大から、濃厚飼料給与割合が高くなりがちですが、消化器疾患(疝痛や胃潰瘍等)発症リスク軽減のためには、少なくとも粗飼料給与量は総飼料給与量の半分以上となることを心がける必要があります。また、近年の研究から、易消化性炭水化物を多く含む穀類(エンバク等)の多給による弊害(インスリン感受性の低下等)が指摘されているため、エネルギー源としてその他の飼料原料(植物油やビートパルプ)を併用したり、繊維質が高い配合飼料を効果的に使用したりすることが推奨されます。加えて、植物油や繊維質(粗飼料やビートパルプ等)主体の飼料を給与した場合、穀類主体と比較し、乳中のリノール酸が高まることが報告されています。リノール酸は子馬の胃潰瘍発症リスクの低減や受動免疫を高めると考えられています。

ミネラルの補給
 妊娠後期はエネルギー給与ばかりに意識を捉われるのではなく、胎子の正常な骨格形成を主眼とした繁殖牝馬の飼養管理を心がける必要があります。この時期は骨を形成するカルシウムばかりでなく、銅、亜鉛、マンガンなど軟骨・骨代謝に関わる微量元素の重要性が高まります。銅の摂取不足は高齢馬の分娩時子宮動脈破裂の一因になりうるとの報告もあります。また、セレンはビタミンEとともに、筋肉の正常性維持や免疫に関わる微量元素であり、子馬の白筋症予防のためにも補給は必要です。さらに、近年の研究からセレンの摂取不足は、初乳中免疫グロブリン量や胎盤機能の低下を引き起こすことが明らかとなりました。すなわち、妊娠後期の繁殖牝馬のセレン不足は、結果として、虚弱な体質の子馬の誕生につながるといえます。一般的な飼料原料(エンバク、粗飼料等)だけではミネラルは不足してしまいますので、ミネラルが強化された配合飼料あるいはサプリメントの給与が必要です。

日高育成牧場における実践例
 日高育成牧場では毎週の体重ならびにBCS測定をして、ボディコンディションのチェックを行ったうえ、個体に合わせた飼料給与表をもとに栄養管理を行っています(群管理ではなく個体管理)。良質な粗飼料給与を主体として、ミネラル・ビタミンが適正に調整されている配合飼料を用いながら、シンプルな飼料給与設計をしています。分娩前は胎子が大きくなるにつれて、腸管が圧迫され、飼料摂取量が低下することがあります。この場合、植物油をうまく使いながら、トータルのDE摂取量は維持しつつ、穀類給与量を減らすことで対応しています。また、適正なBCSの維持、運動不足解消のために、ウォーキングマシーンを使ってストレスとならない程度の保護運動(時速4km、20分間)を実施しています。

(文責 井上喜信)

Bcs6図1)繁殖牝馬の理想的なBCS(=6.0)

Fig2_4 図2)胎子は分娩前3か月で急速に成長する

日高育成牧場「強い馬づくり」情報

No.1 (2010年1月1・15日合併号)

日高育成牧場「強い馬づくり」情報

 今回より、本紙面をお借りして、日高育成牧場から「強い馬づくり」情報を連載させていただくことになりました。生産から育成に関するさまざまな「強い馬づくり」のための技術や話題を、時節に合わせて紹介していきたいと思っていますので、よろしくお付合い願います。今回は初回ということもあり、日高育成牧場における「強い馬づくり」の過去と未来について紹介したいと思います。
日高で抽選馬の育成が開始されたのは昭和27年で、当時は農林省日高種畜牧場に業務委託して行なわれていました。その後、昭和32年に札幌競馬場日高分場として育成業務を引き継ぎ、日高育成牧場として札幌競馬場から独立した事業所となったのは昭和40年でした。当初、日高育成牧場における育成業務は競走馬の資源確保を最大の目的として行なってきましたが、競走馬の生産から育成にいたる過程の変化と民間育成場の増加に伴い、現在の日高育成牧場の業務目的は「強い馬づくり」のための技術開発とその普及にシフトしてきました。


 今でこそ当たり前に聞かれるこの「強い馬づくり」というスローガンは、わが国の競走馬の資質を世界水準に高めるための方策を検討するため、昭和54年に設置された「馬事振興研究会」の答申の中で始めて使われました。海外の育成技術を習得するために海外競馬先進国へ研修生を2年単位で送り込み、ヨーロッパやアメリカ、オセアニアにおける育成技術を抽選馬の育成に応用、検証、普及する研修制度が始まったのもその頃からです。当時はまだ未熟だった育成馬の初期馴致や日常の飼養管理方法の改良、進化に大きな影響を与えてきたことは言うまでもありません。また、競走馬総合研究所においても、昭和54年から「競走馬の育成技術の向上に関する調査研究」なるプロジェクト研究が、日高、宮崎の両育成牧場との共同で始まりました。その後も数期にわたってこのプロジェクト研究は続きますが、若馬の体力に及ぼす昼夜放牧と追い運動の違いや発育段階に応じた化骨標準像、スピード調教の開始時期や若馬への坂路調教の効果などさまざまな研究が行なわれ、これまで経験と勘に頼られてきた育成管理に科学的指標を導入することの重要性を浸透させました。


 生産地疾病等調査研究が開始されたのも昭和50年代後半からでした。この調査研究では感染症の疫学調査、土壌と牧草の成分調査、子馬の呼吸器や運動器疾患と飼養環境に関する実態調査などが生産地の獣医師と共同で行なわれ、現在は早期流産予防に関する調査研究が精力的に実施されています。これらの成果は、生産地の防疫と飼養環境と技術の改善に大きな役割りを果たし、今後も期待されるところです。


 この間、こうした調査研究をより効率的に実施し、その成果を効果的に普及すべく日高育成牧場に生産育成研究室が新設(平成10年)され、生産育成に関する実践的な調査研究を行なう体制が整備されました。さらに、初期から後期にいたる一貫した育成のなかで、わが国に適した「世界に通用する強い馬づくり」の技術開発と検証、普及を実践するため、日高育成牧場自らが競走馬を生産することを昨年より開始しました。


 こうしたさまざまな調査研究活動の中で得られた成果は、各種の研修会講習会、ホームページで紹介するとともに、冊子やパンフレットにまとめ配付しています。最近の生産育成を取り巻く環境のせいか、このような技術普及の機会への参加者数は増加し、また参加者の方々の真剣さが以前より増しているような印象を受けます。このような反応は、私たちの活動を激励し、さらに役立つ情報をスピード感を持って伝えなければならないと叱咤するものであるように感じます。


 一方、平成17年度から始まり本年3月で区切りを向える競走馬生産振興事業においても、さまざまな側面から支援をしてまいりました。幸い、競走馬生産振興事業はさらに3年間の延長が見込まれており、その中では指導研修事業のさらなる充実が計画されているようです。こうした事業で得られる成果を活用し、本事業において日本軽種馬協会静内種馬場内に設置された軽種馬生産技術総合研修センターが益々機能を発揮できるよう、今後も鋭意努力していきたいと考えています。近い将来、研修センター機能についても、この紙面で紹介できる日を楽しみにしています。

それでは、次回からの「強い馬づくり」情報にご期待ください。

(文責:朝井 洋)

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写真1) 降雪後も昼夜放牧を継続している当歳馬たち

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写真2) JRA育成牧場で実践している育成方法を紹介する「管理指針」