2021年1月25日 (月)

米国における1歳馬のセールス・プレップ

今回は米国における1歳馬の飼養管理について紹介します。わが国では主に育成牧場でセリに向けての準備(セールス・プレップ)が行われていますが、ケンタッキーでは生産牧場でセールス・プレップが行われていました。

 

セリに上場する馬としない馬の違い

ケンタッキーにはライムストーンと呼ばれる石灰岩の層の上にアルカリ性の土壌が広がっており、ケンタッキーブルーグラスを中心とした青草から天然のミネラル分が補給される恵まれた環境にあります。また、新潟市と同じくらいの緯度にあり、夏は暑過ぎず冬は寒過ぎない快適な気候を有しています。ですので、セリに上場しない馬は悪天候時などの例外を除き、基本的には24時間放牧が行われており、馬体のチェックを兼ねて朝夕2回放牧地で飼付されます。一方、1歳セリは7~10月の夏季に開催されるため、24時間放牧しているとたてがみや体毛が日焼けしてしまいます(図1)。これは馬の成長には全く影響しませんが見栄えが悪くなるため、セリに上場する馬は昼間の日光の強い時間を馬房内で過ごして、夜間放牧(19時から翌朝7時まで)されています(図2)。

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図1.セリに上場しない馬は24時間放牧され日焼けしている

 

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図2.セリに上場する馬は日焼けを防ぐため夜間放牧に切り替えられる

 

放牧地

セリに上場しない馬は20エーカー(約8ヘクタール)程度の大きな放牧地に集団で放牧します。一方、セリに上場する馬は、牝馬に関しては放牧時間が短縮(24時間から12時間)されるだけで、同じく大きな放牧地に集団で放牧されます。牡馬に関しては、ケンカして咬みつくなどして外傷を負う恐れがあるため、1頭ずつ小パドックに放牧します。放牧地の広さを決める際の目安に“1 acre, 1 horse(ワンエーカー、ワンホース)”という言葉が使われています。これは馬1頭当たり1エーカー(約0.4ヘクタール)以上の広さが必要という意味です。

 

飼料

 セリに上場する馬は、BCSの調整のため馬房内で個別に濃厚飼料が与えられます。私が研修したダービーダンファームでは、大粒のペレットが1日2回与えられていました。1回の量は太っている馬で1.5kg、痩せている馬で2.0kgでした。ダービーダンファームは“Honesty(正直、誠実)”をスローガンにしており、BCSが5.0前後の自然な馬体を目指していました。

 

ウォーキングマシンの使い方

セリに上場する1歳馬の管理は、ウォーキングマシンを使った運動および馬体洗浄をする日と、後述するグルーミングをする日に一日おきに分かれています。

ウォーキングマシンによる運動は、常歩のストライドを伸ばしてセリの下見時に活発な印象を与えることを目的として行われています。具体的には、常歩ではついて行けず半分程度は速歩になってしまう速度でウォーキングマシンを回して、徐々に馬が体の使い方を覚えて大きく常歩で歩けるようになったらさらに速度を上げる方法を繰り返します。理想を言えば人が引いて馬の常歩の速度をコントロールするのがベストでしょうが、少ない人手で活発に歩ける馬を作るのには有効な方法だと感じました。

 

グルーミング(手入れ)

ウォーキングマシンによる運動が行われない日は、念入りなグルーミング(手入れ)が行われます。中でも最も熱心に行われていたのが、ゴムブラシで全身を強く擦ることで、古い体毛をできるだけ抜き、皮膚の血行を促します。最初の1週間は変化に気づかないレベルでしたが、2~3週間続けていると明らかに新陳代謝が良くなり、自然な艶が出てきます。そのほか、セリの直前にはトリミングを行い、たてがみをきれいに整え、耳毛や距毛を短くカットします。

 

 

 

JRA日高育成牧場業務課診療防疫係長 遠藤祥郎

妊娠のメカニズム(後半)

 前稿では、交配から受精、卵割、妊娠鑑定、妊娠認識といったイベントを解説しました。本稿ではその後のイベントを順に解説していきます。

 

固着と着床、胚と胎子

 「固着fixation」は排卵16日目頃に起こるウマ特有現象で、胚胞が子宮と接着することを指します。双子が隣接して固着した場合には一方のみを処置することが難しいため、固着する前に双胎の確認をしなくてはなりません。一般の哺乳類では、胚胞と子宮が接着するとすぐに着床implantationが起こります。着床とは胎子側の組織と母体側の組織(子宮)が互いに反応して胎盤形成を開始することを意味しますが、ウマでは着床に先駆けて固着が起こるため、着床は排卵後40日頃と遅いのが特徴です。この母子の組織的な交わりを境に、胚embryoは胎子fetusと呼ばれるようになります。つまり、40日齢までが胚であり、それまでに消失するものが胚死滅と言われます。

 

子宮内膜杯・二次黄体

 着床が起こると、胎子組織の一部が子宮組織に入り込み子宮内膜杯endometrium cupを形成します。この子宮内膜杯がeCGというホルモンを分泌し、卵巣に二次黄体の形成を促します。この頃には一次黄体が退行しかかっていますので、二次黄体の形成は黄体ホルモンのブースト作用として妊娠に必須な現象です。胚死滅予防のため黄体ホルモン剤を投与する場合には、この二次黄体が形成されるタイミング(6-7週目)が投与終了の一つの目安となります(図1)。子宮内膜杯はもう一つ臨床上重要な意味があります。一旦子宮内膜杯が形成されると、仮に胎子が死亡してしまった場合にも子宮内膜杯が遺残し、eCGを分泌し続けるため発情が回帰しません。同シーズン中に再交配できないことから、通常の妊娠確認は6週目の胚死滅が起こらなかったことをもって検査終了されます。7週目移行は安定期だから検査しないわけではないことにご留意下さい。

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図1 妊娠馬の血中プロゲステロン濃度の推移

 

胎盤形成

 胎盤placentaはあらゆる胎生哺乳類において形成され、基本的な機能は共通するものの、その形態は動物種によってかなり異なります。例えば、ヒトの胎盤は文字通り盤状をしていますが、イヌ・ネコでは帯状、ウシでは丘阜状、そしてウマは散在性と言われています(図2)。散在性胎盤の組織構造は母子血管の距離が離れているためガス・栄養交換の効率が悪いのですが、子宮全体に広く広がることで効率の悪さを補っています。また、子宮上皮細胞層が残っていることは分娩時子宮の損傷が小さいことを意味し、分娩後わずか10日で迎える初回発情での受胎性に貢献しています。

 ウマの胎盤は妊娠維持自体にも大きく寄与しています。前述の通り、黄体ホルモンは一次黄体から二次黄体に引き継がれますが、その後分泌源はさらに胎盤に移行します(図1)。胎盤由来の黄体ホルモン類(厳密には黄体ホルモンそのものではない)が子宮平滑筋を弛緩させる一方頸管をギュッと閉じ、妊娠維持に寄与します。

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図2 動物種による胎盤の違い

 

前置胎盤?早期胎盤剥離?

 これまで述べてきたように、ウマとヒトでは妊娠メカニズムが異なります。これを踏まえない誤解の例を一つお示しします。分娩時のレッドバックは前置胎盤や早期胎盤剥離と呼ばれてきました。しかし、これらはいずれもヒト産科で用いられている用語であり、必ずしも適当な訳語ではありません。前置胎盤とは厚い盤状胎盤が子宮口に形成されたため、正常な破水・娩出が起こらず問題となります。しかし、そもそもウマ胎盤は子宮口を含む子宮全体に裏打ちされていますので、同一の病態でないことは明らかです(図3)。ヒトの胎盤早期剥離は分娩予定日よりも早期に胎盤が剥がれることを指しますが、レッドバックの起こる時期は基本的に予定日前後です。英語でpremature placental separationと言うこともあるため必ずしも誤訳とは言えませんが、ヒト医療で言われているソウハクとは明らかに異なる病態です。レッドバックの実態は、胎盤炎によって肥厚した胎盤が破れずに娩出されることと言われており、残念ながらこれに合致するヒト医療用語はありません。筆者個人の考えですが、無理にヒト用語を当てはめるとかえって混乱を招きかねませんので、この例では「レッドバック」と言うのが適当ではないでしょうか。

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図3 ヒトとウマの胎盤の違い

   

日高育成牧場生産育成研究室 村瀬晴崇

妊娠のメカニズム(前半)

「交配翌日に子宮洗浄して大丈夫なの?」「ウマの妊娠の安定期は?」といった疑問を抱いたことはないでしょうか?本稿、次稿と2回に分けてウマの妊娠メカニズムを簡単に解説いたします。哺乳類は全て妊娠、出産、哺乳しますが、種によって異なる点も多くあります。獣医師の処置を理解したり、より良い繁殖管理について考察したりするためには、ウマ特有の妊娠メカニズムを十分理解する必要があります。

 

交配・射精

1回の発情に1回しか交配機会のないサラブレッド種において、交配は排卵に先駆けて行われます。一般に卵の寿命は12時間と精子の48時間より短いため、あらかじめ精子が卵管内(受精の場)で卵の到着を待つタイミングを狙います。また、ウマの交配では、陰茎が子宮頚管を通り、子宮内に直接射精されます。1回の精液量は30~100mlほどで、その中に1~10億ほどの精子が含まれています。射出された精液は子宮平滑筋の運動により子宮内で攪拌され、4時間後には受精するために十分な精子が卵管内に入ります。そのため交配6時間後以降に子宮洗浄やオキシトシン投与をしても受胎性に問題はありません。

 

受精

卵管内に入った精子は自らの遊泳運動によって卵管内を上って行きます。一方、排卵された卵は卵管を下っていき、両者は卵管膨大部で受精します。受精卵は2細胞、4細胞、8細胞、桑実胚、胚盤胞と順に細胞分裂(卵割と言います)しながら、約1週間かけて卵管を下ります(図1)。ここで、しばしば卵管閉塞が問題となります。卵管腔は垢や細胞屑、炎症の影響などで塞がる場合があり、このような場合には極小さな精子は通過できるものの、直径0.5mmほどにもなる胚盤胞は通過できないことが起こりえます。このような卵管閉塞には卵管疎通試験が有用です。これは子宮内視鏡で卵管口にカテーテルをあて、水を通すことで通過障害があるか確認すると同時に塞栓している場合には治療にもなります。もし該当しそうな繋養馬がいましたら、獣医師にご相談下さい。

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図1 卵管内における卵割の様子

 

妊娠鑑定

胚盤胞は受精後10日目前後に卵管から子宮腔に入ります。この頃にはエコー検査で確認できますが、直径わずか2~4mm程度ととても小さく見落としやすいこと、正確な受精時間は分からないことなどから通常は十分余裕をもって交配14日以降に鑑定されます。この時期、エコーで描出されるものは「胚胞embryonic vesicle」と言い、鶏卵に例えると黄身の部分になります(白身に該当する部分はありません)。3週目になるとエコー上でも「胚embryo」が識別できるようになり、その後も週齢に応じた典型的なエコー像を示します(図2)。もし、胚胞のエコー像が週齢より遅れている場合には、すでに死滅しているかもしれません。胚胞を確認するだけでなく、心拍を確認することが重要です。

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図2 妊娠初期の胚胞エコー像

 

妊娠認識

通常、排卵からおよそ14日後に子宮体からPGF2αというホルモンが分泌され、その作用により黄体が退行します。一方、子宮が妊娠したと判断した場合(妊娠認識と言います)には、PGF2αが分泌されないため、黄体退行が起こらず、妊娠が継続されます。興味深いことに、この妊娠認識シグナルは動物種によって異なります。ウマのシグナル物質は未だに分かっていませんが、胚胞が子宮内を遊走することが関与していると言われています。この胚胞の遊走は胚胞が蛋白質の殻で覆われているからこそできるウマ特有の現象です。子宮内膜シストが問題となるのはこの場面で、この胚胞の遊走がシストによって阻害されると妊娠認識が起こらず、不受胎になると考えられています。

  

日高育成牧場生産育成研究室 村瀬晴崇

ケンタッキーの馬産

私はJRAの海外生産育成調教実践研修の研修生として2015年6月から2017年2月までの1年9ヶ月間米国ケンタッキー州およびフロリダ州でサラブレッド競走馬のマネジメントを学んできました。誌面をお借りしてその内容をご紹介したいと思います。まず今回は米国ケンタッキー州での馬産についてお話します。

 

・最大の馬産地ケンタッキー

米国では毎年約2万頭のサラブレッドが生産されていますが、中でもケンタッキー州は最大の馬産地であり、約12,000頭が生産されています。この地にはライムストーンと呼ばれる石灰岩の地層が存在し、土壌中にカルシウム分が供給され、牧草中のミネラル分が豊富になり、馬の骨が丈夫になると言われています。また、ケンタッキーブルーグラスという馬の放牧地に適した牧草が自生していたことも有名です(図1)。さらに、夏は暑くなり過ぎず、冬は寒くなり過ぎない、馬に適した気候となっています。

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図1.ケンタッキーブルーグラスが中心の放牧地

 

・馬産全体の違い

 日本の生産牧場では牧場が繁殖牝馬を所有する自己所有馬の割合が多いのに対し、米国では馬主が生産牧場に預託料を支払って繁殖牝馬を預ける預託馬の割合が多かったです。私が研修したダービーダンファームでは、約8割の馬が預託馬でした。また、日本の生産牧場では採草地を有し、そこで作った自家製の乾草を馬の食用に使用しているのが一般的ですが、米国では採草地がなく牧場の土地を目一杯使って広い放牧地として利用し、そこで作られた乾草は食用としては使用せず敷料として使用し、麦稈代を節約していました。また、日本の牧場の従業員はほとんどが日本人ですが、米国ではヒスパニックと呼ばれる中南米からの移民がほとんどでした。

 

・繁殖牝馬の飼養管理の違い

分娩前の管理について、日本では分娩前にウォーキングマシンもしくは引き馬による運動を課す牧場が多いのに対し、米国ではそのような特別な運動は課されていませんでした。また、近年日本では分娩時に子馬を引っ張らない“自然分娩”が普及しつつありますが、米国では子馬を引っ張りかつ母馬に鎮痛剤を投与するなど、積極的な分娩介助がなされていました。ヒトの医療で出産する際に“無痛分娩”が普及していることが背景にあるのではないかと考えられました。種付けの際には、日本では牧場のスタッフが母子両方を馬運車に載せて種馬場まで連れて行くのが一般的であるのに対し、米国では牧場のスタッフは立ち会わず、輸送業者が種馬場まで母馬を連れて行く、その際子馬は馬房内に置いて行くというスタイルが普及していました。そのほか、日本では陰部のコンフォメーションが悪い場合など必要な馬のみ陰部縫合いわゆるキャスリックが行われていますが、米国では伝統的に牝馬全頭に対し陰部縫合が行われていました。

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図2.積極的な分娩介助

 

当歳馬の飼養管理の違い

 米国では免疫を高めるため子馬に血漿製剤を、牧場によっては全頭に対し出生翌日に投与していました。この血漿製剤は日本では市販されていないものです。また、日本の日高地方では、特に1~2月は寒いので子馬に馬服を着せるのが一般的で、牧場によってはインドアパドックが利用されていますが、ケンタッキーでは暖かいので子馬に馬服を着せる必要がありませんでした。同様の理由で、日本では2ヵ月齢前後まで大きくなってから、親子での昼夜放牧が開始されるのが一般的ですが、ケンタッキーでは2週齢前後から早くも昼夜放牧が開始されていました。さらに、親子を一人で引く方法が日本と米国では異なり、日本では人が真ん中になり、子馬が右、母馬が左という引き方が一般的ですが、米国では人が1番左に位置し、子馬が真ん中、母馬が右という引き方をしていました。

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図3.新生子馬に対する血漿製剤の投与

 

JRA日高育成牧場業務課診療防疫係長 遠藤祥郎

馬の歯牙疾患に関する講習会について

はじめに

2017年12月、日本軽種馬協会軽種馬生産技術総合研修センターにおいて、American School of Equine DentistryのDr. Raymond Q. Hydeを講師に招き、馬の歯牙疾患に関する講習会が開催されました。今回はその内容の一部をご紹介します。

 

歯周病について

歯周病はウマの歯を失う原因の第1位です。歯周病は歯垢・食渣が蓄積することで、その部分に細菌感染が起こり、歯肉炎や歯周組織へのダメージがある状態です。歯周病のグレードは以下に記述する通り、0~4までの5段階に分類することができます。

ステージ0は健康な状態であり、ステージ1は歯肉炎が起こっている状態です。ステージ2では歯肉の炎症が拡大して歯周靭帯の25%までが消失し、歯が1~3mm程度動揺してしまう状態です。ステージ3になると25~50%の歯周靭帯が消失し、歯の動揺が3mm以上になり、歯周ポケットの形成などが認められます。さらにステージ4では、歯周靭帯の50%以上が消失し、歯周ポケットの拡大と歯根膜の破壊や膿瘍形成が起こっている状態です(写真1・2)。Hyde講師によると、歯の動揺が3mm以上である場合、治療を行っても完全に回復することは期待できないため、抜歯を実施するとのことでした(写真3)。

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写真1 歯周病のステージ分類

赤い点線が歯周靭帯、黄色が歯周ポケットや膿瘍を示している

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写真2 歯周病のステージと歯の動揺の関係

3mm以上の動揺があると、抜歯すべき状態である

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写真3 重度の歯肉炎・歯周病発症馬

ステージ4で、抜歯が必要な状態

 

診察するポイント

まずは口や鼻からの臭いはないか、噛んでいた餌を落とすか等の症状をチェックします。馬の様子や口腔内の状態は、目と指でしっかり確認することが大事です。歯間への食渣は歯周病のサインなので決して見逃さず、周囲の歯が動揺しないかも手で確認します。また、診断にはレントゲン検査も有用であり、気付かなかった歯周の隙間などを見つけることができます。さらに口腔内の見えにくい部分には、内視鏡などを使用して隅々まで観察します。

 

歯周病の治療

 咬合不整(噛み合わせが悪い)の馬は、咀嚼不足や歯周の隙間を作りやすいため、歯周病の原因となる歯垢・食渣が蓄積しやすい状態にあります。歯周病の発症や進行を防ぐため、フローティング(整歯処置)を実施します。また、歯周病と副鼻腔炎は関連があると言われています。上顎臼歯が歯周病により蓄膿している場合、その炎症が上顎洞に波及し歯源性上顎洞炎になることがあります。副鼻腔炎が疑われる場合には、上顎臼歯の歯根部のレントゲン写真も確認することが大事です。

前述の通り、歯周病の多くは歯周に蓄積した食渣などに細菌感染が起こるのが原因です。その細菌感染にはトレポネーマなど主にグラム陰性菌や嫌気性細菌が原因となるため、治療薬としてはメトロニダゾールが有効です。それ以外の抗生剤については、ST合剤(スルファメトキサゾール/トリメトプリム)、テトラサイクリン系(ドキシサイクリンなど)、セファロスポリン、ペニシリン系(アモキシリンなど)を使用します。さらに、歯肉炎のコントロールには希釈した消毒薬のクロルヘキシジンによる歯磨きや口腔内洗浄が非常に有効です。時には飼料や飲み水への添加も実施します。

 ステージ3以上の歯周病の治療では、抜歯を実施します。ほとんどの場合は抜歯後の歯肉は肉芽組織で塞がります。しかし長期間穴が開いている状態の場合には、あえて傷つけることで炎症を起こし肉芽増生を促します。また、食渣が蓄積しないよう、充填剤を使用し隙間を埋めることも合わせて行います。(写真4)

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写真4 抜歯後の充填剤(矢印)

 

おわりに

 馬の歯牙疾患についての本講習会では、非常に多くの獣医師が集まりました(写真5)。これは歯牙疾患や処置について、非常に関心が高いことを表しています。歯の健康は馬体の健康につながるので、日常の管理から飼養者や獣医師が歯の状態を把握し、適切な処置を行っていくことが重要だと、改めて考えるきっかけになりました。

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写真5 内視鏡を用いたフローティング(整歯処置)の解説風景

日高育成牧場業務課(現・馬事部生産育成対策室) 水上寛健

活性酸素と抗酸化物質(ビタミンE)

はじめに

健康のために適度な運動は欠かせませんが、いかなる運動も健康に有用かと問われると、そうではありません。例えば、トップクラスのアスリートが日々おこなうトレーニングにより、体は鍛えられますが、けっして彼らが健康な状態にあるとはいえません。世界の舞台で活躍するようなアスリートは、一般人に比べて短命であるという少しショッキングな調査報告もされています。アスリートのストイックな鍛錬は、生体にとって少なからず有害な影響をもたらします。

 

活性酸素とは?

 酸素分子は、2個の電子が隣り合った“電子対”という物質が原子の周りに付着した構造をしています(図1)。この電子対は電子がペア―になっている状態では安定していますが、1個の電子が離れてしまうと、酸素分子が非常に不安定な状態になり、活性酸素と呼ばれる異なる性質の物質に変わってしまいます。活性酸素は、例えば、生体内の細胞膜を構成する脂質の電子を奪い、安定な状態に戻ろうとします。その脂質は細胞膜の強度を保つ役割していますが、電子を奪われる(酸化される)ことにより本来の機能を失い、細胞膜は壊れやすくなります。

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図1 活性酸素

酸素分子は酸素原子が2個と、そこに電子が対になった電子対が7個付いた構造となっている。電子は対になった状態では安定しており、酸素分子自体も安定している。しかし、電子対から電子が一つ離れると不対電子となり、これによって酸素分子が不安定な活性酸素に変化する。

活性酸素により生体内の物質が酸化される様は、“活性酸素による体のサビ”と比喩することができます。このように活性酸素は生体内の組織を酸化させ、それらの健常な機能を奪ってしまいます。運動の負荷が大きいほど細胞は多くの酸素を必要とするため、体内に取り込まれる酸素の量も多くなります。活性酸素の源となる酸素が多く体内に入ってくれば、当然、活性酸素の発生量も多くなり、体もサビやすくなるわけです。過剰に活性酸素が生成され過ぎるのを防ぐため、活性酸素を無害化させる酵素も体内で作られますが、高強度の運動をおこなう場合、活性酸素の生成は酵素の作用を上回ってしまいます。

 

活性酸素から体の酸化を守ってくれる抗酸化物質

 生体内で分泌される酵素以外に、飼料やサプリメントから摂取できるビタミンE・ビタミンC・アスタキサンチン・コエンザイムQ10・リコピン・セレン・銅・亜鉛も活性酸素に対して抗酸化能力があります。

強い運動負荷時において、馬は体重100kg当たり200mgのビタミンEが必要とされています。競走馬や高強度の運動が負荷される後期育成馬にみられるタイイングアップ症候群(スクミ)は、筋細胞膜が活性酸素に酸化されることが発症の要因の一つになっています。ビタミンEの給与量が必要量を下回る場合、スクミ発症のリスクは高まると考えられますが、必要量以上のビタミンEの補給がその予防に効果があるのかはよく分かっていません。

 

ビタミンEの補給とDNA酸化の予防

活性酸素は、細胞膜以外にDNAを酸化し、DNAの持つ情報を変化させてしますことがあります。変異されたDNA情報を持った細胞が増殖していくと生物の健康は損なわれてしまいます。ガン化細胞の増殖などはその顕著な例ですが、そのように間違った細胞の増殖を極力抑えるため、生命における防御システムとして変異した細胞が自殺する『アポ―トーシス』という現象がみられます。このアポトーシスの発生量で、活性酸素によってDNAがどの程度酸化されかを推測することができます。エンデュランス競技の3週前より、馬にビタミンEを体重100kg当たり約1,000mg給与したとき、ビタミンEを補給していない馬(対照群)に比べて、競技開始から定めたポイントで細胞中のアポトーシス発生割合は明らかに少なくなっていました(図2)。この結果は、活性酸素の有害性がビタミンEによって消されたことで、DNAの酸化が少なかったことによると考えられています。この量は必要量の5倍にもなりますが、これだけのビタミンEを運動中の馬に給与すべきなのかについては明言を避けたいと考えています。対照群の馬に給与されていたビタミンEが約30mg(体重100kg当たり)と必要量より大幅に少なかったこともありますが、アポトーシス発生に現れる運動中のDNAの酸化は、避けるべき現象なのか、それとも鍛えられる過程においては必要なプロセスなのかを一概に判断できないためです。今回は、ビタミンEという物質が、生体内の酸化ストレスに極めて大きな影響があることを紹介するに留めておきたいと思います。

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図2 ビタミンEの補給が運動時の細胞内アポトーシス発生に及ぼす影響

緑色で示したビタミンEを常時補給されている馬のエンデュランス競技中の白血球細胞内におけるDNA酸化の指標となるアポトーシスの発生割合は、緑色のビタミンE非投与馬(対照群)に比べて明らかに多かった。

 

おわりに

活性酸素が体をサビさせる有害な物質であることは間違いありません。運動などの外的な環境変化によって過剰に発生する活性酸素に対して、生体組織の防衛のため、生体は抗酸化酵素の活性を高めるなど生理的に適応していくとされています。もう一歩踏み込んで考えると、運動によって活性酸素が多量に発生することは避けられませんが、体内で生成する酵素で無害化できるように適応していくことも、トレーニングのひとつであるというとらえ方もできるのではないでしょうか。近年、ヒトの抗酸化作用のサプリメントの多用が、活性酸素に対する本来の無害化能力を弱め、将来的に健康を害する危険があるという報告がなされています。強い運動が負荷されるサラブレッドについても、適材適所での抗酸化物質を補給する有用性は否定できませんが、いたずらにサプリメントのみに頼らず、活性酸素に抗い適応させていくという観点も同時に必要なのかもしれないと私は考えています。

 

 Oxidative Medicine and Cellular Longevity Volume 2012

C.A. Williams et. al.

 

 日高育成牧場生産育成研究室 主任研究役 松井 朗

食道閉塞(のどつまり)

食道「閉塞(へいそく)」?「梗塞(こうそく)」?

食道閉塞は、食道が食塊や異物によりふさがってしまう病気で、よく「のどつまり」といわれています。古くから「食道梗塞」という病名が慣例的に使われていますが、本来「梗塞」とは脳梗塞など血液循環障害により生じる虚血性壊死のことをいいます。ですので、「のどつまり」のような病気に用いるのは本来ふさわしくありません。そのため、本稿では海外でも使用されている「食道閉塞(esophageal obstruction)」という病名を用いています。

 

診断と治療

流涎(よだれを垂れ流す)、水および摂食物の逆流、咳などが特徴的な症状です(図1)。診断はこれらの症状、経鼻食道(鼻から食道への)カテーテルの挿入、内視鏡検査により行われます。内視鏡検査では閉塞物、閉塞部位および食道内の異常を確認することができます(図2)。多くは内科療法により治癒可能で、経鼻食道カテーテルを用いて食道に適量の水を注入したり、頚をマッサージしたりして、閉塞物を外側から揉みほぐすことで閉塞の解除を促します。また、内視鏡専用の鉗子を用いて閉塞物をほぐすこともあります。これらの治療を行う際は、鎮静剤の投与により馬の頭を下げさせ、誤嚥を防ぐことが重要です。鎮静剤にはその他に食道の収縮を軽減させる効果もあります。外科療法としては食道切開術がありますが、様々な合併症(食道の裂開・狭窄、電解質平衡異常、頚動脈破裂など)を引き起こす可能性があり、対象は内科療法を繰り返しても良化しない症例に限られます。

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閉塞物除去後の管理

食道閉塞は閉塞物除去後の管理が非常に重要で、それが適切に行われないと再発を繰り返し、死に至る可能性もあります。管理手順について図3にまとめました。閉塞すると閉塞物により食道粘膜の損傷が生じ、狭窄を伴うことがあります(図2)。すぐに通常の給餌を行うと再発のリスクが高くなるため、粘膜の損傷が良化するまで流動食(水分を多く含んだ軟らかい飼料)を与えます。牧草(切り草やキューブを含む)は再発の原因となるため、食道粘膜の修復期間中は与えるべきではありません。また、敷料(麦稈やシェービング)を食したことにより再発するケースも多くありますので、注意が必要です。再発すると食道粘膜の状態を悪化させるため、再び絶食からやり直しとなります。再発を繰り返すと治療期間が長引くだけでなく、食道が正常に機能しなくなり予後不良と診断されることもあります。そうならないためにも内視鏡検査を定期的に行い、食道粘膜の修復(7~21日かかるとされる)を確認してから通常の給餌を再開します。

 

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重要な合併症:誤嚥性肺炎

誤嚥性肺炎は、食道閉塞時に食道から逆流した飼料や唾液が気管内に流入することで生じます(図4)。発症から解除後数時間以内では、多くの馬の気管内に中等度から重度の汚染が生じています。このような状態は誤嚥性肺炎を引き起こすリスクが高くなります。また、肺炎の発症と気管内の汚染度合いとは相関がないという報告もあるので、たとえ診察時に気管内の汚染が軽度であっても油断してはいけません。以上のことから軽種馬育成調教センター(BTC)では多くの場合、誤嚥性肺炎の予防的措置として抗菌薬を投与しています。

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予防

不十分な咀嚼は食道閉塞の発症リスクを高めます。定期的に歯科検診を実施し、馬がしっかりと咀嚼できる状態をキープしてあげましょう。早食いの馬も発症しやすいと考えられるので、そのような馬に対しては一度に多量の飼料を与えるのではなく、なるべく小分けにして与えるようにしましょう。飼葉桶に障害物(大きな石など)を入れておいたり、乾草ネットを使用したりすることも有効です。

 

最後に

先にも述べましたが、食道閉塞は重篤化すると命にかかわる疾患です。しかし、その認識は薄く軽視されがちなのか何度か再発を繰り返してから、診療を依頼されることがあります。今回の記事により一人でも多くの方が食道閉塞の理解を深めるとともに、治療や管理の一助にしていただければ幸いです。

軽種馬育成調教センター軽種馬診療所 日高修平

後期育成馬における深管骨瘤

【はじめに】

深管骨瘤は、様々な用途の馬で跛行を引き起こす原因として古くから知られており、競走前の後期育成馬においても発生の多い疾患の一つです。その病態は名前の通り、管近位後面の深部(図1)に骨瘤を形成する疾患とされています。この部位は周囲を副管骨、浅屈腱、深屈腱、深屈腱の支持靭帯および繋靭帯といった構造物に囲まれた深い場所に位置します。そのことから、患部の熱感、腫脹、触診痛といった症状が表在化しづらい傾向があります。それゆえ、最初に観察される症状が跛行であることがほとんどで、跛行以外の症状が認められないことも珍しくありません。跛行の程度は速歩でしか認められない軽度なものから、常歩ではっきりと観察されるような重度のものまで様々です。

1_9 図1.深管骨瘤が発生する管近位後面


 

【深管骨瘤の病態】

深管骨瘤は大きく二つの病態に分けられます。一つは繋靭帯と管骨の付着部で起こる靭帯付着部症で、もう一つは繋靭帯と関係なく骨単独で起こるストレス骨折です。

靭帯付着部症は、繰り返しの運動負荷により管骨が繋靭帯に引っ張られることで、その付着部である管骨近位後面で傷害が起こります。損傷の程度や発症年齢により骨膜炎、剥離骨折、繋靭帯炎などを発症します。後期育成馬のような若い馬では、骨膜炎や剥離骨折が多くみられます(図2)。その一方、競走馬や乗用馬などのより高齢の馬において発生が多いとされる付着部近くでの繋靭帯炎はあまりみられません。これには年齢の若い育成馬特有の理由があります。腱や靭帯といった組織は年齢とともに強度や弾力性が低下しますが、年齢の若い育成期では柔軟性に富み、高い強度を持っています。それに対して、成長期の骨は軟骨部分が多く未熟であり、腱や靭帯と比較して強度が低いことから、強い負荷がかかった際には物理的な強度の低い靭帯付着部の骨に傷害が起こりやすいのです。そのため、繋靭帯炎は少なく、骨膜炎や剥離骨折の発症が多いと考えられています。

2_8 図2.管骨近位後面のレントゲン画像(左:骨膜炎、右:剥離骨折)

ストレス骨折についても、繰り返しの運動負荷が原因で起こります。管骨の近位後面に圧縮力がかかることで発症するとされており、重度の症例では同部の皮質骨(骨の表面にある硬い部分)に骨折線が観察され、その周囲では骨硬化像(骨が硬くなりレントゲン検査でより白く映る)が認められます(図3)。

3_8 図3.ストレス骨折を発生した管骨近位後面のレントゲン画像
 

【難しい診断】

深管骨瘤は周囲を様々な構造物に囲まれていることから症状が表在化しづらく、診断することが難しい疾患です。触診では異常が確認されないケースでも、診断的麻酔法(患部に分布する神経やその患部へ直接局所麻酔薬を注入することで、跛行の原因箇所を特定する診断方法)を実施することで本疾患が判明することも珍しくありません。触診で問題がなかったとしても、跛行の原因の一つとして除外せずに考えておく必要があります。

 

【予後】

後期育成馬における深管骨瘤の予後は、その症状に応じてしっかりとした休養、リハビリ期間を設けられれば、運動を再開して競走馬デビューすることは難しくありません。しかし、休養やリハビリが適正でなかった場合、運動により再発を繰り返し難治化する恐れもあるため、発症後の管理には十分な注意が必要です。

軽種馬育成調教センター軽種馬診療所 安藤邦英

乳酸を利用した育成トレーニングの評価 ②

 今回は、育成馬における血中乳酸値の応用方法を紹介します。

 

乳酸値の測定方法

 筋肉内で産生された乳酸は“モノカルボン酸輸送担体”の作用により血流に入るので、血液中の乳酸値を測定すれば筋肉でどれぐらい乳酸が産生されたかを評価することができます。測定には専用の機器が必要で、以前は100万円以上する高価なものでしたが、近年は比較的安価でポータブルな機器が利用されています(写真1)。この機器は、毎回センサーチップを交換する必要がありますが、先端にわずかな血液を付着すれば10数秒で乳酸値を測定できるので、調教現場でも利用できる便利なものです。このような乳酸測定器は、現在多くのスポーツ現場や競走馬調教で利用されています。

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写真1 乳酸測定器と測定方法

 A:ポータブル乳酸測定器(アークレイ社製・ラクテートプロ2)とセンサーチップ、B:走行直後の採血、C:チップの先端にわずかな血液を付着するだけで測定可能(Aの機器では0.01ml)。

血中乳酸値の評価法-運動負荷

 前回紹介したように糖質のエネルギー代謝には解糖系と酸化系があり、運動強度が弱いと両者がバランスよく働き、乳酸はほとんど産生されません。しかし、運動強度が強くなると解糖系の方が多く働いて乳酸が産生され、血中乳酸値が上昇します(図1)。この上昇は運動強度に応じて大きくなるため、乳酸値を見れば馬にどれくらい負荷をかけることができたかを評価することができます。ここで一つの基準となるのが“乳酸蓄積開始点(OBLA)”です。OBLAは血中乳酸値が4mmol/Lになる運動強度を表しており、この辺りから血中乳酸値が上昇し始めることから、人や馬で無酸素性運動の基準強度として利用されています。

 

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図1 調教時の運動強度と必要なエネルギー量・血中乳酸値との関係

 運動強度に比例して必要なエネルギー量が増加し、ある強度以上になると血中乳酸値が上昇する。OBLAは乳酸が上昇し始める運動強度を表している。血中乳酸値の評価法-運動能力

 次に、JRA育成馬で測定したデータから運動能力の評価法を考えてみましょう。図2は、屋内1000m坂路調教後に測定した血中乳酸値と3ハロンの平均速度との関係を示しています。この図を見ると、概ね速度に比例して乳酸値が上昇していることがわかります。この関係を利用して標準直線(回帰直線)を引き、それを基準に評価することで乳酸が産生されやすいかどうか、つまり馬の有酸素性運動能力が高いか低いかを評価することができます。図2を見ると、Horse Aはほとんどの点が直線より下、Horse Bは逆に直線より上にあり、Horse Cは多少ばらつきがあるものの直線近くにあることが分かります。これらのデータから、Horse Aは有酸素性運動能力が高いため乳酸の産生が少なく、Horse C-Horse Bの順に能力が低いと評価できます。このように、乳酸値と速度との関係から得られた標準直線を利用することで、育成馬の有酸素性運動能力を評価することができます。

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図2 屋内1000m坂路走行後の血中乳酸値と走行速度との関係

 JRA育成馬で坂路走行1~2分後に採血を行い、ラクテートプロ2で乳酸値を測定。

 

血中乳酸値で競走能力を評価できるのか?

 有酸素性運動能力は競走馬にとって重要な能力の一つであるため、血中乳酸値は競走能力の一部を反映していると言えます。一方、図2のHorse A-CはすべてJRA2歳戦の勝馬で、Horse Aのような乳酸値が低い馬が勝ち上がるのは理解できますが、Horse Bのような乳酸値が高い馬が勝つことができたのはなぜでしょうか?それには、馬の体質が関係していると考えられます。Horse Aはスマートな馬でしたが、Horse Bはがっちりした体格をしていました。筋肉量が多いと瞬発力には優れているものの、多くの乳酸が産生されやすいため、長距離よりは短距離向きだと考えられます。実際、Horse Aは1800m戦、Horse Bは1000m戦で勝利しており、Horse Cがその中間1400m戦の勝ち馬であることもこの考えを証明しています。これらのことから、血中乳酸値は馬の有酸素性運動能力だけではなく、距離適性とも関連があるのかもしれません。また、育成馬の場合はその後の成長が競走能力に影響を与えるので、その点も考慮する必要があるでしょう。

 

乳酸値の測定で注意すべきこと

 乳酸値は便利な運動指標ですが、測定時に注意すべき点がいくつかあります。その一つが調教メニューです。調教馬場や距離が変われば筋肉への負荷が変わるので血中乳酸値が変わり、ウォームアップもエネルギー代謝に影響を与えるため値が変動する可能性があります。したがって、乳酸値を利用する場合は基本的に同じ馬場・同じパターンで調教することが重要です。もう一つは採血のタイミングです。図3はトレッドミル上で1000m走を行ったときの血中乳酸値の変化を表しています。乳酸値が10mmol/Lを超える運動を行った場合は5分後まで高値で維持されますが、3~6mmol/Lの場合は1分以内に最大値になり10分後には最大値の1/2以下まで低下します。したがって、この影響を小さくするためには、調教終了後できるだけ早く毎回同じタイミングで採血することが重要です。また、採血管を利用する場合は、採血管内での糖質代謝を防ぐためフッ化ナトリウム入り採血管の使用をお勧めします。

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図3 調教後の血中乳酸値の変化

 サラブレッド実験馬を用い、傾斜7%のトレッドミルにおいて3段階の速度で1000m走(網掛け部)を実施し、その後の15分間常歩運動を行った。

 

最後に

 乳酸は、採血が必要で注意事項が多いことから難しそうに感じますが、坂路調教など一定距離の調教時に利用すれば非常に便利な指標です。興味がある育成関係者は、一度乳酸測定にチャレンジしてはいかがでしょうか?乳酸のことをより詳しく知りたい方は、東京大学・八田秀雄教授の著書で勉強されることをお勧めします。

 

 

日高育成牧場・生産育成研究室 室長 羽田哲朗(現・美浦トレーニングセンター 主任臨床獣医役)

乳酸を利用した育成トレーニングの評価 ①

 馬関係者であれば一度は“乳酸”という言葉を耳にしたことがあると思います。『運動すると体の中で溜まるもの』とか『疲労物質?』などとお考えの方が多いのではないでしょうか。今回は、乳酸とは何か?どのように作られるのか?を解説し、日高育成牧場で測定したデータを見ながら育成調教への応用方法を紹介します。

 

筋肉のエネルギー源

 筋肉のエネルギー源は?と考えると“炭水化物”や“脂肪”をイメージするかと思いますが、実際には“アデノシン3リン酸(ATP)”という分子です。ATPは、遺伝子の元となるアデノシンにリン酸基が3つ繋がった構造をしています(図1)。筋肉収縮のメカニズムは、3つのリン酸基のうち一番外側にある1つが外れたときに大きなエネルギーが発生し、それを利用して筋肉が収縮します。このATPのエネルギーは全ての真核生物で利用されており、“筋肉を動かすこと”は“ATPを作り出すこと”と言い換えることができます。

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図1 アデノシン三リン酸(ATP)のエネルギー利用

 ATPがADP(アデノシン二リン酸)とリン酸基に分解されると、7.3kcal/molのエネルギーが発生する。動物はこのエネルギーを利用して筋肉を収縮し、心臓を動かし、脳を活動させている。

 

解糖系と酸化系

 エネルギー分子である“ATP”を作り出す過程のことを“エネルギー代謝”と言います。その経路はいくつかありますが、運動時に最も重要なのが“解糖系”と“酸化系”です(図2)。解糖系とはその名の通り糖質(炭水化物)を分解する経路で、酸化系は分解した糖質を酸化(酸素をつけること)して二酸化炭素と水に分解する経路です。糖質の代表格であるブドウ糖を例に説明すると、ブドウ糖は筋細胞内でいくつかの酵素の力で2つの“ピルビン酸”に分解されATPが2分子産生されます。この過程が解糖系で、酸素を使わないでATPを産生するので別名“無酸素性エネルギー代謝”と呼ばれます。次に、解糖系で産生されたピルビン酸は筋細胞内のミトコンドリアという器官に入り、酸素を使いながら“TCA回路”と“電子伝達系”で分解され36分子のATPが産生されます。この過程が酸化系で、必ず酸素が利用されるので別名“有酸素性エネルギー代謝”と呼ばれます。解糖系と酸化系がバランスよく機能すれば1つのブドウ糖から多くのATPが産生されるので、効率的に筋肉を動かすことができます。

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図2 解糖系と酸化系

 解糖系は糖質を2分子のピルビン酸に分解する過程を、酸化系はミトコンドリア内で酸素を利用しながらピルビン酸を二酸化炭素と水に分解する過程を表している。

 

乳酸って何?

 軽運動時には、ブドウ糖が完全に分解されるので筋細胞内にピルビン酸が溜まることはありません(図3-A)。しかし、常に解糖系と酸化系のバランスよく働くとは限らず、強運動時には解糖系の方が多く働き産生されたピルビン酸を酸化系で分解しきれないことがあります。この時、余ったピルビン酸をLDHという酵素の力で変換し産生されるものが“乳酸”です(図3-B)。

 ここまでの説明からすると乳酸はブドウ糖の燃えカスのように思えますが、実際には糖質の一種です。分子式を見ると乳酸(C3H6O3)はブドウ糖(C6H12O6)が半分になったような構造をしており、運動が終了すればピルビン酸に戻り酸化系でATP産生に利用されます。(図3-C)。したがって、乳酸はブドウ糖の燃えカスや疲労物質ではなく、エネルギー源の一つであると言えます。

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図3 筋細胞における乳酸の産生と利用

 軽い運動では解糖系と酸化系のバランスが取れているので乳酸はほとんど産生されない(A)。しかし、激しい運動を行うと解糖系で多くのピルビン酸が産生され、酸化系で処理できなくなるため乳酸に変換され筋肉内に蓄積する(B)。運動が終了すると乳酸は再びピルビン酸に戻り、解糖系でATP産生に利用される(C)。

 

なぜ乳酸が溜まると疲労するの?

 乳酸がエネルギー源だとすれば、なぜ乳酸が蓄積したときに筋肉は疲労するのでしょうか?以前は乳酸産生時に筋肉内が酸性になること(乳酸性アシドーシス)が筋疲労の原因だと考えられていましたが、近年は別の要因が報告されています。その一つが無機リン酸の影響で、強運動時に筋肉内に蓄積する無機リン酸が筋収縮に必要なカルシウムと結合して沈殿するため、収縮できなくなることが明らかにされています。現在、競馬のような数分間の運動では無機リン酸の影響が筋疲労の主要因だと考えられていますが、このような現象は乳酸が溜まる強運動時にしか起こらないので、乳酸を筋疲労の指標として考えることは問題ありません。

 今回は内容が少々難しかったかもしれませんが、乳酸に関して知っていただきたい基礎知識を紹介しました。次回はその応用方法を紹介します。

 

日高育成牧場・生産育成研究室 室長 羽田哲朗(現・美浦トレーニングセンター 主任臨床獣医役)