2019年6月12日 (水)

進化する蹄鉄 ~新素材を用いた蹄鉄の応用~

No.84 (2013年8月15日号)

 今回は、馬の蹄を保護し、肢軸矯正にも用いられる蹄鉄とその装着方法の進化の一端を紹介したいと思います。

蹄鉄素材の歴史

 蹄鉄の歴史を紐解くと、紀元前まで遡ります。古代ギリシャ・ローマ時代のローマ人は、ヒポサンダールと呼ばれる金属製サンダルを紐で下肢部に固定し、蹄が過剰に磨滅するのを予防したそうです。しかし、紐による固定は耐久性に乏しいため、やがて蹄釘で固定する蹄鉄へと進化していきます。技術発達に遅れがあった日本では、藁沓(わらぐつ)に鉄板を打ち付けたものを戦国時代に使用していたようです。皮革や藁などでは耐久性不足だったため、世界でも日本でも耐久性に富んだ素材「鉄」を使用するという結論にたどり着いたのでしょう。安価で磨耗しにくい鉄製の蹄鉄は、現在でも多くの乗用馬の蹄鉄として使用されています。

 20世紀後半は、原動機の普及などにより農用馬や軍用馬は激減、馬の世界は競走馬や乗用馬へと移行し、生産についても量重視から質重視へと替わりました。もちろん装蹄技術に関しても向上が求められ、特に競走馬はスピードを追及する競技であることから、蹄鉄の軽量化が必須となりました。耐久性と軽量化の両立を突き詰めた結果、現代の競走馬の9割以上が装着しているアルミ製蹄鉄へと進化しました。アルミ蹄鉄の重量は、鉄製蹄鉄のおよそ3分の1程度で、大幅な軽量化と加工の容易化に成功しました。

 

蹄鉄の素材と装蹄手法の相性

 第2次世界大戦以前には、装蹄に対する軍事的要請により様々な蹄鉄素材の研究が行われました。木製やゴム製、戦後には特殊プラスチック製やウレタン製蹄鉄などが研究されています。これら特殊素材の蹄鉄は、軽量化や緩衝作用などを目的に研究された成果でしたが、広く普及することはありませんでした。その背景には、特殊素材の蹄鉄と釘付装蹄との相性の悪さが起因になっていたと考えられます。すなわち、鉄やアルミは、軟鋼で出来ている蹄釘とほぼ同程度の硬度であるため、釘頭(蹄釘の鎚で叩かれる部分)を蹄鉄へ強めに打ち込んでも入り過ぎることはありません。しかし、木や硬質プラスチックなどは蹄釘より軟質かつ割れやすいため、蹄釘を打ち込む際、強めに鎚打(つちだ)できません。また、ゴムやウレタンは割れることはありませんがとても軟質なため、釘頭の入り過ぎなどにより蹄釘の緩みが早く、落鉄や緩鉄のリスクが高い素材です。

 2000年以上も前から行われている蹄釘を用いた釘付装蹄は、現在でも蹄鉄固定の主たる手法です。脱着の簡便性、安定した固定力、蹄機作用の阻害リスクの低さなど、非常に合理的な手法のため、今後も引き続き行われる装蹄手法と言えるでしょう。一方、スピード重視の競馬へと変化している現在、サラブレッドの蹄壁は徐々に薄くなっているように思われます。皮膚が薄い馬は動きも素軽いので良い馬と言えますが、蹄の蹄壁は皮膚の延長線上にあるものです。走る馬ほど蹄壁が薄くなるのも必然と言えるでしょう。そのような釘付装蹄が困難な蹄に対し、蹄壁補修材を用いた接着装蹄を適用します。また近年の生産地では、当歳馬や1歳未満馬の肢軸を積極的に矯正する傾向にあるため、蹄が小さく釘付けが極めて難しい子馬にも接着装蹄を適用します。重量がある蹄鉄は落鉄するリスクが高いため主にアルミ蹄鉄を接着しますが、落鉄しない安定した固定力を得るためには、蹄鉄と蹄踵部を強固に固定することが大切です。そこで懸念されるのが、負重時に起こる蹄壁の動き、すなわち蹄機作用への影響です。蹄は、負重による衝撃を変形することにより緩和したり、蹄壁の開張・閉鎖によるポンプ作用により蹄内の血液循環を促進します。蹄踵部を硬い蹄鉄と固定することは、蹄壁の動きを阻害して蹄機作用を抑制することが容易に想像できます。そこで、釘付装蹄との相性があまり良くなかった軟質素材の蹄鉄が最近見直されています。

 

接着装蹄用の軟質素材蹄鉄

 フロリダ州の装蹄師、カーティス・バーンズ装蹄師が考案した「ポリフレックスホースシュー」は、ウレタンの中に形状を固定するワイヤーと、磨耗予防の鋼片を蹄尖部に挿入した接着装蹄用の蹄鉄です。蹄が持つ働きを阻害せずに接着装蹄が行える器材として、競走馬用や乗用馬用、治療用、当歳馬の肢軸矯正用など様々な形態の蹄鉄が米国で市販されています。値段は割高ですが個人輸入などによって日本でも入手することが可能でしょう。また、道内の装蹄師の方々も、軟質素材を使った接着蹄鉄を実施する機会が増えているようです。硬質ゴム素材やウレタンシート、液体ウレタンゴムなど、様々な素材を入手して蹄鉄に適した素材の選定を日々行っています。

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 釘付装蹄に比べ接着装蹄は、時間もコストもかかる装蹄手法です。1頭の馬に時間をかけて接着装蹄を行うより、同じ時間で釘付装蹄を複数頭に施すほうが、装蹄師的には断然利益がでるでしょう。しかし、今の生産地に求められているのは「量より質」であり、装蹄師の方々もそのニーズに少しでも応えられるよう、日夜試行錯誤を繰り返しています。

 20世紀以上も不変だった釘付装蹄からの脱却こそが装蹄の最終進化形と考えるならば、柔軟かつ加工が容易で磨耗しないような新素材蹄鉄と、絶対に落鉄しない接着装蹄の手法が確立されれば、日本で行われる装蹄の全てが接着装蹄になるときがくるかもしれません。

 (日高育成牧場 業務課 大塚 尚人)

2019年6月10日 (月)

イギリス・アイルランドにおける購買前獣医検査について

No.83 (2013年8月1日号)

はじめに
 洋の東西を問わず、馬の売買取引に関するトラブルは数多く存在します。その理由として、馬は「高額」な商品であることに加えて、生体、すなわち「生き物」であるため、自動車や精密機械などと比較して、その品質保証が困難であることなどがあげられます。また、わが国の馬取引の中心である育成期の馬(当歳~2歳馬)は、売買時に「成長期」であることから、取引前には認められなかった疾患が、取引後に発生する可能性もあります。さらに、取引後における放牧や調教などの運動負荷により、外見上認められなかった疾患や欠陥が顕在化することも少なくありません。
 冒頭で「洋の東西を問わず」と述べたように、馬の取引のトラブルで悩んでいるのは、わが国だけではありません。馬取引が盛んに行われている諸外国の例を垣間見ることにより、安心して馬の売買が可能となる方法を構築する手がかりをつかむことができるかもしれません。そこで今回は、イギリスおよびアイルランドの馬取引における「購買前獣医検査」Pre-Purchase Examination(以下PPE)についてご紹介したいと思います。

購買前獣医検査PPE
 イギリスおよびアイルランドにおいては、PPEが一般的に実施されています。これは、購買者が購入を予定している馬に対して、購買目的に適っているかどうか、異常所見や疾患の有無といったリスクに関する部分に関して獣医師に検査を依頼するものです。依頼された獣医師の多くは、PPEガイダンスノート(※)とよばれる「検査手引書」に基付いて実施しています。これには、獣医師が実施するべき検査項目が順序立てて明記されており、イギリス馬獣医師会および英国王立獣医師会といった獣医師の権威団体によって作成および承認されています。このため、これに則ることにより、可能な限り適切な検査が実施できるとともに、取引後のクレームなどのトラブルを最低限に抑制できるシステムが構築されています。さらに、当該馬に関与する検査獣医師、購買者および販売者のすべてが、購買時検査を実施するうえで理解しておく必要がある事項が記載されています。例えば、「PPEには限界がある」「購買者の使用目的およびニーズに基付いて合否判断する必要がある」「検査獣医師は当該馬の診療に携わっていない」ことなどが明記されています。
 実際の検査においては、これに示されたすべての検査ステージに加え、必要に応じてレントゲン検査や上気道の内視鏡検査を実施するため、1頭当たりの検査が1時間を超える場合も少なくありません。また、競走馬や馬術競技馬などの高額馬取引の検査は、臨床経験が豊富かつ公平に判断できる獣医師が担当しています。
※PPEガイダンスノート原文
http://www.beva.org.uk/_uploads/documents/1ppe-guidance-notes.pdf

検査の流れ
 PPEガイダンスノートの記載内容のうち、「基準検査」とよばれるPPEの基本となる検査は以下の5つのステージから成り立っています。

ステージ1 予備検査
駐立時の目視および触診などによる馬体外貌の検査。

ステージ2 引き馬による常歩および速歩の歩様検査
常歩および速歩の直線運動、左右方向の小さい回転、および2~3歩の後退による歩様検査。

ステージ3 運動負荷試験
騎乗による運動負荷時の検査。この項目の目的は「心拍数あるいは呼吸数を増加させた際の状態確認」「常歩、速歩、キャンター、可能であればギャロップ時の状態の確認」であり、騎乗が困難であれば、ランジングへの代替も可能である。

ステージ4 静止および再検査
ステージ3の運動後の安静状態における呼吸循環器系に関する検査。

ステージ5 2回目の速歩検査
運動と安静時検査によって確認された所見の再確認を目的とした速歩検査。

その他の検査
以上の検査以外に、ドーピング検査(血液検査)や必要に応じた屈曲試験、速歩による回転検査、レントゲン、内視鏡もしくは超音波検査などを実施する。

セリにおけるPPE
 競走馬のセリにおいては、PPEガイダンスノートの項目のうち、限定された一部の検査が短時間で実施されます(下表)。「PPEガイダンスノートの基準検査」と「セリにおけるPPE」両者の検査内容を比較すると、後者は明らかに簡略化されていますが、これには理由があります。セリにおいては、時間、場所および年齢に制約があるため、詳細な検査が不可能です。また、この事情を購買者が理解し、あくまで簡易検査であることを認識したうえでの依頼に基づいているためです。さらに、セリにおいては購買者本人が実馬検査している場合が多く、獣医師によるPPEはあくまで補助、セカンドオピニオンと見なされていることも検査を簡略化できる理由のひとつです。
 多くの獣医師は、安静時の外貌検査、心臓の聴診、歩様検査(ほとんど常歩のみだが、場合によっては速歩を実施する)、および内視鏡検査(上気道観察のみ)に限定して検査を実施しています。内視鏡検査は1歳馬であっても馬房内で実施することがほとんどで、セリ会場にはポータブル内視鏡を肩にかけた獣医師の姿を頻繁に見かけることができます。
 X線検査は腫脹が認められる部位、跛行肢など必要な個所のみに限定して実施されます。なお、X線検査が事前に実施されている上場馬はそれほど多くなく、欧州のトップセールであるタタソールズ1歳市場のブック1においても、レポジトリールームへの事前提出率は、上場者の3割程度にとどまっています。

1_3 セリにおける獣医師によるPPE(左)と馬房での内視鏡検査(右)

2_3 タタソールズのレポジトリールーム データ提出率は上場者の3割程度である。

3_3 PPEとセリにおける購買前検査の比較

売却後検査
 英愛の競走馬市場においては、売却後検査も頻繁に実施されています。主な検査項目は、異常呼吸音を確認するウィンドテスト、およびドーピング検査(血液検査)です。1歳および2歳市場においては、いずれの検査もほとんどの売却馬に対して実施されています。
 ウィンドテストは、会場内に設置されているラウンドペン(丸馬場)でのランジングにおいて、呼吸音が明瞭に聴取可能となるまで、左右それぞれ10周程度のギャロップを実施することにより異常呼吸音の有無を確認する検査です。なお、1歳市場の上場馬は、このテストのため、セリ馴致の一つとしてランジング調教が実施されています。

4_2 売却後のウィンドテスト。右側が呼吸音を確認している獣医師

PPE講習会
 PPEガイダンスノートに基づいた検査の周知徹底を図ることを目的とした講習会が、英国馬獣医師会の主催により、英愛国の各地で年間を通して開催されています。内容は「PPEの概要」や「クレームを防止するための購買前検査の実施方法」などの講義、実馬を用いた「コンフォメーション、歩様検査、心臓および眼検査方法」などであり、適切な購買前検査の実施および売買トラブルの防止を目的としています。
 講義のなかで、講師からは「購買前検査におけるクレームを予防するためには、購買者とのコミュニケーションが極めて重要であり、どれほど精度の高いプロトコールが体系化されていても、最終的には人間同士のコミュニケーション(言い回し、正直な発言など)が、トラブルを防止できる最も重要なポイントである」とアドバイスがありました。
 このような獣医師会をあげての取り組みは、獣医師の検査技術向上、ひいては適切な馬取引を実施することによる馬産業の発展を目的としています。

まとめ
 PPEガイダンスノートは馬取引を円滑に実施するための優れたプロトコールであるといえます、しかし、これを用いた検査システムの有効性を左右するのは、検査獣医師の臨床経験、観察力および依頼主に対するリスク説明などのコミュニケーション能力と言えるのかもしれません。
 わが国においては、PPEは一般的ではありませんが、馬取引に関わる獣医師の責任の重さは小さくありません。市場の透明性を向上させ、売り手、買い手ともに安心した取引を行うためには、現状において「パーフェクト」な診断および予後判定は不可能であっても、常に「ベター」な方法を模索していく必要がありそうです。

(日高育成牧場 専門役 冨成 雅尚)

2019年6月 7日 (金)

放牧草の採食量と問題点

No.82 (2013年7月15日号)

はじめに
 今春は例年に比べて気温の上がりにくい気候でしたが、皆さんはいつ頃から昼夜放牧を開始されたでしょうか?放牧時間の延長に伴って牧草の採食量が増えるため、放牧時間や放牧地の植生によっては飼い葉を調整する必要があります。この時に多くの方が、「そういえば、馬は放牧地でどれだけの草を食べているのだろう?」と疑問を持たれているのではないでしょうか。また、「放牧草だけでも問題ないのではないだろうか?」と思う方もいるでしょう。今回は、昼夜放牧時の放牧草摂取量増加に伴う問題点とその対策について紹介します。

昼夜放牧のメリットと採食量
 欧米で古くから行われていた昼夜放牧は、日本においては近年広く行われるようになりました。昼夜放牧を行うことにより運動の促進、十分な青草の摂取、馬同士の社会性の構築といった利点が望めます。確かに、昼間のみの短時間放牧(換言すると馬房内で長時間を過ごす)という管理方法は、本来馬にとっては不自然な環境であり、生理的な欲求(常に草を採食、群での生活)を阻害する上に、将来アスリートになる幼少期に1日の半分もの時間を馬房に閉じ込めていていいものなのか?といった疑問の声も聞こえます。また、近年では冬季にも昼夜放牧を行う牧場があることからも、強い馬づくりのためにいかに「昼夜放牧」が期待されているか伺えます。
 過去のJRAの研究では、植生が良好な放牧地で昼夜放牧された1歳馬は昼放牧群の約2倍である9~10kg(乾物:水分0%としたときの換算値)の放牧草を採食しました。青草の水分含量を80%とすると、青草を45~50kgも摂取している計算になります。軽種馬飼養標準では放牧地の草量に応じて、草量が十分な場合9~10kg(昼間放牧時5kg)、やや不足している放牧地7~8kg(同3~4kg)、不足した放牧地3~4kg(同1~2kg)と3区分で採食量を示しています。

昼夜放牧の注意点(採食のコントロール~過肥の防止)
 昼夜放牧には多くのメリットがある一方で、飼養管理上気をつけなければならない点もあります。草量が多い草地では肥満になりやすく、成長期の子馬にも妊娠を控えた繁殖牝馬にも好ましくありません。栄養状態の把握は毎日接しているからと言って漫然と行っていると気づかないものです。そのため、体重やボディコンディションスコアを定期的に記録して客観的に評価することが重要です。過肥傾向にある牧場では、頻回の掃除刈り(15cm程度維持)、放牧地のマメ科率の低減、放牧時間の調整、運動負荷などの対策を講じる必要があります。

放牧草からのミネラル摂取量
 放牧地は運動場であると同時に栄養供給の場でもあります。とくにミネラルについては興味があっても、あまりにも種類が多く挫折した方も多いのではないでしょうか。しかしながら、ミネラルはウマの飼養管理においては子馬や胎子の健やかな成長、DODの発症率に関係することが知られており、子馬の適切な発育・発達にとって非常に重要な栄養素です。
 表1は日高地区の牧草成分の平均値です。草量が十分な放牧地であれば牧草だけで要求量以上のエネルギーを摂取可能ですが、残念ながら一部のミネラルにおいては発育期の子馬の要求量を満たせません。本稿では特に重要であるカルシウム(Ca)とリン(P)、銅(Cu)と亜鉛(Zn)に注目してお話しいたします。
 CaとPは筋骨格の発達に必要不可欠なミネラルです。両者は体内に吸収する過程で拮抗関係があり、効率よく吸収するために飼料中のCa/P比が1.5~2であることが推奨されています。エンバクやフスマといった穀類はPの割合が高いことから、馬の飼い葉には伝統的に「炭カル」「ビタカル」と言われるようなカルシウム添加剤が加えられていました。一方、放牧草中心の飼養環境下では放牧草中のCa/P比に留意する必要があります。2008年の日高地区の調査によると、放牧草の平均Ca/P比は1.07と低く(イネ科牧草の目標値は1.3程度)、このような草地で放牧されている馬には補正を行う必要があります。その対策として、カルシウム剤を給与することの他に、牧草にCa比率の高いマメ科牧草を混播すること、雑草を除去すること(雑草にはカルシウム吸収を阻害するシュウ酸含量が高い)、Caが豊富なルーサン(アルファルファ)乾草を給与することなどが挙げられます。
 CuとZnは生体におけるさまざまな代謝反応に関与しており、その重要性については近年再認識されています。ケンタッキー馬研究所Kentucky Equine Researchの推奨する1日要求量は離乳子馬(6ヶ月齢、246kg)でCu 168mg、Zn 504mgと、NRC(2007)要求量の54.9mg、219.7mgと比較しても非常に高値です。適切な摂取比率はZn:Cu=3:1~4:1が推奨されています。とくにCuは放牧草中の含量が低く、放牧環境下では十分量を摂取しにくいことから、微量元素の補給にはまず銅の給餌量を確認し亜鉛とのバランスを補正するように心がけましょう。

1_2 図1. 日高地区の放牧草の成分値(乾物あたり、2008年平均値)

土壌の酸度矯正
 牧草中のミネラル含量については地域や土壌、草種によって異なりますが、管理方法によっても大きく影響を受けます。その草地管理で何より優先すべきは土壌酸度(pH)です。土壌pHを6.0~6.5程度にすることで、根からの土壌中ミネラル分の活発な吸収が促されます。また、土壌pHの低下は近年問題になっているマメ科率の上昇にもつながります。日高の草地土壌は5未満から7程度まで広く分布していますが、多くは6.0以下であるため、主に石灰資材を用いてpHを上げる管理が重要になります(図2)。

2_2 図2. 土壌pHと改善のための石灰投入量

水溶性炭水化物
 近年、世界的に注目されている問題の一つにフラクタンに代表される水溶性炭水化物(WSC)が挙げられます。WSCは馬では消化酵素の分泌が十分ではないため、多量に摂取すると大腸に未消化のままオーバーフローし、濃厚飼料と同じように大腸内で腸内細菌の異常発酵を招き、その結果pHバランスを崩すことで、蹄葉炎に代表されるさまざまな代謝疾患のリスクを高めます。WSCは乾草よりも青草で高く、青草では草丈の高い部分で高く、タンポポやオオバコ、アザミといった雑草(図3)には高く含まれます。日光の照射により合成されるため、日中に上昇、夜間に低下し、ストレス環境下(乾燥、低温、窒素不足など)ではさらに合成が促進されます。また、春と秋に高いという季節変化があることが知られています。
 このような点から、草量が豊かな草地で放牧されている過肥傾向の馬では牧草が急激に発育する春や秋には掃除刈りにより草高を抑える、日中の放牧を控えるといった工夫が必要となります。

3_2 図3. 放牧地の主な雑草

まとめ
 「強い馬づくり」のため昼夜放牧の有用性が広く認識されていますが、決して放牧だけしていれば良いというものではありません。そこで摂取エネルギーだけではなく放牧草から摂取する栄養素まで幅広く意識し、きめ細かい管理をすることで、心身の健全な発育ひいては順調な育成期を迎えるための土台作りができるものと考えます。

(日高育成牧場 生産育成研究室 村瀬 晴崇)

2019年6月 5日 (水)

サラブレッドのための草地管理

No.81 (2013年7月1日号)

 1年で最も忙しい出産および交配のシーズンを終え、休む間もなく1番牧草の収穫の季節を迎えています。草食動物である馬を管理するうえで、冬期に不可欠な牧草の収穫のみならず、春から秋にかけて利用する放牧草の重要性は誰もが認識するところです。特に、当歳から1歳にかけての適切な発育と基礎体力養成のための放牧は、「強い馬づくり」には不可欠です。しかし、その基礎となる放牧地の適切な管理の実践は、労力と経費がかかる割には効果の確認が困難であるため、おろそかになりがちです。今回は適切な草地管理に関する話題に触れてみたいと思います。

良質な放牧地は良質な競走馬を生産する」

 競走馬にとっての「良質な放牧地」とは、その特殊性から、馬以外の家畜での放牧地とは異なっています。その理由は、馬を除くほとんどの家畜の場合には、最も効率良く増体させることが飼育の目的となりますが、競走馬の場合には、「アスリート」を育てることが飼育の目的であるからです(写真①)。そのため、競走馬用放牧地には以下の要件を満たす必要があります。

1 写真①:競走馬の放牧の目的は「アスリート」を育てること

栄養のバランスが良いこと

 放牧されている馬は、放牧草から摂取する栄養が大きな割合を占めるために、牧草の栄養価を可能な限り良好に保つための管理が重要となります。放牧草の栄養価は、イネ科の種類(チモシー、ペレニアルライグラス、ケンタッキーブルーグラスなど)、イネ科とマメ科の割合(マメ科率)、土壌の養分バランス(pH、リン酸、カリ、苦土など)、利用する季節、あるいは採食可能な草の高さ(草高)に影響を受けます。

嗜好性が高いこと

 馬は草食動物のなかでも、草の選り好みが激しく、特定の草を選んで食べる傾向が強い動物です。生産性の高い草は数多くありますが、嗜好性の優れたものを選択する必要があります。

生産量が確保できていること

 放牧頭数に対して、良質な牧草を十分な量供給できる生産量が放牧地には必要です。放牧頭数が過剰である場合には、草の生産性が低下し、ボディコンディションスコア(BCS)の低下、あるいは繁殖成績の低下を誘発する恐れがあります。

安全性が高いこと

 競走馬は個体の経済的価値が高いために、放牧地における不慮の事故や有毒雑草の摂取による被害を避けなければなりません。良質な放牧地は、安全な運動場所でなければならず、不慮の事故を防ぐための細心の注意が必要です。

 

草種構成が変化するのは自然の流れ?

 前述の要件を満たすように心掛けても、「草地が荒れる」、「植生が悪くなる」ことは珍しいことではありません(写真②)。草種構成が変化することは自然の流れであります。つまり、植物の側から見ると、その放牧地の環境に適応する草種が優占していくのが当然の姿であると考えるのが妥当です。しかし、軽種馬生産を考えた場合には、草種構成は変化しないことが望ましく、草地管理の目的は草種構成を安定させることにあるともいえます。

2写真②:不食過繁地の形成が草種構成の変化ともなる

 この草種構成を安定させるためには、放牧草の利用、つまり「馬の採食」および「掃除刈り」と放牧草の再生とをバランスよく繰り返すことが最も重要です。つまり、放牧と休牧を年に数回から十数回繰り返えす「輪換放牧」が推奨されます。休牧期間は生育の旺盛な春から夏にかけては2週間程度、生育が緩慢になる晩夏~秋は3~4週間程度が望ましいとされています。しかし、軽種馬の放牧では、休牧期間がない連続した放牧が一般的に行われているため、再生期間が確保されていない分を、日々の再生量(生産量)と採食量のバランスを適切に保つことにより「輪換放牧」と同様の効果が得られるよう、草の量をなるべく一定に保つように心掛ける必要があります。この再生量と採食量のバランスの維持が困難になると、牧草の密度が低くなり、雑草などの侵入が進みます。このためにも放牧地1haあたり2頭を超える過放牧は避けなければなりません。

安定的に生育することが重要

 軽種馬の放牧地では、チモシーを主体にしている例が大半ですが、近年、ペレニアルライグラス、メドウフェスク、ケンタッキーブルーグラスなどを混播する例がみられるようになりました。これらは、季節による生産量の変動が小さく、再生力も強く放牧に向いている草種とされています。このように多草種を混播にしているのは、各々の草種の特性を活かすことで、ひとつの草種の単播より、草種構成・生産量の安定化を図りやすくするためです(写真③)。

3 写真③: ケンタッキーブルーグラス、ペレニアルライグラス、チモシーの混播により、植生・生産量の安定化が促される

 「馬の飼料として望ましい草種は何か」がよく問われますが、最も重要なことは、その地域で「安定的に生育できるか」ということです。安定的な生育は、草種構成を維持することにもつながり、安定的に生産できることになります。春に旺盛に生育する草種(オーチャードグラス、チモシー)、秋にも生育が旺盛な草種(ペレニアルライグラス、メドウフェスク)、寒さに強い草種(チモシー)、密度が高く維持できる草種(ケンタッキーブルーグラス)等様々な特徴ある草種を組み合わせておくことで、草種構成の安定を図ることができます。

軽種馬用草地土壌調査事業

 「軽種馬用草地土壌調査事業」という言葉を耳にしたことがあると思いますが、これは昨年まで軽種馬育成調教センター(BTC)で実施していた事業のひとつです。この事業では、軽種馬の飼養管理の改善と良質牧草生産の促進のために、草地の牧草や土壌の成分を分析し、土壌診断に基づいた施肥設計や飼養管理に関する情報を提供しています。その他にも、草地管理に関する研修会や、前述した内容を含む「草地管理に関するガイドブック」(写真④)の発刊を行うなど「強い馬づくり」に貢献しています。なお、この事業は本年から日本軽種馬協会(JBBA)に事業主体が変更されました。軽種馬用の牧草および牧草地の土壌分析の詳細につきましては、日本軽種馬協会生産対策部【電話03(5473)7091】までお問い合わせ下さい。

4 写真④:「軽種馬用草地土壌調査事業」により発刊された草地管理に関するガイドブック

(日高育成牧場 専門役 頃末憲治)

2019年5月31日 (金)

サラブレッドの距離適性に関わるミオスタチン遺伝子について

No.80 (2013年6月15日号)

 生き物の容姿や機能・能力の設計図とも言える遺伝子は、サラブレッドの場合、64本の染色体(31対の常染色体と1対の性染色体)の中にあります。近年、第18番目の染色体上に存在するミオスタチンという物質の遺伝子のDNA塩基配列(A/T/C/Gの4つの塩基の組み合わせからなる)の中にある一塩基多型が競走距離適性と関連していることが、複数の研究機関から報告されました。今回は、このミオスタチン遺伝子型に関する最新事情について紹介したいと思います。

ミオスタチン遺伝子多型と距離適性
 ミオスタチン遺伝子に認められた一塩基多型とは、「C(シトシン)」または「T(チミン)」のどちらかで構成される塩基配列の一部が個体によって異なっている、というものです。染色体は、父方の精子と母方の卵子から1本ずつ引き継ぐため、その組み合わせによって「C/C」、「C/T」および「T/T」の3 種類の遺伝子型が生じることになります。ちなみに、このような遺伝子型は人のABO血液型が親から子供に遺伝しているのと同じ原理になります。このミオスタチン遺伝子型により、「C/C」型では短距離に適した傾向を、「T/T」型では長距離に適した傾向を示し、「C/T」型ではその中間(中距離)に適した傾向を示すことが明らかになってきました。
 図1は、JRA において出走した雄のサラブレッド集団(1,023 頭)の距離適性傾向を示しています。この調査では,調査対象としたJRA における競走体系(新馬戦からG1 まで)が、1,200 m や1,800 m での頻度が高いため、解釈する上ではこの点に留意すべきとしていますが、「C/C」型では1,000~1,800 m で、「C/T」型では1,200~2,000 m で勝利度数が高く、「T/T」型は「C/T」型よりやや長距離で勝利度数が高いことが示されています。

1_6 (図1) 日本のサラブレッド(雄1,023 頭)におけるミオスタチン遺伝子型の違いによる勝利度数分布(T. Tozaki et. al., Animal Genetics, 2011から引用・改変)

筋量とミオスタチン遺伝子型との関連
 ミオスタチンは多種様々ある成長因子の1つで、筋細胞の増殖分化を抑制する物質であることが知られています。ミオスタチンの機能不全を起こしたウシでは、筋肉隆々の個体になることが知られていて、通常の個体では過大に筋肉が肥大化しないように、ミオスタチンを介した適度な筋量の調節が行われていることが推察されます。
 18ヶ月齢(調教前)のJRA育成馬(91 頭:雄49 頭,雌42 頭)を用いて、調教開始後6ヶ月間の測尺結果とミオスタチン遺伝子型との関連を解析した調査では、筋量を反映する「体重/ 体高(kg/cm)」は、雌雄とも「C/C」型で最も高く、「T/T」型で最も低く、「C/T」型ではそれらの中間傾向を示すことが明らかになりました(図2)。この遺伝子型の違いによる傾向は、18月齢から認められ、統計的に有意な違いは、本格的なトレーニングを開始した20月齢(1歳の11月時点)から観察されました。

2_6 (図2) 1歳育成馬における体重/体高の経時変化とミオスタチン遺伝子型との関係
 黒枠付きの四角は雄を、丸は雌を示す。筋量の指標となる体重/ 体高は、11月~3月の測定期間において、遺伝子型による統計的有意な差(*印:p <0.05)を認めた。(T. Tozaki et. al., J. Vet. Med. Sci., 2011から引用・改変)

競走距離の変移とミオスタチン遺伝子型との関連
 サラブレッドの近代競馬は、今から約300年前のイギリスで発祥しました。当時の競馬は3~6kmの長距離戦が主なものであったとされています。レースで勝利を治めた馬が種牡馬や繁殖牝馬となり、その子孫を残すことで、速く走るための遺伝子が選抜され、サラブレッドの育種改良は行われてきました。昨年は、我が国でも近代競馬が行われてから150周年を迎え、世界で互角に戦える競走馬を輩出し、血統的にも世界に負けない優れた種牡馬や繁殖牝馬が揃うようになってきました。平成24年度の中央競馬(JRA)における平地競走は芝1,000~3,600m、ダート競走は1,000~2,500mの各競馬場コースにおいて、合計3,321競走の競馬番組が施行されました。一般に、平地競走の距離区分は、1,200mを中心としたスプリント(Sprint; <1300m)、1,600mを中心としたマイル(Mile; ~1900m)、2,000mを中心とした中距離(Intermediate; ~2,112m)、2,400mを中心とした中長距離(Long; ~2716m)、3,000mを超える長距離(Extend; >2717m)に分類され、それぞれの英語の頭文字を取ってSMILEとして区分されています。この距離別区分によるJRAの競走数の分布は図3の様になり、近年は、マイルやスプリントの競走が主流になってきていることが分かります。
このような競馬距離体系の移り変わりから、サラブレッドの求められる距離適性能力も変移してきています。かつての歴史上の有名種牡馬や競走馬13頭のミオスタチン遺伝子型を調査した報告では、19世紀以前は「T/T」型の種牡馬が多くを占めていた可能性が高く、1954年生まれの1頭の種牡馬以降に「C/C」型のミオスタチン遺伝子型を持つ種牡馬が登場し、この「C」型のミオスタチン遺伝子が普及していることが明らかになっています。

ミオスタチン遺伝子型に関する動向
 サラブレッドの競走能力に関わる遺伝子は、ミオスタチン遺伝子だけではありません。様々な複数の遺伝子が関与しているとともに、その発現には飼養管理や調教、馬場状態やレース展開など様々な環境要因も関与しています。したがって、1つの遺伝子だけを取り上げてその馬の能力を判定するのは危険な考えだと言えます。ミオスタチン遺伝子型と競走距離適性との関連は、サラブレッドの血統理論を裏付ける科学的な指標の1つとして、長期的な交配計画の策定や、その個体に適した飼養管理や調教方法などの環境要因の策定に活用されるべきと思われます。
 なお、ミオスタチン遺伝子型のDNA検査は、アイルランドのエクイノム社および米国のジャネティクス社により特許が取得され、「Equinome Speed Geen Test」として、正式な遺伝子診断サービスが実施されています。ライセンス許諾を受けていない試験機関等による検査は同特許の侵害に当たり、大学や研究機関における研究目的であっても,得られた個々の診断結果を馬主等の関係者に報告する場合にあっては、潜在市場を侵食する観点から違法となる場合があります。日本国内においては、共同研究を実施してきた競走馬理化学研究所がライセンス許諾を受け、最近本検査業務を開始したところです。

日高育成牧場 生産育成研究室
研究役 佐藤文夫

2019年5月29日 (水)

当歳馬の蹄管理について

No.79 (2013年6月1日号)

 健全な蹄の発育を当歳馬の時から維持することは、「強い馬づくり」の技術として、そして安定した競走馬生産を行うための重要な要素です。将来の充実した競走馬生活を実現するため、生産地の装蹄師は当歳馬特有の蹄の成長に対応した定期的な削蹄を行うとともに、異常肢勢の改善が期待できる矯正装蹄や海外の新しい技術の導入なども積極的に行っています。そこで今回は、装蹄師の視点からの当歳馬の蹄管理について紹介します。

当歳馬削蹄の基本概念
 基本的に当歳馬の削蹄は、何らかの異常などが無い限り生後1ヶ月を過ぎた頃に、初めての削蹄を行います。生まれた直後の馬の蹄は、内外が対称でバランスの整った蹄を持っています。しかし、ほとんどの馬が肩幅よりも広い駐立肢勢をとるため、不均等な負重による蹄の変形や異常な磨耗が発生します。さらに、成馬に比べて約1.5倍も速く蹄が伸びるため、蹄壁の歪曲による骨端への不均等なストレスが発生しやすくなります。そこで、定期的な削蹄を行って崩れた蹄のバランスを取り戻すことが重要です。また当歳馬は、主に蹄の長さと横方向への拡張の2方向に蹄が成長するため、蹄を広げるとともに蹄踵を後方に下げるような削蹄を施します。なぜなら、蹄踵が前方へと巻き込んでしまう弱踵蹄と、将来的には屈腱炎になりやすい蹄形である「アンダーランヒール」へと変形する可能性が生じるからです。

前方から見る肢軸異常
 出生直後から真っ直ぐな肢軸を保ちながら駐立する馬は皆無で、少なからず外方や内方に肢軸が破折しています。そのことは、肢軸に対する不均等な負荷になると考えられます。しかし、実際には多くの肢軸破折が人為的処置を施さなくても、馬体の成長に伴い改善されていきます。これには、長骨の縦方向の成長を司る骨端板が強く関わっていると考えられます。軟骨により形成される骨端板は、負重による圧力に対し2通りの反応を示します。1つは、圧力という刺激により軟骨の産生速度を上げること、もう1つが、大きすぎる圧力により軟骨産生が滞り、成長が止まるといった反応です。つまり、腕関節が外反するような肢の場合は、橈骨(とうこつ)遠位(えんい:体の中心から遠い部分)にある骨端板の外側へ強い圧力が加わるため、内側よりも外側の成長が速まることで肢軸が改善されるという仕組みです。では、全ての肢軸破折が放置していても改善されるのかと言うと、必ずしもそうではありません。極端な肢軸破折を呈して生まれた馬や過剰な運動により多大な負荷を肢蹄が受けた場合、骨端板への外傷や感染があった場合などの様々な要因が重なることで、肢軸破折が改善されないことがあります。重度の肢軸破折には外科的処置という手段もありますが、その判断は獣医師・装蹄師両者の意見を参考にすると良いでしょう。もし、外科的治療ではなく装蹄療法を選択する場合、装蹄師は骨端板にかかる圧力の均等化を目的とした削蹄を主に行いますが、矯正削蹄ができないほど蹄壁の伸びが不良な場合や削蹄だけでは矯正が不十分と判断した場合、カフ型接着蹄鉄やタブ型接着蹄鉄、蹄壁補修材などを用いた側方への張り出し処置(エクステンション)の適用を検討します。しかし、カフ型やタブ型の接着蹄鉄は蹄鞘の発育を阻害する可能性が高いため、その使用には細心の注意が必要です。一方、蹄壁補修材を用いた張り出し処置(写真1)は、蹄鞘への負担が少なく、装着後の加工が容易で低コストです。ただし、安定した接着力を得るには長時間の挙肢が必要なため、獣医師による鎮静処置を行う場合があります。

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側方から見る肢軸異常
 屈腱性の肢軸破折は馬の側望から観察できる肢軸異常で、その中でも、浮尖(ふせん)、浮踵(ふしょう)、起繋(きけい・たちつなぎ)などは出生直後の馬によく見られます(写真2)。浮尖は、屈腱の弛緩などにより蹄尖が浮き上がる症状で、成長が遅い馬や繋部の傾斜が緩い馬の後肢によく見られます。軽度なものは、通常の放牧によって筋力や腱が強化されることで改善しますが、蹄球が接地するほど弛緩している症例では、蹄球を保護するために後方への張り出し部を設けた蹄鉄の装着などが必要です。一方、起繋や浮踵は浮尖と異なり、主に屈腱の拘縮が原因で起こると考えられています。屈腱拘縮が生後早期に認められた場合は、獣医師によるオキシテトラサイクリン(抗生剤の一種)の大量投与が有効です。これは、カルシウム緩衝作用による筋の弛緩効果を利用し、屈腱筋に繋がる屈腱の緊張を緩和するものです。ただし、前肢が起繋で後肢が浮尖を呈する馬の場合、前肢の趾軸は改善されますが後肢の屈腱が過剰に弛緩してしまうので注意が必要です。また、軽度な起繋の場合では、段階的な蹄踵の削切を行います。蹄踵削切後に蹄踵が接地しているか、また歩様の違和感の有無を確認しながら繋部の前方破折を改善します。蹄踵がまったく接地しない極端な症例や、生後3ヶ月以降も趾軸が起きてくるような後天性の異常には、屈腱の緊張を緩和するような処置が必要です。そのような症例の蹄は、蹄尖部が負重の偏りによって磨耗し、蹄踵部は負重による圧力が少ないため過剰に成長します。よって、蹄尖部を保護しつつ、蹄踵部を削切しても屈腱の緊張が高まらないような、くさび状の蹄鉄を装着することが有効になるでしょう。また、装蹄療法と同時に、飼料の減量や変更、運動制限などの、保護的処置による屈腱の拘縮を緩和してから、次の治療を行うと良いでしょう。しかし、それら処置に全く反応を示さない症例には、遠位支持靭帯の切断術を検討します。生後10ヶ月齢以前の馬には大変有効な手術で、矯正装蹄を併せて行うことにより著しい趾軸の回復が期待できるでしょう。

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 当歳馬の蹄管理には、毎日の手入れや収放牧時の歩様の確認など、日常のちょっとした観察が重要です。適切な知識による飼養管理と、異常の早期発見・早期改善を行うことで、サラブレッドの持つ走能力を十分発揮出来るようになることでしょう。

(日高育成牧場 業務課  大塚 尚人)

2019年5月27日 (月)

日高育成牧場からのメッセージ

No.78 (2013年5月15日号)

来場者を魅了するセリ市場に

 3月1日付けの定期人事異動で日高育成牧場の場長として、4年ぶりに日高に戻って来ました。今後ともどうぞよろしくお願いします。
 低迷していた日本経済は、自民党の安部政権が掲げるアベノミクス効果により、円安や株価上昇など少しずつですが回復の兆しが見えて来ました。一方、JRAブリーズアップセールはプライベートセールではありますが、年度初めの育成馬セールであり、当該年のセリ市場の動向を占うセールとして注目されています。
 本年度の成績は売却率こそ100%を達成しましたが、売却総額は6億7千万円(対前年比93%)、平均価格は880万円(対前年比93%)、来場購買者数は166名(対前年比95%)と、景気回復を肌で実感できるという結果までには至りませんでした。
 また、JRAはブリーズアップセールを新規馬主(登録後3年までを新規馬主と定義)の入門編のセールと位置付けており、新規馬主の来場者数は48名、実際に購買された者は24名で購買頭数は26頭といずれも過去最高を記録しました。新規馬主の方が本セールで購買を経験することや調教師との接点をもつことで、次のステップとして民間のセリ市場に参加してくれることを期待しています。
さて、セリ市場の成績の中で、購買登録者数は皆さんにとって馴染みが少ないのではないでしょうか。

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 図は、北海道市場主催の1歳市場の過去5年間における購買登録者数の推移です。特にサマーセールとオータムセールで顕著ですが、購買登録者数は3市場とも増加しており、市場主催者による振興策の成果といえます。セリ市場の振興で最も重要なことは、複数の方が上場馬にビッドするよう、一人でも多くのお客様を市場に誘導することです。そのためには購買したくなる資質の高い馬を上場すること、来場しやすい市場日程や開催場所および楽しめる雰囲気を目指した運営などがあげられます。JRAでは現在改築中の札幌競馬場のスタンド内でセリを開催できるよう工事を進めており、完成後はぜひ活用していただきたいと思います。このようにセリ市場の振興に向けて、市場主催者や上場者を始めとして競馬サークル全体で取組んでいければと考えています。


日高育成牧場 
場長 山野辺啓

『JRAホームブレッドの役割』

 3月1日付けで日高育成牧場の副場長を拝命しました横田貞夫です。栗東トレーニングセンター 競走馬診療所長から異動して参りました。東西のトレーニングセンター競走馬診療所やJRA本部馬事部の防疫課・獣医課での勤務経験はあるものの、生産現場での勤務は初めてとなりますので、生産地の皆様よろしくお願いいたします。
 さて、第9回目となりましたJRAブリーズアップセールも先日、無事に終了いたしました。関係各所の皆様方にはこの場をお借りして御礼申しあげます。私自身、今までも何度かブリーズアップセールは見てきましたが、今年は上場馬を送り出す日高育成牧場の立場から見ることとなりました。
 今年上場されたJRAホームブレッド8頭については、他の育成馬たちと同じ目で見守ってきましたが、日高育成牧場に着任してから続々と誕生してくるJRAホームブレッド達を見ていると、2年後のJRAブリーズアップセールにJRAホームブレッドが上場されるときには生産地の皆様方と同じ気持ちで送りだすことになるものと考えています。
 日高育成牧場で生産したホームブレッドは、一昨年の第7回よりブリーズアップセールに上場していますが、サラブレッドを生産する過程で、生産地で問題となっている不受胎や早期胚死滅、流産などの経済的損耗の高い疾病について、交配に関わる要因の調査、妊娠に関わる馬臨床繁殖学および生殖内分泌学の研究を実施し、その対応策について検討しています。
 また、生産地において初期育成段階に発現する発育期整形外科疾患(DOD)は、育成の様々な段階で問題となっていますが、DOD発生の実態を探るため、JRAホームブレッドが生れてから離乳に至るまでの肢勢調査を継続的に行い、実態の把握、病態改善のための管理方法について、周辺の獣医師団体と協力して調査しており、これら調査研究で得られた成果については、学術集会、生産地におけるシンポジウムや講習会での報告などを通じて、生産育成現場への還元、普及に努めています。
 現役競走馬を管理するトレーニングセンターにおいても、生産地で話題となっているOCD(離断性骨軟骨症)をはじめとするDODの評価について相談を受けることが多々あり、臨床症状と併せ診て判断をしているところですが、ホームブレッドを用いた生産からの調査研究の成果は競走馬における診断の一助にもなるものと考えております。
 今後もホームブレッドを含めた育成馬を用いて生産育成に関する研究を多角的に行い、生産育成技術の開発の成果を広く広めていきたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。

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 今年のJRAホームブレッド第1号は、3月11日に誕生したビューティコマンダの13(牡:父ヨハネスブルグ)でした。出生時の体重は64kgで、骨量豊富なしっかりした子馬です。本年は8頭の産駒誕生を予定していますが、2年後の「2015JRAブリーズアップセール」に、誕生した8頭すべてが無事に上場できることを願っています。

日高育成牧場  
副場長 横田貞夫

2019年5月24日 (金)

鎮静剤が育成馬の内視鏡所見に及ぼす影響

No.77 (2013年5月1日号)

 日本でも1歳市場や2歳トレーニングセールにおいてレポジトリー所見の提出は当たり前となりました(レポジトリーについては、本誌の平成24年6月15日号、本記事参照)。この時期は、これからのセリに上場する馬のレポジトリー検査を実施することも多いのではないのでしょうか。レポジトリーは、セリ主催者側と購買者側の双方にメリットがあるものです。セリ主催者側にとっては、セリ市場の信頼感や安心感を高め、上場者と購買者の双方が納得して購買することに役立ちます。また、購買者にとっては、馬体、血統、動きなどを踏まえた上での購買判断材料のひとつにすることができます。そのため、購買者がしっかりと判断できるようなレントゲン画像や内視鏡動画を提出する必要があります。
レポジトリー検査では、複数の箇所のレントゲンや慣れない内視鏡検査を実施するために、鎮静剤を投与したうえで検査を実施することも多いようです。実際に2011年のセレクションセールではレポジトリー所見提出馬のうち70%が、HBAトレーニングセールでも55%の馬が鎮静下での内視鏡動画を提出していました。しかし、喉の内視鏡動画は鎮静下では正確に判断ができない可能性があり、購買者が判断を迷うケースがあります。それは、喉の披裂軟骨(図1)の動きが悪く見えることがあるためです。そこで我々は、JRA育成馬を用いて、鎮静剤が喉の内視鏡所見にどのような影響があるのかを調べましたので、この場で紹介させていただきます。


 JRA育成馬60頭に対し、内視鏡検査を鎮静前後で2回実施しました。鎮静剤はメデトミジンを使用しました。得られた画像を、獣医師4名で「Havemeyerの基準」という披裂軟骨の動きを7段階のグレード(Ⅰ、Ⅱa、b、Ⅲa、b、c、Ⅳ)に分けて評価する方法を用いて、喉頭片麻痺のグレードについて評価しました。


 その結果、鎮静剤を使用することによって、全体の40%にあたる24頭で喉頭片麻痺のグレードが1つ以上悪化するという結果が得られました(図2、3)。また、購買者が判断を迷うグレードⅡb以上の馬は、鎮静前は6頭であったのに対し、鎮静後は16頭に増加しました。このことから、鎮静剤を利用するとグレードⅡb以上となるリスクが3.3倍高まるという結果となりました。この実験は1歳の冬と2歳の春の2回実施しましたが同様の結果が得られました。


 このような結果となった理由には、鎮静剤の作用によって咽喉頭周囲の筋肉が弛緩したことや呼吸抑制が働いたことによって披裂軟骨の動きが悪くなってしまったことが原因と考えられました。しかし、なぜグレードが悪化する馬としない馬が存在するのかということについては原因の究明にいたっていません。過去に同様の実験をした論文では、逆に鎮静剤を使用することで将来喉頭片麻痺になる馬を予見することができるかもしれないという仮説をたてているものがありますが、それも証拠があるわけではありません。我々も今後、鎮静剤によってグレードが悪化した馬については追跡調査を行いたいと思っておりますが、少なくとも育成期の段階でこれらの馬に特別な呼吸器症状がでたり、安静時の喉頭片麻痺グレードが悪化した馬はいませんでした。


 セリにおけるレポジトリーでは、上場馬の現状を正確に判断できるものを提出するということが大切です。レポジトリー所見を提出することで、購買者が判断を迷い上場馬の評価をさげてしまうことは好ましいことではありません。もちろん人馬の安全確保上、検査実施時に鎮静剤を投与する必要がある場合もあります。しかしながら、鎮静剤にこのような作用があることも上場者の方には頭にいれておいていただきたいと思います。不必要に上場馬の評価を下げないためにも、レポジトリー検査を行うにあたって、前もって馬が人に触れられることに慣れさせておくことや、枠馬、鼻ネジに対する馴致を行い、安全に検査が行えるようにしておくのも重要なことだと思われます。

1_3 図1 披裂軟骨の位置

2_3 図2 鎮静処置前後のポイント変化の分布図

1ポイント以上のグレードの悪化を認める馬が全体の40%に及んだ。

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図3 鎮静処置下の咽喉頭部内視鏡像

鎮静処置により喉頭片麻痺グレードがⅡaからⅢaへと変化した症例。左側の披裂軟骨(向かって右側)の開きが悪化した。

 (日高育成牧場 業務課、 現所属栗東トレーニングセンター 検査課  大村昂也)

2019年5月22日 (水)

ブリーズアップセールで取組む「新規馬主のセリ市場参入促進策」

No.76 (2013年4月15日号)

 4月23日(火)、中山競馬場で2013 JRAブリーズアップセール(第9回JRA育成馬調教セール)を開催いたします(写真1)。前日の4月22日(月)には、事前に実馬をじっくり吟味いただけるよう、前日展示会も開催いたします。今年も、皆様のご来場を心からお待ち申し上げております。
 JRAでは、ブリーズアップセール(以下BUセール)を、育成研究に用いたJRA育成馬を売却する場としてだけでなく、新規に馬主免許を取得された方やセリでの購買に慣れていない方が、本セールをきっかけに、他の多くの市場へ興味を拡げていただけるような“入門編のセール”と位置づけています。したがって、参加される皆様がBUセールを通して「セリに参加する楽しさ」を味わっていただき、市場の活性化につなげたいと願っています。本稿では、2013 JRAブリーズアップセールを通して実施する“新規馬主のセリ市場参入促進への取組み”についてご紹介します。

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(写真1) 昨年のBUセールの様子

1)「セリと育成馬を知ろう会」の開催
 新規に馬主免許を取得された方には、「セリで馬を購買したいが参加の仕方がわからない」、「馬を選定する際のポイントを知りたい」、「調教師との接点がほしい」などの要望があります。これらニーズの解決の糸口になればと、昨年10月17日(水)および18日(木)にHBA北海道市場および馬事部生産育成対策室が中心となり日高育成牧場のJRA育成馬を活用して“セリと育成馬を知ろう会inひだか”を実施しました。当日は、新規馬主3名およびその同伴者1名が来場しました。日高育成牧場では、「馬の見方」、「馬の生産そして育成から競走馬までのライフサイクルの説明」等、実際にJRA育成馬を展示しながら解説しました(写真2)。また、懇談をかねた夕食会では、一般社団法人 日本調教師会(以下日本調教師会)の協力により、オータムセールに参加していた調教師2名が参加し、新規馬主が調教師とのコンタクトをとる方法を説明していただく等、有意義な時間をすごすことができました。翌日は、オータムセールを実際に見学し、セリの流れやレポジトリーの見方等、購買までの流れを体験していただきました。

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(写真2)実馬を用いて馬の見方を解説しました(JRA日高育成牧場)

 先月3月15日(金)および16日(土)には“セリと育成馬を知ろう会in宮崎”を開催しました。気候が温暖で交通の便が良い宮崎は、3月中旬にイベントを開催するのに適しています。新規馬主7組が宮崎育成牧場に来場され、さわやかな気候の下、イベントをお楽しみいただきました。まず、「馬の見方」を講義した後、BUセールに上場する馬を全頭展示 (写真3)するほか、調教も見ていただきました。日本調教師会の協力を得て6名の調教師にも参加いただき、夕方の懇親会では馬主・調教師および馬主の方同士の交流が和やかに行なわれ、調教師と接点が少なかった参加馬主の皆様には大変好評でした。

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(写真3)上場馬全頭の展示を行ないました(JRA宮崎育成牧場)

2)新規馬主オリエンテーションの開催
 馬主の皆様がセリ市場に参加しやすい環境づくりを目的として、新規に馬主登録をされた方を対象に、「新規馬主オリエンテーション」を1月26日に実施しました。JRA競走関連室馬主登録課が中心となり馬事部生産育成対策室がサポートする形で、馬主協会、調教師会の協力を得て東京競馬場で開催しました。昨年馬主登録をされた馬主16名およびその同伴者11名、また、6名の調教師が参加しました。当日は実際に競馬観戦を楽しみながら、「馬主活動について」、「馬主協会の概要」「全国セリ市場やBUセールの案内」や「馬の見方等、セリに活かせる馬の基礎知識」などの説明を行ないました。次回は6月に実施する予定です。

3)馬主・調教師懇談会の開催
 日本調教師会では、BUセール前日の展示会当日(4月22日11:30~12:30)に、購買登録をされた馬主の方を対象に、中山競馬場事務所2F会議室において調教師との懇談会を予定しています。これは、調教師との面識の有無に関わらず、調教師にとって大切な顧客である馬主の方に対して、BUセールでの購買のみならず預託を希望される調教師への橋渡し等、馬主活動のさまざまなサポートをしていくことを目的としています。懇談会後は前日展示会(13時から装鞍所において)に参加していただく予定となっています。


4)新規馬主限定セッションの開催
 昨年同様、JRAホームブレッドの売却を新規馬主の方(2010年1月以降に馬主登録された方)に限定して実施します。今年は、まず、新規馬主の方にセリに参加していただこうという趣向の元、限定セッションをセリの最初に準備いたしました。今年は、ファーストクロップサイヤーランキング2位のアルデバラン産駒8頭(牡3頭、牝5頭)を上場することとしています。なお、限定セッションでは、多くの新規馬主の皆様に馬を所有していただくチャンスを広げるため、お一人1頭のみの購買制限を行わせていただきます(限定セッション上場馬が「調教進度遅れとして上場された場合」および「限定セッションで売却されず再上場された場合」は、全馬主が参加可能となり、購買頭数の制限はございません。詳しくは名簿をご覧ください)。

BUセールは今年の市場を占うバロメーター
 BUセールはトレーニングセール第1弾として、今年の市場全体を占うバロメーターとなることから、活気あるスタートを切る大きな責任があると考えています(写真4)。BUセールでは、5月から行われる民間の2歳トレーニングセールや夏の1歳市場の主催者ブースを設ける予定としておりますので、来場いただいた皆さまに是非活用いただきたく願っています。BUセールをきっかけに、新規馬主をはじめ多くの来場された皆様が“セリで馬を買おう!”という雰囲気になってくれることを願っています。
本年も、来場された皆様がセリを楽しんでいただけるよう、また、これまでどおり、皆様の信頼を失わないよう、セリ運営に取組んで参ります。どうぞ、よろしくお願いいたします。

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(写真4)BUセールでの騎乗供覧[サウンドリアーナ号:ファンタジーS(GⅢ)]

(日高育成牧場 業務課長 石丸 睦樹)

2019年5月20日 (月)

育成馬の輸送管理

No.75 (2013年4月1日号)

 本年も4月23日(火)にJRA中山競馬場でJRAブリーズアップセールが開催されます。昨年の各1歳セールでの購買後、日高および宮崎育成牧場に分かれて入厩し、騎乗馴致を経て後期育成を終えたJRA育成馬は、セールに備えて1週間前に中山競馬場に輸送されます。馬運車10台が一団となって浦河国道を走行する、このJRA育成馬の輸送をご覧になられたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。今回は育成馬の「輸送管理」について触れてみたいと思います。


「輸送熱」および「馬運車内での怪我」の予防
 「輸送熱」という言葉を聞いたことがあると思いますが、これは輸送によって発熱する病気の総称です。発熱の他にも、呼吸器の炎症に起因した咳や鼻汁を認めることも少なくありません。この「輸送熱」という病気は、重篤化すると肺炎へと進行し、治療の甲斐なく生涯を終えてしまう場合もあります。つまり「輸送管理」とは、この「輸送熱」の発症を予防することといっても過言ではありません。
また、「輸送熱」とともに「輸送管理」のポイントとなるのが、輸送中における「馬運車内での怪我」の予防です。近年の馬運車は改良が進み、特に換気に関しての工夫が施されています。さらに、輸送経路の整備に伴う輸送時間の短縮により、「輸送熱」や「馬運車内での怪我」も以前と比較すると格段に減少しています。しかし、依然として、強調教などによるストレスを受けている育成馬の輸送では、大事に至ることも皆無ではありません。


まずは馬運車に慣らす!
 馬の立場になって考えてみると、ある日突然、暗くて狭い箱の中に鞭で追われて無理やり押し込まれ、24時間以上もその中で過ごさなければならないという状況では、輸送自体によるストレス以上の精神的な不安に起因するストレスが生じるに違いありません。馬は環境に慣れる動物とはいえ、ストレスを軽減させることは「輸送管理」には極めて重要です。2歳になる育成馬にとって馬運車で輸送されることは、初めてではなく、生まれた直後の母馬の種付け、1歳セール時あるいは育成牧場に入厩する際に馬運車での輸送を経験しています。これらの経験によって馬運車内での駐立に慣れている場合もあれば、一方でこれらの経験が「トラウマ」となって馬運車に入ることを恐れている場合もあります。JRA育成牧場では、すべての育成馬に対して輸送の2~3週間前に「馬運車馴致」を実施します(図1)。これは、輸送当日に馬を積載する場所で実際に馬運車に積み、落ち着いた状態で駐立できることを目標としています。スムーズな積み込み、あるいは落ち着いた状態での駐立が困難であった場合には、日を改めて再度実施します。また、馬房が隣同士である馬を馬運車内でも隣にするなど、輸送中の馬の精神面を安定させる工夫を心掛けています。しかし、入念に馴致をしても、輸送中の突発的な事故は避けられないのが馬の輸送であります。そのために四肢の保護用のプロテクターの装着は不可欠です(図2)。

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図1.日高育成牧場での「馬運車馴致」の様子。馬運車内で落ち着いた状態で駐立できることを目標としています。

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図2.輸送中の突発的な事故は避けられないため、四肢の保護用のプロテクターの装着は不可欠です。


「輸送熱」のメカニズム
 図3のグラフは、日高育成牧場から中山競馬場までの26時間の長時間輸送を実施された32頭の輸送時間経過に伴う体温変化を示しています。輸送開始から18時間後には10%、24時間後には20%、そして中山競馬場到着時の26時間後には25%の馬が38.6℃以上の発熱を発症しました。さらに、39.0℃以上の高熱を認めた症例は、18時間後以降に増加することが分かりました。これらは「輸送開始から20時間後ごろから発熱する馬の割合が急激に増加する」という約20年前にJRA競走馬総合研究所で実施された研究と同様の結果でした。また、このJRA競走馬総合研究所での研究では、図2のように輸送中の馬の心拍数や呼吸数は、馬運車の走行と連動して増加していることも明らかとなっています。心拍数の増加は馬の不安定な精神状態を、そして呼吸数の増加は呼吸が浅く、速くなるために気道を乾燥させ、細菌などに対する抵抗性を低下させることを意味します。つまり、この研究結果から、「輸送熱」は「輸送にともなう種々の刺激が直接的あるいは間接的に馬体を冒すことにより、細菌感染に対する抵抗力が低下する結果、普段は害を及ぼさない気道中の常在菌(馬が健康な状態で持っている細菌)が日和見感染(ひよりみかんせん:免疫力が低下しているために、通常なら感染症を起こさないような感染力の弱い病原菌が原因で起こる感染のこと)し、肺に炎症を起こす」ことが主な原因であると考えられています。そして、輸送熱の予防には、馬運車内を清潔に維持すること(換気状況の改善、糞尿の処理、ホコリを少なくする工夫など)、輸送中の休憩はできるだけ長く、そして多くすること(換気回数の増加、ストレス因子の減少)などが重要であることも明らかとなっています。

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図3.日高育成牧場から中山競馬場までの26時間の長時間輸送を実施された32頭の輸送時間経過に伴う体温変化。輸送開始から20時間後ごろから発熱する馬の割合が急激に増加します。

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図4.輸送中の馬の心拍数や呼吸数の変化。馬運車の走行と連動して心拍数および呼吸数は増加します。

輸送前の抗生物質の投与による「輸送熱」予防
 近年、扁桃(へんとう)や気管内に存在する日和見感染菌に対して有効な抗菌薬を輸送開始から到着までの間、肺内(気管支肺胞領域内)に存在させることにより、長時間輸送に起因する「輸送熱」を予防することが可能かどうかについての研究を日高育成牧場から中山競馬場へのJRA育成馬の輸送時に実施しました。抗菌薬は、長時間作用型抗菌薬であるニューキノロン系のマルボフロキサシン製剤(体重1kg あたり2mgの投与量)を使用しました。馬運車への積み込み直前に抗菌薬を投薬した馬(抗菌薬投薬群)と投与しなかった馬(非投薬群)との中山競馬場到着後(輸送から26時間後)の輸送熱を発症した頭数の割合を比較した結果、図5に示すように、非投薬群では31%の馬が輸送熱を発症したのとは対照的に、投薬群では6%の馬にしか輸送熱の発症を認めませんでした。さらに、非投薬群では13%の馬が39.0℃以上の高熱を認め、中山競馬場到着後に抗生物質投与による治療が必要でしたが、投薬群では39.0℃以上の高熱馬は認められず、中山競馬場到着後に治療が必要であった馬もいませんでした。このように、ニューキノロン系のマルボフロキサシン製剤は、輸送熱予防に効果があることが確認できました。また、副作用などに関する安全性も確認されています。耐性菌の出現の問題などについて慎重に調査を継続する課題は残っていますが、輸送熱予防に効果が期待されます。

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図5.抗菌薬を投薬した馬(抗菌薬投薬群)と投与しなかった馬(非投薬群)との中山競馬場到着後(輸送から26時間後)の輸送熱を発症した頭数の割合の比較。

最後に
 わが国では、競走馬の馬運車といえば前向きに積むのが一般的ですが、世界各国では横積み、斜積みあるいは後向き積みタイプの馬運車などがあり、馬にとってどの向きで輸送するのが理想であるかについては明らかにはなっていません。今後、わが国でも横積みあるいは斜積みが一般的になるかもしれません。また、輸送熱予防にさらに有効な長時間作用型抗菌薬が新たに開発され、「輸送管理」の一助となるかもしれません。しかし、馬を輸送する際に最も重要なことは、精神的な不安に起因するストレスを減少させることです。このためにも、日常の取り扱いが極めて重要であることはいうまでもありません。つまり、人の扶助に対して従順であり、馬が人をリスペクトするように馴致することが重要であると考えられます。

(日高育成牧場 専門役 頃末 憲治)