後期育成 Feed

2021年1月25日 (月)

大腿骨遠位内側顆における軟骨下骨嚢胞について

軟骨下骨嚢胞(subchondral bone cyst、いわゆる「ボーンシスト」、以下SBC)は関節軟骨の下の骨が骨化不良を起こし発生する病変であり、遺伝、栄養や増体率などの要因により、1~2歳の若馬の様々な骨に生じます。このうち競走馬の育成に問題となるものとして、大腿骨遠位内側顆のSBCがあげられます。日高・宮崎両育成牧場では研究の一環として、毎年秋と春に育成馬の膝関節のX線検査を行い、この病変の発生状況を調査しています。

馬の膝関節は図1の骨標本に示す位置にあり、SBCはX線写真では透亮像(黒く抜けた所見)として認められます(図1)。

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図1.馬の膝関節の位置

 

 

この病変は図2のとおり大きさと形状によって4つのグレードに分けられます。

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図2.SBCグレードごとの形状と大きさ(出典:Santschi et.al, 2015, Veterinary surgery, 44(3), pp281-8

グレード1: 極わずかな軟骨下骨の窪み

グレード2: ドーム状の軟骨下骨の窪み

グレード3: ドーム状のX線透過部位を有する嚢胞

グレード4: 円形・釣鐘状のX線透過部位を有する嚢胞

 

  SBCグレードは数値が高くなるに従い、予後が悪くなる傾向にありますが、X線検査で大型(直径10mm以上)のSBCが確認された1歳馬において、跛行を示したのは2割以下であり、SBCを確認した馬が必ずしも跛行を呈するわけではないとの報告もあります(妙中ら, 2017, 北獣会誌, 61, 207-211)。

症状を伴わない場合は治療を行う必要はなく、調教を進めることができますが、跛行が続く場合には治療が必要となる場合もあります。治療の方法にはいくつか選択肢がありますが、近年では螺子挿入術による治療法が特に注目されています。螺子挿入術とはSBCを跨ぐようにして螺子を挿入することで周囲の骨を固定・補強する治療法です。この治療法では2ヶ月の休養が必要とされますが、3ヵ月後には多くの馬が通常運動を行えるようになるまで回復すると報告されています(Santschi et al, 2015, Veterinary surgery, 44(3), pp281-288 )。

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図3.螺子挿入術

 

しかしながら、SBC自体には未解明の部分が多いため、確実な方法としては確立している治療法はありません。そのため、日高・宮崎両育成牧場では、発症時期、原因、跛行との関連性および病変と競走成績の関連性を明らかにするとともに、治療を含めた管理方法の確立を目指して研究を継続します。

日高育成牧場 業務課 胡田悠作

育成期の運動器疾患(軟骨下骨嚢胞)

例年より降雪が遅いものの日々の最低気温が氷点下に届きはじめ、日高育成牧場にも冬が到来しつつあります。騎乗馴致も終わり、1歳馬たちの調教も来年の競走馬デビューに向けて徐々に本格化する時期でもあります。とはいえ、この時期の1歳馬たちは未だ成長途上にあり、運動強度が増すにつれさまざまな運動器疾患が認められるようになります。今回は、それらの疾患のうち「軟骨下骨嚢胞」について紹介します。

 

馬の大腿骨内側顆軟骨下骨嚢胞

ボーンシストとも呼ばれ、栄養摂取や成長速度のアンバランスなどの素因や関節内の骨の一部に過度のストレスがかかることが一因となって関節の軟骨の下にある骨の発育不良がおこることにより発生するとされています。X線検査でのドーム状の透過像(黒っぽくみえる領域)が特徴で(図1)、大腿骨の内側顆が好発部位です(図2)。発生時期も1歳春から秋まで様々で、調教が始まるまで殆ど跛行しないため、セリのレポジトリー(上場馬の医療情報)用のX線検査で初めて発見されることもあります。

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              図1

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              図2

嚢胞があったら長期休養または手術?

この嚢胞には炎症産物が含まれており、運動を継続すると病巣が広がってしまうため、一度跛行が認められたら運動や放牧を中止し休養させなければいけません。調教への復帰を早めるため手術(嚢胞部分の掻爬や螺子挿入)されることもありますが100%改善するとは限りません(図3)。しかし、この病気の発症馬43頭とその「きょうだい」207頭を比較した調査では、①発症・発見が早いほど出走率は高く、②平均出走回数は「きょうだい」と発症馬との間に差がなく、③手術した14頭の出走率は71%、しなかった29頭は52頭であったことが報告されており、早期診断・適切な治療・管理をすれば競走馬としての可能性が十分に期待できることがわかっています。

※出展:馬大腿骨遠位内側顆軟骨下骨嚢胞罹患馬の追跡調査(NOSAI加藤ら)

 

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          図3

また、掻爬による手術を実施した150頭の軟骨下骨嚢胞発症馬に関する調査では、①損傷していた関節表面の大きさが15mm以下であれば出走率が70%、②対して損傷部が15mm以上であれば出走率が30%、③たとえ症状を示していない1歳馬でも嚢胞の直径が15mm以上のものは高い確率で後々跛行することが報告されています。従って、関節表面損傷部の大きさを指標に発症馬の予後判定ができます。

※出展:馬獣医のよもやま話46「後膝におけるボーンシストについて」(HBA柴田ら)

一方、まだ跛行していない1歳馬1,203頭が大腿骨内側顆軟骨下嚢胞を持っていた確率と、それらの馬のうちどの程度が跛行したのかに関する調査では、①10mm未満の嚢胞を持っていたのは84頭(7%)、②10mm以上の嚢胞を持っていたのは33頭(2.7%)、③後に跛行したのは嚢胞を持っていなかった馬のうちの1頭と10mm以上の嚢胞を認めた馬のうちの6頭だったことが報告されています。このことから、比較的大きな嚢胞が認められた馬の殆どが後に症状無く出走することが可能だということがわかります。

※出展:サラブレッド1歳馬の大腿骨遠位内側顆X線スクリーニング検査における有所見率とその後の跛行発症との相関(ノーザンF妙中ら)

 

最後に

 いずれにしても重要なのは症状を悪化させないための早期発見・早期治療です。そのためには、普段からのチェックやケアの徹底により愛馬の状態を確認しておくことはもちろん、「歩様(騎乗した感じ)がいつもと違う」などの前兆を見逃さないことが重要となります。今回の内容について不明なことなどありましたら、是非日高育成牧場までお問い合わせいただければ幸いです。

日高育成牧場 専門役 琴寄泰光

飼養管理が馬の胃潰瘍発症にもたらす影響

はじめに

免許証のない人(車を運転しない人)に比べて、免許証の保持者のほうが胃潰瘍を発症している割合が多いそうです。私たちは、自覚のないストレスでも簡単に胃潰瘍を発症しているのかもしれません。胃潰瘍を発症する競走馬が多いことから、ストレスが原因であるかのような記事もみられますが、馬にストレスが原因となる胃潰瘍があるのかどうかはよく分かっていません。人は胃内のピロリ菌が胃粘膜を傷つけ、そこが胃酸に侵されることによって胃潰瘍が発症することがよく知られています。馬の胃内にはピロリ菌がいませんが、胃潰瘍を発症している馬が非常に多いことが知られています。

 

馬の胃潰瘍

馬の胃は、構造的に有腺部と無腺部の二つの部位に区別することができます(図1)。胃の下部3分の2を占める有腺部には、塩化水素、ペプシン(酵素)、重炭酸塩と粘液を分泌する腺があり、その表面の粘膜は酸に浸食されない構造になっています。一方、胃の上部3分の1を占める無腺部の粘膜は強い酸により浸食されます。この無腺部の粘膜が胃酸(塩化水素など)に侵され、炎症をおこすことにより胃潰瘍が発症します。有腺部と無腺部は大弯部ヒダ状縁(タイワンブヒダジョウエン)といわれる組織により仕切られていますが、胃潰瘍はこの境界部位に沿った無腺部側に多く発症します。

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競走馬など強い運動が負荷されている馬や子馬は、胃潰瘍が発症しやすいとされています。競走馬の場合、強い運動により胃内部が攪拌され、無腺部が胃酸に晒されることによって発症する場合が多いとされています。一方、子馬の胃潰瘍の発症は、濃厚飼料の過剰摂取に起因するとされています。胃内において、濃厚飼料由来の炭水化物(主にデンプン)が微生物によって発酵されることにより揮発性脂肪酸が生成されます。多量に揮発性脂肪酸が生成された場合、無腺部の粘膜の保護作用が弱まり、胃酸に侵されやすくなると考えられています。

胃潰瘍が発症しても臨床症状を示さない場合も多いようですが、成馬の場合、食欲の減退、体重減少、被毛の劣化、虚脱、歯ぎしりなどの症状を示すとされています。子馬の場合、上記の他に、下痢、哺乳欲減退、流涎症(涎の多量流出)などの症状が知られています。

 

舎飼いと胃潰瘍の関係

唾液はアルカリ性であり、食塊と一緒に胃内に入ることにより胃酸を緩衝(酸を弱める)します。馬が一日中野外にいるとき、24時間中14~16時間は草を食べ続けます。これは、馬本来の自然な行動であり、馬は“不断食の動物”とも言われます。一日中草を食べ続けるということは、胃の中にも常に唾液が入り続けていることになります(図2)。

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馬が家畜として飼養管理されている場合、燕麦など高カロリーの飼料が給与されるため、常に草を食べ続けなくても、必要なカロリーを摂取することが可能となります。その一方で、食べている時間が短くなるということは、唾液によって胃酸が緩衝されない時間帯も多くなってしまします。そのため、放牧を中心に管理されている馬に比べて、舎飼い時間の長い馬は、胃潰瘍を発症しやすくなります。飼養管理において、胃潰瘍の発症リスクをなるべく減らすためには、採食時により多く咀嚼させ、多くの唾液を分泌させることが望ましいと考えられています。同じ量の乾草を摂取する場合でも、切草よりも長いままの乾草のほうが飲み込むまでに、より多く咀嚼する必要があります。この点において、馬房において、長いままの乾草を馬に与えることが推奨されます。

タンパク質も胃酸に対して緩衝的に働くとされており、その給与が推奨されています。穀類は胃内の微生物によって揮発性脂肪酸を発生させ、胃粘膜の保護作用を弱らすことが懸念されることから、タンパク質が多く含まれたアルファルファの給与を推奨する報告がいくつかあります。

日高育成牧場・主任研究役 松井 朗

ファームコンサルタント養成研修

「コンサルタント」と聞いて皆さんが最初に思い浮かべるのは、いわゆる「企業コンサルタント」ではないでしょうか。その業務内容は多岐に亘るようですが、一般的にはクライアント企業の経営的な課題を抽出し、それを改善するための助言を与えて業績を向上させる職業というイメージをお持ちかと思います。

本稿で紹介する「ファームコンサルタント」は、「クライアント企業=軽種馬の生産もしくは育成牧場」であり、主に馬の栄養管理に関する課題の抽出およびそれらを改善するためにアドバイスをする「馬の栄養管理技術者」を指しています。

 

ファームコンサルタントの役割

馬の栄養管理技術者であるファームコンサルタントは、その名から想像できるように、個々の馬に対する給餌を中心とした飼養管理に関するアドバイスの提供が主な役割になります。そのためには、馬の栄養学や草地学はもちろんのこと、外科学や繁殖学など馬の栄養状態と関連する幅広い分野に造詣が深いことが求められます。

具体的には、与えている飼料の種類や量、放牧時間、繁殖成績や疾病発症などの課題をクライアントから直接聞き取ったうえで、BCS(ボディコンディションスコア)や馬体重の測定、栄養が関連する子馬のDOD(成長期外科的疾患)の有無などを確認することで個々の馬の栄養状態を把握するとともに、放牧地の状態なども観察します。これらによって牧場全体を俯瞰的かつ客観的に評価したうえで、クライアントと相談しながら課題の解決に導いていきます。

 

ファームコンサルタント養成研修(栄養管理技術指導者養成研修)

JBBA日本軽種馬協会はファームコンサルタントの更なる普及を目的として、平成27年から「ファームコンサルタント養成研修(栄養管理技術指導者養成研修)」を立ち上げました。2年間に亘ってJRA日高育成牧場で行われた「第1期ファームコンサルタント養成研修」では、総合農協、軽種馬農協、飼料会社等の職員が参加しました。

毎月1回、計24回行われた本研修は「実技・講義・ディスカッション」の3本柱で構成されており、実技では「BCSの測定や疾病の有無の確認を目的とした子馬や繁殖牝馬の馬体検査」、講義では「栄養学、各ステージの馬の飼養管理、草地学など幅広い知識の付与」、ディスカッションでは「毎回参加者に与えられた英語の論文要約や馬体検査レポート作成などの提出課題について参加者全員での意見交換」が行われました。第1期ファームコンサルタント研修では9名が修了し、修了者はそれぞれの立場から研修での「学び」を活かして個々の業務に役立てているようです。

本年9月からは、新たなメンバーによる第2期ファームコンサルタント養成研修が開始されており、前回の参加団体・企業に加えて、牧場関係者も参加者に名を連ねています。このように様々な立場から軽種馬生産育成に携わるホースマンが、2年間の長期間に及ぶ研修を通して栄養管理技術者としての能力を身に着けることで、馬産地全体における飼養管理技術の底上げに繋がるのではないかと感じています。

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日高育成牧場業務課長 冨成雅尚

モンゴル在来馬の調教中心拍数について ②

 前回に引き続き、モンゴル在来馬についてご紹介いたします。今回は、その調教内容と測定した心拍数データについてです。

 

モンゴル競走馬の調教中心拍数

 前回紹介したように、モンゴル競馬はトラックではなく草原の中で行われるレースなので、調教も草原で行います。今回初めてモンゴル競走馬の調教を見学させていただきましたが、私からすれば何もない場所を闇雲に走っているように見えましたが、Davaakhoo調教師いわく草原内にいくつかの調教コースが存在し、レース日程に合わせて調教メニューを決めているそうです。図1はその調教データの1例で、この馬の場合、片道5kmのコースを往復して調教を実施し、前半の下り区間は遅めのキャンター、後半上り区間で速度を上げ最後の700mでスピード調教を実施していました。スピード区間の傾斜は約2%、最高時速は約50km/hでした。

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図1 モンゴル競走馬における調教中心拍数および走行速度変化の一例 

同じパターンで調教を行った4頭について、測定データを表2にまとめました。どの馬も約11km調教を行ったにもかかわらず、最後のスピード区間は50km/h前後で走っており、モンゴル在来馬は小さな体でもスピードとスタミナを両方持ち合わせていることがわかりました。また、最高心拍数は平均225bpm、走行中の心拍数と速度との関係から算出した指標V200とVHRmaxは10.1m/sおよび11.4m/sでした。

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表1 今回測定したモンゴル競走馬の調教データ一覧 

 

モンゴル競走馬とサラブレッド競走馬との比較

 モンゴル競走馬の心拍データについて、日本で測定したサラブレッド競走馬のデータと比較してみましょう。モンゴル競走馬の最高心拍数は、同世代のサラブレッドよりもやや高い値を示しました。一般的に小型の動物の方が心拍数が高いので、この差は体のサイズの違いが影響しているのかもしれません。次に、心肺機能の指標であるV200とVHRmaxですが、モンゴル馬では現役のサラブレッド競走馬よりも低値を示しました。5歳以上のサラブレッド競走馬は競馬という生存競争を勝ち残ってきた比較的優秀な馬たちなので当然の結果だとは思います。一方、日高・宮崎育成牧場で測定したデビュー前のサラブレッド育成馬と比較すると、モンゴル競走馬の方がやや低いものの大きな差は見られませんでした。これは、モンゴル競走馬はポニーのような小さい体であるにもかかわらず高い運動能力を有していることを示唆しています。また今回は示していませんが、運動後の回復期の心拍数を解析した結果、今回調査した全てのモンゴル馬において調教後2分から5分で心拍数が100bpmを切り、強調教を実施したにもかかわらず心拍数の回復が早いことがわかりました。これらのデータも、モンゴル競走馬が高い心肺能力を有していることを示しています。

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表2 モンゴル競走馬とサラブレッド競走馬との運動生理学的指標の比較 

 

再びモンゴルへ

 昨年に引き続き、本年度も国際協力機構(JICA)からの依頼でモンゴル競走馬の心拍数測定のためモンゴルへ行ってきました。今回は、ナーダムレースに向けて実施された約15kmの模擬レースで心拍数を測定することができました。まだデータを公表することはできないのですが、スタート直後からほぼ最高速度(約50km/h)で走行し、徐々に速度が落ちてゴール地点では30-35km/hまで低下していました。一方、心拍数はスタート直後から200bpmを超え、模擬レース中は常に高値で維持されていました。本番のナーダムでは毎年レース中に数頭突然死する馬がいるそうなので、モンゴル競馬は馬の心肺機能に大きな負荷をかける過酷なレースだと感じました。

 

最後に

 ナーダムに代表されるモンゴル競馬は世界的にも有名ですが、これまで運動生理学的報告はほとんどなく、心拍数を調査した研究はありませんでした。今回の調査で初めてモンゴル競走馬の調教中心拍数を調査することができ、非常に貴重な経験ができたと感じています。今後も調査を継続しモンゴル競走馬の運動能力の一端を明らかにすることで、モンゴル競馬の発展に寄与できれば幸いです。その際は、改めて本誌でご紹介させていただきますので、お楽しみに。

 

 

 

 

日高育成牧場生産育成研究室 室長 羽田哲朗(現・美浦トレーニングセンター 主任臨床獣医役)

活性酸素と抗酸化物質(ビタミンE)

はじめに

健康のために適度な運動は欠かせませんが、いかなる運動も健康に有用かと問われると、そうではありません。例えば、トップクラスのアスリートが日々おこなうトレーニングにより、体は鍛えられますが、けっして彼らが健康な状態にあるとはいえません。世界の舞台で活躍するようなアスリートは、一般人に比べて短命であるという少しショッキングな調査報告もされています。アスリートのストイックな鍛錬は、生体にとって少なからず有害な影響をもたらします。

 

活性酸素とは?

 酸素分子は、2個の電子が隣り合った“電子対”という物質が原子の周りに付着した構造をしています(図1)。この電子対は電子がペア―になっている状態では安定していますが、1個の電子が離れてしまうと、酸素分子が非常に不安定な状態になり、活性酸素と呼ばれる異なる性質の物質に変わってしまいます。活性酸素は、例えば、生体内の細胞膜を構成する脂質の電子を奪い、安定な状態に戻ろうとします。その脂質は細胞膜の強度を保つ役割していますが、電子を奪われる(酸化される)ことにより本来の機能を失い、細胞膜は壊れやすくなります。

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図1 活性酸素

酸素分子は酸素原子が2個と、そこに電子が対になった電子対が7個付いた構造となっている。電子は対になった状態では安定しており、酸素分子自体も安定している。しかし、電子対から電子が一つ離れると不対電子となり、これによって酸素分子が不安定な活性酸素に変化する。

活性酸素により生体内の物質が酸化される様は、“活性酸素による体のサビ”と比喩することができます。このように活性酸素は生体内の組織を酸化させ、それらの健常な機能を奪ってしまいます。運動の負荷が大きいほど細胞は多くの酸素を必要とするため、体内に取り込まれる酸素の量も多くなります。活性酸素の源となる酸素が多く体内に入ってくれば、当然、活性酸素の発生量も多くなり、体もサビやすくなるわけです。過剰に活性酸素が生成され過ぎるのを防ぐため、活性酸素を無害化させる酵素も体内で作られますが、高強度の運動をおこなう場合、活性酸素の生成は酵素の作用を上回ってしまいます。

 

活性酸素から体の酸化を守ってくれる抗酸化物質

 生体内で分泌される酵素以外に、飼料やサプリメントから摂取できるビタミンE・ビタミンC・アスタキサンチン・コエンザイムQ10・リコピン・セレン・銅・亜鉛も活性酸素に対して抗酸化能力があります。

強い運動負荷時において、馬は体重100kg当たり200mgのビタミンEが必要とされています。競走馬や高強度の運動が負荷される後期育成馬にみられるタイイングアップ症候群(スクミ)は、筋細胞膜が活性酸素に酸化されることが発症の要因の一つになっています。ビタミンEの給与量が必要量を下回る場合、スクミ発症のリスクは高まると考えられますが、必要量以上のビタミンEの補給がその予防に効果があるのかはよく分かっていません。

 

ビタミンEの補給とDNA酸化の予防

活性酸素は、細胞膜以外にDNAを酸化し、DNAの持つ情報を変化させてしますことがあります。変異されたDNA情報を持った細胞が増殖していくと生物の健康は損なわれてしまいます。ガン化細胞の増殖などはその顕著な例ですが、そのように間違った細胞の増殖を極力抑えるため、生命における防御システムとして変異した細胞が自殺する『アポ―トーシス』という現象がみられます。このアポトーシスの発生量で、活性酸素によってDNAがどの程度酸化されかを推測することができます。エンデュランス競技の3週前より、馬にビタミンEを体重100kg当たり約1,000mg給与したとき、ビタミンEを補給していない馬(対照群)に比べて、競技開始から定めたポイントで細胞中のアポトーシス発生割合は明らかに少なくなっていました(図2)。この結果は、活性酸素の有害性がビタミンEによって消されたことで、DNAの酸化が少なかったことによると考えられています。この量は必要量の5倍にもなりますが、これだけのビタミンEを運動中の馬に給与すべきなのかについては明言を避けたいと考えています。対照群の馬に給与されていたビタミンEが約30mg(体重100kg当たり)と必要量より大幅に少なかったこともありますが、アポトーシス発生に現れる運動中のDNAの酸化は、避けるべき現象なのか、それとも鍛えられる過程においては必要なプロセスなのかを一概に判断できないためです。今回は、ビタミンEという物質が、生体内の酸化ストレスに極めて大きな影響があることを紹介するに留めておきたいと思います。

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図2 ビタミンEの補給が運動時の細胞内アポトーシス発生に及ぼす影響

緑色で示したビタミンEを常時補給されている馬のエンデュランス競技中の白血球細胞内におけるDNA酸化の指標となるアポトーシスの発生割合は、緑色のビタミンE非投与馬(対照群)に比べて明らかに多かった。

 

おわりに

活性酸素が体をサビさせる有害な物質であることは間違いありません。運動などの外的な環境変化によって過剰に発生する活性酸素に対して、生体組織の防衛のため、生体は抗酸化酵素の活性を高めるなど生理的に適応していくとされています。もう一歩踏み込んで考えると、運動によって活性酸素が多量に発生することは避けられませんが、体内で生成する酵素で無害化できるように適応していくことも、トレーニングのひとつであるというとらえ方もできるのではないでしょうか。近年、ヒトの抗酸化作用のサプリメントの多用が、活性酸素に対する本来の無害化能力を弱め、将来的に健康を害する危険があるという報告がなされています。強い運動が負荷されるサラブレッドについても、適材適所での抗酸化物質を補給する有用性は否定できませんが、いたずらにサプリメントのみに頼らず、活性酸素に抗い適応させていくという観点も同時に必要なのかもしれないと私は考えています。

 

 Oxidative Medicine and Cellular Longevity Volume 2012

C.A. Williams et. al.

 

 日高育成牧場生産育成研究室 主任研究役 松井 朗

食道閉塞(のどつまり)

食道「閉塞(へいそく)」?「梗塞(こうそく)」?

食道閉塞は、食道が食塊や異物によりふさがってしまう病気で、よく「のどつまり」といわれています。古くから「食道梗塞」という病名が慣例的に使われていますが、本来「梗塞」とは脳梗塞など血液循環障害により生じる虚血性壊死のことをいいます。ですので、「のどつまり」のような病気に用いるのは本来ふさわしくありません。そのため、本稿では海外でも使用されている「食道閉塞(esophageal obstruction)」という病名を用いています。

 

診断と治療

流涎(よだれを垂れ流す)、水および摂食物の逆流、咳などが特徴的な症状です(図1)。診断はこれらの症状、経鼻食道(鼻から食道への)カテーテルの挿入、内視鏡検査により行われます。内視鏡検査では閉塞物、閉塞部位および食道内の異常を確認することができます(図2)。多くは内科療法により治癒可能で、経鼻食道カテーテルを用いて食道に適量の水を注入したり、頚をマッサージしたりして、閉塞物を外側から揉みほぐすことで閉塞の解除を促します。また、内視鏡専用の鉗子を用いて閉塞物をほぐすこともあります。これらの治療を行う際は、鎮静剤の投与により馬の頭を下げさせ、誤嚥を防ぐことが重要です。鎮静剤にはその他に食道の収縮を軽減させる効果もあります。外科療法としては食道切開術がありますが、様々な合併症(食道の裂開・狭窄、電解質平衡異常、頚動脈破裂など)を引き起こす可能性があり、対象は内科療法を繰り返しても良化しない症例に限られます。

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閉塞物除去後の管理

食道閉塞は閉塞物除去後の管理が非常に重要で、それが適切に行われないと再発を繰り返し、死に至る可能性もあります。管理手順について図3にまとめました。閉塞すると閉塞物により食道粘膜の損傷が生じ、狭窄を伴うことがあります(図2)。すぐに通常の給餌を行うと再発のリスクが高くなるため、粘膜の損傷が良化するまで流動食(水分を多く含んだ軟らかい飼料)を与えます。牧草(切り草やキューブを含む)は再発の原因となるため、食道粘膜の修復期間中は与えるべきではありません。また、敷料(麦稈やシェービング)を食したことにより再発するケースも多くありますので、注意が必要です。再発すると食道粘膜の状態を悪化させるため、再び絶食からやり直しとなります。再発を繰り返すと治療期間が長引くだけでなく、食道が正常に機能しなくなり予後不良と診断されることもあります。そうならないためにも内視鏡検査を定期的に行い、食道粘膜の修復(7~21日かかるとされる)を確認してから通常の給餌を再開します。

 

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重要な合併症:誤嚥性肺炎

誤嚥性肺炎は、食道閉塞時に食道から逆流した飼料や唾液が気管内に流入することで生じます(図4)。発症から解除後数時間以内では、多くの馬の気管内に中等度から重度の汚染が生じています。このような状態は誤嚥性肺炎を引き起こすリスクが高くなります。また、肺炎の発症と気管内の汚染度合いとは相関がないという報告もあるので、たとえ診察時に気管内の汚染が軽度であっても油断してはいけません。以上のことから軽種馬育成調教センター(BTC)では多くの場合、誤嚥性肺炎の予防的措置として抗菌薬を投与しています。

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予防

不十分な咀嚼は食道閉塞の発症リスクを高めます。定期的に歯科検診を実施し、馬がしっかりと咀嚼できる状態をキープしてあげましょう。早食いの馬も発症しやすいと考えられるので、そのような馬に対しては一度に多量の飼料を与えるのではなく、なるべく小分けにして与えるようにしましょう。飼葉桶に障害物(大きな石など)を入れておいたり、乾草ネットを使用したりすることも有効です。

 

最後に

先にも述べましたが、食道閉塞は重篤化すると命にかかわる疾患です。しかし、その認識は薄く軽視されがちなのか何度か再発を繰り返してから、診療を依頼されることがあります。今回の記事により一人でも多くの方が食道閉塞の理解を深めるとともに、治療や管理の一助にしていただければ幸いです。

軽種馬育成調教センター軽種馬診療所 日高修平

後期育成馬における深管骨瘤

【はじめに】

深管骨瘤は、様々な用途の馬で跛行を引き起こす原因として古くから知られており、競走前の後期育成馬においても発生の多い疾患の一つです。その病態は名前の通り、管近位後面の深部(図1)に骨瘤を形成する疾患とされています。この部位は周囲を副管骨、浅屈腱、深屈腱、深屈腱の支持靭帯および繋靭帯といった構造物に囲まれた深い場所に位置します。そのことから、患部の熱感、腫脹、触診痛といった症状が表在化しづらい傾向があります。それゆえ、最初に観察される症状が跛行であることがほとんどで、跛行以外の症状が認められないことも珍しくありません。跛行の程度は速歩でしか認められない軽度なものから、常歩ではっきりと観察されるような重度のものまで様々です。

1_9 図1.深管骨瘤が発生する管近位後面


 

【深管骨瘤の病態】

深管骨瘤は大きく二つの病態に分けられます。一つは繋靭帯と管骨の付着部で起こる靭帯付着部症で、もう一つは繋靭帯と関係なく骨単独で起こるストレス骨折です。

靭帯付着部症は、繰り返しの運動負荷により管骨が繋靭帯に引っ張られることで、その付着部である管骨近位後面で傷害が起こります。損傷の程度や発症年齢により骨膜炎、剥離骨折、繋靭帯炎などを発症します。後期育成馬のような若い馬では、骨膜炎や剥離骨折が多くみられます(図2)。その一方、競走馬や乗用馬などのより高齢の馬において発生が多いとされる付着部近くでの繋靭帯炎はあまりみられません。これには年齢の若い育成馬特有の理由があります。腱や靭帯といった組織は年齢とともに強度や弾力性が低下しますが、年齢の若い育成期では柔軟性に富み、高い強度を持っています。それに対して、成長期の骨は軟骨部分が多く未熟であり、腱や靭帯と比較して強度が低いことから、強い負荷がかかった際には物理的な強度の低い靭帯付着部の骨に傷害が起こりやすいのです。そのため、繋靭帯炎は少なく、骨膜炎や剥離骨折の発症が多いと考えられています。

2_8 図2.管骨近位後面のレントゲン画像(左:骨膜炎、右:剥離骨折)

ストレス骨折についても、繰り返しの運動負荷が原因で起こります。管骨の近位後面に圧縮力がかかることで発症するとされており、重度の症例では同部の皮質骨(骨の表面にある硬い部分)に骨折線が観察され、その周囲では骨硬化像(骨が硬くなりレントゲン検査でより白く映る)が認められます(図3)。

3_8 図3.ストレス骨折を発生した管骨近位後面のレントゲン画像
 

【難しい診断】

深管骨瘤は周囲を様々な構造物に囲まれていることから症状が表在化しづらく、診断することが難しい疾患です。触診では異常が確認されないケースでも、診断的麻酔法(患部に分布する神経やその患部へ直接局所麻酔薬を注入することで、跛行の原因箇所を特定する診断方法)を実施することで本疾患が判明することも珍しくありません。触診で問題がなかったとしても、跛行の原因の一つとして除外せずに考えておく必要があります。

 

【予後】

後期育成馬における深管骨瘤の予後は、その症状に応じてしっかりとした休養、リハビリ期間を設けられれば、運動を再開して競走馬デビューすることは難しくありません。しかし、休養やリハビリが適正でなかった場合、運動により再発を繰り返し難治化する恐れもあるため、発症後の管理には十分な注意が必要です。

軽種馬育成調教センター軽種馬診療所 安藤邦英

乳酸を利用した育成トレーニングの評価 ②

 今回は、育成馬における血中乳酸値の応用方法を紹介します。

 

乳酸値の測定方法

 筋肉内で産生された乳酸は“モノカルボン酸輸送担体”の作用により血流に入るので、血液中の乳酸値を測定すれば筋肉でどれぐらい乳酸が産生されたかを評価することができます。測定には専用の機器が必要で、以前は100万円以上する高価なものでしたが、近年は比較的安価でポータブルな機器が利用されています(写真1)。この機器は、毎回センサーチップを交換する必要がありますが、先端にわずかな血液を付着すれば10数秒で乳酸値を測定できるので、調教現場でも利用できる便利なものです。このような乳酸測定器は、現在多くのスポーツ現場や競走馬調教で利用されています。

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写真1 乳酸測定器と測定方法

 A:ポータブル乳酸測定器(アークレイ社製・ラクテートプロ2)とセンサーチップ、B:走行直後の採血、C:チップの先端にわずかな血液を付着するだけで測定可能(Aの機器では0.01ml)。

血中乳酸値の評価法-運動負荷

 前回紹介したように糖質のエネルギー代謝には解糖系と酸化系があり、運動強度が弱いと両者がバランスよく働き、乳酸はほとんど産生されません。しかし、運動強度が強くなると解糖系の方が多く働いて乳酸が産生され、血中乳酸値が上昇します(図1)。この上昇は運動強度に応じて大きくなるため、乳酸値を見れば馬にどれくらい負荷をかけることができたかを評価することができます。ここで一つの基準となるのが“乳酸蓄積開始点(OBLA)”です。OBLAは血中乳酸値が4mmol/Lになる運動強度を表しており、この辺りから血中乳酸値が上昇し始めることから、人や馬で無酸素性運動の基準強度として利用されています。

 

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図1 調教時の運動強度と必要なエネルギー量・血中乳酸値との関係

 運動強度に比例して必要なエネルギー量が増加し、ある強度以上になると血中乳酸値が上昇する。OBLAは乳酸が上昇し始める運動強度を表している。血中乳酸値の評価法-運動能力

 次に、JRA育成馬で測定したデータから運動能力の評価法を考えてみましょう。図2は、屋内1000m坂路調教後に測定した血中乳酸値と3ハロンの平均速度との関係を示しています。この図を見ると、概ね速度に比例して乳酸値が上昇していることがわかります。この関係を利用して標準直線(回帰直線)を引き、それを基準に評価することで乳酸が産生されやすいかどうか、つまり馬の有酸素性運動能力が高いか低いかを評価することができます。図2を見ると、Horse Aはほとんどの点が直線より下、Horse Bは逆に直線より上にあり、Horse Cは多少ばらつきがあるものの直線近くにあることが分かります。これらのデータから、Horse Aは有酸素性運動能力が高いため乳酸の産生が少なく、Horse C-Horse Bの順に能力が低いと評価できます。このように、乳酸値と速度との関係から得られた標準直線を利用することで、育成馬の有酸素性運動能力を評価することができます。

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図2 屋内1000m坂路走行後の血中乳酸値と走行速度との関係

 JRA育成馬で坂路走行1~2分後に採血を行い、ラクテートプロ2で乳酸値を測定。

 

血中乳酸値で競走能力を評価できるのか?

 有酸素性運動能力は競走馬にとって重要な能力の一つであるため、血中乳酸値は競走能力の一部を反映していると言えます。一方、図2のHorse A-CはすべてJRA2歳戦の勝馬で、Horse Aのような乳酸値が低い馬が勝ち上がるのは理解できますが、Horse Bのような乳酸値が高い馬が勝つことができたのはなぜでしょうか?それには、馬の体質が関係していると考えられます。Horse Aはスマートな馬でしたが、Horse Bはがっちりした体格をしていました。筋肉量が多いと瞬発力には優れているものの、多くの乳酸が産生されやすいため、長距離よりは短距離向きだと考えられます。実際、Horse Aは1800m戦、Horse Bは1000m戦で勝利しており、Horse Cがその中間1400m戦の勝ち馬であることもこの考えを証明しています。これらのことから、血中乳酸値は馬の有酸素性運動能力だけではなく、距離適性とも関連があるのかもしれません。また、育成馬の場合はその後の成長が競走能力に影響を与えるので、その点も考慮する必要があるでしょう。

 

乳酸値の測定で注意すべきこと

 乳酸値は便利な運動指標ですが、測定時に注意すべき点がいくつかあります。その一つが調教メニューです。調教馬場や距離が変われば筋肉への負荷が変わるので血中乳酸値が変わり、ウォームアップもエネルギー代謝に影響を与えるため値が変動する可能性があります。したがって、乳酸値を利用する場合は基本的に同じ馬場・同じパターンで調教することが重要です。もう一つは採血のタイミングです。図3はトレッドミル上で1000m走を行ったときの血中乳酸値の変化を表しています。乳酸値が10mmol/Lを超える運動を行った場合は5分後まで高値で維持されますが、3~6mmol/Lの場合は1分以内に最大値になり10分後には最大値の1/2以下まで低下します。したがって、この影響を小さくするためには、調教終了後できるだけ早く毎回同じタイミングで採血することが重要です。また、採血管を利用する場合は、採血管内での糖質代謝を防ぐためフッ化ナトリウム入り採血管の使用をお勧めします。

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図3 調教後の血中乳酸値の変化

 サラブレッド実験馬を用い、傾斜7%のトレッドミルにおいて3段階の速度で1000m走(網掛け部)を実施し、その後の15分間常歩運動を行った。

 

最後に

 乳酸は、採血が必要で注意事項が多いことから難しそうに感じますが、坂路調教など一定距離の調教時に利用すれば非常に便利な指標です。興味がある育成関係者は、一度乳酸測定にチャレンジしてはいかがでしょうか?乳酸のことをより詳しく知りたい方は、東京大学・八田秀雄教授の著書で勉強されることをお勧めします。

 

 

日高育成牧場・生産育成研究室 室長 羽田哲朗(現・美浦トレーニングセンター 主任臨床獣医役)

乳酸を利用した育成トレーニングの評価 ①

 馬関係者であれば一度は“乳酸”という言葉を耳にしたことがあると思います。『運動すると体の中で溜まるもの』とか『疲労物質?』などとお考えの方が多いのではないでしょうか。今回は、乳酸とは何か?どのように作られるのか?を解説し、日高育成牧場で測定したデータを見ながら育成調教への応用方法を紹介します。

 

筋肉のエネルギー源

 筋肉のエネルギー源は?と考えると“炭水化物”や“脂肪”をイメージするかと思いますが、実際には“アデノシン3リン酸(ATP)”という分子です。ATPは、遺伝子の元となるアデノシンにリン酸基が3つ繋がった構造をしています(図1)。筋肉収縮のメカニズムは、3つのリン酸基のうち一番外側にある1つが外れたときに大きなエネルギーが発生し、それを利用して筋肉が収縮します。このATPのエネルギーは全ての真核生物で利用されており、“筋肉を動かすこと”は“ATPを作り出すこと”と言い換えることができます。

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図1 アデノシン三リン酸(ATP)のエネルギー利用

 ATPがADP(アデノシン二リン酸)とリン酸基に分解されると、7.3kcal/molのエネルギーが発生する。動物はこのエネルギーを利用して筋肉を収縮し、心臓を動かし、脳を活動させている。

 

解糖系と酸化系

 エネルギー分子である“ATP”を作り出す過程のことを“エネルギー代謝”と言います。その経路はいくつかありますが、運動時に最も重要なのが“解糖系”と“酸化系”です(図2)。解糖系とはその名の通り糖質(炭水化物)を分解する経路で、酸化系は分解した糖質を酸化(酸素をつけること)して二酸化炭素と水に分解する経路です。糖質の代表格であるブドウ糖を例に説明すると、ブドウ糖は筋細胞内でいくつかの酵素の力で2つの“ピルビン酸”に分解されATPが2分子産生されます。この過程が解糖系で、酸素を使わないでATPを産生するので別名“無酸素性エネルギー代謝”と呼ばれます。次に、解糖系で産生されたピルビン酸は筋細胞内のミトコンドリアという器官に入り、酸素を使いながら“TCA回路”と“電子伝達系”で分解され36分子のATPが産生されます。この過程が酸化系で、必ず酸素が利用されるので別名“有酸素性エネルギー代謝”と呼ばれます。解糖系と酸化系がバランスよく機能すれば1つのブドウ糖から多くのATPが産生されるので、効率的に筋肉を動かすことができます。

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図2 解糖系と酸化系

 解糖系は糖質を2分子のピルビン酸に分解する過程を、酸化系はミトコンドリア内で酸素を利用しながらピルビン酸を二酸化炭素と水に分解する過程を表している。

 

乳酸って何?

 軽運動時には、ブドウ糖が完全に分解されるので筋細胞内にピルビン酸が溜まることはありません(図3-A)。しかし、常に解糖系と酸化系のバランスよく働くとは限らず、強運動時には解糖系の方が多く働き産生されたピルビン酸を酸化系で分解しきれないことがあります。この時、余ったピルビン酸をLDHという酵素の力で変換し産生されるものが“乳酸”です(図3-B)。

 ここまでの説明からすると乳酸はブドウ糖の燃えカスのように思えますが、実際には糖質の一種です。分子式を見ると乳酸(C3H6O3)はブドウ糖(C6H12O6)が半分になったような構造をしており、運動が終了すればピルビン酸に戻り酸化系でATP産生に利用されます。(図3-C)。したがって、乳酸はブドウ糖の燃えカスや疲労物質ではなく、エネルギー源の一つであると言えます。

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図3 筋細胞における乳酸の産生と利用

 軽い運動では解糖系と酸化系のバランスが取れているので乳酸はほとんど産生されない(A)。しかし、激しい運動を行うと解糖系で多くのピルビン酸が産生され、酸化系で処理できなくなるため乳酸に変換され筋肉内に蓄積する(B)。運動が終了すると乳酸は再びピルビン酸に戻り、解糖系でATP産生に利用される(C)。

 

なぜ乳酸が溜まると疲労するの?

 乳酸がエネルギー源だとすれば、なぜ乳酸が蓄積したときに筋肉は疲労するのでしょうか?以前は乳酸産生時に筋肉内が酸性になること(乳酸性アシドーシス)が筋疲労の原因だと考えられていましたが、近年は別の要因が報告されています。その一つが無機リン酸の影響で、強運動時に筋肉内に蓄積する無機リン酸が筋収縮に必要なカルシウムと結合して沈殿するため、収縮できなくなることが明らかにされています。現在、競馬のような数分間の運動では無機リン酸の影響が筋疲労の主要因だと考えられていますが、このような現象は乳酸が溜まる強運動時にしか起こらないので、乳酸を筋疲労の指標として考えることは問題ありません。

 今回は内容が少々難しかったかもしれませんが、乳酸に関して知っていただきたい基礎知識を紹介しました。次回はその応用方法を紹介します。

 

日高育成牧場・生産育成研究室 室長 羽田哲朗(現・美浦トレーニングセンター 主任臨床獣医役)