馬事通信 Feed

2024年1月 5日 (金)

第244回 英国ダービーを観戦して

馬事通信「強い馬づくり最前線」第311号

 近年、日本調教馬が海外競馬においてめざましい成績をあげていることは、皆様もご存じの通りかと思います。今年3月のドバイワールドカップデーでは、ウシュバテソーロが日本史上2頭目のワールドカップ勝ち馬となり、イクイノックスがシーマクラシックをIFHA(国際競馬統括機関連盟)のランキングで1位となるハイパフォーマンスで圧勝しました。その他、米国や香港などの大レースでも、日本調教馬が毎年のように活躍を見せています。筆者は現在英国にて研修生活を送っておりますが、現地ホースマンからの日本の馬に対する注目度が明らかに高まっていることを肌で感じております。

 そんな中、去る6月4日にエプソム競馬場において行われた第244回英国ダービーでは、日本が誇るトップサイアーであるディープインパクト産駒のオーギュストロダン(August Rodin)がゴール前で差し切り、「日本産種牡馬産駒として初の英国ダービー制覇」の快挙を達成しました(写真1・QR1)。ディープインパクトは2019年に他界したため、3歳世代がラストクロップとなります。海外産の同世代同産駒は6頭のみであり、ディープインパクトはこの限られた海外産駒のなかから、英国ダービー馬を誕生させたことになります。この勝利によって、同産駒の英国G1競走における勝ち馬は、サクソンウォリアー(2018年2000ギニー)、スノーフォール(2021年オークス)に続いて3頭目となりました。改めて日本の血統が欧州の主要G1競走においても活躍できることが証明されたと言えるでしょう。

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写真1.英国ダービーを制したディープインパクトのラストクロップとなるオーギュストロダン

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QR1.2023年英国ダービーのレース動画

 冒頭で述べたように、近年、世界各国で強い競馬を見せている日本調教馬ですが、実は欧州の舞台では、これまで苦戦を強いられてきた歴史があります。特に英国および愛国に限定すると、G1競走を制した馬はアグネスワールド(2000年ジュライカップ)とディアドラ(2019年ナッソーステークス)の2頭のみとなっています。仏国では5頭がG1競走を制していますが、毎年のように日本のトップホースたちが挑戦している凱旋門賞では、ご存じのようにエルコンドルパサー、ナカヤマフェスタ、オルフェーヴルの2着が最高成績と高い壁に阻まれており、悲願成就には至っていません。

 その理由は様々あるかと思いますが、日本との馬場の相違も一因として挙げられるかもしれません。昨年の凱旋門賞には、タイトルホルダーをはじめ日本のトップホース4頭が出走しましたが、残念な結果となっています。出走直前に降った豪雨による馬場の悪化が敗因とも言われています。このように、欧州の馬場は日本と質が異なるため、ぬかるむと特に力を要する特殊な馬場になり、これが日本調教馬には合わないのかもしれません。

 馬場の重さの他にも、欧州の競馬場の多くは自然の地形を利用しており、その形状も日本と異なります。特に日本の競馬場と比較した際の「高低差」は特筆すべき点であり、その中でも特徴的な一例として、英国ダービーの舞台であるエプソム競馬場について、以下にご紹介します。英国ダービーが行われる約2,420mのコースは、左回りの馬蹄形となっており、スタートしてから約1,100mは長い上り坂が続きます。この区間では約42m上るため、傾斜としては平均で3.8%となり、これは栗東トレセンの坂路の勾配以上となります。その後は下りに転じて、約1,200mの区間で約30m下り、最後の約100mは再び上り坂に転じてゴールを迎えることとなります(写真2・QR2)。特に下り坂は日本の競馬場や調教コースでは、経験できない長く急な傾斜になっています。日本では京都競馬場の外回りコースの3コーナーからの下り坂が有名ですが、その高低差が約4.3mであることを考えると、エプソム競馬場の下り坂はこの約7倍にもなります。

 このようなタフな条件でも強い競馬を見せてくれたディープインパクトのラストクロップとなるオーギュストロダン。今後の更なる活躍に期待し、注目していきたいと思います。

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写真2.通称「タッテナムコーナー」より続く急勾配の下り坂からラスト約100mに上りに転じる特徴的なエプソム競馬場のゴールに向かう直線

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QR2.3D Bird’s-eye Viewによる英国ダービーのコース

JRA日高育成牧場 業務課 竹部直矢

2023BUセールを振り返って ~今シーズンに新たに実施した調教~

馬事通信「強い馬づくり最前線」第310号

 おかげさまをもちまして、今年もJRAブリーズアップセール(以下、BUセール)に上場した馬について、全頭完売することができました。ご購買いただきました方々には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。今回は、JRA育成馬を調教していく上で、今シーズンに新たに意識して取り組んだ調教方針についてご紹介したいと思います。

 

〇速歩でのドライビング

 JRAではこれまでも、騎乗調教に先立ってヨーロッパ式のランジングおよび常歩でのドライビングを取り入れた「ブレーキング」を行ってきました。今シーズンに新たに取り組んだことは、常歩だけでなく「速歩でのドライビング」です(写真1・QR1)。速歩でのドライビングの利点は、常歩よりも速いスピードでの運動が可能となることによって、馬の真直性の程度や、開き手綱の扶助をどの程度理解しているかがより明確になることです。本年、速歩ドライビングを実施したことで、騎乗調教開始後にまっすぐ走行できる馬が例年よりも増加したという効果が得られました。例をあげるなら、自転車を運転する際に、ゆっくりのスピードであれば、フラフラして安定しませんが、ある程度のスピードを出し続けることでまっすぐな状態を維持できるというのと同じ原理です。

 一方、速歩ドライビングの唯一のデメリットを挙げるとするなら、それはレーンを操作する者が速歩で進む馬と同じ速さで移動しなくてはならない点です。その点について、スタッフたちには多大な苦労をかけてしまいました。しかしながら、その甲斐あって、例年以上に騎乗調教へとスムーズに移行することが可能となりました。また、速歩ドライビングでは「左!」「まっすぐ!」「右!」「まっすぐ!」「左!」「まっすぐ!」「右!」・・・という様に、短時間で多くのコマンドを馬に出し続けることとなるため、馬が人にフォーカスし、人から出される指示にすぐに応えようと従順になる効果もあると感じました。その結果、昨シーズンより騎乗時のみならず、普段の取り扱いに関しても人の指示に従順な馬が増加した印象です。

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写真1.速歩でのドライビング(9月中旬:動画はQR1を参照)

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〇調教パターンのルーティーン化

 次に新たに意識して取り組んだことは、調教パターンのルーティーン化です。馬は「予測できる環境」に馴化、つまり落ち着くという性質があります。この性質を利用して、馬が落ち着いた状態での調教が可能となるように、本年は調教パターンのルーティーン化を実践しました。

 その方法は、調教開始時にウォーミングアップとして角馬場での速歩の後、800m屋内馬場での最初の1周を「コーナー速歩-直線ハッキング」とパターン化して、毎日繰り返して実施するというものです(QR2)。例年、スピード調教を開始した頃から馬のテンションが上がり、徐々に人の指示に従わなくなる傾向がありました。しかしながら、このルーティーン化した調教を繰り返すことによって、馬が騎乗者のコマンドを待つ状態、つまり興奮せずに冷静さを保つことが可能となり、スピード調教を開始した後も、昨年より従順であった馬が多かった印象です。

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QR2:調教パターンのルーティーン化(コーナー速歩-直線ハッキングで800m屋内馬場を1周)

 

〇坂路コースでの3列縦隊での調教

 本年は「集団調教」にも意識して取り組みました。坂路コースでの集団調教時において、昨年までは1列縦隊あるいは2列縦隊で走行していましたが、前述のように興奮せずに冷静さを保つことが可能となり、さらに騎乗スタッフのレベルも上がったことから、2列縦隊での集団調教が例年よりも容易に実施できるようになりました。そのため、今シーズンは3列縦隊での集団調教を実践し、隊列の質にもこだわりました(QR3)。

 また、調教のタイム指示については「ステディキャンター(馬が落ち着く速度で安定した駈歩を続ける)」に設定することで、馬が常に落ち着いた状態で調教を実施することが可能となりました。さらに、スピード調教時においても、2頭だけでなく3頭併走での走行を積極的に行いました(写真2)。

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写真2.坂路コースにおける3頭併走での調教(1月下旬)

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QR3:坂路コースにおける3列縦隊での集団調教

 

〇1600m馬場における3列縦隊での調教

 3月下旬にBTCの1600m周回ダートコースが開場してからは、同馬場でも3列縦隊の調教を行いました。直線だけの坂路とは異なり、隊列を維持したままコーナーを曲がらなくてはいけないため、騎乗者にはより高度な技術が要求されます。これまで馬が騎乗者の指示に従順となるように調教が進んでいたため、競馬に類似した馬群を想定した調教が可能となりました(QR4および5)。

 このように、今シーズンの最終目標として、実際の競馬に類似した状況下での調教を実施することによって、競馬出走時においても、前後左右を他馬によって囲まれてもひるまずに走行できる馬、つまり群れに慣れる馬を作ることを目指しました。

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写真3.1600m馬場における3列縦隊での調教(3月下旬:動画はQR4・5を参照)

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QR4(左)およびQR5(右:騎乗者カメラで撮影した映像)

 

〇おわりに

 今回は、今シーズン新たに取り組んだ調教内容をご紹介いたしました。今シーズンは当場の騎乗スタッフおよび騎乗研修を実施していたBTC生徒たちが本当に良く頑張ってくれたため、シーズンを通してレベルの高い調教を行うことができました。

 JRA日高育成牧場では、BUセール後に競走馬として順調にデビューできる馬、さらには勝つことのできる馬を目指して日々調教に取り組んでいます。その過程で得られた知見は、各種講演会や出版物で発信しております。今回の記事が普段育成牧場で馬を調教されている皆さんの少しでもお役に立てば幸いです。

 

JRA日高育成牧場 業務課長 遠藤祥郎

1歳セリにおけるレポジトリー検査

馬事通信「強い馬づくり最前線」第309号

 サラブレッド市場におけるレポジトリーとは、セリの主催者が開設した市場内の情報開示室やインターネット上において、上場馬の医療情報(四肢X線検査画像、上気道内視鏡動画など)を購買者に向けてあらかじめ公開するシステムのことです。国内の市場では2006年のセレクトセール1歳市場で導入されて以降、現在までに広く浸透しています。今回はこれから迎える1歳馬のセリシーズンに向けて、「レポジトリーのどのような所見に注目するべきか」をテーマとして概説します。

 

近位種子骨

 球節の背面に存在する近位種子骨では、X線検査において線状陰影や骨増生を認めることがあります。この線状陰影は、病理学的には栄養血管周囲の拡張した線維組織です。JRAではこの所見に対して4段階のグレード(グレード0~3)を用いて評価しています(図1)。過去の調査において、グレードの低い馬では競走能力に影響がなく、グレードの高い馬では繋靭帯炎の発症率が高くなることが報告されているため、慎重に調教を進める、入念に水冷を行うなど、管理上の注意が必要です。

1_4図1.近位種子骨の線状陰影に基づくグレード0~3のX線所見

 

離断性骨軟骨症(OCD)

 OCDとは骨が成長する過程で軟骨が離れてしまった状態であり、レポジトリーでは飛節や後膝に認められることがあります(図2)。飛節のOCDでは、熱感や腫脹などの明らかな炎症症状がなければ、競走能力に影響がないことが報告されています。一方、OCDが跛行の原因として疑われた際には、関節鏡を用いた摘出術が必要となる場合もあります。後膝のOCDは偶発的に発見されることが多く、そのほとんどは臨床症状を伴いません。

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図2.レポジトリーにおいて注目すべき飛節および後膝におけるOCDの好発部位

 

骨嚢胞(ボーンシスト)

 骨嚢胞とは、関節に面した骨に負荷がかかることで軟骨が損傷し、骨の内部が空洞化してしまった状態であり、特に後膝の検査画像において認められることがあります(図3)。JRAでは4段階のグレードを用いて評価しており、グレードの高い馬ではしばしば跛行の原因となることが知られているため注意が必要です。

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図3.後膝(大腿骨内側顆)における骨嚢胞のX線所見および各グレードの目安

 

喉頭片麻痺(LH)

 レポジトリーに提出される上気道内視鏡動画は、馬が静止した状態で撮影されます(安静時内視鏡検査)。そこで見られる所見で最も注目すべきは披裂軟骨の動きです。正常な状態では、吸気時にほぼ同時に左右の披裂軟骨が開きますが、LHの馬は片側(ほとんどが左側)の被裂軟骨の動きが反対側に比べて悪くなります(図4)。LHは一般的に4段階のグレード(グレードⅠ~Ⅳ)で評価され、グレードⅠおよびⅡは競走能力に影響がないことが知られています。披裂軟骨の動きが悪く、完全に開かない場合には、馬を運動させた状態でより詳細な検査(運動時内視鏡検査)が推奨されます(図5)。また、披裂軟骨がほとんど動かない場合には手術を検討する必要があるため、慎重な評価が求められます。

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図4.喉頭片麻痺(LH)におけるグレードⅠ~Ⅳの安静時内視鏡検査所見像

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図5.運動時内視鏡検査における正常所見(左)と喉頭片麻痺(LH)所見(右)

 

 代表的な注目ポイントを上述しましたが、レポジトリーでは他にも多種多様な所見が認められます。各所見が競走能力に影響するかどうかは、科学的に裏付けされていないものもあり、判断が難しいのも事実です。そのため、実際の生産馬や購買希望馬の所見に関しては、十分な知識を持った信頼のおける獣医師に相談の上、適切に判断することが重要です。

 

日高育成牧場 業務課主査 原田大地

寄生虫が及ぼす影響

馬事通信「強い馬づくり最前線」第308号

 北海道では桜の鑑賞シーズンが終わり、放牧地に青々とした牧草が眩しい季節となりました。今回は、そんな放牧地に潜み、馬の口の中に入り込む瞬間を待ち受けている内部寄生虫についてのお話です。内部寄生虫は、馬の消化管内で何らかの形で栄養素を盗んでいるであろうことは想像がつきますが、計画的な駆虫を勧められるものの具体的にどのような影響があるのかまで知る機会は少ないのではないのでしょうか。

 

内部寄生虫の体内移行

 内部寄生虫には、何らかの形で体内移行するものがいることが知られており、これが馬に対して様々な影響の及ぼす原因となっています。

 大円虫は幼虫の段階で牧草と一緒に馬に摂取され、成長を続けながら腸壁を通過して消化管に栄養を供給する動脈に入り、その後は大腸に移動し成虫となります(図1)。その虫卵は糞便に交じって馬の体外に排出された後に孵化して幼虫となり、再び感染に至るまでのサイクルが始まります。

 小円虫も幼虫として馬の消化管内に入りますが、こちらは体内移行せず腸壁内部に移動して嚢胞を形成し(被嚢)、成虫となって虫卵を排出するのに適した時期まで休眠します(図2)。これらの幼虫が休眠から目覚めて腸管内部へ侵入(脱嚢)します。この脱嚢が大量に発生した場合に、腸壁に対して大きな損傷を与えることがあります。

 回虫は、特に当歳馬にとってより大きな問題となります。幼虫が牧草と一緒に摂取された後に肝臓や肺を通過してから小腸で成熟していきますが、その活動が刺激と炎症を引き起こす可能性があります。また、虫体が大きいため、大量寄生によって生きた虫体のみならず駆虫薬によって麻痺、あるいは死滅した虫体が腸管内に詰まって腸閉塞を引き起し、重症例では死に至ることもあります。

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図1:大円虫の体内移行

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図2:小円虫の被嚢と脱嚢

 

腸管機能との関連性

 このように内部寄生虫の問題は、寄生虫自身が生存するために馬から栄養素を得ることだけでなく、消化管組織に損傷を与え、腸の機能そのものを障害する可能性があることです。

 腸壁は栄養素の吸収に不可欠で、小腸の最初の部分である十二指腸では、糖、デンプン、アミノ酸、脂肪酸などの分子を分解するために必要な多くの消化酵素が分泌されています。消化酵素により分解された栄養素は、その後に続く空腸と回腸の腸上皮に吸収されます。

 寄生虫によってもたらされた腸管組織の損傷や瘢痕は、炎症や刺激となり腸蠕動が亢進して下痢につながる可能性があるほか、酵素を分泌する細胞や栄養吸収を担う細胞に悪影響を及ぼします。また、腸管の動脈内に生存する寄生虫は血流を制限し、腸組織に到達する酸素の量を減少させるだけでなく、この領域の血管の損傷は腸からの栄養素の移動を制限すると考えられています。さらに、これらの損傷部位は動脈瘤を形成する場合もあり、基本的に正常な状態まで完全に回復することはなく、仮に駆虫に成功したとしても罹患馬は体重が増加しにくい状態となる可能性があるということも問題視されています。

 また、前述しませんでしたが、葉状条虫の大量寄生では、腸壁の損傷のみならず腸神経系 (ENS) に悪影響を与えることが知られています。ENSは自律神経系の一部であることから、無意識に消化機能に影響を与えることとなります。宿主のENSが寄生虫の影響を受けると、胃腸の運動障害が誘発されることが推測されます。腸管の運動性が低下すると疝痛発症のリスクが高くなり、反対に運動性が過剰に増加すると栄養素の消化と吸収が低下して下痢を引き起こしやすくなると考えられます。

 

おわりに

 消化管は主に栄養素の消化と吸収、および潜在的に有害な物質が体内に侵入するのを防ぐバリアとしての機能などがあります。内部寄生虫は、これらすべての機能に悪影響を与え、短期的に馬から栄養素を奪うのみならず、駆虫などによって寄生虫が腸管内から排出された後においても、馬が十分な栄養素を得るのを妨げる状況に陥らせることがあります。したがって、2歳未満の馬、そのなかでも特に当歳馬にとっては、スムーズな成長を阻害しうる問題とも言えます。このように書いてしまうと、駆虫薬の積極的な投薬によって寄生虫を駆逐するのが好ましいように聞こえてしまいますが、現状では「駆虫薬耐性寄生虫」という問題が悩みの種となっています。駆虫薬耐性寄生虫とは、駆虫薬が効かない寄生虫のことを意味しており、使用可能な駆虫薬の種類が限定的であるとともに、新しい駆虫薬の開発が困難であることが原因とされています。これらの対策として、「使用する駆虫薬に同じものばかり使用しないこと」、「耐性虫の出現をいち早く検知すること」が提言されています。前者は複数の駆虫薬をローテーションで投薬することであり、後者は駆虫薬投与前後に虫卵数をカウントする「糞便虫卵数減少試験」により、虫卵の減少率を調べることで耐性虫の存在を確認することになります。詳しくは馬の資料室でも紹介していますので、ご参考ください(QR1)。

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QR1:馬の資料室「これからの寄生虫対策」

 このように、馬の内部寄生虫の問題は、もはや個体ごとの駆虫のみでは対応できない状況であり、生産地全体で考えていかなければならない問題となっています。今後も皆様にお伝えできる新しい知見を得ることができましたら、お伝えさせていただきたいと思います。

 

日高育成牧場 主任研究役 琴寄泰光

2023年10月17日 (火)

クラブフットの装蹄療法について

馬事通信「強い馬づくり最前線」第307号

はじめに

 クラブフットとは、蹄と繋の外貌が「ゴルフクラブ」の形状に似ていることに由来してそう呼ばれています(写真1)。クラブフットは生後1カ月~8カ月齢、なかでも特に3カ月~6カ月齢の発育期に好発する蹄疾患であり、球節の沈下不良、慢性的な肩跛行、さらに重度の場合には蹄骨の骨折を引き起こすともいわれています。クラブフットの状態を放置して重篤化してしまうと、競走馬としての将来的な能力のみならず、その馬の価値に影響を及ぼす可能性さえあります。そのため、クラブフットの症状が認められたら、早期に対処していくことが重要となります。

 

クラブフットの原因とグレード

 クラブフットの原因は、深屈腱の拘縮や腱と骨の成長速度のアンバランスと考えられていますが、いまだ発症機序は明らかにされておらず、予防法も確立していません。一般的には、肩や上腕、球節などに何らかの持続的な痛みが生じることにより、上腕部周辺の筋肉が緊張し、関節が屈曲することによって、深屈腱支持靭帯が収縮し、結果的に深屈腱も拘縮する状態と考えられています(拘縮とは深屈腱が縮み、伸縮性を失った状態)。深屈腱が拘縮することによって、その付着部である蹄骨が牽引されるため、結果的にクラブフットを発症します(写真2)。

 クラブフットの発症には遺伝による先天性のものと、後天的のものがあります。後天性のものは生後1カ月~8カ月齢の時期に発症が多く認められます。この原因として、栄養の不足や過多、馬体の発育異常による骨格と筋肉や腱のバランスに伴う異常などが考えられています。実は、放牧地の硬さも重要な要因と考えられており、凍結などにより地面が硬くなると、子馬の肢が過剰に刺激され、疼痛や骨端症が生じて運動量が減少してしまいます。その結果、腱や筋肉の正常な伸縮が阻害され、クラブフットを発症すると考えられています。また、放牧地で草を食する際の長時間の同じ立ち姿勢もクラブフット発症の1つの要因として考えられています。

 クラブフットは、4段階のグレード分類がなされており(写真3)、グレードの数字が高いものほど重度な症例となります。クラブフットは成馬になってからでは、治療することが困難ですので、発症初期の対応が非常に重要です。

 

クラブフットに対する装蹄療法

 腱が発育途上で、成熟前の子馬の時期であれば、改善できる可能性があります。しかしながら、馬の立ち方や体重の掛け方といった馬自身に起因している場合もあるため、完治させることは困難であり、現状から悪化しないように維持するという考え方が一般的となります。

 装蹄療法による対処として、軽症例においては、蹄踵を多削し、蹄の形状を整えます。しかしながら、蹄踵が地面から浮いてしまっているような重症例においては、蹄踵を多削してしまうと深屈腱の緊張が増加し、蹄骨の牽引を助長してしまうため、蹄踵が地面に接地するまでは、充填剤などを用いた「ヒールアップ」を実施し、深屈腱の緊張を緩和させることが効果的です(写真4)。

 さらに、装蹄療法のみでは治療が困難である、より重度の症例においては、獣医師による深屈腱支持靱帯切除術を選択しなければならないこともあります。これによって、深屈腱の緊張が緩和され、クラブフットの進行を抑制することが可能となります。そのため、クラブフットを発症してしまったら、装蹄師のみならず獣医師にも相談し、早期に原因を取り除いていく必要があります。

 

おわりに

 クラブフットの治療は軽症のうちに、適切な処置を施すことが何よりも重要です。そのためには、早期発見できるかがポイントとなります。普段からこまめに歩様チェックを実施し、早期に痛みを取り除くことによって、クラブフットの発症リスクを軽減することが可能となります。

 クラブフットは、市場での評価も含め、馬の将来を大きく左右する重要な蹄疾患です。発育期である当歳、1歳は特に蹄を注意深く観察し、その変化を早期に発見し、素早く対応することが求められます。そのためにも、クラブフットのみならず蹄に異常を認めたら、直ちに装蹄師や獣医師に相談し、早急に対応しなければなりません。

日高育成牧場 業務課 佐々木裕

1_8 写真1.クラブフットという病名は、蹄と繋の外貌が「ゴルフクラブ」の形状に似ていることに由来している。

 

2_3 写真2.深屈腱が拘縮することによって、その付着部である蹄骨が牽引されるため、結果的にクラブフットが発症する(Am Frarrier J 1999 vol25を一部改変)

 

3_3 写真3.クラブフットの指標となる4段階のグレード(Dr. Reddenによる分類)

 

4_2 写真4.蹄踵部を上げることで深屈腱を弛緩させる「ヒールアップ」装蹄療法

スプリングフラッシュ

馬事通信「強い馬づくり最前線」第306号

 北海道でも春を迎えて暖かくなり、青々とした放牧地が増えてきました。今回は春に発生する牧草の急生長「スプリングフラッシュ」についてご紹介いたします。

 

スプリングフラッシュとは

 春になり牧草が急激に生育する状態を「スプリングフラッシュ」と呼んでいます。チモシーやオーチャードグラスなどの寒地型牧草は春の長日条件で出穂、開花するためスプリングフラッシュが顕著にみられます。スプリングフラッシュは日中の最高気温が10~15℃、夜間の気温が4℃以上の日が数日続いた時期に起こりやすく、北海道では4月下旬から5月にかけて起こりやすいと考えられます。気象庁の季節予報によると、本年は例年より早い気温上昇が見込まれているため、本年のスプリングフラッシュが起こる時期は少し早まるかもしれません。

 一般的に採草地におけるスプリングフラッシュは収量の面で歓迎できますが、放牧地においては、過度に生長した牧草の嗜好性が低くなるなどの理由により好ましくないと考えられます。そのため、牛の場合においては、スプリングフラッシュの前に放牧強度を高める(放牧地面積あたりの頭数を増やす)ことや、短期輪換放牧(放牧地を区切り、ある程度の期間で順繰りに放牧していくこと)といった対策が講じられています。一方、馬の場合においては、牛と異なり放牧地が運動の場としての役割も兼ねることから、ある程度の放牧地の面積が必要であるため、スプリングフラッシュが起こる前の施肥は避けて6月上旬に行うことや、掃除刈り(写真1)頻度の増加といった対策が推奨されます。

 

スプリングフラッシュが馬に及ぼす影響

 放牧地のスプリングフラッシュは牧草の過度の生長以外に、馬の健康に悪影響を及ぼす可能性があるとされています。スプリングフラッシュ時期の牧草は自身の生長のため、非構造性炭水化物(以下NSC)と呼ばれる糖分(デンプンやフルクタン)を多く蓄えています。このNSCを過剰に摂取することによって糖代謝異常となり、高インスリン血症由来の蹄葉炎を発症する可能性があることが知られています。2000年に行われたアメリカ農務省の調査によると、蹄葉炎発症馬の50%以上が草量豊富な草地への放牧または濃厚飼料の多量摂取によるものであると報告されており、食餌量や内容が蹄葉炎の発症に大きく関与していると言えます。

 春に放牧される馬は採食量の増加と牧草中NSC含有率の上昇によってNSC摂取量が非常に多くなる場合があります。アメリカで8 万頭の馬(用途・種問わず、除ポニー)を対象に行われた蹄葉炎に関する調査では、蹄葉炎の発症は冬と比較して春および夏に多いことが示されました(図1)。つまり、スプリングフラッシュが起こる時期にNSCを多量に摂取することによって蹄葉炎を発症した可能性が示唆されているということになります。

 なかでも、肥満あるいは高齢馬は蹄葉炎などの糖代謝疾患発症のリスクが高いことが懸念されます。日高育成牧場においても、昨年6月にボディコンディションスコア(BCS)が 7と肥満であった8歳の繁殖牝馬が蹄葉炎を発症しました。このような高リスク馬に対して、スプリングフラッシュに伴う牧草中のNSC含量が高い時期の糖代謝疾患発症リスクを軽減するためには、放牧制限が最も有効です。この理由は、牧草中のNSCは季節変動のみならず日内変動が大きく、これは日射量が光合成による糖の産生量に影響を及ぼすためです。つまり、牧草中のNSCは午前3時から10時の間に低くなることから、NSCの過剰摂取を予防するためには、この時間帯に放牧することが推奨されます。

 

おわりに

 今回はスプリングフラッシュとその影響についてご紹介いたしました。青々とした牧草はとても良好な栄養源ですが、時として悪影響を及ぼす場合もあります。過度に警戒する必要はありませんが、肥満あるいは高齢など糖代謝疾患の懸念がある馬の管理の際に参考としていただければ幸いです。

 

日高育成牧場 生産育成研究室 根岸菜都子

1_7 写真1. 掃除刈り前(左)および掃除刈り後(右)の放牧地

  

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図1. 季節ごとの蹄葉炎発症馬の割合:冬と比較して春および夏の発症が多い(Kane AJ et al. 2000より改変)

PPID調査その2

馬事通信「強い馬づくり最前線」第304号

 前号では下垂体中葉機能障害PPIDについて概説いたしました。本疾患に対して2019-21年に「生産地疾病等調査研究」として取り組みましたので、本稿ではその成果を紹介いたします。本調査研究は大別すると「有病率を明らかにすること」、「繁殖性への影響を明らかにすること」、「治療効果を検証すること」を目的として実施しました。

 

PPID有病率および繁殖性への影響

 日高地区の10歳以上の不受胎馬339頭を対象に、10月上旬に採血しACTH濃度を測定しました。その結果、PPID陽性率8.3%、疑陽性率21.8%、陰性率69.9%でした(図1)。PPID陽性馬28頭の平均年齢は16.1歳で、年齢が上がるにつれてPPID陽性、疑陽性の比率は増加しました(図2)。陽性馬のうち外貌所見(長くカールした被毛)を示した馬はわずか3頭であり、外貌所見を認めない潜在的なPPID馬が多数存在していることが分かりました。陽性馬、疑陽性馬、陰性馬の翌春のシーズン受胎率はそれぞれ63.2%、88.6%、82.8%と陽性馬で低く、PPIDが繁殖成績に影響を及ぼしうることが示唆されました(図3)。各群の平均年齢は16.1歳、14.7歳、13.1歳と異なるため、この年齢差を補正した検定を行っても、依然PPIDが受胎性に影響しているという結果になりました。

 

治療効果

 続いて、10月の一斉検査でPPID陽性と診断された馬を治療群(15頭)と非治療群(7頭)に分けて、翌春の受胎成績を比較しました。その結果、非治療馬の受胎率が28.6%であったのに対し、治療馬の受胎率は80.0%と高く、PPIDによって低下した繁殖性は投薬によって改善しうることが示唆されました。さらに、個別に詳細な繁殖記録も比較しましたが、発情所見、卵巣・子宮などに一貫した傾向は認められず、PPIDがなぜ受胎率を低下させるのか考察することは叶いませんでした。

 

蹄葉炎を発症した馬

 本調査では11月から投薬を開始し、繁殖シーズンが終了した6月末に投薬を終了しましたが、投薬終了後の7-9月に2頭が致死性の蹄葉炎を発症しました。未だ蹄葉炎発症とPPIDの関連性について明確なことは分かっていませんが、ペルゴリド治療が蹄葉炎リスクを軽減している可能性を示唆する事例でした。

 

調査結果を踏まえて

 今回、PPIDが受胎性に一定の影響を及ぼすことが示唆されましたが、PPID陽性馬すべてが不受胎となるわけではありませんので、不受胎であったすべて馬に対してPPIDの検査をする必要はないと思われます。特に10歳未満であればPPIDの可能性は極めて低く、10-12歳でもそれほど高くありません。まずは一般的な不受胎原因(子宮内膜炎や排卵障害、外陰部の形態異常、子宮頚管の損傷など)について検査および治療を行い、それらの可能性が低いような馬、高齢馬、肥満馬、蹄葉炎に罹患したことがある馬などに対してACTH検査を検討することが推奨されます。

 

さいごに

 本調査は臨床現場における調査ですので、さまざまなバイアスが存在し、必ずしも科学的に証明されたデータとは言えない部分があります。また、PPIDが妊娠維持に影響するのか(受胎後、出産まで治療が必要なのか)、疑陽性馬はその後に陽性へと進行するのか、治療が必要なのか、IDが繁殖性にどう影響するのか等については本調査ではアプローチできておらず、今後の課題として残っています。それでも従来「PPIDは受胎性に影響する」と漠然と言われていたことに対して、日高地区の獣医師および生産者が協力して取り組んだことで具体的な数字を示すことができました。本調査研究にご協力いただきました多くの獣医師、生産者の皆さまに深謝いたします。

 

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図1 不受胎馬(10-20歳)におけるPPID区分

 

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図2 年齢ごとのPPID区分内訳

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図3 スクリーニング調査時のPPID区分における翌春のシーズン受胎率

 

日高育成牧場 生産育成研究室長  村瀬晴崇

PPID調査その1

馬事通信「強い馬づくり最前線」第303号

 徐々に日差しが暖かくなり、雪が解けて地面が見えてまいりました。生産牧場では新生子馬の管理に加えて交配管理も始まり、いよいよ繁殖シーズン真っ只中となってきたのではないでしょうか。交配に関して、周知のとおり牝馬の加齢に伴って受胎率は低下しますが、それでも高齢馬を受胎させたいというのがサラブレッド生産特有の悩みと言えます。高齢馬が受胎しづらくなる原因は卵細胞の品質低下、卵胞発育不全、子宮環境の悪化、外陰部の構造不整などいろいろ知られていますが、本稿では内分泌疾患のPPIDについて概説いたします。

 

PPIDとは

 PPIDはPituitary Pars Intermedia Dysfunctionの略で、「下垂体中葉機能不全」と訳します。脳でホルモン分泌の上位を司る下垂体という組織のうち、中葉という部分が肥大し、機能不全をきたすことで、全身に様々な症状を示します。以前は「クッシング病」と呼ばれていましたが、ヒトやイヌのクッシング病とは病態が異なることが明らかとなり、近年病名がPPIDに変わりました。このPPIDは「インスリン調節異常ID」、「馬メタボリックシンドロームEMS」などとともに代謝疾患というカテゴリに分類される疾患です。

 PPIDの症状として被毛(長毛、巻き毛)、削痩(背腰の筋肉がおちる)、局所的な脂肪沈着(首の付け根)といった外貌上の変化がよく知られています。その他に多飲多尿、発汗、免疫低下、行動異常(大人しくなる)、繁殖性低下など様々な症状を示します。繁殖性に影響を及ぼす機序は未だ解明されていませんが、考えられる仮説として1)下垂体が分泌する生殖ホルモンの異常により直接的に子宮卵巣機能に影響を及ぼす、2)代謝ホルモンの異常により体調・体質が悪くなり間接的に繁殖性に影響する、3)免疫力が低下することで子宮内感染が起きやすくなる等が考えられます。

 

PPIDの何が問題なのか

 PPIDは加齢に伴って有病率が高まることが知られており、高齢馬(15歳以上)の有病率は21-27%にもなりますので(McGowan2013, Christiansen2009)、病気ではなく「加齢性変化」と言うことができるかもしれません。病気か否かはさておき、PPIDは蹄葉炎のリスクファクターでもあるため、近年注目されています。また、繁殖領域においては繁殖性低下という点において注目されており、世界的に不受胎馬に対して検査、治療が行われるようになりました。

 

PPIDの検査方法と治療方法

 馬内分泌学グループ(Equine Endocrinology Group)という団体がPPIDをはじめとする代謝疾患の診断基準や治療プロトコルを提唱しています。PPIDの診断チャートは非常に複雑ですが(図1)、検査方法はACTH濃度測定とTRH刺激試験の2つのみです。慣例的に、まずは手軽なACTH濃度を測定します。ACTH検査で最も注意すべきことは、季節による影響を理解することです。特に下垂体中葉の機能は秋に亢進し、診断精度が高くなるため、この時期の検査が推奨されます(表1)。繁殖シーズンに不受胎であった牝馬に対して秋にACTH測定を行い、陽性と診断された馬についてはそこから春に向けて投薬を開始するのが良いでしょう。

 PPIDの治療にはドパミン作動性神経拮抗薬であるペルゴリド錠が用いられます。PPIDは下垂体中葉のドパミン作動性神経が障害される疾患であるため、このドパミン受容体に結合するペルゴリドの投与により神経伝達機能が回復します。このペルゴリドは副作用として泌乳ホルモンであるプロラクチンの分泌を抑制するため、妊娠馬に対しては分娩予定日1か月前から投薬を控えることが推奨されているのでご注意ください。また、障害された神経細胞が再生するわけではないので、投薬を継続する必要があります。

 

さいごに

 本稿ではPPIDの概要について解説いたしました。それでは、どれほどの繁殖牝馬がPPIDに罹患しているのか、受胎率にどれほど影響があるのか。これらの点について、2019-22年に「生産地疾病等調査研究」において取組みましたので、次号ではその成果を報告いたします。

 

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図1 PPID診断チャート

 

表1 月ごとのPPID診断基準値(pg/mL) 

  否定的 判別不可 可能性高い
12月―6月 <15 15-40 >40
7月&11月 <15 15-50 >50
8月 <20 20-75 >75
9月―10月 <30 30-90 >90

日高育成牧場 生産育成研究室長  村瀬晴崇

2023年3月 7日 (火)

分娩シーズンに向けた準備

馬事通信「強い馬づくり最前線」第302号

 生産地では新年を迎えた1月から少しずつ子馬が誕生したという嬉しい知らせが聞かれるようになり、2月に入ってからは本格的に分娩シーズンを迎えています。分娩の準備を用意周到に行ったはずが、いざシーズン最初の分娩が始まると、忘れていたことに気づき、冷や汗をかいたという経験をされたことがある方もいらっしゃると思います。そこで今回は、分娩前に準備すべきものについて簡単に解説するとともに、それらの詳細について記載している日高育成牧場のインターネットサイトのQRコードを紹介します。

 

準備するもの

 一般的にスムーズな分娩であれば破水後20~30分で子馬が生まれます。このため、分娩予定日が近づいたら、あるいは分娩の兆候が確認された際に、あらかじめ分娩に必要な器材を用意してカゴなどにまとめておくことが推奨されます。特にシーズン最初の分娩は、経験豊富な方にとっても約1年ぶりの分娩となることから、備忘録的にリストを作成しておくことによって、うっかり忘れてしまうということを防止できます(表1)。

               

1 表1:分娩準備器材チェックリストの例

1_2 写真1:必要な器材をカゴなどにまとめておく

 

分娩記録シート

 分娩状況の記録は分娩の進行度合いと経過時間を把握できるため、難産時の獣医師への往診依頼や二次診療施設への輸送など、迅速な判断が必要とされる場面での必要不可欠な情報となります。記録シートには、段階的に進む各分娩ステージの時刻(陣痛症状の発現・破水・娩出・子馬の起立・哺乳・胎便)の他、母馬および子馬の健康状態や処置を施した内容を記録しておくことが推奨されます。繁殖牝馬ごとにファイリングすることによって、翌年以降の出産時の対処方法の参考資料として活用できます。なお、記録シートはパソコンのエクセルなどで簡単に作成できます(表2)。シート下部の子馬のAPGARスコアの評価方法については、過去に掲載したJRA育成馬日誌にて詳しく解説していますのでご参考ください(QR1)。

 2 表2:分娩記録シートの例 

Qr1QR1:APGARスコア解説

 

繁殖牝馬に使用する器材

 破水を確認したら、尾を巻く包帯(伸縮性のあるものが良い)を使用して速やかに尾をまとめ上げることによって、その後の子馬の胎位の確認や分娩介助を衛生的に実施することが可能になります(写真2)。子馬の娩出後に少しずつ出てくる後産(あとざん)は、そのままの状態では後肢で引きずって踏みつけ、引きちぎれてしまう恐れがあります。後産はすでに役割を終えた臓器ですので、汚れて損傷しても問題無さそうに思われがちですが、無理に引っ張られると離断して一部が子宮内に残存し、感染源となってしまいます。そのため、排出されている後産を紐で束ねて自然落下を促す必要があります(写真3)。外陰部から露出する後産が短かったり、ちぎれてしまった場合にはペットボトルを数本結びつけることを推奨いたします。

  

2_2 写真2:破水したら尾を巻く

3写真3:後産を紐で束ねる

4 写真4:レッドバッグ

 

新生子馬のための準備

 糖度計によって計測可能なBrix値は、分娩前には分娩時期の予測(QR2)に、さらに分娩後には初乳に含まれる抗体の量を推定できることから、移行免疫不全症のリスクを推定する検査としても利用可能ですので是非とも準備しておきたいツールのひとつです。また、万が一、分娩後に良質の初乳を飲ませることができない場合に必要となるのが凍結保存しておいた初乳です。分娩シーズン初期には前年度に凍結保存していた初乳を、ある程度シーズンが進んでからは、同年に分娩した繁殖牝馬のうちBrix値が20%以上であり、初産ではなく、泌乳量が多い馬の初乳を採取して凍結保存しておきことが推奨されます。これを生後24時間(腸管からの抗体吸収能を考慮すると理想的には生後12時間)以内に対象となる子馬に投与します。保存方法や投与量についてはQR3にて詳しく解説していますのでご参照ください。

 排出された胎盤(後産)は子馬の状態を推測する材料になるので、計量することが推奨されます。これは、分娩の際に臍帯を通じて子馬の体内に流入するはずであった血液が胎盤内に残っていないか、胎盤炎や循環障害による浮腫が起こっていなかったか等を確認するためです。もし、胎盤重量が子馬の体重の10~11%(4.8~5.5㎏との記載もある)よりも著しく重い場合には何らかの異常が考えられるため、より注意深く子馬を観察する必要があります。他にも子馬が低酸素状態に陥る原因にレッドバッグ(早期胎盤剥離)という状態があります(QR4)。正常な分娩であれば、胎盤は臍帯が子馬の臍から自然に離断するまで酸素を供給し続けますが、これが破水に先立って子宮の内側から剝がれてしまうため子馬が低酸素状態になってしまいます。このレッドバッグは、馬の流産原因の5~10%と言われており、写真4のような赤いベルベットのような表面の袋(レッドバッグ)が膣から排出されるので、これを確認したら速やかにこの赤い膜を破って迅速に娩出させ、必要に応じて酸素ボンベを使用して新生子に酸素吸入を行いましょう。

 また、新生子馬に散見される胎便停滞には浣腸液を使用します。胎便は胎子期に、嚥下された羊水、脱落した腸管細胞や粘液の塊で構成されており、通常は生後数時間以内に排出されはじめますが、通常の便とは異なり、粘ちょう度が高く硬いことが通過障害を誘発しやすい理由です。したがって、子馬が立ち上がって初乳を飲んだ後に、胎便が排出されるまで観察することが推奨されます。

Qr2 QR2:分娩予測について

Qr3 QR3:初乳についてQr4QR4:レッドバッグについて

 

分娩馬房の準備

 分娩前後に使用する器材以外に、環境面の準備も必要です。分娩予定日の4~6週間前には、妊娠馬を分娩厩舎に移動させることが推奨されます。その理由は、その場所に常在する細菌やウィルスに対する抗体を初乳中に産生させ、初乳を介してその抗体を子馬に獲得させるためです。同様に、妊娠7~9か月齢の妊娠馬に対して、馬インフルエンザ、破傷風およびロタウイルスワクチンを接種することによって、抗体を産生させる方法も推奨されます(QR3)。

 

おわりに

 今回の内容が少しでも分娩対応の準備の一助となれれば幸いです。この記事が掲載される時には、日高育成牧場のホームブレッドの出産もスタートしていると思いますが、皆様と一緒に今シーズンを無事に乗り切れるよう祈っております。

 

日高育成牧場 主任研究役 琴寄泰光

2023年1月20日 (金)

厳寒期のサラブレッド育成に関する研究

 「強い馬づくり最前線」は、平成22年(2010年)1月から連載が開始され、今回で第300回目を迎えることができました。この連載が開始された頃は、日高育成牧場において‟生産から競走馬までの一貫した育成研究”が開始され、その第一世代がちょうど1歳馬になった年でもありました。この13年間、日高育成牧場では、生産したJRAホームブレッドや1歳市場で購買したJRA育成馬を活用して様々な育成研究や技術開発を行い、本紙面を通じてその成果を皆さまにお知らせしてまいりました。今回は、これから迎える‟北海道の寒い冬”をテーマにした研究成果と課題について述べます。

 

早生まれのサラブレッド

 長日性季節繁殖動物であるウマの特性を応用したライトコントロール(LC)法は、繁殖牝馬の非繁殖期から繁殖期への移行期に、人工的に光を照射して発情を早期化することによって受胎率を向上させる技術です。その結果、早生まれの子馬を生産することも可能になり、近年では誕生日が1月や2月のGⅠ勝馬も珍しくなくなりました。「早生まれ」と「遅生まれ」の成長や内分泌機能を比較した我々の成績では、子馬は、生まれ月に関わらず、長日期である5月~8月にかけて、1日当たりの体重増体量(ADG;kg)が相対的に高値となることや脳下垂体前葉から分泌される性腺刺激ホルモン(LH、FSHおよびプロラクチン)の分泌も高値になることが明らかになりました。このことは、生まれて間もない子馬の時期から、性ホルモン分泌の中枢である脳の視床下部-下垂体軸が日長時間の延長に反応していることを示しており、そのため、長日期には下垂体前葉から分泌される成長ホルモンの活性も高いと考えられます。これらの考え方から、以前はホームブレッドの出産時期を4月頃になるように計画していました。一方、生まれ月に関わらず、生後間もない時期の子馬は甲状腺ホルモンやコルチゾール値が高値を示すこともわかっています。このことは早生まれの子馬でも、寒冷ストレスに対して甲状腺や副腎が正常に機能していると考えられ、厳寒期においても、適切な飼養管理を実施すれば、子馬を問題なく成長させることができることを示唆しています。早生まれが増加している背景には、人気種牡馬との交配を早期に確実に行いたいなどの事情もあると仄聞しています。かつて、日本の「早生まれ」は活躍しないといわれていましたが、近年は情勢が変化しているようです。したがって、1月や2月の寒冷な時期に出産する母馬や誕生する子馬の飼養管理法の開発は新たな研究課題です(写真1)。

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写真1 早生まれの子馬の放牧風景

 

厳寒期の昼夜放牧

 放牧地が雪に覆われ気温が極めて低い北海道において、中期育成期の子馬の飼育管理方法の開発も重要なテーマです。13年前、我々は昼夜放牧を22時間継続する群(昼夜群)と7時間の昼間放牧とウォーキングマシン(WM)運動を1時間実施する群(昼W群)の生理機能を比較する実験を行いました。その結果、昼夜群は、耐寒のため体温や心拍数が低下するなど、副交感神経活動が優位になるとともに、寒冷時に体温を維持するなどの働きをもつ甲状腺ホルモンやコルチゾールの分泌を低下させて自らの代謝を抑制する冬眠に似た生体反応が生じることが明らかになりました。一方、昼W群ではWM運動によって昼夜放牧と同等の移動距離を確保することができ、さらに、成長ホルモンと同様に成長促進作用を有するインスリン様成長因子(IGF-1)や様々なアンチストレス作用を有するプロラクチンの分泌が促進されることも判明しました。プロラクチンは、寒冷などのストレス感作時に副腎に作用して、生体を防御する働きをもつ糖質コルチコイドの分泌を促すことが報告されています。異なる実験になりますが、日高育成牧場に繫養する4歳のサラブレッド種雄馬を用いてトレッドミルによる運動負荷を加えた研究では、運動強度に応じて成長ホルモンの血中濃度が上昇し、運動後もしばらく一定の濃度が維持されることが明らかになり、集中的な運動は成長に良い影響を及ぼすことが示唆されました。現在、我々は初期から中期育成期においては、自然に近い環境で飼育する観点から、冬期の昼夜放牧に関する研究を継続しています(写真2)。昼夜群のデメリットを昼W群のメリットで補うことができるように、寒さ対策としてシェルター設置や馬服の着用、冬期の代謝や成長を促すためのWM運動を継続しながら、現在もデータを集積しています。

 

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写真2 厳寒期の放牧風景

 

温暖地での二元育成

 JRAでは冬期に寒さが厳しい日高育成牧場(日高)と冬期に穏やかな気候の宮崎育成牧場(宮崎)の2ヶ所で後期育成に関する研究を行っています。過去10年間の後期育成期の体重、体高、胸囲および管囲の成長率を日高と宮崎で比較したところ、すべての指標において雌雄ともに宮崎の方が冬期の成長率が高値でした。その理由は、冬期の気候が穏やかな宮崎では、寒さの厳しい日高と比べて後期育成期の成長停滞が少ないためであると考えられています。生殖機能に関連した内分泌ホルモンの分泌濃度等を比較すると、宮崎は日高と比べて性腺刺激ホルモンや、精巣や卵巣などの性腺から分泌されるステロイドホルモンが早期から分泌を認め、雄では成長促進ホルモンである血中インスリン様成長因子(IGF-1)の濃度が早期に高値となることも判明しました。宮崎では冬季の日長時間の長さから性腺の賦活時期が早いことがその理由として推察されています。さらに、日高と宮崎の調教強度を概ね同程度に設定しているにもかかわらず、宮崎の雄では、筋肉量の指標である除脂肪体重の増加率が高値であったことから、宮崎は冬期に効果的なトレーニングを実施することができる気候である可能性が示唆されました。すなわち、北海道で生産し初期~中期育成を行ったサラブレッドを冬期に温暖な地域で後期育成する「二元育成」の有効性が示されました(写真3)。

 

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写真3 宮崎の調教風景(12月)

 

北海道の後期育成馬に対するLC法

 冬期に気温が低くなる日高では、宮崎と比較すると冬期の成長が停滞しやすいことから、トレーニング負荷によって、未成熟な若馬に特有な深管骨瘤などの筋骨格系疾患(MSI)が発症しやすいと考えられ、競走馬としてのデビューが遅れることが危惧されます。そこで、冬期の成長抑制に対する改善策として、日高の後期育成馬に対して、繁殖牝馬で実施されているLC法を1歳12月から2歳4月中旬まで実施したところ、雌雄ともに、1月下旬から性腺刺激ホルモンや性ステロイドホルモンの分泌が開始されるとともに、自然光下の宮崎と同様に成長が促進されることが明らかになりました。また、雌雄ともに除脂肪体重の増加が観察され、LC法の応用によって北海道においても冬期に十分なトレーニング効果が得られることも判明しました。

 

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写真4 日高の調教風景(12月)

 

体組成(筋肉量や体脂肪率)に関する研究

 近年、筋肉量の増加にはミオスタチンという筋肉内の物質が関与することが注目されています。また、成長ホルモンとインスリン様成長因子(IGF-1)、さらに、性ステロイドホルモンであるテストステロンとエストロジェンは、ミオスタチンの機能抑制に関与することで筋肉量の増加を促進すると考えられています。雄馬と雌馬を比較すると、雄馬は筋肉量が多く、体脂肪率が低いという性差も明らかになっていますが、テストステロンが分泌されない雌馬においてもトレーニングによって筋肉の増量が観察されることから、雌馬では筋肉量増加のメカニズムが雄馬と異なる可能性もあります。このように、後期育成期のサラブレッドの筋肉量増加におけるメカニズムについては不明な点が多く、今後のさらなる研究が必要と考えています。

 

最後に

 日高育成牧場の「世界に通用する強い馬づくり」を目指した研究や技術開発は、我国のサラブレッド生産と競馬が続く限り、永遠に続いていくものと考えています。今後の「強い馬づくり最前線」にご期待ください。

 

日高育成牧場 場長 石丸 睦樹