馬事通信 Feed

2022年9月30日 (金)

繁殖牝馬の蹄管理の重要性

はじめに

  装蹄や削蹄はなぜ行うのでしょうか?野生の馬は削蹄や装蹄といった蹄管理が行われていません。なぜ大丈夫なのか不思議ですよね!?それは馬が一日中自由に動き回っているため、蹄の伸びる量と摩滅する量のバランスが釣り合っているからです。一方、競走馬や乗用馬など人によって管理されている場合は、自由に動き回ることはできず、さらに人為的に運動を課せられるため、蹄の伸びる量と摩滅する量のバランスが崩れてしまいます。そのため削蹄によってバランスを整えたり、蹄鉄で蹄を保護する必要があります。蹄をケアすることは馬の肢勢や運動パフォーマンス、運動器疾患といった様々なところにも関連してきます。「蹄なくして馬なし」という言葉がありますが、まさに的を射た表現だと思います。

繁殖牝馬の蹄管理がなぜ重要なのか?

  繁殖牝馬は、仔馬や育成馬、競走馬と比べると体重が重いため、蹄にかかる荷重も増加します。また、繁殖牝馬のほとんどが跣蹄(はだし)での放牧管理中心のため、蹄の状態は気候や放牧地の地面の影響を強く受けます。その結果、荷重に耐えられなくなった蹄は徐々に変形していきます。蹄壁が反り返る状態のことを凹弯といいます。(写真1、写真2)

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写真1:正常(凹弯のない)蹄

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写真2:凹弯した蹄

 

 写真2のように凹弯した蹄の状態が長期に及ぶと、蹄壁にかかる負荷がより大きくなり、蹄壁欠損や裂蹄といった蹄疾患にもなりやすくなります。軽度の蹄壁欠損であれば処置も簡単で問題なく経過することが多いですが、裂蹄が生じると痛みが強いばかりでなく処置するのにも完治するのにも多くの時間を要してしまいます。また、蹄の生え際である蹄冠部まで達してしまうような裂蹄(写真3)の場合、蹄冠の組織が損傷している恐れがあります。その場合、蹄冠の一部が変形してしまうことから、その後の蹄冠からの蹄角質の成長に変化が生じてしまいます。そうなると蹄の一部が根本から歪んだまま伸びることになるため、同じ部位に裂蹄が生じやすいという負の連鎖に陥ってしまいます。さらに、蹄葉炎といった重度の蹄疾患を続発させてしまうこともあることから、重症化する前の早期の対処が望ましいと言えます。

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写真3:蹄冠部まで達する裂蹄

 

 護蹄管理は、蹄の問題解決の手段だけのように感じるかも知れませんが、その効果は蹄だけにとどまりません。適切に整えられた蹄であれば、馬も快適に動き回ることができるため、放牧地での運動量も自然と多くなり、ストレスの軽減にも繋がります。また、哺乳期には仔馬の運動量にもかかわってくるため、仔馬の発育にも影響を及ぼします。そのほかにも、蹄疾患によって痛みが続いた場合には、疼痛によるストレスで受胎率が低下してしまう恐れもあります。蹄疾患の予防だけでなく、仔馬の健康な発育や生産のためにも繁殖牝馬に対する定期的な削蹄をはじめとした蹄管理や日頃からの観察は重要といえます。

 ちなみに、日高育成牧場では繁殖牝馬の削蹄は4週間に一度の間隔で行っています。仔馬や育成馬、競走馬の肢蹄管理の方に目が行きがちですが、これを機に繁殖牝馬の蹄管理にも少しは着目して頂けると幸いです。(写真4)

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写真4:健康な繁殖牝馬の蹄

日高育成牧場 業務課 佐々木 裕

2022年9月 9日 (金)

IFHA(国際競馬統括機関連盟)馬の生産の福祉に関するミニマムスタンダード

1.IFHA(国際競馬統括機関連盟)とは

 IFHAと聞くと多くの方は、世界の競走馬の格付けである「ロンジンワールドベストレースホースランキング」を発表する団体を想像するものと思われます。2014年のランキングではドバイデューティフリー(G1)を6馬身1/4差で圧勝したジャスタウェイが130ポンドで1位、ジャパンカップ(G1)を4馬身差で圧勝したエピファネイアが129ポイントで2位となっています。

 IFHAの起源は、1961年に「競馬の公正確保と生産の質の向上のために競走を行うこと」を目標にアメリカ、イギリス、フランスおよびアイルランドの4カ国が協調したこととされており、1967年に第1回国際競馬会議が9か国14名の代表者によってパリで行われ、同会議は、1993年には50か国から110名の代表者が出席する大きな国際会議となり、この努力を結晶化するため、IFHAが発足しました。現在のIFHA正会員は60カ国にも及んでいます。その後も、毎年10月の凱旋門賞週にはパリで国際競馬会議が開催され、この会議は通称「パリ会議」と呼ばれています(2020年、2021年はコロナウイルス感染症拡大の影響によりオンラインでの実施)。2021年9月にはJRA後藤理事長が副会長に選出され、また、JRAは2021年からIFHAが主催するパリ会議のオフィシャルパートナーを務めています。

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写真1.IFHAホームページ(https://www.ifhaonline.org/)

2.IFHAの目的と活動内容

 IFHA憲章の中で、IFHAの目的は「グローバルスポーツであるサラブレッド競馬のあらゆる側面を推進し、馬と人間アスリートの福祉を守り、現代、将来世代のために社会的・経済的意義を守り、発展させることを目指す」と記されています。具体的には、「競馬と生産及び賭事に関する国際協約(パリ協約)の制定と改正」、「馬と騎手の福祉と安全に関する方針の策定」、「ブラックタイプ競走の格付けと質的管理」、「ワールドランキング」、「馬の禁止物質や禁止行為に関する対策」、「競馬のグローバルな商業的発展の促進」、「IFHAリファレンスラボラトリーの指定」などが挙げられ、各国の競馬統括機関などが相互に連携を進めています。

3.各諮問委員会

 IFHAでは「馬の禁止物質と行為に関する諮問委員会(ACPSP)」、「技術諮問委員会(TAC)」、「馬の福祉委員会(HWC)」、「競馬ルールの国際調和委員会(IHRRC)」、「国際格付番組企画諮問委員会(IRPAC)」、「騎手の健康、安全そして福祉のための国際会議(ICHSWJ)」、「馬の国際間移動に関する委員会(IMHC)」などの委員会が設置されており、国際競馬に関連する様々な課題について、議論や検討が行われています。そこで取りまとめられた事項は最終的に執行協議会に意見具申、提案および助言等が行われます。

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写真2.IFHA組織図

4.馬の福祉委員会

 これらの諮問委員会のうち生産地と関連するのは「馬の福祉委員会」であり、生産から引退後までにわたる馬の保護、健康、安全、そして福祉に関する指針について執行協議会に助言を行う役割を担っています。この「馬の福祉委員会」は2020年12月に馬の生涯の様々なステージにおける「馬の福祉に関するミニマムスタンダード(IFHA Minimum Horse Welfare Standards)」を発表しています。このガイダンスは、ニュージーランドのマッセイ大学の動物福祉科学・生命倫理センターの財団ディレクターであるデイビッド・メラー名誉教授の援助を受けてニュージーランド・サラブレッド・レーシング(NZTR)が作成した「サラブレッド福祉評価ガイドライン」をもとに作成されています。 

5.馬の生産の福祉に関するミニマムスタンダード

 この「馬の福祉に関するミニマムスタンダード」は馬全般に関する総論に過ぎないことから、IFHA執行協議会は「馬の福祉委員会」に「馬の生産の福祉に関するミニマムスタンダード」作成のためのワーキンググループを設立することを指示し、現在、議論が重ねられています。私もワーキンググループの一員でありますが、議長は国際血統書委員会(ISBC)副会長のサイモン・クーパー氏が務めており、メンバーにはディープインパクト産駒のスタディオブマンの繋養先であるランウェイズスタッドのオーナーでもありITBF(国際サラブレッド生産者連盟)の会長も務めているカーステン・ロージング氏も含まれています。

 このワーキンググループの議論の中で、メンバー全員が口を揃えて、「サラブレッドの繁殖牝馬および子馬は広い放牧地で細心の注意を払って管理されており、人と関わる家畜およびペットの中で最も自然に近い状態で管理されている」という自負を抱いているのが印象的でした。ガイドラインの内容に関しては、日本の生産牧場で行われている管理は概ねこの基準を満たしている状況です。一方、母馬の死や育児放棄等により孤児となった場合に乳母導入する際の議論において、乳母自身の子馬が90日齢に達するまでは、乳母の用途に使用すべきではないとの提案がなされ、サラブレッドの子馬のみならず乳母自身の子馬にまで福祉を考えなければならない時代であることを痛感しています。余談ですが、乳母のレンタル料金はイギリスでは1,000ポンド(約15万円)で、ヨーロッパ各国もほぼ同様の価格でありました。最も安価であったのはニュージーランドの500NZドル(約4万円)で、さらに一部の地域では無償で貸与されていることも紹介され、日本での乳母レンタル料金は各国と比較しても高額であることを実感いたしました。

 なお、この「馬の生産の福祉に関するミニマムスタンダード」は本年10月にはIFHA執行協議会に提出される予定です。

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写真3.サラブレッド孤児の乳母として導入される直前の乗用馬の母馬と口カゴを装着された子馬(海外研修時に愛国にて撮影):馬の生産の福祉においては乳母自身の子馬の福祉についても議論されています。

日高育成牧場副場長 頃末 憲治

2022年8月 5日 (金)

ファームコンサルタント養成研修(栄養管理技術指導者養成研修)より

 JBBAは「競走馬生産振興事業」における「軽種馬経営高度化指導研修事業」のひとつとして、2年間に及ぶ研修を通して栄養管理技術者としての能力を身につけることを目的とする「ファームコンサルタント養成研修事業」を2015年から開催しています。これまでに第1期生9名および第2期生2名を生産地に送り出しています。なお、第2期からは牧場に勤務する者を対象とした「担い手飼養管理研修」も同時に実施しており、現在実施中の第3期はファームコンサルタント養成研修生3名、担い手飼養管理研修生15名の18名が受講しています。研修は通常「講義」、「実習」、「課題発表」の3部構成で行っていますが、3月に開催された研修会はコロナ禍ということを考慮し、ウェブを利用しての「講義」および「課題発表」のみとなりました。本稿ではこの「課題発表」の内容を紹介いたします。

 

1.今回の課題は「繁殖牝馬の栄養管理」

 今回の課題となった文献の一つはThe Horse(Web版)に掲載されたケンタッキー大学Lawrence博士による「Broodmare Nutrition: Preparing for Fall and Winter」でした。要約は以下のとおりです。 

〇ボディコンディションスコア(BCS

 定期的なBCSの測定は繁殖牝馬を管理するうえで非常に重要であり、BCSが5未満であれば分娩後の受胎率は低下し、前年の不受胎馬や未供用馬では良好なBCSを維持することによって、早期に正常な発情周期の確立が可能となり受胎率も向上する。一方、BCSが7を超えた場合には、繁殖成績に悪影響は認められないが、蹄葉炎を含む蹄疾患や下肢部疾患のリスクが高くなる点に注意すべきである。また、特に離乳後の母馬や未供用馬では初秋にBCSが5 未満になる場合も少なくなく、この場合には秋にBCSを上昇させておく必要がある。

〇牧草と乾草

 ケンタッキー州では晩秋に牧草の質および量が低下するため、放牧地で乾草を給与する場合がある。これはBCSを維持する目的以外に、過放牧による来春の牧草の活力低下に伴う雑草の侵入を防止する目的もある。放牧地で乾草を給与しても馬が乾草を食さない場合には、放牧草のみによってエネルギー要求量は満たされていることが示唆される。一方、乾草を完食する場合には、放牧草の質が明らかに低下していることが示唆される。また、米国南東部におけるトールフェスクは妊娠後期の牝馬に悪影響を及ぼすエンドファイト(植物内に共生する微生物)に汚染している可能性があることから、給与する際には注意が必要である。

 ルーサンやクローバーなどのマメ科乾草の多くは、チモシーやオーチャードなどのイネ科乾草よりも栄養素が豊富であり、妊娠中期および後期の妊娠馬は良質のルーサンを十分に摂取することによってタンパク質要求量を満たすことが可能である。さらに良質のルーサンを給与する場合には、チモシー乾草を給与する場合よりも濃厚飼料の給餌量を減じることが可能である。一方、チモシー乾草のみを給与された妊娠馬は、妊娠後期にタンパク質要求量を満たすことは困難であった。

 英国の研究では、体重 100 ポンド(45kg)ごとに約 2〜2.25 ポンド(0.9〜1.0kg)の乾草を摂取する必要があり、一般的なサラブレッドの牝馬(1,250 ポンド:562kg)の場合には、1日あたり約 25〜28 ポンド(11.25〜12.6kg)の乾草の摂取が必要である。(参考までにこの研究では少量の濃厚飼料しか給与されておらず、より多くの濃厚飼料を与えられた牝馬は乾草の摂取量を減じることが可能であると言及している。)

〇濃厚飼料とサプリメント

 通常、繁殖牝馬は放牧草および乾草の補助飼料として濃厚飼料あるいはサプリメントを給与される。一般的に粗飼料の給与によって十分なカロリーを得られない場合に濃厚飼料を給与するが、ほとんどのサラブレッド妊娠馬に対しては、妊娠後期に5〜10 ポンド(2.25〜4.5kg)の濃厚飼料を摂取させる必要がある。サプリメントはビタミン、ミネラル、さらにはタンパク質の補完的な飼料であり、放牧草または乾草のみによってエネルギー要求量が満たされ、BCS 6を維持できる場合でさえも、少量(1 日あたり 1〜2 ポンド:0.45〜1kg)のサプリメントの給与は必要である。一方、市販の妊娠馬用濃厚飼料を少なくとも 4 ポンド(2kg)摂取している妊娠馬に対しては、サプリメントは不要である。市販のオールインワン飼料を給与せずにえん麦などの穀物のみでエネルギー要求量を調整している場合には、サプリメントは非常に有効な飼料である。

2.質疑応答

これらの文献の内容に関して行われた講師陣との質疑応答は以下のとおりでした。

(クリックすると拡大されます)

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 質疑応答では飼料の価格高騰という現在の切迫する問題を踏まえた対応策やカビに関しても教科書的には全て廃棄すべきと結論付けることに対しても率直に意見交換が行われ、少人数制のメリットを存分に生かした研修となりました。研修に参加した方々が研修終了後もこのように意見交換ができる関係を維持することは、「強い馬づくり」に役立つものと実感いたしました。今後も本研修において有益な議論が行われた際には、この誌面で報告させていただきたいと思います。

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写真1.今回の課題となったThe Horse(Web版)に掲載された文献(QRコードでHPにアクセスできます)

 

日高育成牧場 頃末憲治

2022年7月22日 (金)

発酵牧草の給与について

 今回は、馬における発酵牧草の利用についての話題ですが、読者の皆様には“発酵牧草”より“サイレージ”のほうが馴染みあると思います。しかし、正確にはサイレージは発酵牧草のひとつに分類されます。

はじめに

 国内で馬に給与される粗飼料は、放牧草を除き、ほとんどは乾草です。古来より乾草は、草が生えない時期や場所での貯蔵牧草としてつくられてきました。牧草の貯蔵中にカビや微生物が増殖すると腐敗、栄養低下および嗜好性低下の原因となりますが、乾草は水分が少ないことでこれらの有害物の増加や活動を防ぐことができます。しかし、世界中には天候不順や多湿により乾草づくりに不向きな地域があり、そのような地方では、乾草の代わりに発酵牧草がつくられるようになりました。発酵牧草では、牧草養分を発酵させる菌の活動に適当な水分が不可欠なため、乾草ほど天日乾燥させる必要がありません。発酵牧草では発酵により生成される有機酸の作用により、有害物の増殖を防ぎ、牧草の鮮度や栄養価を長期間維持することが可能となっています。

発酵牧草の区分(サイレージとヘイレージ)

 発酵牧草は、サイレージ以外に、“ヘイレージ”と分類される区分があります。情報源によりその区分の基準は多少異なりますが、発酵牧草は水分含量が15%以上であり、さらに水分含量が50%以上のものがサイレージ、50%未満であればヘイレージと区分されます。水分含量が15%未満の牧草が、乾草ということになります。しかし、生産現場においてサイレージとヘイレージをつくり分ける理念がないことから、この区分にはあまり意味がないと考えています。生産現場ではフィルム包装されたロール牧草は、総じて“ラップ乾草”(写真)と呼ばれることが多いですが、正確には水分含量に応じて“ラップサイレージ”、“ラップヘイレージ”、“ラップ乾草”と呼び分けなければなりません。しかし、この区分も意味がないので、本文中では“ラップ牧草”で統一させていただきます。

2写真 ラップ牧草

生産現場における発酵牧草(ラップ牧草)の利用

 国内の生産現場において、給餌する粗飼料は乾草が主体ですが、一部の牧場では、ラップ牧草がつくられています。現在、ラップ牧草を利用している牧場数についての正確な情報はありませんが、一時に比べてその利用件数は少なくなった印象があります。また、利用している牧場でも、天候により十分に牧草を乾かせないため、非常手段としてラップ牧草をつくることがほとんどのようです。

 日高地方では、その年の牧草収穫期における天候不順により、刈り倒しの遅れや、乾燥に日数を要することで、良質な乾草が収穫できないことがあります。良質な牧草を馬に供給するためには、時にはラップ牧草による収穫も視野にいれるべきですが、積極的には利用されていません。このように生産現場で発酵牧草が、普及しない理由には、馬用飼料としての有用性や健康に無害であるかの情報不足もあるのではないかと考えています。

 いずし(北海度の郷土料理で野菜とともに魚を乳酸発酵させた食品)のような発酵食品は、かつては保存のためのものでしたが、冷蔵庫などが普及した現在でも需要があるのは、味覚の嗜好や健康面での期待があるためです。ヒトの発酵食品のように、発酵牧草は馬の飼料として保存性以外に何か利点があるのでしょうか?

発酵牧草と乾草の栄養および嗜好性の違い

 発酵牧草と乾草に含まれる栄養には、何か違いがあるのでしょうか? 発酵牧草の水分含量が高いことは確かですが、タンパク質をはじめとする栄養成分には、ほとんど差はありません(表)。発酵牧草に含まれる易消化性炭水物(糖など)や植物繊維の一部は、微生物によって分解されていることでやや少なくなっていることや、その微生物の発酵によって乳酸などの有機酸が多くなっています。しかし、これらの発酵による成分変化は、腸内細菌によるものと比較して微量であり、最終的な栄養の取り込みでみると、発酵牧草と乾草の栄養価はほとんど同じであるといえます。

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 発酵牧草と乾草では栄養面の差はほとんどないようですが、その嗜好性が高いことは知られています。海外の研究で、乾草、ヘイレージ(高水分と低水分)およびサイレージに対する馬の嗜好行動が報告されています。草種や収穫期による嗜好性の差がないようそれぞれの試験牧草は、チモシーが主体の同一の採草地から収穫したものです。馬がそれぞれの牧草を同時に食べられるようにしたとき、サイレージは完食された回数が最も多くなりました(図 ①)。また、臭いをかぐ、もしくは、短時間採食した後、他の牧草を食べるために移動した回数は、サイレージが0回で、一度サイレージを食べ始めた馬は、満足して食べ続けることがわかります(図 ②)。さらに、サイレージから食べ始める回数が最も多く(図 ③)、その特有の香りに馬は誘われるのかもしれません。この試験の結果、サイレージの次に、水分含量が高いヘイレージ、水分含量が低いヘイレージの順に、馬の嗜好性が高いことが分かりました。このように発酵牧草の嗜好性が高くなる要因のひとつとして、水分含量の影響が考えられます。

ラップ牧草におけるカビの発生

 ラップ牧草において、度々カビの発生が問題とされることがあります。ラップ牧草に限らず、あらゆる飼料においてカビが発生することが好ましくないのは当然ですが、特にカビが生産するカビ毒(マイコトキシン)は、その種類によって蕁麻疹、消化器障害および繁殖障害などの原因となることが知られています。

 通常、発酵牧草では嫌気性菌により乳酸などの有機酸が生成されることによってpHが低下し、カビの生育が抑制されます。ラップ牧草はフィルムを巻いて空気を遮断しますが、ラップ内に空気が入ると嫌気性菌の活動が弱まり、pHが低下せず、カビが生育しやすくなります。また、酸素の存在によって好気性の微生物の活動が活発になり、栄養価の損耗や腐敗の原因となります。そのため、フィルムで厳重に包装し、ラップ牧草内に空気が入らないようすることが重要となります。また、嫌気性菌による発酵は水分が多いほうが活発であるため、包装する牧草の水分含量が高い方が、貯蔵中にカビが発生しにくくなります。しかし逆に、ラップ牧草を開包した後は、水分含量が高い方が、カビが発生しやすく腐敗しやすくなります。馬産では酪農などに比べて繋養頭数が少なく、開包後のラップ牧草の消費に時間がかかり、牧草を劣化させやすいこともラップ牧草が不評となる原因のひとつのようです。

おわりに

 天候不順などによって良質な乾草が収穫できなかった場合、栄養価が保証された貯蔵牧草を収穫するには発酵牧草(ラップ牧草)は有用です。しかし、栄養価と衛生を維持するためには、ラップ牧草の収穫時に水分含量をはじめとし適切な調整が不可欠です。発酵牧草の調整が不適切な場合、乾草よりも嗜好性が劣る場合があるとされています。

 現状において、馬のためのラップ牧草の調整方法については、まだまだ情報が不足していると考えています。残念ながら、日高育成牧場でもラップ牧草は収穫していませんが、機会があれば、大学等の研究機関や普及機関と協力し、ラップ牧草の適正な収穫・調整技術について情報収集し、皆様にお伝えできればと考えています。

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日高育成牧場 松井 朗

2022年4月29日 (金)

日高育成牧場で実施している研究テーマについて

 日高育成牧場生育成研究室では、強い馬づくりに必要な科学的根拠にもとづいた生産、飼養管理、疾病予防、育成調教技術についての研究を行っています。研究成果は学会や論文で公表しているほか、地域の講習会等を通じてみなさまのお役に立てるよう努めています。今回は、私たちの研究テーマの一部をご紹介したいと思います。

妊娠馬の血中代謝物の解析

 代謝物とは生体反応の結果生成される物質のことです。妊娠馬の血液中に検出されるあらゆる代謝物を測定し、その変動を調べることで妊娠馬の体内で何が起きているのか推定できるのではないか、という研究です。日高育成牧場の妊娠馬を定期的に採血して分析しています(写真1)。妊娠中や分娩前に特異的に変動する代謝物が見つかれば、流産予防や分娩予測の新しい指標となるかもしれません。

流産予防薬の再評価に関する研究

 生産地では流産予防の目的でホルモン剤(プロゲステロン製剤)が用いられることがありますが、馬用として日本国内で安定的に入手できるものばかりではなく、日本の製品でも投与量などに課題があるものが多いのが実情です。そこで、日高育成牧場の研究馬を用いて改めてその効果を検証します。

消化管内寄生虫の実態調査

 日高家畜衛生防疫推進協議会の「生産地疾病等調査研究」の一環として実施する調査です。馬の代表的な寄生虫である円虫、回虫、条虫の日高地区における寄生状況と、駆虫薬の使用状況を把握し、より適切な駆虫薬の使用法を検討するための調査です。世界的に駆虫薬が効かない寄生虫が増えてきたと言われていますが、日高地区では実際どうなのだろうか、ということも調査します。みなさまのかかりつけ獣医師にも協力していただき、駆虫薬投与前後の糞便検査とアンケート調査、さらに条虫が検出された場合には血液検査のための採血を行いますのでご理解とご協力をお願いします。

放牧地のクローバーに関する研究

 放牧地は経年変化でクローバーが増えますが、クローバーは馬の嗜好性が高く、タンパク質およびカルシウム含量が多いため、過剰に摂取すると骨代謝やミネラル代謝異常の原因となる可能性があると考えられます。そこで、放牧地でクローバーがどの程度まで増えても問題ないのかを確かめるため、日高育成牧場の研究馬をあえてクローバーの多い放牧地で採食させて発育への影響を調べます(写真2)。いっぽう、放牧地のクローバーの割合がそのままクローバーの採食量を左右するのか、つまり、多ければたくさん食べて、少なければ食べる量も少ないのか、あるいは少ない放牧地でもクローバーばかり選んで食べてしまうのかを調べるため、クローバーの草生割合が異なるさまざまな放牧地で馬の糞を採取して、クローバーをどれくらい食べているかを分析します。こちらはたくさんの放牧地が必要なため、民間牧場のみなさまのご協力をいただき、みなさまの馬をいつもどおりに放牧したうえで、我々が糞を拾わせていただこうと考えています。

その他の検査や調査

 研究室で行っている業務は、予め決められた研究テーマに沿ったものばかりではなく、日頃のデータ収集や、牧場や獣医師のみなさまの日頃の疑問や困りごとにお応えするための検査や調査なども行っています。そのような活動を通じて少しでもみなさまのお力になりたいと考えていますし、特に重要と思われる項目については独立したテーマとして本格的に研究を開始することもあります。みなさまからの情報が貴重な研究資源となりますので、何かありましたらどうぞ遠慮なくお寄せください。よろしくお願いいたします。

日高育成牧場 生産育成研究室長 関 一洋

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写真1 妊娠馬の血液分析

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写真2 クローバーの採食量調査にご協力ください

輸入した繫殖牝馬の管理

 JRAでは、2009年生まれの産駒から自家生産馬をJRAホームブレッドと名付け、生産から一貫した研究業務を行っています。今まで母馬として用いてきたのは基本的にブリーズアップセールを疾患により欠場した未出走の牝馬ばかりでしたが、このたび競走実績のある馬を導入するため、海外から繁殖牝馬を購買することとしました。具体的には、2018年および2019年に米国キーンランド協会のノベンバーセールにて各年2頭、計4頭の繁殖牝馬を購買し、輸入しました。今回は、輸入した繁殖牝馬に対し当時行った管理についてご紹介したいと思います。

・着地検査

 農林水産省動物検疫所(動検)で実施される輸入検疫が終了し、解放された後、各都道府県が主導で行う検査のことです。牧場到着時から3ヵ月、牧場内に元からいる馬とは隔離しなくてはなりません。JRA日高育成牧場では、飼付厩舎と呼んでいる主に7月のセリで購買した1歳馬を昼夜放牧している際に使用している厩舎を用いて着地検査を行いました(図1)。

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図1. 着地検査を行った場所

 牧場到着時には家畜防疫員に指定されている獣医師の検査を受けます。検査の内容は、臨床検査(検温や聴診など)、馬インフルエンザの簡易検査、採血です。馬インフルエンザ検査は鼻腔スワブを採材しクイックチェイサーという簡易キットを用いますが、15℃未満の低温環境で使用するとA型陽性の線が出ることがわかっており、冬の北海道では屋外で検査しないなどの注意が必要です(図2)。採血は10mlのプレーン管1本を採取し、家畜保健衛生所(家保)で馬伝染性貧血、馬パラチフス、馬ウイルス性動脈炎、馬鼻肺炎の検査が行われます。この血液と、動検から送付されてくる輸入検疫証明書、そして家畜防疫員が記載した輸入馬着地検査名簿を家保に提出します。到着1ヶ月後にも同様の検査が必要ですが、馬インフルエンザの簡易検査および輸入検疫証明書の提出は不要になります。また、これとは別に繁殖牝馬の場合は種付けを行う前に伝染性子宮炎の検査が必要です。陰核スワブを競走馬理化学研究所に送り、検査してもらいます。到着1ヶ月後の検査の結果が全て陰性であれば、着地検査中でも種付けは可能です。

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図2 15℃未満の低温環境ではA型陽性の線(矢印)が出るので注意

・発情誘起と繁殖成績(1年目)

 2018年のノベンバーセールでは、アーツィハーツ号(父Candy Ride、2015年生まれ、1勝2着4回3着1回)およびブレシッドサイレンス号(父Siyouni、2013年生まれ、3勝2着3回3着2回)の2頭を購買しました。この2頭は動検成田支所で輸入検疫を受けた後、12月26日に当場に到着し、直ちにライトコントロールを開始しました(図3)。アーツィハーツ号については、翌年3月27日にシーズン初回排卵が観察され、4月12日に種付けし、受胎が確認されました。しかしながら、ブレシッドサイレンス号は、3月13日にシーズン初回排卵が確認できたにもかかわらず、3月30日、4月14日、5月1日の3回種付けしたものの、不受胎に終わりました。この時は、プロスタグランジン(PG)製剤を使用しなかったにもかかわらず、通常3週間の発情周期が2週間になるなど不安定な性周期となる現象が見られました。これは、一般的にシーズン初期の「春季繁殖移行期」に認められる現象であり、ホルモンの分泌異常が関連していると思われました。

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図3 牧場到着後直ちにライトコントロールを開始

・発情誘起と繁殖成績(2年目)

 2019年のノベンバーセールでは、ラキュストル号(父Dansili、2015年生まれ、1勝2着2回3着2回)およびミスミズ号(父Mizzen Mast、2016年生まれ、3勝2着1回3着1回)の2頭を購買しました。この2頭は動検胆振分室で輸入検疫を受けたのですが、動検と事前調整し許可を得た上で輸入検疫中の12月6日からライトマスク(EquilumeTM)を着用し(図4)、ライトコントロールを開始させてもらいました。このマスクは右目のブリンカーにブルーライトが付いている構造で、1日7時間点灯するように設定することができます。我々は16時から23時まで点灯するように設定し使用しました。その結果、ラキュストル号は2月19日にシーズン初回排卵が観察され、3月25日に種付けを行い受胎。ミスミズ号は3月11日に排卵が観察され、3月24日に種付けし受胎が確認されました。

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図4 ライトマスクを着用した馬

・最後に

 早期にライトコントロールを開始したことが繁殖成績を向上させた一因になったと考えられました。当場では以前1月に入厩した繁殖牝馬で3月下旬になっても発情が認められず、ブセレリンという排卵誘発剤を少量ずつ筋肉内投与する方法で発情誘起を行ったこともありました。2020年5月発行の馬事通信886号(強い馬づくり最前線238回)に詳細を記載しておりますので、興味のある方はご一読いただけましたら幸いです。

 今回の記事が、皆さんの愛馬の管理に少しでも参考になりましたら幸いです。

JRA日高育成牧場 専門役 遠藤祥郎

馬鼻肺炎とその予防について

 3月に入り、生産地では繁殖シーズン真っ只中となりました。たくさんの可愛い子馬が生まれ明るい話題の多い季節ですが、流産など周産期のトラブルに気を付けなければならない季節でもあります。流産の原因はさまざまですが、その中でも特に注意しなければならない伝染性の流産の原因として馬鼻肺炎があります。生産地の馬関係者にはよく知られている疾病ですが、本稿ではあらためてその概要と予防方法について確認したいと思います。

馬鼻肺炎はウイルスが原因

 馬鼻肺炎の原因となるウマヘルペスウイルスには、1型と4型の2種類があります。1型ウイルスによる症状は、主に冬季に起きる発熱や鼻水などの呼吸器症状、流産、まれに後躯麻痺などの神経症状があります。4型では主に育成馬などの若馬で、季節に関係なく呼吸器症状を呈します。流産の原因となるのはほとんどが1型ウイルスで、特に妊娠9か月以降に起こるため、経済的な損失が非常に大きくなってしまいます。

 ウイルスは感染馬の鼻汁や流産した場合の胎子に多く含まれ、ウイルスを含んだ飛沫を直接吸引したり、感染源を触った人や器具を介して伝播します。また、このウイルスのやっかいなところは、一度かかった馬の体内からは生涯ウイルスが排除されることがないことです。症状が治まっても潜伏感染をした状態となり、ストレスによって免疫が落ちると体内のウイルスが再活性化しウイルスを排出し始めるため、周りの馬への感染源となる可能性があります。

予防について

 予防には特に以下の3点を重点的に行います。

  1. ワクチンの接種

 ワクチンを接種することで馬鼻肺炎に対する免疫を増強することができます。以前は不活化ワクチンが使用されていましたが、現在では生ワクチンが用いられています。ワクチンを接種しても完全には感染を防ぐことはできませんが、集団内の接種率を高くすることによって、感染拡大を抑えることができます。

  1. 飼養衛生管理の徹底

 流産のリスクを低くするためには、妊娠馬群を他の馬群と離して飼うことが重要です。特に若い育成馬などでは、免疫が弱いため感染すると大量にウイルスが増殖して排出します。このような若馬と妊娠馬を近い環境で飼うことは、感染リスクを高めてしまいます。また、ウイルスが付着した人の手や衣服、道具などを介してウイルスが伝播するので、妊娠馬厩舎に行く前に消毒をしたり、衣服を着替えるなどの対策を徹底することが必要です。なお、消毒槽などに使用する消毒薬は、北海道の厳冬期の気温では効果が薄れてしまうため、室内に設置したり微温湯やヒーターを使うなど温度が下がらない工夫をしましょう。

  1. ストレスをかけない管理

 一度馬鼻肺炎にかかったことがある馬は、馬群や放牧地の変更や輸送などのストレスがかかると体内にいるウイルスが活性化して再びウイルスを排出する可能性があります。特に妊娠後期にはこのようなストレスがかからない管理を心がけましょう。

それでも発生してしまった時は

 流産が発生してしまった場合には速やかに所管の家畜保健衛生所に連絡し指示を仰ぎましょう。流産胎子からウイルスが拡散しないようにビニール袋などに入れたり、周囲や馬房を消毒するなど、まん延防止が何より大切です。また、流産した母馬はウイルスを排出するため、直ちに他の妊娠馬から隔離する必要があります。

 生産地では古くから怖れられてきた馬鼻肺炎による流産。正しく認識し、正しく対策をすることで、未来ある馬たちが元気に誕生できるような春にしたいものです。

日高育成牧場 業務課 竹部直矢

pastedGraphic.png写真1:予防のため生ワクチンを接種し、馬群全体の免疫を高めます。

pastedGraphic_1.png写真2:消毒槽にヒーターを設置するなど温度が下がらないようにしましょう。

2022年2月25日 (金)

乳母づけにおけるPGF2αの利用

 馬生産において、分娩後の母馬の事故や育子拒否は一定の割合で起こり得ます。北海道では馬用人工乳が流通しており重宝されていますが、昼夜を問わない人工哺乳は労力負担が大きく、また子馬と人間の関係性に悪影響を及ぼすため、乳母を導入することが望ましいと言えます。乳母を導入する際にまず問題となるのが乳母づけです。自分の子ではない子馬に対して授乳を許容することはある意味自然の摂理に反する状況であり、乳母と子を同居させておけばよいというわけではありません。

一般的な乳母づけのポイント

 伝統的な手法として乳母を壁に張りつける(図1)、メントール等で嗅覚を麻痺させる、子宮頚管を刺激する(分娩刺激の模倣)といったことが行われていました。乳母の適性として過去の出産、育子経験があることは必須条件で、当然温厚な馬が好ましいです。子馬のお腹を空かせておくことも重要です。実際の乳母付け時には乳房へ導く際に無理に顔や体を引っ張らず背中やお尻を優しく刺激して向かわせること、乳母の様子を見て子馬の安全を第一に対応することなどの経験に基づく繊細な対応が必要です。また、乳母が子馬を許容した後の様子を観察することも重要です。乳母が十分休めていなかったり、攻撃的にあったり、子馬がイライラしている場合には乳量が不足しているかもしれませんので、そのような際には乳量を増やす処置や子馬に固形飼料を与えるといった工夫が必要となります。

 さて、ここから本題に入りますが、2019年の英国馬獣医協会(BEVA)学会においてPGF2αが母性惹起に有用であることが報告され、昨年の米国西海岸馬繁殖シンポジウム(WCERS)でも同手法の詳細が紹介されましたので、本稿でご紹介いたします。

BEVAにおける発表

 イギリスの臨床獣医師であるBarkerらは2014-18年において本手法を21例に実施し、うち20例で成功したことを報告しました。21例の内訳は乳母付け17例、育子拒否4例で、失敗した1例は育子拒否のアラブ種でした。成功した20例のうち17例は1回の試みで、3例は2-3回の試みで成功しました。肝心の方法ですが、クロプロステノール(合成PGF2α)を平均1,000µg(750-1,500µg)投与し、20分ほど待って乳母付けをします。この投与量は一般的な黄体退行作用の4倍で、1回目に失敗した場合には2回目にさらに高用量を投与しました。子宮頚管刺激は実施されませんでした。乳母のみならず、育子拒否した馬に対しても有効であったというのは興味深い点です。

WCERSにおける発表

 WCERSではベルギーのゲント大学Peter Daels教授が本手法について解説されました。手技はBEVAの発表とほぼ同様で、PGF2α(クロプロステノール750-1,000µg)投与後は効果(副作用と言われている発汗や不快感)が十分認められるまで15-20分ほど待ってから子馬を母(乳母)の前に連れてきて、子馬の匂いを嗅がせたり舐めさせたりさせた後(5-10分程度)、子馬を乳房に導きます。こちらも子宮頚管刺激は実施していません。強調されたポイントとしては「他の馬がいない静かな馬房で行うこと」、「副作用が強く表れるくらい高濃度のPGF2αを投与すること」、「効果が出るまで最低15分は待つこと」、「鎮静や鼻捻子は使わないこと」、「懲戒しないこと」などです。元来、分娩時には陣痛(子宮収縮)のために内因性のPGF2αが分泌されますので、PGF2α投与も分娩時の模倣と言えますが、投与されたPGF2αがどのような機序で母性を惹起するのかについてはまだ分かっていません。

さいごに

 本手法は当場で実践していないので筆者も従来法との比較ができないのですが、Daels教授曰く、従来の方法に比べて驚くほど短い時間で子馬を許容するとのことですので、試してみる価値は大いにあると思われます。ただし、本手法に関する論文はまだありません。これは乳母付けや母性というものの定義が難しく、科学的(客観的)な評価が難しいことが理由だと思われます。「根拠はあるんですか?」とエビデンスが求められる昨今ですが、現場には科学的評価が難しいテーマばかりです。本手法はこのような状況であることをご理解ください。最後に注意点ですが、PGF2α注射薬には何種類かあり、それぞれ成分が異なります。また、本法は動物用医薬品として承認された用法用量から逸脱した使用方法であることをご理解の上実施してください。

pastedGraphic.png図1伝統的な乳母づけの光景

日高育成牧場 生産育成研究室 村瀬晴崇

2022年2月 3日 (木)

PGによるショートサイクル法

 PG(PGF2α)を投与することにより黄体期を短縮させ、排卵(交配)を早めることをショートサイクルと呼びます。特段新しい手法ではありませんが、近年我が国では分娩後初回発情での交配を見送ることが増え、本法が活用されているようですので、本稿では2019年の日本獣医師会北海道獣地区学会で報告されたデータを示しながらおさらいいたします。

分娩後初回交配日に及ぼす影響

 図1は2002-16年の国内サラブレッド生産における分娩後初回交配日を示しています。10日前後に大きな山があり、我が国では分娩後初回発情で多くの牝馬が交配していることが分かります。今回はこのデータから便宜上7-13日後をFoal Heat(FH)群、その21日後(1発情後)の28-34日後を2nd Heat( 2ndH)群、その1週間前の21-27日後をPG投与により交配を早めたShort Cycle(SC)群と定義します。この3群の内訳の推移を示したグラフが図2です。FH群が減少し、代わりにSC群が増えていることが分かります。年次の他に牝馬の年齢、分娩月、地区、牧場規模といった要因も分娩後初回交配日に影響を及ぼしていました。牝馬が若いほどFHが多く、1-2月の早生まれではFHが少なく、シーズン終わりに向けてFHが増えます。北海道は本州や九州よりSCが多く、牧場規模が大きくなるにつれて、FHが減少、SCが増加しました。

繁殖成績への影響は?

 では、これら3群の受胎率はどう違うのでしょうか?上述の要因を調整した多重ロジスティック解析の結果を表1に示します。2ndH群の受胎率を1とした場合のFH群、SC群のオッズ比は0.568、0.979であり、FH群は2ndH群に比べて受胎率が低いことが分かりました(p値が0.05未満の場合に統計的有意差があると判定します)。一方で、シーズン受胎率においては2ndH群に対してFH群、SC群で有意に良い成績でした。これはFH群では交配機会が1回多いため累積受胎率が向上することを意味しています。以上のことから、SC群はFH群よりも初回交配受胎率が高く、かつシーズン受胎率は2ndH群より高いという良いとこ取りをしていると言えます。

PG投与の注意点

 PGを投与する際の注意点を幾つか記します。PGは黄体形成期には効かないため、排卵後5日目以降に投与することが推奨されています。また、PG投与から次の排卵までの日数はPG投与時の卵胞サイズに依存しますので、投与時に卵胞サイズを確認することで次の排卵日のおおよその目途を立てることができます。ただ、大きな卵胞があった場合には注意が必要です。35mm以上の馬に投与すると1-2日で排卵することもあれば(この際、子宮の浮腫や頸管の弛緩が十分ではなく、適切に交配できないこともある)、その卵胞は排卵に至らず次の小さな卵胞が発育するため時間を要することもあります。また、稀にPGに反応しない場合があります。この原因は分かっていませんが、PGを投与した馬が必ず黄体退行するわけではないということも覚えておきましょう。

まとめ

 本稿ではショートサイクル法の利点を解説しました。わずか1週間の短縮であっても、繁殖シーズンが限られる軽種馬生産においては重要な手技と言えます。もちろん、何でもショートサイクルすれば良いというわけではありません。初回発情で受胎を期待できる馬もいるでしょうし、1-2月であれば交配を遅らせたい場合もあるかもしれません。それぞれの状況においてより効率的な管理を検討するための参考にしていただければ幸いです。

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図1.我が国における分娩後初回交配日の分布(2002-2016年)

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図2.分娩後初回交配日の推移

表1 初回交配受胎率、シーズン受胎率の多重ロジスティック回帰分析によるオッズ比

 

FH

SC

2ndH

初回交配受胎率

0.568

 (p<0.0001)

0.979

 (p=0.4113)

1

シーズン受胎率

1.099 

(p=0.0004)

1.074

 (p=0.0274)

1

日高育成牧場 生産育成研究室 村瀬晴崇

日本ウマ科学会招待講演『根拠に基づくウマの寄生虫コントロール』

 2021年12月のウマ科学会学術集会は、Web上での開催となりました。例年、海外から第一線の専門家を招待して講演会を開催しているのですが、本年は動画配信スタイルとなりました。

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動画配信の様子

  講師は、米国ケンタッキー大学のグラック馬研究所で寄生虫について研究や指導を行っているマーティン・ニールセン博士。日本語訳されている「馬の寄生虫対策ハンドブック」の著者であり、アメリカ馬臨床獣医師協会(AAEP)の「寄生虫対策ガイドライン」の策定においても大きな役割を担っている現代の馬寄生虫対策のパイオニアです。ユーチューブを活用した研究成果の普及にも取り組まれています。今回は、「根拠に基づくウマの寄生虫コントロール」というテーマでの講演でした。以下に内容を抜粋します。

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著書

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YouTubeチャンネルのQRコード

寄生虫コントロール

 現代における寄生虫対策の目標は、寄生虫感染をうまくコントロール(調整)すること、すなわち寄生虫を根絶するのではなく、悪影響を抑えて病気を予防することです。過去、寄生虫の根絶が試みられ積極的な駆虫が世界的に推奨されましたが、薬剤耐性を持つ寄生虫が残るという結果を招いてしまいました。様々な事情により新しい駆虫薬の発見・開発が期待できない現状において、馬が飼養されている環境が薬剤耐性虫で溢れないように、将来を見据えた寄生虫対策が求められています。その際、目標の共通認識を持つことが重要であり、寄生虫の種類ごとに対策目標を定めるべきです。今回の講義では、馬に感染する代表的な4種類の寄生虫(図1)について解説します。

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図1:主な馬の寄生虫

①小円虫対策の目標:排除不可能→感染虫体数を減少

 採食される牧草と一緒に消化管内に入った幼虫が大腸壁内で嚢に包まれた状態で発育する小円虫は、嚢から出る際に腸壁を傷つけるため、重度の感染では大腸全体の出血や炎症の原因になります。重症化リスクは低いものの感染率が高く、耐性虫が確認されているため単純に駆虫薬の投与回数を増やしても完全に排除できないのが問題です。虫卵検査で排出虫卵数の多い馬は、同じ放牧地内の群全体の感染リスクを増大させるので、春および秋に実施する年2回のイベルメクチンに加え、腸壁内の幼虫を殺す作用もある駆虫薬(モキシデクチン)を夏、あるいは夏と晩秋に投与することで飼養環境内全体の感染リスクを減らすことができます(ただし、日本ではモキシデクチンの販売が未認可であるため、獣医師の責任で個人輸入するか代替薬の使用を検討する必要があります)。

②大円虫対策の目標:排除可能

 かつては世界中で蔓延していましたが、駆虫薬が使える国や地域ではほとんど見られなくなりました(駆虫薬が使えない国や地域では蔓延しているので、駆虫を減らすべきではない)。疝痛症状は軽度ですが、腸間膜動脈への寄生による動脈炎に続発する血栓による腸管の壊死や腹膜炎が主な症状で、駆虫薬耐性虫は報告されておらず、今後も感染が多くなる季節の序盤に駆虫をすれば十分に予防できることが証明されています。

③回虫対策の目標:排除不可能→腸閉塞を予防

 ほとんどの馬は悪影響を受けませんが、稀に小腸閉塞を起こします。発症するのは、生後5か月前後の子馬で、ほとんどの馬で疝痛を認める12~24時間前に駆虫薬が投与されていました。駆虫した時点で既に小腸内に大量寄生していた回虫が駆虫薬により麻痺して、筋層が厚く硬い回腸で詰まることが原因となっており、閉塞を取り除くための手術が必要となります。したがって、感染率・排出虫卵数のピークよりも先に駆虫することで、回虫感染による小腸閉塞を予防します(例:1回目の駆虫は生後2~3か月時、2回目の駆虫は生後5か月時)。

④条虫対策の目標:排除不可能→腸で発生する症状を軽減

 葉状条虫の感染はよく見られ、多くは盲腸に寄生しますが、寄生数が少数であれば問題にはなりません。一方、寄生数が多いと回盲部の閉塞や破裂、腸重積を起こす場合もあります。寄生虫の幼虫を媒介するダニのいる放牧地に馬を放す限り感染リスクが無くならないので根絶は難しいですが、駆虫薬(プラジカンテル)が有効で耐性虫の報告も無いので、これまで通り計画的に駆虫するべきです。

さいごに

 最後にニールセン先生は、最近の研究結果から必要最小限の駆虫でも寄生虫対策として十分である可能性が見いだされつつあること、寄生虫の撲滅が困難であることに改めて触れ、「寄生虫は、馬たちを殺すどころか病気にしてしまうことも稀で、馬に寄生虫がいるのは当然。寄生虫がいたとしても幸せに生きている。」との言葉と共に講演を締めくくっていました。

日高育成牧場 生産育成研究室 琴寄泰光