お腹の中から健康管理! 発育のカギを握る胎生期の精巣・卵巣
No.47 (2012年1月1・15日合併号)
お正月が終わり、そろそろ牝馬のお産準備が始まっている牧場さんも多いことと思います。妊娠期最後の3か月は胎子の大きさが急激に上昇している時期であり、サラブレッドとしての発育を考えると最も重要な時期といっても過言ではありません。本稿では、馬の胎子の成長に非常に重要な役割を担っている胎子の精巣・卵巣について知見を深めてみましょう。
馬の胎子の精巣・卵巣(性腺)は大きい
精巣は精子を、卵巣は卵子をつくる器官です。胎生期にも精巣・卵巣(以下性腺といいます)があり、原始的な生殖細胞が存在します。まだホルモンの刺激を受けていないため、精子・卵子を作りだすには至っていません。多くの動物で胎子性腺は未発達であることが多いものです。ところが、馬の胎子性腺は非常に大きく、妊娠7か月頃、胎子がまだ中型犬ぐらいの大きさの頃に、鶏卵よりも大きな楕円形の性腺が左右一つずつおなかの中に備わっていることが知られています(写真1下部、あずき色)。その胎子を宿した600kgを超える母馬の卵巣(写真1上部、白色)よりも大きいことになります。胎子性腺は、新生子として娩出されるまでにはウズラの卵大まで退縮する、とても不思議な器官です。
写真1;妊娠195日の母馬の卵巣(上段)と胎子卵巣(下段)。白線は1cm。600kgを超える母馬の卵巣よりも大きいことになります。
紀元前400年にすでに発見されていた!
プラトン、ソクラテスと並び紀元前の3大学者と呼ばれるアリストテレスは、文学、物理学、哲学、そして生物学と広い学識を持った天才科学者でした。アリストテレスは多くの動物の解剖を行い、イルカが哺乳類であることなどを肉眼所見から初めて明らかにしました。馬の解剖も実施し、「馬の胎子には腎臓が4つある」という記述を残しています。馬の胎子性腺の肥大化は生殖細胞の増殖によるものではなく、間質細胞という内分泌細胞の増数・増大によることから、卵巣にみられるような胞状構造はみられません。その記述が胎子性腺を表していたと考えられますが、2400年前に馬の胎子の特徴を正確にとられていたアリストテレスは、観察の必要性を後世に伝える偉大な学者であったことがうかがえます。
胎子性腺が妊娠に必要なエストロジェンの原料を生成する
では、馬の胎子性腺はどのような役割を担っているのでしょうか?いまだに謎に包まれた不思議な現象です。これまでの研究でよく知られていることは、「エストロジェン」の分泌に関係しているということです(写真2)。馬の妊娠期には「エストロジェン」が非常に多く分泌されており、ヒト用の女性ホルモン内服薬など、多くは妊娠馬の尿や胎盤から分離されたエストロジェン類が使用されてきました。ヒトの医療に貢献している馬のエストロジェン、しかし妊娠馬自身にどのような意味を持っているか、いまだ不明な点が多く、専門学会でも論議の的となっています。本来発情を誘発するホルモンである「エストロジェン」が妊娠期に高いことは都合のよいこととは思えません。専門家の意見として最も有力な役割は、1)胎子の大きさに見合った子宮の拡張作用、2)子宮への血流促進作用、そして3)子宮の免疫力増強作用に役立っていることが考えられています。また、Pashen & Allenによる有名な実験として、胎子性腺摘出手術後の血中エストロジェン濃度が急激に低下することが知られており、その後妊娠は2か月以上維持されたものの、いずれの馬も虚弱か死産であったことを報告しています。これらの研究から、胎子性腺が妊娠馬の高濃度のエストロジェンの原料となるDHEA(デヒドロエピアンドロステロン)を合成し、胎子の健全な成長に役だっていることがわかってきました。
写真2;妊娠期のホルモン分泌。胎子は妊娠に必要なホルモンの原料(DHEA;デヒドロエピアンドロステロン)の産生・分泌を積極的に行い、臍帯を通じて胎盤に運ばれ、エストロジェンとして妊娠の維持を助けています。
健康で丈夫な子馬を生産するために
最近の研究では、胎子の性腺がエストロジェンの原料を分泌するだけではなく、細胞の分化や増殖に非常に重要な成長因子を分泌していることが明らかになってきました。これらの因子は、胎盤と相互に作用し、健康な胎盤の形成や胎子自身の発育に働いていることが考えられています。これらの知見を踏まえ、日高育成牧場では母馬の腹壁から深さ30cmまで観察可能な超音波探触子を用いて、胎子性腺の大きさを測定する方法の確立を検討しています(写真3)。また、現在NOSAI、HBA、日高家保との共同研究により、一般的なポータブル超音波装置を使って子宮と胎盤の厚さを測定し、胎盤の炎症の度合いを診断するという方法の普及を進めています。「妊娠期は検査してもよくわからないし対処方法もない」、という今までの考えが変わりつつあります。これまで流産・早産などの経験のある牝馬、妊娠後半になると乳房が腫脹する馬、外陰部から悪露を排出する馬は、最寄りの獣医師に相談して、検査されることをお勧めいたします。また、たとえ流産してしまったとしても、流産の原因や感染源を特定することは次回の妊娠の可能性を高めることにつながります。
写真3;妊娠240日における馬胎子性腺の超音波画像。腹壁から形態観察や計測が可能です。
(日高育成牧場生産育成研究室 室長 南保泰雄)