画像診断 Feed

2020年5月14日 (木)

大腿骨内側顆のボーンシストについて

No.153 (2016年8月15日号)

 

 

サラブレッドのボーンシストとは?

 ボーンシストとは、関節の軟骨の下にある骨が発育不良を起こし発生する骨病変です。レントゲン検査では関節面に接したドーム状のX線透過像として認めることができます(図1)。病変は、栄養摂取や成長速度のアンバランスなどの素因がある子馬において、関節内の骨の一部に過度の物理的ストレスが加わることで発生すると考えられています。そのため好発部位は、前肢の球節や繋の指骨間関節、肩関節、後肢の膝関節といった走行時に大きな力がかかる関節面の骨となります。特に、膝関節を構成する大腿骨の内側顆(図2)はボーンシストの好発部位となりますが、この部位に大きなボーンシストが認められる馬は、調教開始とともに難治性の跛行を呈することが多いことが知られています。1_6【図1】球節(中手骨遠位)のボーンシスト X線透過像(破線)と関節面への開口部(矢印)

2_6 【図2】左後枝の膝関節を斜め後方から見たCT像 丸囲み部分が大腿骨内側顆。ボーンシストの多発部位となる。
   

大腿骨内側顆のボーンシスト

 現在、北海道の全てのサラブレッド市場では、レポジトリーに後膝のレントゲン資料が、上場者の任意で提出できる様になりました。大腿骨内側顆のボーンシストが発生するのは、1歳の春から秋にかけてです。この時期の、まだ調教が始まっていない若馬では、跛行が認められることは少なく、セリに向けたレントゲン検査で初めて所見が発見されることになります。

 レポジトリーに提出される後膝のレントゲン写真は、図3に示した4方向になります。この中で、内側顆のボーンシストを発見し易いのは、図3-Dの屈曲 外-内側像です(図4)。その他の方向から撮影したレントゲン像では、シストの大きさや関節面の状態を確認することが出来ます。3_3【図3】レポジトリーにおける後膝のレントゲン資料(4方向)

A:尾-頭側像、B:尾外-頭内側像、

C:外-内側像、D:屈曲 外-内側像

4_2【図4】大腿骨内側顆のボーンシスト所見

左:大きなボーンシスト所見

右:小さな軟骨下骨の欠損(ディフェクト)所見

 

治療と予後

 シストには炎症産物が含まれており、物理的な刺激が加わり続けることにより病巣が広がってしまいます。跛行が認められない場合は、そのまま陳旧化する場合も多いのですが、跛行が認められる場合は、運動や放牧を中止し、しっかり症状が消えるまで休養させることが重要です。跛行の程度が重い場合には、全身麻酔下でシスト内にステロイド剤(抗炎症剤)の患部への直接投与やシストの掻披術を実施し、治癒を促します。いずれにしても、休養期間は3ヶ月から6ヵ月以上要することが多く、競走馬としてのデビューは遅れてしまうことになります。近年、新たな治療方法としてシストを跨ぐ様にスクリューを1本挿入する治療法が試みられるようになり(図5)、調教への復帰も早くなることが期待されています(詳細については次号で紹介する予定です)。5

【図5】内側顆のボーンシストへのスクリュー挿入術 ラグスクリューによりシストの安定化を図り、疼痛や炎症を緩和する試みが行われている。

 

最後に

 大腿骨内側顆のボーンシストは、発症すると予後が悪く、経済的な負担も大きな疾患です。現在、日高地区の獣医師で総力を挙げて、ボーンシストの発症要因や治療法の改良に取り組んでいるところです。生産者の皆様には調査へのご協力への理解と今後の調査結果にご期待いただければ幸いです。

 

 

(日高育成牧場生産育成研究室 研究役 佐藤 文夫)

2020年5月13日 (水)

電気牧柵を用いた放牧方法

No.148 (2016年6月1日号)

                          

  

 アイルランドなど海外の馬産国では、電気牧柵を効果的に利用した放牧方法が一般的に普及されています。わが国でも、放牧地への鹿の侵入防止用として設置されている牧場も多いのではないでしょうか。日高育成牧場では、出産後の母子の放牧地において、子馬の事故予防を目的として電気牧柵を設置していますので、本稿で概要を説明します。

   

子馬の種子骨傷害

 電気牧柵の話を始める前に、生後まもない子馬における種子骨傷害について説明します。これまで当場で実施した調査では、生後1~2ヶ月齢の子馬の近位種子骨のX線検査において、前肢で45.2%、後肢で9.5%に骨折様の陰影が認められました(図1)。これらの所見は種子骨の先端部に認められる小さなもの(図1左)から、中位の大きな離解を伴うもの(図1右)まで様々でしたが、有所見馬には跛行や腫脹などの臨床症状は見られず、発見から1ヶ月以内に消失するものがほとんどでした。発生原因は、広い放牧地で母馬に付いて激走することにあると考えられています。生後間もない子馬の種子骨は、まだ激しい運動に耐えられません。このため、いきなり広い放牧地に放された場合に、骨傷害を発生するのではないかと推察されます。

 所見を有した場合であっても、多くの馬に症状が認められないことから、臨床上の重要性が低い印象を受けます。しかし、場合によっては骨片が大きく離れるような重度の骨折を発症するリスクもはらんでいるため、発症リスクを低くするような飼養管理方法が求められます。1_11 図1.生後間もない子馬に認められる種子骨傷害

電気牧柵を利用した段階的な放牧

 2012~14年の3年間、当場において、広い放牧地(2ヘクタール以上)に生後10日齢以内に放した子馬の種子骨のX線検査をしたところ、中央部に陰影を認める離断骨片が大きい所見(図1右)が33%(12頭中4頭)に認められました。日高育成牧場で母子が利用可能な放牧地は、小パドック(1アール以下)を除くと、2haおよび4haの比較的広い放牧地のみであり、小パドックと大型放牧地の中間にあたる1ha以下の中型放牧地の設置が課題でした。

 そこで2015年は、2haの放牧地を電気牧柵で間仕切りすることにより、1ha以下の中型放牧地を設置し、段階的な放牧方法を実施しました。これにより、生後1週齢までは小パドック、その後1ヶ月齢までは間仕切りした中型放牧地、1ヶ月齢以降は4ha以上の広い放牧地を使用しました(図2)。この方法を用いたことにより、過去3年間で33%に認められた種子骨中央部の骨傷害が、2015年には13%(8頭中1頭)に減少しました。

2_8

図2.電気牧柵を利用した段階的な放牧

 

電気牧柵の設置・使用方法

 具体的な電気牧柵の設置方法について説明します。馬用の放牧地の場合、視認性確保のため、ワイヤー状の細い電線ではなく、帯状の幅が広いタイプ、また、ポールは安全性を考慮したプラスチック製のものが推奨されます。馬によっては、電気牧柵に対する馴致が必要となる場合があります。最初に引き馬をしながら、電気牧柵に馬を近づけて、しっかり見せてから放牧した方がよいでしょう。もちろん、何かに驚いて急に走りだした場合には、突破されるリスクもありますので、外柵としてではなく、あくまで放牧地内部の間仕切りとしての使用に限定した方がよさそうです。なお、人畜両者に対する危険防止のため、電源については出力電流が制限される「電気柵用電源装置」の使用が法律で義務付けられていますので、ご注意ください。

3_7 図3.プラスチック製ポールと視認性の良い帯状の電線(左)と移動が容易な乾電池式の電源(右)

 

  

  (日高育成牧場・専門役 冨成 雅尚)

育成期の屈腱腫脹

No.145 (2016年4月15日号)

 

 

 

 育成調教期の若馬で「ウラがもやっ・・・として、すっきりしない」「触わって腱が太く感じる」と表現するような、屈腱部のわずかな腫脹や帯熱を認めることはありませんか?我々、JRA日高育成牧場の育成馬においても、このような症状は珍しくなく、いずれも一過性の現象であることを経験しています。このような若馬に対して超音波検査を行った場合、浅屈腱が成馬と比較して太い、もしくは反対の正常肢と比較して太い所見が認められます。しかし、腱損傷を示す所見は認められません(図1)。

 成馬においては、このような屈腱部の腫脹や帯熱は、浅屈腱炎すなわち「エビ」の症状もしくは前兆と理解されています。このため、若馬でこのような所見を認めた場合、育成調教の妨げとなるばかりではなく、市場価値の低下を招くことが懸念されます。では、このような若馬の屈腱の腫脹や帯熱は、本当に屈腱炎の前兆なのでしょうか?競走期のパフォーマンスや屈腱炎発症に影響を及ぼすのでしょうか?

1_7 図1.育成馬では浅屈腱が成馬より太い、もしくは反対肢と比較して太い所見が認められる。

  

育成期の屈腱に関する調査

 JRA日高育成牧場では、3年間に亘ってJRA育成馬165頭の屈腱部の超音波検査を実施し、若馬の屈腱部に関する調査を行いました。調査は「育成調教開始前の1歳9月」および「ブリーズアップセール前の2歳4月」の2回、屈腱部を6つの部位に分けて、浅屈腱の断面積を測定し、左右で比較しました(図2)。

 結果を見ると、いずれの部位でも浅屈腱の断面積は、1歳9月の方が大きく、2歳4月にかけて小さくなる傾向にありました。また、いずれの時期も、以前にトレセンで調査した成馬の値を上回っていました。すなわち、育成期の若馬の浅屈腱は成馬より太く、育成調教を行う過程において、徐々に成馬の値に近づくことがわかりました。

2_5 図2.育成馬と成馬との浅屈腱断面積の比較

  

育成期の屈腱の左右差

 また、屈腱を3つの部位に分けて、左右の太さ、すなわち断面積を比較してみました。すると、左右で断面積の差が20%以上あった馬は、1歳9月および2歳4月のいずれの時期においても、育成馬全体の20%近くに達しました(図3)。成馬においては、浅屈腱断面積に左右差が20%以上認められた場合、浅屈腱炎の前兆と考えられていますが、育成馬では、5頭中1頭にそのような所見を認めたのですなお、このような所見を有した育成馬であっても、超音波検査で腱損傷所見が認められない場合には、通常どおりの調教が実施されました。それでは、このような左右差が認められた馬は、他の馬と比較して、競走成績は劣っていたのでしょうか?競走期に屈腱炎を発症したのでしょうか?

 調査馬のうち、中央競馬に登録した143頭について調査したところ、出走回数、入着回数、および浅屈腱炎の発症率に有意差はありませんでした(図4)。すなわち、育成期に通常より太い、もしくは太さが左右で異なる屈腱であっても、競走期のパフォーマンスに及ぼすような病的な状態ではなく、調教運動を通して改善されていく所見であることが分かりました。

 ではなぜ、若馬の腱は一時的に太くなるのでしょうか?今回の調査で解明することはできませんでしたが、運動や骨成長などにより、未成熟な腱が負荷を受けた際に認められる生理的反応の1つと考えられました。この調査は、我々が育成馬を調教していく過程で遭遇した「若馬の屈腱腫脹」について、それが病的なものか否かを解明する目的で実施したものです。

 JRA日高育成牧場では、生産者、育成関係者、そして市場購買者の皆様が日頃から疑問に思っていることについて、今後とも育成馬を用いた科学的な調査を行っていきます。3_5 図3.育成馬の5頭に1頭は浅屈腱断面積の左右差が20%以上であった。

4_3 図4.左右差20%以上の馬と他の馬の出走回数・入着回数に有意差は認められなかった。

 

 

(日高育成牧場 専門役 冨成 雅尚)

2020年2月26日 (水)

育成後期に問題となる運動器疾患

No.137(2015年12月1日号)

 日照時間も短くなり、日高山脈も雪で覆われはじめ、日高育成牧場にも冬の足音が近づいています。多くの育成牧場で、来年の競馬デビューに向けての調教が徐々に進んでいるころでしょう。この時期の1歳馬の身体はまだまだ成長途中であり、運動強度が増していくことで様々な運動器疾患が発症します。そこで今号では、後期育成期(1歳の秋冬~2歳の春夏)に問題となる運動器疾患のうち、特に育成に携る方々が様々な場面で悩まされる「近位繋靭帯(きんいけいじんたい)付着部炎」、「種子骨炎」、「飛節後腫」について紹介します。

近位繋靭帯付着部炎
 近位繋靭帯付着部炎は、いわゆる深管骨瘤として知られています。手根関節の過伸展によって繋靭帯(中骨間筋)と第3中手骨の付着部位(図1、2)に炎症が起こることが原因と考えられています。肢を地面についた瞬間ではなく体重がかかりきった時に疼痛を示すことが多く、肩跛行のように見えることがあり、調馬索などの円運動で患肢が外側になったときに跛行が明瞭化するのが特徴です。症状は患部の腫脹や帯熱を伴い、軽度~中程度の跛行を示します。診断には局所麻酔による跛行の消失・減退の確認や、またレントゲン検査も有効です。なかにはレントゲン上異常所見が認められないこともありますが、図3に示したように逆U字状の骨折線(繋靭帯と第3中手骨の剥離像)や、微小骨片が認められることがあります。急性期における治療としては、冷水療法、抗炎症剤の全身投与が一般的です。リハビリ期間は症状の程度にもよりますが、1‐3ヶ月間で多くが完治します。

1_6 図1 近位繋靭帯付着部(腕節の裏側の直下)

2_6 図2 近位繋靭帯付着部(骨標本)

3_6 図3 近位繋靭帯付着部炎(内-外斜像)
逆U字状の骨折線が確認される

種子骨炎
 種子骨炎は球節の過伸展や捻転による近位種子骨と繋靭帯付着部における炎症が原因とされ、一般的には繋靭帯脚部の炎症のことを言います。症状は近位種子骨および繋靭帯付着部の熱感や腫脹および触診痛、また軽~中程度の跛行を示します。診断は臨床症状にあわせて、主にレントゲン検査によって種子骨辺縁の粗造や異常な血管陰影(図4:いわゆる“ス”が入る、という像)を確認することで判断されます。レポジトリーにおいても、本所見を気にされる購買者の方は多いのではないでしょうか。本会の実施した調査では前肢種子骨所見のグレードの高い馬(グレード0~3で評価されるうちの、グレード2以上)では、競走能力には影響を与えないものの、調教開始後に繋靭帯炎を発症するリスクが高まるとの結果が得られています。しかし、後肢についてはグレードが高くても調教やその後の競走能力に差はありませんでした。治療については、馬房休養の保存療法が一般的で、急性期は冷却および運動制限が有効です。

4_3 図4 種子骨炎
臨床症状と血管陰影異常によって診断される

飛節後腫
 飛節の下方後面の硬化腫脹を呈する疾患で、飛節の後面に走行する靭帯や腱もしくはそれらの周囲の炎症であり、若齢馬での発症が多く、飛節の発育の悪い馬や曲飛を伴う肢勢で発症しやすいと言われています(図5)。病因として運動時の靭帯や腱の過度な緊張が挙げられます。症状は軽度の跛行が通常で、診断には腫脹部位の圧迫による跛行の悪化や、腫脹部位への局所麻酔での跛行の改善を確認することで診断します。レントゲン検査で飛節に関する他の疼痛性疾患を除外することも重要です。治療としては、急性期には馬房内休養を主な方針として、冷水療法、非ステロイド系抗炎症剤の全身投与や、コルチコステロイドの局所投与を実施することもあります。早ければ1週間ほどの休養で歩様は改善する馬もいますが、1~2ヶ月程度の休養を要することもあります。

5_2 図5 飛節後腫(矢印の部分が腫脹している)

 3つの運動器疾患について紹介してきました。治療には冷水療法や非ステロイド系抗炎症剤の投与が一般的であり最も簡便です。治癒を促進するため経験的に焼烙療法や化学発疹療法(ブリスター)などの伝統的な手法に加え、最近の治療法ではショックウェーブ(衝撃波)療法や光生物学的刺激を利用した高出力レーザー療法などの物理療法や、自家多血小板血漿(PRP)の病巣内注射なども試みられていますが、これらの手法は治療効果を証明する科学的裏づけが乏しいため使用にはまだまだ賛否両論があるのが現状です。日高育成牧場でも高出力レーザーなど新たな治療法(図6)を試している段階ですので、またの機会に紹介したいと思います。

6_2 図6 高出力レーザー療法
非常に高いエネルギーをもった光の刺激によって、消炎、鎮痛、創傷治癒促進効果がある治療法のこと

最後に
 いずれにしても重要なのは症状を悪化させないための“早期発見・早期治療”です。そのためには、普段からのチェックおよびケアをしていくことが重要です。多くの運動器疾患では「歩様が硬い」、「騎乗した感じがいつもと違う」、などの前兆を認めることが多いと思います。それらを未然に防ぎ、よりよい育成調教を進められるよう、普段から愛馬をよく触り、よく観察しましょう。
 本号の内容について、もし不明なことなどありましたら、是非日高育成牧場までお問い合わせ頂ければ幸いです。

(日高育成牧場 業務課 山﨑洋祐)

2020年1月 6日 (月)

サラブレッドの「ウォブラー症候群」について

No.131(2015年9月1日号)

はじめに
 サラブレッドは、三百年以上に渡る歴史の中で、より速く走るために進化してきた動物です。体を大きくし、肢や頸を長く細く変化させるだけでなく、成長のスピードまでも早く変化させてきました。そのため、成長著しい若馬のころに、発育のバランスが崩れることで発生する病気(発育期整形外科的疾患)も多く見られるようになりました。今回は、この発育期整形外科的疾患の1つである「ウォブラー症候群」について紹介します。

ウォブラー症候群とは
 「ウォブラー症候群」とは、いわゆる「腰フラ」や「腰痿(ようい)」と呼ばれる後躯の運動失調を主症状とする病態のことです。生後12~24ヶ月齢の牡の若馬に多く発症し、その発症率は1.3~2.0%であることが知られていることから、国内での発症も年間100頭近くに昇ることが推測されます。
本疾患の原因は、急激な成長によって生じた頸椎の配列の不整、頚椎関節部の肥厚や骨棘、離断骨片などによる狭窄であり(図1)、脊髄が圧迫されることで生じる神経の損傷です(図2)。生前診断は、臨床症状と頸椎のレントゲン検査による脊柱管の狭窄を確認することになりますが、狭窄は上下方向からとは限らず、狭窄部位を特定するのは容易ではありません。発症馬の予後は悪いことが知られ、病状の進行により安楽死処分されるケースが多い疾患です。しかし、一方で跛行が軽度な場合には、温存療法により約30%の馬がレースに出走したとの報告もあり、予後判断に苦慮することも多く、更なる客観的な生前診断法の開発が望まれています。

1_5 (図1) ウォブラー症候群発症馬の脊髄造影レントゲン写真
丸囲み内には、頸椎関節の肥大と離断性骨片(OCD)が認められ、脊髄が圧迫されている様子(矢印)が観察されるが、診断には熟練を要する。

2_5 (図2)狭窄部位の病理組織標本
白く抜けて見える小さな点は、神経線維が損傷を受けている所見

CTによる診断の試み
 CTとはコンピューター断層画像撮影装置のことです。CTを用いて、患部を撮影しコンピューター上で再構築することで、見たい部位を、見たい方向や角度から観察したり、計測したりすることができるのです(図3)。現在、我々は帯広畜産大学臨床獣医学研究部門にあるCT装置を利用して、サラブレッドの頸椎における狭窄部位の撮影および解析方法について検討を重ねているところです(図4)。

3_5 (図3)ウォブラー症候群発症馬の頚椎矢状断CT検査画像
狭窄部位が明瞭に確認できるため診断への応用が期待される。

4_4 (図4)CT検査の様子
静脈麻酔後、検査台に仰臥位で保定し頸部の撮影を行う。撮影時間は30秒程度である。

予防と治療について
 サラブレッドのウォブラー症候群に対する有効な治療方法は、今のところありません。頸椎の狭窄部位に対する外科的手術は、競走馬を目指すサラブレッドにとっては現実的ではなく、痛みや狭窄の進行を抑えるための対症療法を実施し様子を見るだけなのが現状です。したがって、発症馬を出さないよう、適切な飼養管理を心掛けたり、遺伝的に極端に近親交配が高くならないよう配慮したりすることが重要となります。

最後に
 レントゲン検査だけでは判断しづらい頸椎の狭窄状況を観察する上でCT装置は有用です。しかしながら、CT装置の撮影可能な対象馬は、体重300kg未満の当歳馬に限られてしまいます。今後は、より大型のCT装置の導入により、撮影可能対象は拡大される予定です。さらに、MRI(磁気共鳴画像)やPET(陽電子放射断層撮影)などを用いた検査方法と組み合わせた調査研究が実施されることで、ウォブラー症候群の病態が解明され、より的確な予後判断が可能になることと思われます。軽種馬の生産性の向上のため、強い馬づくりのため、今後も本症の早期診断や予防法の開発に勤めていきたいと考えています。

(日高育成牧場 生産育成研究室 研究役 佐藤 文夫)

2019年12月 4日 (水)

子馬に認められる近位種子骨のX線所見について

No.120(2015年3月15日号)

近位種子骨とは
 馬の近位種子骨(以下、種子骨)は、四肢球節の後ろに2個ずつ存在する小さな骨です。関節の一部を構成することで、球節の滑らかな動きに重要な役割を果たしています(図1)。馬は走行時、球節を自身の体重で大きく沈下させ、屈腱の伸縮力を利用することで推進力を得ています。種子骨は、この球節の沈下に耐えるため、繋靭帯をはじめとする周囲の腱靭帯と強固に結び付き、運動時に大きなストレスを受けている組織といえます。

1_14 図1 馬の前肢骨格標本
種子骨は、四肢球節の後ろ側にそれぞれ内外1対存在する。

子馬の種子骨における骨折様所見
 生後1~2ヶ月齢の子馬の種子骨をX線検査で確認すると、しばしば骨折様の陰影が認められることが判ってきました(図2)。これまでに、4牧場で生後8週齢までの幼駒42頭の種子骨についてX線検査を実施した結果、前肢は45.2%(19頭)、後肢は9.5%(4頭)の子馬に種子骨の骨折様所見が認められました。これらの骨折様所見は、種子骨の先端部に見られる小さなものから、中位の大きな離解を伴うものまで様々でしたが、有所見馬には、跛行や腫脹などの臨床症状は見られず、発見から1ヶ月以内に消失する所見が殆どでした。

2_12 図2 子馬における種子骨の骨折様X線検査所見
臨床症状は見られず、X線検査で初めて所見に気づくことが多い。

レポジトリーで認められる種子骨の異常所見の原因!?
 1歳サラブレッド市場で公開される四肢X線医療情報(レポジトリー)で認められる異常所見の中に、種子骨の陳旧性骨片や伸張などがあります(図3)。種子骨に骨片が認められた馬は、認められなかった馬に比較して初出走時期が遅れるとの報告もあり、調教開始後に何らかの影響を及ぼす可能性がある所見として知られています。このような種子骨の異常所見の原因の1つが、子馬の時期に発生する種子骨の骨折様所見であると考えられます。子馬の骨折様所見の中には、陳旧性の骨片として遺残する例や、所見の消失後に内外種子骨の大きさが異なってしまう例もあるからです。

3_11 図3 市場レポジトリー資料における球節部X線画像
左:正常な種子骨の例 
中:種子骨先端部に陳旧性の骨折片が認められる症例
右:内外の種子骨の大きさが異なる症例

予防法はあるか?
 子馬の種子骨に見られる骨折様所見の発生原因は、広い放牧地で母馬に付いて激走することにあると考えられています。生後間もない子馬の種子骨は、まだ激しい運動に耐えられません。馬の種子骨は、妊娠最後の1ヶ月頃に形成され始め、誕生後も大きく成長していきます。そのため、子馬の種子骨は、上下方向の大きなストレスに弱く、骨折様所見が発生したり、時には完全に破綻してしまうことがあります(図4)。この時期の子馬にとって襲歩のような激しい運動は必要ではありません。予防には、放牧地を段階的に大きな場所に変更するなど、母馬の息抜きをしながら放牧管理を行う工夫が必要であると思われます。

4_8 最後に
 子馬に認められた種子骨の骨折様所見の多くは、無症状でX線検査をしない限り判りませんでした。所見が確認された子馬のほとんどは、無処置で放牧を継続しながらでも最終的に所見が消失することから、気にする必要のない成長過程の現象の1つと言われることもあります。しかし、重篤化してしまう例が稀にもあること、レポジトリーにおける種子骨の異常所見の原因となることが調査を進める中で分かってきています。大事な生産馬を無事に競走馬にする過程のリスクの1つとして、生後間もない子馬の放牧管理について、もう一度考えてみる必要があります。

(日高育成牧場 生産育成研究室 研究役 佐藤文夫)

2019年11月18日 (月)

妊娠後期の超音波(エコー)検査

No.113(2014年11月15日号)

流産率と好発時期
 過去の日高地区の調査では、妊娠5週目に受胎確認された馬のうち約9%が流産、早産に到ると報告されています。また、日高家畜保健衛生所の報告によると、家保に搬入された流産胎子の93%が妊娠後期(6ヶ月齢以降)に発生したものでした。8月から9月に妊娠確認を行うことが多いと思われますが、実はその後も流産するリスクが高いと言えます。

早期診断としてのホルモン検査
 陰部からの滲出液や乳房の早期腫脹といった外見上の流産徴候が認められる頃には、子宮内の異常はすでに進行しており、治療しても手遅れとなるケースが多いようです。そこで、より早期に流産徴候を把握するためホルモン検査が推奨されています(詳細については、バックナンバーをご参照下さい。2014年2月1日号、No.94)。しかしながら、ホルモン検査では胎盤や胎子が実際にどのような状態なのか知ることはできません。

エコーで何が分かるのか
 エコーを用いることで、胎盤や胎子の状態を知ることができます。感染性胎盤炎の指標として子宮胎盤厚(CTUP)があります。胎盤炎に罹患すると胎盤が肥厚するためCTUPが上昇します(図1)。また、胎子の状態を把握する指標の一つに心拍数が挙げられます。胎子も成馬と同様、刺激やストレスによって心拍数が上がったり下がったりするのですが、特に心拍数の低下は胎子の危機的な状態を表していると言われています(図2)。また、流産に至る過程でさまざまな要因により子宮内発育遅延Intrauterine Growth Restriction(IUGR)を来たすことがありますが、エコーでは胎子の頭や眼球、腹部、大動脈といった指標を計測することで胎子の大きさを推定することができます(図3)。

1_6 図1 胎盤炎の指標であるCTUP。胎盤炎に罹患すると厚くなる。

2_5 図2 胎子心拍数。正常では10週齢ころをピークに漸減する。

3_5 図3 胎子の大きさを推定するための各種指標。

胎子検査の実際
 一般の直検で用いられるリニア型探触子は鮮明な画像を描出できる半面、描出領域は深さ10cm、幅数cmと限りがある上に、下側しか観察できません。一方、コンベックス型と言われる扇形の探触子は画像が粗くなるものの、深さ30cm、視野角60度と描出領域が広い上に、直腸内において下側だけでなく前方向も描出できるため、リニア型に比べて広い範囲を観察することができます(図4)。また妊娠後半には、妊婦検査と同様にお腹から検査することによって胎子を観察することができます(図5)。コンベックス型探触子は新しい機械ではありませんが、馬繁殖分野ではリニア型ほど普及していませんので、現在のところ往診している獣医師の誰でも検査できる状況にはありません。

4_3 図4 探触子の種類。リニア型では妊娠後期の胎子を十分に観察することは難しい。

5_2 図5 2通りのアプローチ。妊娠後期には妊婦と同様にお腹から観察する。

普及の可能性
 胎子のエコー検査については以前から報告されていましたが、単体での意義はそれほど大きくなく、臨床応用には至りませんでした。しかしながら、近年はホルモン検査との併用により、エコー検査の対象を絞ることができるようになったことに加えて、エコーの高画質化、低価格化により機械の普及がより一層進むことが期待されることから、ヒトの妊婦検診のように実用性が高まってくるかもしれません。

まとめ
 一口にエコー検査と言ってもさまざまな検査項目があることがお分かりいただけたでしょうか。全ての妊娠馬に対して全ての項目を定期的に検査することが理想ですが、当然コストや手間もかかりますので現実的ではありません。そのため、「ホルモン値が異常の馬」「流産しやすい馬」「高額な種馬と交配した馬」など、気になる妊娠馬がいた際に検査してみてはいかがでしょうか。
 残念ながら、ホルモン検査やエコー検査で全ての流産を早期診断できるわけではありません。特に馬鼻肺炎ウイルス感染症のように流産までの転機が早い疾病に対しては未だ有効な検査法は確立していません。
 流産率を少しでも下げるため、日高育成牧場では流産予防に関する調査研究を行っています。妊娠馬の検査についてご興味がありましたらお気軽にお問い合わせ下さい。

(日高育成牧場 生産育成研究室 主査 村瀬 晴崇)

2019年8月14日 (水)

JRAブリーズアップセールで開示される個体情報

No.99(2014年4月15日号)

 JRAブリーズアップセール(BUセール)では、購買者の皆様が安心してセリに参加していただくために、病歴、体測値、飼養管理および調教内容等の個体情報を公開しています。今回はこれら個体情報のうち、病歴とレポジトリー検査所見について紹介いたします。なお、関連した内容の記事が本紙面(平成24年6月15日号No57、平成23年4月15日号No30)にも掲載されていますので、併せてご参考ください。

検査所見をもとにした上場馬選定
 JRA育成馬をBUセールに上場する過程では、怪我や運動器疾患の発症等、順調に行かないことも多いものです。また、調教中の異常呼吸音で悩まされることも少なくありません。私たちは、このような悩みを解決するため、抽選馬の時代から下肢部X線所見や上気道内視鏡所見と競走成績や疾病発症との関連について調査・研究を継続しています。これらの成績をもとに、JRAではセール前の3月に実施した上気道内視鏡検査や下肢部レントゲン検査等のレポジトリー検査所見を評価し、セール売却後の調教および出走に差し支えないと判断した馬を上場することとしています。

上気道内視鏡検査
 上気道内視鏡検査では喉頭片麻痺(LH)、軟口蓋背方変位(DDSP)、喉頭蓋の異常(AE)について、4~5段階のグレード分けをしています。特に、LHのグレード(Ⅰ~Ⅳの4段階)が高い馬では走能力に影響を及ぼす可能性があります。ⅠおよびⅡでは競走パフォーマンスとの関連はありませんが、Ⅲ~Ⅳの馬では競走能力に影響を及ぼすこともあり、手術が必要となる場合もあります(図1)。一方、ⅠおよびⅡについても喘鳴音を聴取することがあり、トレッドミル運動時の内視鏡による評価が必要な場合もあります。

1_8 図1 喉頭片麻痺(LH)のグレード分類(写真はグレードⅠ)

Ⅰ:左右の披裂軟骨の動きが常に同調かつ対称であり、完全外転が獲得・維持されうる

Ⅱ:披裂軟骨の動きが非同調でかつ喉頭が左右不対称な状態を示すこともあるが、披裂軟骨の完全外転は獲得・維持されうる

Ⅲ:披裂軟骨の動きが非同調で、喉頭が左右不対称である。披裂軟骨の完全外転は獲得・維持されない

Ⅳ:披裂軟骨と声帯ヒダは動かない

下肢部レントゲン検査
 レントゲン検査では、両前肢の近位種子骨の評価、腕節の骨端線、その他疾患の画像を提示しています。近位種子骨の画像検査では、骨の形状の不整や線状陰影の本数などからグレード0~3の4段階に分類し評価しています(図2)。これまでの調査結果から、グレードが高くなるにつれて繋靭帯炎の発症率が高くなることがわかっています。また、2歳春においては、腕節の骨端線の状態から化骨の状態がわかります。標準的なサラブレッドでは25ヶ月齢で骨端線が完全に閉鎖するとされており、これを基準に馬体の成長度合いを知ることができます。その他育成期に発見されたOCD(離断性骨軟骨症)や陳旧性骨折などの存在についても全て記載していますが、腫脹や跛行等の臨床症状がない場合、競走成績に影響を及ぼしません。

2_8 図2 種子骨(前肢)のグレード分け(図中の各数値はJRA育成馬310頭中の発症割合を示す)
G0:正常、G1:線状の陰影(赤矢印)が1~2本、G2:線状の陰影が3本以上、G3:線状陰影が多数あり骨の輪郭が不整(黒矢印)もしくは骨嚢胞がある

 BUセールでは、購買者の皆様が情報開示室(レポジトリールーム)においてこれら所見を閲覧することが可能です。また、情報開示室には獣医職員を配置していますので、画像の見方や獣医学的判断についてご相談いただくことができます(図3)。
 私たちは、購買者の皆様にとって「わかりやすく透明性のあるセリ」を目指して参りたいと考えています。
 4月29日(火)、中山競馬場で開催されるJRAブリーズアップセールは、今年で10周年を迎えます。皆様のご来場を心からお待ちしています。

3_5 図3 個体情報開示室で説明する獣医職員

(日高育成牧場 業務課 竹部直矢)

2019年7月29日 (月)

最新の繁殖体系 ―妊娠鑑定のタイミング 欧米との違い―

No.92(2013年12月15日号)

日本では5週目妊娠鑑定が一般的
 サラブレッド生産では、繁殖シーズンに妊娠するまで複数回交配を実施し、最終的に85%程度の受胎を目指すことに力を注いています。しかしながら、日高地方では、最終的な不受胎の率(15%)と同じくらいの割合で、妊娠期の早期胚死滅や流産、死産が起こることが近年の調査研究で明らかとなりました。一度妊娠が確認された牝馬が分娩に至らないという状況は古くから知られており、馬の生産において妊娠鑑定は複数回実施されるのが一般的です。日高地方で最も定着した妊娠鑑定のスケジュールとしては、交配日を1日と数え、17日目に超音波検査を実施する第一回目の妊娠鑑定と、交配後30-35日目に実施する、いわゆる「5週目の妊娠鑑定」が広く取り入れられています。その後、妊娠診断書の発行を必要とする場合、9月末頃に触診で妊娠鑑定が実施されることがあります。

欧米では4週&7週目鑑定が推奨
 ところが、ケンタッキーやアイルランドにおけるサラブレッド生産では、5週目の妊娠鑑定を4週目に実施し、その後6-7週に再度行うというスケジュールが一般的になっています。現行の日本での「5週目の妊娠鑑定」は、子宮の膨らみがはっきりして胚の本体と位置が触診のみでも比較的容易に検出される時期であることや、もし双子が発見された場合でも簡単な堕胎処置を実施してすぐに発情を誘起し、再交配を実施することができるという利点があり、欧米の馬生産でも5週目での妊娠鑑定を実施する場面は多々あるものです。それでは、なぜ欧米のサラブレッド生産では4週目に検査を行うのでしょうか?

馬の胚死滅は、妊娠16―25日に集中
 馬の繁殖学では、一度受胎を確認したのち妊娠35日以内(40日と定義する場合あり)にそれらの胚が消失あるいは死亡が確認されるものを早期胚死滅と定義しています。早期胚死滅の多くは、妊娠16日を過ぎて、胚が子宮に固着した後の早い段階で起こることが考えられ、妊娠25日までに起こるとする報告もあります(Young YJ. J. Vet. Med. Sci. 2007) 。4週目の鑑定が欧米で定着した理由として、少しでも早く胚死滅が起こった、あるいは起こりそうな状況を見極め、再交配やホルモン治療などの時期を逃さないように1週間早く妊娠検査を実施しているものと考えられます。

超音波(エコー)検査の発達
 従来のポータブルエコーの解像度では、妊娠5週でようやく胚の心拍を確認することができましたが、最近では機器が軽量化され、かつ描出精度が上がり、4週胚の心拍が確認できるようになりました。また、正常妊娠像とともに、異常妊娠時や胚死滅が起こりやすそうな状態の画像診断研究が進み、1週間早い妊娠4週での検査で遜色ない妊娠鑑定が可能となりました。
 日本においても、飼養管理技術の高い生産牧場では、すでに4週での妊娠鑑定を実施していることと察します。早期胚死滅の予防や対策には、栄養管理や初回発情での交配の見送りなどに加えて、エコー検査で早期胚死滅を早く見つけて再度交配することが生産性の向上に有効であると考えられます。

(日高育成牧場 生産育成研究室 室長 南保 泰雄)

1_4 図 妊娠4週(28日)における胚のエコー像と同時期の発生過程 技術の進歩により、4週胚の心拍が確認できるまで解像度が向上している。

2_4 図 ポータブルエコーを用いて直腸壁から子宮の妊娠鑑定をしている様子。

2019年6月10日 (月)

イギリス・アイルランドにおける購買前獣医検査について

No.83 (2013年8月1日号)

はじめに
 洋の東西を問わず、馬の売買取引に関するトラブルは数多く存在します。その理由として、馬は「高額」な商品であることに加えて、生体、すなわち「生き物」であるため、自動車や精密機械などと比較して、その品質保証が困難であることなどがあげられます。また、わが国の馬取引の中心である育成期の馬(当歳~2歳馬)は、売買時に「成長期」であることから、取引前には認められなかった疾患が、取引後に発生する可能性もあります。さらに、取引後における放牧や調教などの運動負荷により、外見上認められなかった疾患や欠陥が顕在化することも少なくありません。
 冒頭で「洋の東西を問わず」と述べたように、馬の取引のトラブルで悩んでいるのは、わが国だけではありません。馬取引が盛んに行われている諸外国の例を垣間見ることにより、安心して馬の売買が可能となる方法を構築する手がかりをつかむことができるかもしれません。そこで今回は、イギリスおよびアイルランドの馬取引における「購買前獣医検査」Pre-Purchase Examination(以下PPE)についてご紹介したいと思います。

購買前獣医検査PPE
 イギリスおよびアイルランドにおいては、PPEが一般的に実施されています。これは、購買者が購入を予定している馬に対して、購買目的に適っているかどうか、異常所見や疾患の有無といったリスクに関する部分に関して獣医師に検査を依頼するものです。依頼された獣医師の多くは、PPEガイダンスノート(※)とよばれる「検査手引書」に基付いて実施しています。これには、獣医師が実施するべき検査項目が順序立てて明記されており、イギリス馬獣医師会および英国王立獣医師会といった獣医師の権威団体によって作成および承認されています。このため、これに則ることにより、可能な限り適切な検査が実施できるとともに、取引後のクレームなどのトラブルを最低限に抑制できるシステムが構築されています。さらに、当該馬に関与する検査獣医師、購買者および販売者のすべてが、購買時検査を実施するうえで理解しておく必要がある事項が記載されています。例えば、「PPEには限界がある」「購買者の使用目的およびニーズに基付いて合否判断する必要がある」「検査獣医師は当該馬の診療に携わっていない」ことなどが明記されています。
 実際の検査においては、これに示されたすべての検査ステージに加え、必要に応じてレントゲン検査や上気道の内視鏡検査を実施するため、1頭当たりの検査が1時間を超える場合も少なくありません。また、競走馬や馬術競技馬などの高額馬取引の検査は、臨床経験が豊富かつ公平に判断できる獣医師が担当しています。
※PPEガイダンスノート原文
http://www.beva.org.uk/_uploads/documents/1ppe-guidance-notes.pdf

検査の流れ
 PPEガイダンスノートの記載内容のうち、「基準検査」とよばれるPPEの基本となる検査は以下の5つのステージから成り立っています。

ステージ1 予備検査
駐立時の目視および触診などによる馬体外貌の検査。

ステージ2 引き馬による常歩および速歩の歩様検査
常歩および速歩の直線運動、左右方向の小さい回転、および2~3歩の後退による歩様検査。

ステージ3 運動負荷試験
騎乗による運動負荷時の検査。この項目の目的は「心拍数あるいは呼吸数を増加させた際の状態確認」「常歩、速歩、キャンター、可能であればギャロップ時の状態の確認」であり、騎乗が困難であれば、ランジングへの代替も可能である。

ステージ4 静止および再検査
ステージ3の運動後の安静状態における呼吸循環器系に関する検査。

ステージ5 2回目の速歩検査
運動と安静時検査によって確認された所見の再確認を目的とした速歩検査。

その他の検査
以上の検査以外に、ドーピング検査(血液検査)や必要に応じた屈曲試験、速歩による回転検査、レントゲン、内視鏡もしくは超音波検査などを実施する。

セリにおけるPPE
 競走馬のセリにおいては、PPEガイダンスノートの項目のうち、限定された一部の検査が短時間で実施されます(下表)。「PPEガイダンスノートの基準検査」と「セリにおけるPPE」両者の検査内容を比較すると、後者は明らかに簡略化されていますが、これには理由があります。セリにおいては、時間、場所および年齢に制約があるため、詳細な検査が不可能です。また、この事情を購買者が理解し、あくまで簡易検査であることを認識したうえでの依頼に基づいているためです。さらに、セリにおいては購買者本人が実馬検査している場合が多く、獣医師によるPPEはあくまで補助、セカンドオピニオンと見なされていることも検査を簡略化できる理由のひとつです。
 多くの獣医師は、安静時の外貌検査、心臓の聴診、歩様検査(ほとんど常歩のみだが、場合によっては速歩を実施する)、および内視鏡検査(上気道観察のみ)に限定して検査を実施しています。内視鏡検査は1歳馬であっても馬房内で実施することがほとんどで、セリ会場にはポータブル内視鏡を肩にかけた獣医師の姿を頻繁に見かけることができます。
 X線検査は腫脹が認められる部位、跛行肢など必要な個所のみに限定して実施されます。なお、X線検査が事前に実施されている上場馬はそれほど多くなく、欧州のトップセールであるタタソールズ1歳市場のブック1においても、レポジトリールームへの事前提出率は、上場者の3割程度にとどまっています。

1_3 セリにおける獣医師によるPPE(左)と馬房での内視鏡検査(右)

2_3 タタソールズのレポジトリールーム データ提出率は上場者の3割程度である。

3_3 PPEとセリにおける購買前検査の比較

売却後検査
 英愛の競走馬市場においては、売却後検査も頻繁に実施されています。主な検査項目は、異常呼吸音を確認するウィンドテスト、およびドーピング検査(血液検査)です。1歳および2歳市場においては、いずれの検査もほとんどの売却馬に対して実施されています。
 ウィンドテストは、会場内に設置されているラウンドペン(丸馬場)でのランジングにおいて、呼吸音が明瞭に聴取可能となるまで、左右それぞれ10周程度のギャロップを実施することにより異常呼吸音の有無を確認する検査です。なお、1歳市場の上場馬は、このテストのため、セリ馴致の一つとしてランジング調教が実施されています。

4_2 売却後のウィンドテスト。右側が呼吸音を確認している獣医師

PPE講習会
 PPEガイダンスノートに基づいた検査の周知徹底を図ることを目的とした講習会が、英国馬獣医師会の主催により、英愛国の各地で年間を通して開催されています。内容は「PPEの概要」や「クレームを防止するための購買前検査の実施方法」などの講義、実馬を用いた「コンフォメーション、歩様検査、心臓および眼検査方法」などであり、適切な購買前検査の実施および売買トラブルの防止を目的としています。
 講義のなかで、講師からは「購買前検査におけるクレームを予防するためには、購買者とのコミュニケーションが極めて重要であり、どれほど精度の高いプロトコールが体系化されていても、最終的には人間同士のコミュニケーション(言い回し、正直な発言など)が、トラブルを防止できる最も重要なポイントである」とアドバイスがありました。
 このような獣医師会をあげての取り組みは、獣医師の検査技術向上、ひいては適切な馬取引を実施することによる馬産業の発展を目的としています。

まとめ
 PPEガイダンスノートは馬取引を円滑に実施するための優れたプロトコールであるといえます、しかし、これを用いた検査システムの有効性を左右するのは、検査獣医師の臨床経験、観察力および依頼主に対するリスク説明などのコミュニケーション能力と言えるのかもしれません。
 わが国においては、PPEは一般的ではありませんが、馬取引に関わる獣医師の責任の重さは小さくありません。市場の透明性を向上させ、売り手、買い手ともに安心した取引を行うためには、現状において「パーフェクト」な診断および予後判定は不可能であっても、常に「ベター」な方法を模索していく必要がありそうです。

(日高育成牧場 専門役 冨成 雅尚)