その他 Feed

2020年5月28日 (木)

輸送と抗菌薬が腸内フローラに及ぼす影響

No.160(2016年12月1日号)

 

はじめに

 草食動物であるウマは、炭水化物やタンパク質を小腸で吸収し、繊維質の分解によって産生された揮発性脂肪酸やビタミンなどを盲腸・大結腸で吸収します。その際、繊維質の分解やビタミン産生などには、腸内に存在する細菌(腸内細菌叢=腸内フローラ)が深く関わっています。その他にも腸内フローラには病原性のある細菌の競合的排除など重要な役割があり、そのバランスが崩れると下痢症や腸炎の発症につながる可能性があります。そのため、正常な腸内フローラを保つことは馬にとっては非常に重要です。腸内フローラへ影響を与える要因としては、調教やレース、輸送などのストレス、抗生剤の投与や手術などさまざまありますが、今回は輸送と抗生剤の関連性について、JRAが行っている研究をご紹介したいと思います。

  

腸内フローラ解析方法

・細菌培養による解析

 様々な培地や発育条件で糞便を培養し、それらの培地で発育した細菌の種類や菌数を測定して腸内フローラを明らかにする以前から用いられている方法です(図1)。腸内で生きている菌のみを検出し、各菌数をそれぞれ測定することができます。しかし、腸内フローラを構成する細菌は多様なため、中には培養できない菌が存在する場合や細菌の同定が困難な場合も多く、正確に腸内フローラを把握できないことがあります。1_7図1 様々な培地を用いた細菌培養法(出典:腸内菌の世界, 叢文社, 1980)

 

・次世代シークエンサーによる解析

 新しく用いられるようになった方法です(図2)。すべての細菌が持つ特定の遺伝子を標的とすることで、培養できない菌も検出し、腸内フローラ内の細菌を比率として見ることができます。しかし、細菌の遺伝子があれば検出されてしまうため、死んでしまった菌も反映されてしまう可能性や、実際の菌数を測定できないこと、解析には高額な機器が必要なことというデメリットもあります。2_5図2 次世代シークエンサー Ion PGM (Life Technology社)

 

JRAが行っている研究について

 近年、JRAでは所属競走馬において輸送後の腸炎発症頭数が増加傾向にあります。その背景としては、輸送頻度の増加や輸送前後で発症した疾患、輸送熱予防のための抗生物質など抗菌薬の予防的投与などの影響が考えられます。その抗菌薬の予防的投与が輸送前後において腸内フローラへ与える影響について上述の2つの解析法を用いて研究を行っています。

 毎年4月下旬に千葉県船橋市にある中山競馬場でブリーズアップセールが行われています。そのセールへ上場する育成馬は、北海道浦河郡浦河町にある日高育成牧場から中山競馬場へ、陸路とフェリーを使い約25時間かけて輸送されます。その輸送直前に輸送熱予防に使われる抗生剤(マルボフロキサシン)の投与群(3頭)と非投与群(5頭)を作り、腸内フローラの変化を調査しました。輸送前後の糞便の状態を確認するために、輸送7日前、4日前、1日前、到着翌日、到着3日後の計5回、直腸内の糞便を採取して上記の解析を行いました。結果として、細菌培養による解析では、大腸菌などの腸内細菌科細菌やブドウ球菌などの菌数が増加する傾向が認められました。次世代シークエンサーによる解析では、8頭中6頭において輸送後に何らかの腸内フローラの変化が認められました(図3)。しかし、これらの変化には、抗生剤の投与の有無との関連は認められませんでした。3_4図3 次世代シークエンサーによる解析結果の一例

 

最後に

 今回の調査によって、長距離輸送は腸内フローラへ何らかの影響を与えることが明らかとなりました。しかし、輸送後に発熱した馬は1頭いたものの下痢症状を示した馬は認められなかったことから、今回検出された腸内フローラの変化は、直ちに下痢症や腸炎の発症につながるわけではないことが確認できました。また、抗生剤の投与の有無との関連が認められなかった理由としては、輸送による変化が大きすぎるため、輸送直前の抗生剤投与の影響が隠されてしまった可能性なども考えられます。

 今後は、どのような腸内フローラの変化が下痢症や腸炎の発症リスクとなるのかなどの疑問に答えていくために、さらなる研究を進めていく必要があると考えられます。

  

(日高育成牧場 業務課 水上寛健)

装蹄師の養成について

No.159(2016年11月15日号)

             

 

『装蹄師になるためには、いったいどうしたらよいのでしょうか?』

 日本で唯一、装蹄師の養成教育を行っている装蹄教育センターで、昨年まで技術指導を担当させていただいていた私、竹田和正がこの疑問にお答えします。

 結論から申しますと、公益社団法人 日本装削蹄協会が約1年間にわたり全寮制で行っている装蹄師認定講習会で専門的な学科と実技を学んだ後、装蹄師認定試験(2級認定試験)に合格して、装蹄師の資格(※1)を取得することでスタートラインに立つことになります。そのためには、まずは募集定員16名という狭き門を突破し、この認定講習会に入講する必要があるのです。

 装蹄師認定講習会が行われる装蹄教育センターは、栃木県宇都宮市にあり、設立されてから22年の間で、延べ316名の認定装蹄師を現場に輩出しています。(※2)装蹄師の「学校」と聞くと、馬の取り扱いや乗馬の経験がないとだめなのかと思うかもしれませんが、全くそのようなことはありません。認定講習会の中で、馬との接し方や騎乗、装蹄師になるために不可欠な解剖学や運動学などの学科、1本の鉄の棒から蹄鉄を作る鍛冶技術、そして、実際に馬の蹄を削ったり、蹄鉄を装着したりする装蹄技術を学ぶことができるのです。また、様々な分野の専門講師による特別講義、馬産地北海道での研修、競馬場やトレセンの見学などもカリキュラムの中に組み込まれているので、とても内容の濃い講習会となっております。

 センター卒業後は、JRA、トレーニングセンターや全国の競馬場、乗馬クラブ、生産地などで装蹄師として働くことになります。その求人は全国から装蹄教育センターに集まっており、現在、修了者の就職率は100%です! しかし昔から、「1人前の装蹄師として信頼されるまでには最低でも10年は必要だ!」と言われているように、この装蹄師認定講習会を修了し、資格を取得してもすぐにプロとして仕事の依頼をされるのは皆無と言えます。まずは見識豊かな先輩装蹄師の下で働きながら経験を積み、応用技術を蓄積する必要がありますが、その大切な基礎となる部分は装蹄教育センタースタッフが、熱意を持って指導するので十分に作ることが出来るでしょう。

 装蹄師の仕事は決して楽ではありません。しかし馬の足元を支える重要な仕事なので、とてもやりがいがあります。どうでしょう? ほんの少しでも興味が沸いたら、すぐに日本装削蹄協会のホームページ(http://sosakutei.jrao.ne.jp)を検索してみてください。そこには、歴代の講習生の1年間の講習会の様子や寮での生活などがわかる講習生のブログのコーナーもあるので、ぜひ覗いてみてください!!

 また、教育センターでは、装蹄や造鉄が体験できるオープンキャンパスやフットケアセミナーなども行われておりますし、実際に講習生の実習を見学することや現役装蹄師のお話を聞くことも可能です。最初に狭き門といいましたが、近年は、受験者数が減少傾向にあるので、まさに今が装蹄師になるチャンスといえます。

 さあ!!あとはあなた次第です。ぜひこの技術を身につけ、一緒に馬サークルを盛り上げて行こうではありませんか? 同じ装蹄師として仲間が増えるのを楽しみにしています。1_6

 

(※1)2級認定資格を取得後4年以上経過したら1級資格の試験を、さらに1級取得後9年以上経過したら指導級の試験を、それぞれ受験できます。その昇格試験に合格すると上級の資格に昇給します。

 

(※2)装蹄教育センターが設立される以前は、東京世田谷の駒場学園高等学校装蹄畜産科装蹄コース(3年間)、長期講習会(6ヶ月)、短期講習会(2週間)などがありました。

 

 

                      (JRA日高育成牧場・専門役 竹田 和正)

 

2020年5月14日 (木)

胆振での馬産の始まり

No.152 (2016年8月1日号)

 

 

 

  

 

 以前に本欄で日高における馬産の始まりについて紹介させていただきました。今回は胆振地区について触れてみたいと思います。

 

明治維新以前

 12世紀以前には東北地方との交流により、北海道に馬が渡ってきたと考えられています。15世紀後半から始まる松前氏(改姓前は蠣崎氏)の統治において、北海道農業発達史1巻にある松前藩の調査報告書「蝦夷地巡覧記」では、寛政9年(1797年)に和人地全73村のうち46村で馬を所有していると記載されていますので、かなり広範囲に馬が飼養されていたようです。この馬たちは松前藩が行っていた商場知行制(家臣への交易権の付与)での各場所間通行駄送用であり農耕用ではなかったとされています。

 一方、1700年代後半以降、ロシア船の度重なる来航に危機感を抱いた幕府は北辺防備のため蝦夷地の整備を急ぐ必要がありました。しかし松前藩にはその統治能力の低さもあり荷の重すぎる事業のためほとんど進んでいませんでした。寛政11年1月、幕府は松前領であった東蝦夷地(太平洋沿岸および千島列島)の内、浦河以北を上地(直轄地)とし、次いで文化4年(1807年)西蝦夷地も上地し、直接統治することとしました。

 享和2年(1802年)、幕府は直轄領の政務をつかさどる遠国奉行の一つとして蝦夷地奉行(後に函館奉行、松前奉行、その後再度函館奉行と改名)を設置しました。虻田町史には羽太正養と共に初代奉行となった戸川安論が文化元年(1804年)に幕府に牧場開設を建議し、それが入れられて有珠地区のオサルベツ(長流別)の原野に馬牧建設を着手しました(写真1)。いわゆる有珠・虻田牧といわれる幕府の牧場は現在の豊浦町から伊達市黄金にいたる富川牧(虻田)、岡山牧(有珠)、平野牧(伊達紋別)、豊沢牧(黄金)の四牧の総称であり、すべてが開場したのは文化3年です。開始時は幕府から拝領した3頭の種牡馬と南部藩から拝領した4頭と買い入れた5頭の牝馬でしたが、文化6年には四牧合計で147頭との記載も見られます。生産された馬は官用の外は民間にも払い下げられました。文化10年には博打石(現松前町)で馬市が開催され、3歳牡馬(年齢は当時のもの)が60頭払い下げられました。購買者には南部、津軽の馬喰(家畜商)も参加して取引していると報告されています。相応の需要があったのでしょう。安政4年(1857年)からは亀田(現函館市北西部)で奉行所により毎年1回の馬市が開かれました。北海道農業発達史によると安政年間(1854~59年)には、馬は全道に分布し、その数は1万頭に達していたと記載されています。しかし馬格は矮小で弱体化しておりました。しかし蝦夷地経営の進展に連れて馬に対する需要は増大したことから幕府は種々の改良増殖策を講じ、これらは明治になっても引き継がれました。

 有珠・虻田地区の馬は文政5年(1822年)有珠山の噴火時の災害記録によると牧馬数は2500頭程度と記載されています。多分この数字が文書的には最も大きな数字でしょう。有珠・虻田牧は明治2年(1869年)10月に65年の歴史を閉じることになりますが、この時の牧馬数は600頭であり、廃止時には各地の希望者へ売り渡し、駅逓の備馬、あるいは開墾の特志者に下げ渡しされるなどされています。

1_5

(写真1:洞爺湖町入江にある蝦夷牧跡)


 

明治維新以後

 幕府が大政奉還を願い出た慶応3年(1867年)10月以後も、北海道開拓は殖産興業だけでなく北辺防備を固める上でも新政府にとって重要な政策でした。そのため翌4年4月(まだ戊辰戦争さなか)、前述する函館奉行所に代わり北海道開拓を主管するための行政機関として函館裁判所の設置(後の函館府、さらに開拓使へと変遷)が決定しています。

 北海道の馬産の発達は開拓の歴史的発展と軌を一にしており、明治2年(1869年)7月に開拓使が設置されると、この役所が開拓をけん引することとなります。前述する有珠・虻田牧や浦河牧は廃止され、明治5年に新たに改良増殖目的で新冠に牧馬場を開設しました。翌6年には七重(現七飯)勧業試験場、登別牧馬場、8年には根室牧畜場が開設されています。

 北海道の開発が進むにつれ物資の輸送、特に木材などの搬出や畜耕のための馬の需要も増えてきました。馬産の大きな転換は明治30年(1897年)北海道国有未開地処分法(明治41年改正)により大規模な土地の開拓が可能となったことがあげられます。この施策により大小多くの牧場が開設されました。

 一例をあげれば、早来町史には明治32年植苗村字フモンケ(現富岡地区)に、札幌在住であった吉田権太郎氏が吉田牧場を創設するための土地の貸し付けを受けたと記載されています。また、早くから軽種馬の育成を始めていたとされ、町史では安平村長より支庁長への報告文内に「牧場開設以来主としてサラブレッド種を飼育」との記載やサラブレッド種牡馬の飼養も記載もあります。この牧場は現在も同地区に引き継がれています。

 変わった例としては将軍家や殿様が興した牧場もあります。開拓初期の明治2年、当時の太政官政府は諸藩士族、団体などの志願者に土地を分与するいわゆる「蝦夷地分領支配」を布告しました。胆振地方の人ならば、この言葉を聞けば伊達藤五郎邦成(亘理伊達藩主)や片倉小十郎邦憲(白石藩主)、石川源太邦光(角田藩主)の名前を思い出すでしょう。市名に名を残す伊達邦成一行は有珠郡に入植し開拓を進めますが、その指揮を執ったのは家老常盤新九郎(のち田村顕允と改名)です(写真2)。彼らが西洋農法を取り入れるために長流川下流に「開墾農社」、黄金蘂(現黄金)に「牛社」を開設しました。この牛社は後年、田村顕允が引き取り黄金蘂牧場(田村牧場)となりました。この牧場は明治43年にやはり仙台藩に縁のある高橋是清が取得し、現在の高橋農場へと受け継がれています(伊達市史より)。この高橋農場は日本中央競馬会から委託を受け、昭和42年までアラ系抽せん馬の育成を行っておりました(写真3)。

 さらに新白老町史には徳川牧場の名前が出てきます。15代将軍徳川慶喜の家督を継いだ慶久が大正7年に当時あった白老牧場を購入したものです。この牧場は昭和3年に吉田善助氏に譲渡されています。この牧場では当初より軽種馬の生産を行っておりました。吉田善助氏の父は前述の権太郎氏の兄、善太郎氏です。すなわちその父、善治氏は数々の名馬を産出している吉田姓の牧場のルーツとなります。

 北海道の馬産は馬耕や貨物運搬用の馬を主体として発展してきましたが、胆振および日高地区では例外的にかなり早くから軽種馬すなわち競走馬の生産がなされてきたといえます。

2_4

(写真2:伊達市開拓記念館の庭にある田村顕允の胸像)

  

3_2 (写真3:伊達市黄金にある黄金蘂牧場跡)

  

  

(軽種馬育成調教センター場長 高松 勝憲)

2020年5月13日 (水)

馬運車内環境の改善効果

No.146 (2016年5月1日号)

 

 

 4月26日(火)にJRA中山競馬場でJRAブリーズアップセールが開催され、日高および宮崎育成牧場での騎乗馴致を経て後期育成を終えたJRA育成馬たちは、無事に新しい馬主様に売却されていきました。今後は出走を目指してトレーニング・センターや育成場で調教を積み、各地の競馬場での出走に備えることになります。このように競走馬は生まれてから引退後まで、日本各地を移動し続けることになり、馬運車内にいる時間は少なくありません。そこで、今回は競走馬の「馬運車内環境」について触れ、その中でも我々が昨年研究を行った「馬運車内環境」の改善の試みについてご紹介したいと思います。

 

「輸送熱」の発症要因と予防方法

 みなさんも「輸送熱」という言葉を聞いたことがあると思います。これは輸送(特に20時間以上の長時間輸送)によって発熱する病気の総称です。「輸送熱」の発症要因としては、輸送のストレスによる免疫力(細菌などと戦う力)の低下や長時間輸送による「馬運車内環境」の悪化などが知られており、これらの要因が細菌感染を助長するため、「輸送熱」を発症してしまうと考えられています。以上のことから、「輸送熱」を予防するためには細菌感染を防ぐ手立てを準備しておくことが重要となります。

 近年の「輸送熱」を予防する方法としては、①輸送直前の抗生物質の投与、②輸送前の免疫賦活剤(免疫力を高める薬剤)の投与、③「馬運車内環境」の改善などが行われています。①の抗生物質の投与は、近年では最も一般的な「輸送熱」の予防方法であり、特にマルボフロキサシン製剤の輸送直前投与が実施されるようになってからは、「輸送熱」の発症が大幅に減少しました。しかしながら、抗生物質の投与を行うことで輸送後に腸炎(重篤な下痢)を発症してしまう可能性があることや耐性菌(抗生物質が効かない細菌)が現れてしまう可能性も指摘されていますので、抗生物質の投与以外の効果的な予防方法を確立することも求められています。今回はその中で③の「馬運車内環境」の改善による予防方法ついてご説明いたします。

 

輸送中の「馬運車内環境」は悪化していく

 輸送中の「馬運車内環境」について改めて考えてみますと、競走馬にとっては非常に不快な場所であると考えられます。1頭分の狭いスペースに押し込まれ、その場所に長い場合には20時間以上にわたって立っていなければいけないことを強いられているわけで、これだけでも大きなストレスを受けているはずです(図1)。

 さらに、輸送中には馬運車内に糞尿が増えていくことから、アンモニア等の悪臭の発生や湿度の上昇なども合わせて起こり、時間の経過と共にさらに「馬運車内環境」は不快なものとなっていきます。そして、これらの「馬運車内環境」の悪化が細菌増殖の温床となったり、それぞれの個体の免疫力を低下させたりする要因となっていると考えられます。そこで、「馬運車内環境」を改善することが「輸送熱」の発症予防に繋がるのではないかと考え、研究を行いました。1_8

図1.輸送中の馬の狭い空間で立っているため大きなストレスを受けています。

 

微酸性次亜塩素酸水の空間噴霧による環境改善の試み

 微酸性次亜塩素酸水とは次亜塩素酸ナトリウムという物質を希塩酸で弱酸性(pH6程度)に調整した消毒薬であり、多くの細菌やウイルスを死滅させる効果やアンモニア等の悪臭物質も分解する効果があります。さらにこの消毒薬は、反応後に水へと変化することから、生体への悪影響無く安全に空間噴霧できるという利点があります。以上のことを踏まえ、この微酸性次亜塩素酸水を空間噴霧することによる「馬運車内環境」の改善効果について以下の研究を行いました。

 今回の研究では、北海道から宮崎へ輸送するサラブレット1歳馬11頭を用いて、1台は通常の馬運車(対照群:6頭)で輸送し、もう1台は微酸性次亜塩素酸水を噴霧した馬運車(噴霧群:5頭)で輸送しました。輸送中の馬運車内の細菌数やアンモニア濃度を測定したり、輸送馬の状態を検査したりして噴霧による「馬運車内環境」の改善効果を調べています。輸送中の馬運車内の細菌数は、噴霧群の方が減少するという結果が得られました(図2)。これは噴霧効果によって細菌やウイルスが減少したことに加え、埃などの異物も少なくなっていた結果によるものと考えられます。また、輸送中のアンモニア濃度については、輸送24時間後までは噴霧群の方がアンモニアの濃度が低いという結果が得られました(図3)。これらの結果から、微酸性次亜塩素酸水の噴霧には、「馬運車内環境」を改善させる効果があると考えられ、「輸送熱」の予防に繋がる可能性が示されたと言えます。2_6

図2.輸送中の馬運車内細菌数は対照群に比べ噴霧群の方が少ない。3_6

図3.輸送24時間後までは馬運車内のアンモニア濃度は噴霧群の方が低い。

  

最後に

 様々な予防方法の確立によって「輸送熱」は減少傾向にありますが、完全に発症を予防するには至っておりません。また、これまで確立してきた予防方法の効果が無くなったり、副作用が生じてきてしまったりする可能性も考えられます。そのため、今後も新たな予防方法を確立していくための研究を行っていき、皆様にご紹介していきたいと考えております。一方、実際に競走馬に関わっている皆様にも快適な「馬運車内環境」で輸送を行うという意識を持っていただければと思います。それぞれの馬の状態をしっかりと見極めていただき、少しでも快適な環境で輸送できるようにしていただければ幸いです。

 

 

(宮崎育成牧場 育成係長 岩本 洋平)

2019年12月26日 (木)

開設50周年を迎えた日高育成牧場

No.128(2015年7月15日号)

 日高育成牧場は、本年、開設50周年を迎え、7月27日には記念式典を開催いたします。日本の主要馬産地である日高に位置するJRA事業所として、50周年という節目の年を迎えられたことは、生産育成者を始めとする多くの皆様の暖かい支援の賜物であり、当紙面をお借りして厚く御礼申し上げます。本稿では、改めて50年の歴史を振り返ってみたいと思います。

日高育成牧場の開設の頃
 昭和29年、日本中央競馬会創立時の組織図には宇都宮育成牧場に日高支所の記載がありますが、本会職員は配属されず、日高種畜牧場に委託して抽選馬の育成が行われました。その後、昭和32年に札幌競馬場日高分場となり、昭和36年10月に10名の職員が配属され、本格的に本会職員による抽選馬の育成業務が始まりました。そして、昭和40年1月に池本初代場長を迎え、11名の職員で日高育成牧場は開設されました。当時は十分な工作機械はなく、馬場整備や牧草収穫等は人力による手作業であり、さらに馴致、追い運動や昼夜放牧等の育成方法は試行錯誤の連続で、冬期の屋外での騎乗調教等、苦労が絶えなかったと聞いています。その後、昭和44年に800m馬場の新設、昭和45年に農水省から36.2haの土地の払下げを受け、事務所、厩舎、舎宅等の施設整備、昭和49年には念願だった覆馬場が完成しました。これによって、育成業務の基礎体制が整備されました。

日高育成総合施設軽種馬育成調教場の誕生
 農水省日高種畜牧場1,440haの払下げを受け、平成5年にイギリスのニューマーケットやフランスのシャンティに匹敵する大規模調教施設として、「日高育成総合施設軽種馬育成調教場」は誕生しました(図1)。施設内にある「屋内1000m直線馬場」や「屋内坂路馬場」(平成11年に700mで完成、平成18年に1000mに延長)(図2)は、北海道における冬期の降雪や凍結で屋外調教施設が使用できない時期に、若馬に本格的なスピードトレーニングが実施できる本邦初の屋内調教施設であり、その後の民間調教施設のモデルケースとなりました。

1_2 図1 日高育成総合施設軽種馬育成調教場(総面積約1500ha)の全景

2_2 図2 総延長1000mの屋内坂路馬場

生産育成に関する技術開発・調査研究および成果の普及
 昭和54年からは、本会職員を定期的に競馬先進国である欧米諸国へ派遣してきました。研修後は日高育成牧場を実践の場としても活用するとともに、経験の蓄積をもとに、「人馬ともに安全なブレーキング方法」等、馴致・育成技術の手順や考え方をまとめた「JRA育成牧場管理指針」を発刊し、以後改訂を重ねてきました(図3)。

3_2 図3 JRA育成牧場管理指針

 平成10年には生産育成研究室を設置するとともに、繁殖に関する研究にも着手し、平成20年からは「JRAホームブレッド」の生産を始め、生産から育成まで一貫した調査研究・技術開発を実施する体制が構築されました。「ライトコントロール法による卵巣機能の賦活化」や「乳汁pH値による分娩予知」等の研究成果は、広く生産牧場において活用され、それらをまとめた「JRA育成牧場管理指針(生産編)」を発刊しました(図3)。
 さらに、全国各地の講習会や当場における実践研修プログラムの開催(図4)およびグリーンチャンネル等のメディアやDVDの作成・配布等を通じて、生産育成技術の普及に取り組んでおります。
日高育成牧場は、この開設50周年の節目を新たな出発点とし、生産地の皆様とともに「強い馬づくり」を目指し、今まで以上に調査研究そして普及活動に取組んでいきますので、これまで同様のご支援、ご協力をお願いいたします。

4_2 図4 JRAホームブレッドを活用した実践研修風景

(日高育成牧場 場長 山野 辺啓)

2019年12月24日 (火)

日高育成牧場見学バスツアー

No.127(2015年7月1日号)

もうひとつの情報発信
 日高育成牧場の主たる業務は、皆様ご存知の通り、JRA育成馬、JRAホームブレッドを用いた競走馬に関する生産から後期育成にかかる調査研究とその成果の普及です。飼養管理や草地管理も含め、この連載を始めとし様々な媒体を用いて情報発信を行っています。一方で、そのような専門的な情報発信だけではなく、当場では競走馬の育成を行っている施設という特性を活かし、競馬ファンや競馬のことをあまりご存知でない方に対する情報発信の取組みも積極的に行っています。
今回はその中から、夏の恒例イベントとして定着してきた場内をバスで回って案内する日高育成牧場見学バスツアーをご紹介いたします。

見学バスツアーの歴史
 現在のような形での見学バスツアーが始まったのは平成16年からになります。その年は日本中央競馬会創立50周年にあたり、その記念イベントの一環として企画されました。7月~9月にかけての隔週水曜日、場内見学を軸に研究施設見学としてのトレッドミルの実演や体験乗馬、9月には初期馴致の様子などを組み込んでいました。初年度は7日間の実施に対し、81名の参加でした。
参加された方のアンケート結果も高評価であったため、翌年以降も継続実施することが決まり、平成17年には7月~9月の毎週水曜日に、平成18年からは7月~9月の毎週水・金曜日にと実施日も徐々に増えていきました。参加人数も順調に増え、おかげさまで昨年は35日間の実施に対し、448名もの方に参加いただきました。
今年度は7月~9月の毎週水・金曜日と10月の毎週水曜日に7月18日、8月15・29日、9月5日の特定土曜日を加えた35日間実施する予定となっています。

ツアーの内容
 見学ツアーでは、場内の各調教施設の見学とそれを利用する馬たちの調教の様子を基本に、幾つかの特別プログラムを組み合わせて紹介しています。
1,600mダートトラック、広大なグラス馬場、1,000m屋内直線馬場といった個々の調教施設の大きさ、それを一望できる見晴台からの景色(写真1)、間近で見る競走馬の迫力は馬産地日高ならではの見所で、このツアーのハイライトです。

1 写真1 見晴台からの景色
左手奥に1000m屋内直線馬場が見える

 特別プログラムは、時期によって内容が変わるお楽しみ企画です。前半は当場生産馬であるJRAホームブレッドの子馬とのふれあいの場を設け(写真2)、それに体験乗馬(写真3)もしくはポニーショーを組み合わせています。後半に入ると、研究業務と手術室やトレッドミルなど現場の紹介、競走馬にとって大事な装蹄に関する説明と造鉄実演(写真4)、9月中旬以降の初期馴致(ブレーキング)見学などとなり、一年の間でも時期をずらしていただければ、異なった内容のプログラムが楽しめます。実際、同じ年に何度も来られるリピーターの方もいらっしゃいます。

2 写真2 ツアー参加者と子馬とのふれあい
多くの人に囲まれることは子馬にとってもよい馴致となる

3 写真3 体験乗馬

4 写真4 造鉄実演

参加者の反応
 競走馬の育成の様子を見るというのは、一般の観光の方は勿論、長年、競馬に親しんできたファンの方にとっても珍しい体験のようです。施設見学の際も、馬が調教している様子を皆さん食い入るように見つめていますし、特別プログラムでも初期馴致(ブレーキング)見学には興味津々の様子で、『こういう事をやっているとは今まで全く知らなかった』という感想もよく頂きます。
子馬とのふれあいや体験乗馬、ポニーショーなどはちょうど夏休みと重なっていることもあり、親子連れの方々に大変好評です。

最後に
 JRAの施設は土日の競馬開催と密接な繋がりのあるものがほとんどです。その中にあって日高育成牧場は独特の立ち位置にある施設といえます。
サラブレッドとして生を受けた子馬たちが競走馬として競馬場で走るまでの間にどのような過程を経ているのか、どれだけの人が関わっているのかについては、見学ツアーの中でも自然と熱が入った説明になります。『今後は今までとは違った視点で競馬を見ることができます』といった感想もよく頂きますが、これを理解してもらえるのは我々にとっても大変うれしいことです。
これからも、日高育成牧場ならではの取組みで競走馬や競馬の魅力を発信して行きたいと考えています。今年度の見学ツアーのご案内は、JRAホームページに日高育成牧場でのイベントとして掲載しております。皆様のお越しをお待ちしております。

(日高育成牧場 総務課長  工藤 栄治)

2019年8月16日 (金)

日高育成牧場が実践する人材育成

No.100(2014年5月1日号)

 平成22年1月に始まった本連載も今回の記事でちょうど第100回を数えることとなりました。今後とも読者の「強い馬づくり」に役立つよう連載を続けて生きたいと考えていますので、ご支援よろしくお願いいたします。本稿では、日高育成牧場ならではの活動ともいえる教育支援や人材養成について紹介いたします。

 馬を学びたい学生のために

 今年最初の子馬が誕生した3月末、日高育成牧場では将来の獣医師の卵6名を対象に「スプリングキャンプ」なるものが開催されていました。これは全国の獣医学部の学生を対象に広く参加者を募り、馬の分娩や種付けを経験してもらいながら、サラブレッドの生産や飼養管理について学び、馬に対する興味と知識を深めてもらうための研修です。日本の大学は、欧米に比べて産業動物の臨床実習をするための環境や施設が整っていないのが現状です。特に馬に関しては教えることができる教員も多くはありません。しかし、全国には、馬に携わる仕事がしたい、実習などを通じて馬と触れ合ってみたいという学生は結構いるものです。日高育成牧場では数年前から、そのような獣医畜産系の大学生を対象に夏休み期間を利用して「日高サマースクール」と称した研修を実施しています。更に今年度は、「春休み期間を利用して分娩が見たい!」という多くの学生の声を反映して、この「スプリングキャンプ」を企画・実施しました。実習では、まず馬を引くことから始め、手入れや収放牧を通じて馬に触れ、寝藁上げ作業を手伝うことで現場の雰囲気を学び、馬の繁殖学、栄養学、画像診断などの専門知識についても講義と実習で学びます。さらに、昼は種馬場で種付けを見学し、夜は分娩が近い繁殖牝馬の監視をすることで、実際の交配や分娩を体験します(写真1)。研修終了後、学生たちは大学では学べないサラブレッドの生産について少なからず理解し、貴重な体験をして帰途に付きました。今までに多くの研修生が日高育成牧場での実習、研修をとおして学びましたが、すでに、日高育成牧場で研修を受けた研修生の中から馬関係の仕事に携わる獣医師が大勢、誕生してきています。今回のスプリングキャンプの受講生の中からも、また日高に戻って来てくる者がいるかもしれません。

 1_2

(写真1)日高育成牧場スプリングキャンプ

子馬の誕生に感動する獣医大学の学生

育成馬の騎乗から観光客向け展示まで

 日高育成牧場では、JRA育成馬を用いた調教技術・騎乗者養成に関する研修(写真2)や生産育成技術者研修などの専門的な研修も行っています。また、一時、凍結されていた本会新人職員の日高での研修も再開されました(写真3)。さらに、馬に触れたこともない小・中・高等学校生に対して「乗馬教室」、「職場体験学習」、「馬文化出前教室」や「日高の自然授業」などの馬に関する授業を担当したり(写真4)、幼稚園の見学を積極的に受け入れたりしています。また、一般の観光客向けの「場内バスツアー」を企画し、馬に親しんでもらう機会を設けています(写真5)。この様な研修を実施することで、日高育成牧場で実践している新しい飼養管理方法や調教技術の公開、調査研究成果の普及に努め、将来馬に携わる人材を育成しています(表1)。

 世界に通用する強い馬づくりを目指すには、広く馬に関心を持つ人を増やすこと、さらに馬に携わる人の意識と生産育成技術の向上が不可欠です。すなわち「強い馬づくりは人づくりから」と言えるのではないでしょうか。

 2 (写真2)育成調教技術者養成研修(BTC研修生)

JRA育成馬を用いて、ブレーキングから高度な騎乗技術まで習得する

 3 (写真3)新人一般職二次研修(JRA職員)

雑草抜きもしながらサラブレッドの生産について学ぶ

 4 (写真4)「馬文化出前教室」への講師派遣

日高振興局の要請により随時、小学校へ出向く(えりも町立笛舞小学校:2011年12月)

5 (写真5)日高育成牧場バスツアー

馬の親子とのふれあいの様子

6 表1. 日高育成牧場で実施している主な研修

(日高育成牧場 生産育成研究室 研究役 佐藤 文夫)

2019年6月24日 (月)

耐性寄生虫について –ターゲット・ワーミングの紹介-

No.89(2013年11月1日号)

 わが国のみならず世界中の馬の生産現場において、「耐性寄生虫」すなわち駆虫剤に効果を示さない寄生虫が大きな問題となっています。今回は、「耐性寄生虫」出現の背景や新しい駆虫の考え方について紹介いたします。

耐性寄生虫の発生原因
 耐性寄生虫の発生には、「すべての馬に対する駆虫」「定期的な駆虫」「同じ駆虫剤の継続投与」といったこれまで駆虫の常識と考えられ実践してきた習慣が背景にあると考えられています。では、耐性寄生虫はどのようなメカニズムで発生するのでしょうか?以下のようなモデルが紹介されています。
耐性寄生虫は突然出現するものではなく、もともと、寄生虫群のなかに存在しています(図1)。この寄生虫群に同じ駆虫剤を投与し続けると、耐性寄生虫だけが生き残ります(図2)。すると、耐性寄生虫同士の交配が増加し、耐性寄生虫が多数を占めるようになります(図3)。
 このように一度でも耐性寄生虫が多数を占めてしまった場合、耐性寄生虫は消失しません。それでは、どのような駆虫をすれば良いのでしょうか?

1_5 図1

2_5 図2

3_4 図3

ターゲット・ワーミング
 耐性寄生虫の出現を可能な限り抑制する方法として、欧米では「ターゲット・ワーミングTarget worming」と呼ばれる駆虫方法が提唱されています。ポイントは「①虫卵検査の実施」「②必要な馬に限定した駆虫」「③薬剤のローテーション」の3つです。すなわち、虫卵検査を実施して、必要な馬に対してのみ駆虫を実施する方法です。また、異なる薬剤を交互に使用することで、1つの薬剤に対する耐性寄生虫の出現を抑制します。
具体的な方法は以下のとおりです(図4、5)。

・2ヶ月間隔で繋養全馬に対する虫卵検査を実施する。
・各寄生虫につき、糞1gに250個以上の卵が認められた場合のみ駆虫する。
・イベルメクチン、ピランテル、フェンベンダゾールを交代で投与する。
・条虫駆除を目的としたプラジクアンテルは秋に1回(もしくは春との2回)投与する。
・駆虫2週間後に再検査をして、駆虫剤の効果を確認する。

 ただし、2歳未満の子馬に対しては、虫卵数に関わらず2ヶ月毎に駆虫を実施します。理由は、子馬にとっての脅威「アスカリド・インパクション(回虫便秘)」の防止です。アスカリド・インパクションは、子馬の腸管の中に回虫が充満し、最悪の場合には腸管破裂による死亡を引き起こします。成馬になると、回虫に対して抗体ができるため、若馬に対してのみ徹底的に駆虫するのです。この場合の駆虫は上記3つの薬剤を交代で使用することにより、耐性寄生虫の発生を抑えます。

4_3

図4 虫卵検査により、大量寄生が認められた馬のみ駆虫する

5_2
図5 薬剤のローテーション投与

寄生虫をゼロにする必要はない
 「ターゲット・ワーミング」は、薬剤感受性が高い寄生虫(薬が効く虫)を一定割合生存させておくことによって、耐性寄生虫の割合を減らすことができる方法です。これにより、駆虫が本当に必要な時に駆虫剤が効果を示すようになるのです。この方法の根底には「寄生虫をゼロにする必要がない」との考え方が存在します。
 「寄生虫=害虫=全滅させる必要がある」という概念は間違いだと考えられるようになってきました。「すべての寄生虫が馬に健康被害をもたらすか?」、この疑問は解決されていません。デンマークで行われたトロッター競走馬を対象とした調査によると、円虫卵が多く認められた馬のほうが、入着(1~3着)する可能性が高いとの結果が得られました。円虫寄生が競走パフォーマンスを高めるとは想像できませんが、少なくとも競走馬の場合には負の影響はないとも考えられます。もちろん、成馬であっても大量寄生による疝痛・栄養障害などの健康状態に与える影響は否定されていません。しかし、子馬のアスカリド・インパクションなど、本当に必要な時のために、現在有効な駆虫薬を残しておくことは極めて重要です(図6、7)。なぜなら、新たな駆虫薬の開発には長い年月を必要とするからです。

6_2

図6 駆虫薬の効果

7

図7 現在使用可能な駆虫剤は、必要な時のために温存!!

駆虫剤投与以外に実施すること
 生産現場においては、駆虫剤を投与する以外にも有効な寄生虫対策があります。

・放牧地のローテーション
・放牧地の糞塊除去
・放牧地のハローがけ(ハローがけ後は一定期間休牧)
・大量寄生馬の隔離
・過密放牧の回避
・牛・羊などとの混合放牧(異なる動物種が、馬寄生虫を食べることでその生活環を断つことができる)

 上述のターゲット・ワーミングと、これらを併用することで耐性寄生虫の発生を可能な限り抑制できると思われます(図8、9)。

8

図8 「放牧地のローテーション」や「糞塊除去」は寄生虫駆除に有効な方法

9

図9 アイルランドで実施されている牛との混合放牧


(日高育成牧場 専門役  冨成 雅尚)

2019年6月17日 (月)

アイルランドの人材養成

No.86 (2013年9月15日号)

 「馬づくりは人づくり」。JRA日高育成牧場は、この言葉どおり、BTCやJBBAの研修生、獣医畜産系大学の学生、周辺の小・中・高校生まで幅広く多くの方を対象として、馬に関する学習の機会を提供しています。
 欧米各国においても、様々な人材養成事業が実施されており、ダーレー・フライング・スタートやケンタッキー・イクワイン・マネージメント・インターンシップなどは世界的にもよく知られているところです。世界有数の馬産国アイルランドは、国の主要産業の振興を目的とした人材養成に対し、政府をあげた一大事業として力を注いでいます。
本稿では、アイルランドの人材養成の中心となっているアイリッシュ・ナショナル・スタッド(以下INS)のブリーディング・コースについて紹介します。

アイリッシュ・ナショナル・スタッド-ブリーディング・コース-
 INSは、半世紀以上前の1946年に「アイルランドの馬産業の促進」を目的として設立された歴史ある国営牧場で、往年の大種牡馬ブランドフォードを筆頭に、最近ではシーザスターズなど多くの名馬が生産されてきました。
 INSは生産牧場としての役割のみならず、ブリーディング・コースとよばれる競走馬産業への人材供給を目的とした事業を行っています。1971年に設立され、40年以上の歴史をもつこのコースは、これまで800人以上の卒業生を世界中に輩出しており、卒業生は各国の生産牧場、育成牧場、競走馬厩舎、競馬関係機関、セリ会社あるいはマスコミなどで活躍しています。
 INSの教育システムは、自国のみならず、他国の人材も養成していることで特徴的です。国営牧場という性質上、自国の若者のみを対象とするシステムの方が妥当と思われますが、世界中から生徒を集め、卒業後に彼らが母国において競馬産業の職に就くことにより、結果として世界各国にコネクションを拡大することを可能にしています。すなわち、卒業生に対してアイルランドの「競馬大使」としての役割を期待しているのです。

コース概要
 このコースは、繁殖シーズン(1~7月)の約半年間にわたって行われ、実習、講義および見学研修を通じ、スタッド・マネージャーに必要な生産に関する知識および技術の修得が中心になっています。実習は、繁殖シーズンにおける繁殖牝馬、子馬および種牡馬の管理、そして、種付け・出産などの実務を行います。1日1時間の講義は、獣医学、装蹄学、栄養学、土壌学などの馬産の基礎的な分野に加え、種牡馬事業やセリ市場など、競馬産業に関する内容も数多く含まれています。講師は、INSの場長およびスタッフのみならず、大学、研究所、飼料会社、エージェント、セリ主催者、調教師などアイルランドを代表する競馬関係者が担当しています。また、見学研修においては、セリ市場、馬診療所、競走馬厩舎、育成業者(コンサイナー)などを訪問します。これらの講義や見学は、知識修得だけではなく、アイルランドの競馬産業に携わる関係者と各国生徒との「顔合わせ」を兼ねており、競馬産業におけるネットワークの形成に寄与しています。

各国からの研修生
 年齢制限はありませんが、主に20代前半の研修生が多くを占めています。彼らの学歴は高卒、大卒、大学在籍中など様々ですが、ほぼ全員が生産牧場あるいは競走馬厩舎での勤務経験を有しています。また、すでに自国以外の牧場で就労経験している生徒も数多く在籍していました。このような世界各国の研修生が、半年間にわたる寮生活をとおして寝食をともにする、まさに「同じ釜の飯を食う」ことにより、世界中にネットワークを拡げることができるのです。

他国の教育システム
 INSと同様の人材養成機関は他国にも存在します。主なものとしては、ナショナル・スタッド(英国)、ケンタッキー・イクワイン・マネージメント・インターンシップ(米国)、ダーレー・フライング・スタート(愛国、豪州、米国、ドバイ)などがあげられます。INSの生徒の何名かは、これらのコースも受講することにより、世界各国の馬産を経験するとともに人脈の輪を広げています。

おわりに
 世界中の競馬産業にネットワークを形成しているINSの卒業生は、アイルランドの競馬産業にとって極めて貴重な財産であり、国をあげたこの事業を40年以上継続することによって、世界有数の馬産国としての地位を築いています。
 来年1月から始まるコースの募集締め切りは、本年10月12日です。募集人員は20名、応募資格は「18歳以上で健康」「一定の英語力(IELTS academic test 5以上)を有している」「牧場などでの勤務経験があり、馬の取扱いに慣れている」ことです。ご興味のある方は受講してみてはいかがでしょうか(アイリッシュ・ナショナル・スタッド・ブリーディング・コースhttp://irishnationalstud.ie/education/4/breeding-course/)。

(日高育成牧場 専門役 冨成 雅尚)

1_2

大手コンサイナーによる馬の見方に聞き入る研修生

2_2

INSの担当装蹄師による装蹄学の講義

3

多くの見学先では、愛国のホースマンとの懇談の場が設けられている。
研修生と話すジム・ボルジャー調教師(左写真)、バリーリンチ・スタッドのジョン・オコーナー場長(右写真)

4

INSの卒業式。世界各国の生徒が半年間寝食をともにすることで、世界中にネットワークを拡げることができる(筆者は最後列左端)

アイリッシュ・ナショナル・スタッド(愛国)
Irish National Stud
http://irishnationalstud.ie/

ケンタッキー・イクワイン・マネージメント・インターンシップ(米国)
Kentucky Equine Management Internship
http://www.kemi.org/

ナショナル・スタッド(英国)
The National Stud
http://www.nationalstud.co.uk/

ダーレー・フライング・スタート
Darley Flying Start
http://www.darleyflyingstart.com/

2019年5月31日 (金)

サラブレッドの距離適性に関わるミオスタチン遺伝子について

No.80 (2013年6月15日号)

 生き物の容姿や機能・能力の設計図とも言える遺伝子は、サラブレッドの場合、64本の染色体(31対の常染色体と1対の性染色体)の中にあります。近年、第18番目の染色体上に存在するミオスタチンという物質の遺伝子のDNA塩基配列(A/T/C/Gの4つの塩基の組み合わせからなる)の中にある一塩基多型が競走距離適性と関連していることが、複数の研究機関から報告されました。今回は、このミオスタチン遺伝子型に関する最新事情について紹介したいと思います。

ミオスタチン遺伝子多型と距離適性
 ミオスタチン遺伝子に認められた一塩基多型とは、「C(シトシン)」または「T(チミン)」のどちらかで構成される塩基配列の一部が個体によって異なっている、というものです。染色体は、父方の精子と母方の卵子から1本ずつ引き継ぐため、その組み合わせによって「C/C」、「C/T」および「T/T」の3 種類の遺伝子型が生じることになります。ちなみに、このような遺伝子型は人のABO血液型が親から子供に遺伝しているのと同じ原理になります。このミオスタチン遺伝子型により、「C/C」型では短距離に適した傾向を、「T/T」型では長距離に適した傾向を示し、「C/T」型ではその中間(中距離)に適した傾向を示すことが明らかになってきました。
 図1は、JRA において出走した雄のサラブレッド集団(1,023 頭)の距離適性傾向を示しています。この調査では,調査対象としたJRA における競走体系(新馬戦からG1 まで)が、1,200 m や1,800 m での頻度が高いため、解釈する上ではこの点に留意すべきとしていますが、「C/C」型では1,000~1,800 m で、「C/T」型では1,200~2,000 m で勝利度数が高く、「T/T」型は「C/T」型よりやや長距離で勝利度数が高いことが示されています。

1_6 (図1) 日本のサラブレッド(雄1,023 頭)におけるミオスタチン遺伝子型の違いによる勝利度数分布(T. Tozaki et. al., Animal Genetics, 2011から引用・改変)

筋量とミオスタチン遺伝子型との関連
 ミオスタチンは多種様々ある成長因子の1つで、筋細胞の増殖分化を抑制する物質であることが知られています。ミオスタチンの機能不全を起こしたウシでは、筋肉隆々の個体になることが知られていて、通常の個体では過大に筋肉が肥大化しないように、ミオスタチンを介した適度な筋量の調節が行われていることが推察されます。
 18ヶ月齢(調教前)のJRA育成馬(91 頭:雄49 頭,雌42 頭)を用いて、調教開始後6ヶ月間の測尺結果とミオスタチン遺伝子型との関連を解析した調査では、筋量を反映する「体重/ 体高(kg/cm)」は、雌雄とも「C/C」型で最も高く、「T/T」型で最も低く、「C/T」型ではそれらの中間傾向を示すことが明らかになりました(図2)。この遺伝子型の違いによる傾向は、18月齢から認められ、統計的に有意な違いは、本格的なトレーニングを開始した20月齢(1歳の11月時点)から観察されました。

2_6 (図2) 1歳育成馬における体重/体高の経時変化とミオスタチン遺伝子型との関係
 黒枠付きの四角は雄を、丸は雌を示す。筋量の指標となる体重/ 体高は、11月~3月の測定期間において、遺伝子型による統計的有意な差(*印:p <0.05)を認めた。(T. Tozaki et. al., J. Vet. Med. Sci., 2011から引用・改変)

競走距離の変移とミオスタチン遺伝子型との関連
 サラブレッドの近代競馬は、今から約300年前のイギリスで発祥しました。当時の競馬は3~6kmの長距離戦が主なものであったとされています。レースで勝利を治めた馬が種牡馬や繁殖牝馬となり、その子孫を残すことで、速く走るための遺伝子が選抜され、サラブレッドの育種改良は行われてきました。昨年は、我が国でも近代競馬が行われてから150周年を迎え、世界で互角に戦える競走馬を輩出し、血統的にも世界に負けない優れた種牡馬や繁殖牝馬が揃うようになってきました。平成24年度の中央競馬(JRA)における平地競走は芝1,000~3,600m、ダート競走は1,000~2,500mの各競馬場コースにおいて、合計3,321競走の競馬番組が施行されました。一般に、平地競走の距離区分は、1,200mを中心としたスプリント(Sprint; <1300m)、1,600mを中心としたマイル(Mile; ~1900m)、2,000mを中心とした中距離(Intermediate; ~2,112m)、2,400mを中心とした中長距離(Long; ~2716m)、3,000mを超える長距離(Extend; >2717m)に分類され、それぞれの英語の頭文字を取ってSMILEとして区分されています。この距離別区分によるJRAの競走数の分布は図3の様になり、近年は、マイルやスプリントの競走が主流になってきていることが分かります。
このような競馬距離体系の移り変わりから、サラブレッドの求められる距離適性能力も変移してきています。かつての歴史上の有名種牡馬や競走馬13頭のミオスタチン遺伝子型を調査した報告では、19世紀以前は「T/T」型の種牡馬が多くを占めていた可能性が高く、1954年生まれの1頭の種牡馬以降に「C/C」型のミオスタチン遺伝子型を持つ種牡馬が登場し、この「C」型のミオスタチン遺伝子が普及していることが明らかになっています。

ミオスタチン遺伝子型に関する動向
 サラブレッドの競走能力に関わる遺伝子は、ミオスタチン遺伝子だけではありません。様々な複数の遺伝子が関与しているとともに、その発現には飼養管理や調教、馬場状態やレース展開など様々な環境要因も関与しています。したがって、1つの遺伝子だけを取り上げてその馬の能力を判定するのは危険な考えだと言えます。ミオスタチン遺伝子型と競走距離適性との関連は、サラブレッドの血統理論を裏付ける科学的な指標の1つとして、長期的な交配計画の策定や、その個体に適した飼養管理や調教方法などの環境要因の策定に活用されるべきと思われます。
 なお、ミオスタチン遺伝子型のDNA検査は、アイルランドのエクイノム社および米国のジャネティクス社により特許が取得され、「Equinome Speed Geen Test」として、正式な遺伝子診断サービスが実施されています。ライセンス許諾を受けていない試験機関等による検査は同特許の侵害に当たり、大学や研究機関における研究目的であっても,得られた個々の診断結果を馬主等の関係者に報告する場合にあっては、潜在市場を侵食する観点から違法となる場合があります。日本国内においては、共同研究を実施してきた競走馬理化学研究所がライセンス許諾を受け、最近本検査業務を開始したところです。

日高育成牧場 生産育成研究室
研究役 佐藤文夫