後期育成 Feed

2019年7月26日 (金)

競走馬の性格とパフォーマンス

No.91(2013年12月1日号)

 競馬は、勝利した馬のみが賞賛される非常に厳しいスポーツです。競馬では18頭中1頭しか勝利することが出来ず、当たり前ですが、その他の17頭が負けることになります。勝てない理由を考えてみると、単に、「相手が強かった」、「距離や馬場が合わなかった」、「体調や調整が不十分だった」のみならず、馬の精神的な要因もかなりの部分を占めていると考えられます。新聞紙面からレース後のジョッキーのコメントを抜粋してみると、『途中から走る気をなくしてしまい・・・』、『真面目すぎて一生懸命走ってしまう・・・』『馬込みを気にしてズブイところがあった・・・』『ゲートは五分に出たのだが、直後に怖がって内のほうに逃げてしまって・・・』等、性格や精神面の問題によって騎乗者の指示に従わず能力を十分に発揮できていないことが多いように感じられます。したがって、競走馬における育成調教の課題のひとつは、『もっている能力を発揮させるための精神面のトレーニング』といえるかもしれません。今回は、パフォーマンスに影響を与えると考えられる育成馬の性格について紹介します。

騎乗馴致時のリアクションに注目
 馬の性格を人間のように表現するのは難しいですが、馬を観察していると、『積極的で前向きな馬』、『消極的で慎重な馬』、『怖がりで緊張しやすい馬』等、様々な性格があると感じています。また、性格とは少し異なりますが、草食動物である馬は、基本的に捕獲者からの逃避反応としてのすばやいリアクションをもっています。これは速く走る上で大切な資質ともいえます。しかし、リアクションにおいて「走る」のではなく「逃げる」が強い場合は、「反抗」として競走馬としての能力発揮を阻害すると考えられます。
 JRAが1歳市場で購買した育成馬は、おもに夏(7~8月)に入厩します。最初は昼夜放牧を行いながら馬体の成長を待ち、秋(9~11月)に騎乗馴致、そして冬から翌年の春(12~4月)にかけて計画的なトレーニングを行い、4月にブリーズアップセールを経て、やがて競走馬としてデビューします。この課程は、1歳馬にとって初めての経験の連続であり、新しい経験の都度、様々な反応を見せます。特に、ハミや鞍などの馬具を装着し人が騎乗することを教える騎乗馴致においては、様々なリアクションが見られます。最初は大きなリアクションを示した馬も、危害を加えられることではないことを理解すると、徐々に人の指示を受け入れます。その受け入れ方には馬ごとに個体差があるようです。そこで、このような『リアクションとその後の理解』を指標にした馬の性格について調査を実施しました。

馴致難易度の調査
 2011~2012年に日高育成牧場で育成した育成馬121頭(牡60頭、牝61頭)について、騎乗馴致等、初めて経験する時の反応を調査しました。入厩してブリーズアップセールで売却されるまでの間に、1.入厩時(3項目)、2.騎乗馴致時(8項目)、3.騎乗馴致後セールまでの期間(3項目)における反応を、「おとなしく従順である(1点)」、「ややリアクションが大きいが早期に受け入れる(2点)」、「リアクションが大きく慣らすのに時間がかかり難しい(3点)」の3段階とし、スコアをつけました。また、4.育成期間を通した馴致の総合印象(繊細さ、自立度、反抗度)について評価しました。これら1.~3.の項目と4.の総合印象を合計したポイントを5.馴致難易度とし、馬のリアクションの大きさを基にした個性を数値で評価しました【表1】。ポイントが高いほど騎乗馴致や調教が難しい馬ということになります。

【表1】調査項目

H1
 そこで、この馴致難易度と先天的要因(血統や性別等)、後天的要因(入厩時に実施しているアンケート調査から得られた繋養牧場におけるセリ馴致や飼養管理の方法)との関連を調査しました。

メスはオスより馴致が難しい?!
 馴致難易度と先天的要因・後天的要因との関連についてそれぞれ調べましたが、性別のみ差が認められました。
 馴致難易度を性別で比較すると、オス22.7点、メス25.1点で、メスはオスよりも高い値を示しました。時期別にみると、入厩時は難易度に差がありませんでした(オス4.2点、メス4.3点)が、騎乗馴致時ならびに騎乗馴致後では差が見られました。しかし、総合印象では、メスはオスよりも高い値を示し(オス3.7、メス5.1)【図1】、これを構成する「繊細さ」「自立度」「反抗度」のいずれにも性差が認められました【図2】。

1_3 【図1】入厩後の時期別にみた項目別ポイント(※は差あり)

2_2 【図2】総合印象の項目別ポイント(※は差あり)

 騎乗馴致時においてメスのポイントが高かった項目は、ダブルレーン(オス1.3、メス1.7)とドライビング(オス1.3、メス1.6)でした【写真1、図3】。なお、競走成績との関連については、現在データ集積中であり、興味深い成績が得られれば、本紙面等で紹介したいと思います。

3_2 図3】騎乗馴致時の項目別ポイント(※は差あり)

4_2 写真1 ドライビング風景

馴致をうまく行うには?
 今回の調査では、メスはオスよりも騎乗馴致が難しいという結果が得られました。特に、「ダブルレーン」と「ドライビング」において、メスはオスよりも難しいといえます。その理由として、総合印象における「繊細さ」や「反抗度」のポイントの高さと関連があると推察しています。私たちの経験からも、メスはダブルレーンが後肢に触れると、「蹴る」、「突進する」などの行動が見られやすいと感じています。したがって、騎乗馴致においてダブルレーンをスムーズに教えるためには、後躯等の体に触ることに慣らし鈍化させること(desensitization)が有効と考えられます。具体的には、馴致前にタオルなどでリズミカルに身体に触るパッティングや、ダブルレーンを行う前にローラーからヒップロープを装着して事前に後肢にロープが飛節に触ることに慣らすことによって、馴致をスムーズに行うことが可能になります。
 馴致後の調査項目においては、性差がみられませんでした。この理由として、ダブルレーンやドライビングで拒否反応を示したメスも、人の指示を受け入れることを覚えた結果、騎乗者の指示に対して従順になったことが考えられます。なお、性差はありませんでした(オス1.2、メス1.3)が、ゲート馴致においては、メスの方が繊細な傾向がありますので、慎重にゲートに慣らす必要があると考えています。また、メスは自立度が低い特性もあるので、初期の騎乗調教において馬を安心させて実施するためには、集団での調教は有効と思います。
 今回、馴致難易度と入厩前の飼養管理(当歳時昼夜放牧、1歳時昼夜放牧、コンサイナー預託、検温、洗い場馴致、引き運動、ウォーキングマシン、ランジング等の実施の有無)との間に関連が見られませんでしたが、その理由は明らかではありません。セリに上場される馬の躾のレベルは、一昔前に比べると明らかに向上しており、入厩後の取り扱いや馴致が容易になっていると感じています。しかし、騎乗馴致ではじめて経験する一連の過程は、馬の本能の部分である新規刺激に対する反応、つまり性格がより抽出された結果になっているものであるからと考えています。

遺伝子にも注目
 近年、馬の性格や行動に対する遺伝子の影響も報告されています。例えば、好奇心や警戒心と関連のある「ドパミン受容体D4遺伝子」、子馬に対する養育行動や社会行動と関連する「オキシトシン受容体遺伝子」、攻撃性と関連がある「アンドロゲン受容体遺伝子」などが性格と関連のある遺伝子として知られています。今後は、今回実施した行動調査と行動遺伝子との関係についても調査を進め、また、競走成績との関連も調査していく予定です。これからも皆様のお役に立てるデータを提供して参りたいと考えています。

(日高育成牧場 業務課長 石丸 睦樹)

2019年7月24日 (水)

育成馬における歯の管理

No.90(2013年11月15日号)

 秋が深まってきた今日この頃ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。多くの育成牧場同様、日高育成牧場では騎乗馴致が始まっており、早い組では隊列を組んで集団で駈歩調教を行っています。さて、JRA日高育成牧場では騎乗馴致を始める前に歯の処置を行っています。歯の状態によってハミ受けや飼い食いへ影響することがあるため、近年馬の歯に対する注目が集まってきております。そこで今回は育成馬における歯の処置についてご紹介したいと思います。

斜歯と狼歯の処置
 育成馬における歯の処置は主に斜歯の整形と狼歯(ろうし、やせば)の抜歯です。斜歯というのは上の歯の外側と下の歯の内側にできる尖った部分のことで、草食動物特有の上顎と下顎の幅が違うことが原因です(図1)。その尖った部分を鑢で削って整形します(図2)。多くの馬において、奥の頬の内側の粘膜には斜歯による傷が認められますので、上顎の外側の奥の部分は確実に削ることが重要です。馬の歯列は上から見ると、奥側が少し内側に入っているものもあり、真っ直ぐな歯鑢(しろ)では届かない場合があります(図3)。このような場合には先の少し曲がった歯鑢を用いることで、内側に入った部分を削ることができます(図4)。また、臼歯列の一番手前に位置する第2前臼歯はハミの収まりを良くするために先端を丸くしてやります。これをビットシート(図5)と呼びます。

1_2 図1 口の中を正面から見た模式図(赤丸で示す斜歯を整形する必要がある)

2 図2 開口器と歯鑢を用いて歯を削る

3 図3 先端が真っ直ぐな歯鑢(奥の歯の表面にヤスリ部分が届かない)

4 図4 先端が曲がった歯鑢(奥の歯の表面にヤスリ部分が届く)

5 図5 ビットシート(臼歯の最前列を丸く整形する)

 狼歯は進化の過程で退化した歯で、ちょうどハミが収まるところに生えてきます(図6)。痛みを伴い、口向きが悪くなる原因になることがあるので抜く必要があります。抜歯をする際は鎮静剤を用います。狼歯には根の太いものや曲がったもの、横に向いて生えているもの、先端が出てきていないものなど様々なバリエーションがありますが、先端が半円形や円形の道具(図7)を用いて、比較的容易に抜歯することができます。先端が出てきておらず、粘膜が盛り上がって見える埋没狼歯(blind wolf teeth)(図8)と呼ばれるものは、見落としがちである上にハミへの影響が大きいとされているため、注意深く触ってチェックする必要があります。狼歯を抜歯した直後は、馬が痛みや違和を感じることがあるため、基本的には休馬の前日に抜歯をするようにしています。

6 図6 上顎の臼歯最前列に認められる狼歯

7 図7 狼歯を抜く道具

8 図8 埋没狼歯(ハミがあたると痛い)

日常の歯の管理
 若い馬の歯はある程度年齢を重ねた馬の歯に比べると非常にやわらかく、その分擦り減るスピードも速いため、尖りも出てきやすいと言えます。また、生え変わりが起こる2歳の夏~5歳もトラブルが発生しやすい時期ですので、育成期~競走期にかけては最低でも6ヶ月毎の処置が必要です。
 歯は外からは見えないので、蹄の管理や跛行や疝痛等の疾病などはっきりと見た目にわかるものに比べると、普段の管理では意識することが少なく、処置が後回しにされがちです。しかし、歯が悪いことで、ハミ受けや飼い食いが悪くなるだけではなく、二次的に跛行や疝痛等を引き起こすこともあるので、馬本来のパフォーマンスを発揮し、価値を損なわないようにするためにはしっかりと処置をする必要があります。本記事が少しでもみなさんの歯に対する意識を高めることができれば幸いです。

(日高育成牧場 業務課 中井 健司)

2019年6月21日 (金)

競走馬の引き馬と展示

No.88(2013年10月15日号)

 競馬場では秋のG1シーズンを迎えています。皆様が生産、育成に携わった馬が晴れの舞台で活躍する姿を見ることは、このうえない喜びだと思われます。また、パドックで手入れされ、従順に引き馬されている姿を見ると、当歳時の面影が残りつつも立派に成長した愛馬の姿に感慨深いものを感じるのではないでしょうか。

 近年、日本馬の海外での活躍に伴い、海外競馬の映像を見る機会が増えています。特に欧州のパドックでは、馬をきれいに手入れし、また、その馬を引く厩務員も盛装しています。さらに、「馬主の大切な馬を競馬ファンや馬主に対して披露」するよう、従順にしつけられた馬を1本のリード(引き綱)でキビキビと歩かせる姿が印象的です。わが国でもパドックで馬を見せる意識は高くなってきており、本年のダービーでは、パドックで最も美しく手入れされた馬を担当する厩務員に贈られる「ベストターンドアウト賞」の審査が実施されたことも記憶に新しいところです。この「ベストターンドアウト賞」の審査基準は「馬がよく躾けられ、美しく手入れされ、かつ人馬の一体感を感じさせる引き馬(リード)が行われているか」となっています。今回は、競走馬の引き馬と展示について、欧州で行われている方法に焦点を当てながら解説したいと思います。

パドックにおける引き馬

1本リードでの引き馬

 1本リードでの引き馬を行う際に、欧州でもっともよく使用されているのがチフニービット(ハートバミ)です。このハミは下顎に均等に作用させて馬を制御することが可能であり、地上にいる御者から下顎や舌に強く作用することができるため、引き馬での制御に効果的です。欧州のパドックでは、ハミ頭絡の上から装着して、御者が1本リードで馬を制御している光景をよく見かけます。チフニーの特性として以下の4点があげられます。①構造上、1本のリードでの使用により制御効果が発揮される。②ハミが細く棒状であるため、作用が強い(乱暴に使用してはなりません)。③力学的な作用は後下方向からの操作により高まるため、引き馬に適している。④着脱が容易である。

 近年、わが国のパドックでも、チフニーを装着している競走馬を見かけるようになりました。しかし、ハミの特性が理解されていないためか、1本のリードを下顎部分に装着するのではなく、頬革に連結するハミの横のリングに2本のリードを装着している場合が多いようです。チフニーは下部のリングから1本リードで使用しなければ、効果的に作用させることができません(写真1)。

 また、日常の引き馬や治療時の取扱いにおいても、チフニーの使用は有効です。通常、チフニーは無口頭絡の上から装着します。その際に、1本リードをチフニーと無口の下部のリングを連結して使用することにより、チフニーの直接的作用をやわらげ、無口頭絡の鼻革部分にも作用させることが可能となります(写真2)。また、この連結方法は、チフニーの反転防止にも役立ちます。

引き馬の御者(リーダー)は一人

 草食動物である馬は、群れのリーダーに従う性質を持ちます。したがって、引き馬を行う際のリーダーも一人でなければなりません。欧州のパドックでは、馬の右側を人が一緒に歩くことがありますが、「二人引き」を行うことはありません。右側の人の役割は、混雑する人ごみの中を歩く際に「馬をエスコートすること」や「右側の壁」として必要に応じて手綱を保持し、馬を落ち着かせることです(写真3)。競馬ではアシスタントトレーナーやトラベリングヘッドラッドが、その役割を担います。

 欧州で「二人引き」が行われない理由は、両側から別々の指示を出されると、馬はどちらが自分のリーダーかわからず混乱するためです。さらに、馬が暴れた際には、御者の安全確保のため、両者ともにリードを離すことができず危険な状態になることもあります。馬が人の指示に従わない場合には、二人の力で抑えこもうとしても、「一馬力」に勝つことができません。それよりも、馬が人の指示に従うような躾を行うことの方が重要であるということを欧州のホースマンは認識しているのです。

ファンや馬主を意識した「馬を披露する」姿勢

 欧州では競馬そのものが馬主の社交の場であり、パドックに入るお客様にもドレスコードが課せられています。したがって、馬を引く厩舎関係者も社交の場にふさわしい身だしなみに気を配らなければなりません。また、パドックでは馬主に馬を「見ていただき」、馬主の大切な馬を競馬ファンに「披露する」姿勢が求められます。そのためには、馬がアスリートとして最大限引き立つよう手入れに気を配り、また、ブラシによるクォーターマーク(写真4)、たてがみの水ブラシおよび蹄油などのプレゼンテーションも一般的に行われています。さらに、パドックでは落ち着きがあり、キビキビとした常歩を見せなければなりません。これを実行するには、普段からの馬の躾が不可欠であることは言うまでもありません。

競走馬の展示

 欧州では現役競走馬の売買も少なくなくありません。そのため競走馬厩舎では、馬主や購買者が馬を見に来た際には、きれいに手入れされているとともに、躾の行き届いた姿をお見せしなければなりません。

 駐立展示は、光の向きや傾斜、背景にまで配慮したうえで展示場所を選ぶことから始まります。馬を見せる際には、たてがみは水に濡らしたブラシを使用して必ず右に寝かせます。これは馬の左側が「表」とされているからであり、このようにすることにより、頚のラインがきれいに見えます。また、それぞれの肢を見せるために、四肢は重ならないように右側を狭く踏ませて駐立させます。さらに、蹄の検査ができるような地面の安定した場所に立たせることも大切です。

 馬装は無口頭絡とチフニーを用いた展示が一般的ですが、そのほかにチェーンシャンクやレーシングブライドル(写真5)を使用することもあります。チェーンシャンクは米国の競走馬や種牡馬の展示で多く見られますが、装着だけでプレッシャーになる強い道具であるため、使用時には注意が必要です。また、レーシングブライドルは競走馬であるということをアピールする効果があるため、欧州では2歳トレーニングセールでの展示や競走馬の撮影の際に使用されています。

 馬主や購買者への常歩での歩様検査時には、引き馬で検査者からまっすぐ10mほど離れます。また、回転する際は右回りに回転します(写真6)。右回転時には、頭を高く保持し、後肢旋回の要領で小さく回すのがコツです。右回りで回転する理由は、①検査者の視界を御者が遮らない。②回転時に後肢がふくらまない。③狭い場所では、回転時に人が馬の外側に位置することにより、馬の無用な受傷を防止するためです。なお、回転後は再び検査者に向かってまっすぐ戻ります。

最後に

 近年、わが国の生産地における1歳せり市場の下見や展示では、「1本リードによる引き馬」や「右回りの回転」など、合理的で優れた技術や考え方を模範とした方法が一般的となっています。これらの生産地での「馬を見せる」から「見ていただく」という取り組みは、競馬場での取り扱いにも大きく影響しています。これまでの生産地の皆様方のたゆまない努力に敬意を払うとともに、これらの取り組みが今後も継続されることを期待しています。

(日高育成牧場 専門役 頃末 憲治)

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写真1:チフニーを下顎に均等に作用させるには1本リード(左)が2本リード(右)より効果的である。

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写真2:1本リードをチフニーと無口の下部のリングを連結して使用することが推奨される。

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写真3:欧州のパドックで馬の右側(写真左側)の人は「エスコートすること」や「右側の壁」としての役割を果たしている。

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写真4:欧州のパドックではブラシによるクォーターマークなどのプレゼンテーションも一般的に行われている。

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写真5:米国の競走馬や種牡馬の展示ではチェーンシャンク(左)、欧州でのトレーニングセールや競走馬の展示ではレーシングブライドル(右)が使用されることが多い。

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写真6:歩様検査の回転時には右回りに回転する。

2019年6月10日 (月)

イギリス・アイルランドにおける購買前獣医検査について

No.83 (2013年8月1日号)

はじめに
 洋の東西を問わず、馬の売買取引に関するトラブルは数多く存在します。その理由として、馬は「高額」な商品であることに加えて、生体、すなわち「生き物」であるため、自動車や精密機械などと比較して、その品質保証が困難であることなどがあげられます。また、わが国の馬取引の中心である育成期の馬(当歳~2歳馬)は、売買時に「成長期」であることから、取引前には認められなかった疾患が、取引後に発生する可能性もあります。さらに、取引後における放牧や調教などの運動負荷により、外見上認められなかった疾患や欠陥が顕在化することも少なくありません。
 冒頭で「洋の東西を問わず」と述べたように、馬の取引のトラブルで悩んでいるのは、わが国だけではありません。馬取引が盛んに行われている諸外国の例を垣間見ることにより、安心して馬の売買が可能となる方法を構築する手がかりをつかむことができるかもしれません。そこで今回は、イギリスおよびアイルランドの馬取引における「購買前獣医検査」Pre-Purchase Examination(以下PPE)についてご紹介したいと思います。

購買前獣医検査PPE
 イギリスおよびアイルランドにおいては、PPEが一般的に実施されています。これは、購買者が購入を予定している馬に対して、購買目的に適っているかどうか、異常所見や疾患の有無といったリスクに関する部分に関して獣医師に検査を依頼するものです。依頼された獣医師の多くは、PPEガイダンスノート(※)とよばれる「検査手引書」に基付いて実施しています。これには、獣医師が実施するべき検査項目が順序立てて明記されており、イギリス馬獣医師会および英国王立獣医師会といった獣医師の権威団体によって作成および承認されています。このため、これに則ることにより、可能な限り適切な検査が実施できるとともに、取引後のクレームなどのトラブルを最低限に抑制できるシステムが構築されています。さらに、当該馬に関与する検査獣医師、購買者および販売者のすべてが、購買時検査を実施するうえで理解しておく必要がある事項が記載されています。例えば、「PPEには限界がある」「購買者の使用目的およびニーズに基付いて合否判断する必要がある」「検査獣医師は当該馬の診療に携わっていない」ことなどが明記されています。
 実際の検査においては、これに示されたすべての検査ステージに加え、必要に応じてレントゲン検査や上気道の内視鏡検査を実施するため、1頭当たりの検査が1時間を超える場合も少なくありません。また、競走馬や馬術競技馬などの高額馬取引の検査は、臨床経験が豊富かつ公平に判断できる獣医師が担当しています。
※PPEガイダンスノート原文
http://www.beva.org.uk/_uploads/documents/1ppe-guidance-notes.pdf

検査の流れ
 PPEガイダンスノートの記載内容のうち、「基準検査」とよばれるPPEの基本となる検査は以下の5つのステージから成り立っています。

ステージ1 予備検査
駐立時の目視および触診などによる馬体外貌の検査。

ステージ2 引き馬による常歩および速歩の歩様検査
常歩および速歩の直線運動、左右方向の小さい回転、および2~3歩の後退による歩様検査。

ステージ3 運動負荷試験
騎乗による運動負荷時の検査。この項目の目的は「心拍数あるいは呼吸数を増加させた際の状態確認」「常歩、速歩、キャンター、可能であればギャロップ時の状態の確認」であり、騎乗が困難であれば、ランジングへの代替も可能である。

ステージ4 静止および再検査
ステージ3の運動後の安静状態における呼吸循環器系に関する検査。

ステージ5 2回目の速歩検査
運動と安静時検査によって確認された所見の再確認を目的とした速歩検査。

その他の検査
以上の検査以外に、ドーピング検査(血液検査)や必要に応じた屈曲試験、速歩による回転検査、レントゲン、内視鏡もしくは超音波検査などを実施する。

セリにおけるPPE
 競走馬のセリにおいては、PPEガイダンスノートの項目のうち、限定された一部の検査が短時間で実施されます(下表)。「PPEガイダンスノートの基準検査」と「セリにおけるPPE」両者の検査内容を比較すると、後者は明らかに簡略化されていますが、これには理由があります。セリにおいては、時間、場所および年齢に制約があるため、詳細な検査が不可能です。また、この事情を購買者が理解し、あくまで簡易検査であることを認識したうえでの依頼に基づいているためです。さらに、セリにおいては購買者本人が実馬検査している場合が多く、獣医師によるPPEはあくまで補助、セカンドオピニオンと見なされていることも検査を簡略化できる理由のひとつです。
 多くの獣医師は、安静時の外貌検査、心臓の聴診、歩様検査(ほとんど常歩のみだが、場合によっては速歩を実施する)、および内視鏡検査(上気道観察のみ)に限定して検査を実施しています。内視鏡検査は1歳馬であっても馬房内で実施することがほとんどで、セリ会場にはポータブル内視鏡を肩にかけた獣医師の姿を頻繁に見かけることができます。
 X線検査は腫脹が認められる部位、跛行肢など必要な個所のみに限定して実施されます。なお、X線検査が事前に実施されている上場馬はそれほど多くなく、欧州のトップセールであるタタソールズ1歳市場のブック1においても、レポジトリールームへの事前提出率は、上場者の3割程度にとどまっています。

1_3 セリにおける獣医師によるPPE(左)と馬房での内視鏡検査(右)

2_3 タタソールズのレポジトリールーム データ提出率は上場者の3割程度である。

3_3 PPEとセリにおける購買前検査の比較

売却後検査
 英愛の競走馬市場においては、売却後検査も頻繁に実施されています。主な検査項目は、異常呼吸音を確認するウィンドテスト、およびドーピング検査(血液検査)です。1歳および2歳市場においては、いずれの検査もほとんどの売却馬に対して実施されています。
 ウィンドテストは、会場内に設置されているラウンドペン(丸馬場)でのランジングにおいて、呼吸音が明瞭に聴取可能となるまで、左右それぞれ10周程度のギャロップを実施することにより異常呼吸音の有無を確認する検査です。なお、1歳市場の上場馬は、このテストのため、セリ馴致の一つとしてランジング調教が実施されています。

4_2 売却後のウィンドテスト。右側が呼吸音を確認している獣医師

PPE講習会
 PPEガイダンスノートに基づいた検査の周知徹底を図ることを目的とした講習会が、英国馬獣医師会の主催により、英愛国の各地で年間を通して開催されています。内容は「PPEの概要」や「クレームを防止するための購買前検査の実施方法」などの講義、実馬を用いた「コンフォメーション、歩様検査、心臓および眼検査方法」などであり、適切な購買前検査の実施および売買トラブルの防止を目的としています。
 講義のなかで、講師からは「購買前検査におけるクレームを予防するためには、購買者とのコミュニケーションが極めて重要であり、どれほど精度の高いプロトコールが体系化されていても、最終的には人間同士のコミュニケーション(言い回し、正直な発言など)が、トラブルを防止できる最も重要なポイントである」とアドバイスがありました。
 このような獣医師会をあげての取り組みは、獣医師の検査技術向上、ひいては適切な馬取引を実施することによる馬産業の発展を目的としています。

まとめ
 PPEガイダンスノートは馬取引を円滑に実施するための優れたプロトコールであるといえます、しかし、これを用いた検査システムの有効性を左右するのは、検査獣医師の臨床経験、観察力および依頼主に対するリスク説明などのコミュニケーション能力と言えるのかもしれません。
 わが国においては、PPEは一般的ではありませんが、馬取引に関わる獣医師の責任の重さは小さくありません。市場の透明性を向上させ、売り手、買い手ともに安心した取引を行うためには、現状において「パーフェクト」な診断および予後判定は不可能であっても、常に「ベター」な方法を模索していく必要がありそうです。

(日高育成牧場 専門役 冨成 雅尚)

2019年5月24日 (金)

鎮静剤が育成馬の内視鏡所見に及ぼす影響

No.77 (2013年5月1日号)

 日本でも1歳市場や2歳トレーニングセールにおいてレポジトリー所見の提出は当たり前となりました(レポジトリーについては、本誌の平成24年6月15日号、本記事参照)。この時期は、これからのセリに上場する馬のレポジトリー検査を実施することも多いのではないのでしょうか。レポジトリーは、セリ主催者側と購買者側の双方にメリットがあるものです。セリ主催者側にとっては、セリ市場の信頼感や安心感を高め、上場者と購買者の双方が納得して購買することに役立ちます。また、購買者にとっては、馬体、血統、動きなどを踏まえた上での購買判断材料のひとつにすることができます。そのため、購買者がしっかりと判断できるようなレントゲン画像や内視鏡動画を提出する必要があります。
レポジトリー検査では、複数の箇所のレントゲンや慣れない内視鏡検査を実施するために、鎮静剤を投与したうえで検査を実施することも多いようです。実際に2011年のセレクションセールではレポジトリー所見提出馬のうち70%が、HBAトレーニングセールでも55%の馬が鎮静下での内視鏡動画を提出していました。しかし、喉の内視鏡動画は鎮静下では正確に判断ができない可能性があり、購買者が判断を迷うケースがあります。それは、喉の披裂軟骨(図1)の動きが悪く見えることがあるためです。そこで我々は、JRA育成馬を用いて、鎮静剤が喉の内視鏡所見にどのような影響があるのかを調べましたので、この場で紹介させていただきます。


 JRA育成馬60頭に対し、内視鏡検査を鎮静前後で2回実施しました。鎮静剤はメデトミジンを使用しました。得られた画像を、獣医師4名で「Havemeyerの基準」という披裂軟骨の動きを7段階のグレード(Ⅰ、Ⅱa、b、Ⅲa、b、c、Ⅳ)に分けて評価する方法を用いて、喉頭片麻痺のグレードについて評価しました。


 その結果、鎮静剤を使用することによって、全体の40%にあたる24頭で喉頭片麻痺のグレードが1つ以上悪化するという結果が得られました(図2、3)。また、購買者が判断を迷うグレードⅡb以上の馬は、鎮静前は6頭であったのに対し、鎮静後は16頭に増加しました。このことから、鎮静剤を利用するとグレードⅡb以上となるリスクが3.3倍高まるという結果となりました。この実験は1歳の冬と2歳の春の2回実施しましたが同様の結果が得られました。


 このような結果となった理由には、鎮静剤の作用によって咽喉頭周囲の筋肉が弛緩したことや呼吸抑制が働いたことによって披裂軟骨の動きが悪くなってしまったことが原因と考えられました。しかし、なぜグレードが悪化する馬としない馬が存在するのかということについては原因の究明にいたっていません。過去に同様の実験をした論文では、逆に鎮静剤を使用することで将来喉頭片麻痺になる馬を予見することができるかもしれないという仮説をたてているものがありますが、それも証拠があるわけではありません。我々も今後、鎮静剤によってグレードが悪化した馬については追跡調査を行いたいと思っておりますが、少なくとも育成期の段階でこれらの馬に特別な呼吸器症状がでたり、安静時の喉頭片麻痺グレードが悪化した馬はいませんでした。


 セリにおけるレポジトリーでは、上場馬の現状を正確に判断できるものを提出するということが大切です。レポジトリー所見を提出することで、購買者が判断を迷い上場馬の評価をさげてしまうことは好ましいことではありません。もちろん人馬の安全確保上、検査実施時に鎮静剤を投与する必要がある場合もあります。しかしながら、鎮静剤にこのような作用があることも上場者の方には頭にいれておいていただきたいと思います。不必要に上場馬の評価を下げないためにも、レポジトリー検査を行うにあたって、前もって馬が人に触れられることに慣れさせておくことや、枠馬、鼻ネジに対する馴致を行い、安全に検査が行えるようにしておくのも重要なことだと思われます。

1_3 図1 披裂軟骨の位置

2_3 図2 鎮静処置前後のポイント変化の分布図

1ポイント以上のグレードの悪化を認める馬が全体の40%に及んだ。

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図3 鎮静処置下の咽喉頭部内視鏡像

鎮静処置により喉頭片麻痺グレードがⅡaからⅢaへと変化した症例。左側の披裂軟骨(向かって右側)の開きが悪化した。

 (日高育成牧場 業務課、 現所属栗東トレーニングセンター 検査課  大村昂也)

2019年5月22日 (水)

ブリーズアップセールで取組む「新規馬主のセリ市場参入促進策」

No.76 (2013年4月15日号)

 4月23日(火)、中山競馬場で2013 JRAブリーズアップセール(第9回JRA育成馬調教セール)を開催いたします(写真1)。前日の4月22日(月)には、事前に実馬をじっくり吟味いただけるよう、前日展示会も開催いたします。今年も、皆様のご来場を心からお待ち申し上げております。
 JRAでは、ブリーズアップセール(以下BUセール)を、育成研究に用いたJRA育成馬を売却する場としてだけでなく、新規に馬主免許を取得された方やセリでの購買に慣れていない方が、本セールをきっかけに、他の多くの市場へ興味を拡げていただけるような“入門編のセール”と位置づけています。したがって、参加される皆様がBUセールを通して「セリに参加する楽しさ」を味わっていただき、市場の活性化につなげたいと願っています。本稿では、2013 JRAブリーズアップセールを通して実施する“新規馬主のセリ市場参入促進への取組み”についてご紹介します。

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(写真1) 昨年のBUセールの様子

1)「セリと育成馬を知ろう会」の開催
 新規に馬主免許を取得された方には、「セリで馬を購買したいが参加の仕方がわからない」、「馬を選定する際のポイントを知りたい」、「調教師との接点がほしい」などの要望があります。これらニーズの解決の糸口になればと、昨年10月17日(水)および18日(木)にHBA北海道市場および馬事部生産育成対策室が中心となり日高育成牧場のJRA育成馬を活用して“セリと育成馬を知ろう会inひだか”を実施しました。当日は、新規馬主3名およびその同伴者1名が来場しました。日高育成牧場では、「馬の見方」、「馬の生産そして育成から競走馬までのライフサイクルの説明」等、実際にJRA育成馬を展示しながら解説しました(写真2)。また、懇談をかねた夕食会では、一般社団法人 日本調教師会(以下日本調教師会)の協力により、オータムセールに参加していた調教師2名が参加し、新規馬主が調教師とのコンタクトをとる方法を説明していただく等、有意義な時間をすごすことができました。翌日は、オータムセールを実際に見学し、セリの流れやレポジトリーの見方等、購買までの流れを体験していただきました。

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(写真2)実馬を用いて馬の見方を解説しました(JRA日高育成牧場)

 先月3月15日(金)および16日(土)には“セリと育成馬を知ろう会in宮崎”を開催しました。気候が温暖で交通の便が良い宮崎は、3月中旬にイベントを開催するのに適しています。新規馬主7組が宮崎育成牧場に来場され、さわやかな気候の下、イベントをお楽しみいただきました。まず、「馬の見方」を講義した後、BUセールに上場する馬を全頭展示 (写真3)するほか、調教も見ていただきました。日本調教師会の協力を得て6名の調教師にも参加いただき、夕方の懇親会では馬主・調教師および馬主の方同士の交流が和やかに行なわれ、調教師と接点が少なかった参加馬主の皆様には大変好評でした。

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(写真3)上場馬全頭の展示を行ないました(JRA宮崎育成牧場)

2)新規馬主オリエンテーションの開催
 馬主の皆様がセリ市場に参加しやすい環境づくりを目的として、新規に馬主登録をされた方を対象に、「新規馬主オリエンテーション」を1月26日に実施しました。JRA競走関連室馬主登録課が中心となり馬事部生産育成対策室がサポートする形で、馬主協会、調教師会の協力を得て東京競馬場で開催しました。昨年馬主登録をされた馬主16名およびその同伴者11名、また、6名の調教師が参加しました。当日は実際に競馬観戦を楽しみながら、「馬主活動について」、「馬主協会の概要」「全国セリ市場やBUセールの案内」や「馬の見方等、セリに活かせる馬の基礎知識」などの説明を行ないました。次回は6月に実施する予定です。

3)馬主・調教師懇談会の開催
 日本調教師会では、BUセール前日の展示会当日(4月22日11:30~12:30)に、購買登録をされた馬主の方を対象に、中山競馬場事務所2F会議室において調教師との懇談会を予定しています。これは、調教師との面識の有無に関わらず、調教師にとって大切な顧客である馬主の方に対して、BUセールでの購買のみならず預託を希望される調教師への橋渡し等、馬主活動のさまざまなサポートをしていくことを目的としています。懇談会後は前日展示会(13時から装鞍所において)に参加していただく予定となっています。


4)新規馬主限定セッションの開催
 昨年同様、JRAホームブレッドの売却を新規馬主の方(2010年1月以降に馬主登録された方)に限定して実施します。今年は、まず、新規馬主の方にセリに参加していただこうという趣向の元、限定セッションをセリの最初に準備いたしました。今年は、ファーストクロップサイヤーランキング2位のアルデバラン産駒8頭(牡3頭、牝5頭)を上場することとしています。なお、限定セッションでは、多くの新規馬主の皆様に馬を所有していただくチャンスを広げるため、お一人1頭のみの購買制限を行わせていただきます(限定セッション上場馬が「調教進度遅れとして上場された場合」および「限定セッションで売却されず再上場された場合」は、全馬主が参加可能となり、購買頭数の制限はございません。詳しくは名簿をご覧ください)。

BUセールは今年の市場を占うバロメーター
 BUセールはトレーニングセール第1弾として、今年の市場全体を占うバロメーターとなることから、活気あるスタートを切る大きな責任があると考えています(写真4)。BUセールでは、5月から行われる民間の2歳トレーニングセールや夏の1歳市場の主催者ブースを設ける予定としておりますので、来場いただいた皆さまに是非活用いただきたく願っています。BUセールをきっかけに、新規馬主をはじめ多くの来場された皆様が“セリで馬を買おう!”という雰囲気になってくれることを願っています。
本年も、来場された皆様がセリを楽しんでいただけるよう、また、これまでどおり、皆様の信頼を失わないよう、セリ運営に取組んで参ります。どうぞ、よろしくお願いいたします。

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(写真4)BUセールでの騎乗供覧[サウンドリアーナ号:ファンタジーS(GⅢ)]

(日高育成牧場 業務課長 石丸 睦樹)

2019年5月20日 (月)

育成馬の輸送管理

No.75 (2013年4月1日号)

 本年も4月23日(火)にJRA中山競馬場でJRAブリーズアップセールが開催されます。昨年の各1歳セールでの購買後、日高および宮崎育成牧場に分かれて入厩し、騎乗馴致を経て後期育成を終えたJRA育成馬は、セールに備えて1週間前に中山競馬場に輸送されます。馬運車10台が一団となって浦河国道を走行する、このJRA育成馬の輸送をご覧になられたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。今回は育成馬の「輸送管理」について触れてみたいと思います。


「輸送熱」および「馬運車内での怪我」の予防
 「輸送熱」という言葉を聞いたことがあると思いますが、これは輸送によって発熱する病気の総称です。発熱の他にも、呼吸器の炎症に起因した咳や鼻汁を認めることも少なくありません。この「輸送熱」という病気は、重篤化すると肺炎へと進行し、治療の甲斐なく生涯を終えてしまう場合もあります。つまり「輸送管理」とは、この「輸送熱」の発症を予防することといっても過言ではありません。
また、「輸送熱」とともに「輸送管理」のポイントとなるのが、輸送中における「馬運車内での怪我」の予防です。近年の馬運車は改良が進み、特に換気に関しての工夫が施されています。さらに、輸送経路の整備に伴う輸送時間の短縮により、「輸送熱」や「馬運車内での怪我」も以前と比較すると格段に減少しています。しかし、依然として、強調教などによるストレスを受けている育成馬の輸送では、大事に至ることも皆無ではありません。


まずは馬運車に慣らす!
 馬の立場になって考えてみると、ある日突然、暗くて狭い箱の中に鞭で追われて無理やり押し込まれ、24時間以上もその中で過ごさなければならないという状況では、輸送自体によるストレス以上の精神的な不安に起因するストレスが生じるに違いありません。馬は環境に慣れる動物とはいえ、ストレスを軽減させることは「輸送管理」には極めて重要です。2歳になる育成馬にとって馬運車で輸送されることは、初めてではなく、生まれた直後の母馬の種付け、1歳セール時あるいは育成牧場に入厩する際に馬運車での輸送を経験しています。これらの経験によって馬運車内での駐立に慣れている場合もあれば、一方でこれらの経験が「トラウマ」となって馬運車に入ることを恐れている場合もあります。JRA育成牧場では、すべての育成馬に対して輸送の2~3週間前に「馬運車馴致」を実施します(図1)。これは、輸送当日に馬を積載する場所で実際に馬運車に積み、落ち着いた状態で駐立できることを目標としています。スムーズな積み込み、あるいは落ち着いた状態での駐立が困難であった場合には、日を改めて再度実施します。また、馬房が隣同士である馬を馬運車内でも隣にするなど、輸送中の馬の精神面を安定させる工夫を心掛けています。しかし、入念に馴致をしても、輸送中の突発的な事故は避けられないのが馬の輸送であります。そのために四肢の保護用のプロテクターの装着は不可欠です(図2)。

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図1.日高育成牧場での「馬運車馴致」の様子。馬運車内で落ち着いた状態で駐立できることを目標としています。

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図2.輸送中の突発的な事故は避けられないため、四肢の保護用のプロテクターの装着は不可欠です。


「輸送熱」のメカニズム
 図3のグラフは、日高育成牧場から中山競馬場までの26時間の長時間輸送を実施された32頭の輸送時間経過に伴う体温変化を示しています。輸送開始から18時間後には10%、24時間後には20%、そして中山競馬場到着時の26時間後には25%の馬が38.6℃以上の発熱を発症しました。さらに、39.0℃以上の高熱を認めた症例は、18時間後以降に増加することが分かりました。これらは「輸送開始から20時間後ごろから発熱する馬の割合が急激に増加する」という約20年前にJRA競走馬総合研究所で実施された研究と同様の結果でした。また、このJRA競走馬総合研究所での研究では、図2のように輸送中の馬の心拍数や呼吸数は、馬運車の走行と連動して増加していることも明らかとなっています。心拍数の増加は馬の不安定な精神状態を、そして呼吸数の増加は呼吸が浅く、速くなるために気道を乾燥させ、細菌などに対する抵抗性を低下させることを意味します。つまり、この研究結果から、「輸送熱」は「輸送にともなう種々の刺激が直接的あるいは間接的に馬体を冒すことにより、細菌感染に対する抵抗力が低下する結果、普段は害を及ぼさない気道中の常在菌(馬が健康な状態で持っている細菌)が日和見感染(ひよりみかんせん:免疫力が低下しているために、通常なら感染症を起こさないような感染力の弱い病原菌が原因で起こる感染のこと)し、肺に炎症を起こす」ことが主な原因であると考えられています。そして、輸送熱の予防には、馬運車内を清潔に維持すること(換気状況の改善、糞尿の処理、ホコリを少なくする工夫など)、輸送中の休憩はできるだけ長く、そして多くすること(換気回数の増加、ストレス因子の減少)などが重要であることも明らかとなっています。

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図3.日高育成牧場から中山競馬場までの26時間の長時間輸送を実施された32頭の輸送時間経過に伴う体温変化。輸送開始から20時間後ごろから発熱する馬の割合が急激に増加します。

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図4.輸送中の馬の心拍数や呼吸数の変化。馬運車の走行と連動して心拍数および呼吸数は増加します。

輸送前の抗生物質の投与による「輸送熱」予防
 近年、扁桃(へんとう)や気管内に存在する日和見感染菌に対して有効な抗菌薬を輸送開始から到着までの間、肺内(気管支肺胞領域内)に存在させることにより、長時間輸送に起因する「輸送熱」を予防することが可能かどうかについての研究を日高育成牧場から中山競馬場へのJRA育成馬の輸送時に実施しました。抗菌薬は、長時間作用型抗菌薬であるニューキノロン系のマルボフロキサシン製剤(体重1kg あたり2mgの投与量)を使用しました。馬運車への積み込み直前に抗菌薬を投薬した馬(抗菌薬投薬群)と投与しなかった馬(非投薬群)との中山競馬場到着後(輸送から26時間後)の輸送熱を発症した頭数の割合を比較した結果、図5に示すように、非投薬群では31%の馬が輸送熱を発症したのとは対照的に、投薬群では6%の馬にしか輸送熱の発症を認めませんでした。さらに、非投薬群では13%の馬が39.0℃以上の高熱を認め、中山競馬場到着後に抗生物質投与による治療が必要でしたが、投薬群では39.0℃以上の高熱馬は認められず、中山競馬場到着後に治療が必要であった馬もいませんでした。このように、ニューキノロン系のマルボフロキサシン製剤は、輸送熱予防に効果があることが確認できました。また、副作用などに関する安全性も確認されています。耐性菌の出現の問題などについて慎重に調査を継続する課題は残っていますが、輸送熱予防に効果が期待されます。

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図5.抗菌薬を投薬した馬(抗菌薬投薬群)と投与しなかった馬(非投薬群)との中山競馬場到着後(輸送から26時間後)の輸送熱を発症した頭数の割合の比較。

最後に
 わが国では、競走馬の馬運車といえば前向きに積むのが一般的ですが、世界各国では横積み、斜積みあるいは後向き積みタイプの馬運車などがあり、馬にとってどの向きで輸送するのが理想であるかについては明らかにはなっていません。今後、わが国でも横積みあるいは斜積みが一般的になるかもしれません。また、輸送熱予防にさらに有効な長時間作用型抗菌薬が新たに開発され、「輸送管理」の一助となるかもしれません。しかし、馬を輸送する際に最も重要なことは、精神的な不安に起因するストレスを減少させることです。このためにも、日常の取り扱いが極めて重要であることはいうまでもありません。つまり、人の扶助に対して従順であり、馬が人をリスペクトするように馴致することが重要であると考えられます。

(日高育成牧場 専門役 頃末 憲治)

2019年5月 1日 (水)

反復トレーニング2

No.73 (2013年3月1日号)

 前回の記事で、反復運動を行なう場合には、1本目の運動強度が高いほど2本目の運動中のエネルギー供給がより有酸素的になるということを述べました。このことは、1本目の運動強度が違うと、2本目(主運動)の強度が同じであっても、そのトレーニング効果の質が多少なりとも異なることを意味しています。
 前回の内容を簡単にまとめると上述のようになりますが、実験条件について、いくつか付け加えておきたいことがあります。文中で示した実験条件、たとえば「1本目の強度を110%VO2maxの強度(平地調教で言えばハロンタイム12秒くらいのスピード)で60秒間走行する」というのは、あくまでもトレッドミルを用いた実験として設定したときの運度強度と時間であるということです。実際の調教で、同じ強度で60秒間走らなければならないということではありません。700~800m程度の実際の坂路コースで、そのようなスピードで60秒走ることは事実上できませんし、40秒くらいが最大だと思います。ただ、トレッドミルで実験を行なう場合は、妥当で分かりやすい実験条件を決める必要があるので、60秒間という運動時間を設定したということです。今回の連載の中での実験条件も、まったく同じ条件下でのトレーニングを推奨しているわけではないことには注意していただきたいと思います。

反復運動の間隔
 反復運動では、それぞれの運動の強度(スピード)はもちろん重要な要素ですが、もうひとつ大きな要素が考えられます。それは運動の間隔です。私たちがトレーニングする場合を考えてみても、走る間隔が短くなると息が苦しくなるような感覚を持ちます。これはなぜでしょうか。
 競走馬が、たとえば坂路コースで2本走る場合の運動間隔は、通常約10~15分程度になります。坂路を上った後の帰り道の約1000mを常歩で歩くとなれば、10分程度かかるのが普通なので、必然的に反復の間隔はある程度決まってきます。しかし、トレーニング場全体のコース配置などの関係から、この間隔を若干変えることの出来る場合もあると思います。そうした場合には、どのような変化が起こるのでしょうか。

10分間隔と5分間隔の比較実験
 110%VO2max強度(平地調教でいえばハロンタイム12秒くらいのスピード)で60秒間の運動を10分間隔と5分間隔で2本行なったときの呼吸循環機能を調べてみました。5分間隔でも10分間隔でも、酸素摂取量は1本目よりも2本目の方が値は高くなっているのに対し、二酸化炭排出量は逆に2本目は低くなっていました。このことは、2本目の方がより有酸素的なエネルギー供給のもとで運動していることを示しています。このときの運動中に供給された有酸素性のエネルギー量を実際に計算してみると、5分間隔で運動した場合の方が、2本目のエネルギー供給はより有酸素的になっていたことがわかりました(図1)。

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図1:激しい運動を5分間隔あるいは10分間隔で行なった場合の有酸素的なエネルギー供給割合の変化。5分間隔で走った場合の方が、2本目の運動時の有酸素エネルギー供給割合が高くなっていた。

15分間隔と5分間隔の比較実験
 この実験では、酸素摂取量は測定しておらず、心拍数と血中乳酸濃度のみを測定しました。1本目と2本目の運動強度は前実験とほぼ同様で、運動間隔を15分間隔と5分間隔に設定しました。このときの血中乳酸濃度の変化を示すと(図2)、1本目の運動により、運動中の血中乳酸濃度は約5mmol/Lとなり、1分後には8~9mmol/L程度となっていました。

2_4 図2:激しい運動を15分間隔あるいは5分間隔で行なった場合の血中乳酸濃度の変化。1本目の運動で血中乳酸濃度は5mmol/Lとなり、5分後に8~9mmol/Lとなった。15分間隔で走行した際には、2本目直前の値は約4mmol/Lで、2本目の運動後の変化は1本目とほぼ同様、これに対し、5分間隔の場合は、2本目開始直前の値が8~9mmol/Lのまま2本目を行なったところ、2本目直後の値は直前の値とほとんど変わらず、5分後には12mmol/Lまで上昇した。


 15分間隔で2本目を行なった場合は、5分後までは8~9mmol/Lの値を保ちましたが、2本目の運動直前には4mmol/L程度まで低下していました。そして、2本目の運動により、血中乳酸濃度は1本目とほぼ同様な値まで増加し、その後の濃度変化も1本目とほぼ同様な経過をたどりました。
 5分間隔の場合では、1本目直後から5分後までは15分間隔と同様の変化を示しましたが(8~9mmol/L)、この状態で2本目をスタートするため、2本目直前の血中乳酸濃度は15分間隔の直前より高い値となりました。2本目の運動では、運動直後の血中乳酸濃度は直前の値とほとんど変わらず、5分後には12mml/Lまで増加しました。
 血中乳酸濃度は筋中での乳酸生成と消費のバランスによって決まります。筋中における乳酸生成そのものが大きく変化しているとは考えにくいので、5分間隔の2本目の運動時にみられる血中乳酸濃度変化の推移は、血中乳酸を運動中のエネルギー源として利用している可能性を感じさせます。
 競走馬のトレーニングは基本的には走ることなので、多彩なバリエーションは求めづらいのが現実です。しかし、これらの研究結果をみると、反復運動の強度や反復間隔を変化させることでトレーニング効果の質を変化させる可能性があることがわかります。

JRA日高育成牧場での例
 JRA育成馬が調教するBTC(軽種馬育成調教センター)の施設には、さまざまなコースがあり、屋内坂路コースもそのひとつです。コースの全長は1000mで傾斜は2~5%、途中3ハロンのタイムを自動計測できます。以下に、JRA育成馬のトレーニング時の心拍数変化などを紹介したいと思います。
 図3の上段のグラフは、屋内坂路コースを反復間隔約10分で2本反復したときの心拍数変化を示します。1本目の3ハロンの平均タイムはハロンタイム18.9秒で、そのときの心拍数は210~220拍/分です。約10分の間隔をおいた2本目の3ハロン平均タイムはハロンタイム15.6秒でした。そのときの心拍数はおよそ230拍/分で、運動直後の血漿乳酸濃度は約12mmol/Lになっていました。
 一方、下段のグラフは、1本目を坂路コースで走行した後に、3分ほどの間隔をおいて1600mのダート周回コースで2本目を走ったときの心拍数変化を示します。BTCの調教コースの配置上、屋内坂路コースの終点近くからすぐに1600mダートコースに入ることができるようになっています。そのため、運動の間隔を短くすることが出来るわけです。坂路コースにおける1本目の3ハロンの平均タイムは19.0秒、そのときの心拍数は210~220拍/分で、上段のグラフの1本目とほぼ同じでした。2本目は1600mコースで7ハロンの走行を行ない、最後の3ハロンの平均タイムはハロン13.9秒でした。2本目の最後の3ハロンの心拍数は230拍/分、直後の血漿乳酸濃度は15.7mmol/Lになりました。2本目の運動後に心拍数が100拍/分まで下がる時間は坂路コース2本を10分間間隔で走行した場合よりも明らかに遅く、いわゆる息の入りは悪かったといえます。
 上段のグラフ(坂路コース2本)と下段のグラフ(坂路コース1本+1600mコース1本)では、2本目の運動強度が全く同じではないので、直接比較することはできませんが、坂路コースと1600mコースを用いて間隔を狭めて行なったトレーニングの負荷は明らかに高いといってよいといえます。

3_4 図3:上のグラフは屋内坂路コースで2本反復した時の心拍数変化で、10分間の間隔をおいて2本目の走行を行なった場合。下のグラフは、1本目を坂路で走行した後、3分ほどの間隔をおいて、1600mの周回コースで2本目走行を行なったときの心拍数変化。

反復トレーニングの可能性
 坂路コースが導入された当初、坂路コースにおける追い切りは高強度短時間運動なので、いわゆる無酸素性のエネルギー供給を鍛錬しているものと考えていました。これは基本的には間違っていませんが、上記のような研究結果からあらためて考えると、高強度運動の反復運動では、有酸素的なエネルギー供給能力を副次的に、しかし効果的に鍛錬しているように感じられます。
 サラブレッドは血中二酸化炭素分圧が高いことに対して耐性が高く、いわゆる筋の緩衝能も高いといわれているので、漠然と耐乳酸能力が高いのであろうと認識していました。最近では、それに加えて、乳酸利用能力も高いのではないかと考えています。
 血中乳酸濃度が高い状態で行なうトレーニングも、血中乳酸濃度が高くなった状態でそのまま運動を継続する場合と、運動の間隔を置いて反復する場合とで状況が異なるのであろうと思います。運動の間隔をおいた場合は、血中乳酸濃度は高いままですが、その他の生理機能はリセットされるので、結果としてむしろ乳酸利用能を高めるトレーニングになっているように感じられます。

(日高育成牧場 副場長 平賀 敦)

2019年4月29日 (月)

反復トレーニング1

No.72 (2013年2月15日号)

 陸上競技の長距離走のトレーニング法を書いた本を読むと、「持続走トレーニング」あるいは「インターバルトレーニング」という単語がよく出てきます。持続走トレーニングというのは文字どおり、比較的遅いスピードで長い距離を走るトレーニングであり、一定の距離を決めて走る距離走や一定の時間を決めて走る時間走などがあります。一方、インターバルトレーニングというのは、急走期(速いスピードでの走行)と緩走期(ゆっくりとしたスピードでの走行)を交互に組み合わせて行なうトレーニングのことをいいます。
 インターバルトレーニングという言葉を有名にしたのは、チェコスロバキア(当時)の陸上長距離選手、エミール・ザトペックです。1948年のロンドンオリンピックでは10000mで金メダルを取り、1952年のヘルシンキオリンピックでは5000m・10000m・マラソンの長距離種目三冠に輝いた伝説のランナーです。この成績はまったく文句の付けようのない素晴らしいもので、当時の世界陸上界が、ザトペックが取り入れたこの新しいトレーニング法をすぐさま導入しようとしたのは当然のことといえます。しかし一方で、インターバルトレーニングを行なう際には、急走期の強さや回数あるいはその間隔などをうまく調整しなければならないため、故障なくトレーニングを行なうことはそれほど簡単ではありません。ザトペックが行なった実際のトレーニング計画をみると、400m走を何10本も繰り返すなど、相当きついものだったようです。このような厳しいトレーニング法は、そのインターバルの本数だけを模倣することでさえ、大変であったことと思います。インターバルトレーニングの黎明期は試行錯誤の連続であったことでしょう。

反復トレーニング
 インターバルトレーニングは、緩走期をインターバルに挟んで急走を繰り返します。この緩走期は弱い運動を行なっているわけで、いわば不完全な休息といえます。完全な休息をはさんで急走を繰り返す場合は、レペティショントレーニング(反復トレーニング)といって、インターバルトレーニングと区別することがあります。しかしながら、両者は基本的には緩走(休息)をはさんで急走を繰り返す(反復する)トレーニングであり、広い意味では両者とも反復トレーニングということができます。今回、競走馬で行なわれている急走を繰り返すトレーニングについては、「反復トレーニング」として、話を進めることにします。その理由は、競走馬のトレーニングで緩走期の運動として普通に用いられているのは常歩であり、その運動強度は、いわゆるインターバルトレーニングの緩走期の運動強度に比較するとかなり弱いからです。とはいえ、常歩はもちろん完全な休息ではないので、インターバルトレーニングと言っても、差し支えありません。

反復トレーニングの構成
 急走期を反復するというと一見簡単そうですが、実は多くのパターンがあることがわかります。トレーニングを反復形式で行なう場合に、トレーニングを構成する要素としては、①急走期の運動の強さ(スピード)、②急走期の持続時間(走行距離)、③緩走期の持続時間(反復間隔)、④緩走期の運動強度(スピード)、⑤反復の回数、などがあげられます。これらの要素は複雑にからみあうので、単純そうにみえる反復運動であっても、これらの要素を少しずつ変えること、つまり急走期の運動強度を変えたり、反復間隔を変えたりすることで、トレーニングパターンを何通りも作ることができることになります。
 一方、持続的なトレーニングでは、関与する要素は、①運動の強度(スピード)と②その持続時間(走行距離)の二つに大きくしぼられてきます。もちろん、この場合も、実際のトレーニング計画を作るのはそれほど簡単ではありませんが、トレーニングを構成する要素の影響の複雑さは反復トレーニングのほうが多いのは当然といえます。ただし、影響する要素が多いからといって、そのことがトレーニングの有効性に直結するものではないことはいうまでもありません。
反復トレーニングの要素の中で、反復回数に関しては、たとえば坂路コースのみを利用する場合は、2~3本の反復を行なっている例が多いようです。持続時間(走行距離)については、坂路コースを利用する場合は、コースの長さによって規定されるので、おのずと距離は600~800mの範囲になり、時間は数10秒になります。いうまでもないのですが、坂路コースの大きな特徴のひとつは長さが決まっていることです。そのため、走行スピードが速い場合でも、そのスピードのまま長い距離を結果として走ってしまうというようなことは物理的に起こらないことになります。
 
反復運動の1本目の強さの影響
 トレッドミル運動負荷試験で、酸素摂取量(VO2)・二酸化炭素排泄量・心拍数・心拍出量・動静脈血液ガス・血漿乳酸濃度などを測定することにより、反復運動時の呼吸循環機能を観察しました。この実験では、走行を2本行なった場合を想定しています(坂路を2本走った場合、あるいは坂路と周回コースを組み合わせて2本走った場合など)。
 実験では、1本目の強さを、①高強度(110%VO2max強度で60秒:実際の調教で言えばハロン12秒くらいの全力疾走)、②中強度(70%VO2max強度で60秒:実際の調教で言えばハロン20秒くらいのスピードでの走行)の2種類を設定しました(図1)。そして、1本目の運動を終えた後、10分間の常歩をはさんで、2本目の運動を負荷し(110%VO2max:ハロン12秒くらいの全力疾走)、運動開始から30秒ごとに、VO2などを測定しました(図1)。

1_3 図1:トレッドミルを用いた反復運動実験の模式図。1本目の強度を、①高強度:110%VO2max(走路で調教しているときのスピードに換算するとF12くらいの全力走)、②中強度:70%VO2max(走路でいうとF20くらいのスピード)の2種類を設定した。

1本目が強いほど2本目は有酸素的になる
 結果をみると、まず1本目の運動を行なうことにより、血漿乳酸濃度は①の高強度の運動後で約8mmol/lであり、10分間の常歩を行なった後の2本目の運動直前でもほぼその値を保っていました。②の中強度の場合は1本目の運動によっても2mmol/l程度にしか増加せず、2本目の直前ではほぼ安静レベルまで戻っていました(図2)。

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図2:血漿乳酸濃度の変化。1本目の強度が強い場合(高強度)は1本目直後の乳酸濃度は高く、10分間の常歩を行なった後(2本目のスタート時:走行時間0の時点)でも高い値を保っていた。これに対し、2本目が中強度の場合は、2本目のスタート時点の濃度は安静時の数値とほぼ同じであった。

 2本目の主運動時のVO2の増加のスピードは、高強度の方が中強度よりも速くなりました(図3)。逆に二酸化炭素排泄量の増加のスピードは、高強度の方が中強度よりも遅くなりました。つまり、2本目の運動強度が同じであっても、1本目に強度の高い運動をした場合の方が、2本目の運動は有酸素的なエネルギー供給のもとで行なわれていることになるわけです。

3_3 図3:酸素摂取量(VO2)の変化。2本目における酸素摂取量の増加は、高強度のほうが中強度よりも速いことが分かる。

 このような結果が得られた原因として、さまざまなことが考えられますが、そのひとつとして乳酸の影響も考慮する必要があるかもしれません。近年の研究によって、乳酸が運動時のエネルギー源として重要な役割を演じていることが分かっており、1本目が高強度の場合に認められた2本目直前の高い乳酸濃度が、2本目の運動中のエネルギー供給に影響を及ぼしたのかもしれません。
 今回の実験で分かったことは、1本目の運動強度が高いほど、2本目の運動中のエネルギー供給がより有酸素的になるということです。つまり、1本目の運動強度が違うと、2本目(主運動)の強度が同じであっても、運動中のエネルギー供給形態が多少なりとも変わるということです。これは、多少なりともトレーニング効果が異なることを意味しています。
 実際の調教において、1本目をゆっくりと走る場合と、1本目から比較的速いスピードで“サッ”といく場合とでは、2本目の追い切り時のエネルギー供給の状況も多少違っているものと考えています。

(日高育成牧場 副場長 平賀 敦)

2019年4月22日 (月)

育成馬のV200の変化

No.69 (2012年12月15日号)

 日高育成牧場では、トレーニング効果の指標である“V200”を毎年2月と4月に測定しています。そもそも“V200”とは1980年代にスウェーデンのパーソン教授によって提唱された馬の持久力(有酸素能力)の指標であり、“心拍数が200 拍/分に達した時のスピード”を意味します。これはスピードが上がれば心拍数も上昇するという生理学的な関係を利用したものです。ヒトの持久力の評価には、トレッドミルや自転車アルゴメーターで大型のマスクを装着して測定する最大酸素摂取量を指標としていますが、この測定には特殊機器を必要とするので、馬での測定は大きな研究施設でなければ困難です。そのために競走馬では、 “V200”や“VHRmax(最大心拍数に達した時のスピード)”を測定することによって持久力の評価が行われています。
 このような馬の運動生理の研究に関して、日本のみならず世界の中心となっているのがJRA競走馬総合研究所であり、ここでの研究成果を育成調教に応用しているのがJRA育成牧場であります。

競走能力との関係
 馬が運動する際には、酸素を利用し多くのエネルギーを得る方法(有酸素的運動)と、短時間に限定されるものの酸素を利用せずにエネルギーを得る方法(無酸素的運動)があります。競走中のサラブレッドは1,000mのレースでさえエネルギーの70%が有酸素的に供給される(図1)ということからも、“持久力(有酸素能力)が高い馬”≒“競馬を有利に運ぶことができる”と考えられています。

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図1:競走馬が距離別に必要とするエネルギーの割合(Eatonら)。短距離レースでもエネルギーの70%が、長距離レースではエネルギーの86%が有酸素的に供給されています。

 そのために、育成馬や競走馬に対しては、調教中の心拍数とその時のスピードから持久力が推定できる“VHRmax”や“V200”の測定による方法が応用されています。“VHRmax”や“V200”も基本的には同じ考えに基づく指標ですが、“V200”は“追切り”のような最大強度を負荷する必要がないので育成馬に応用しやすいという利点があります。一方、出走に向けて“追い切り”を行っているような競走馬であれば“VHRmax”の方が応用しやすくなります。
 このように述べると “VHRmax”や“V200”の測定値によって、その馬の走能力を予測できるのではないかとも考えられます。実際、現役競走馬での測定データでは、オープン馬は条件馬よりも高い傾向が認められたという試験結果(図2)もあります。

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図2:現役競走馬における競走条件別のVHRmaxおよびV200の測定値(塩瀬ら)。両測定値ともに競走条件が上がるにつれて上昇しているのが分かります。

V200の評価方法
 しかしながら、“VHRmax”や“V200”は異なる個体間での能力を比較するよりは、同じ馬のトレーニング効果を検証するのにより適した指標と考えられています。その理由は、馬の最大心拍数には個体差があるためであり、特に“V200”に関しては、最大心拍数が210拍/分の馬と230拍/分の馬では、同じ心拍数200 拍/分で走行した場合の相対的な負担度は若干異なる状態での比較となってしまうためです。また、競馬の勝敗は持久力以外の要因も左右するために、“V200”の測定値のみによって競走成績を予測できる訳ではないことはいうまでもありません。
 これらの理由のために、育成期における“V200”の測定値を評価する時には、以下の点について注意する必要があります。

1)“V200”測定時において騎手のコントロール下でのスピード規定が難しいこと。
2)“V200”測定値は馬の情動や騎乗者の体重あるいは技術の影響を受けること。
3)出走前の競走馬に対するトレーニング強度と異なり、育成期に行われているトレーニング強度では、“V200”は調教が順調に進みさえすれば、ほとんどの馬がある程度の測定値にまで達すること(図3)。

このように“V200”の個々の測定値のみを評価することはあまり意味がありません。

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図3:トレーニングと運動中の心拍数の関係:“V200”はトレーニング強度が上がればある程度の測定値にまで上昇します。鍛えれば当然、同じスピードでも低い心拍数で走れるようになります。

育成馬への応用
 それでは、どのように“V200”の測定値をJRA育成牧場において利用しているかといいますと、日高育成牧場では、過去12年間に渡って毎年2月と4月のほぼ同時期に“V200”を測定しています。同時期に、同じ馬場で“V200”を測定するということは、年度毎の調教効果を比較検討する手段のひとつとなり得ることを意味しています。個体毎に適切な調教方法というのは当然異なりますが、“調教群”として捕らえた場合には、「2月の時点までにある程度の調教負荷をかけて“V200”測定値を上昇させておいた方が良いのか」、それとも「2月から4月の“V200”測定値の上昇率が高い方が良いのか」、あるいは「こうした効果は牡と牝で異なるのか」などについての調査研究を実施しています。つまり、その年の“V200”測定値と調教時の運動器疾患の発生率や、その世代の競走成績との関連性を調査することによって、“More than Best”となる調教を目指して次年度の調教計画立案に役立てています。

 下のグラフは、過去10年間の日高育成牧場で調教された育成馬(牡牝混合)のV200の平均値です。大きな変化は認められませんが、近5年は4月のV200値が高い傾向があります。これは、ブリーズアップセールが始まったことや、新馬戦の時期が早まるなど2歳の早期からの活躍が望まれていることから、育成馬においても以前より2月以降の調教負荷が上がっているということをデータは裏付けています。ただし、2歳終了時(12年は11月末時点)の勝ち上がり頭数とV200の関連は特にみられず、V200が高いからその世代から多数勝ち上がっているかというとそういうわけではないようです。また、先ほど述べたように個々の馬の値に関しても同様です。表1は、日高育成牧場で調教した最近の活躍馬のV200の値です。彼らは特に世代の中で飛び抜けていたわけではなく、平均程度の値です。ただし、4頭とも2月から4月にかけて数値が順調に上昇していたので、調教がしっかりと身になっていたということはいえるかもしれません。今後もJRA育成馬での測定データを蓄積し、競走成績と照らし合わせることで検証し、皆様方に還元できればと考えています。

(グラフ1)

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(表1)

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(日高育成牧場 業務課 大村昂也)